七章 「穴蔵の瞳」 -1-
僕らは引き返す。
もう迷いはしない。
もう間違ったりはしない。
後悔など二度とごめんだ。
踏み入れた山道の緑は美しく、生命力あふれていた。
思えば、ずっと山道を登っていたのは夕方。
薄暗く、赤みの差す道とは印象が違って当然である。
まるで初めて通る道のようだ。
「ねえ、名取君」
神谷さんは聞こえてくる小鳥の声と同じような綺麗な声で僕の名を呼ぶ。
出来る事なら時間を止めて、ずっと聞いていたい。
そんな気持ちにさせた。
「あのさぁ・・・」
駄目だ。
その続きを言っては。
何故神谷さんはいとも簡単に僕の幸福な時間を破ろうとするのだろうか。
きっと今の僕の気持ちなんて分かりはしないんだ。
言葉にしなければ、状況は変わらない。
そんな事は分かっている。
けれど、その言葉がどれだけ僕にとって残酷なのかを彼女は知らないんだ。
だから、言ってはいけない。
その言葉を。
「もしかして、道に迷った?」
その言葉に僕の足は止まり、僕に倣って神谷さんの足も止まった。
格好つけた手前、正直に告白できない。
何かいい訳はないものかと僕の頭は錯乱するが、全く何も浮かばない。
だって仕様がないじゃないか。
山に入れば木ぐらいしかないのだから。
普通何処も一緒に見えるだろ。
「な・・・こ・・・に?」
「?・・・あれ、何か言った神谷さん?」
「だから、迷ったんじゃないかって」
「いや、そうじゃない。『何で・・・ここに』そんな言葉が聞こえたんだ」
「恥ずかしいからってごまかさないでよ。男らしくないよ、名取君」
僕はきょろきょろと周りを見渡す。
何もいないはずである。
そんな先入観があったので、実際に視線が合ってしまうとその驚きようは尋常では無かった。
「な、何かいる!!」
「え?何、何なの?」
僕は無様に後ずさり、足を取られて尻もちをつく。
「ちょっと待って待って待って。普通に怖いって。そんな冗談やめてよ!」
僕の視線の先にあったのは、道からそれたところにある防空壕の様な横穴である。
穴は木陰にうまく隠れ、その存在感を消している。
もし声がしなければ絶対に気付かないであったろう。
穴の入口には錆びついた格子があり、その隙間から爛々とした目でこちらを見つめる黒い人影があっ た。
「人だ。人がいる!?」
「え?!嘘、嘘?!」
「本当だって!ほら、そこに・・・」
僕は穴を指差し、神谷さんはその先を見る。
しかし、
「い、いないよ」
そこにはもう人影は姿形もない。
信じられない。
「もしかして・・・本当に嘘ついた?」
「違う」
僕は彼女の怪訝そうな視線を無視して、穴の方へ近づく。
穴の付近に真新しい足跡。
やはり人がいる。
錆びついた格子の扉には錆び一つ付いていない錠前がついていた。
「誰かいるのかー!」
僕は格子の向こうに向けて叫ぶ。
返事は返っては来なかった。
「ねえ、ねえ、危ないよ。やめようよ」
確かに危ないかもしれない。
穴の向こうにいる人物が何者なのかも分からないし、もしその人物が襲ってきたりしたら。
その他にもこの穴自体も崩れるような代物なのかもしれない。
「大丈夫」
その言葉に信頼性は全くないが、僕は構わず錆びついた格子を蹴り始める。
『何でここに』
その後に続く言葉は何だ?
ここに人がくるのか?
ここに気がつかないのか?
それとも、何でここに僕達が来たのか?
僕は予感めいたものがあった。
きっとあの人影は僕らの事を知っている。
ガキン。
耳障りな金属音を立てて、錆びついた格子の一つが外れた。
何とか身を縮こませて、やっと通れるような隙間。
僕は神谷さんを入り口に置きざりにして、穴へと乗り込む。
「誰もいないのかー」
いや、いるはずだ。
穴はそれほど狭くなく、奥の方まで人が悠々と通れるほどだ。
ぼんやりとした明かりが奥の方から漏れ出ている。




