09.三女ストラーバ(上)
2回目から数日の間を空けて3回目の勉強会が始まった。今のところ私の興味を引く男性はいない。お姉さま方は早々にお相手を見つけたと聞いている。特に上のティレニアお姉さまは、大本命であるブラストア侯爵と毎日のようにお手紙のやりとりをしているということだから、後継者選びはもう終わったようなものだろう。
だから私は私の望みをかなえてくれる者を選ぼうと思う。私の望み、それは権力でも金でもない。私の望みは私の好奇心を満たすことだ。
だから私は気楽な気分で殿方たちと会話をしていた。貴族や聖職者と話しをするのはもう飽きた。文官、武官、伯爵公子に司教。様々な方々とお話をしたが、私が得たものは少なかった。彼らとはいつでも話すことができるし、私の知りたいことを教えてくれない。せっかくだからもっといろいろな話を聞きたいと思うのは身勝手だろうか?
だが、いわゆる平民たちは私のテーブルにはほとんど来ない。商人から市場や物品の話が聞きたいと思っても、結局は自分を御用商人として売り込もうとする者ばかりだ。宮廷画家でない絵師や、匠の技を持つ職人たちの話も聞きたいが、彼らも私のところにはただ一度顔を出して、そのうちの何人かからは、なにかしらの献上品をもらった後はすぐに退去する。その後はお互いに情報交換をするか、他の貴人に売り込もうとする者たちばかりだ。
だから3回目になると、貴族たちはそれほどでもないが、平民の参加者の数はかなり減った。彼らは社交だけしていては食べて行けない。彼らにとってもうこの場は顔つなぎの場。既に用がないのだろう。だから私も私の夫の座を狙う貴族たちに囲まれて、同じような話を聞き続けることになった。
だがその日、3回目の勉強会の中頃に、遅れて部屋にやって来た男が私がいる円卓にやってきた。見た目からして平民だ。それもおそらくは商人。ちょっと面白い話が聞けるかもしれない。
「今頃来たのは何者だ?」
私が何か言う前に、とある高位の軍人貴族が聞いてくれた。私はその軍人への評価を少しだけ上げた。
「私めは北雪商会と申します。遥か遠き大陸の北の果て、ブラストアの地から、こうして美しきストラーバ王女殿下の下に馳せ参じた次第でございます」
北雪商会、この男も他の商人や職人と同じように屋号で名乗った。屋号を名乗るからにはその商会や工房の主人だということがわかる。この一連の勉強会が始まるまで、私はそんなことも知らなかった。
「私どもは何でも売りますしなんでも買います。王女殿下はじめ貴族閣下も、聖職者猊下も是非当商会へお申し付け頂ければ幸いでございます」
北雪商会は数ヶ月前、王都の繁華街にあった傾いた老舗を何軒か買い取ると、それらの敷地をまたいだ新しい店を作った。
そこを訪れた侍女の話によると、店舗の1軒は料理店になっており、2階では書籍を扱っている。別の建物では、1階は宝飾品や美術品、2階は高級な衣服を扱っている。また別の建物ではもっと平民向けの実用的な品が売られているのだという。いずれも大陸北方の名産品がある程度を占めるが、それ以外のものも扱う。そしてある店舗は商会の者しか入ることを許されない倉庫や荷馬車が並んでいるのだとか。
「申し訳ないですが、先ほどのとおりブラストアは遥か最果ての地。私めも戦役後に上洛するのは初めてでございます。いささか田舎者ならではの不調法もしでかすと思いますが、皆さま平にご容赦を願います」
私の家庭教師だったある元役人によると、実は北雪商会が一番取り扱っているのは鉄だという。おそらくは王都に侍女たちが知らない店舗があるのだろう。
『旧ブラストア王国が最後まで戦ったのも、あの地で質の良い鉄が取れるからでございます』
大規模な戦争が終わったことで多くの変化があった。例えば武器や鎧の職人は困っているという。北雪商会は王都に多くの鉄を持ち込むのと同時に、露頭に迷っていた職人たちを雇入れた。そして、豪奢な、だが戦いには向かない美術品としての武具を作って軍人貴族に売り込んだり、質のよい農具を量産して領地を持つ貴族に売り込んでいるのだという。
円卓に座る聖職者のひとりがそれを指摘する。
「いえいえ、私も此度の上洛はもう何年ぶりになるのかもわかりません。さぞ王都も変わったと思っているのですが、これがなかなか。王都観光をしている間もございません。貧乏暇なし、とはよく言ったものでございます」
北雪商会はブラストア遠征の真っ最中から、これら戦勝後に向けた手を打ってきていた。そして征服が終わり、交易が再開するとこれらの店が華々しく開店し、連日人で溢れているのだという。先日の勉強会の時に、とある子爵から献上された貢ぎ物も、北雪商会に依頼したオーダーメイドの美術品だった。
それらすべてを、遥か北の国に居ながら部下を使ってやり遂げた男が私の目の前にいて、周囲に調子の良いことを話している。彼がブラストア戦役のために、莫大な借金を王国中からかき集めたことを私は知っている。だがすべてを戦役に使ったのではなく、その一部を戦後のための準備として己の商会のために費やした。そしてその莫大な借金の粗方を既に返済したことも私は知っている。
「ああ、それでしたら私どもが取り扱っておりますよ。明日には店の者にお屋敷に運ばせるように手はずを整えておきましょう。奥様の白い肌にはさぞお似合いではないかと思います」
どうやら商人は話し相手の貴族が誰かはもちろん、その妻のことまで知っているようだ。
この円卓は瞬く間に彼の独壇場になっていた。だが、私が聞きたいのはそのようなセールストークではない。私は自ら足を踏み入れることにした。