苛立ちを超えていくもの
神奈は眉をひそめた。この女、真面目な口調で何を言っているのだろうか、と言わんばかりに。
「あぁ、そうですか。素敵ですね、とても素敵ですよ」
本日何度目か分からない溜め息をつき、蒼月神奈は肺が萎びていく感覚に苛まれる。
「な、なんですか、その態度。そういうのが一番傷つく━━ちょ、置いてかないで!」
金輪際目の前に現れてほしくない、という感情をヒト? に対して抱いたのは初めてかもしれない。神奈は苛立ちのあまり親指の爪をかみながら、その場から去っていくのだった。
*
「ただいま~……」
蒼月家━━至って普通の一軒家に戻ってきた神奈に、母親が鬼の形相で出迎えてくれた。
「アンタ、学校行かないでどこ行ってたの!?」
「どこだって良いだろ……。それを母さんに教えて意味ある?」
「親に向かってその態度はないでしょ!? お母さんだって、神奈が心配なんだから!」
「分かったよ」神奈は苛立ちを押し殺し言う。「あした、教室へ行く。もう別室登校辞める。それで良いでしょ?」
「え?」母はきょとんと目を細める。
「教科書とかまとめなきゃだから、僕もう自分の部屋戻るよ」
呆気にとられた母を半ば無視するように、その横を通り抜けて2階へと向かう。部屋に入って鍵を閉め、神奈は即座にベッドへ転がった。
「まぁ……ある意味あんなのと関わらなきゃいけないくらいなら、学校行ったほうがマシかも」
悪魔崇拝者を倒せ? 貴方は堕落している? 好き放題言われて、なおも苛立ちは収まらない。神奈は着替えもせずに、ブレザーだけ脱いで毛布に包まった。
そんなとき、
さも当然のように、窓ガラスを幽霊のごとく無視して侵入してくる輩がいた。神奈は思わず舌打ちする。
「ひどいじゃないですか! 私を置いていくなんて」
「あぁ、ひどいかもですね。ヒトを勝手にTS化させて、不法侵入してきて、悪魔崇拝者とかいう良く分かんない連中と闘え、って。天才的ですよ。でなければ、ただの愚か者だ」
「て、天使に向かってそんな口の利き方は━━「天使だったら、天使らしく振る舞ったらどうですか? だいたい、この日本という国で天使やら悪魔なんて存在が眉唾ものだし」
わざわざ本当に眉へ唾をつけるジェスチャーまでして、神奈は今度こそ眠ろうとする。ふて寝と変わりないが、まぁそれくらいは許されるべきだとも思う。
「貴方はなにも分かっていませんね」
「はい?」
「日本という国はしっかり調査しました。特定の宗教を信仰することなく、仏教やキリスト教、神道にその他諸々……別にそれ自体が悪いこととは言いませんが、それが故に悪魔へ付け入る隙を与えているのですよ」
神奈は口を尖らせ、一言でヘーラーとの会話を終わらせる。
「で、それがどうかしたんですか?」
「え?」
「んじゃ、僕はもう寝ますんで」
完全に呆然としたヘーラーを端からいない者だと考え、神奈は目を閉じてしまおうとした。
もちろん、完全無視したところでヘーラーがいなくなってくれるわけでもない。ただ、少し黙り込んでくれたので、神奈は彼女の顔を見ることもなく寝息を立て始めるのだった。
*
神奈は極端に目覚めが悪い。その所為で学校へ行けなくなったほどだ。彼女は目をこすりながら、そういえば学校へ行く約束を親と交わしたのを思い出し、身体を目覚めさせるために壁へ身体をもたれさせた。
「今、何時……?」
近くの時計は朝の5時30分だと言ってきた。だいぶ早いお目覚め、じゃなくて疲れ切った故ガッツリ寝てしまったらしい。
「……?」
朦朧としながら、神奈は目を何度も擦る。擦りきった結果、神奈は知る。腕にあのときのようなウロコがびっしり生えていることを━━。