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第04話 ふたりの日々

(変わっていない……そう、あの頃から)


 日向の家からの帰り道、彼女は高校生だった頃のことを思い出していた。

 彼女の本当の名前は星野ほしの 深織みおり。彼女はそれを自分の過去と共に捨て去ることを選んでいた。


「おはよう!」


「おはようー!」


 朝の教室に響き渡る生徒のさわやかな挨拶は、彼女らの明るい未来を指し示すように眩しく響いていた。

 しかしそれとは対照的な生徒がいた。


「……ます」


 星野は高校1年生の初夏、この聞き取れない挨拶をするクラスメイトがやけに気になっていた。

 同じクラスの中で非常に目立たないそのクラスメイトは、いつもうつむき、暗い表情をしていた。

 星野は放課後、帰宅を急ぐ彼女を引き留める。


「ねえキミ」


「ひっ!」


「そんな驚かなくても……私、なんかおかしい?」


「……いえ、私に話しかけるなんて、おかしいですよ」


「クラスメイトに話しかけるのがおかしいって、それこそおかしくない?」


「私のことは気にしないでください、もう帰りますので、さようなら」


「あの……」


「さようなら!」


 初対面の印象は互いにとって最悪のものだった。

 取り残された星野は教室にひとりたたずみ、友人の声に我を取り戻すまで彼女のことを考えていた。

 そして次の日の朝、星野は果敢にも彼女に再び声を掛ける。


「おはよう!」


「……」


 星野の視線の先には例の彼女が居た。席についていた彼女は、一瞥して無言で向き直る。

 しかし星野はさらに踏み込んで行く。


「おはよう! ……日向さん!」


「……なんですか? 私に関わらないでください」


 星野は笑みを浮かべながら彼女の言葉を無視して話を続ける。


「日向ミカネさんだよね? いつも朝早いなーと思って。真面目なんだね」


「いつも同じ時間に同じように行動してるだけです。……もういいですか?」


「そんなに睨まなくても……」


「睨んでません。目が悪くて……」


「メガネかコンタクトしないの?」


「そんなに困ってませんから。朝礼始まりますよ」


「……まだ10分あるけど」


「……」


 彼女は前に向き直り、それ以上一言も発することはなかった。

 次の日もその次の日も、次の週も星野は彼女に話しかけるがけんもほろろに受け流される。

 そのようなやり取りを繰り返し続けて数日が経ち、彼女の鉄壁の防御を簡単には突破できないと感じた星野は、攻め方を変えてみることにした。


「先生」


「お、どうした星野?」


「日向さんってどんな人なんですか?」


「日向?」


「日向ミカネさんのことです」


「ああ、あの子か……実は俺も良く知らないんだよ。1学期も始まったばっかだしな。

 成績はそこそこいいみたいだけど、何せ消極的だからなぁ」


「そうですか、ありがとうございます」


 彼女は教師にもあまり認識されていなかった。

 そして、それは他の生徒にとっても同じことだった。


「日向さん? ああ、ミオリちゃんがいつも話しかけてる? あの子?」


「そう、いつもずっと席に座って下を向いてるし、ちょっと心配で……」


「本人にとってはあれが普通なんじゃない? っていうか、あの子ちょっと怖いよね。

 暗いというか、ミオリちゃん以外と喋ってるところ見たことないし」


「そっか……気になっちゃうんだよね」


「……あのね、私たちあの子のことこっそり『ヒカゲちゃん』って呼んでるんだ。なんか幽霊みたいだよねって」


「なーんの話してるのっ?」


 他の生徒が話に割って入ってくる。


「あ、ヨーコ、ミオリちゃんがヒカゲちゃんのこと気になるって」


「ヒカゲちゃん? やめた方がいいよー、あの子幽霊みたいでしょ? 近寄ると呪われちゃうよー、あははっ」


「クラスメイトにそんな言い方……」


「ジョーダンだって! ミオリってちょっとカタいよねー。でもそんな真面目な君が好きだぞっ!」


「あはははははっ」


「……わかった、変なこと聞いてごめんね」


「いいよー、でもホントあの子変だよねー、あ、授業始まるよ」


「ミオリちゃんあとでー」


 有力な情報が得られなかった星野は、結局彼女に直接アタックし続けることにした。


「ひな……」


 彼女は星野が言い終えるのを待たずに星野を睨みつけた。


「いい加減にしてください! ……そういうことされると不快なんです……」


「そんな……」


「大体なんで私に関わろうとするんですか? あなたには友達が沢山居ますよね?」


 星野は容姿端麗、成績優秀と非の打ちどころが無い絶対無敵ぶりで、それを鼻にかけない態度によってクラスの人気者となっていた。


「クラスメイトはみんな友達だよ? もちろん日向さんも」


 そんな星野は、この暗い彼女となんとしてでもコミュニケーションを取ろうと必死になり、毎日挑戦を繰り返していた。

 それは、星野にとってゲームを攻略するのとなんら変わらない行為であった。


「そういう友達100人できるかな的な考え方、私にはわかりません」


「私もその歌はおかしいと思うよ。100人で食べたいなって、自分を含めたら101人だよね?」


「……」


 そのような一向に歩み寄ることのできないやり取りを繰り返して1学期は終わり、夏休みが過ぎ、2学期が始まった。

 授業が始まる日の朝、星野は彼女の異変に気付く。


「あれ?メガネ持ってたんだ?」


「……」


「あれ、友達の顔も忘れちゃったの? それとも、今までメガネが無かったから顔が良く見えなかったの?」


「だから……友達じゃありません」


 2学期になって尚、しつこく話しかけてくる星野に、彼女は怒りの感情を向ける。


「ははは、嫌われちゃったのかな?」


「好きとか嫌いとかありません。あなたには興味ありませんから」


「私はあなたに興味あるんだけどな……」


「気持ち悪いです」


「あ、わかった!」


「……」


 彼女は星野のわざとらしい笑顔にはもううんざりといった具合で無言を決め込む。


「……1学期は前の席だったけど、席替えで後ろの席になったから、メガネがないと黒板が見えないんでしょ? ねえ、そうなんでしょ?」


 彼女はこの鬱陶しい問いかけに、早く終わりにしてくれとばかりに言葉を返す。


「……はい、そうですけど、それで、それがあなたに関係あるんですか」


「あったりー! はははは!」


 やはり星野の笑顔は胡散臭く、笑い声はわざとらしく響く。


「馬鹿にしないでください」


「ああっ、ごめん、そんなつもりじゃなくて……ただ、あなたのことが少し分かってうれしいなーって」


「馬鹿じゃないですか……?」


「あ、ひどいなー、でも1学期も……」


 その時、教師が教室に入ってきた。ざわついていた生徒たちはいそいそと自分の席に戻る。


「朝礼始めるぞー」


「あ、すみません……じゃあまたあとでね!」


「……」


 その日もいつも通り授業が終わり、下校時刻となった。


「日向さん」


「……」


 それ以来、彼女は星野を無視し続けた。

 それから彼女は、RPGの全てを告げ終えたNPCのように沈黙を破ることはなかった。

 しかし、ある日の下校時、星野は彼女がノートをにらみつけているのを見付ける。


「……日向さん?」


「……」


 遠慮がちにノートをのぞき込む星野。


「あれ? なんかちゃんと黒板写せてないんじゃ……って、メガネ忘れてきたの?」


「……1学期の癖が出てしまって……」


 言葉少なに語る彼女から焦りのようなものを感じた星野は、ここぞとばかりに提案する。


「そうか……そうなんだね、それなら私のノート写していいよ」


「……!」


「ほら、貸すからさ、明日返してくれればいいよ。

 今日中にこのノートを写すことが私からの宿題ってことで、ひとつどうかな?」


「……でも」


 彼女は遠慮とはまた違う、言うなれば迷惑そうな表情を浮かべる。

 しかし、その表情の奥に微かに期待のようなものがよぎった。

 星野はそれを見逃さず、すかさず次の言葉を掛ける。


「そんな顔しないで……ね? いつも真面目に授業受けてるでしょ? いつも見てるから知ってるよ」


「なんですかそれ……すごく気持ち悪いです…………でも、でも……ありがとうございます」


 星野は彼女にその日の授業で使ったノート一式を渡し、荷物と共に心も軽くなるのを感じた。


「じゃあまた明日、忘れてきちゃダメだよ」


 星野は初めて彼女と人間らしい会話を交わせたことにやけに興奮してしまい、その日はなかなか寝付くことができなかった。

 そんな星野の寝不足に容赦なく襲い掛かる朝日。寝ぼけ眼で教室に足を踏み入れると、小走りで迫る足音が。


「ありがとうございました……はぁ……はぁ……」


 少し息を切らしていることから運動が苦手なことが伺い知れる。

 運動由来のものか、恥ずかしさからなのか、少し紅潮した頬が彼女の顔を明るく演出する。

 星野はそんな彼女の行動に少し驚きを覚えながら安堵の表情を向ける。


「……あ、ちゃんと写せたんだね、良かった。日向さんから話しかけてくれたのって初めて……だね」


「……」


「ああ、ごめん……そんな」


「いえ、大丈夫です……」


 いざ会話を交わすと何故か気まずい雰囲気になってしまう。

 そんなこんなで2人は数日間、顔を合わせることはあれど、照れて話すことができなかった。

 しかし、その沈黙を破ったのは星野ではなかった。


「あの……」


「……ああ、あれ? どうしたの? 日向さんから話しかけられるなんて、初めて…じゃなくて2回目か」


「……メガネ、また忘れちゃって……」


「ああ、そういうこと……いいよ、わかった。また明日返してくれればいいから」


 全を悟った星野は、全てのノートを彼女に手渡す。


「はい……」


 その時彼女がほんのりと浮かべた笑顔に、星野も笑みを浮かべる。

 しかしやはりふたりはそれ以上会話を交わすことができず、数日が過ぎた。


「あの、またメガネ……」


「はい、ノートだよね、また明日よろしくね」


 日を重ねるごとに、彼女はメガネを忘れることが多くなっていった。

 星野はその理由が人との触れ合いを求めていることあると薄々気付きながらも、この壊れてしまいそうな関係を更に推し進める手段を模索していた。


(よし、この調子でもう少し押せば行けるかな? ノートに『なんでメガネを忘れるの?』って書いたら反応してくれるかな?)


 興味本位の思い付きだが、星野はそれが何かの突破口になるような気がして、その計画を実行に移す時を虎視眈々と狙っていた。

 しかしそんな時――


「ね、ねえミオリちゃん」


「あ、サクラちゃん、何?」


 星野を見かねたような表情で友人が迫る。


「あの……言いにくいんだけど、大丈夫?」


「……? 何が」


「いや、あの、ヒカゲちゃんのこと」


「日向さんがどうかしたの?」


 友人は少し言いよどみ、一度目をそらしたあと星野に向き直り、心配を募らせた表情で口を開く。


「どうかしたのかはこっちが聞きたいよ。ミオリちゃんよくあの子と話してるでしょ? よくそんなことできるなーって」


「普通の子だよ、ちょっと防御が固いだけで」


「フツーじゃないって…まぁ、ミオリちゃんがいいならいいけど……」


「どーしたのっ?」


 雰囲気を察したクラスメイトが割り込んでくる。


「あ、ヨーコ、今ミオリちゃんはすごいなーって」


「あ、ヒカゲちゃんのこと? ミオリー、気を付けないと霊界に連れて行かれちゃうぞー、あははっ」


 彼女の中では定番のジョークになっているようで、得意げに星野をたしなめた。しかし、それは星野の逆鱗に触れてしまう。


「……もういい加減にしてっ! 人のことそんな風に言うなんて、どうかしてるんじゃないの? 大体、霊界とか幽霊とか、そんなものある訳ないじゃない!」


 突然の大声に辺りは静まり返る。


「……な、何も怒らなくたって」


「……とにかく、私と日向さんのことは放っておいて……ごめん」


「……こちらこそ……ごめん」


「ごめん……じゃ、またね」


「また……」


 そんなことがあってからしばらくして、2学期も終わろうとした頃、星野は計画実行のチャンスを手に入れる。

 1時間目の時点で彼女がメガネを忘れたことに気付いた星野は、放課後になると自分から彼女の席に向かう。


「ひーなたさんっ」


 これ以上ない笑顔で星野は果敢に挑戦する。


「……なんですか」


「メガネ、忘れたんでしょ?」


「……はい、でもなんか、企んでますよね……?」


 警戒心の強い彼女にとって、星野の屈託の無い笑顔は危険信号として認識されていた。


「そんなー、でもさ、困ってるんでしょ?」


「……まあ、そうですけど……あの、じゃあ、また、お願いできますか?」


「もっちろん! いいよ、はい」


 星野は彼女にノートの束を渡す。

 その中にはもちろんあの質問がしたためられていた。


「ありがとうございます……じゃあ……また明日」


 次の日、星野が返却されたノートを宝箱を開けるかのごとく広げると、質問に返事が。


 "他人の目を見るのが怖い"


 それだけのことであったが、星野はそこからただ事ではない雰囲気を感じ取る。


「日向さん、一緒に帰ろ」


「あ、いや……」


「いいから! 一緒に帰ろ」


「あの、ごめんなさい、変なこと書いちゃって……」


「ほら、行くよ」


 星野は彼女の腕を掴み、多少強引に教室から連れ出す。彼女はいつもに増して押しの強い星野に逆らえなかった。

 ふたりは帰り道の途中、公園のベンチに腰をかける。


「じゃあ、早速本題から入ろうか。目を見るのが怖いって、それってどういう……」


「冗談ですよ……ほら、ああやって書けばそれ以上は突っ込んでこないかなって……」


「ふーん、じゃあ、突っ込まれたくないことがあるとか?」


「あ、いや……」


 最初は興味本位だった星野も、触れてはいけない空気を感じ、遠慮がちに言葉を濁す。


「話したくないならいいけど…… でも、もうわざとメガネを忘れたりしちゃダメだよ」


「バレてました……よね……そうですよね」


「そりゃね」


 彼女は星野を見ずに深呼吸をする。そして星野の方に向き直り、絞り出すかのように声を上げる。


「あの……ちょっと勇気いります……」


「……? 大丈夫、真面目に聞くから」


 星野の目は真剣そのものであり、何一つ偽りの無い感情が見て取れた。


「……本当ですか? 信じていいんですか?」


「うん」


「わかりました……じゃあ……」


 そう言って黙り込む彼女を星野はまっすぐに見つめる。


「……私、中学の時は友達が居たんです」


「うん」


「それで……その人はまっすぐ笑いかけてくれる人で……ものすごく頼りにしてたんです。

 でも私、聴いてしまったんです。私が席を外してる時に、その人が他の人に『あの子は私がいないとダメだから、でもあの子にもいいところあるんだよ? 私くらいじゃないとわからないけどね』って言ってたんです。

 それでその人は他の人から『えらいえらい』って褒められてて……なんか、ダシにされちゃってたみたいで」


「……そんなこと」


「私も友達に対してそんな風に考えたくなかった……でも、私も他の友達と打ち解けてきたと思ったその矢先、2人きりになった時、そのまっすぐな目で私にこう言ったんです……

 『最近調子乗ってるんじゃない? あなたみたいなダメな子と付き合ってあげられるのは私くらいだよ? 他の子が仲良くしてくれるのも私のお陰だから、感謝してよね』って……

 見下されている、そう思ってしまって……そのあと色々あって、なんというか、イジメみたいな……みんなから無視されるようになって……

 そしたら、その人がまた、まっすぐな目で『暗いんだよ。もう話しかけないで』って言って……

 それから人の目をまっすぐ見るとそれを思い出して怖くなっちゃうんです。

 だから、人と目が合わないようにメガネをわざと忘れて……それで、星野さんが優しくしてくれたから……」


「そっか……」


「あの、星野さん」


「……うん」


「……泣いてるの? なんで?」


 星野の瞳には大粒の涙が光っていた。

 そして、それをのぞき込むように見る彼女から顔を背ける。


「あっ、ごめん……う……」


「星野さんが泣くことなんてないですよ」


「辛くなること聞いちゃってごめん……でも、日向さんは泣かないんだね……」


「泣き疲れました。もう、ずっと泣いてないですね」


「わ、私は……利用なんてしてない……から……」


「……大丈夫です、もう傷つかないように他人には興味を持たないようにしてますから……」


 その言葉とは裏腹に、彼女は涙をこらえ、込み上げてくる感情に必死に抵抗していた。


「……ごめんね……今まで……辛かったよね」


「や、やめてください……もう、他人に期待なんてしたくないんです……」


「ごめんね……ごめんね……」


「謝らないでください……」


「……ミカネ」


 彼女は家族以外から久々に聞いた自分の名前に戸惑いを隠せなかった。

 入り乱れた感情に押し潰されないように必死に平静を保とうとする。


「な、馴れ馴れしくしないでください」


「ミカネ……あなたはそんな思いをしてまでもメガネを忘れ続けた……私を必要としてくれた」


 星野は涙ながらに彼女に語り掛ける。


「ミカネが他人に期待したくないなら……もう私は他人なんかじゃないよ」


「そんなこと……」


「いいんだよ、私はミカネの友達だから……」


「星野さん……」


「ミオリでいいよ……ごめんね」


「また謝る……み、ミオリ……もう、大丈夫……だから……だから……もう、泣かないで」


 そのように言う彼女の瞳にもまた、涙が浮かんでいた。


「ううん……でも……私もミカネのこと……利用してたのかも知れないって」


「なにそれ、ど、どういうこと?」


 彼女の顔が曇る。それは少しでも信じてしまいそうになった自分への嫌悪感からくるものであった。

 しかし、星野の言葉は彼女の鉄壁の防御を少しずつ解きほぐしてゆく。


「ち、違うの!……あなたのことを見下したりなんかしてない……でも、実は……」


「……うん」


 星野の真に迫った表情を、彼女もまっすぐ見つめる。


「うちの実家ってね、変な団体やってて……公共幸福振興会っていうんだけど……おじいさまがその会長をしていてね」


「え……あ、聞いたことある……」


「後ろめたいことなんかしてない……と思う……

 でも、私は会長の孫としての振る舞いを求められてて、私……そういうのが嫌で……家に本当の自分の居場所がなくて」


「そ、そうなんだ……」


「でね……だから、学校で明るく過ごしてるみんなにはそんなことないのかなーって思って、羨ましくて、家のこともあるけど、勉強を頑張って、優等生みたいに振る舞って……」


「それでみんなと友達に……」


「うん……でも、ミカネは……なんというか……学校に居場所が無いと思ってるように見えて……ごめんっ」


「……うん、その通りだよ」


「……でね……なんかそういうのが家での私とダブって見えて……」


「そっか、それで……私が拒絶しても……」


「……ごめん」


「もう、謝りすぎだよ……それに、拒絶してた私の方が悪いに決まってるじゃない」


「ごめ……あっ」


 星野は口をついて出る謝罪の言葉を飲み込む。

 すると彼女は少し微笑んでから再び口を開く。


「でもさ、私もミオリのこと、なんか強がってるというか、そういう風に見えた」


「えっ……」


「無理してるなーって……ちょっと、気になってた……笑い方とか。

 ミオリ、私の前では強がる必要なんてないから……だから」


「……ありがと」


「私は……あなたの……その、友達だから」


 そう言いながらそっぽを向いた彼女の頬は、少し赤く染まっていた。


「ミカネ……」


 星野は彼女の小さくて華奢な身体を抱きしめる。

 彼女は星野の意外な行動に身体が強張らせるが、ほどなくして力を抜き身を任せる。


「……こういうのも……意外と悪くないものなんだね……」


 そしてふたりは頬を合わせると、互いの体の熱を確かめ合った。


「……ありがと……」


「こちらこそ……どういたしまして……ふふ」


「ふふふ……ふふ」


 星野は彼女の身体をさすりながら笑う。


「あはははははは、ミオリ、くすぐったいよ」


 星野は彼女の方に向き直り、瞳を輝かせながら告白する。


「私ね、振興会のこともあるけど、本当は……声優になりたいんだ」


「急にどうしたの……?」


「小さい頃さ、家の中で唯一、アニメを見てる時だけ居心地の悪さを忘れられたんだ。

 アニメから流れてくる声に励まされてるみたいで元気が出た。

 今考えてみればアニメに逃げてただけなんだけど、そういうのが無ければ現実の息苦しさを忘れられない人って、私以外にもいると思うんだ。

 だから、そういう人の力になりたいって、応援したいって、そう考えてるの。

 ……でも、まだ誰にも言ってないから、ミカネと私だけの秘密ってことで、ひとつ。ね」


 しばしの沈黙のあと、星野の瞳からその想いが本気であることを察すると、彼女は慈しむような表情を浮かべた。


「そっか……そうなんだね、じゃあ私はそんなミオリを応援するよ。

 私は……なりたいものなんてないからなぁ」


「ミカネにもきっと何か見つかるよ。私も協力するから、夢中になれること、見付けてられるといいね」


「わかった……ミオリとなら見付けられるかもね」


 こうしてそれから2人は行動を共にし、共に互いの想いを分かち合う日々を送った。


「ミオリ、おはよう」


「おはよう、ミカネ」


「今日から2年生かー、ミオリは春休み何してた?」


「毎日のように会ってたでしょ、寝ぼけてるの?」


「そうだっけー? 一晩寝たから忘れてたかもー」


「あんたは寝ると記憶がリセットされるのかっ」


「あはは、でも今日からクラス替えかー、ミオリと同じクラスになれるといいなー」


「なれるよ」


「なぜ断言するっ?」


「んー、なんとなーくそうなる気がするんだ。私の勘当たるんだよ?」


「そっかーそりゃたのもしーねー」


「あー、完全に信じてない顔だ」


「ふふっ、でも、こんな日がずっと続くといいね」


「そうだね、よーし、学校までダッシュだ―」


「急に何っ? 待ってー!」


 そうしてふたりが紡ぐ夢のような時間はあっという間に過ぎた。


「もうっ! ミカネはまたそういういたずらばっかり!」


「ミオリにしかしないもーんっ!」


「じゃあノート見せてあげない!」


「あー! ごめんっ!ミオリさまー!」


「でもさー、私のノート見るならもうこれはいらないよね」


 そう言うと星野は彼女のメガネを取り上げる。


「あ、いじわるー、返してよ、このメガネトリオンナー!」


「なにそれ、あだ名?」


「ミオリが居ればメガネが要らないってことは、ミオリはメガネの立場を寝取るってことでしょ? それで妖怪メガネトリオンナ」


「なんだそりゃ! ミカネってしょっちゅう謎の言葉を生み出すよね」


「いいから返してー!」


「わかったわかった」


 そう言うと星野は彼女にメガネを返す。

 すると彼女はそのメガネのレンズをじっくりと見始めた。


「あー、やっぱり指紋ついてるー! メガネかけない人はこれだかなぁ……」


「ありゃ、ごめん……扱い方が雑だったかな?」


「私の扱いはうまくてもメガネが扱えないんじゃ失格だね」


「何の失格よ? 別に私、ミカネのことうまく扱ってるわけじゃないよ。

 頼られてるから応えてるだけ」


「そんなー、じゃあ私、ミオリに頼らない人になる」


「もうー、でも真面目な話、私に頼ってばかりじゃダメだよ。

 ひとりである程度できるようにならないと」


「ごめんってばー! でもそれはミオリが私に優しすぎるからだよ? カホゴウーマンだよ、ミオリは」


「って今度は何?」


「過保護で傲慢なウーマンのことだよ。

 ミオリにぴったりなフレーズでしょ? 私はカホゴウーマンからウェルダンなおせっかいを受けてるだけなんだよ」


「ウェルダンって……焼きすぎってこと? 私そんなだった?」


「そんなだよー、自覚症状が無いとは重症ですねー」


「そんなこと言って、じゃあもう何もしてあげなーい」


「いいよーだ」


「もうー、そんなことばっか言って……

 でもさ、本当に私が何もしなくても安心できるようにしてほしいな。

 これから受験勉強だってしなきゃならないし、これからもっと勉強が難しくなるんだよ?」


「あー、私、進学するのか~大変だな~」


「なんで他人事なのっ」


「だって~、私が合格できるかはミオリにかかってるんだよ?」


「そんなこと言って……でも、あなたはできる子だから、私なんか居なくても大丈夫だよ」


「大丈夫かなー、心配だなー、私、ミオリと同じ学校に行けるかな~」


「あー……それなんだけどさ」


「お、どうした? まさか……進学しないとか?」


 おどける彼女に星野は真面目な表情で続ける。


「あのさ、ミカネ……私の家って……ほら……」


 星野の表情からことの重大さを察した彼女は落ち着いて話を聴く姿勢を取る。


「……うん」


「だからね……この学校行かなきゃダメって…」


 星野は彼女に鞄から取り出した資料を見せる。


「え……」


「ミカネの今の成績じゃ……難しいかなーとか……ははは……お金もかかるし……」


「……う、うん……」


「ごめん、馬鹿にしてるわけじゃなくて……」


「わ、わかってるよ! 私がミオリに勉強で追いつけるなんてそんな」


「そういう意味じゃなくて、人にはそれぞれ……ほら……あるから……」


「だからわかってるって!

 ……で、でも……挑戦する権利くらいは……私にもあるんじゃない?」


「う、うん」


「私、ミオリと同じ学校に行けるように頑張ってみる!親も説得する!」


「わかった……なんか嬉しいな……私も協力するよ」


「ほらね! 私の進学はミオリにかかってるって言ったでしょ」


「もー! 人がせっかく真剣にー!」


「あはははははは!」


 こうしてふたりは受験勉強に取り組み始めた。

 星野の徹底した指導により、彼女の成績はグングン上がり、学年でも上位に食い込む実力を身に着けた。

 指導する側の星野にとっても、学んだことへの理解がさらに深まるという大変有意義なものとなった。

 しかし彼女は保険のため、滑り止めの学校も受験することにした。

 対して星野は、逃げ道を絶つために、志望校一本に目標を絞ることにした。

 これにより星野はなんとしてでも合格できるようにと、全力を尽くすことができた。

 そして試験を終え、合格発表当日。


「ない……私の番号……」


「ない……ね……」


「……あっ、あれ、ミオリの番号! おめでとう!!」


「あ、ありがと」


 自然と無言になる帰り道の2人。


「……ミカネ……」


「ん?」


「ミカネは滑り止めのあの学校、合格したんだよね……」


「あー、うん。だから浪人にはならないから、心配しないで」


「……私も行く!」


「え……でも、ミオリは合格してるし、私の方の学校は受けてないでしょ?」


「浪人するっ!」


「いや、そんなことしてくれなくていいよ!」


「ミカネのためじゃない、私のためなの」


「……馬鹿じゃないの……」


「ごめん……」


「また謝る……でも、私もごめん……せっかく受験勉強付き合ってくれたのに」


 その時星野は泣いていたが、彼女はその涙に応える術を持ち合わせておらず、謝ることしかできなかった。

 そうしてふたりはそれぞれの道を歩むことにした。

 残り少ない高校時代を謳歌したふたりは、卒業式を迎える。


「ねえミオリ……」


「何?」


「あの時、話しかけてくれてありがと……」


「……私の方こそ……ありがと」


「私たち、ずっと親友だよね」


「……そうだよ」


「ヤバイ、なんか恥ずかしくなってきた……」


「わ、私も……」


 しばしの沈黙のあと、星野が口を開く。


「でも、私だけ合格しちゃって……ほんとにごめん……」


「その話か……まあなんというかあれは、私が悪かったんだよ」


「そんなことない! ミカネはあんなに頑張ったのに……」


「頑張ったのは私だけじゃないよ、他の合格した人たちの方が頑張ったんだよ」


「他の人なんて……どうでもいいじゃない……私は、ミカネが……」


「……そんなこと言っちゃだめだよ。

 言ったでしょ、悪かったのは私……私ね、合格するための執念が足りなかったんだと思うの」


「どういうこと?」


「試験会場で一通り答えを埋めた後、一瞬顔を上げたんだ。

 そしたらさ、他のみんなの真剣な表情が目に入って、合格できなきゃ後がないような表情で……それで私、考えちゃったの。

 私はミオリと同じ学校に行きたいっていうだけの理由、不純な理由で今試験を受けてるんだなーって。

 そんな私が合格しちゃったら、他の人生を賭けてる人に失礼なのかなって……そう思ってたら、思ってたより点数が悪かったみたいで……」


「そんな……馬鹿じゃないの! なんで他人のことなんて考えるの? 私と同じ学校に行きたいって言うのは嘘だったの?」


 星野が初めて見せる本当の怒りの表情に、彼女はうろたえながらも応える。


「ちがう……違うよ。

 でも私が合格したらそれで落ちる人がいる。じゃあ、その逆だって当然のことでしょ?

 どちらにしろ、合格した人はそれだけ努力して、するべくして合格しているんだよ。

 それを否定してはいけないよ」


「どうしてそんな風に考えられるの? おかしいよ!」


「ごめん……私もおかしいと思う。

 でも私、他の人から敵意や反感を向けられたくなくてそれで、自分が傷つきたくなくてそういう風に考えてるんだと思う。

 合格発表会場で泣いてる人が居たでしょ? それで私が合格して喜んでたら、喜んでいなくても私の顔と受験番号を覚えていて、合格してるって気付かれたら、それは恨まれても仕方がないよ……そういうのは嫌でしょ……だから不合格でも、ちょっと安心しちゃって……

 だから私は……それで安心しちゃうような自分にとても甘い人間なんだよ……それだけのことだよ……」


「じゃあ、ミカネは他の人を恨んだりしないって言うの?」


「恨むかもしれない……でも、だからこそ、自分の不合格という結果を当然のこととして受け入れて、人を恨まないように、傷つけないようにしないといけない……そう思ってる」


「……そうか、それは、そう思えるのは、ミカネが優しいからだよ」


「だから言ってるでしょ! 私は自分に甘いだけなの!」


「違う、そうやって何でも自分の落ち度にして、それを受け入れてるふりをしてるけど、ミカネは自分と関係の無いことでも自分のこととして痛みを感じられるからそう思えるんだよ? それが優しさじゃなければなんなの?」


 星野は彼女を抱き寄せる。


「ミカネ……ごめん……ごめんね……」


「私の方こそ……ごめん……」


「……わかった、もうわかったから……だって……」


「うん、わかってる……」


 それから数ヶ月、ふたりは別々の大学に進学した後も連絡を取り合い、休日は行動を共にした。

 しかし、その関係も時間の経過と共にそっけないものとなってゆく。

 星野はそんなことに不満を感じていたが、放っておけるのも解り合ってるからだと自分に言い聞かせていた。

 しかし、半年が過ぎるころにはすっかり連絡も途絶えてしまう。

 星野は彼女に連絡することに言い表せない気まずさを覚え、メッセージを作成しては送信せずに削除する日々を送っていた。

 そんな星野であったが、メッセージを削除するごとに募らせてきた想いが限界を突破し、彼女に会いに行く決意をする。

 偶然を装うために、彼女の家の近所ではなく、通っている大学付近で待ち伏せる星野。

 校門から出てくる彼女を見つけるやいなや、何気ないふりをして接近する。

 そこで星野が見たものは――


「あはははっ! なにそれー!」


 彼女の笑い声、星野がその時一番聞きたかった声だ。

 しかしそれは星野に向けられたものではなかった。


「ミカネだってやったことあるでしょー? ギャハハハ」


「ないよ! 人としてどうかと思うよそれ」


「マジかー、ミカネとなら分かち合えると思ったのに」


「ハルカ、ミカネにそんなこと期待しちゃダメだよ、ミカネはヒカゲちゃんなんだから」


「ギャハハ! 確かにこいつ根暗だったわ! わかるわけねーかー」


「なんだよー! リカも余計なこと言うなよー! 誰が根暗だって?」


「そんなに怒るなよー、それとももっと言って欲しいのか?」


「もー、なんだよー! そんなわけないだろー」


 星野は少し安心した。彼女と一瞬目が合い、話しかけようとするが、横をすり抜けられる。


(そうか、ミカネはこの学校で自分の居場所を見つけられたんだ)


 星野はそれが良いことであると飲み込もうとするが、我慢などできる訳がない。


「ミカネ……!」


 通り過ぎた彼女に向かい声をかけるが、それは届かなかったようだ。

 星野は彼女の背中を見つめながら、自分の心の中で何かが壊れていく音を聴いた。


(そうか、私はミカネを孤独から救ったかのように思い込んでいたけど、ミカネは一人でも居場所を作ることができた。

 むしろ、私の自分勝手な思い込みでミカネを縛って、ミカネの成長を拒んでしまっていたんだ。

 やっぱり私は、私だけのためにミカネの孤独を利用していたんだ。

 私が居なくてもミカネは大丈夫、それどころか、ミカネのためには私なんか居ない方が良かったんだ……)


 星野が求めていた彼女はもうそこには居なかった。

 星野にとってそれは、非常に受け入れ難く、心を掻き乱す。

 そして、巡る想いの中、公共幸福振興会の理念を思い出したのだった。


(全ての人間が公平に幸福になることを目指す。

 そうだ、誰かひとりのために尽くすのはその人を縛ってしまうことになる。

 ならば、全ての人に公平に尽くさなければならないんだ)


 こうして星野は公共幸福振興会のもとで慈善活動に従事する覚悟を決めたのであった。

 そのことを告げるため、祖父のもとに参じる。


「おじいさま、折り入ってお話が」


「どうした、そんなに改まって」


 膝をつき、頭を下げる星野に、祖父はただならぬ雰囲気を感じる。


「私、公共幸福振興会に参加します」


「……そうか、あれほど渋っていたのに……何があったのかは知らぬが、本当に良いのだな?」


「はい」


「それは、その身を一生を捧げるということになるのもわかっているのだな?」


「……無論です」


「ふむ……私としては後継ぎができることは大変喜ばしいことだ。どうも息子の衛は頼りなくてな……」


 横を向き遠い目をする祖父に、星野は顔を上げて切り出す。


「それで、お願いがあるのですが……」


 祖父は星野に向き直り、星野の話に改めて耳を傾ける。


「私は今、声優の養成所に通っておりまして……」


「わかっている。そちらはそのまま続けて良い。ミオリに本気でやりたいことがあるなら、私にそれを咎めることはできない。

 だが、振興会があるからといって、失敗しても仕方がないというような甘えは許されないぞ」


「ありがとうございます。そのことは重々承知しております。

 ……それと、もうひとつ……」


「まだあるのか」


「声優にせよ、振興会の活動にせよ、これからは個人としての私ではなく、この世界の皆さまのための私として生きて行くことを誓うために、

 その……今とは違う名前を名乗ろうと考えています」


「そうか、私も彗を名乗るようになってから長いが、常にこの名前に支えられ続けてきた。

 それで……どのような名前を望むのだ?」


「私は、皆に幸福をもたらす象徴として生きること……そして、人々の願いのために、この身が利用されることを望みます……」


 こうして星野は、今までの自分と決別し、公共幸福振興会に身を捧げるため、名前を捨て、過去を捨てた。

 しかし、その心のうちにあるのが、彼女には二度と関わるまいとする想いであったことは、星野本人すらも気付いていなかった。


(もうあの頃には戻れない……戻ってはいけない……でも、あの頃からずっと私は……)

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