五章 「刻は来たれり」 -2-
夕日に照らされた大きな木。
木にはカラスたちが身を寄せ合い、そしてそれとは別にカラスの塊が一つあった。
今ではそのカラスの塊が何を意味するのか良く分かっていた。
あそこに八田がいる。
八田の兄は無警戒にカラスたちに近づき、蹴散らす。
そして、僕の目に入る肉の塊。
僕は思わず目をそらす。
加藤の事を思い出し、また嘔吐感を覚える。
ここまで来たのだ。
自戒の意味も込めてちゃんと直視しなくてはいけないと思うのだが出来なかった。
そんな僕の事を見かねたのか、八田の兄が近づいて、
「お前は何をしに来た?さっさと山を下りるか?」
と言い放つ。
その冷徹な瞳からは涙など流れはしない。
自然と僕は口にする。
「あんたは悲しくないのか?」
それは当然の疑問。
「あんたの弟が死んだんだぞ!あんたの肉親が!」
八田の兄は笑った。
「これでも悲しんでいる。君のように表面上の感情表現をしていないだけだ」
込み上げてきたのは怒りであった。
八田の兄の言葉は『感情がうまく表現できないのだ』と言う意味なのかもしれない。
けれど、僕には『お前の悲しんでいる様は上っ面のものなんだろ?』と受け取れた。
被害妄想かもしれないが、それが的を射たようで僕の心は波立ったのだ。
僕は思わず八田の兄に掴みかかり、彼の綺麗な顔を殴り飛ばす。
八田の兄は尻もちをつき、その口の端からは血が流れた。
カラスたちがその血を見て興奮したのか、途端色めき立つ。
カラスたちの騒ぎたてる声に僕は一歩後ずさるが、そこから先僕の足は固まったように動けないでい た。
逃げなくては。
そう本能が警告する。
しかし、同じ本能の恐怖が足を絡め取るのだ。
だが、僕の恐怖は的外れになる。
八田の兄が制止するように手を掲げると、カラスたちは再び静寂を取り戻した。
言い得ぬ威圧感とともに立ち上がる八田の兄。
口元を拭う。
僕はかかってくるのかと身構えたが、八田の兄は僕に背を向け、肉の塊の方へと向かう。
「明日の朝、すぐにでも帰るといい。これ以上ここにいては今度は君がこんな風になるかもしれないからな」
「そんな脅しを・・・」
「君の言う通り、私はこれから弟との別れを悲しもうと思う。邪魔をしないでくれ」
その言葉には抗えない力を持っていたかのようだった。
僕は夕日に照らされた八田の兄を一瞥し、その場を去る。
悔しさにまみれ、僕はずんずんと山道を下りていった。
そして、僕は道に迷った。
情けなくも、僕は出迎えた八田の兄に鼻で笑われることとなる。




