前編
「勇者アレンよ。足労、大儀である」
謁見の間にてその言葉を聞きながら、俺は国王の御前で膝を付く。
頭を上げない俺に壮年の国王が続ける。
「良い、そなたと私の仲ではないか。面を上げよ。楽にせい」
促されて俺は従う。
国王が続ける。
「だがな、聞いたぞ。そなたはこの後、生まれの里に帰るそうだな」
「はい」
俺の返事を聞くと国王は唇を尖らせた。
「何故だ。魔王討伐という偉業をなしてくれたそなたには、それなりの地位を与えるつもりであった。王宮の警護責任者なり、戦闘指南役なり用意するが」
それとも、故郷に好いた女子でもおるのか、と国王は軽い口調で言った。
国王の言葉に俺は首を横に振った。
「いえ、その……。実は」
「何だ」
「魔王を倒した直後から、俺から勇者の力が失われたようでして」
言い終わりに場を包む静寂。
俺の言葉を正しく理解するのに時間が掛かったのか、少し間があってから国王がみるみるうちに顔色を失う。
俺は続ける。
「ですから、そのような要職は勤まりそうにありません」
謁見の間には国王以外にも側近達がいる。その誰もが小さくどよめく。
俺はこの後、ですから田舎にでも帰ってのんびり暮らそうかと、と続けたかったのだが、ざわついた場では飲み込むしかなかった。
「何だと。もう一度、いや」
そういうと国王は表情を歪ませて黙り込んだ。
空気が重くなった謁見の間にけたたましい足音と共に何者かが、乗り込んできた。
「父上、アレン殿との話は付きましたか」
突如、割って入ってきたのは第三王女であるネフティ王女だ。
ネフティ王女は身分に似合わぬ武骨な鎧を着こみ、腰に長剣を差している。
この格好は飾りではない。彼女の武力は折り紙付きだ。俺も何度か戦場で共に戦った事がある。第三王女は全身に受けた傷から血戦女神とも呼ばれており、直属の一個大隊を率いて魔族との領地防衛戦に何度も参加している。
国王がネフティ王女を睨む。
「下がれ、余がまだ勇者アレンと話しておる最中だろうが。出ていけ、無礼者」
父である国王の罵声に王女の顔が凍り付く。
いつも柔和な国王の激昂。
豹変と言っても過言ではない。
謁見の場は息の音さえ聞こえぬ極度の緊張が走る。
ただならぬ雰囲気に呑まれ、王女は謝罪の言葉を口にすると謁見の間から出て行った。
慌てて下がる娘の様子を見ながら国王は険しい顔を隠そうともせずに、横で控える男に言う。
「宰相。余は気分が優れぬ。あとはお前に任せる」
そういうと国王は手で額を掻きむしり、腰を掛けていた玉座から立ち上がった。
そのまま謁見の場を見渡すと、十人ほど居る側近に向かって鋭い声で言い放つ。
「この場で見聞きした事を話した者には死を与える。分かっているな」
――どういうことなんだ。
俺は膝を付いたまま、玉座の前から動けない。
死を与える? 何故。
知っている限り、そんな強い言葉を国王の口から聞いたことが無い。何より自分の発言により、死者が出るかも知れない事態が引き起ったのだ。
硬直を続ける俺に人影が差す。
影の主が言う。
「立ちましょうアレン、場所を変えます」
宰相、ヴィード。
魔王討伐の旅を共にした仲間でもある。
■ ■ ■
俺達は王宮を出て街中を歩く。
ヴィードは攻撃から補助まで幅広い魔法が使える稀有な魔法使いだ。齢は自分とほぼ同じ。若くして既に国王の側近であったにも関わらず、魔王討伐の旅に参加した。
「馬鹿共だけでは魔王は倒せませんからね。私がついていってあげましょう」
これがパーティー加入時のヴィードの第一声だった。
先導する形のヴィードは城下町の裏通りにある一軒の小さな酒場のドアを開ける。
店を訪れた俺たちに中から凛とした女性の声がかかる。
「すまないね。ウチは夜しかやってないんだよ、ってか。アンタ等か」
声の主はサフェナ。共に魔王討伐を成し遂げた仲間の一人だ。
「開店までには終わらせるので店を借りたい、いいかな?」
ヴィードはそういうとカウンターに腰を下ろした。
サフェナは、ツマミは何も出せないよ。と言って頷く。
俺たち二人は出された麦酒に口を付ける。
一息入れると、ヴィードは国王に口止めされたことなど気にも留めてない様子でサフェナに謁見の間での出来事を説明し始めた。
グラスを拭きながら説明を聞くサフェナは顔を顰める。
「なんでアタシがその話を聞かなきゃならないのさ」
「私に二人きりで話をするな、と言ったのは君だ」
決まりきった掛け合いのように喋る二人。
――変わってないな。
目の前のやりとりに俺は懐かしさを覚えた。
旅の時から二人はこうだった。
パーティー加入時から不遜な態度を取り続けるヴィードの鼻っ柱を叩き折ったのが彼女だ。
サフェナの役割はいわゆる斥候。
敵の偵察から野営まで、戦闘以外の全ての事を彼女に頼っていた気がする。もちろん、戦闘でも弓による遠距離攻撃でのサポートや、いざとなっての短剣さばきにはずいぶんと助けられた。
闇社会に身を置いていた彼女は、交渉や嘘の看破が得意だった。
人間の中にも欲に負け、魔王側へ付いた者もいる。
その者たちの悪意を見破ったのが彼女だ。
王宮で文献などを読み耽り、圧倒的知識量を誇るヴィードも騙し騙されるという経験が少なかったのか、交渉事ではサフェナに敵わなかった。
「アンタ、頭は良いんだけど、人の感情の機微を全く読めてないね」
一度、こっぴどく敵に騙されたヴィードに向けてサフェナが放った言葉だ。
そこからヴィードは白旗を上げ、徐々にパーティーメンバーと馴染むようになった。
魔王討伐が終わり、パーティーが解散する際にサフェナはヴィードに助言をした。
「アンタは根が悪いわけじゃないんだけど、誤解されやすい。誰かと一対一で話をするのは止めときな」
若くして宰相という地位を手に入れ、王国一の賢者と謳われるまでになってもヴィードは今もその言葉を忠実に守っている。
一通り説明を終えるとヴィードは俺の方へ向き直った。
「アレン、何故、あんなところで秘密を打ち明けたんですか」
あんなところは謁見の間、秘密というのは勇者の力が失われた事だろう。
俺は答える。
「不味かったかな。でも黙っているわけにはいかないし」
国王様は役職を用意してくれていた。不義理を働くわけにもいかない。
ヴィードは細かく首を横に振る。
「国王は謁見の間から退出なされる時に、当てが外れた、と漏らしたんですよ」
「当てというのは?」
俺の問いにヴィードは深い溜め息を吐く。
「君は政治というものを分かっていない」
ヴィードは説明を始める。
「そもそも英雄や勇者というのは所属する国にとって重要な因子なのです」
曰く、
英雄、勇者というのは国力を測るバロメーターになるそうだ。
主に軍事力。
「貴方にも理解出来るでしょう。武勇に優れた将が一人、戦場に出ただけで味方の士気が上がり、相手の士気が下がるという事を」
理解は出来る。戦において誰が軍を率いるかというのは重要だ。
だが、
「それって俺にも当てはまる事なのか? 俺は軍人ではないぞ」
「魔王討伐という王国軍でも果たせなかった偉業を成し遂げていて、何を言うのですか」
ヴィードは真剣な表情のまま、話を続ける。
「今までは国家間での争いはありませんでした。人類の脅威であった魔王、魔族の前に皆が一枚岩でしたからね。しかし、魔王亡き後はそうはいっていられません」
ヴィードはそこまで言うと憂いを秘めた目で最後に付け加える。
「人間というのは愚かなのですよ。悲しいことにね」
しんみりとヴィードは締めくくった。
店内を沈黙が包む。
シビアな現実を説かれ、しばらく俺は口を聞けなかった。
間を置いて俺は言う。
「すまない。大勢の居る前で喋ったのは迂闊だった」
「ええ、誰がどのような形で外へ漏らすか分かりませんから」
俺とヴィードは共に麦酒をあおった。
グラスを下したヴィードが、カウンター内でグラスを吹き続けるサフェナに顔を向ける。
意見を求められていることを察したのか、黙って聞いていたサフェナが面倒くさそうに口を開いた。
「まあ、矛盾は無いね」
手放しで賛同する答えでは無いのが気に入らなかったのだろう。ヴィードは口をへの字に曲げた。
サフェナが肩を竦める。
それから再び、俺たち三人は沈黙した。
サフェナが拭き終わったグラスを置いた音が店の中に響く。
「俺はこれから、どうなるんだろうな」
グラスを見つめて、誰へ向けて放ったでもない俺の問いに、ヴィードが答える。
「そうですね。……アレンが勇者の力を失った事を伏せ続けるか、あるいは」
「あるいは?」
「勇者の功績を他人に移すか、ですね」
そう言うとヴィードは後者の可能性が高い、と付け加える。
「前者の場合、アレンは衣食住を保証された上で、人目の付かない何処かで幽閉同然の生活を強いられるでしょう。ですが、ほぼそれは不可能なのですよ。秘密が複数人に知れ渡ったこともありますが、人前に全く出なくなった勇者など違和感でしかない。何にせよ事実を隠し続けるのは困難です」
「功績を移すというのはどういうことなんだ」
俺が問うとヴィードは考え込むように宙を睨む。
「恐らく……。アレンと誰かを公衆の面前で戦わせる、という方法を取るかと。つまり、今の我が国には勇者アレンより強い存在が居るぞ、と他国に喧伝するわけです」
「なるほど」
「第三王女のネフティ様あたりが候補に挙がるのではないでしょうか」
ヴィードの言葉に俺は頷いた。
――ネフティ王女か。
名を聞いて彼女と共に戦った記憶を少しの間だけ呼び覚ます。
「いいんじゃないか」
俺の返しにヴィードが顔をしかめる。
俺は続ける。
「魔族との戦いだって俺一人でやったわけじゃない。それこそ王国軍だってかなりの犠牲を伴って一緒に戦った」
王国軍が世間に広く認められるのは十分に納得できる。
俺の意見にヴィードが押し黙る。
サフェナが拭き終えた二つ目のグラスを置いた。
「それで? アンタは何に怒ってるんだい」
サフェナはヴィードに問う。
「アンタは宰相だ。アレンだって納得しているんだから、今の案を王様に言えば全て丸く収まるだろ。何が気に入らないのさ」
ヴィードはサフェナの言葉を否定するでもなく、両目を固く瞑ったまま動かない。
「サフェナ。強めのお酒を下さい」
ヴィードは目を開けるとそう言った
珍しい。
ヴィードは普段、酒を飲まない。今飲んでいる麦酒もアルコール度数がとても低い、水替わりの酒だ。
ウイードの注文に、何も言わずサフェナは後ろの棚から強いアルコールの匂いがする酒をグラスに注いだ。
出された酒を手に取ると、ヴィードは一気に喉へと流し込む。
――おいおい、大丈夫か?
俺は心配するがサフェナはどこ吹く風の表情だ。どれほど強い酒なのかは分からないが、辺りを漂う匂いは相当なものだ。
飲み干したヴィードが咳込む。
そのまま強いアルコール臭が混じる息を吐きながら言う。
「酔っているから、言いますけどね」
そう前置きする。
「あの旅は……。魔王討伐の旅は……。もちろん、殺し殺されの日常で、もう二度と経験したくはないですが、それでも私にとってはかけがえの無い、素晴らしいものだったのです」
普段のヴィードからすると思いもかけない情熱的な言葉が飛び出て、俺とサフェナは顔を合わせる。
ヴィードは続ける。
「あの旅で私は打ちのめされました。私がいかに知識だけを頭に詰め込んだだけの矮小な存在であったかを」
自己評価の低い意見を俺は否定しようとしたが、目でサフェナに止められた。
言わせてやれという事か。
「アレン、サフェナ、ボトール、キルベスティ。私以外の皆は代えがきかない人材でした。対して私は記憶力が良いだけの世間知らず。書物に書かれていることを覚えられる人間なら誰でもやれる」
急速に酔いが回っているのか、ヴィードの顔は真っ赤だ。
「道中、何度も何度も心が折れたのですよ。ですが、皆に助けられてなんとか旅の務めを果たせたのです。特にアレン。君は私を見捨てずに、いや、私だけじゃない。本当によく頑張って皆を導いてくれた」
――そんなことは無い。俺が皆に助けられたのだ。
そう割り込みたかったが、サフェナが目で制してくる。
「もっと誇っていいんですよ。私以外の四人は。特に勇者アレン。貴方はどんな苦しいときでも泰然自若に物事を受け止め、仲間を励ましてくれた。まさに勇者たりえる振る舞いだった」
もうヴィードは呂律も怪しい。
それでも、続ける。
「だから……。余計に腹が立つんです。私たち以外の誰かが、魔王討伐の功績を利用しようとするのを。あの旅は仲間たちとの……。私の……。かけがえのない……」
徐々にヴィードの声は小さくなり、途切れる。
最後には派手な音を立ててカウンターに頭を突っ伏していた。
寝てしまったヴィードを見てサフェナが肩を竦めた。
「アタシの見る目もまだまだだね」
言いたいことは分かる。
俺も意外だった。
「ヴィードがこんなにも俺たちのことを思っていてくれたなんて知らなかったな」
このままにして店に迷惑をかける訳にもいかない。俺はヴィードを連れ出すために、肩へと手を掛ける。
しかし、後は引き受けるから置いていけ、とサフェナは言った。
好意に甘えることにして、俺は店を出ることにする。
扉に手をかけて俺はふと思い立ち、振り返った。
「これまでピンと来なかったけど」
未だカウンター内でグラスを拭くサフェナに向けて俺は言った。
「なんか今、世界を救って良かったな。って実感したよ」
俺が言うと、サフェナは笑った。
「ハハッ、今更だよ。勇者サマ」
その後、俺はヴィードを任せて店を出た。