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《カオス》な短編シリーズ

三十角関係と定点X

作者: ウナム立早


 私の名は秋本あきもと四葉川しばかわ高校で数学の教師をしている。


「では、今日の授業はこれで終わります。しばらく教室にいるので、もし追加で質問がある生徒は来てください」


 午後の五限目、ちょうど担任しているクラスで授業を終えた後だった。


「ねえ、聞いた? 山本君、咲良さきらのことが好きだって。友達に言ってたらしいよ」

「へえー、やっぱり好きなんだ。前からそれっぽい雰囲気出してたけどね」


 数学的な悩みを持つ生徒たちの質問に答えている最中、女子生徒たちのウワサ話が耳に入ってきた。自慢ではないが、私は相当の地獄耳であると自負している。


「確か、咲良の一番は書道部の古田君なんでしょ? 古田君相手じゃ、山本君ちょっと分が悪いかもね」

「えっ、ちょ、ちょっと待って。古田君って確か、真美まみのことが好きだって聞いたことあるんだけど」

「えー、マジ!? なんかこれ、三角関係ってやつになってない? やば!」


 私は数学に心血を注ぐ者。したがって、高校生の恋バナに興味を持つなどありえない、はずだった。


 ――三角関係ね。その三角は、正三角形なのだろうか、それとも二等辺……ん? 待てよ。確かこの前、真美くんは細山田のことが好きだというウワサ、聞いたことがあるぞ――


 私は地獄耳だけでなく、記憶力にも自信があるのだ。そしてそのふたつの特性が、この教室に隠された天文学的確率事象を私に気づかせようとしていた。


 ――そうだ、確か細山田は栗野くりのくんのことが好きで、その栗野くんは――




 放課後、私は誰もいなくなった教室に立ち寄り、名簿を見ながら、黒板に点と矢印ベクトルを書き記していた。今の私は普段からは考えられないほど、興奮している。まるで、学会で発表する大学教授にでもなったような気分だった。


「思った通りだ。このクラスは、恋愛的感情が何人もの間で繋がっている!」


 うわさ話の記憶を頼りに、黒板に記した生徒たちの相関図。そこに現れたのは、三角関係どころではない、10を超える人数で恋心の矢印ベクトルが繋がれた複雑怪奇の現象であった。


 しかも、この現象には発展性がある。誰が好きなのか、誰に好かれているのか、まだ不明な生徒が十数名。この連綿と続く関係性がさらに伸びる可能性があるのだ。それに――。


「も、もしもだ。すべての生徒が繋がって、大きな多角形になったとしたら……」


 クラス全員で成立する多角関係。偉大なる恋愛感情の円環ループ。数学的にも、宇宙規模の奇跡といっていいだろう。私はそんな奇跡を目の当たりにするチャンスを得たのだ。


 だが、問題は残った生徒たちの恋愛事情を、どうやって調べるかである。ウワサ話が出るまで待っていたら、おそらくみんな卒業してしまうだろう。そこで私は、積極的な行動に出ることにした。




「なあ君たち、空手部の村上が誰かを好きだって話、聞いたことないか?」

「え、何? 秋本先生、そういうの興味あったんだ?」

「いや、まあ。他の生徒からちょっと相談を受けてな」


 手始めに、クラスの陽キャ女子グループへ聞き込みだ。


「おほっ、そうか、水原さんか! よしよし。ありがとう、助かったよ」

「先生、なんか嬉しそうじゃない?」

「そ、そんなことはないぞ」


 若干、さげすんだ目で見られることもあるが、天文学的奇跡が目の前に待っているのだ。なりふり構っていられない。




雪代ゆきしろくん。君は、好きな子とかいないのかい?」

「えっ、ど、ど、どうしたんですか急に。それよりも、この微分方程式の別解を……」


 あまり恋に関心無さそうな生徒を、授業後に質問してきた時を機会にアタックしてみる。


「原田さんとか、どう思う? 相性的にもピッタリだと思うのだが」

「え、え、そ、そう、なんですか」

「原田さん、嫌いじゃないだろう?」

「そ、そりゃ、嫌いじゃ」

「むしろ好き?」

「あ、え、うう、ま、まあ……」


 多少強引かもしれないが、これも数学的極地に近づくためなのだ。




 三学期も後半になってきたある日、ありとあらゆる手を使って調査した生徒たちの恋愛事情は、ついに結実の時を迎えた。


 誰もいない教室で、黒板に打たれた点と点を、矢印ベクトルで慎重に繋げていく。そして30人目の生徒が、1人目の生徒へ矢印ベクトルを差した時、見事な三十角形が黒板に顕現けんげんしたのだ。


「やった! 三十角関係、完成だ!」


 一つの教室の生徒たちだけで成り立った、恋愛感情の円環ループ。三十角形ではなく、円に見えるほどの美しさだ。いったいどんな確率事象をもってすれば、こんなことが起きるのだろうか。想像もできない。


「さすがに学会で発表できるものじゃないが、この記録は永遠に残しておきたいな。写真も何枚か撮っておこう」


 私は目の前の奇跡に酔いしれながら、生徒名簿などを見返していた。


 しかし土壇場になって、私はたいへんな見落としをしていることに気がついたのだ。


「ん? 2年C組、生徒数……31名!?」


 クラスの生徒数を数え間違えていたとは、担任教師にあるまじき大失態。


「ということは、もうひとつ点があったのか?」


 私は名簿の中にいる特異点、今までの調査からあぶれていた生徒を探しはじめた。


 その生徒はすぐに見つかった。楠江くすえ莉々(りり)くんだ。彼女は……数学の成績はかなり良い方であるのだが、他の生徒の話では友だちがいないようで、休み時間も本を読んでいるかスマホをいじっているかのどちらかであるという。私自身も、目立たない印象の生徒という認識だった。


「楠江くんもこの円環ループに加わっていればパーフェクトだったんだが……さすがにそれは出来過ぎか。クラスに一人は、こうやってあぶれてしまう生徒が出てしまうものなのかもしれん」


 私は三十角関係の横に、小さく点を打った。これは定点Xていてんえっくすと名付けよう。この奇跡の中に入らなかった、孤独にして唯一の存在。そう言えば、多少は格好がつくかもしれない。


「先生。そのXって、わたし?」


 黒板に目を向けていた私は、ぎょっとして後ろを振り返った。


 誰もいないはずだった教室。いつの間にか私の後ろにいたのは、定点X、楠江莉々くんその人だった。


「く、楠江くん。どうしたんだい。数学の質問か何か……」

「先生。ずっと生徒の好きな人を調べてたみたいだけど、これがその成果なの? なんだか点と矢印がたくさんで、いびつな円だね」


 彼女は、こんなに饒舌じょうぜつな生徒だっただろうか? どちらにせよ、私の密かな楽しみが生徒たちにバレるのはまずい。なんとかごまかさなければ。


「ああ、これはね。関係ないよ。数学雑誌にってた難問を解こうとしてて――」

「下手な嘘、つかなくていいですよ」


 そう言うと、楠江くんはスマートフォンを取り出し、ある写真を私に見せた。背筋が凍りそうになった。それは私が、黒沢の机から封をしていないラブレターを発見して、喜んでいる所だった。


「黒沢君、清水さんに告白こくるつもりだったのに、ラブレターを無くして尻込みしちゃったみたいだよ。かわいそうだね、先生」


 楠江くんは、歪んだ笑みを私に見せてきた。


「で、出来心だったんだ! このことは、どうか秘密にしてもらえないか」

「うーん、秘密にしてあげてもいいんだけど……」


 歪んだ笑みはますます大きくなり、目はぎらついた光を放つようになっていた。まるで悪魔のようだ。この子は本当に楠江くんなのか。


「じゃあ、ひとつお願いしてもいいかな。先生、うちの家に来てくれない?」

「ええっ?」


 奇妙な提案に、上擦うわずった声が出る。


「先生はね、わたしが乙女ゲーでしてるキャラクターの、バレンティにそっくりなの。わたしの家には、バレンティのコスプレ用衣装がそろってるんだ。父さんも母さんも海外出張で、あと一ヶ月は帰ってこないし。だから、わたしの家に来て、わたしだけのバレンティになってくれない? ね、先生」


 ああ、何ということだ。定点Xは孤独ではなかった。


 その点のむこうから、私を見続けていた。そして矢印ベクトルを伸ばし、私を貫く機会をずっと狙っていたのだ……。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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