失禁と生理という厄介事
「……うん。ごめんなさい、父さん」
父は誠実な人間でくだらない嘘をつかない。であれば、ヘーラーの仕掛けた魔法? が効いているのだろう。
「分かったのなら良い。さて、神奈。オマエ教室へ戻るらしいな」
「うん。母さんから聞いたの?」
「父さんは不登校とか経験していないから分からんけど、きっとオマエなりに思うことがあったんだろ? いつか話してくれ。あとこれ、お小遣いな」
父は10000円札を神奈へ渡した。
「え、ありがとう」
「もう一度やり直すのには、相応の勇気が必要だからな。さて、父さんはもう仕事行ってくる
ぞ」
「うん。頑張ってね」
「あぁ、神奈も」
父が去っていき、財布の中に10000円札をしまうと、神奈はヘーラーのほうに向き直した。そして、彼女へ言う。
「……なんの魔法を使ったんですか?」
「魔法ではないですよ。〝天使の片鱗〟です~」
「良いから答えろよ。もう一度殴られてぇか?」
だんだん気性が荒くなってきたのを自覚し始めているが、こうなったのもそれなりの理由がある。もっとも、ほとんどすべてヘーラーの所為だが。
「は、はいぃ……」ヘーラーはベッドの上で、もぞもぞと身体を震わせる。「天使の片鱗とは、その名の通り天使が地上で使える力です。魔法とはまた違う理論で動いていますが、貴方たち人間の考える魔術と天使の力は似ています。たとえば━━「僕は父さんと母さんになんの魔法を使ったのか、って聞いているんです。アンタの冗長なお言葉には全く興味がありません。……って言っても無駄ですよね。今から質問します。はいかいいえで答えてください」
「え、あ、はい」
「1問目、父と母に貴方が僕の姉であるという洗脳をしましたか?」
「せ、洗脳とは言葉が悪い━━「良いから答えろ」
「は、はい」
「2問目、僕には悪魔崇拝者という存在を打ち倒す義務があるようですけど、それらは可視化できるんですか?」
「は、はい。できます」
「……。3問目、もしかして失禁しましたか?」
「はいぃ……」
「質問は以上です。シーツについた小便、魔法だか天使の片鱗だかできれいにしておいてください」
そんな強い圧を出したつもりもないのに、ヘーラーは失禁したようだった。むあぁ……と尿の匂いが部屋に広がる。そのうち出せる酸素がなくなるのではないか、と思うくらい溜め息混じりだったが、またもや神奈は息を吐き出した。これで済むのなら、もはや安いくらいだからだ。
「猫や犬でも決められた場所でおしっこくらいできるのに……、ヘーラーさんっておいくつですか?」
「人間換算で27歳です……」シーツに手を触れ、尿だけを取り除いていく。「で、でも。天使は数千年生きられるので、私なんて赤子のようなものですよ?」
「それ、自分で言っていて恥ずかしくないんですか?」
「すみませんでした」
さすがに大人しくなったヘーラー。これだけ言っても喧しかったら、正直もうお手上げなので、ようやくちょうど良い態度になった。
「さてと。僕はトイレ行って歯磨きしてくるんで、大人しくしていてくださいよ?」
「は、はい」
なぜこんなヤツの面倒を見なくてはならないのか。寝起きの苛立ちはだんだん収まってきたが、今度はこれからの生活への不安が生じる始末だった。
(嘆いても仕方ないのは、もう認めるけどさ……)
今の神奈は女性だし、普段から座って小便するため、習慣に従ってトイレを済ませる。
トイレをし終わって、便器の中が真っ赤に染まっているのを見てしまった。
これが、生理というものか? なるほど。女の人は大変だ。
そう思い、神奈は乾いた小さな笑い声を上げるのだった。