第11話:伝説
ふかふかの毛布で迎えた朝は、心身ともに極上の安らぎを与えてくれた。昨日の買い物で手に入れたパンを食べながら、俺は改めて、この洞窟を最高の居場所にするという決意を固めた。
食と住は一旦確保できた。次は、心の充足、癒やしだ。
俺は、岩の上で羽繕いをしているヒーに声をかけた。
「なあ、ヒー。昨日の夜、話してくれたこと、もう少し詳しく聞かせてもらえないか?」
「昨日の話? ああ、『温かい水の池』の話ね」
ヒーはそう言いながら、珍しく羽繕いの手を止めた。
「まあいいわ。今日は機嫌が良いから話してあげるわ」
ヒーが語り始めたのは、悠久の時の中で、彼女が最も心地よいと感じた場所の記憶だった。
「それは、私がまだ今より少し大きな姿だった頃の話。深い森の奥、ひっそりとした岩場から、温かい水が絶え間なく湧き出している池があったの。その水は、ただ温かいだけでなく、それ自体が特別な存在で、まるで生命力を高めるような不思議な力を持っていたわ」
その描写に、俺はすぐにピンと来た。温泉だ。
俺は現実世界での知識を思い出した。古代ローマの公共浴場、日本の湯治文化。温泉は、文明の歴史と共に存在する最高の癒やしだ。
日々の仕事で忙殺されて、シャワーしか浴びなかった社畜の俺にとっても、贅沢な話だった。湯船にも久しく浸かってないな。ましてや、温泉なんて最後に入ったのは、いつが最後だろう。
「そこに浸かるとね、全身の力が抜けていくの。穏やかな水の中に、身も心も溶けていくようだったわ」
ヒーはうっとりとした表情を浮かべた。
(不思議な力、か……)
俺は今、そのあたりの衛生面はどうしているかというと、風呂なんてものはもちろんない。だから、身体が汗や土で汚れた時は、スコールが来た瞬間に、服を脱いで洞窟を飛び出して、全身に冷たい雨を浴びて体を洗っていた。正直、自分でもちょっとこれは良くないなと思う。
「そしてね、そこには私以外にも色々な動物たちが来ていたわ。皆、そこでだけは警戒心を解き、静かに温もりを共有していた。皆が癒やしを共有する、平和な場所だったわ」
平和、温もり。俺が最も求めているものだ。
「特に、夜は格別だったわ。水面に立ち上る湯気の向こうに、この森では見られないほど大きく、鮮やかな星空が広がっていた。温かい水に浸かりながら見上げている時間は、最高の癒やしだったわ」
しかし、その平和は長く続かなかった。
「何年か経ったら、動物の狩りを行う人間たちが、その場所に踏み入るようになったのよ。絶好の狩り場でもあったからね。動物たちにとっては短い平和だったわ。それも仕方のないことだけれどね」
ヒーは、昔を振り返りながらつぶやいた。
「だから私はそこを離れたわ。静かに暮らしたいだけだから」
なるほどな。やはり、温泉は1000年以上生きていても、やはり素晴らしいものなんだなと改めて感じた。現実世界でも、温泉の歴史はそれこそ1000年以上前にも遡るしな。
(だが、その温もりと平和を、俺たちの手で作れるんじゃないか?)
天然の温泉は無理かもしれないが、人工の露天風呂ならできるかもしれん。
「俺たちなら、ヒーの思い出の場所を再現できるかもしれない。少し違うかもしれないけど、試してみる価値はありそうだ」
「そんなこと、あなたにできるのかしら?」
「俺一人なら無理だ。でも、俺たちなら、できるかもしれない」
「ふーん、面白そうね」
◆◇◆
俺は、三人を連れて洞窟の外へ出かけた。最高の『我が家』を作るための第一歩だ。目指すは、日当たりが良く、小高い岩場だ。
森の土地勘のある三人に、時折アドバイスを求めながら探索していると、その場所は見つかった。
(場所は良さそうだ。問題は、水をどうやって貯めるかだな⋯⋯)
近くの小川から水を引くのは非現実的だ。
俺は、肩の上に乗っているヒーに尋ねた。
「なあ、ヒー。ここに、みんなが入れるくらいの窪みを作りたいんだけど、何かアイディアないかな? 水を貯めるスペースが欲しいんだ。もしくは、ここではない別の場所とかで、水が引けそうな場所でも良いんだが⋯⋯」
ヒーは、俺の質問がまるで大したことないと言うように、軽く鼻を鳴らした。
「そんなの、簡単よ」
そして、その伝説の鳥は、呆れたように片翼を一振りした。
ズンッ!
一瞬、空気が震え、次の瞬間、地面が丸みのある窪みに抉られた。
(これが、伝説⋯⋯)
もしかすると、この「ヒュギエイア様」にできないことはないのかもしれない。




