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第3章 消えていく日常

二月の終わり。 雪はもうほとんど溶けて、街の景色はいつもの灰色に戻っていた。 なのに、冷たい空気だけがまだ冬を引きずっているようで、息を吐くたびに白く曇った。

 放課後、校門の前で早瀬美奈が立っていた。 制服の袖を指先でいじりながら、ぼんやりと空を見上げている。

「何してるんだ」 怜央が声をかけると、美奈は少し驚いたように振り返った。「あ、藤堂くん。……ううん、ちょっと待ってたの」「俺を?」「たぶん」「たぶんってなんだよ」「……自分でもよくわかんないけど、ここにいなきゃって思ったの」

 曖昧な言葉だった。けれど、その曖昧さが、なぜか胸に引っかかった。 怜央はため息をついて、「帰るか」とだけ言った。 美奈は小さく頷いて並んで歩き出した。


 道の途中、風が吹いて、看板のビニールがばたばたと鳴った。 その音の中で、美奈がぽつりと言った。

「ねえ、藤堂くん。昨日、私、何か約束してた?」「……してないと思うけど」「そっか」 美奈は少し笑って、それきり黙った。

 沈黙が続いた。 ただ、足音だけが、雪解けの水を踏む音に混じって響いていた。 怜央は、ポケットの中で手を握りしめた。 “またか”と心のどこかで思ってしまった自分が、嫌だった。


 次の日。 教室の席につくと、美奈が隣に立っていた。

「おはよう、藤堂くん」「……おはよう」「ねえ、私、昨日も一緒に帰った?」「……ああ」「そうなんだ。ごめんね、なんか変だよね」

 美奈は笑った。 その笑顔を見ていると、なぜか“今日が最後の日”のような気がした。 何も終わっていないのに、心のどこかで“さよなら”が近づいてくる音がした。


 昼休み。 美奈の机の上に開かれたノートがあった。 そこには、震える字でこう書かれていた。

 > 「藤堂くんと帰る。風が冷たくて、でも、それが少し心地いい。」

 たったそれだけの文章。 けれど、それを読むだけで、怜央の胸の奥が痛んだ。 美奈にとって、記憶は“記録”でしか保てない。 けれど、怜央にとっては、その“記録”こそが彼女そのものになっていた。


 放課後。 校舎裏のベンチで、美奈がノートを閉じながらつぶやいた。

「ねえ、藤堂くん。もし私が消えたら、お前はどこに行くんだ?」

 怜央は答えられなかった。 言葉を探しても、何も見つからなかった。 ただ、美奈の声がかすかに震えていたことだけを覚えている。

 彼女の瞳には、もう涙はなかった。 代わりに、静かな諦めだけがあった。


 その夜、怜央は夢を見た。 美奈が、あのノートを破り捨てようとしている夢。 破られたページが風に舞って、怜央の足元に散らばる。 拾い上げた紙には、いつも同じ一文が書かれていた。

 > 「今日、藤堂くんに会った。たぶん、初めて話した。」

 目を覚ましたとき、涙が頬を伝っていた。 理由はわからなかった。 ただひとつ確かなのは、 怜央の中で“彼女を守らなきゃ”という感情が、 もう引き返せないほど大きくなっていたということだけだった。


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