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第4章 記憶を繋ぐ約束

その日、放課後の校舎はやけに静かだった。 教室の窓から射し込む光が、(ほこり)をきらきらと照らしている。 誰もいない教室で、怜央は机に肘をついたまま、ぼんやりとノートを見ていた。

 美奈のノート。 ページの端が少し濡れていて、紙がよれている。 昨日、美奈が置き忘れたのを、怜央が拾った。

 ページをめくる。 そこには、日付と短い文章が並んでいた。

 > 「数学の先生に怒られた」 > 「桜のつぼみが咲きそう」 > 「今日、藤堂くんに会った」

 その文の繰り返しに、怜央は胸が詰まった。 まるで彼女の世界が、ゆっくり小さくなっていくみたいだった。 記憶が失われるたびに、彼女の“生きていた証”がページの中に閉じ込められていく。


 次の日。 昇降口で美奈が怜央を待っていた。 制服の襟を少し直しながら、いつものように穏やかに笑う。

「ねえ、藤堂くん。昨日、私、ノート忘れなかった?」「……これだろ」 怜央が差し出すと、美奈はほっとしたように息をついた。

「ありがとう。あのノートがないと、私、昨日の私がどこにいたかわからなくなるの」「……なぁ、美奈。お前、それ、全部ひとりで書いてるのか?」「うん。でも最近ね、書くことが少なくなってきた」「なんで」「わからない。ただ、日々が似てきたからかな」

 そう言って美奈は笑った。 けれど、その笑顔の奥に、怜央は小さな恐怖を感じた。


 数日後の放課後、怜央はノートを見ながら提案した。

「なあ、美奈。これからは、俺も書くよ」「……え?」「お前のノートに、俺が見たお前のことを書いておく。 お前が忘れたら、代わりに思い出せるように」

 美奈は驚いたように怜央を見た。 そして、少しだけ首を横に振った。

「だめだよ、それは」「なんで」「だって、それは“私の記憶”じゃなくなる」「それでもいい。お前が消えるくらいなら、俺が覚えてる」

 美奈は何も言わなかった。 ただ、ノートをそっと閉じて、胸に抱きしめた。


 その夜。 怜央は自分のノートを開いた。 白いページの一番上に、ゆっくりと書いた。

 > 「2月28日。早瀬美奈は、笑っていた。」

 たったそれだけの言葉。 でも、その一文を書くだけで、胸の奥が少し軽くなった気がした。 自分が彼女の“もうひとつの記憶”になれるなら、それでいいと思った。


 次の週。 美奈の記憶の抜け落ちは、少しずつ顕著(けんちょ)になっていった。

「ねえ、藤堂くん。私たち、いつから友達なんだっけ?」「……一か月くらい前」「そうなんだ。なんか、もっと昔から知ってた気がする」

 その言葉を聞いた瞬間、怜央は気づいた。 “思い出す”という行為が、もう彼女の中で曖昧になり始めている。


 図書館の帰り道。 薄暗い街灯(がいとう)の下で、美奈が言った。

「ねえ、もし私が全部忘れても……」「……」「そのとき、藤堂くんが私を覚えていてくれたら、 私って、まだ“ここにいる”って言えるのかな」

 怜央は答えられなかった。 風が吹いて、彼女の髪が揺れる。 その瞬間だけ、世界が止まった気がした。


 帰り道の交差点で、信号が青に変わる。 怜央が歩き出すと、美奈が小さくつぶやいた。

「ねえ、怜央くん。私、今すごく幸せだよ」 そう言って笑った。 その笑顔が、どうしようもなく脆く見えた。


 その夜、怜央は夢を見た。 ノートのページが、白く光に包まれて消えていく夢。 ページの最後に、見慣れない文字が浮かんでいた。

 > 「ありがとう。あなたがいたから、私、今日を覚えられた。」

 怜央は、目を覚ましたあともしばらく動けなかった。 胸の奥で、何かが確実に形を変えていた。


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