姉の匂いのするドール
人形技師は、この技術が軍事目的に使われる事を、一番恐れていた。
だからアンドリィ・ドールに人並み以上の力をつける事をしなかったし、過度の開発をためらっていた。
だが時代は恐れていた方に流れつつあった。
人形技師はせめてもの、抵抗と希望を込めて、ある機能を隠していた。
「だけど、それでいったいどうなるのさ?」
「さぁ? それを考えるのが君なんじゃない。いち電子頭脳のボクに聞かれても困るよ」
「なんて適当なんだよ、お前なんの為にいるのさ」
「君を助ける為だろう? さっきまで泣いてた奴が何いってる」
別に泣いてないよ。僕はドール相手に意地になって言った。
「ねぇ君、知ってる? 『ホーム』ってさ。考え得る限り、とにかく安全に作られてるんだ。この国のどこよりも安全、どこよりも厳重」
「そのくらい知ってる」
「じゃあクイズだ。現在、その身を狙われて、暗殺の危機にさらされているこの国の首相、及び大臣達って、どこにいると思う?」
どこに? どこにって、そりゃあ……
「国会議事堂に居るわけ無いよね。つまり?」
つまり……
「『ホーム』? ココにいるの? 首相が?」
「すくなくとも、最も安全ではあるよね。どうせ生身だろうし」
すでに、政府に殺された人は、数千人を超えていた。誰もが内心この法律に反対している。
「首相さえ殺せば、この国は元に戻るだろうか」
人形は、さぁねと言いたげに肩をすくめた。
この国……戦争をしている国、人形の溢れた国、恐怖で支配された国。それは、本当に正しい事か。この制度はあくまで、戦争に勝つ為の物だと政府は言っている、もし、この制度が無くなったら、戦争に負けるかもしれなくて。
何が、正しい? それは、僕の考えの範囲を超えている。
「何、ごちゃごちゃ考えてんのさ」
ドールは言った。
「君が考えて分かる訳無いだろう? 良いか悪いかで行動しなくて良いんだよ。君には守りたい物があるだろう? そのためだけに、全力を尽くせば良いよ。君が守りたいのは何? 君が守りたいのは誰?」
僕が守りたいのは……。
ピンクの部屋が思い出された。そこの一番奥で、座っている彼女。
僕に笑いかけてくれた、あの彼女。
寂しいと言って、泣いた彼女。
彼女は今、人形を取られて泣いているだろうか。
無機質な『ホーム』に手放さなきゃならなくて、悲しんでいるだろうか。
「その為だったら、どんな事もできるだろう?」
どんな事でも、でも、そんな事したら――
「姉さんはどうなるんだよ」
「まぁ、間違いなく殺されるよね。結構、残忍な方法で」
人形はあっさり言った。それはまるで当然だと言うように。
「だったら……」
僕が躊躇すると、ドールは、君はバカかい? と言い捨てる。
「それこそ政府の思惑通りだろう。姉くらい見殺しにしろ、そんな物の為に、迷ってどうすんの」
「そんな物ってなんだよ!」
僕は人形を掴んで叫んだ。
「姉さんだぞ。僕の、たった一人の家族だ。唯一の身内なんだよ」
「わかってるよ。だからさ、だから政府も、人質にしてるんだろう? この人質制度は人を愛する事を逆手に取って施行されている。逆に言えば、殺されても構わない。と思えば、十分逆らえるんだよ」
「お前、言ってる事、わかってるの。姉さん殺せって、そう――」
「あぁ、そう言ってるよ。寧ろ、死んだと思えよ」
「何、バカな事言ってんだよ!」
「バカはお前だ。あの姉はきっと喜んで死ぬよ」
「お前に何が分かる!」
「分かるんだよ! 忘れたのかよ。ボクを作ったの、誰だよっ! ボクを君に預けたの、誰だよっ!」
僕は言葉に詰まった。
ドールは言いにくそうに頭を掻いて、ゆっくりと口を開いた。
「ボクの思考回路は、ミスミ・メチカを基準に作られている。思い出してよ、彼女は、君を残して、自分で人質になった」
わかるだろう? と人形は言う。その口調は、何故か姉さんの物に似ている。
「『生きてる事が、必ずしも幸せとは、限らない』つまり――」
――死ぬ事が幸せである場合も、あるって事だよ。
両肩から力が抜けた。視界が濁って、頭が機能を停止した。姉は、姉は、全部想定して。死ぬのを覚悟して、すべて分かった上で、そしてコイツを作って、喜んで死ぬよ、と、そう言っている。
「生身の人間が出来て、『ドール』が出来ない事って知ってる?」
その声は、姉の声とだぶって聞こえてきた。
「それは、『自分で死ぬ』事なんだよ。自ら進んで、命を絶つと言う事」
他人に命を掴まれたまま、生きて楽しい事なんて無いよ。自分で生きられないのも自分で死ねないのも、悲しすぎる。
「『生きてる事が、必ずしも幸せとは、限らない』壊すんだ。この制度、この社会」
私のすべてをあなたに託した。私はその為に、喜んで死ぬ。
それが私の、幸せ。
僕は、ドールに抱きついていた。
それはずっとバッグに入っていたからか、姉と同じ匂いがした。
必死に抱きしめて、顔を押しつけて、そして泣いた。
姉の名前を呼びながら、ずっと泣いていた。
姉の事を思った、姉の顔を思い出した、姉の声を聞いた。
僕は姉さんが、大好きだった。
姉がポンポンと頭を叩く。泣き疲れた僕は、ぐちゃぐちゃの顔を上げる。
「……決心、ついた?」
ドールが、そう言っていた。僕はよだれの垂れる口をギュと結んで、しっかりと頷いた。