ラシュナイの計画
拠点<サラーサ>
東京都ほどの東西に広がる大きさのチェルスヴェルト樹海の中心付近に、山中湖ほどの死海がある。西の領都と同じくらいの広さのその場所は、コールタールが湧き出ているかの様にボコ、ボコと偶に音を立てて黒くてドロッとした水面が揺れる。死海の近くは樹々も朽ち果て灰色の大地が広がり、魔樹のような樹々が生息するのは離れた場所からだ。死海の中心には透明な硝子でできたオベリスクが出来ていた。以前はなかった物だが、オベリスクは怨念などを集めるのに有効な装置としての役割を担っている。そしてその地下深くに拠点があるのだ。
新たにオベリスクが出来たところで、以前との違いに気づくものなどいはしない。何故なら“死海“に近づく者など魔獣ですらいないからだ。だが、もしもこのオベリスクを見る者がいたら、死海とオベリスクの正反対の存在感に違和感を覚えずにはいられないだろう。生者を寄せ付けない瘴気が満ち、怨念があちこちから集まる薄寒い場所に、光を反射してまるで清浄で闇を祓う様なオベリスク。通常あり得ない組み合わせなのである。
チェルスヴェルト樹海はどの国にも属さない、どの国も手に入れられない地獄であり、悪霊だけでなく精霊も存在することが知られている聖域でもあった。
『父上様が生み出した精霊たちがちょくちょく遊びにきて悪霊たちを揶揄っているけれど、人族の村ではこの樹海に出入りする精霊たちが話題に上がっているようね。でも人族がウロウロする様なところからは来てない筈なのにどうして知られたのかしら?』
『ーふむ…。精霊たちに言わせると、村の中に“遠見“ができるものがいる様だ。だが“遠見“と言っても朧げに見ているようで精霊は光の綿の様で悪霊は黒い綿の様だと評している様だ。話からしてはっきりと存在を視認しているのではない。逆に魔獣などはより近くに生息している筈だが、その者の“遠見“では見えないらしく素材採取に樹海に入ったところで警戒要員にもなれず、意味がないと村人に役立たずと言われているようだ。ー』
セイリヤがここまで詳しく知る事ができるのは、ジェフィティールの生み出した精霊たちが情報を持ってきて報告したからに他ならない。
『セイリヤは、相変わらず私相手には饒舌ですね。父上様に拝謁賜るときも同じ様に出来ないのでしょうか?私ばかり父上様に報告するのは、緊張して何を話したか間違ってないか頭がぐるぐるしながら報告しているのですけど?』
『ーいやいや。報告者は一人で良いだろう。報告内容が重なったりしては無駄な時間を主上に取らせるなどあってはならん。(我も緊張してとんでもない口調になってしまうかも知れんし、変な事を口走りたくないからな。全てラシュナイがやればいいだろ、うん。)』
二人はまだ眷属を生み出していない。最初は直ぐにでも欲しいとジェフィティールに希望していたが、拠点<サラーサ>が進化し、機能も性能も上がった今ではそれ程の必要性は今のところない。暇な自分達が対応するだけで事足りてしまう。ただ、オベリスクが建ったことでラシュナイとセイリヤは漠然と考えていた眷属の方向性を変更することにしたのだった。
精霊たちだけでなく、魔獣や魔樹ですら少しずつ変化が見られ、オベリスクが立つ前と後でより劇的な変化が見られたのだ。ジェフィティールが拠点を設置し転生するまでの間と転生した後からこの拠点<サラーサ>に戻ってくるまでの間でも勿論変化があった。そして今現在はジェフィティールが拠点を構える前と随分違うチェルスヴェルト樹海と様変わりしてきていた。
拠点<サラーサ>が出来る前は、樹海の魔獣達は樹海の外まで獲物を狩りに出回り、周辺の村落はかなり樹海から離れていたにもかかわらず少なくない被害が出ていた為、村人たちの警戒も毎日毎晩欠かせない事だったが、ジェフィティールがまだベオグルリンドス帝国に所属中で、隣国との対戦中にこっそり造った拠点<サラーサ>ができて数年ほどから魔獣が樹海から出てこなくなり、魔樹の素材や魔石だけでなく貴重な薬草も取れるチェルスヴェルト樹海は、近隣の村落にとって少々の危険と隣り合わせではあるものの、宝の宝庫である樹海と認識が変わっていった。そして魔獣も出てこない日が続くと、警戒も薄くなり、西の領都とチェルスヴェルト樹海の間には新たな商業拠点になる街が出来上がり、樹海で採れる貴重な素材などの取引が行われる様になっていったのである。勿論、この事実は<ヤクシェム>の情報収集システムで把握済みだが、スィフィルやジェフィティールは気づいていなかったのである。
『私の眷属は商業拠点の街に紛れ込ませる為に人族にしましょう。発展途上で人が続々と集まってきているから、紛れ込みやすいと思うし、“遠見“を持っている人族も監視しやすい筈ですもの。』
『ーそれが良かろうな。我も同じ様な考えだが、ラシュナイが人族で樹海の外なら我は樹海内を監視すべきだな。人族が敬うような魔獣、そうだな、番人のような鳥にしようではないか。ー』
『そうね、眷属も能力を低めにすればすぐに数揃えるのも問題ないし、人族に紛れ込ませるなら丁度いいくらいよね。』
『ーうむ。我の眷属も樹海内の魔獣どもに倒されぬ程度であれば問題なかろう。この樹海もそこそこ広いから、五十羽程と考えておる。その程度であれば、目立たず問題なかろうからな。ー』
『そうよねぇ…。人族はどうしようかしら?一群れ三人から五人位が妥当だけど…。幾つくらい群れを作るべきかしら?』
『ー“遠見“のいる村は勿論、商業拠点の街にも置くべきだ。最低でも十は必要ではないか?ー』
『え?村は四つしかないのに、そんなに必要なものかしら?』
『ー商業拠点はこれからまだ発展するだろうからな、そこだけで三から四の群れは用意した方が良かろう。各村に潜ませるにしても、潜入する者以外の予備は必要だ。いつまでも主上に頼ってばかりでは<サラーサ>の守護者として情けなさすぎるであろう。ー』
『それは、勿論、そうですね。』
ラシュナイはチェルスヴェルト樹海だけでなく、周辺の村々と商業拠点として発展していくだろう拠点の街をも<サラーサ>の支配下に置きたいと考えていたが、セイリヤは樹海以外の場所は単なる監視対象とだけ認識していた。チェルスヴェルト樹海だけでも最近変化が見られている状況で、いくら余裕があるとは言え監視以上に複雑に支配しなければならない場所を増やすことは、いつか手に負えない事態が発生した時に、対応が遅れジェフィティールに迷惑がかかることを懸念しているのだ。セイリヤは自分の能力を過大評価はしない。過小評価気味であることは自他ともに認めるところだが、だからと言ってできる事をできないという事はなく、粛々と事を進めるタイプなのだ。獣の姿をしている割に人の姿のラシュナイよりも落ち着いた性格をしていた。
『(…私としては、父上様の透明人工生命体不定型と人工生命体人型を大量にいただきたいのに…。そうすれば、樹海周辺も楽に掌握できて管理も完璧にこなせる筈。そして掌握し終えたら私は父上様のお側に付き従うの。スィフィル様が一番近くにいるのは仕方ない事だけれど、私にもお側にいる資格がないわけじゃない筈だもの。少しでもお側に居てお姿を拝見するだけでも…、いえ、お声を聞くことができたらなんて素敵なことかしら!)』
ラシュナイは目をギラつかせながら空想していた。自分が<サラーサ>の守護者であることを忘れたわけではない筈なのだが、より、自身の欲望に思考を乗せて発展させてしまっていた。しかしそこには、ラシュナイの鎖というべきセイリヤが存在する。守護者というジェフィティールに賜った役職を放棄するような行動を許すことはないのである。
『ー…ラシュナイよ。お主の欲が透けて見えるぞ。欲望を捨てよとは言わぬが、主上に呆れられ捨てられる事のない様に自重せよ。警告はしてやるのでな。ー』
『!!!』




