勇気ひとつを友にして
「というか、寒いぃ……」
森音に対するちょっとした心配の前に、まず凍死する恐怖から逃げなくては。そう思い、神奈は自宅へと戻っていくのだった。
*
「神奈さん、勝手にいなくなるなんてひどいじゃないですか!!」
「うるさいなぁ。早くどっか行ってくれよ、お姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん? あぁ……、こんな可愛い子にお姉ちゃんと呼んでもらえるなんて。このままミツロウの翼で空へ行きそうです」
「そうですか、なら、勇気ひとつを友にして消えてくれないですか? 僕、はっきり分かりました」神奈は開き直ったように邪気ない笑みを浮かべる。「貴方のことは大嫌いです。なりたくもない女の姿に変えてくれて、良く分かんない力をつけてくれて、許可も取らずに大好きな父と母の記憶を改ざんしてくれて、ヒトのベッドに粗相してくれて……すごくとても素晴らしく嫌いです。こんなにヒトはヒトを嫌いになれるものなんですね」
ヘーラーは口を開け、間抜けな面を神奈に見せつける。
「というわけで、もういなくなってくれませんかね? そのほうがお互い良いでしょ?」
「い、嫌だー!! 神奈ちゃんは私の可愛い最高の妹━━ぎゃぁ!?」だいぶ腹部へのボディーブローにも慣れてきた。「うぅ……。ツンデレさんなのですか? それにしてはツンの要素が強すぎませんか━━すみません! もう殴らないでください!!」
天使様が人間ごときに土下座する光景は、なかなか見られない。神奈はどこか痛々しい笑みすら剥がされ、彼女を軽蔑の目で見る羽目になった。
「うぅ……。ヘーラー悪いことした? みんなヘーラーのこと嫌うんだもん……」
「嫌われて当然なんだから仕方ないでしょ。はーっ、学校まであと1時間くらいか」
「学校?」
「貴方に言っているわけではありません。というか、本当に消えてくれませんか?」
「し、辛辣すぎる!!」ヘーラーはしくしく泣く。「で、でも人間と天使との関係は一蓮托生。私といっしょにいないと、天使の片鱗が発動しませんよ? それでも良いんですか!?」
「それって困ること、あるんですか?」
「え、え?」
「貴方からすれば困り事かもだけど、僕からすればどうだって良いんですよね。だいたい、勝手に力を押し付けて泣き落としって……」神奈は皮肉っぽくフッと笑う。「恥の概念を知ってから天使を名乗ったほうが良いですよ」
「そ、そんな言い方━━「貴方の脳みそが小動物にも劣るのは、この1日で良く分かりました。これ以上話すとこっちまで愚かになりそうなんで、もう黙っていてくれませんか?」
元々第二次性徴期も来ていない身体なので、やはり声にドス的なものはない。それでも蒼月神奈が本気で怒っていることくらい分かったのか、ヘーラーは口を尖らせ睨むことしかできなくなった。
「神奈、お姉ちゃん。朝ご飯よ」
「はーい」
ヘーラーと意味なき掛け合いしている間に、学校へ行ける準備はすべて整った。朝起きられない? クラスに苦手な子がいる? それって、ヘーラーという災難に比べたらミジンコほどにも小さい悩みだったようだ。
*
相変わらず着いてくるが、ヘーラーは先ほどの言葉が響いたか押し黙っていた。神奈はスマホで幼なじみの森音瑠流を呼び出す。
「やぁ」
「おはよう……ふあーぁ」
「眠いの?」
「そりゃあ眠いわよ。きょう3時間も寝てないもん」
「不眠症?」
「そうかもしれないわね。あーあ、悪魔と契約してから妙に夜に目が冴えちゃって」
押し黙っていたヘーラーが声を張り上げる。「神奈さん!! 悪魔崇拝者です!! 殺っちゃってください━━ひ、ひぃ!? 胸倉掴まないで!!」
「……なにしてるの?」
「これが天使だよ。将来の夢は僕のストーカーだってさ」
「そ、そう」
随分暴力的になった神奈に、なにか思うことがありそうな森音だったが、ひとまず深くは触れないでくれた。多分まともな知能、というか人間であればこの反応が正解なのだろう。
「んじゃ、行きましょうか~」
「憑き物が落ちたような顔してるわね、神奈」
「うん。この素晴らしき天使様に比べたら、悩みなんて全部馬鹿馬鹿しく感じるようになっちゃった」
「大変ね……」
「あーあ。僕の元にせめて悪魔が来てくれればなぁ」
冗談のように、しかし半分本音をぶちまける。