ラシュナイの罪 スィフィルの心
とてもとても間が空いて、誰か読んでくれるのでしょうか。
ラシュナイは壁を見ながら、考えていた。
側から見れば、呆けているのか、反省しているのかわからない程動かず、ただただ、壁を向いていた。そこへセイリヤが声をかける。
『ー…ラシュナイ…。何故、あの様な事を主上に?ー』
『?セイリヤ、あの様なこととは何の事?』
『ー!まさか、その様な事も分からぬ程の愚か者だったのか⁉︎スィフィルが何故其の方を拘束したと考えるのか!ー』
『?あれは、私が父上様に近づき過ぎたからじゃない?馴れ馴れしくお側に居たいと申し上げた事が、スィフィルには気に入らなかったんじゃないの?』
セイリヤは頭を抱えた。何故そんな事も分からないのか、本当に彼女は自分と同じ<サラーサ>の守護者なのか。この拠点とジェフィティールを護りたいと、守護者として顕現したのではないのか。どうしてラシュナイはジェフィティールの気持ちを優先できないのか、理解ができない。
『ースィフィルが自分の気持ちだけを優先させて、主上の思いを蔑ろにすることなどするはずがない。…お前と違ってな。お前は、主上のお気持ちより己の欲を優先させ、主上ご自身に我慢を強いようとしたーー』
『その様なことはしていなーー』
『ー仕掛けていたではないか!!それを途中で止めたのがスィフィルだ!ー』
ラシュナイは驚いたように目を丸くさせ、口をあんぐりと開けていた。本当に理解できていないと言う表情だ。セイリヤは、大きなため息を深く吐いた後ゆっくりと話を続ける。
『ー…我らは、ここ、<サラーサ>の守護者として、主上の“記憶と能力“から生まれた。その我らが、他の守護者たちと共有している感情、不文律の一つが「父上様に守護者の感情を押し付けない」と言うことは、お前とて理解していると思っていた。いや、理解ではない、我らの存在の根底に無意識に、その様に制限がかかっている筈ではないか?ー』
『以前は、確かにあったと思うの。そんな様な感情というか、なんと言うか…でも、父上様に会いたい気持ちや、お側でお仕えしてお役に立ちたいと思っていたら、いつの間にか…そうね、本当にいつの間にか、つっかえていたものが無くなったようにスルスルと、感情のまま言葉を父上様に届けてしまっていたわ。』
『ー!!!ー』
セイリヤは愕然とした。
ジェフィティールの“記憶と能力“から生まれた守護者たち。転生前の多くの記憶の中の<サラーサ>に保存された記憶から、感情を記憶されているわけでは無かったにしろ、自分の意に沿わない強制的な労働や、縛り。価値基準や常識の相違による相互不理解。人とも思わぬ悪意や憎悪を向けられ雁字搦めになっていた記憶がどの拠点にもあり、それ故の強要、押しつけは一切しないと言う不文律が、どの守護者の根底にあるのだ。それなのに、それが破られるなんて言うことは決してあってはならない、起きてはいけない事象であった。
そしてこの事は許容できないバグであるとして、その瞬間、他の守護者にもラシュナイの存在は周知されたのだ。
その頃ジェフィティールとスィフィルは樹海の死海近くを歩いていた。死海の近い場所である為、樹木も枯れ木も悪環境に強い樹木とが入り混じり日差しも樹海の中では届く方であり、瘴気などに対応できるものであれば歩きやすく散歩に適しているとも言える様な環境である。だが、現在、その様な事が可能な人間はいない。呼吸すれば喉が爛れそうな、そんな環境を悠々と普通の人間が歩けるわけがないのである。
だからこそのジェフィティールの築いた拠点の一つなのだ。
『…父上、このまま樹海の奥へ参りますか?セイリヤの眷属たちがしっかり管理しておりますので特に注意が必要な魔獣や魔樹などはある程度間引きされております。この樹海にしか生息しない動植物もある様ですし、少しは採集の時間にしてもよろしいのではございませんか?』
「…そうだな。…そうしてみようか…」
スィフィルは気遣ってくれている様で、ラシュナイの事も話そうとはしないし、いつもだったら止める採集も許してくれている。セイリヤの眷属たちも情報共有されているのか遠巻きに存在を感じるだけで、距離を縮めてくる気配すらない。正直、そこまで気を遣われると自分がなんて大人気ないのかと、心が狭いのではないかと言う思いも生まれるし、片方でまだ拒絶反応がある心に、弱さを感じる。転生して日本での経験も克服するまでに至らなかったのだと、魂源の修復には成功した筈だが、心はやはり記憶に引っ張られてしまうようだ。
「(ここまで気遣わせるような態度になってしまっていたのだろう…。人生経験を積んできた筈だけど、まだまだ未熟だな。)おっ!これはちょっと面白そうな花だな、持って帰ろう。」
『ようございました。』
スィフィルもジェフィティールの笑顔にホッと安心したような微笑みを浮かべていた。勿論、ジェフィティールが楽しんでいる様子が彼にとっては大切であり、その他の事はどうでも良い事なのだが、ラシュナイの失態のせいでスィフィルにとってはジェフィティールの周囲に、より注意を払うことを決意させるには十分な出来事だったのだ。
『(今後決してこの様な事は起こさせない。守護者たちだけでなく、眷属たちや有象無象に至るまで父上に近ずく者には目を光らせなければならない。)』
スィフィルの過保護は、こうして少しずつ加速していく。
俺の日本への転生は、幸せな時間だった。
この世界に転移で戻って来て、改めてそう思う。
辛くて苦しくて、息もできなくなる程憎くて、何もかもメチャクチャに破壊したい程の世界だったここから、それでも破壊する罪悪感から、いつか逃げ出したくなって。グチャグチャな気持ちも自分自身も何もかも捨ててしまいたくて、何もかもと切れてしまいたくて、肉体も捨てて異世界へ魂源だけで行ってしまいたかった…。
次第に自身が壊れていく、壊れていった自覚。修復が必要だという客観的事実。我慢の限界と生命の危機。全てが一つの方向へ俺を追い立てていたのかもしれない。
結局のところ、魂源だけで逃げたのは限界まであと数歩っていう所だったからだけども。記憶もない真っ新な魂源のまま、日本に生まれ、少々の不便さも苦ではなく、戦後生まれの俺にとっては、発展していく世界は、淀んだ暗闇にいる人間も明るい未来に期待する心には直接の害がない限り、大きな影を落とす事はなかった。
魔法、魔術などない世界では魔獣も魔樹も存在しない。その世界はある意味では平等のように思えた。見た目の差別や宗教差別など細かく言えば平等ではないのかもしれないが、そんなものはどこの世界でも存在する。「全てを平等に。」などと言うまやかしを口にする偽善者やペテン師さえ悠々と活動し、存在する事を許される世界だった。
日本での記憶もある今では、少々不便と思っていた時代もこの世界の知識や技能、便利に対する貪欲さが異なるせいなのか、若しくはオーパールに基づく能力の利便性などから発展しないのかは分からないが、客観的に見てみれば、この世界はこれで良いのだろう。
「(この世界に影響を与えすぎないように、<ヤクシェム>を本拠地(本宅)。<リーヴェル>を実験島(別荘)として、<アルバア>などの拠点(各方面監視拠点)は各守護者に運用をある程度一任して、と…。)」
方針は今までと大きな差は無いのに、何故か気持ちも新たになった様に、目の前が明るく感じられた。多分、ラシュナイの失態に対するスィフィルの対応が。いや、今までのスィフィルたちみんなの態度や言葉が、俺を助けてくれていた事に
「(…馬鹿な俺が本当の意味で気付いたからなんだろう。)」
チェルスヴェルト樹海の奥深く、スィフィルと二人で散策しながらふと、今の自分を振り返る時間を少しばかり楽しんでいた。ここ暫く忙しかった気がするのだ。次から次に予定が入る状態が続いていた為、<リーヴェル>でのんびりしたいと気持ちが動き始めた時、スィフィルが俺にショックを与えた。
『…父上。拠点<イスナーニ>と<ワーヒドゥ>に関してですが、ラシュナイの件を既に共有し、各自適切に行動指針を見直ししております。彼らは現時点より以降、父上の来訪要望を取り下げましたので、拠点へは無理に向かう必要はございません。』
「…は?」
『<イスナーニ>のテティオーネ、<ワーヒドゥ>のフォルツァムナーそれぞれから連絡は来ておりますのでご安心ください。』
どの様に彼らに伝えたのかは分からないが、スィフィルなりに気を回して対処してくれた事はわかる。今なお、申し訳なく感じていることが手に取るようにわかるのだ。そんな表情を見るだけで、俺の方こそ申し訳なく思う。情けない。いい加減、過去の心情を引き摺らない様にできなくては、日本への転生も役に立っていないとさえ思われてしまう。
「…ありがとう。大丈夫だ。俺はそんなに柔じゃないよ。」
そんな言葉を発した後でさえ、声に力の入らなかった自分に驚いた。そりゃあ、こんな声じゃ心配にもなるな。かと言って言い直せばまた気を遣わせる元だし、今は何を言い繕っても無駄だよな…。そんな風に俯いてしまった俺にスィフィルが小さく呟く様に声をかけた。
『…心というのは、何十もの層になっていて、堅い鎧や柔らかい羽根、温かい湯や冷たい氷などに護られているものですが、ただ一つの核である魂源は本来なら傷一つ付かずに、在るものです…。深く傷ついてしまった魂源に見えない傷が残っていても、それは決して父上の責任ではありません。魂源を護りきれなかった………のせいです。……』
スィフィルは後悔と懺悔を繰り返し、ジェフィティールの後ろで小さく、小さくなりただ付き従って歩き続けた。




