3話「空中廻廊からよろしく」
ベッドの上に寝転がったまま2時間。窓の外はすっかり暗くなっていた。
やはり私はまだ眠れないまま天井を見上げていた。
ずっとずっと苦しい、早く解放して欲しい。だが私の体は決して睡眠を寄越さずに現実に張り付けさせた。
手を掻っ切ってみたい。包丁で腹や首を切り裂いて、血がたくさん出るだろうか。
ウズウズする気持ちを抑えて自傷の誘惑を別の考えでかき消す。
だめだよ痛いよ傷が残っちゃうよ慌てて自分で救急車呼んだりしたらどうするの?
みたいなことを考えると私は途端に冷静になるのか、自傷の妄想は薄らいでいくのだ。
ただ、自殺願望は常に居座り続け、じっと私の方を見ている。
助けて欲しい、と強く願っているはずが、自ら助けを拒んで自殺したがっているように思う。
でもこのまま死にたくないんだ。早く死にたくないんだ。助けて、誰が助ける?
なんでこんな時に限ってリラは出てこないんだろう。いつもは口うるさく私の行動に逐一ケチつけてくるくせに。一番私が苦しんでる時にいつも姿を消すんだ。
電話、いのちの電話ってあるらしい。自殺志願者の相談窓口らしい。あてにならないので使ったことがない。そもそも電話が通じない。
せめて何か、何か残したくて、何か伝えたくて、でも残した方も伝え方も分からなくていつも自殺に踏み出せない。
自殺する勇気が欲しい。苦しいだけの日々、美しい終わり方で悔いなく死を迎えたいから、早く全てを失って諦めたい。
きっと理想の死に場所があるはずなんだ。全てを諦められるくらいに美しい場所と時間、最高の死に場所と方法で私は死にたい。
重く冷たい鉄製のドアを全身を使って押し開けて私は外に出ていた。冷たい夜風が顔当たる。
寒い。春先の夜の気温の低さを舐めていた。一旦部屋に戻りコートを羽織って再び外に出る。
ドア閉めてため息をつく。
どこに行くというのだろう。勢いで出たのはいいものの、行き先など考えていない。
「やっと外に出る決意をしたのね」
すかさず私は声の主に反論した。
「リラが戻ってこないから外に出る羽目になったんだ!なんで急にいなくなるんだよ!」
「私だって寝る時は寝るわよ」
リラは気怠げに答える。
「それよりどこに行くの?こんな時間に」
「いや、まだ特に何も決めてないよ」
「まぁ自主的に外に出ただけマシよ。評価するわ」
「ありがとう」
「買い物?それなら私はペットボトルのレモンティーを…」
「あっ!」
突然思い出した。数ヶ月前の記憶。
「な、何よ?買っちゃダメなの?」
「ん、いや違うの。買い物しに外に出たんじゃない」
「じゃあなんで」
「前近所を散歩した時にすごくいいところ見つけたの。私だけの場所。そこに行こうと思って」
まぁ、私だけの場所って訳じゃないけど。
「この店過ぎたら目的の歩道橋が見えてくるから」
私たちは街灯が少なく暗い幹線道路を歩いていた。たまに自転車にのった学生や会社員とすれ違う。こんな時間までご苦労な話である。
「なんだってこの時間にわざわざ歩道橋に行くのよ」
リラが不満げに言う。
「夜の歩道橋の景色ってなんか綺麗だから」
私は星も見えないぼやけた夜空を仰ぎながら呟いた。
古いネオン看板を掲げたレンタルビデオ店を横目に道をまっすぐに歩いていくと、前方に開けた交差点とそこを二方に囲む歩道橋が見えてきた。
「ちょっと大きい歩道橋って見た目ね。ここが『すごくいいとろ』なわけ?」
リラはやはり興味なさげに言った。
「そうだよ、私はこういうところ好きなの」
知らないわよ、とリラは言いたげな顔をしている。
私は元々歩道橋がなんとなく好きだった。簡易的な展望台のようで。そしてここの歩道橋は近所の中では一番大きいのだ。
国道が交差するこの交差点は道幅が広く交通量も比較的多い。夜になると早いスピードで走り過ぎていくライトとエンジン音が不思議と心地よさを与える。
私は歩道橋の階段に足を乗せる。階段部分は手すりの部分が所々錆びており、足元に敷かれたゴムのような素材のマットが剥がれている。
ある日突然崩れてしまうのではないかと時に思う。社会から取り残されて崩れ去っていく、そんな結末を私はこの歩道橋に期待しているのかもしれない。残念ながらそんな結末は訪れない。歩道橋はちゃんと行政が管理しているものだから、脆くなったらしっかり補修されてまたきれいになるのだ。人間とは違うんだよ。
「登らないの?」
リラに催促されてふと我に帰る。なんてことないことを考えているのだ。つまらないこと、社会に不必要な心配。誰も私を心配しないのに、周りへの心配。
「いや、上に人がいないかなって心配になってさ」
これも事実だった。滅多に人が歩かない歩道橋だが、たまに渡っている人とばったり遭遇し、なぜか気まずい思いをしたことを覚えている。
私は歩道橋の上から車が通り過ぎていく道路を見下ろすのが好きだ。特に夜、仕事を終えたであろう人々が家路につくのを私は上から見つめている。辛うじて信号待ちしている車内を見ることができるのだが、どんな人が乗っているのだろうと興味本位で見てしまう。そして勝手にその人間に点数をつけて楽しんでいるのだ。ああ、こいつはくだらない25点の人間なんだっていう調子で。
私は歩道橋の上から行き交う人々を見下ろすことで彼らより上位の人間に立っているような優越感に浸りたいだけなんだろう。
そもそも、このご時世自分の車持ってるだけで勝ち組だと思う。移動手段が歩きか自転車しかない私は大敗北だ。
だからか、歩道橋の上から見下ろしている私の姿はなるべくなら人に見られたくないと思っている。そもそも人が苦手っていうのもあるのだが。
今日は誰もいないでいてくれ、と思いながら階段を力強く登っていくと、案の定というか私を神は常に嘲笑っているのだから確定事項なのだから、歩道橋の中腹に一人の女性が立っていた。
「マジか…」
「先客ね。帰るまで下で待つ?」
リラはいたって冷静だ。彼女は人間が怖くないらしい。
「え、いやだよ」
下で待つったって、どう見ても不審者じゃないか。私はいたって小心者であった。
「でもあなたが行きたいのは彼女が立ってる所でしょう?」
「うん、まぁ…」
交差点は東西南北から続く道路が重なる場所だ。歩道橋は交差点の北に伸びる道路を横断する部分と西側の道路を横断する部分がL字に連なっている。彼女が立っているのは西側の通路の中腹。私が一番好きな眺めが見える場所だった。そして、私たちは北側の一番右端にいる。
彼女と私たちは直線距離でおよそ50メートルほど離れていた。
ここから見える彼女は光る端末、スマートフォン?を持って西側の道路を背に自撮りをしているようだった。
「誰かに向けてビデオ通話してるのかな」
「なんでこんな所でわざわざそんなことするのよ」
「ん、じゃあたぶんライブ配信だ」
「最近みんなよくやってるあの〜…誰得?の自己満足配信ね」
リラって相変わらず容赦ない。
「誰得の自己満足配信って、リラ言い過ぎ」
私は思わず苦笑する。
ふとした瞬間に私はこうやって笑顔を取り戻すことができる。これもリラのおかげだ。
すると、遠方の彼女と視線が重なってしまった。まずい、逃げなくては。いや、私が逃げる必要ないんだけど。なんとなく気まずくて。
やばい、こっち来た。でも逃げる勇気もなくなくて、動けなかった。
彼女は若く20そこらに見える。最近よく見る地雷系ってやつの格好をしていた。やけに紅潮した目元。黒々しい髪にピンクのリボンのおさげが眩しい。ピンクのヒラヒラした服がふわりと浮いた。
目の前に、いる。スマホ片手に持ったまま。
私の目をじっと見てくるので思わず私は目を逸らした。
「こんばんわー今ライブ配信してるんですけど、写していいですか?」
「え、いや、だっ…」
「え?」
「いや、いいですよはい」
「やったぁじゃあほら写って、イェーイ」
ふざけんな!写りたくないに決まってんだろ!
スマホの内カメラを向けられ私は苦笑いしかできない。画面にはライブ配信のコメントが随時書き込まれていた。文字が小さくてよく見えない。
「おねぇさんは今日たまたま通りかかった感じ?」
「え、はい。散歩で」
「へーいつもここ散歩してるんだ!私もよくここに来てるんだけど、会ったことないねー」
「そ、そうなんですか」
「…」
気まずい。だからやめとけと言ったんです!(言ってない)
「おねえさん、仕事何やってるの?」
うっ!話題ないからって酷いこと聞いてくるのやめて。
「事務を少し…」
「へー」
もうちょっと興味持てよ!頑張って考えて答えたのに。
「私はねーまだ学生なの」
まぁ、そんなんだろうとは思ってたけど。
「学校で嫌われてて、私」
「学校って大学とか?」
「うん。学部の子からハブられちゃって」
「あー…まぁ大学なら1人でもやってけますよ。私は専門学校でしたけど、友達いませんでしたよ」
「えっ!いなかったの?」
あれ、私他人のライブ配信でとんでもない悲しいこと暴露してない?
「はははっ…んまぁ友達いなくても卒業して会社に入れたし大丈夫ですよ」
「でも寂しくないのー?」
私は一瞬固まった。
確かに寂しくないと言えば嘘になる。だってその末路がこの私の現状だ。つまり、友達いなくても大丈夫という私の意見は間違っていたのだ。
「寂しいですよ。すごく。いやまぁ、いじめられていた頃よりは幾分かマシかもしれませんが」
「やっぱりいじめって辛いよねー私死にたくなるもん人権ない」
あっ、死にたい。死にたいのかこの人も。
「死にたくなりますねー死にたく…」
「私ね、毒親育ちで、実家もクソなの。大学反対されて授業料全部バイトで稼がなきゃいけないし。じゃあ風俗とかしかないし。ひどくない?」
「そ、そうだね…」
「もう疲れちゃって、彼氏とも別れちゃったし」
こいつ彼氏いたのかよっと一瞬敵対心を持ったがすぐに哀れみが支配する。
これは社会人、だった私が鼓舞してやらなきゃ。
「大変だったね…つらかったね」
「おねえさんは平気なの?」
…平気な訳ない。もはや自分の方が可哀想とも思うしね。でも、彼女の苦しみは彼女しかわからない訳で、不幸自慢は無意味だ。
「つらいけど、まだ死にたくはないかな。と思う」
正確に言うと、死ぬ準備ができてない、だ。
いい死に場所と自殺方法が見つかっていない。
「そっか。おねえさんは強いね」
「そ、そうかな?」
「私よく配信で死にたい死にたいって言ってて、コメントで死ねないだろって書かれるんだけど、ほんとその通りで、死ぬ勇気ないだけなんだよね」
あぁ、彼女もそうなのか。
私は一呼吸置いて口を開く。
「うん、だから死にたくないってことなんだよ、本心でそう思ってるんだよ!うん!」
と自殺志願者が言ってますw
私は偉そうなことを言って自己満足に浸ってるだけだ。
「ありがとうございました!とってもためになりました!」
「え?」
あまりに唐突に帰ることを促されて動揺を隠せない。
「あ、はい。では失礼します」
私はいそいそと歩道橋から降りていった。
行くところもないので私は帰路に着く。
それからも暫く彼女はライブ配信を続けていたようだった。
「なぁ、リラ。なんだったんだろあれ」
私は家に着くとずっと黙っていたリラに話しかけた。
「いい出汁にされたんじゃない?」
「はぁ…」
まぁでも悪い気はしなかった。久しぶりに人とちゃんと話したし。あのカウンセラーよりもちゃんとしたカウンセリングになった気がする。
そんなことを考えながらいつものSNSをぼんやり眺める。
なんか悲惨なニュースでも流れてこないかな、とか考えながら。