第16話:悪魔のように黒く、
朝食後の穏やかな時間。
俺はリュックの中から、先日町で購入した麻袋を引っ張り出した。中に入っているのは、食料雑貨店の片隅に転がっていた「正体不明の実」だ。店主ですら「煮ても焼いても食えないもの」と呼び、投げ売りしていたものだった。
「そういえばこれ、試してみようと思ってたんだ」
袋から転がり出たのは、乾燥してカチカチになった、黒ずんだ親指ほどの大きさの実だった。表面は石のように硬く、このままでは確かに「食えない」はずだ。
「なぁヒー。これ、何か知ってるか?」
「魔力を含んでいる実ね。私もたまに見かけるけど、硬すぎて加工もできないし、味も良いものではないわ」
俺はナイフを使って、その実の外皮を慎重に叩き割ってみた。すると、中から淡い緑色をした二つの種が、向かい合わせに重なって現れた。
(この形、どこかで見たことがあるような気もするな)
奇妙な感覚を覚えながら、まずは実験をすることにした。俺はその種を石で細かく砕き、フーの助けを借りて、鍋にお湯を張り煮出してみた。
……数分後。できあがったのは、濁った薄緑色の液体だった。一口すすると、生臭い豆の匂いとえぐみが口いっぱいに広がる。
「これはひどいな。やっぱりそのままじゃダメか」
だが、この不快な匂いの奥に、確かな予感があった。もし火を通すことで、この中に眠っている成分を変化させられるとしたら。
「フー。昨日の温泉みたいに、この種の中心だけをじわじわ温められるかな? 外側を焦がさないように、中をポカポカにするイメージなんだけど」
「うん、やってみる! 中だけポカポカにするんだね!」
再挑戦だ。石板に緑色の種を並べ、フーが透き通った青白い炎を灯す。最初は刈りたての草を蒸したような匂いが満ちたが、フーが熱の中心を精密に送り込み続けると、次第に色が茶色く変わり始めた。
そして、その時だった。
――パチッ! パチパチッ!
実が内側から弾けるような音が響き、空気が一変した。立ち上ったのは、芳醇な香り。
(この匂い、間違いない……)
前の世界での記憶だ。街のカフェ、あるいは休日の朝のキッチン。この香ばしくも華やかな香りは、紛れもなく「コーヒー」のそれだった。
「成功だ、フー! これだよ、この匂いだ!」
石板の上には、宝石のような光沢を纏った、深い焦茶色の粒が完成していた。俺はこの香ばしく色づいた粒をミーに預けた。
「ミー、これを体の中で思いっきり押し潰して、エキスをギュッと絞り出してくれ。フーが沸かしてくれたお湯の中に、直接注ぎ込むイメージだ!」
「まかせてー、ヤマダー! えいっ!」
ミーの体内で凄まじい圧力がかかる。それはただ煮出すのとは違う、極限まで濃縮された抽出。事前にフーにお願いしていた、カップのお湯へと注がれたのは、漆黒のエキスだ。
混ざり合った液体は、ただのお湯から命を吹き込まれたような漆黒へと変わり、その表面には黄金色の細かい泡が美しく浮き上がった。
少しだけ口をつけてみたが、突き抜けるような香りと共に、脳が痺れるほどの強烈な苦味が襲ってきた。
その抽出した液体はエスプレッソみたいだった(正確にはそれをお湯で割ったものだ)。だが、飲み慣れない俺には少し刺激が強すぎた。そして同時に、喉を通った瞬間、なぜだか体の内側から脈打つような不思議な高揚感が湧き上がってきた。
(なんだろう、この感覚は……。それにしても、何かもっと良い方法で飲みやすくできないかな)
「そうだ、ミルクだ!」
俺は荷物の中から、以前町で買ったあの瓶入りの濃縮ミルクを取り出した。
昨日の温泉の際に作った要領で、ミーが用意してくれた透き通った浄化水に、ドロリと濃厚なミルクを垂らし、手際よく混ぜ合わせていく。
「フー、これを少しだけ温めてもらえるか? 飲みやすい温度でいいんだ」
「わかった! ちょうどいい温かさにするね!」
フーが放つ柔らかな熱で、純白のミルクが湯気を立て始める。そのミルクを、先ほどの漆黒の液体へゆっくりと注ぎ入れた。
白と黒が混ざり合い、見覚えのある、あの「ラテ」へと変わっていく。早速、出来上がったそれを、一口飲んでみる。
「美味い!これが飲みたかったんだ!」
濃厚なミルクの甘みが、鋭い苦味と香ばしさを包み込み、完璧な調和を生んでいる。
先ほど感じた高揚感は、一つの確信に変わった。
(このラテは、内包された魔力で、直接やる気を促している感じだ。普通のコーヒーのように、カフェインによる単なる覚醒効果を遥かに凌駕している……これを飲むと、本当に強くなってないか?)
俺はふと思い立ち、自分のステータスを確認してみた。
『レベル26』
「えっ……レベルが、1つ上がってる!」
そこには、昨夜までより一つ増えた数字が刻まれていた。魔力を蓄えた実を、俺たちの連携で極限まで引き出した結果なのだろう。
「これ、おいしいね、ヤマダー!」
「ボクも、これ好き」
「初めて飲んだわ、まだ知らない味があったのね」
俺たちは、洞窟の入り口からせり出した岩盤を平らに削って作った、特設の「テラス席」に腰を下ろしてラテを飲んでいた。
拠点の住み心地を良くするために岩を加工して整えただけの簡素なものだが、森の中の少し小高い丘の中腹にあるこの場所からは、眼下に広がる樹海を一望できる。遠くにはどこかへ続く街道が一本の線のように伸びているのが見えた。リゾート気分を味わうには最高のロケーションだった。
岩のテラスを吹き抜ける風が心地いい。
洞窟内に満ちていた、あの強烈なまでの芳醇な香りが、風に乗ってテラスの外へと誘い出されていく。
朝の澄んだ空気の中、俺たちが生み出した至高の一杯の香りは、目に見えない尾を引くように、なだらかな斜面を駆け降りていくようだ。
その時だ。
はるか下、森の入り口あたりで、ほんの一瞬、何かがキラリと反射したような気がした。
「……? 今、なにか光ったような……」
目を凝らしてみたが、朝日の加減か、あるいは見間違いか。距離がありすぎてそれ以上のことは分からない。
俺は少しだけ首を傾げたが、すぐに手元の温かいカップに視線を戻し、最後の一口をゆっくりと飲み干した。




