神奈くんの神奈ちゃん
「…………ハッ!?」
なんで仰向けに夕暮れの空を眺めているのだろう、と神奈は考える。記憶が途切れる寸前を思い出してみよう。
そうだ。薬物依存症疑惑でSM好きの美人お姉さんと出会って、なんだかんだ会話していたら彼女は怒り始めて、腕にウロコが生え始めて、そうしたら意識が途切れて……、
まさか、異世界転生か!? ついに、異世界へ行けたのか!?
蒼月神奈は起き上がり、あたりを見渡す。確かに先ほどいた場所と景色は全く変わらない。でもきっと、ここから世界を救う冒険が始まるはずだ。それ以外の未来なんて認めない。
『UFOに飛び乗って♪ 反抗期じゃないの、ママ聞いて♪』
スマホをぶん投げて壊したいと思ったのは、これが初めてだった。相変わらずの着信音が鳴り響き、ベンチに置かれた携帯電話には『母親』からの着信履歴が数十件。あぁ、異世界へは行けなかったみたいだ。
神奈はベンチに座り直し、そういえば最前喚いていたヘーラーというピンク髪のお姉さんがいないことに気がつく。病院にでも帰ったのだろうか。
「まぁ良いや……。帰ろう」
意気消沈しながら、神奈は不必要な荷物がないのを確認し、手が泥だらけなのを知る。そりゃあ、地面に転がっていたのだから当然か、と思い、近くのトイレへ向かっていく。
「はーぁ」
記憶が途切れて気絶する寸前、腕に現れたウロコや、頭が割れるような━━しかしシャワーでも浴びたように心地良い感覚は消え失せていた。
結局、あのヘーラーとやらは何者だったのか。おかげで(元々行くつもりはなかったとはいえ)学校に行けなかった。彼女に責任転嫁しようにも、当人がいなければ不審者だと伝えることもできない。
公衆トイレにたどり着き、神奈は手洗いのついでに小便も済ませてしまおうと、男性用トイレの前に立ってチャックを降ろす。
「は?」
間抜けな声を漏らしたくなる出来事が起きていた。ない、ないぞ。どこへも、13年間くらいを駆け抜けた相棒がない……!?
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。うん、一旦落ち着こう。今は2月。かなり寒い。ちぢこまっているのかもしれないしね。そうさ、そうだと言ってくれ」
正味、相棒がいかに寒さで縮こまろうとも、そもそもそこに穴しかないなんてことはない。一旦落ち着け、蒼月神奈。女の子みたいな名前と珍しい苗字の少年━━、
「…………誰もいないよね?」
そうだ、男だという証明を果たすには体型を見れば良い。神奈は細身の少年で、臀部も胸辺りも平たい。ここをしっかりトイレの鏡で見て、それがいつも通りであれば、自分が男性だと思える。
2月の凍えるような寒さの中、スラックスを脱いでとりあえず臀部を見てみる。もはや寒いどころか痛いくらいだが、確認しないまま家へ帰るよりマシだろう。
「……ハハッ、僕、ちょっと太ったかもね。まぁ良いさ。平均体重よりだいぶ下だからね」
笑えば無理やりポジティブになれる、的な教えを信じてみる。確かに、少し肉付きが多くなっているが、こんなのは誤差の範囲だ。
さぁ、胸をさらけ出して確認しよう。平べったい胸部が膨らんでいたら、神奈はきっと一生引きこもり、いつかLANケーブルで首を吊って自殺配信でもするはず━━。
「さっきからなにしているのですか? ヒトの子」
きょとんとした目つきと口調で、ヘーラーが現れた。
美人という単語が似合う身長170センチほどのピンク髪お姉さんは、
「貴方は今女性なのだから、男性用トイレへ入ることがおかしいことくらい、私にも分かりますよ?」
蒼月神奈は、ボソッと呟く。
「そうか。そう来たか」
苦笑いを浮かべるほかなかった。




