寂しそうな姉
ドール、ドール、ドール、ドール、ドール……
人の中でもっと大事な器官、脳が詰まった人形。
地表で活動する人間の、命の塊。大事な大事な、本体だ。
当然、安全管理が必要で、金持ちなんかは自分で管理するらしいが。大概の人間は、政府が作った保管所に依頼する。すなわち、それが『ホーム』である。
地下十五階。高い天井の、どこまでも続く大きな部屋に、沢山の『ドール』が並んでいた。一つ一つ、ガラスのケースに入って、薄明かりの中みな一様に座り、悲しげに目を閉じていた。分厚い壁とセキュリティに守られた、この国で一番安全な場所。そして、数少ない、アンドリィ・ドールには入れない場所。
『ホーム』
僕は目の前の光景を見ながら、静かにため息をついた。
「痛て」
右手の痛みに声を上げる。
小さな声は大きな部屋に吸い込まれ、跡形もなくかき消える。すぐに静けさが戻って、シンとした空間だけが広がる。
何もなければ静かな空間だ。まるで一人でいるように、静かだ。
本当は、数え切れないほどの人間に、囲まれていると言うのに。
カタリ、と音が鳴った。掴んでいた人形が音を立てたのだ。なんとなくどこにも置けなくて、持ったままのドール。彼女が買ってくれたドール。
持ってるだけで良い。彼女はそう言ったが、使ってない『ドール』なんて不気味で、大の大人が人形を持っているなんて、
「気持ち悪いわね」
いきなり声がして、ビクンと震えた。上の出入り口から、姉が見下ろしていた。
「あんたそんな趣味あったの? それとも、『その人』はあなたの新しいお友達なのかしら? 知ってると思うけど、たとえドールでも傷つけたら傷害罪だし、わいせつ罪も、監禁罪も適用されるから気をつけて」
「いや、違うんだ姉さん。これはカラッポで。僕ので。けっして誰かでは無いんだ、ましてや危害を加えてるわけでもなくて……ホントに」
焦って言いつくろう僕に、冗談よ。と姉は笑った。
「中身があるか無いかくらい、見りゃわかる。だれが作ったと思ってんのよ」
カンカンと姉は階段を下りる。白衣の腰に手を当てて、なんでそんなの持ってるの、と呆れた口調で言った。
「いや、買ってもらったから」
僕がそう言うと、姉は手元の電子カルテに目を落として、変な女もいるもんだ。と興味なさそうに言った。
女性に貰ったのだと、言ってもいないのに見抜かれて、否定するのも気恥ずかしくて、ガシガシと頭を掻いた。
姉が、ペンタブレットを持ち上げる。ガラスケースの一つを指して、少しだけ神妙な顔をする。どうやら、仕事が来たらしい。
「管理番号 NCTO 63F2BC47番――受信機喪失により、27秒後に『覚醒』予定」
「はいはい」
該当のガラスケースは、ぴったり27秒後に、ピスンと音をたてた。
ケースの中で、ぐったり座っていた人形が震える。
そしてゆっくり顔を上げた。
見開いた目が僕を認識したようだ。不安げな瞳がクリンと動く。
『覚醒』
アンドリィ・ドールが破壊されたか、電波が届かない状況に陥った為に、『ドール』に神経が戻ってくる事。
『ドール』自身が動かせる範囲は制御されてるが、多少の視力と聴覚、触覚情報はある。
『ドール』の足下が点滅していた。
僕はタッチパネルを操作して、アンドリィ・ドールの確認を取った。
どうやら、ビルの破壊に巻き込まれて、大破したらしい。続けて、個人情報と、資産に、同意が取れているかを確認した。入金はきちんとあった、次回のアンドリィ・ドールの手配もしてあった。
「NCTO 63F2BC47番。乗り換え手続き完了、神経移行を開始します」
おきまりの台詞を言いながら赤いボタンを押す。
ピスンとまた音がして、人形は顔を下げる。目を瞑って、また寝始める。
この人の意識は、新しいアンドリィ・ドールに繋がっていくのだ。
すべての操作を終えて、ふぅ、と一つ息を吐く。姉が後ろで満足そうに笑う。
「仕事、早くなったじゃない?」
「もう二年目だよ、姉さん。子供じゃないんだからさ」
「まぁ、最近は面倒な顧客も減ったしね。次の体が出来ていないとか、ざらだったから」
まるで保育所みたいだったわ。姉は昔を懐かしむように言って、シガレットケースを取り出した。
「姉さん、ここ禁煙だろう? 僕は良いけど、『この人達』は嫌がるんじゃない」
僕は『生身でよくタバコが吸えるな』と、そう言った人たちの事を考えた。
今は、自分の体を、汚したり、危険に晒したりする事など、考えられない人たちがほとんどだ。
「ドールに影響は無いわよ。脳は空気に絶対触れない。開発者の私が言うんだから、間違いない」
そう言う問題じゃないと思うけど。
僕は呆れて、手持ちぶさたに自分の『ドール』を眺めた。
姉が近づいて、ちょっと見せて、と取り上げた。
「買って貰っただけだよ。別に使おうとは思ってない」
「何、弁解してるのよ。そんな事、誰も言ってないでしょう」
姉は『ドール』をクルクルと回して、蓋を開いたり、操作したりしながら、あんまり変わってないのねぇ。と、ポツリと呟いた。
「あんた……爆弾に当たったんだって?」
「あ、うん。機械率、五パーセントアップ」
「いい加減、サイボーグ認定、出るんじゃない?」
まだ、三十パーセント台だって。
僕が言うと、姉はハァ、と真っ白い息を出した。
「機械の腕をつけて、機械の臓器を入れて、だましだまし生きて。まったく、生身って奴はどうしょうもないわね」
そう言って、左手でタバコを握り潰した。姉の左手も、機械の腕だ。
「僕はかまわないけど、姉さんは『ドール』になる権利はあると思うよ。だって、開発者だろう?」
簡単に死ぬのは嫌だ、と。願って願って『ドール』を開発したのだから、誰よりも『ドール』になりたいはずだろう。誰よりも、死にたくないはずだろう。
姉は姉はタバコをもみ消して、右手に『ドール』をぶら下げたまま、ふとこっちを向いた。あのね、と神妙な声を出した。
「生きてる事が、必ずしも幸せとは、限らないのよ」
それは僕の耳にはっきりと届いたけれど、意味が分からなかった。
「いつも考えるのよ。これは、正しい選択だったのか。『ドール』を開発して、はたしてよかったのか。この光景を眺めてると、本当にそう思う」
薄明かりの中に並ぶ、いくつもの人形。無数の数え切れないほどのドール。それぞれのケースに入って、ぐったりと座って、眠り続ける人形。体の夢を見ながら、自分のドールを動かしながら、でも本体はこんな地下で、集められて無言で眠り続ける、人形。
「なんでこんなに寂しそうなんだろね」
こんなにいっぱい居るのに。姉は振り返った。僕の人形を片手にぶら提げて、疲れた顔で笑った。
「ねぇ、生身の人間が出来て、『アンドリィ・ドール』が出来ない事って、知ってる?」
「……歌を歌うこと、とか?」
「もっと大きな事よ。根本的な事」
僕には分からなかった。生身の人間が出来ない事は多いが、アンドリィ・ドールが出来ない事は少ない。精々、電波の届かない所に入るくらいだが、それも電波発信源の普及により皆無に等しい。今や、『ホーム』くらいじゃないだろうか。
「ねぇ、これ借りてって良い?」
姉が僕の人形を振って言った。別にかまわない、と言うと。姉は上機嫌で階段を上っていった。毎日、何万体と見ているだろうに、どうして一つ増やそうと思うのだろうか。
「そうそう、言い忘れてたけどさ」
入り口の所で、姉が振り返る。
「もうすぐ、管理体制が変わるらしいから」
「管理体制、どんなふうに?」
「軍政府か力をかけてくれるみたい。今までほったらかしだったから、予算は上がるかもね」
「だと良いんだけど」
「リストラもあるかもよ? その時は、あんた、ドールに入りなさいよ」
やめてくれよ。僕は医者の話を思い出しながら、嫌なため息をついた。
「あーあ、軍もどうせなら、戦争止める方に力を注いで欲しいわ」
姉はブツブツ言いながら、扉の向こうに消えた。
リストラか。もし本当ならどうするかな。そんな事を考えていると、ピスンと音がして、ケースが点滅していた。
やれやれ、仕事だ。僕は急いで、覚醒した『ドール』に駆け寄った。
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哀井田圭一@mmmm4476902325