白ユリの魔女の、呪い
この国には白百合の聖女と呼ばれる魔女がいる。彼女はその危険な魔法を使わないように、王城の敷地の隅にある塔に閉じ込められている。
その魔女であり聖女であるリリーの奮闘記、のような、コメディーのような、ちょっと不思議なお話です。
冒頭イラストはお友達に描いていただきました。この少女のイメージで書いたお話です。
それなのにラストがコメディになってしまった・・・。
**
「この国には"白百合の聖女"と呼ばれる魔女がいるんだよ」
「聖女なのに、魔女なの?」
「ああそうだよ。どんな病気でも治してくれる力がある聖女様なのだけど、その代わりに治した人の姿を醜く変えてしまうんだそうだよ」
「え、怖い! 」
「そうね。だから王様がその魔女が誰にも魔法を使わないように、お城の奥深くに閉じ込めているそうよ」
「さすが王様、それなら安心だね!」
「でも治療師様でも治せない病気にかかったら、白百合の魔女に治していただかなくてはいけなくなるわ」
「え、嫌だ、醜い姿になる位なら、死んだ方がましだよ!」
「そんな事を言わないで。お母さんはあなたがどんな姿になっても、生きていてほしいのよ」
「ええ~! 嫌だよ! みんなにいじめられちゃう!」
「それなら、そんな風邪を引いたりしないように、よく食べてよく寝なきゃね? さあ、もうおやすみなさい」
「はあい」
***
「カサブランカ侯爵令嬢リリー! 今日、今この時を以て、お前との婚約は破棄する! 今後、この僕の目につくところにいる事は許さない!」
その言葉は、ラフワー王国のローズクォーツ第1王子の快復を祝って催されたパーティの真っ最中に響き渡った。
それまでさんざめいていた会場が一気に静まり、ローズクォーツ王子と、その向かいにいるリリー嬢に視線が集まった。
「お前は! 僕に妙な魔法をかけて僕の一生を滅茶苦茶にした! 見ろ、この醜い姿を! この魔女め! 僕は金輪際お前の顔を見たくない! 本来ならば王族への不敬で処刑だが、一応お前は聖女だから、婚約破棄で許してやる! 反論は認めない!」
リリー嬢は全く予想外の出来事に、その柔らかい黄緑色の目を涙で潤ませ、震えているしかなかった。王子はそれを冷たい目で見下して、正装のマントを翻して、大きな腹を揺らしながら、ドスドスとおおきな足音を立てて、会場を出て行ってしまった。
残されたリリー嬢には、その場に集まっていた貴族たちからの同情と嘲りの視線が突き刺さる。
白い清楚なドレスに、シルバーグレーの柔らかい髪をハーフアップにまとめているいたいけな10歳の少女は、その場に立ちすくむしかなかった。
***
ラフワー王国は大陸の中ほどに位置する国で、80年ほど前まで周りの国と戦争をしていたが、今は和平条約を結んだおかげで、平和な国となった。
国の立地としては回りを山に囲まれているものの、中心部は平地が多く、気候も温暖で農業と酪農を中心とした国だ。
この大陸では魔法という神秘の力が使われているが、ラフワー王国では平和が続いているので、攻撃的な魔法はすっかり姿を消してしまった。残っているのは生活に使える程度の火と水と光、そして癒しの魔法程度だ。もちろんたまに大きな魔力で強い魔法を使える者が現れるが、それが判明すると、すぐに国が彼らを保護をする。ラフワー王国では現在戦争をしていないが、他国ではしょっちゅう小競り合いが勃発している。そして他国での戦争にはまだ魔法が使われている。万が一にも自国の強力な魔法使いを他国に使われ、さらには自国に攻め込んでこられても困る。
だから一定以上の力の持ち主は全員、国が保護することになっているのだ。攻撃力が高いものは魔導士として。
そしてどんな時代になっても癒しの魔法は人気が高い。そのうえ、使える人の数が少ない。そのなかでも強い力を持つ者を尊敬と感謝を込めて聖女、聖者と呼ぶようになった。
癒しの魔法は、怪我を治すもの、心をおちつかせるもの、病気を治すものの3種類だ。殆どの聖女・聖者は怪我を治す魔法を持つ者で、戦争や事故での大怪我を治す役割を担っている。
また、事故や戦争で心を病んだ者の心を癒す者もいるが、ごく少数だ。そしてさらに少ないのが病気を治すものだ。
怪我を治せる聖女・聖者に頼めば、3日以内なら失った手足も復活させることが出来る。内臓が大きく損傷しても、命がある状態なら治すことが出来る。歴代聖女・聖者の中には、視力を復活させた者もいるそうだ。
だが如何せん人数が少ない。戦争のないこの国でも万年聖女不足に悩んでいる位だから、他の国など察して余りある。
どこの国でも聖女たちは国の保護下に置かれているので、国の中央である王都に住んでいる。そうなると国の端で魔物に襲われて重傷を負った者がいても、すぐには駆け付けられないし、着くまでに相当な時間がかかる。その間に重傷者は命を失う事が多い。
それゆえこの世界では聖女たちに頼り切らないでも怪我を治す技術、医術が発達した。治療師は勉強と経験で増やすことができるから、自然発生で、能力にもばらつきのある数少ない聖者を待つよりも効率が良い。
国が医術学校を作って治療師たちを育成したことで、さらに医術が発展した。治療師たちは医術学校を卒業後に各地に派遣され、治療行為に当たる。
治療費は、この国ではある一定額までは国が負担するシステムのお陰で、瞬く間に広まった。そして技術も大幅に進歩して、多くの人々を救えるようになった。
それでも聖者にしか救えない命もある。特に貴族と王族は狙われやすく、その際の被害も医術では対処できないほどに重いものが多い。そのために聖女聖者はいつでも王城付近に待機している。
そしてカサブランカ侯爵家のリリー嬢はその中でも数少ない癒し魔法の持ち主、聖女の一人だった。
カサブランカ家はその名前から、花のカサブランカを紋章に持つ由緒ある侯爵家だ。庭のあちこちにも多種多様のカサブランカが咲き乱れている。
リリー嬢は高位貴族でありながら聖女という非常にまれな存在で、その能力が判明した幼少期に聖女の称号を受け、その保護の為もあって3歳年上のローズクォーツ第1王子の婚約者に内定していた。
それは当時、リリーが5歳、王子が8歳の時の話である。
王族や貴族はもともと政略結婚が普通なので、二人共それに不満はなかった。それにリリーは可愛かった。父親の侯爵に連れられて初めての顔合わせに王城に来た時も、一生懸命に侯爵令嬢らしく振舞おうとはしているものの、すぐに父親の手を探している所など、王子はその幼いしぐさが可愛らしく思えたし、自分同様に重い役割を背負わされる彼女に同情もしたものだ。
リリーの能力が判明したのは4歳の時だった。
その年の冬、リリーの兄が風邪を引いた。すぐに侯爵家お抱えの治療師が薬を投与したのだが、質の悪い風邪だったのか何日も高熱が引かずに悪化していき、けいれんや呼吸困難に陥り、意識も薄れてきてしまい、とうとう命の危機にまでなってしまった。
当時病気治療が出来る聖女聖者はおらず、治療師が必死になって治療に当たっていたのだが、そんな時にリリーが「おにいちゃま頑張って」と寝ている兄の手を握って祈ったところ、兄の身体を光がつつみ、意識のなかった兄の目が開いたのだ。そして兄はその日から治療師も驚く速さで回復していき、なんと3日後には起き上がれるまでに快復したのだ。
侯爵家は歓喜に沸いた。跡取り息子の奇跡の快復と、可愛らしくも素晴らしい聖女の誕生に。
そしてこの出来事はすぐに国王にも知らされた。すぐに聖者たちによってリリーの能力を調べられた。その結果、待ち望まれていた病気を治す能力を持っている事、しかも非常に魔力も多い事が分かった。
普通ならすぐに聖者協会が預かるのだが、リリーは侯爵令嬢なので保留とされた。そして王家からの第1王子との婚約話が持ち上がったのだ。
それから2年。リリーは少しずつ王妃教育を受けながら、同時に聖者協会から派遣される聖女に治癒の力の使い方を教わっていた。王子とは週に1回は一緒にお茶を楽しみ、互いの近況報告をしあった。
人見知りの激しいリリーだったが、礼儀正しくて優しく接してくれる王子には次第に気を許し、二人共将来を一緒に過ごすという未来を楽しみにし始めた矢先。
ローズクォーツ王子が病に倒れた。
ちょうど全国的に流行病が蔓延しており、登城する人は熱や風邪症状があれば登城しないようにとの御触れが出されるほどの蔓延具合だった。
ただこの流行病には効く薬があった。一部の者は重症化して命も危ない病なのだが、多数の者にはしばし寝込むが、薬を飲んで休んでいれば快復するものだった。それで油断した面もあったのだろう。
いくら登城禁止としても、風邪症状や熱が発症する前に登城してくるのは止められない。その流れで王子も流行病に倒れてしまったのだ。
王子はまだ若いし、体力もあった。薬を飲んで休んでいれば大丈夫と治療師たちも考えていたが、
リリーの兄の時と同じように、ローズクォーツ王子も重症化してしまった。
その時リリーは重症化してしまった辺境伯一家へ出向いて癒し魔法を施しており、ローズクオーツが倒れた時は王都から遠く離れたところにいた。知らせを受け、辺境伯一家も無事に快復していたので、すぐに王都に戻り、馬車から飛び降りるとすぐにローズクォーツの部屋へ走って行き、意識がなくだらりとしているその手を握って、回復魔法をかけた。
そのお陰で王子はすぐに快復した。
目を開けて、弱々しくも笑顔を作って、ありがとうと礼を言った王子に、リリーは遅くなってごめんなさいと泣きながら謝り、お役に立てて光栄ですとうれし泣きをした。
だがそれが原因で、リリーはローズクォーツ王子から、その快復パーティの場で結婚破棄を告げられることとなったのだ。
**
「国王、いくらなんでも婚約破棄はないでしょう! リリーは王子の命を助けたのですよ!」
あのパーティ直後、カサブランカ侯爵は国王に面会を申し込み、次の日の約束を取り付けた。
そして翌日、侯爵はリリーを伴って執務室の国王に抗議をしていた。
「息子の命を救ってくれたことには感謝している。だが……」
国王は侯爵とリリーからは目線を外して、苦渋に満ちた表情で言った。
「あんな副作用があるとは聞いていなかった。あれでは息子が憤るのも仕方がないし、正直言えば私も息子と同意見だ」
「副作用については、リリーの能力が発現した時点で報告をしております!」
「たしかに。だがあのように酷いものとは聞いておらん」
「我が家の息子を、証人として聖者協会に見せているではありませんか!」
「それでもあのように酷いものとは知らなかった」
「ご存知だったら、娘の回復魔法を受けなかったというのですか? それで王子殿下が命を落としても?」
「それでも、あの副作用は酷すぎる」
リリーの快復魔法には副作用があった。初めて兄に使った時もそれは出た。
それは、体が膨れる、というものだった。
一言でいえば、デブになるのだ。そりゃもう、でっぷりむっちりと。
それは回復しながら少しずつ現れ、回復した時には別人のように体が膨れている。今回の王子も、辺境伯一家もすべてむっちり膨れていた。
だがこれは一時的なもので、体は段々と戻っていく。その過程もすべて報告済みであった。
そして聖者協会では、リリーに魔法の使い方を指導しながらこの副作用をなくそうとしていたのだが、それが果たされる前に今回の流行病が出てしまったのだ。
最初こそリリーとその魔法に感謝していた王子だったが、みるみるうちに体が膨れ、服が全く入らなくなる事実に恐れおののいた。今まで節制してきた細身の自慢の肉体。それがあっという間に崩壊していくのだ。
「王子も年齢が違えばその事実を受け入れられたのであろうが、如何せん多感な時期であるし、あの見た目では激怒するのも無理はあるまい。私でも引き籠るレベルだぞ、あれは」
「確かに一時的に膨れ上がりますが、徐々に戻ります!」
「分かっていても受けれられない。息子だけでなく、私もな」
「そんな、理不尽な!」
あれだけ凛々しかった息子が、醜くブクブクと膨れてしまった。それが暴飲暴食の結果なら諫めもしたし、当然の結果だと受け入れられただろう。しかしそんな事実はないのだ。
突如として太くなり、なにをしても戻らない。そのうちに理知的でも可愛さの残る大きな目も筋の通った鼻も、形の良い口も、膨れた頬に押された。
滑らかな白い肌には毛穴が目立ち、ぜい肉などなかった腹は、中年男性のように大きく膨らみ、軽かった足取りは下品な音を立てる。腹が邪魔で入らなくなったズボンは、仕立て直してすぐに股ずれで内もも部分が擦り切れた。
何とかして元の体型に戻ろうと、剣の稽古に参加してみたが、腹が邪魔で剣を鞘から出すのももたつき、頬の肉で視界が狭まったせいで相手どころか足元も良く見えずに無様にひっくり返った。
そんな自分が情けなくて、悔しくて、それでも痩せようと頑張っても、痩せるどころかますます太っていく。
足元が見えないのは日常なので、そこここでつまずく。王城の使用人や勤め人、大臣たちにも白い目で見られているようだ。
食事も最初は必死に制限していた。それでも太るから、とうとう王子は節制を止めてしまった。結果的にどんどんと太っていってしまった。
そんな境遇にローズクォーツだけでなく、国王夫妻も耐えられなかった。
何でこんなことにと泣く息子を、しばらく我慢すれば元に戻るからと慰めるが、元に戻る期間は病の重さによって違う事が判明している。すなわち、命の危機に瀕していたリリーの兄やローズクォーツは元に戻るのがそれだけ時間がかかると言う事だ。付け加えるならば、リリーの兄はいまだに完全には戻っていない。
今までの苦労が水の泡になった、死んでしまいたいと泣き崩れ、こんな体にしたあんな女とは結婚したくないという息子の意見に、国王夫妻も同意してしまった。
それでも、ローズクォーツがリリーに死罪をと言うのは却下したのだ。
「リリー嬢が命を救ってくれたのには感謝しているが、息子の心はその魔法によって殺されてしまったのだ」
「それはあんまりなお言葉です!!」
「そうは言っても事実なのだから仕方がない。同じように辺境伯一家も引きこもってしまった。そのせいで隣国との防衛も揺らいでいる。残念だがリリー嬢の回復魔法は、体は回復しても心を壊してしまう危険な魔法だ」
「そんな!!」
「令嬢の魔法がある限り、命だけでもと使用を懇願する者はこれからもいるだろうが、その結果、心を壊されそれがこの国を滅亡へと導くきっかけともなりかねない。リリー嬢の回復魔法は今後、使用を禁止し、その身は国王預かりとする」
「国王陛下!!」
「リリー嬢は塔へ幽閉し、今後誰であろうと接触を禁止する。もちろん世話係はつけてやるから安心しろ」
「私の娘ですよ! そんな勝手な! 幽閉せよと言うのならうちでやります! 私たちから娘を取り上げないでください!」
「ダメだ。肉親では情が湧いてこっそりと外に出すかもしれない。その時に息子と鉢合わせないとは限らないし、病に倒れているものを見掛けたら魔法を使ってしまうかもしれない。完全にその能力を使わせず、息子が絶対に会う事のない状況を作るのには、王城で管理するのが一番なのだ」
「断固、抗議します!」
「好きにしたまえ。だが王家と辺境伯家を敵に回して、侯爵家が無事でいられると思うのならな」
この国は厳格な貴族社会だ。侯爵は上位に位置するものの、王家に逆らったらこの国では生きていけないし、領地を維持するのにも影響が出る。下手をしたら反逆罪で全員死罪となることも考えられる。カサブランカ侯爵は悔しさのあまりに手を握りしめ体の震えを抑えられなかった。
いっそのこと、国外追放にでもしてくれれば、こっそり支援することも出来るのに。リリーは副作用がある回復魔法使いだが、それでも聖女だ。他国には渡したくない。そのせいで自国、しかも王家預かりとなってしまうとは。それでは人質と同様だ。侯爵をも押さえようとしているのだ。
そんな侯爵に国王も口調を和らげる。
「なにもリリー嬢を殺そうというのではない。食事と身の回りの世話をする侍女もつける。外に出られない代わりに、王城図書館の本の貸し出しも認めよう。そのうちにリリー嬢が副作用なしで魔法が使えるようになれば解放することも出来るだろう。カサブランカ侯爵の気持ちもわかるが、今や彼女は危険人物なのだ。それなのにこの裁きで済んでいる事をよく考えてくれ。……以上だ。リリー嬢はこの場で預かる。侯爵は最後の別れを告げたら、下がりなさい」
「……いつか後悔しますよ」
カサブランカ侯爵は唇を震わせながらそれだけ言うと、臣下の礼を執って下がった。これ以上食い下がっても無理だと理解したのだ。自分が殺されたら、いつか解放された娘を迎えてやることも、いざとなったら奪還することも出来なくなる。ここは大人しく退散するしかない。
そして後ろで震えているいとおしい娘をそっと、ぎゅっと抱きしめた。
「リリー、お前は全く悪くない。だが今は耐えてくれ。絶対にお父様がお前を助け出すから。それまでは我慢するんだ」
「お父様……」
「お前は頭のいい子だから。国王が本ならいくらでも読んで良いと許可も下さった。沢山本を読んで、知識を蓄えなさい。それはいつか、お前の武器になるから」
「……はい」
「お前はいつでも私たちの可愛い娘だ。家族全員、もちろん兄のリーガルがお前を恨んでいるなんてことはないからな。お前の魔法は素晴しいものなのだから。安心しなさい」
「うっ、うっ」
「愛しいリリー。しばらくの辛抱だからな」
「はい、お父様……」
リリーは今の国王と父親の会話から、自分は一生幽閉されて暮らすのだと理解していた。それでも助け出すという父親の言葉に泣きながら頷いた。
そして控えていた近衛によってそっと引き離され、そのまま執務室から連れ出されたのだった。
**
リリーは王城敷地内の一番北の端にある塔に幽閉された。この塔は5階建てで、王家の者が犯罪を犯した場合に幽閉するために作られたものだ。1階は使用人控室と小さな炊事場、2階から上が幽閉場所になっていて、各階に1室ずつ、トイレと風呂場を完備した部屋がある。
窓は明かり取りの目的だけで作られているので小さく、外から鉄格子が付いたものが東西南北につけられている。換気のために開けることはできるがもちろん外に出ることはできない。そして入り口のドアには厳重に鍵が掛けられる作りとなっている。
各階の階段の前には鍵のかかる柵があり、厳重に鍵が掛けられたていた。だが上の階は使用していないので、現在行き来は自由に出来るようになっている。
それは幼くして幽閉される令嬢に配慮して、せめて階段の上り下りで運動したり、退屈しないようにとの配慮であった。
さらに、せめて見た目だけでも快適に過ごせるようにと、2階のその部屋は綺麗に整えられ、最高級の布団を用意し、小さいながらも高級なソファにティーテーブル、食事用テーブルに文机も揃え、窓にも可愛らしいカーテンを付けるなどの配慮をしていた。
それでも10歳の令嬢がたった一人で暮らすのには寂しすぎる場所であったが。
確かに使用人は付いた。いつでも1階の詰め所に侍女2人と護衛達が控えていた。リリーが声を掛ければ御用聞きに来てくれる。
だが国王より、最低限の接触しか許されていないので、食事を運んだり、掃除、風呂の用意をする程度の接触しかない。その際の会話も最低限だけと限定されていた。だからリリーは彼らの名前も知らない。
侯爵家にいたときには、起床の時間になると専属の侍女がやさしく声を掛けてくれた。
リリーが返事をすると、顔を洗う湯を持った侍女、カーテンを開ける侍女、着替えや身支度を手伝う侍女など、何人もがにこやかに挨拶をしながら入室してきたものだ。
塔では、起床の時間には起きていようがいまいが、部屋の外に、ワンピースと食事の載ったワゴンが運ばれてくるだけだ。しかもワゴンを運んでくるゴロゴロという音で目が覚める。
着替え終わって、朝食を食べ終わったと思われる時間になると、またワゴンの音がするので、リリーはワゴンに着替えた服と食べ終わった食器を戻し、ドアから一番遠いベッドに腰掛けて待っているとノックの後に扉が開く。
扉は開くが誰も入ってこない。それを確認して、リリーは扉から出る。
部屋を出ると、1階への階段の門の前に警備兵が剣を構えて並び、その門の後ろに侍女たちが待機している。それを確認するとリリーは逆方向、3階への階段を上り、3階の部屋でしばらく過ごす。
3階の部屋は2階と違って閑散としている。ベッドとソファしかない。そのベッドには布団が無いし、ソファにはクッションしかない。
だが毎日侍女によって掃除はしてもらっているし、風呂の用意も出来ている。
リリーは服を脱ぎ、一人で風呂に入る。最初は戸惑った。洗い方など知らないから。だが侍女がリリーが覚えるまでやり方を教えてくれたので、今では一人で風呂を使える。
体に湯をかけてから浴槽に入り、温まったら髪を洗い、体をタオルで擦る。浴槽から出たら脇にある流し湯用の湯を柄杓で掬って、全身を流す。体を拭いて、用意されていた替えの下着を身に着けて、ワンピースを着て、髪を魔法で乾かす。
これだけのことだが、今まではすべて風呂専用のメイドたちがやってくれていたことだ。
髪を乾かす魔法も、梳かすのと同時に得意な侍女がやってくれていた。
リリーは風魔法は得意ではなかったのだが、タオルだけでは乾かないので、図書館から借りてもらった魔導書を片手に、何度も試してようやく使えるようになった。
聖女が得意なのは癒しの魔法だけであって、生活魔法は使ったこともなかったから。
慣れてきたとはいえ、一人では時間のかかる風呂が終わったころには、2階の掃除が終わっている。合図用に用意されている鈴を鳴らすと、終了していれば同じように鈴が鳴る。そうしたら2階に戻るか、そのまま3階で過ごしても構わない。なにしろこの塔の2階以上はリリーの為に開放されているのだから。
昼時までリリーは好きな場所で本を読んで過ごす。4階5階にはソファしかないけれど、だからこそろ魔法の練習も出来る。
昼時になると鈴が鳴る。2階の部屋の前にはワゴンに載った昼食が置いてあるので、それを頂く。
終わったらワゴンにもどして扉の外においておけば、侍女が片付けてくれる。
食事も皆で楽しく食べていたのが、たった一人で食べなくてはいけなくなった。確かに朝昼晩と美味しい食事を運んでくれるし、お菓子とお茶も楽しめる。でも会話することもなくたった一人で食べても楽しくもないしおいしさも半減だ。
リリーはすっかり小食になってしまっていた。
夕飯までまた読書と魔法で時を過ごし、夕飯のワゴンを受け取り、載せられているパジャマに着替えて、ワゴンにワンピースと読み終わった本、伝言があればメモ、食べ終わった食器を載せて外に出す。
寝るまで本を読み、魔法を試し、歯を磨いてからベッドにもぐりこんで目をつむる。
今日1日生き延びられたことを感謝し、両親と兄の無事を祈ってから、眠りにつく。
生き延びるために、リリーは逆らわず、大人しく過ごすしかなかった。
外がどうなっているのか全く分からなかったが、自分に出来る事をするしかなかった。
そんな生活の中で、リリーのもとに、実家の紋章でもあるカサブランカの亜種である、小さな白い花の咲く品種の球根の入った鉢が贈られてきた。微香でその香りも優しい、カサブランカ家独自の花。
たった一人で塔で暮らしている娘に、少しでも家族の愛を届けられればと、実家から贈られてきたものだった。もちろん王家による調査済みで、ただの球根だ。
受け取ったリリーは、その鉢をしばらく抱きしめて、塔の小さな明かり取りの窓から一番光が入る所にそれを置いた。
そうしてこまめに水をやり、小さな葉が出てきた。
それはこの部屋での初めての変化だった。
世話をするものがあるというのは、生活に潤いを与えた。リリーは一生懸命に世話をして、やがて球根は小ぶりだけれども美しい百合の花を咲かせた。
その生命力と美しさにリリーは感動して、いつまでもそれを飽きることなく見つめていた。
**
リリーからの願いで、侯爵家から10鉢の鉢植えが送られてきて、リリーの居住区である2階は、小さなユリが沢山咲き誇っていた。
なにしろリリーには読書と魔法研究くらいしかやることはない。その魔法研究も属性が回復であるために、一般的な魔法が一般的に使える程度だ。研究によって多少は色々使えるようになっているが。
だが読書も魔法研究もすぐに成果が出るものではない。知識も魔法も、客観的に評価してくれる人がいなければその成果が分からない。
その点、植物は分かりやすい。葉が出てきて茎が伸びる。リリーは空き時間のすべてを鉢植えに注いだ。とはいえ数が少ないし、水を撒いてその成長を観察するだけだが。
それでもそれが楽しかった。話し相手もいない、使用人にも段々と嫌われ、避けられるようになっていた彼女にとって、唯一話し相手になってくれて、自分の世話で花を咲かせるという成果が得られるのもうれしかった。
だからどんどんとユリの栽培にのめり込んでいった。
栽培の知識なんてなかったから、読みたい本のリクエストにユリの育て方に関しての本を入れたら、どうやら植物が育つには肥料というものがいるという知識を得た。一般人なら誰でも知っている事だが、侯爵令嬢の彼女は全く知らなかったのだ。
そこで肥料が欲しいとお願いしてみたが、『生活に必要ない』という理由で許可されなかった。がっかりしたリリーだが、園芸の本を片っ端から読んでいたら食料品からも作れると書いてあったので、自分の食事を少しだけ食べずに取って置き、それをいくつもの鉢から少しずつ土を集めた中に入れて、自己流堆肥を作ってみた。
水をやり過ぎたり何らかの理由で元気のなくなった鉢には、ダメ元で回復魔法をかけてみた。するとすべて元気に回復して、最速で花も咲かせてくれた。
兄や皇太子に起こったデブ化は特に起こらなかったが、他の鉢よりもたくさんの花が付いた。通常なら1つの球根から3輪程度しかつかないはずの品種なのに、まるで毬のようにまあるく沢山の花が咲き誇ったのだ。しかもその花は非常に長く咲いていた。何もしていない鉢よりもはるかに長く。
あまりに花が咲き続けると球根が弱ってしまうと考えたリリーは、それらを茎から切って、コップに活けた。花瓶は危険物だと使用許可が下りなかったのだ。
驚くことに、茎を切り戻したが、すぐにまた茎が伸びてきて同じように花を咲かせた。もちろん回復魔法をかけない鉢は、そんな事にはならない。不思議なものだと思いながら世話を続けた。
さらにもっと多くの鉢が欲しいと頼んだが、それ以上はいらないだろうと新しい鉢の搬入は認められなくなってしまったのだ。
それならば仕方がないと、リリーは球根を増やすことにした。花の咲き終わった球根を掘り起こし、元の球根の周りに付いている鱗片をはがしていく。これらを消毒して乾燥させるらしいが、消毒できるようなものをリリーは持っていなかった。
要は鱗片が病原菌やカビに負けないくらいに元気ならば良いのだ。それならばとリリーは鱗片を並べて軽く、本当に少しだけ回復魔法をかけた。ダメで元々。球根はまだまだたくさんあるのだから。
花のうちに回復魔法をかけた球根は、何度茎を切り戻しても茎が伸びて先端近くに花が付いた。普通なら5~6輪程度の品種なのに、もっと多くの花が付く。
流石に4~5回も切り戻すと、次からは茎が伸びなくなり枯れた。そのタイミングで掘り起こして、鱗片を取る。
侯爵家から贈られた10鉢ほどのユリだが、当然増やせば土がいる。しかし土も鉢ももう貰えないし、あちこちの鉢から少しずつ土を取っても深めに植えつけなければいけないから限界がある。
今まで何かに困るという生活をしてこなかったせいか、その点に頭が回らなかったリリーは、たくさんの鱗片を前にして途方に暮れるしかなかった。
***
リリーが軟禁されて10年後。
「もうこうなったら、回復魔法の聖女に頼るしか……」
「しかしあの酷い副作用があるんだぞ! 使えるものか!」
「それにこうも広範囲、しかも大量に患者がいるのでは、たった一人の聖女では追いつかないでしょう……」
ラフワー王国は、昨年領土の端で発生した新しいはやり病が猛烈な勢いで広がり、とうとう王都でもはやり病で倒れる者たちが出てきた。
死亡率はそれほど高くないのだが、高熱が続き体力が奪われるためか回復が遅く、最低1か月は寝込むようになる。ようやく回復しても、家族全員がかかっているので、その看病に回っているうちに、抵抗力が低下しているのもあってまた同じはやり病にかかってしまう。それを家族で繰り返してしまうので、経済活動が止まってしまった。
畑も酪農もそれどころではない。何とか収穫物を枯らさないようにするので精一杯、酪農はお世話をするだけで手いっぱい。とても出荷するどころではなく、商店も店員が寝込んで出てこられないので店を開けるどころではない。
治療院が総出で対処しているが、患者数が多すぎて薬全般、特に解熱剤が底をつき始めている。このままでは死亡者が激増しかねないと、聖者協会も総力を挙げて協力しているが、現在の協会に病気回復担当の聖女・聖者は居ない。
だが聖女でありながら罪人のリリーを担ぎ出すのは、王家が許さないだろうと誰もが考えていた。
何しろ今だにローズクォーツ第1王子はブクブクと太っているのだから。
あの婚約破棄騒ぎの後、3年経ってからローズクォーツは同い年のピオニー侯爵令嬢のサラベルナール嬢と婚約をし、近々結婚式をする予定だった。だが全国的にこのはやり病だ。それどころではないと延期がささやかれている。
第1王子と王家に周りが忖度しているうちに、はやり病はとうとう王都まで広がってしまった。地方の領主貴族だけでなく、大臣などの役職貴族まで病に伏し始めてしまった。
このままでは国自体が機能しなくなってしまう。その報告に流石に国王も頭を抱えた。
「治療院は何をしている! 薬は!」
大学を卒業してから本格的に国王の仕事の手伝いを始めたローズクォーツ王子が、会議の席で治療院の院長たちを睨みつけて言った。
「緊急用の在庫以外は、すべて使用しました」
「すぐに作ればいいだろう!」
「薬の原材料である薬草も、すべて品切れなのです」
「輸入すればいいだろう?」
「この病はこの国だけではなく、周辺国にも広まっております。どこも同じように薬を使っているため、全世界的に原材料不足の上、まだある薬草は信じられないほどの高値がついていて、それでも売り切れているのです」
「……つまり?」
最初の勢いが少しずつなくなってきたローズクォーツに、治療院の最高院長がため息をつきながら答えた。
「これ以上、薬に頼ることは出来ません。あとは国民の体力に期待するしかない状態です」
「聖者協会は? ただ指をくわえてみているだけなのか!?」
「現在、協会には病気の回復魔法持ちの者は、リリー嬢以外おりません。それに殿下もご存知でしょう? 怪我治療の聖女では、風邪は治せない事を」
「だったら、薬草を今からでも栽培して」
「栽培して収穫して加工して、薬にするまでに最低3か月はかかります」
このやり取りを何度繰り返しただろう。地方ではすでに薬という薬が底をつき、医者が冒険者に頼んで森から喉に良いという蜂蜜を取ってきてもらって、各家庭に少しずつ配っているありさまだという。
「正直に申し上げまして、治療院としてはお手上げ状態です」
「聖者協会も同じです。今の我々が出来るのは、治療院への人手の提供しかありません」
ううむ、とローズクォーツは唸った。
「3か月かかろうと、今からでも作れば3か月後には薬が出来るのだ。すぐに栽培を始めるように手を尽くせ」
「もうやっておりますが、なにしろ栽培農家も家族ではやり病に倒れている始末。人手がまったく足りません」
「それこそ聖者協会が手伝えばいいじゃないか!」
「我々には薬草を育てる知識などありません」
不機嫌な声で協会の会長が答える。
「解毒担当の聖者がいるではないか。彼にやらせれば……」
「お言葉ですが、解毒剤ならば治療院の仕事です。聖者による解毒は、魔法によって行われておりますので、薬草作りとは関係ございません」
「それでも多少の知識はあるだろう? 手伝うくらい……」
「もちろん、手伝いはしております」
冷たく会長はローズクォーツに答える。不敬だと言われかねないが、治療院と聖者協会は、政治には口を出せないが、基本的に王侯貴族と同等の地位を持つ。なにしろ彼らがいなかったら、病気も怪我も治らないのだから。
それまで黙ってやり取りを見ていた国王が、深いため息をついてから言った。
「なんにせよ、治療院と聖者協会がこの病に対して積極的に動いてもらうしかない。多少の緊急用の薬の放出も認めよう」
「現在残っている分を放出しますと、貴族と王族分がなくなりますが、それでよろしいのですね?」
「……役職貴族と私とローズクオーツの分は残しておけ。我らがかかったら国が崩壊する」
「それは時間の問題だと思われます」
「ならばどうしろと言うのだ!」
国王が語気を強めたが、聖者協会の会長が臆することなく発言した。
「国王様。今こそ回復の聖女、リリー嬢を解放すべきです」
「何を言う! あんな役立たずの出来損ないをどうしようと言うのだ!」
バン! と机を叩きながら間髪を容れずに体を揺らし反論したのはローズクォーツだ。23歳には見えないでっぷりした腹を揺らしながら立ち上がる。
「こんな呪いをかける魔女だぞあれは!」
「それでも、殿下は生きていらっしゃる。死んでは元も子もないのです。多少体が膨れるくらい、良いではありませんか!」
「多少だと!? この体が、多少だと!?」
「生きているだけマシだと申し上げております。何も殿下にまた回復魔法を使おうというのではありません。殿下は薬をお使いになればいい。今現在、病に伏して薬がなく、命が危なそうなものに、薬よりも効き目のある回復魔法を使おうと言うのです。その方が緊急用の在庫放出よりも早いです」
「うぅ……っ!」
「それは一理あるな」
会長の言葉に、ローズクォーツは唸り、国王が同意した。
「致し方がない。リリー嬢の稼働を認める。重体で家族の同意が取れたものだけ、回復の魔女を派遣しよう。その際には副作用の説明と回復後の苦情は受け付けない旨も伝え、同意の署名を取るように」
「御意!」
「塔に近衛を派遣せよ。逃げ出すかもしれないから、絶対にリリー嬢から目を離すな。あんな魔女をこの国から出したら、下手をしたら敵対行為とみなされて戦争になりかねない。逃げたら殺して良いぞ」
「国王様! それは困ります! リリー嬢には回復魔法を使ってもらわなければいけないのですから!」
会長が異議を唱えると、国王は苦笑した。
「だったらお前たちがしっかりと監視して、魔女を逃がさなければ良い」
「そ、それはそうですが」
「万が一にも逃げられたら、お前たちも処分する。その覚悟で魔女を連れ出すんだな」
この話はこれで終わりだ、と国王は手を振った。その後は滞っている経済をどうやって回すかの話になっていき、政治的な話には必要のない治療院と聖者協会はその場を辞した。
そうしてすぐにカサブランカ侯爵家と塔に使いを出し、国王から借り受けた近衛と共に、塔にリリーを迎えに行った。
**
「使いの者から聞いていると思うが、回復の聖女、リリー殿に会いに来た」
聖者協会の会長が、お付きの者と近衛を従えて塔に現れると、警備兵と侍女たちは一様に戸惑いを浮かべながら、侍女の一人が進み出てきた。
「リリー様には先ほどの使いの方からの手紙はお渡ししてありますが……」
「あるが、何かね」
「リリー様には外出着がございませんので、その……」
「外出用の服がない!? ま、まあ今まで塔にいたわけだからな。今回は緊急なので、協会の方で用意する。とりあえずリリー殿と話がしたい」
「わ、分かりました」
実に複雑そうな表情で、その侍女は階段を上がっていく。会長がちらりと見ると、他の侍女たちはニヤニヤとしているか、あからさまに呆れた顔をしている。
彼女がここに軟禁されて10年。協会も何もしなかったわけではない。何とか協会預かりに出来ないかとカサブランカ侯爵とも相談しあったし、何度も上告したが、国王とローズクォーツ王子を敵に回してしまったのが不運だった。面会は一切認めない、侯爵家から手紙や物資を検閲を経てなら送ることは出来るが、彼女からの返信は一切禁止だった。協会からなど何も出来なかった。
それが今さら協力を求めるのは都合がよすぎるかもしれないが、これでリリー嬢の力を示すことが出来れば、彼女をここから救い出すことが出来るかもしれない。
「問題はあの副作用なんだがな……」
協会長がボソリと独り言をこぼす。
ここでのリリー嬢の話は公式には一切出てこないのだが、人の口に戸は立てられない。特に侍女たちは口が軽かった。
彼女たちから聞いた話では、リリー嬢は毎日本を読み、花を育てているという。
『ほんと、好きなことして暮らせるなんて良いご身分だわ。自由がなくたって、何の苦労もないのよ? 掃除とか身の回りの事は自分でやってるけど、そんなの庶民なら当たり前でしょ? 喰っちゃ寝して過ごせてるんだから。あーあ、羨ましいったらありゃしない。でも魔女なんでしょ? 呪われちゃたまらないから、あたしたちは一切接触しないのよ』
侍女たちはいつしか侯爵令嬢を妬み、さげすむようになっていた。侯爵家は何とかその状況を改善しようと、侯爵家から侍女を送ろうとしたが、王家に拒まれてしまった。
協会は何とかリリーの魔法を改善させたかったが、人を送り込むのは難しく、時折魔術の本を差し入れるだけだった。
それでもリリー嬢がその本を読み、なにやら魔法を研究している時もある、という話は漏れ聞いた。本人から副反応が収まったという連絡はいまだにないから、研究は上手く行っていないのかもしれない。
ちなみに王子は自分の体型を非常に気にしているが、治療を受けた当時は今ほどデブンとはしていなかった。それにリリー嬢の兄は、確かに今もガッシリした体型ではあるが、彼はすでにそれを受け入れている。辺境伯も剣を振るうのに都合がいいと笑っている。
現在でもリリー嬢の魔法を恨んでいるのは王子と、辺境伯の娘の二人だけだ。
そんな事をつらつらと考えていたら、リンリン、というベルの音が聞こえた。だが返事はない。
少しおいて侍女がまたベルを鳴らす。
「あれは何をしているのだ?」
「お嬢様を呼んでいます」
「名前をお呼びすればいいだろうが」
「会話は極力控えるように言われていますから」
協会長はその返答に衝撃を受けた。いくら何でも名前すら呼ばないとはあり得ない。
「またお嬢様は上の階にいるのかしら……」
「上の階?」
「はい。2階より上は解放されているので、お嬢様は自由に動き回っていますから。上の方にいるとベルの音が届かなくて、なかなか返事がない事がありまして」
「そうか。……私が呼んでもいいかね」
その質問に、侍女頭は露骨に嫌な顔をしたが、自分が呼ぶわけではないからと首を縦に振った。
協会長は階段を上り、2階の門の前に立ち、中に向かって大きな声を出した。
「リリー様。リリー様。聖者協会のカルドンです。お顔を拝見できませんか?」
石造りの塔に反響するような大声に、侍女や護衛も驚いて体をすくめた。
いつも大勢の前で演説をしたり講話をするので、協会長は通る声を得意としていた。多少魔法で拡声もしている。
流石にその声が聞こえたようで、ドアが開くような音がした。
少しだけ待っていると、2階の扉が開いた。そして戸惑ったような顔が現れた。
「リリー様。お久しぶりです。今日はあなたにお願いがあってやってまいりました」
協会長は普通の声で話しかける。リリーはゆっくりと扉から姿を現した。
10年ぶりに会ったリリーは、20歳のはずだがどう見てもまだ少女の姿のままだ。15~6にしか見えない。
日に当たらないからか、白く美しい肌、腰まで伸びたシルバーグレーの髪は後ろで一つに縛っている。化粧っ気もなく、貴族令嬢とは思えない質素さだ。
服も白い質素なワンピースだった。長めのパフスリーブにはリボンが付いているし、胸元やウエストはギャザーがたっぷりと付いているが、侯爵令嬢のドレスでは断じてない。
それでもリリーは美しかった。思わず見惚れるくらいには美しかった。
「リリー様、先に手紙をお渡ししたと思います。……ええ、それです。お読みになりましたか? それなら用件はお判りですね? 今やこの国ははやり病で、治療院の薬も底をつきかけています。もうあなたの回復魔法に頼るしかないのです。さあ、私と一緒に来てください」
だがリリーは何も答えない。不思議に思っていると、リリーがしきりに何かを訴えようと手を動かしていることに気が付いた。
「なんですかな……? もしかして筆記用具が欲しいのですか? 万年筆でもいいですかな?」
柵越しに協会長が自分のペンを差し出すと、リリーはそれを受け取り、先ほどの手紙の裏に何かを書いてから、それを協会長に見せた。
「『浴室にいたのでお返事が遅れました。回復の魔法は、いわゆる副反応がまだ消せていませんが、それでもいいですか』ですか? ええ、もちろんです。国王の許可も取ってありますから、ご安心ください。それよりも一刻も早く患者の元へ行かなくてはいけません。もはや国中、重症者だらけなのです」
協会長の返答にぎごちない笑みを浮かべたリリーは、更に書きつける。
「『こんなこともあろうかと、用意していたものがあります。箱を沢山用意してください』、用意していたもの、ですか? それに箱、とは……?」
「『長年の研究で、回復魔法を花に閉じ込める事に成功しました。これを患者さんに渡せば、流行病は治るはずです』、何と、本当ですか!?」
リリーは頷き、一度部屋に戻り、すぐにその手に花を持って出てきた。
「『この花です』。これは美しいユリだ……。ありがたい事ですが、10本20本あっても足りません。もっとあるですと? おい、木箱をあるだけ持ってきなさい。早く!」
後半は後ろで待機している付き人への命令だ。すぐに彼らは動き出した。
「それにしてもリリー様、何故手紙なのです?」
その疑問に、リリーは少し俯いて、また紙を見せた。
『長年誰とも話していなかったので、声の出し方を忘れてしまいました』
***
10日後には、ラフワー国のはやり病は一気に収束していた。それはすべて、リリーの作り出した花のお陰だった。
塔の3階から5階の部屋と廊下部分には、大量の花が積まれていた。
リリーは研究を重ねて、ユリに回復魔法をかけた上に保存の魔法をかけ、花を切り取っても枯れない花を作り出していた。しかも偶然にも弱ったネズミがこの花に触れたら、急に元気になったのだ。多少デブンとするという副作用は現れたが。また、弱った鉢植えにこの花をつけると、復活することも分かった。
幸いにも侍女たちの嫌がらせもあり、弱ったネズミには事欠かなかったので、実験を重ねて花に回復魔法が閉じ込められていることは確認できた。
いつかこれが役に立つ時が来るかもしれない。
リリーはそう考えて、毎日毎日鉢植えの世話をし、球根を増やした。回復魔法をかけた球根は、何と土がなくとも育ってくれた。最初は最上階の5階の部屋でユリを育て、花を切って保存魔法をかけて、部屋の隅に置いていた。
それが積もりに積もって、3階から上の部屋すべてに花が積みあがっていたのだ。
協会長は人手と箱をかき集めた。花には直接触らない方が良いというリリーの言葉に、箱に入れるのはリリーが一人で行い、それを使用人たちが塔から運び出した。
最初は城下町の重症化していた子供に試した。多少体型が変わろうと、生きてさえいてくれればと親の許可も取った。
治療院の院長と協会長、そしてカサブランカ侯爵の見守る中、リリーの作った花を子供の胸の上に置く。
真っ青な顔で、荒く浅い息をして、震えながら汗をかいていた子供は、花を置いてすぐに呼吸が落ち着いた。額に苦し気によっていた皺が薄れ、穏やかな顔になり、同時に顔色も戻ってきた。
10分も経たないうちに、意識も朦朧としていたはずの子供は、目を開けて、母親を見てにこりと笑ったのだ。
その後治療院による診察も行われたが、1時間後には子供は回復していた。しかも体力も戻っており、すぐに食事も食べられた。
子供の両親は泣いて喜び、すぐに他の子どもと親自身も花を触った。
高熱は出ているが倒れるわけにはいかなかった両親と、重症の子供ほどではないが熱の高かったその子供も、あっという間に快復した。
それを見ていた近所の人々も、次々に花を求めてきたので、承諾書に署名をしてもらい、治療院か協会の立会いのもとで、花を渡していった。
結果、一箱分の家族が、あっという間に全快した。
花は治療に使ってもすぐに萎れることはなかったが、ひと家族が使うくらいで萎れることも判明した。萎れた花はすぐに崩れ、その姿を消した。
効果を確認した協会長は、すぐに追加の花を取りに塔に向かった。治療の成功を聞いたリリーはパチパチと手を叩いて、すぐに用意していた箱を差し出してきた。待っている間にも、ひたすら花を詰め込んでいたのだ。
リリーの花の入った箱は、すぐに国中に運ばれた。そしてその花が届いた瞬間から、全員があっという間に快復していき、何と10日でほとんどの患者が回復していたのだ。副反応で多少体型が変わってしまったが、寝込んでいるよりは良いと好意的に受け止められた。
大臣や領地貴族にも患者がおり、しかし魔女の回復魔法など誰が頼るものかと拒否していた者たちも、目の前で起きる奇跡のような回復に、最終的にはリリーの花を手にしたという。
国からはやり病が消えた時には、白百合の聖女万歳、という声が各地で響き渡った。
もはやリリーは“白百合の魔女”ではなかった。奇跡の聖女として誰もが称えた。そして塔に閉じ込められながらも国民のためにと花を作った行為も市民感情を後押しした。
毎日、白百合の聖女を称える祭りが開かれ、リリーの解放を願う署名があっという間に集まった。
彼女の花で快復した貴族からも、聖女としての名誉回復を願う声が上がった。
その声に王家もとうとう折れて、リリーの解放と、改めて聖女であると宣言したのだった。
「リリー、よくやった。この国を救ったのはお前だよ」
「お父様、ありがとう、ございます。良かった、です」
10年ぶりに塔で娘と逢う事が出来たカサブランカ侯爵は、愛娘をぎゅっと抱き込んだ。
リリーは掠れた小さな声で答えて、嬉しそうに目を閉じた。
協会長と逢い、筆記では会話に時間がかかってしまうと、一生懸命に声を出そうとしていたら、少しだが声が戻ってきた。また、箱を運びに来た協会員たちも普通にリリーに話しかけたので、それにこたえているうちに言葉も思いだしてきた。
本を読んでいたから、言葉を忘れずに済んだ。
花に話しかけていたから、声を出すことも忘れずに済んだ。
まだ完全ではないが、リリーは声と言葉を取り戻したのだ。
塔から出たら王子に殺されると思い込んでいるリリーが塔を出るのを怖がったため、結局まだ塔から出てはいないが、侯爵は無理をさせる必要はないと考えている。
「お父様、実は重要な、お話が、あります」
「どんなことかな?」
「私は、回復の聖女、では、ありません」
「うん?」
「王城図書館の本は、すべて、読みました。その中に、私の魔法と、よく似た症状があらわれるものを、見付けたのです」
リリーはその本の名前をメモに書いた。後で確認してもらうためだ。
「半信半疑、でしたけれど、今回の花を使った、報告書で、確信、いたしました」
「……それは?」
「私の魔法で起きる体型変化は、副作用ではなく、むしろ回復作用の方が、副作用だったのです」
「なんだって!?」
「私の、本当の魔法は」
**
回復した国民たちは、直後は多少膨れる程度の体型変化を確かに受け入れた。だが命は救われてもやはり嘆く者は多くいたのだ。子供も大人も男も女も、腕や足が太くなり、胴体もがっしりとしてしまうのだ。特に女性のふくよかな胸はその柔らかさと大きさが無くなってしまったのだ。それを改善したくとも、思うようには元に戻らない。
ひと月もするとこんな体になるなんてと嘆く女性が多く現れ、国中に不穏な空気が流れ始めた時だった。
「ねえ、お母さん、見て見て!」
王都の市場。すっかりと物流も復活し、賑わいと活気も戻ってきた、人混みの中で、リリーの花に助けられた子供が、満面の笑みで母親の前に立った。
母親も子供と同様にリリーの花に助けられたのだが、今までふくよかな胸と尻、そして薄い腹が自慢だったその体型は、いまやすっかりと変わってしまい、母親は暗い顔をしていた。
「なあに? 何か欲しいものでもあった?」
それでも回復してくれた子供に笑みを浮かべる。子供も細かったが今やむっちりしている。細いよりは健康そうに見えて良いと言えばそうなのだが、ちょっと複雑だ。
「あのね、この腕!」
子供は腕まくりをして、すっかり太くなった両腕を肩と水平の所まで上げ、肘を直角に曲げた。
「見て見て! 力こぶ!」
「あらまあ」
その両腕には、立派な力こぶが浮き上がっていた。
「白ユリの聖女様の魔法で、体が太くなったと思ったんだけど、これ、柔らかいお肉じゃないんだよ」
「え?」
「お母さんもやってみて! 力を入れて、ムン!!」
母親が思わずつられて片腕を曲げると、そこには立派な力こぶが。
それを見ていた周りの子供や大人も真似をし始める。
「ぜい肉じゃなくて、筋肉なのか、これ!」
「おい、腹に力を入れれば、腹筋が6つに割れるぞ!」
「あら、胸が小さくなってしまったと思ったけれど、実は形がよくなっているし、上がっているわ!」
「よく見たらふくらはぎの筋肉も見事な三角に!」
「おお! 尻も二つに割れている!」
「そりゃ最初から割れているんだ!」
**
「お父様、リリーの魔法は、筋肉質になる魔法だったのです」
「な、何だって!!」
「しかも、この筋肉。パワーの塊なのです」
リリーが5階までを何往復しようと疲れないし、魔力が多いのもその筋肉質になる魔法を、無意識に自分にかけているからだった。
リリーは一見スレンダーに見えるが、実は筋肉の塊だった。
そしてあっけにとられている父親の前で、リリーはその腕にぐっと力を込めて、令嬢には似つかわしくない力こぶを見せた。
**
そう、リリーの魔法は、筋肉を増強するものだった。体を作り変える過程で、健康的な肉体になる。それが回復魔法に見えただけだったのだ。
子供だった王子はただデブになっただけではなかった。鍛え上げたボディービルダーのように、全身に筋肉がついて盛り上がっただけだった。だが細マッチョだった王子は、ボディビルという世界も知らなかったし、ムチムチになった肉が筋肉だとは思わなかったし、許せなかった。
普通の筋肉は、鍛えなければすぐに落ちていくのだが、リリーの魔法はその効き目が長持ちした。だからすぐに元に戻るようなことはなかったのだが、うまくコントロールして行けば、細マッチョにもボディビルダーにもなれたのだ。
しかし見た目にショックを受けてしまった王子は、思うように落ちない筋肉にキレて、暴飲暴食をしてしまい、今はただの脂肪の塊となってしまったのだ。
リリーの兄や辺境伯は、回復後のマッチョ体型を気に入って、今はそれを維持している。辺境伯令嬢は、王子と同じように筋肉を受け入れられずに、王子と同じ道をたどってしまったのだ。
庶民たちは日々の活動で鍛えられているし、男たちはマッチョ体型に憧れる者が多かった。子供に言われて気が付いた筋肉への喜びが爆発する。
凄い凄いと言いながら、あちこちで筋肉を見せつけるポーズを取る人であふれかえった。
「ね、お母さん、ぼく、細マッチョでしょ!」
「そうね、ちょい細マッチョくらいね!」
「お母さんも細マッチョだね!」
女性はぜい肉が筋肉に代わっていた。おかげで胸が小さくなってしまった人が続出したが、それよりも腹の脂肪が筋肉へと変わり、背中のぜい肉もなくなっている。
多くの人が体型が変わったことを嘆くだけで、よく見ていなかったが、意識してみれば健康的に引き締まった体になっているではないか。
「聖女様、凄いわ……」
「ね、凄いよね、お母さん」
「ええ!」
「ほら見て、パワーあふれるこの力こぶ!」
「白百合の聖女様は、パワーの聖女さまだよ!!」
その瞬間、市場には思い思いのポーズを決めた全員の声がこだました。
「「「「パワーー!!!」」」」
最後までお読みいただきありがとうございました。面白かったとおもっていただけましたら、イイネボタンを押して下さパワーーーー!