十章 「鴉は紅く、黄昏を待つ」 -2-
「それでも人殺しは人殺しだ」
理由なんて関係ない。
人の命を奪う事は罪なのだ。
「では、何か。君は弟がその人殺しになろうとしている弟を指をくわえて見ていろと?」
「違う。他に方法があっ・・・」
「あったのなら教えてくれ!弟が人殺しにならず、彼女の命を守り、かつ桐嶋さんの命も危険にさらされない安全な方法を!」
八田の兄の語気は強く、僕はその気迫に飲まれる。
「それは・・・」
「結局君は口だけだ。何も出来やしない。そんな君にとやかく言われたくはない」
でも、
でも、だったら力あるあんたは何ができた?
あんたにできた事は人を殺すことだけだ。
「確かに僕は何もできなかったかもしれない。でも、そんな僕だからあんたを許せない。八田の、加藤の命を奪った、あんたを!元はと言えば五年前にあんたが父親を殺した事が事の発端だろ。それを棚に上げて、何を言っている?罪は償うべきじゃないのか?あんたにそんな気がないなら僕が絶対に証拠を見つけて、あんたを警察に突き出してやる」
「ほう、面白い」
八田の兄は腕を真横に出すと、その腕に大きなカラスが一羽止まる。
カラスの獰猛な爪は八田の兄の袖を食い破り、その下の腕から血を欲する。
血は袖に染んでいく。
その血の紅はカラスの瞳に写し込まれ、僕を見つめる。
僕はカラスの瞳の向こうに紅の幻想を見る。
「では、やってみるといい。だが、忘れるな。こちらは殺そうと思えば、いつでも君を殺せる。こいつらの仲間は何処にでもいる。君が少しでも不穏な動きをすれば、すぐさまにその目玉をえぐり出し、腸をこいつらの胃袋に収めてくれる」
体は震えていた。
鼓動は早く、頭は妙にすっきりとした感覚がある。
怖くはなかった。
異常な状況に脳内麻薬がとめどなく流れているのだろうか。
血の流れも、筋肉の動きも、精神さえも異常をきたしている。
「やれるものならやってみろ!」
「ああ。望みとあらば、ここで血祭りにあげてやる」
まさに蛇とカエルである。
僕はあまりにも無力だ。
けれど、蛇に睨まれたカエルにも意地がある。
僕は逃げずに八田の兄と対峙する。
逃げたくとも足が動かないだけであるが、それでも僕は必死に八田の兄を睨みつける。
「止めてください!」
僕らの間を割って入った人物がいた。
桐嶋老人だ。
悲痛な叫びは続く。
「どんな事情があれ、俊佑坊ちゃまを撃ったのは私です。責めるのなら、どうか冬馬坊ちゃまではなくこの私を。私がもっとしっかりしていれば、こんな事には」
桐嶋老人は泣いていた。
確かに八田を撃ったのは桐嶋老人であるが、憎むべき相手は別にいる。
元凶たる男は涙を見ても眉根一つ動かない。
「さっきも言った通り悪いのは私だ。桐嶋さんは気にしなくていい。それよりも桐嶋さん、悪いが彼女を運んでくれないか」
「・・・分かりました。そんなことであればいくらでも」
近づく桐嶋老人にとっさに声を発する。
「触るな!人殺し!」
僕のその言葉に桐嶋老人はびくりと動きを止めた。
僕は八田の兄を睨みつけたまま神谷さんの元へ寄る。
途中カラスが翼をはためかせる。
僕はびくりとし、その様子を見て八田の兄は笑ってみせた。
握った拳はきっと彼には届かないだろう。
そして彼女を背負い、山道を下りる。
「くそっ、くそっ、くそぉ・・・」
あまりにも無力な自分を呪い、まるで逃げるようでカッコ悪い自分を卑下し、神谷さんを守るためだと自分の行動を正当化しようとしている自分に嫌気がさす。
背中の神谷さんはまだ意識が戻らない。
重心は安定せず、僕は無理な体勢で山道を下りていく。
そのせいで実際の神谷さんの体重より重く感じる。
意識を失った人間がこんなにも重いなんて思わなかった。
人の命が。
こんなにも重いなんて思わなかった。




