希望のドール
休憩室へ入ると、ロッカーを開けて、そこに顔を突っこむ。
小さなロッカーはすぐに頭がつかえて、鈍い音を立てた。
「姉さん……僕、どうしたら良いんだよ」
ロッカーの中で、一人呟く。
誰が答えをくれるわけでも無いが、ひたすら呟く。
戦争を拒否した軍人、その娘が、炉に投げ込まれるのを見た。
軍事作戦を失敗した兵士の家族は、容赦なく叩き壊された。
首相暗殺を企んだ人間が居て、その人の家族親類に渡って、プレッサーで壊される様が中継された。
「姉さん、姉さん、姉さん」
この国は、狂い始めていた。この異常な事態を、首相は『戦争しているのだから当然だ』と言った。
今までがおかしかったのだと。爆弾が落ちてきているのに、平気で日常を送る、今までが狂っていたのだと。
『ドール』が政府に管理されてる限り、誰も何も出来なかった。
国民のほとんどは『ドール』を持っていて、『ホーム』に預けていなかった『ドール』も、着々と集められていた。
『ホーム』襲撃の作戦が立てられた――らしいが、実行はされなかった。
『ホーム』では『アンドリィ・ドール』は動かせないのだ。『ホーム』には『ドール』からの情報を拡散する、電波中継塔が無い。
地下十五階で、地上電波も届かず、アンドリィ・ドールを操る事が出来ない。
それは元々『ドール』同士の、電波の混線を避ける為と聞かされていた。
「姉さん……」
僕の体はズルズルと落ちて、置いていたバッグに顔が埋もれた。
姉さんの匂いがした。このバッグは、姉が残した荷物だった。
「いったい、どうしたら良いんだよ」
姉に会いたかった。
新法施行以来、国民の不満は行き場を失って、生身の人間に向けられた。『ホーム』の職員は軍人と同視され、外を歩くと殺されかけた。
だが生身の職員もまた、人質を取られているのだ。僕が何か変な動きをしたら、きっと姉は殺される。政府はそこまで考えて、この管理体制を敷いた。
「姉さん……」
この国はどうしてしまったのか。
いや、元々おかしかったのだ。
人形が闊歩する日常。爆弾が落ちてくる日常。徴兵制を旅行か何かと勘違いして、ちょっと海外言ってくるわ。と笑う人が居た日常。
それは元々おかしかったのだ。
バッグは姉の香りがした。
暖かで、温もりがある。アンドリィ・ドールには無い香りだった。
そしてそれは、ピンクのあの部屋でも嗅いだ気がした。
「もう僕も死のうかな……」
毎日、あの視線を見るのが辛かった。
絶望に染まった、死を前にした視線。『ドール』を持つ人は、長い事『死』から離れていたから、一層怖くてたまらないだろう。
姉が言った言葉が思い出された。
「生きてる事が、必ずしも幸せとは、限らない……」
呟きは小さく、吸収された。
スイッチが入る音がした。それは、すぐ近くで微かに聞こえた。
「……機動……ました」
僕は顔を上げた、音はバッグの中からした。
「何、」
バッグを開けると、動いているのは、『ドール』だった。
ドールが目を開ける。
「うわっ」
僕は驚いて飛び退く。
ドールはクィと首を上げて、あーあ、と言った。
「やっぱりこうなるか。やっぱりこうなるよね」
そう喋って、なんとバッグから出てきたのだ。その小さな手足を器用に動かして床に降り、バランスを崩して倒れた。
「うわぁ、機動性悪っ」
そう言って、頭でっかちの体で起きあがった。
人形が、僕の前で一人で立っていた。
彼女が買ってくれた、姉が持って行ったあの人形だ。
僕は夢を見ているかと思った。
「やぁ、どうも。起こしてくれて光栄だよ。中々思い悩んでいるみたいだね」
「お前、お前……いったい」
「簡単に言うとロボットだよ。君のお姉さんが、君の『ドール』を改造して、電子頭脳を押し込んだ、ロボット」
人形を抱き上げてみる。カラカラと中から電子部品の制動音がする。
「初期起動のキーは、君の言葉。『生きてる事が、必ずしも幸せとは、限らない』生身の音階しか反応しない。何を悩んで居たんだい? ボクは、君を助ける為に、機動した」
あ、あ、あ……。僕は人形をおろして、頭をガシガシと掻いた。
「……呆れた」
あの姉貴は、いったい何を考えているのだ。
「でも、助かったろう?」
人形は意地悪く笑う。
うん。ありがとう姉さん、姉さんは知っていたんだ。こうなる事、僕が思い悩む事、そして最終的に、死ぬかなと考える事
「教えてくれ。僕はどうしたら良い? 何をするのが良いんだ?」
教えてくれ、姉さん。僕は人形に懇願していた。その人形は、今現在の、希望のすべてだった。
人形はニヤと笑って得意げに言った。
「それは、君が考えるんだよ」