八章 「将棋盤の碁石」 -1-
「ありがとうございました」
僕は八田の家まで送ってくれた唐沢村の善良な村人に礼を言った。
きっと彼がここまで送ってくれなかったら、僕はここにはいなかっただろう。
あれから山道を急いで下りて、警察に連絡してから気付いた。
『ここは何処だ?』
見覚えの無い風景。
そして、
『車が・・・ない』
始め、盗難に遭ったのだと思った。
しかし、そうでは無かった。
無くて当然なのである。
認めざるを得ないだろう。
僕は・・・どうやら方向音痴らしい。
散々乗って来た車を探しまわったが見つからず、神谷さんの『大丈夫?』と言う安否を心配するメールにも答える事は出来なかった。
結局、近くの民家に助けを求め、送ってくれることと相成った。
しかしながら、彼の有名な巌流島の決闘であっては、武蔵も遅参し、勝利を収めた。
要は結果が大事なのだ。
僕は醜態を無理やりに肯定し、八田の家の玄関の前に立った。
僕は深く深呼吸し、早鐘を打つ鼓動を整えた。
ガラリと戸をあけると、待ち構えたようにそこには八田の兄が立っていた。
「まだいたのか。君は」
「ああ」
八田の兄は眉をひそめ、あからさまに嫌な顔を僕に向ける。
「警察の人が来ていると思うが、何処に?」
「ああ。やはり君がな」
八田の兄は鼻で笑う。
「先程までいたよ。何でも『加藤君を殺した真犯人が分かった』との触れ込みがあったそうだ。おかげでまたくだらない問答をする羽目になってしまった。結局君が姿を現わせなかったから嫌がらせだろうという結論になってしまった。全く、君は一体何を考えているのか」
「もしかして警察は帰ってしまったのか?」
八田の兄は僕の質問を肯定する。
なんて事だ。
とんだ肩透かしである。
「友人が亡くなってショックなのも分かる。気持ちの整理ができず、他人のせいにしてしまう事も分からないでもない。君のした事は褒められた事ではないが、敢えて私は責めずにいよう。早々にここから立ち去ると良い」
そう言って立ち去ろうとする八田の兄を僕は必死で呼び止める。
「ま、待ってくれ!」
「これ以上何か?」
「僕は本当に真犯人を知っている」
「ほう、真犯人ねぇ。加藤君はカラスに襲われたのではなく、誰かに殺されたと?一体誰に?」
八田の兄は面白そうににやにやと僕の顔を見る。
まるで僕を挑発するようだ。
「それは・・・貴方だ」
「なるほど。私が真犯人か。私が加藤君を殺したのだと。動機は?凶器は?」
「それは・・・」
「まさか君の勘だとは言わないでくれよ」
分かる訳がない、そう言った余裕が八田の兄にはあった。
実際に僕は見せて、これがそうだと言う証拠など手持ちにはない。
「加藤の死体を見た時の冷徹さ。カラスに対する恐怖心の無さ。僕にはどうしても違和感があった」
「まさか本当に勘なのか。そんなもの君の感じ方次第だろう。くだらない。探偵ごっこがやりたいなら役者にでもなればいい。ああ、でも君のその演技力では初めに殺される死体役がお似合いかな。私のことを君がどう思おうと構わないが、一般常識として迷惑をかけるような事はして欲しくないな」
確かにそうだろう。
僕は加藤殺しについての証拠は持ち合わせていない。
しかし、切れるカードがある。
「貴方の言う通りこのままでは僕の妄想かもしれない。けれど、貴方の悪事を知る者がいたら?」
八田の兄の余裕で満ちた顔に陰りが見える。
「ほう、それは一体誰かな?」
「とぼけるなよ。それはあんたの弟、八田俊佑だ。今回の事件に対して違和感を感じていた僕らは、あのカラスたちがいた木の元に行こうとしていた。そして、偶然にもここに来る前に八田を見つけた。僕の役向きでないというのなら、実の弟に引導を渡してもらうのが良いだろう」
「弟を。見つけたのか?」




