プランE
あれ、と思った。午前二時。なかなか寝付けなくて、ベッドでうつ伏せになって、スマホを操作していた。ようやく、うつらうつらした頃、玄関の方から金属音が聞こえた。まだ、寝ぼけている。でも考える。いまのは、もしかして、鍵が、回る音……?
いやいやいや、とすぐに否定する。マンションはオートロック。鍵はディンプル。女の一人暮らしなので防犯には気を使った。合鍵は実家の両親が持っている。だが、両親なら事前に連絡するだろう。こんな真夜中にいきなり訪問してくるはずがない。つまり、音は気のせいだ。
幽霊の正体は思い込み。よくわかっている。ときどき、浴室で髪を洗っているとき、シャワーを頭から被っているとき、背後に人の気配を感じるのもすべては思い込み。重々、(ゴゴン)承知、して。
思考が止まる。
プッシュプル式のハンドルが動く音。気のせいではない。たしかに、した。鍵が回って、ドアが開いた。つまり。
(……)
息を殺して集中する。耳に届いてしまう。床を擦る音。誰か、知らない、誰かが、部屋の廊下を歩く音……!
急いで布団を被る。スマホのケースも閉じる。私は寝ている。熟睡している。そう思わせなければ、と思う。頭が覚醒する。誰かが近づいてくる。
音をたてないように、首を壁側に回す。単なる物取りなら、金目の物を盗ってすぐに退散するはずだ。私は寝ている。顔も壁に向いている。だから、大丈夫。姿を見られたかもしれないから口封じしよう、などという発想は生まれない。大丈夫。
侵入者が(大丈夫)廊下をまっすぐ歩いて(大丈夫)居室に足を踏み入れたことが気配で分かる。大丈夫……、でも殺されるかもしれない!
死を始めて意識する。そのあまりの重圧に息ができなくなる。フローリングの床をすり足で歩く音。その足音が、ふいに途絶える。動悸が激しくなる。侵入者が立ち止まる理由は一つしかない。私を、見ているのだ。
全身に悪寒が走る。太ももに爪を刺して、体の震えを止める。黒い人影がベッドを見下ろす姿を想像する。確認しているのだ。私が、本当に寝ているかを。
目を強くつぶり、死にもの狂いで寝たふりをする。静寂が続く。しかし、背後から聞こえるわずかな呼吸音がそこに誰かがいることを教えている。
人影はピクリとも動かない。私をじっと観察している……? 単なる泥棒ではないのか。まさか強姦が目当てで、私に乱暴するつもりなのか。侵入者の目的が分からず混乱する。このまま嵐が過ぎ去るのを待つだけではダメかもしれない。
息を殺して寝たふりを続ける。
手遅れになる前に行動する。
頭の中に選択肢を浮かべ、後者について考える。具体的にどんな方法が考えられるか。たとえば、同居人がいると思わせるのはどうか。
(トイレ……、何度も行ってるけど、お腹の調子悪いの?)
体の向きは変えずに、ぼんやりした声で言ったとする。部屋には私しかいないけど、トイレにもう一人いると思わせられないか。女一人でないと分かった侵入者は、見込みが外れたと思い、急いで引き上げる――。
いや、ダメだ、と即座に否定する。出ていく前に確認するかもしれない。そして、トイレには誰もいないのだからすぐに嘘だと分かる。嘘は、確かめられるものであってはならない。
(ケンジ……、アイス、買ってきてくれた?)
これならどうか。コンビニに買い物に出ていた彼氏が帰宅したと私が勘違いした。そう思わせられないか。今は外出しているのだから、確認する術はない。ぐずぐずしている暇はない、彼氏と鉢合わせする前にマンションから逃げ出さなければ、と思う、はず。
いや、いやいや、とこの案も却下する。事前に調べていたかもしれない。今夜、私が一人でいることを。その可能性は高い。部屋の外は内廊下になっていて、手前にエレベータ、奥に非常階段がある。ここは七階だから階段を使う人はめったにいない。侵入者は非常階段の踊り場に身を隠して、ずっと監視していたのではないか。そうであれば、部屋に私しかいないことは明らかだ。同居人の存在を臭わせるのは難しい。
別の方法を考える。と同時に、もしや、と思う。いま、私に彼氏はいない。ケンジとは先月まで付き合っていた元彼の名前だ。
もしや、侵入者はケンジではないか。この男(きっと男だろう)は、無差別に家を物色して、たまたま私の部屋に侵入したとは考えにくい。ピッキングをしたのか、合鍵を作ったのかは分からないが、事前に準備をした上でこの部屋を選んだはずだ。
ケンジとは綺麗な別れ方をしなかった。彼が浮気したとかではないが、一方的にサプライズを仕掛けてくる彼に疲れてしまい、私の方から別れを告げた。気まずかったので、その後の連絡は一切、無視した。既読スルーをする限り、ケンジには未練があるようだったし、近しい人物の中でこんなことをするのは彼しかいない。
侵入者がケンジならば話をする余地はある。しかし、そう決めつけることはできない。自分が気付いていないだけで、ストーカーに狙われていた可能性もある。それに、相手が誰であろうと女性の部屋にこっそり侵入するような奴がまともな神経をしているとは思えない。話し合いでどうにかするのは危険だ。
ならば、どうするか。先手を取ってこちらから攻撃するか。女の力とはいえ、奇襲を仕掛ければ思わぬ一撃を与えられるかもしれない。ひるんだ相手に畳みかければ、スキを突いて外に逃げ出すことは可能だろう。
手近にある物で、武器となりそうなものを考える。スマホ、は心許ない。ティッシュ箱は虫しか殺せない。電気スタンド、が有力か。思い切り殴れば、十分、ダメージを与えられる。
ただ、一つだけ懸念がある。電気スタンドはたこ足配線に差しっぱなしだ。そのまま持ち上げても引っかかってしまうので、当然、コードを抜かなければならない。
上体を起こしてヘッドボードから身を乗り出す。床のコンセントを抜く。スタンドを持って立ち上がり、男に振り下ろす――どんなにスムーズにできても、二秒は掛かるだろう。男はその二秒を許してくれるか。少なくとも、身構える猶予はある。行動の途中で取り押さえられるかもしれない。取っ組み合いになれば、勝ち目は薄い。電気スタンドはリスクが高すぎる。
武器はすぐに使える物が望ましい。目覚まし時計、が候補に上がる。スマホよりは大きいし、初動も速い。ただ、侵入者も丸腰ではいないだろう。ナイフ、スパナ、何かしらの武器を持っていると想定した方がよい。目覚まし時計だけで対抗するのは無茶だ。
だから、組み合わせてはどうだろうか。まず、目覚まし時計を男に投げつける。枕元に手を伸ばして時計を投げるくらいなら、一秒もかからない。どこにぶつかるかは運の要素が大きいが、最悪、当たらなくてもいい。重要なのは、男を驚かせること。寝ていると思っていた女がいきなり攻撃してきたら、どんな男でもぎょっとするはずだ。その隙に立ち上がって、ベッドの裏に回る。ケーブルを抜き、本命の電気スタンドで殴りつける。要は、ボクシングのワンツーだ。ジャブで相手の動きを止めてから右ストレートを打ち込む。いきなり大砲を振り回すより、よほど成功率は高いだろう。
目覚まし時計を投げて、電気スタンドで殴る。攻撃手段を頭の中で何度もシミュレーションする。時計が命中したパターン、しなかったパターン、スタンドの一撃で決まったパターン、追撃が必要なパターン。あらゆる状況を想像し、想定外を潰していく。時計をつかみ損ねた場合、ケーブルを抜くのに手間取った場合、考えられる失敗を列挙し、そのリカバリプランも策定する。計画を練りに練り、これならいける、と確信を持つ。シミュレーションは完璧。あとは実行するのみなのだが……、いや待てよ、と思い直す。
侵入者が部屋に来てから、どれくらい経っただろうか。時間の感覚はあいまいだが、一時間は経った気がする。その間、侵入者は何もしてこない。人の気配はするので居なくなったわけではない。ただ、じっとしている。ということは、この人物は私に危害を加えるつもりはないのかもしれない。
だとするなら、私から仕掛けるのはやぶ蛇。眠っていた虎を起こす愚策でしかない。
しかし、侵入者がこのままおとなしくしている保証もない。今はただ踏ん切りがつかないだけで、数分後には襲い掛かってくるかもしれない。何か、目的があるはずなのだ。その目的が、私にとっていいものであるはずがない。やられる前にやるべきではないか。
いや、しかし、男が攻撃的でないなら、もっと最適なプランがある気がする。会話が成立するかもしれない。不意打ちを仕掛ける前に話をしてはどうか。相手の素性を知ることで、より確実な隙が見つかる。トイレに立つことができれば、台所から刃物を調達するチャンスだって生まれる。
いや、しかし、私が起きていると分かったら、ひょう変するかもしれない。男は迷っているだけなのだ。なぜ、悠長に迷っていられるか。それは、私が寝ていると勘違いしているからだ。自分が声を発した瞬間、それが引き金になり、男は行動に移すかもしれない。やはり、動くなら、奇襲しかない、いや、しかし、あるいは……。
「……で、結局、どうなったの?」
友人が呆れたような声を出す。私は頭をかいた。
「気が付いたら朝になってた」
「何それ。つまり、あんたの勘違いってことでしょう。もうバッカみたい」
友人は「助けて、今すぐ来て!」と私が電話で伝えたSOSを、皮肉たっぷりにマネる。
「家に押し入った人なんていなかったんじゃない。こっちは仕事休んでまで来たのに。こんなくだらない話をするために、わざわざ呼んだわけ?」
呆れを通り越して怒り出す友人を、私は必死になだめる。
「ううん、違うの。この話には続きがあって……。侵入者は、本当にいたの」
「は?」
「侵入者はケンジだったの」
まったく意味が分からない、と眉を寄せる友人にきちんと説明する。
「彼は、合鍵を勝手に作ってたの。まだ、私と付き合ってたとき、スペアキーを黙って拝借したんだって。理由を聞いて、寒気がした。もうすぐ私の誕生日でしょう。私が出かけている隙に、こっそり家に入って、飾り付けをして、私がドアを開けた瞬間にクラッカーを鳴らしたかったんだって。それで、私が喜ぶと思っているのが気持ち悪いでしょう。あなたのそういう所が嫌いなのよ、って喉まで出かかったわ。ま、言わなかったけど。で、サプライズをする前に私が振ったから、合鍵だけずっと持ってたんだって」
「えっと……、よく分からないんだけど、部屋に押し入ったのはケンジで、その彼と話をしたってこと?」
「そうそう。あ、ごめんね。ちゃんと時系列を追って話す。まず、私はずっと寝たふりをしていた。いろいろと考えてはいたんだけど、結論が出なくて、朝になっちゃった。ここまではいいよね。で、そのあいだ、ケンジは何もしなかったの。私を逆恨みして、はじめは乱暴するつもりだったみたいだけど、私の寝顔を見て急に怖気づいたんだって。ほんと、男のくせに意気地がないでしょ。無駄にフェミニストを気取っているのもムカつくし。別れて正解だった。
それで、彼は私が起きるのをずっと待ってたらしい。でも、朝になって、セットしていた目覚まし時計やスマホのアラームが鳴り出して、あ、私、朝が弱いからどっちも使ってるの、で、私はそれでも起きなかったのね。正直、心臓はバクバクしてた。まだ相手が誰だか分かってなかったし。これで起きなかったらさすがに怪しまれる、でも、起きて振り返るのも怖い、でも起きなきゃ、でも、でも……、って繰り返してたら、さすがにケンジの方がしびれを切らしてね。私に話しかけてきたの。ほんとは起きてるんだろ、って。その声で、ようやくケンジだと分かって、おそるおそる起き上がったの」
「彼は、あなたに何もしなかったの」
寝込みを襲われそうになった事実を知ったせいか、友人はこれまでの態度とはうって変わって心配そうに言った。やはり彼女はいい人だ。私は嬉しくなる。
「うん、ありがとう。大丈夫。ケンジも、朝までずっと起きてたせいか、さすがに眠そうだった。私をどうこうしようって気持ちはなさそうに見えた。でも、当然、油断はしてない。目覚まし時計を止めたとき、彼にばれないように電気スタンドのケーブルは抜いたし。そこから彼の話を聞いてたんだけど、いつでもスタンドで応戦する準備はしてた。
合鍵のこととか、部屋に来た理由とか。ひととおり事情を聞いたあと、彼、なんて言ったと思う? その、ごめん……、ふふ、いま思い出しても、笑っちゃうんだけど。ケンジったら、私と、よりを戻したいなんて、言うのよ。
バカみたいでしょ。どこの女が、振った男と、しかも部屋に忍び込んできた男と、もう一度、付き合おうなんて思うのよ。どういう神経してんだって、こみ上げてきたんだけど、なんとか我慢した。だって、そうでしょう。彼は……、ふふ、真面目に言ってるの。だから、ここで笑ったりしたら、さすがに、激高するかもしれない。ナイフとか、そういう凶器は持ってなかったけど。真夜中に元カノの家にこっそり侵入して、襲っちゃおうなんて考える男なんだから。刺激したら、何するか分からない。ほほの内側を噛みながら、私は必死に迷っている振りをした。
で、なんとか穏便に済ませようとしたの。あなたの気持ちは嬉しい。こんなに、私を好きでいてくれたなんて、思わなかった。自分でも、よく笑わずに言えたと思う。でも、正直、いまは混乱してて、なんて返事をしたらいいか分からない。だから、ちょっと考える時間をくれないって。当然の心理でしょ。こっちは、知らない男に殺されるかもしれない恐怖を夜通し味わったんだから」
友人は神妙な面持ちを崩さず、黙って話を聞いている。少しは笑ってくれると思ったので、ちょっとだけ肩透かしを食らった。
「ええっと、それでね、やっぱり彼は頭がおかしかったのね。もう、待つのは嫌だ。耐えられない。いま、ここで返事を聞かせてくれって言うの。あ、やばい、と思った。こんなの、ほとんど脅迫じゃない。目は血走ってるし、普通じゃないと思った。私がYESって言わなかったら、何されるか分からない。だから、NOとは言えない。保留もできない。どうしよう……、って考えたの」
「また、延々とシミュレーションしたわけ?」
ようやく、彼女は軽口を叩いたが、私は首を振った。
「ううん、答えは決まってた。私が考えたのは、その後のこと。だいたい、四パターンくらいのプランを考えたところで、YESって言ったの。時間も無かったし、とりあえず、そう言うしかないでしょ。で、ここからが本題なんだけど」
と言いながら、私はクローゼットを開けて、ケンジを紹介した。
「今日、あなたをここに呼んだのは、かんたんにいえば口裏を合わせてほしかったからで……」
突然すぎたかもしれない。友人は、私とケンジを交互に見て、ガラスが割れそうな悲鳴を上げた。
「ごめんね。急にこんな物見せて。これが、ケンジ。私を襲おうとした不届き者。でも、安心して。いまは息をしてないから」
ね、落ち着いて、と私は友人の背中をさする。
「結論、やられる前にやろうと思ったの。この場を凌いで、警察に連絡して、ケンジが逮捕されたところで、一生、彼が檻の中にいるわけじゃない。何年かすれば出てきて、私に復讐するかもしれない。そんな恐怖とずっと付き合うなんて、耐えられない。だから、殺すことはすぐに決まった。
ん? うん、そう。彼が服を着てないのは、そういうことをしようと思ってたから。寸前までいったけど、途中で思い留まったんだって。バカみたいでしょ。私、パンツいっちょの彼とずっと話してた。
まだ、一時間も経ってないかな。私の答えに舞い上がる彼は無防備だったから、結構、かんたんだった。電気スタンドで殴るイメトレはばっちりだったし。後頭部を一発。倒れなかったけど、よろめいてくれたから、もう一発。床にうつぶせになったところを、二発、三発、四発と繰り返していくうちに動かなくなった。右腕が筋肉痛になりそう。
ケンジが死んだのを確認して、あなたにすぐ電話したの。もし、あなたが出なかったり、家に来てくれなかったら、プランA。警察に電話して、事情を話すつもりだった。ただ、できれば、これは避けたかった。だって、私は実際に襲われたわけじゃないし、正当防衛になるか微妙でしょ。もちろん、話は盛るつもりだけど、彼を殺す正当性があったかどうか、弁護士がポンコツだったら認められないかもしれない。
だから、私は祈るような思いで電話した。早朝だったけど、あなたは出てくれて、すぐに駆けつけてくれたよね。ほんとに感謝してる。で、ここからがプランBなんだけど……。どうしたの、顔が真っ青よ。何か温かいものでも飲む?」
友人は蚊の鳴くような声で「いい……」と断ったが、私は台所に立った。かといって、のんびりしてる時間はない。お湯が沸くの待ちながら、説明を続ける。
「でね、プランBはいま言った通り、口裏を合わせてほしいの。昨晩、あなたは私の家に泊まりに来ていて、朝、二人でいるところにケンジが訪ねてきた。で、彼がいきなり私に襲い掛かってきたから、自分の命を守るために彼を殺した。そう、証言してほしいの。一人よりも、二人の方が説得力あるでしょう。ね、お願い。今度、ランチ奢るから」
二人分のコーヒーを淹れ、テーブルに置く。彼女は手を付けようとしなかった。このプランは無理そうだなと思い、次の選択肢へ進む。
「うん、無理なら無理でいいの。強制はしない。ねえ、どうしたの。さっきから、ずっと顔が強張ってるけど……。あ、これ? そう、プランCで必要だから持ってきた。あなたは口裏とか合わせなくていいから、私の背中に切り傷だけ付けてくれない? この包丁でね。ケンジがナイフとか持参してくれたら都合よかったけど、彼、手ぶらだったから。ほんと気が利かないよね。しょうがないから、うちの包丁を振り回してきたことにする。私は背中に傷を負いながらも奥に逃げて、とっさに電気スタンドを掴んで、彼の頭を殴った。こういう筋書き。彼の計画的な犯行、っていう印象は薄まるけど、一人で背中に傷を付けるのは難しいから、プランAよりは正当防衛の可能性がぐっと高まると思うの。もちろん、あんまり深く刺さないでよ。まだ、嫁入り前の体だもん。目立つ痕は残したくないわ。どう、できそう? 私の背中を刺してくれたら、それで終わり。警察が来る前にあたなは家に帰ってね。プランBよりは考えることも少なくて、イージーだと思うけど」
私の提案に、彼女はうんともすんとも言わない。やはり、ケンジの死体はショックが大きすぎただろうか。気持ちは分からなくもないが、こんな調子で大丈夫だろうか。彼女のメンタルの弱さを心配しつつ、次のプランを説明する。
「もちろん、これも無理強いはしない。人の、ましてや友達の体を傷付けるなんて、簡単にできることじゃないよね。そのときは、プランD。いきなり呼び出しといて悪いんだけど、警察がここに来る前に帰ってほしい。あなたは何もしなくていいから。ただ、プランAと違うのは、あなたがこのことを知ってしまった点ね。だから、約束だけしてほしい。私がいま話したこと、誰にも言わないって。それくらい、できるよね。私が有罪になったら、あなたも悲しいでしょ」
友人は顔面蒼白で、パソコンがフリーズしたように固まっている。私はだんだんとイライラしてきた。
「ね、ごめん。早くしてくれない? これ以上、警察への通報を遅らせたくないの。あまり時間を空けすぎたら、何か工作してたんじゃないかって不審に思われるでしょ。気が動転して、という言い訳は万能じゃないの。それくらい、分かるよね。だからお願い。今日のことは忘れていいから、他言はしないって約束して」
私が強い口調で迫ると、友人は唇を震わせながら「わかった」と言った。
「何が分かったの?」
いちおう、確認する。
「いま聞いたことは、誰にも言わない。約束する」
友人の泣きそうな目を見て、少しだけ考える。不安なところはあるが、うーん……、よしっ、と私は腹をくくった。
「ごめんね、変なことに巻き込んじゃって。あ、そうだ。この前、友達からフランスのお菓子をお土産でもらったの。お詫びのしるしじゃないけど、おすそ分けしてあげる。ちょっと待ってて」
私は玄関まで歩き、戸棚を開けた。
(朝、ケンジが急に家に来たんです。俺とよりを戻してほしいって。私は部屋に上げたくなかったら、玄関口で断ったんですけど、そしたら、彼、人が変わったように怒り出して。私を突き飛ばして、部屋に上がり込んだんです。私が尻餅をついてる隙に、台所から包丁を取って振り回してきました。私は部屋の奥に逃げたんですが、彼も追いかけてきて。私は腰が抜けて動けませんでした。けど、昨晩から家に泊まりに来ていた友人が体を張って、助けてくれました。ただ、彼と友人は取っ組み合いになって、その争っているひょうしに、彼の持ってた包丁が、彼女のお腹を刺して……)
不安要素はあるが、ダメそうだから仕方ない。私は、戸棚に隠していたケンジの服に着替え、プランEを実行した。