第07話 Are you a destructor?
「発車しまーす」
星野はバスの席に座っていた。
バスが発車する。だが行先はわからない。
外の景色は真っ暗で、トンネルの中を通っているようだった。だが実際のトンネルにはあるはずの照明がない。
不思議に思いながらも辺りを見渡すと、見覚えのある顔ばかりが並んでいる。
(あれは誰だっけ? どこかで見たことあるような……あの人も、あの人も……みんな女の子だ……知り合いだっけ?)
星野は窓際に座っており、隣の席は空いていた。
乗客のひとりが席を立ち、星野の隣の席に座る。
「ねえ、あなたは麻雀したことある?」
見覚えがあるはずだ、それは星野が声優を担当した麻雀部の少女だった。
「いえ、ありませんが……」
「ふーん、まあそんなもんだよね……それと、私がネットでなんて言われてるか知ってる?」
「わかりません……」
「そう、じゃあまたね」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
(これは夢だ、私、早く眼を覚まさないと……あの子が……あれ、あの子って誰だっけ?)
星野はそう思いながらも何故か身動きが取れず、そのままバスは発車した。
すると、またひとり乗客が星野の隣に座る。
「サバゲ―の弾って意外と痛いんだよね、やったことある?」
それは星野が声優を担当したサバイバルゲーム部の少女だった。
「いえ、ありませんが……」
「そっか、まあいいや、それじゃあまたね」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
またひとり、星野の隣に腰を掛ける。
「風景写真……撮ったことある?」
それは星野が声優を担当した風景写真の撮影を趣味とする少女だった。
「いえ、たまにスマホで撮るくらいですが……」
「そう……わかった、じゃあこれで」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
またひとり、星野の隣に腰を掛ける。
「釣りと言えば?」
それは星野が声優を担当した釣り部の少女だった。
「わかりません……」
「引きの強さに拘ったらブラックバスでしょ。
生命力でもブラックバスでしょ。
何よりキャッチアンドリリースがブラックバスでしょ」
「……意味がわかりません」
「そう、長いツインテールって引っかかりそうで危ないよね。
じゃあこれで」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
またひとり、星野の隣に腰を掛ける。
「部活の人間関係って、意外と複雑だよね」
それは星野が声優を担当した吹奏楽部の少女だった。
「……そうですね」
「お互い友達だと思ってても、お互いの距離感にギャップがあることってあるよね」
「どういうことでしょうか?」
「わからないならいいよ。
じゃあまたね」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
またひとり、星野の隣に腰を掛ける。
「私の顔、知ってる?」
それは星野が声優を担当した自転車部の少女だった。
「はい、わかります。
どういうことでしょうか?」
「そっか、収録するだけじゃなくて、見てくれてるんだね。
ありがとう」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
またひとり、星野の隣に腰を掛ける。
「周りの人が困っているのが分かるのって辛いよね」
それは星野が声優を担当した魔法少女だった。
「はい、みんな多かれ少なかれ困っています」
「それと、周りの人が自分を残して消えていくのって、どういう気分だと思う?」
「……わかりません」
「そっか、わからない方が幸せだと思うよ」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
またひとり、星野の隣に腰を掛ける。
「アイドルみたいになって、どんな気分?」
それは星野が声優を担当したアイドルの少女だった。
「私はアイドルなのでしょうか?」
「そうだと思うよ。
だってみんながあなたを見てる。あなたに憧れている。あなたを崇拝している。
それがアイドルでなくて何なの?」
「……わかりません」
「そっか、まあ、そうやっていられるのも今のうちだよ」
するとバスが停車する。
星野の隣に座った少女は、席を立ち降車して闇の中に消えていった。
「発車しまーす」
そして、ひとり、またひとりと星野の隣の席に座り、意味ありげな会話を交わしてから降車して行く少女たち。
その全てが星野が声優を担当したキャラクター達であった。
最後に残ったのは運転手と星野だけ。
それでもバスは、暗闇の中を走り続けるのだった。
「お待たせしました、次、終点です」
突然運転手がそう宣言し、そしてバスは停車する。
席についたまま戸惑っている星野に運転手が呼びかける。
「お客さん、終点ですよ。降りてください」
「あ、いえ、でも」
星野はこれが夢であると確信していたが、なぜかこのバスを降りることに抵抗があった。
「……何か、忘れ物ですか?」
運転手が訪ねる。
「はい」
星野はなぜか咄嗟にそう答えていた。
(何か……何かを忘れている……なんだっけ? とても大切な……)
「そうですか、でしたら」
運転手がそう言うと、バスの扉は閉まり再び走り出す。
バスの進む方向の遥か先に暗闇の中に光る点が見えた。
それは、徐々に大きくなってゆく。
そして、気付けばその光はバスを包み込んでいた。
しかし、星野はそれよりも別のことが気にかかっていた。
(この運転手の声、どこかで……わからない……思い出せない……)
――
「星野さんの意識が戻りました!」
急に響く大声。
星野には聴き覚えの無い声だが、それが喜びの感情を表していることだけは理解できた。
(眩しい……ここは…あの人は……白衣? ……白衣を着た人が居るということは、ここは病院?)
しばらくすると、医者が星野の視界に入ってくる。
「おお、これは、神に愛されたな」
「院長、冗談はやめてください」
「いやぁ、つい嬉しくてな、星野さん、あなたは自分が誰かわかりますか?」
そう促された星野の意識が少しずつ覚醒してゆく。
「ほしの……みよ、星野御輿です……」
「おお、それは良かった! 気分はどうかね?」
やたらと弾んだその声に、星野はうまく反応できない。
「……」
「事態が飲み込めていないようだね。
ここは病院、大地総合病院です。
星野さん、あなたはもう3ヶ月ほど眠っていたんですよ」
(眠って? 私、仕事の帰りに……)
「去年の初雪の日、あなたは道に倒れていたんだよ。
それで、原因はわからないが、意識がずっと戻らなかったんだ」
星野はその声の明るいトーンの意味がやっと理解できた。
「……っ!」
とりあえずお礼を言うために起き上がろうとするが体に力が入らない。
「あ、ありがとうございます。
私、倒れていたんですね……すみません、体に、力が」
「おお、無理は良くない。
少しずつリハビリして行きましょう」
「はい……わかりました」
それから星野はベッドの上から窓の外を眺め続けていた。
その目に入る光の全てが眩しく、そして希望に満ち溢れて見える。
しばらくすると、星野の父と母、それに公共報復振興会の幹部が面会に訪れた。
「御輿! 大丈夫か?」
「お父様……」
「御輿、心配したんですよ」
「お母様……」
「会長! よくぞご無事で!」
「皆さん、ごめんなさい、私」
その日、星野にゆかりのあるすべての人物が、星野の目覚めに歓喜した。
「御輿、無理をさせてすまない。
振興会の皆さんには全て本当のことを話した。
心配することはないぞ」
「お父様、では振興会は?」
「皆、お前の目覚めを待ち望みながら活動に勤しんでいた。
今はみんなお前の目覚めに喜んでいるぞ」
「そうですか……では、早く復帰しなければなりませんね……」
「そうか……すまないが私もそうして欲しいと考えている」
「いいんです。自分で決めたことですから」
「だが、今は自分の身体を第一に考えるんだ。
しばらくは無理しないように」
「……わかりました。
でも、一刻でも早く……声優の仕事もありますし……」
「そちらは今、代役を立ててもらうという形で対応しているよ。
だけど、みんなお前の復帰を待ち望んでいる。
SNSを覗いてみるといい」
「そうですか……頑張らなくちゃいけませんね」
その日から星野はリハビリを始めた。
最初は指先を動かすことから始め、少しずつ筋力を取り戻して行く。
そして、数週間のリハビリを経て起き上がれるようになり、歩行の訓練をしていると、星野は視界の端に影のようなものが見えるようになった。
それは、その病院の職員、入院している患者の一部の者も目撃しており、噂ではこの病院で亡くなった子供の霊だと言われていた。
(皆さん幽霊だなんて言ってるけど、そんなものあり得ない。
病院という場所がそういう錯覚を見せるんだろうな)
オカルトや超常現象を信じていない星野は内心バカバカしいとすら考えていた。
しかし、彼女のリハビリも終わりが見え始めた頃――
「あら、星野さん、もうそんなに歩けるようになったんですね」
星野が廊下を歩いていると、看護師が声をかけてきた。
「お陰様です。ありがとうございます。
ちょっと外の空気が吸いたくなって、どうしようかと」
「この上の階は屋上ですから、この階段を昇れば出られるんですが……」
「大丈夫ですよ! 階段を上るくらい……ほら! ……ととっ」
星野の身体はまだその気持ちに着いて行くことができなかった。
「……まだ難しいみたいですね」
「すみません……出直してきます」
「少しずつ、少しずつですよ。無理は良くありません」
「はい……わかりました」
その日の夜、星野は無性に眼が冴えていた。
そして、吸い寄せられるように階段に向かう。
昼間は上れなかった階段だが、いともたやすく上り切ることができた。
星野はそのことを不思議に思いながらも、屋上の扉を開ける。
そこには夜のひんやりとした空気と、光り輝く夜景が広がっていた。
彼女は手すりにもたれかかり遠くを見つめる。
(綺麗……だけど、この光の中にも、不幸を感じている人がいるんだろうな……
その人たちのために、早く復帰しないと……)
「そうだね、キミが考えている通りだ。
みんな、それぞれ不幸を感じ、悩みを抱えている」
「誰……ですか?」
星野が声のする方を向くと、そこには小学生ほどの子供が立っていた。
癖のある青白くて短い髪と、黄色い瞳をしたその子供は、患者衣をまとい、ほのかに光を放っている。
「この病院で噂されているのを聞いたことないのかい?」
「幽霊? いえ、そんなものあり得ません」
「そう、あり得ない。あり得ないし、あってはならないんだ……ボクの声が聞こえるなんてこと」
「……どういうことですか?」
「それはキミがこっち側に来てしまったということなんだよ」
「な、何を……」
「説明させて欲しい。いいかい、この世界は物理法則に支配されている。
そしてボクらのような存在は、その物理法則が起こす現象から逸脱している、いわゆるコンピューターにおけるバグのようなものなんだ。
そう、物理的にあり得ない、物理法則を超越している。ではなぜそんなものが存在するのか……」
(これは錯覚だ……私の不安定な精神が見せる幻なんだ)
「幻ではないよ。確かに存在している。
キミは自分の感覚を信じていないんだね……まぁ、無理もないか」
「なぜ、聴こえるんですか? やっぱり、夢?」
「言っただろ、キミはこっち側に来てしまったんだ……とりあえず落ち着いて聴くといい。
物理法則というのは安定を求める。
数ある偶然の中から、安定した状態になるために一番効率的な選択肢を選ぶ。
暖かい物から冷たい物へと熱量が移動し同じ温度になろうとするのは、同じ温度になることが一番安定した状態となるからだ。
場のエネルギーが偏ることなく均一になること、これが一番安定した状態と言える。
物理法則において全ての現象はそのために起きている。
その物理法則に対して、生物が持つ意識というものがある。
この物理法則の世界の外側にあるのが意識だ。
この世界に存在する生物は全て意識の乗物で、意識は生物の感覚を通してこの世界を映画のように外から鑑賞しているだけだった。
しかし、意識には耐えがたい現象がこの世界では起こる。
物理法則の赴くままに生物が行動すると、全ての生物は同じ現象を目指すようになる、種の自滅だ。
それは主に争いによるもので、何故そのようなことになるのかと言えば、それが一番安定した状態、生物が存在しない状態に近付く最も効率的な方法だからだ。
そう、生物が存在すること自体、エネルギーが偏った不安定な状態なんだ。
その世界を安定させるために起きている現象、生物が滅んで行くことに意識は耐えられず、この世界に干渉するために意思を生み出した。
キミは意思がどのように作用しているか知ってるかい?」
「どうって……人はその意思によって行動しているのでは?」
「違う、行動するだけなら意思は必要ない。
行動というのは本能的な無意識が脳内で肉体に命令を下した結果によって起こされている。
では、自由意思というものは存在しないのか? そうではない。
脳を解剖しても、生命活動が停止する前後を比較しても、意識に相当するものは観測できなかった。
しかし、人間は自由意思を否定され、全ての行動が無意識のうちに決定されていると教えられると、その行動に責任を持たなくなり、反社会的になる。
ということは、自由意思が行っているのは、無意識のうちに決定された行動に対して、ブレーキをかけたり、行動を変化させたりすることとなる。
そう、最初に無意識の決定があって、その後人は悩むんだ。
悩んだ末に無意識の決定に納得できる理由が見つけられればそのまま肉体を動かして行動するし、納得できなければ行動を変化させる。
人類はこのことを発見したがために、意識の存在を逆説的に、反証的に肯定することとなった。
そして、無意識の決定はやはり物理法則に支配されていて、一番安定するために効率的な方法を選択する。
しかし、そうすることにより起こる争いにブレーキを掛けたのが意思の力であり、それが故に生物は社会性を身に着け、お互いに譲り合いながらここまで共存することができた。
キミが全ての人類の公平な幸福を目指しているのは、無意識の決定に抗った結果の極致だと言える。
意識は意思の力を使って本来あり得ない物理法則の世界への干渉を可能とした。
それはこの世界を、見ているだけの映画からコントローラーでプレイできるゲームのように変化させたんだ。
では意思はどのようにして行動にブレーキをかけるのか、それは、この世界の物理法則を捻じ曲げて上書きすることによって、行動、筋肉の動きを変化させる電気信号を脳内に発生させるんだ。
そう、この意思の力自体が物理法則を超越しているんだ。
意思とは物理法則に抗う力そのものなんだよ。
意思は全ての生命に与えられたが、ほとんどの者は脳内に微弱な電気信号を起こすという程度のことしかできない。
しかし、それをうまく使いこなすことができる意識たちが一部の哺乳類を進化させ、人類を誕生させた。
意思をうまく扱えるということは、行動を自在に変化させ、自分たちに有利な状況を作り出せるということだ。
それは本来生物が恐れるべき火の利用をも可能とし、道具を創り出す力ともなった。
何故意識が意思の力を使えるのかはわからないが、さっきも言ったように、この世界が映画やゲームのようはもので、意識にあたる存在を楽しませるために何者かが作り出した世界だからなのかもしれない」
「つまり、私たちは上位存在によって生かされているだけだと? そんな酷いこと……あり得ません」
「そんなこと考えても意味がないだろう? ボクたちはそれを観測できない。
観測できないものに感情をぶつけてもどうにもならないよ。
さて、ではボクの存在はなんなのか、ということだけど」
「私の脳が生み出した幻に……決まっています……」
「ちょっと自信がなくなってきたみたいだね……そう言いたいのはわかる。
しかし、キミは確かにボクを観測している。
勿論中には脳が生み出した幻もあるだろう。
意思の影響が強すぎるが故に不安定な精神を持つ人間もいる。
だが違うんだ。
ボクは……あるひとりの医師の失敗から生まれた。
医師の失敗で死んだ子供の……幽霊ということになる。
みんなが噂している通りさ。
しかし、厳密にはボクはその子供ではない。
ボクはその失敗した医師の意識が現実を受け入れられないがために物理法則を捻じ曲げて誕生させた存在なんだよ。
意思というのは厄介で、思いがけない結果をもたらす。
子供の死に耐えられないからこそ、意思が子供を形作るんだ」
「そんな……」
「それだけじゃない。
この病院で死んでいった子供たちの親の意思も関与している。
現実に耐えられない意識から芽生えた意思が、同じ場所に集中すればするほど、ボクの存在は強くなってゆくんだ。
死人に口なしというのは本当で、結局は生きている人間に全ての責任があるという訳さ。
死んだ人間、存在しない人間の意思もまた存在しない。
そう、幽霊が存在しないというキミの主張は正しいのかも知れないね。
さて、となると、何故キミがボクの存在を認識できるかということを説明しなきゃならないね。
キミとボクには全く関係が無い、それなのに認識できる、これは何故なのか。
……それは、さっきも言ったように、キミがこっち側に来てしまったからなんだよ」
「……どういう意味ですか?」
「キミの身体には意思の力が集中しすぎている、意思の集合体になってしまったということさ。
ボクと同じにね、だからこうやってお互いを鮮明に認識できる。
なぜそんなことになったのか、それはキミが会長を務めている団体が人の意思を集めるのに適した形となっているからだ。
キミが会長であるということも加味されて、その力は互いに影響し合い、更に大きな力のうねりとなった。
そして極めつけは君の職業が……役者であり声優だと言うことだ」
「声優が……なぜ?」
「ボクは子供に対する意識の集合体だからね。
子供文化が基となっているアニメに関しては多少理解があるんだが……
キミはキミが出演しているアニメの視聴者のことを考えたことがあるかい? あるだろう。
キミが主に演じているのは少女だ。
その少女が青春を謳歌したり、困難に立ち向かったりするものがほとんどだろう。
出演しているのは少女、しかし、視聴者層は男性……そりゃそうだ、男性向けに媚びを売るようなキャラクターで作っているからね。
じゃあ視聴者は、現実の女性から相手にされないからアニメの少女を好きになるのか? 勿論そういう見方もあるだろう。
しかしそれは表層的な一面でしかない。問題は更に奥深いところにある。
視聴者の男性たちは、皆、理想と現実とのギャップを感じている。
それは視聴者の男性に限らず、ほとんどの人間が感じているものだ。
現実に対する自分の不甲斐なさ、罪悪感、後ろめたさ、そういったやり場のない感情を抱えている。
そんな人間がアニメを見る時、どういったことが起こるのか?
アニメのキャラクターというのは、現実の人間に比べて圧倒的に情報量が少ない。
だから、大部分の視聴者からは物語を構成する素材のひとつだと認識されている。
しかし、視聴者がキャラクターの言動や行動に共感を覚えた時、視聴者はそのキャラクターの欠けた部分を自分の情報で補うんだ。
そして、その自分の一部となったキャラクターが困難に立ち向かったり、苦しむ様を見て、やり場のない感情を発散するんだ。
そう、それはキャラクターに自分の身代わりになってもらい、やり場のない感情、やりきれない想い、そんな呪いのようなものを浄化してもらうことと同義だ。
キャラクターは視聴者にとって、呪いを肩代わりしてくれる者、生贄であるということだ。
だから、こと男性にとっては、自分の呪いに捧げる生贄として無垢な少女、巫女、魅力的な女性であることが望ましい。
ということは、キミが演じているキャラクターには、数多くの視聴者の呪い……ままならない現実に抗う意思が集中していることとなる。
キャラクターを構成する大きな要素のひとつである声優はその意思の影響を大きく受ける。
特にキミのように役に入り込む、役が憑依するような演じ方をしていればなおさらのことだ。
ではそうやって意思がひとりの体に集中した場合、その人間はどうなるのかと言えば……その生命を脅かすこととなるんだ。
無意識というのは効率の良い選択を行うようにできている。
だから人間は、意識しなくてもその生命を維持できる。
さっき、物理法則に任せて無意識のままに行動すると、自滅を招くと言っただろう?
だがそれは、団体としての、種としての自滅であって、個体に限って考えれば、その命を生きながらえさせるための最善を尽くしている状態となる。
ただその自分を生きながらえさせる行動が重なり合った場合、種としては滅亡に向かうというだけだ。
そりゃ、それぞれの生命が自分のために自分勝手に振る舞っていればそうなるだろう。
加えて言えば、人間は無意識のうちに、リスクの低い選択を行うことができる能力が備わっている。
しかし、意思の力で行動を変化させると、リスクの高い選択をすることとなる。
ギャンブル中毒になる人間がその最たるものだね。
それは個体の生命を脅かすことにもなるんだ。
意識が集中しすぎた肉体は、無意識の作用が弱くなる。
すると、生命を維持するための呼吸などの自律神経や免疫機能も弱くなるんだ。
それが、キミがあの雪の日に倒れ、永い間目を覚まさなかった原因だ。
意識が集中しすぎた肉体は、その重みに潰され死に至る……それが普通なんだ。
しかしキミは、死の淵をさまよいながらもまたこの世界に戻ってきた。
今キミの肉体は、意思が無意識を模倣することによって機能している。
それが、こっち側に来たということであり、キミが意識の集合体として存在しているということなんだ」
「そんなことを言われても信じられません……大体、私の身体は倒れる以前となんら変わりなく感じます」
「意思は物理法則を捻じ曲げるからね。
無意識を完全に模倣することもできるということだ」
「やっぱり私にはわかりません……」
「そうかい? だが覚えていて欲しいのは、その意思の力には限界が無いということだ。
意思の力、行動を制止する力はやがて創造する力となった。
昔の人間はそれをもっと有効に活用することができたという……それが、魔法と呼ばれるものだ。
意思の力で物理法則を捻じ曲げて望むがままの物理現象を起こす、これが魔法だ。
ただそれは危険すぎる力であったため、封印されたんだ。
その力は感情が大きく作用しているため、制御ができないんだ、このボクを生み出したようにね。
原理的には脳内に電気信号を起こすことと変わらない。だが、その影響は計り知れないんだ。
意思の力は新しい物を生み出すこともできるが、それが強すぎれば破壊を招くこととなる。
さて、キミがなりたいのは新しい世界の創造者かい? それとも……この世界の破壊者かい?」
「……どうして私にそんな話を?」
「ようやく信じてくれる気になってきたみたいだね。
……なあに、たまたま話の通じる人間が居たからだよ。
ボクは寂しかったんだ、話し相手が欲しかっただけさ。
……おっと、今日はもうお別れのようだ」
「では、どうして私はこの世界に……」
その時、後ろから声が響く。
「星野さん! どこに居るのかと思えばこんなところに! こんなところに居ては体が冷えますよ! お戻りください」
屋上の扉を開けた看護師が星野に呼びかける。
すると、いつの間にかさっきまで居た子供のような存在は消えていた。
病室に戻った星野は、屋上での出来事を何度も反復して思い出していた。
彼女はその後もリハビリを続けるが、そうしているうちに病院内における幽霊目撃の噂が大きくなってゆくのを目の当たりにする。
その噂は病院の外にも漏れるようになり、思いがけない事態を起こすこととなった。
「息子を返せー!」
「娘を返せー!」
この病院で子供を亡くした、――とは言っても運ばれてきたときには既に手遅れというケースも少なからずあったのだが――ともあれ大きくなった噂がそういった親たちの想いと共鳴し、病院の前を埋め尽くすデモ活動となった。
星野はそんな様子を病室の窓から見ていた。すると、院長がそんな集団の前に姿を現す。
「皆さま、申し訳ありませんが、そういったことは入院してる患者さんの迷惑になりますので……
勿論、私の判断やミスが招いたこともあります……なので、謹んでお詫び申し上げますので、どうか、どうか……」
「そんなこと言われても、子供たちは帰ってこないんだ! どう責任を取るつもりだ!?
子供たちは今もこの病院で悲痛な叫びをあげているんだ! お前にその気持ちがわかるのか!?
毎日患者を相手にしているお前にとっては日常茶飯事でも、ひとりひとりの子供にとってはそれが、その失われた命が全てだったんだ……どうして、どうして!」
集団はプラカードを掲げながら痛烈に院長を批判する。
それに対し、院長は頭を下げ、謝ることしかできない。
星野はその様子をいたたまれない気持ちで眺めることしかできなかった。
「ごめん、ちょっと借りるよ」
その時、星野の頭の中に声が響き、急に体の自由が奪われる。
「どういうことですか?」
「すぐ終わるから……許してくれ」
星野の身体はエレベーターを使い、一階にある病院の入り口まで一直線に進む。
頭の中に響くその声は、夜の屋上で出会ったあの子供のものであった。
「皆さん!」
星野の身体が勝手に発声する。
「な、なんだ君は?」
「聴いて下さい」
すると、尋常ではない雰囲気を察知した集団は動きを止める。
「ごめんなさい……先に逝ってしまって……ごめんなさい!」
すると、そこにいた人々は、自分の見ている光景が信じられないという表情をした後、口々に亡くした自分の子供の名前を口にする。
「ヨシミ……」
「カズオ!」
「……タカコなのか?」
そして次々と涙を流し崩れ落ちる親たち。
親たちには星野の姿と声が亡くした子供のもののように感じられたのだ。
皆それぞれ、それぞれの心に響くようなことを、自分の息子、娘に言われているような錯覚に陥った。
そしてそれは、院長にとっても同じことだった。
「悠季……悠季なのか……すまない……」
院長の謝罪に星野は、いや星野の身体を操る何かは応える。
「お父さん……ボクの方こそごめん……生きられなくてごめん」
「な、何を言ってるんだ……悠季、お前は私のミスで……」
「どうにもならないことはあるんだ……それは仕方ないことなんだよ
それに、お父さんはミスした訳じゃない……ボクは生まれつき身体が弱かったからね」
「だとしても、お前を置き去りにして私がのうのうと生きているなんて……やっぱり許されることじゃなかったんだ……
だから、こうして皆さんが……」
「でも、救えた命もあったんでしょう? この病院は緊急を要する患者を多く受け入れ、救うために最善を尽くしている。
だから、ここで失われる命があるのは仕方がないことだよ」
「だが……」
「そうするようになったのは、ボクを失ったからなんでしょ? それで失われてたかもしれない多くの命を救った。
それはお父さんが誇っていいことなんだよ」
「……悠季」
「それに、ボクは嬉しいんだ……お父さんの役に立てて……ボクは居なくなってしまったけど、それでお父さんはより強く、優しく、そして優秀な医者となった。
それが嬉しいんだ……だから、ボクはそれで満足だから……もう、苦しまないで……自分を責めるのはやめて!」
「悠季!」
院長は悠季、改め悠季が憑依した星野の身体にしがみつく。
「泣かないで……みんなもわかってくれるから……」
その集団幻覚のように泣き崩れた院長と親たちは、互いに謝り合いながらその場所を後にした。
院長を含め、親たちは皆、亡くした自分の子供と邂逅し、そしてそれを救えなかった罪悪感を吐き出し、その想いを断ち切って前を向くことを決めたのだ。
「……星野さん?」
「院長……お察し致します……」
「ありがとうございます……」
そのような騒動があった日の夜、再び星野は引き寄せられるように屋上へと向かった。
扉を開けるとそこには例の子供の姿があった。
「やっぱり、ここに居たんですね」
「ああ……いろいろと煩わせてしまい、すまなかった」
「いえ、私も人の役に立てて良かったです」
「ありがとう、そう言ってくれると助かる。
だが、結局ボクはキミを利用する形になってしまった……」
「そうするより方法がなかったんでしょう?」
「ああ、そうだ。キミはボクと意識を交わすことができたからね。
意思の力を理解してもらえれば、その力が利用しやすくなるって考えたんだ。
思いのほか長い話になってしまって退屈させてしまったかもしれないけどね、ははは。
……それに、キミの演者としての能力も好都合だった」
「ふふ、私これでも声優の端くれですから」
「いやあ、謙遜することはない、超一流だよ。
みんなその演技に騙されたんだからね……ははは」
「ふふふ……」
2人はその時初めて心から笑い合えた。
しかし、それも束の間、悠季は真剣な目で星野に語り掛ける。
「さて、そろそろお別れだ。もう意思の力が離散し始めてるからね。
お父さんと親たちは現実を受け入れ、想いを断ち切ることができた。
だからボクはもう消えなければいけないんだ。
まあ、それが目的だったんだから当たり前だけど」
「そうですか……最後に聴いていいですか?」
「ん、なんだい?」
「あなたが……私をこの世界に呼び戻してくれたんですか?」
「……違う、全くの偶然だったよ。
でもそれが本当に好都合だったんだ、お父さんを救うためにね。
ボクもこの機を逃すまいと必死だったよ。
いやもう死んでるんだけど」
「では……なぜ?」
「詳しいことはボクにもわからないね。でも……」
「でも?」
「……ボクはもう行くよ。
そうだな、それはキミが、キミの一番大事な人に聴いてみると良い」
「大事な……人?」
「ボクからもよろしく言っていたと伝えておいてくれ……と、せっかちな人だな……ははは」
悠季が話し終わるのを待たずに星野は走り出していた。その足が向かう先は――
(なんで……なんでこんなに大事なことを忘れていたんだろう……)
その肉体はリハビリの成果を遥かに超える能力を発揮して走り続け、その末にあのマンションの扉の鍵をこじ開けていた。
「ミカネ!」
しかし、そこには誰も居なかった。