【まとめ】ファンタジーの雰囲気を大切にする
いままで書いてきたことのまとめのようなもの。
ファンタジーのイメージを大切に。
ゲームで覚えたようなイメージは下手をすると、ファンタジー世界の雰囲気をぶち壊します。
それと同じで漫画的な誇張された表現も危険。
作者はあくまでファンタジー世界を物語るのであって、作者と主人公はファンタジー世界の創造主でもなければ、ファンタジー世界の中心でもありません。作者になろうと考えている人はそれを肝に銘じてください。
再三再四いってきましたが、作者が「主人公のために」用意したような世界を作れば、それは賢明な読者に一発で見抜かれ、稚拙な内容だと判断されるでしょう。
現実感を失わさず、主人公が魅力的に書かれ、登場人物たちが生きる世界が描かれる。……それこそがファンタジー小説の魅力と言っていいでしょう。
現実感と言っても、何もかも現実と類似した世界である必要はありませんが、先ほども言ったような「作者の手が見える」ような内容になってはいけません。
誰か一人のためにあるような世界観(設定)は異常でしょう(現実でそんな不条理なことがあったらどう思いますか?)。
なろう小説を冷たい目で見る人は、チート能力を持った主人公様がご活躍される作品を読んで、その|主人公になった気持ちで《主人公に自己投影して》読めないタイプの人だからではないでしょうか(自分もまったくなれません)。
神様から力を与えられてイキる主人公も、あるいは逆に「こんなのなんてことないですよ?」みたいな態度を取る主人公に、軽蔑に近い感情を抱く読者もいるということです。
(こうした主人公の中には明らかに「自分はこの物語の主人公だから死なないし、失敗しない」、と認識していなければできないような言動を取る主人公もいる。──それは要するに主人公が世界の中心にあり、神にも近しい存在であるように見えてしまうのです)
そうした誇張された(現実離れした性格の)主人公や世界観のお話は戯画的で、現実的ではありません。
そうした作品を「ハイファンタジー小説」として読まされるというのは──わたしからすると、せっかくルーブル美術館に来たのに、日本のマンガを扱った展示会が開かれていて、有名どころの歴史的な絵画はバックヤードにしまわれていた。──みたいな気持ちになります。
「日本のマンガなら日本で見られたよ……」
そうなるのです。
要するに期待はずれです。
どんなにおもしろく書かれているとしても、リアリティのある個性的な作品を読みたい読者にとっては、多くの誇張された主人公によるマンガ的な(似たり寄ったりな)内容の作品に失望するでしょう。
* * * * *
注意事項をもう一つ。
神話を題材にした作品があるとします。──北欧神話としましょう。
それならそこにグングニルの槍やグラムといった剣が登場するのはわかります。しかし、安易にそういった名前を登場させながら、なぜかアンラ・マンユ(ゾロアスター教の邪悪な神──アフリマンやアーリマンとも)やサタン(キリスト教の悪魔の王)などの存在を登場させると、乱雑な世界観に「ああ、これゲームからとったアイデアだな」と読者に受け取られかねません。
(さらにそこにエクスカリバーなどが登場したら……)
こうした様々な神話上の名前を作品に使用するにも、読者が納得できるよう、その世界観にリアリティを感じられるように考え抜いて作られるべきです。
決して安易に「言葉の響きが好きだから」みたいな理由だけで使わないでほしい。
具体性のないイメージの利用だけの目的で、現実世界にある神話上の言葉が登場する物語は、ややもすると世界観が崩壊します。
幻想的な世界の物語のイメージとは、現実感を持ちつつ、非現実的な空想の物語であるべきなのです。
それはこの現実の世界と同様に、絶妙なバランスの中で成り立つような、ときに綱渡りのように危険で、善意から他人を傷つけるようなことも起こりえる、アンバランスな世界でもあるべきです。
リアリティのあるファンタジー小説は、主人公が努力したら必ず報われる──みたいな、少年マンガとは違うのです。
ときに主人公の努力は無に帰し、より深い絶望の淵に立たされるようなことも起こりえるでしょう。
幻想的な印象を作り出すには明確なイメージを作者が持ち、それを文字に書き起こす(文章化)作業ができなければなりません。
そのためにも多様な作品を読み、自身の中に想像力の源泉となるイメージを作りましょう。
筆力も大切ですが、ファンタジー作品──とくに、本格派のファンタジー小説とはどのようなものかを感じていないと、それを想像するのも難しいでしょう。
まるで夢の中にいるような世界観の作風でもいいでしょう(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』などのように)。
中には地球が滅びたあとの世界が、ファンタジー的な世界へと変貌した作品もあります。
空想の方向性は違いますが、それぞれファンタジー世界として成立しているからこそ、魅力的な世界として受け入れられる力があるのです。
* * * * *
最後に一つ。
ドラゴンでも魔王(悪魔など)でも、それが簡単に主人公に協力するような展開はお粗末です。
仮にそういった展開があるなら、主人公をそれなりの強力な魔術師や、人類に敵対的な勢力に属する立場の人間(「悪役」)として書くべきでしょう。
悪魔が人に協力するからには代償を求めるのが定石で、ドラゴンなどの強力な力を持ったものがほいほい主人公にすり寄る展開などは、ご都合主義丸出しのマンガを見ている気分です。それは本格派ファンタジーではありません。
リアリティを失わさずにドラゴンや悪魔を味方につけるには、物語としてそれなりの「重み」が必要になるのです。
力は欲しないと手に入らないものであり、力には多くの場合、代償がつきものです。そうした厳しい世界観を持った、ハードなイメージを持つファンタジー小説。そうした作品が増えることを願いつつ、このエッセイを終えたいと思います。
誰かのためになればと書きはじめたエッセイですが、思いのほか愚痴っぽい部分もあったでしょうか。
正直、最近ちまたにあふれている「なんちゃってファンタジー」にはうんざりしています。
もちろんそうしたライトなファンタジー作品の中にもおもしろく読めるものはあります。しかし、そうした(おもしろい、楽しい)作品だけがファンタジーだと思われるのは心外を通り越して(本格派ファンタジーに対する)冒涜です。
本当の、本物のファンタジーとは何か?
それはもちろんそれぞれの書き手と、読み手の中にあるのかもしれません。
しかし神話時代からつづく神的なイメージというものが科学の発展で揺らぐ中でも、あいまいな形であれ消えはしないのと同様に、幻想的な空想の世界もまた、共通するなんらかの意味を持ち、決して人の心からなくなったりはしないでしょう。
ブックマークや評価もうれしいですが。感想やご意見をいただけるとありがたいですね。
ファンタジーに関する「自分はこう思う」というご意見もありがたく拝聴しますよ~
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。