第十一章-序 「ラインの黄金」
私は間違っている。しかし、世界はもっと間違っている。
:アドルフ・ヒトラー
《ツァール・カトリエーヤ暦 一二一〇年》
「星空の彼方に神を求めよ。星の彼方に主は必ず住みたもう」
司祭の声が響く中、シャルギエルは跪いて祈りを捧げる。
神よ、私のしようとしていることが間違っているというのなら、どうか教えて下さい。この国を、人々を救うために、他にどんな方法があるのかを。
《二〇二〇年 東京》
「ボンヘッファーはパウル・シュナイダーらと違って、暴力によるナチス体制の打倒を支持し、倫理的・神学的に暗殺を正当化する立場を取っていたと言われることがあります。しかし、これは厳密に言えば間違いだと私は思います」
名古屋に向かう新幹線に乗りこんだわたしは、スマホに繋いだイヤホンで大山牧師の説教を聴く。コロナ禍で会堂に集まっての礼拝もままならず、YouTube礼拝が主になった。
「ボンヘッファーはガンジーから影響を受け、ショル兄妹らの『白薔薇』のような非暴力の抵抗を理想と考えましたが、当時のドイツは限界状況にあり、違法な手段以外に選択肢はありませんでした。ボンヘッファーは、ある一定の状況においては殺人が善であり得ると主張したのではありません。殺人は悪であり、神の裁きの対象であることに変わりはなく、マタイ福音書二十六章五十二節にあるように、『剣を取る者は皆剣によって滅びる』のです。
しかし、隣人のためにその罪を自ら引き受ける者が彼の時代には必要であるとボンヘッファーは考えました。そのようにして神の律法を一時的にでも超えて行くことは、彼によれば、将来における真の意味での律法の成就に不可欠であったのです。逆に、善を選ぶことが不可能な状況下において、より大きな悪を避けるためにより小さな悪を選ばないことは逃避であるとされ、批判の対象となりました」
《一九四四年 一月 ドレスデン近郊》
「ダーレンドルフ先生、何読んでるの」
教会員の娘で六歳になるスザンナが言う。
「先生の古いお友だちからのお手紙だよ」
レーテ・ダーレンドルフはにっこり笑って、手紙を幼女に示す。
「ふーん。これ、大きなお魚に呑みこまれたヨナみたいね」
まだ字が読めないスザンナは横に座ってきて、レーテが手に持った紙の一枚を指す。友の昔からあんまり巧くない絵が描かれている。
「スザンナ偉いね。聖書のお話、よく知ってるじゃない」
「お母さんに絵本、読んでもらったの。空襲の時も絵本とお人形は持って防空壕に入るの」
礼拝後、小さな会堂の茶色い堅いベンチにかけた二人を、ステンドグラスから差しこむ冬日がやさしく照らす。信徒たちは別室でお茶の用意に忙しい。
「先生、戦争はいつ終わるの?わたしが赤ちゃんの時からずっと戦争だってお母さんが言ってた。早く終わって、お父さんも帰ってくるといいな。わたしはお父さんのこと、よく覚えてないの」
スザンナがレーテの顔を見上げ、首を傾げる。
「ね。先生も本当にそう思う。早く戦争が終わって、スザンナのお父さんが無事に帰ってくるように、神様にお祈りしよう」
レーテは頷く。友の手紙には、二人の子らの逞しい成長や、おととし亡くなった母デスデモナの愛おしい思い出や、その他日常のことなど、当たり障りのないことが書かれており、別紙には旧約聖書の「ヨナ書」を思わせる、詩とも物語ともつかない短文がしたためられ、挿絵が添えられていた。
彼からは世事に疎いと言われるが、それが去年のボンヘッファー牧師らの逮捕を意味していること、以降、ジヒャーハイツディーンスト(親衛隊情報部、SD)やゲシュタポの監視が強まり、この手紙も検閲されている可能性があることなど、レーテは皆、察していた。さすがナチス公安、開けられたとはとても思えないほど巧妙な手際で、きちんと収まり、封されていたが。
追伸として、「私にもしものことがあれば、妻と子供たちをよろしく頼みます」と書かれていた。
「オスカーは――それが先生の友だちの名前なんだけど――、とってもいい奴だったよ」
涙ぐんでいるのをスザンナに気づかれないように、レーテはさりげなく言った。
《二〇二〇年 名古屋》
【一九四一年から四二年、ボンヘッファーとドホナーニは、国外へのユダヤ人移送資金を確保し、抵抗運動への外国支援を求める。一九四一年十月、ボンヘッファーとフリードリヒ・ペレルスがベルリンでのユダヤ人強制送還の詳細を記録し、信頼できる軍関係者や海外に送信した。
ゲシュタポが「オペレーション7」の資金移動を追跡し、一九四三年四月、ボンヘッファーとドホナーニを逮捕。逮捕理由はユダヤ人救出、海外渡航の不正利用、告白教会牧師の徴兵回避とされる。】
わたしは本に栞を入れ、シュールなファシズム国家のように一様にマスクをした人々と共に、下車して名鉄犬山線新鵜沼行に乗り換える。
目指すは岐阜県可児市、「日本ライン今渡」という奇妙な名の駅だ。
《ツァール・カトリエーヤ暦 一二一〇年》
「日和見の腰抜け将校どもにそんな大それたことできるわけないと思いましゅよ~」
黄緑の目を光らせて、赤い首輪をした黒猫の手袋人形が言う。
「ぼく、トゥゲラでーす。よろしくニャ。にゃんにゃん」
お揃いの黄緑の目を剥いて、イルシェナーは奇天烈な声色を張り上げる。彼の手の動きに合わせ、黒猫は頭を抱えて科を作る。
相変わらずイカれてるな。報告をした副官ウィードは内心で思うが、無論口には出さずに、忠義面で上官の顔を見つめる。
「しかし、確かな筋からの密告なんですよ。会議の時にテーブルの下に爆弾を仕掛けて、総統を暗殺する計画があるっていうのは」
イルシェナーは面倒くさそうに溜め息をつき、黒猫を手から外してウィードに投げる。
「で、猫の首に鈴付ける役――実行役引き受けそうな奴って、具体的に誰よ」
「ユーノ、とかですかね」
猫を受け取って、ウィードは素っ気なく言う。
「シャルギエルのポン友か。今どこにいるのか知らんが、あいつが黒幕っぽいな。じゃあさ、奴が鞄置いて途中でフケるとかあからさまに怪しい行動したら、その鞄どこかに移動させるとかしたらいいんじゃないかね?あと会議室のテーブルをもっと丈夫で分厚いものにするとかすれば爆発しても障壁になるよ。俺は令嬢たちとダンスパーティでラブラブちゅっちゅする予定はあっても総統と会う予定は当分ねえから」
イルシェナーは手鏡を見て金髪を整えながら、本気とも冗談ともつかないことを言う。
「閣下、これどうしたらいいんですか」
ウィードは黒猫の人形を示す。
「洗っといてくれる?」
キャッツアイとかいう宝石のような目を巡らせて、イルシェナーは言う。
ウィードはふと、トゥゲラがこの手に飛びついて、「ユーノとシャルギエルを喰らうニャ!」と奇声を発する幻に囚われる。
《一九四四年 三月 ベルリン》
「ローゼンシュテルン少佐?」
休日、喫茶店の片隅で、労働者のなりをした男が声をかけてくる。
「『少佐』もやめた方が。こちらもハンセンさんとお呼びしますので」
同じ装いのオスカーは、それとなく周りを窺い、声を潜めて言った。
「失礼、そうするよ。こうして二人でゆっくり話すのも初めてだね」
男はそう言って、オスカーの向かいの席に座った。
ゲオルグ・ハンセン大佐は、アブヴェーアの高級将校である。カナリス解任後、アブヴェーアの後継組織「軍事局」の事実上の指導者となった。
先月、ヒトラーはカナリスをアブヴェーア長官から解任した。アブヴェーア内の反ナチス活動、つまりユダヤ人救出、連合国への情報漏洩等への疑惑と、SS長官ハインリヒ・ヒムラー及びジヒャーハイツディーンスト(SD)の圧力によるものである。
カナリス解任後、アブヴェーアは今月までにSSの国家保安本部(RSHA)傘下の「軍事局」に再編され、移籍しない者は解雇または逮捕された。この過程で、アブヴェーアの機能はSSに吸収され、独立した諜報機関としての存在、組織としての反ナチ活動は終了した。
「オスターやカナリスがいなくても、これからはヴェルマハトと動く」
運ばれてきた飲みものに口をつけようともせず、ハンセンはじっと虚空を見つめて言う。
「シュタウフェンベルクと?」
オスカーが目を上げて問うと、ハンセンは唇の前に人さし指を立てて注意を促した。
「あっちの人の名前はなるたけ言ったり書いたりせんようにね。左様。君にも引き続き、情報共有や計画の調整で手伝ってもらいたい。これは命令ではなく、一人の人間として君にお願いしているのだ」
オスカーは黙って頷いた。
「令夫人は息災かね。子たちはいくつになった」
ハンセンはわずかに微笑んだ。
「おかげ様で。上の娘が今年で十四、下の息子が九つになります」
喜ばしい話題であるはずなのに、オスカーの顔に暗い陰が過ったのをハンセンは見逃さなかった。
「もし我々に――君に何かあっても、君の妻子には累が及ばぬよう、私はできる限りの手を打っておく。まだそれくらいの力はあるつもりだ」
ハンセンは静かに、しかし力強く言った。
「感謝します」
オスカーも真心を込めて答えた。
オスカーは少し寛いで、この上官に対し心を開く気になった。
「息子には兄の名前を付けましてね。詩作が趣味で、小説も書いていました。私が手紙好きなのは兄の影響かもしれません。第一次世界大戦で亡くなりましたが」
「ほう」
ハンセンは冷めかけたコーヒーを飲みながら、興味深そうに聞いている。
「髪の毛も茶色ですし、性格もやさしくて大人しいし、年々私より兄に似てくるんですよね。おととし亡くなった母も、『声までクリスティアンの小さい時そっくり』と驚いていました。べつに伯父に似るっていうのはおかしい話じゃないんですが、死者の魂が別の誰かとして生まれ変わってくるという東洋の不思議な信仰をふと思い出しましたよ。昔、うちに遊びに来た日本人が言ってたんですが。彼も元気でやってるといいな」
《二〇一八年 東京》
「十朱さん、この間、ここで十朱さんと話したことが気になって、もう一度『ワルキューレ』観直しましたよ」
オレンジユニオンの事務所の机の上に山と積まれた書類を三つ折りにして封筒に入れる作業を手伝ってくれながら、井内が思い出したように言う。
「へえ。どうやった?」
わたしは封筒に組合員の宛名シールを貼りながら答える。数百名への発送作業を今日の内に終わらせなければならない。わたしはこういう地味な事務仕事が全然苦痛ではなく、何時間でもやっていられる質なのだが、それでも、井内がボランティアで手伝ってくれるのは有難かった。
「ちょび髭暗殺に失敗して処刑される将校さんたちがかわいそうでしたね。あと、トム・クルーズはやっぱりカッコいいっすね!」
連合国との激戦により、ドイツの敗色が濃くなった第二次世界大戦末期。トム・クルーズ扮するドイツ将校シュタウフェンベルク大佐は、絶対の忠誠を誓うべきヒトラー総統の独裁政権に強い疑念を抱き、ドイツの未来を憂うが故に反逆者となることを決意する。それが映画の導入である。
「あれってフィクションじゃなくて、本当の話で、全員本当にいた人なんですよね」
「せやで。もちろん映画やから、多少は脚色されてるしはしょられてるけど」
「実際どの辺りが史実と違うんです?」
井内は作業を一休みして、冷蔵庫から出した紙パックのマンゴージュースにストローを刺してちゅーっと飲む。難しいことを訊くものだと首を傾げながら、わたしは答える。
「せやねぇ、映画はシュタウフェンベルクの正義感が強調されとるけど、実際には抵抗派の動機は愛国心とか倫理とか敗戦回避とか色々やんね。ボンヘッファー牧師みたいな神学的視点は省略されとるし、ボンヘッファー自体登場しいひんし」
「ボン何とかさんってよく知らないですけど、偉い牧師さんなんですね」
「そう。映画ではボンヘッファーやらアブヴェーア――ドイツ軍情報部の役割がほとんど触れられてへん。わかりやすく軍人中心の物語になっとるけど、実際にはボンヘッファーは文民抵抗ネットワークの精神的支柱やったんやね。一九四三年に投獄されてからも手紙で反ナチ派を励まし続けた。映画では省略されとるけど、この文民ネットワークのハブになったんがアブヴェーア」
わたしも興が乗って作業を放り出し、また井内も退屈そうではなかったので、立ってホワイトボードに書き始めた。
「映画はワルキューレ作戦をシュタウフェンベルクの単独プロジェクトのように描いとるけど、実際には一九三八年からの複数の暗殺計画の延長」
「ハンス・オスターの1938年計画」とホワイトボードに書いた文字をビシッとマジックで示す。
「ひょえー!ちょび髭の暗殺計画ってそんなに何回もあったのに、全部切り抜けてるんですか?悪運強ぇ奴ですね。やっぱり悪魔に魅入られた男っていうのかなあ」
小さいものも含めたら四十回以上あったんやで、とわたしは心の中で言って、付け加えた。
「オスターって人は結局、反ナチなんがバレて一九四三年にアブヴェーアを罷免、自宅軟禁されるんやね」
「ちょっと待って下さい。アブヴェーアって何でしたっけ」
わたしは苦笑いして繰り返す。
「ドイツ軍情報部。軍の裏方、事務方さんやね」
ホワイトボードに「ヴェルマハト(正規軍)」「予備軍(国内の後備部隊)」「アブヴェーア(諜報)」「SS(ナチス親衛隊)」と書き出した。
「この違いが何となくでもわかってないとあの映画はわかりにくいかもしれん。実際には予備軍がクーデターの実行部隊、アブヴェーアが事前準備を支援した。ユダヤ人救出、情報提供やね。つまり、ヒトラー政権が成立した一九三三年からの地道な反ナチ活動の一環、集大成がワルキューレ作戦やったわけ」
予備軍はフロム将軍が指揮し、普段は訓練や補充を担当した。ワルキューレ作戦では、この部隊を動員してベルリンを制圧する計画だったが、フロムの裏切りで失敗するのは映画に描かれている通り。
映画では抵抗派がほぼ一枚岩に見えるが、史実では暗殺後の政権構想など意見対立や躊躇するメンバーが多く、内部の結束の弱さが失敗の一因であると歴史家は解釈している。
「アブヴェーアは割と一貫して反ナチやったから、ワルキューレ作戦の前の年くらいから大幹部が次々と逮捕されたり辞めさせられたりしとったんやね。四四年の初め頃にはSSに接収されて組織的な反ナチ活動はできひんようになった。つまり、それ以降は有志の人が個人的にやるような形になっとったんやろ。映画はシュタウフェンベルクに焦点を当てとるけど、抵抗派にはベックみたいな軍人、ゲルデラーみたいな文民、ボンヘッファーみたいな神学者やら色々おって、今風に言うと『ゆるーく繋がって』て、計画の詳細は全員が共有してたわけでもなかったみたい。一応、アブヴェーアの反ナチ残党の中心メンバーはこの人と言われてる」
わたしはホワイトボードに「ゲオルグ・ハンセン」と書く。
「勇気ありますよね!映画でもトム・クルーズの家族がちょこっと描かれてたけど、その人たち、カミさんも子供もいたわけでしょ。自分がその時代に生きてたら、内心でいくらちょび髭にむかついたからって協力できないなあ。やっぱりビビっちゃうと思う」
夫であり、四人の子の父親である労働組合員は腕組みしてうんうんと頷く。わたしは独り者で他所者で組合の専従だから心配ないが、ユニオン活動なんてやっていると職場や地域で孤立することもある。「パワハラを録音するなんてこそ泥か騙し討ちみたいだ」「愛社精神がないのか」と親しかった同僚に非難された人もあるし、当の家族や恋人から「そんな活動はやめなさい」と言われる人もある。
しかし、それでも現代日本では、自分自身や家族までもが収容所に送られたりいのちまで取られたりすることはない。
「映画はシュタウフェンベルクの死を悲劇的、英雄的に描いとるけど、実際には抵抗派の多くは過酷な拷問を受けたし、ナチスの『血縁責任』いう思想で家族まで投獄されたり処刑されたりした。シュタウフェンベルクも、ハンセンも。この事件で五千人も処刑されて、国内の抵抗ネットワークは壊滅した。これを口実に反ナチの気のある将校やら関係者を一網打尽にしようとしたんやね」
「ロンメル元帥みたいな有名人もいますね」
井内はわたしと五つしか変わらないので、「砂漠の狐」というファミコンのゲームも知っているかもしれない。
「そんなに沢山の将校を粛清したんじゃそりゃ戦争に負けますよね。ちょび髭は頭悪すぎる」
わたしは黙って頷く。映画のタイトルにもなっている「ワルキューレ」作戦とは、現ポーランド領の総統本営「狼の巣」でヒトラーを爆殺する計画そのものを指すのではなく、元々はヒトラーが承認した公式の緊急計画である。内乱や敵の空挺部隊による攻撃が発生した場合、予備軍を動員して政府中枢を保護するものだ。
シュタウフェンベルクら反ナチス派はこれを「乗っ取り」、ヒトラー暗殺後に「ヒトラーが死に、SSやナチスが反乱を起こした」と偽装し、予備軍を使ってナチスを排除する計画に改変した。
井内はオタクなのでそれくらい知っているだろうから注釈しなかったが、ワルキューレ(ヴァルキリー)は元々、ゲルマン神話の女神たちの名である。馬で戦場を駆け、戦いでいのちを落とした誇り高き戦士たちの魂を集め、天上の楽園「ヴァルハラ」へと誘う。ワーグナーの交響曲「ワルキューレの騎行」はこの光景を描いたものだ。
わたしは話しながら、ホワイトボードに書いた文字を消し、作業に戻るべく着席した。
「シュタウフェンベルクは即日、ハンセンも『ワルキューレ』失敗後すぐ、ボンヘッファー、カナリス、オスターは終戦直前の一九四五年四月に処刑された。親衛隊はオスターらを辱めるため、全裸にして絞首台に向かわせたん」
参考文献
Wikipedia「ディートリヒ・ボンヘッファー」二〇二五年六月閲覧
DVD『ワルキューレ』