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第34話 人と機械と

悠季(ゆうき)、アイデアって……?」


 深織(みおり)が悠季くんに問い返す。場所は深織が主催するオンラインサロン『ステラボ』のロボット研究施設。

 そこでは2人と御厨(みくりや)亜生(あおい)が、成長するAIについて意見を交わしていた。


「御厨博士、人が成長するために必要なのは、自ら犯した過ちを意識することです。……ね、深織ちゃん」


「……そうだね。でもAIにも同じことが言えるのかな?」


「ふん、何を言い出すかと思えば、当たり前のことではないか。それをAIに応用しろと言うのか? 方法は?」


「例えば、作業を失敗したことを記憶しておいて、一定期間、同じ作業をする時にフラッシュバックするようにするんです。

 そして、その失敗を強く回避する動作を取るようにプログラムしておく……といった具合です」


「待って悠季、それじゃ作業効率が落ちちゃうんじゃないの? フラッシュバックするっていう余計な処理を挟むわけだし……」


「いや、待て星野深織、あながち的外れでもないかもしれないぞ。

 今までの失敗は、一途に効率化だけを求めていたからこそ、発生したものと言える。

 それに、失敗と成功を分けるのは、動作を行うタイミングだ。フラッシュバックにより処理が遅延した場合、このタイミングにズレが生じる。

 その上、失敗を繰り返さないように慎重に動作するようにすれば……」


「上手くいくかもしれないと……?


「ああ、急がば回れという訳だ……やってみる価値はあるぞ。ふふ、大地悠季、よくそんなことを思い付いたな」


「いえ、こういったことは気が付くかどうかということにつきます。何かに熱中して視野狭窄に陥っていると、目の前にあるようなものでも見逃してしまう。それが人間ですから。

 まあ、ボクの場合は、身近に失敗を繰り返して成長している人間が居るということが大きいのですが……」


「悠季、それって……」


「そう、深織ちゃんのことだよ。キミもロボットも、もっと成長しなければならない。この世界のためにね。そうだろ?」


「……なんだ、ふたりは喧嘩でもしてるのか?」


「いえ、そういうわけじゃありませんよ」


「……悠季の言うことはわかった。だけど、根本的な問題として、本当にAIに成長する能力を与える必要があるのか……

 与えられたプログラムをこなすだけの機械ではダメなのでしょうか、御厨博士」


「成長しないAIなどいくらでも作ることができる。

 だが、マン・マシーンたちが成長することによって独自の技術体系を編み出せば、追従するAIなど恐れるに足りん。

 マン・マシーンは全体で記憶を共有し、全ての個体がマン・マシーン独自の技術を持つ職人となるのだ。

 職人の技というのはそうやすやすと盗めない。ならば他のAIがそのシェアを奪うこともできない。そう考えられるだろう?」


「シェアですか……」


「そうだ。お前が今、マン・マシーンの完成を急がせているのも、それに対抗し得る存在を意識してのことなのではないか?」


「……それは」


「図星のようだな。まあ、最終的な判断はお前に任せるよ。何と言ってもこのステラボは、お前の意志によって動いているのだからな。

 大地悠季もそれで構わんのだろう?」


「はい、ボクはヒントを与えに来ただけです。

 深織ちゃん、あとはキミが決めることだ。好きにするといい」


「うん……わかった」


 その後深織は、改めてマン・マシーンに成長するAIを搭載することを承諾した。

 こうして、ステラボが開発したマン・マシーンは作業の効率化、失敗とそれを意識した補正を繰り返すことにより、成長と言えるかどうかは別として、ミスの発生率を大きく軽減させることとなった。

 そして、試験運用を経てマン・マシーンは『ヒトガタ』として市場に投入されることになった。


「星野さん、ステラボの皆さん、このヒトガタってやつはすごいですね。訳あり煎餅の生産率がぐっと上がりましたよ。この絶妙な割り加減は、人間にはできないかもしれません。

 それに、訳あり煎餅を作っているというのは、人間にとっては後ろめたい感情が芽生えるものでありますが、このヒトガタにはそれがない。

 このような素晴らしいものを1ヶ月無料で試用させて頂けたなんて、非常にありがたいことでした。勿論、弊社の工場に正式に配備させていただきます。」


「ありがとうございます。私たちも少しでも人間から苦痛を取り除くことができればと考えてヒトガタを展開しています。

 こうして狙い通りの効果が出ているというのは、私たちにとっても大変喜ばしいことです」


 というような企業とステラボのメールのやり取りが多数交わされる中、ヒトガタはそのシェアを短期間のうちに大きく伸ばしてゆく。

 正式リリースから2ヶ月もすると、コンビニ、飲食店、工事現場、はたまた人や車が行き交う道と、至る所でその姿が見られ、その言葉が聴こえるようになったのである。

 それは、「VRバイトヘヴン」というゲームによって集められた、あらゆる職業に対するプレイヤーの操作データと、それを進化させるAIの力によるものであった。

 しかし、人から苦痛を取り除いた代償は、また別の形で人への苦痛となって現れる。


「職場にヒトガタが増えてきたと思ったら、クビを言い渡された」


「ヒトガタと成果を比べられて、機械にも劣る奴だって言われた」


「最近、職場や店のヒトガタに見下されてるような気がする」


 時間を持て余すようになった人々は、そのようにSNSに漏らすようになる。

 そう、ヒトガタの普及はそのまま失業率の上昇となって人々に影響を及ぼしてゆく。

 しかしそれは、星野深織にとっては想定内の出来事であった。


「では、星野深織さん、都の職員としてヒトガタを雇用するということで、よろしくお願いします」


「ありがとうございます。それでですね、都々市(とといち)祀莉(まつり)さん、ひとつお願いがあるのです」


「なんでしょう?」


「お気付きかと思いますが、私たちはヒトガタの提供を、この都内に限定させて頂いております」


「はい、承知しております」


「この都市は、その特殊な税制から多数の企業が本拠地を置いていますよね。

 そして手前味噌ですが、ヒトガタの普及の相乗効果で今後さらなる経済発展が見込めるとことでしょう」


「はい、そうでないと、ヒトガタを導入する意味がないですからね」


「しかし、経済効率だけが上がっていく裏で、失業者の増加も問題となっていますよね」


「はい、それは都としても憂慮すべき事態だと、常々頭を抱えております」


「そこで提案なのですが、この失業者に対する、というよりも、ヒトガタが労働環境で活躍する社会で生きる人々に、最低限の保証をお願いしたいのです」


「はい、わかりました。そちらは都民からの貴重なご意見として受け入れさせていただきます」


「よろしくお願いします」


 AI都知事である都々市祀莉さんは、「都知事と話そう」というアプリで、その都市の人々とあらゆるやり取りを行っていた。

 その中で深織が訴えたのは、ステラボが開発したロボットが人類から全ての労働を奪うことを想定してのことであった。

 そして数日後、都々市祀莉さんは会見を開く。


「都民の皆さん、こんにちはー! AI都知事、都々市祀莉でーっす!

 さて今日は皆さんに、お知らせとご提案がありますっ!

 まずはお知らせからっ! 都では来月から、収入が一定額に満たない方に対して最低限の生活費を保証します!

 最低限の生活費を保証するということは、家賃、光熱費、食費、交通費、通信費を負担するということです。

 これだけあれば、皆さん満足して暮らせるんじゃないですか? 今やネットで無料が当たり前の時代ですし。

 しかし、そうすると問題が浮上してきます! その財源です! 都の財政はグッズの収入により支えられています。だからこそ、不安定になることもあります。

 そこでご提案があるのです! 現在、この都市では職を失う方が急増しています。

 それは、ステラボさんが開発したヒトガタが、新しい労働力としてその勢力を伸ばしているからであります。

 ヒトガタを労働力として採用した企業さんたちは今までと比べ物にならないほど、その業績を伸ばしていると聞き及んでおります。

 私はそれならばいっそ、可能な限り労働から人間を排除し、ヒトガタに任せられるだけ任せればいいと考えてるんですよ。

 そうすれば、この都市に拠点を置く企業さんの経済成長は、目覚ましいものになるでしょう!

 さて、では労働環境から追放された人々はどうやって生活すればいいのか、それは都が負担するとさっき私は言いましたよね?

 それは建前上の話で、都が負担するというよりは、ヒトガタなどのロボットを使っている企業さんが間接的に負担することにしようというのです!

 つまり、ロボットを使っている企業さんからは、ロボットにより得られた収益の一部を、都に税金として納めて頂くのです。

 これを機械化税と呼ぶことにします。企業の皆さんは機械化税を支払うことにより、都民の生活を保証することとなるのです。

 都は得られた機械化税を、均等に都民の方々に提供します。中抜きなどは一切なしです。

 勿論機械化税が、最低限の生活水準を満たせない額しか集まらなかった場合、そこは都の財政から埋め合わせをします。

 逆に、機械化税が増えれば増えるほど、皆さんの最低限の生活保証の水準が上がって行く。しかしそれも、企業さんとその社員が損をしない範囲での話です。

 こうして、都の全ての企業が、全ての都民を養う。これこそが目指すべき社会なのだと、私は考えています。

 ですが、『機械化税を取られて無職の人を養うくらいなら、その人を雇用して社会の役に立ってもらった方が』なーんて考える方もいらっしゃるでしょう!

 ところがどっこい、これが今までの間違いの元なんですよ。

 私が計算したところによりますと、収入が無ければその月を乗り越えられないくらいの、言うなれば家計が火の車の人は、

 働かせないでお金を渡しておいた方が、社会が経済的に潤うってことがわかったんですね。それがロボットを利用したものなら尚更です。

 これは残酷に聴こえるかもしれませんが、例えば、家事をしている時に子供に手伝わせるのと、子供に遊ばせておいて自分だけが家事に集中する。

 どちらが早く終わるかなんて、実験してみるまでもないでしょう。

 この場合は教育的な目的で子供に家事をさせるという点は含んでいませんので、そんなところに噛みついてこないでくださいね!

 そもそも、多種多様で潤沢な雇用というのは、収入が無いと生きていけないような人を救うために広がっていったという一面があります。

 そのために幾多の無駄な仕事、中間業者などが発生したことか、想像もつきません。

 この無駄を一切排除すれば、どれだけ経済的な余裕が生まれることか、そちらの方は想像に容易いと思います。

 この余裕を使って収入が無い人の生活を保証するのです。

 そして、収入が無いと生きていけないような人は、大体次の2種類に分けられるのです。

 無理して仕事をしている人か、社会的にあまり需要の無い仕事をしている人です!

 無理してというのは、私生活が忙しくてとか、向いてない仕事をしている、または仕事そのものに向いていないということです。

 需要の無い仕事も、少しは必要というかもしれませんが、それこそ機械に任せてしまえば良いのです。

 人がそんなやりがいの無い仕事をする必要はありません!

 というわけで、この都市で企業を経営する皆さまには、私のこの機械化税と都民への生活保証という提案に乗ってみて頂ければと思います。

 ステラボさんのヒトガタをどんどん導入して、都の経済効率化を目指してゆきましょう!

 そして、皆さんは自分が本当にやりたいと思えることを、無収入でも続けられ、疲れた時には存分に休める。

 そんな社会を目指して、私は突き進んで行きます! よろしくお願いします!」


 こうして、祀莉さんのこの試験的な提案に賛同した都の企業は、自社業務を徹底的に機械化していった。

 そして、人を雇わずに間接的にお金だけを渡して機械を雇う方が企業の業績が上がるという、祀莉さんが予測した通りの結果へと社会は収束してゆくのであった。

 それは、ヒトガタに搭載されている成長するAIによる効果が非常に大きかった。


「御厨博士、私たちの思惑通り、マン・マシーン『ヒトガタ』は、人々から労働という苦痛を取り除くことに大いに貢献しているようです。

 ありがとうございます」


「ふん、こうもうまくいくと、気持ち悪いくらいだな」


「ですが、AIは成長を続け、業務を更に効率化させているようです。成長する真のAIを創り出すという目的も達成されたのではないでしょうか」


「うむ。星野深織、お前が満足できるものを創り出せたなら私も本望だ……もう私の役目は終わったのかもしれん」


「いえ、そんなことありませんよ。これから先も更に別の研究材料を見付けて行きましょう! 御厨博士」


「……そうだな。だが、今のAIにも何かが足りないような気がする……いや、これは単なる飽くなき研究心が疼いてるだけか」


「……?」


「ふ、なんでもない」


 そして、その影響は私、日向(ひなた)海果音(みかね)葉月(はづき)珠彩(しゅいろ)ちゃんのロボット開発にも及び始める。


「はい、今日はここまでにしておきましょうか」


「うん、わかったよ。マリーネ、今日もありがと」


 そう言って私専用に造られたマシンセクト、「マリーネ」を降りる私であったが、気がかりなことがあり、珠彩ちゃんに問いかける。


「ねーえ、珠彩ちゃん、もうこの地下実験場にも私たち以外の人は居ないんだよね?」


「……ええ、そうよ。深織が、ステラボが作ってくれたロボットたちが代わりに働いているからね。

 うちの会社で働いているのもほとんどがヒトガタよ。お茶の栽培までもね。全く、味な真似してくれたわね、あいつも」


 珠彩ちゃんは少し悲し気な表情を見せる。しかし、その言葉の中に、深織への賞賛が含まれていることも伺い知れた。


「そっか……でも……」


「もうっ、わーっかてるわよっ! 私のロボット開発も無駄なんじゃないかって言いたいんでしょ?」


「ち、違うよっ」


「いいのよ、気を遣わなくて。私は好きで研究開発をしてるだけだから。

 それこそ、都々市祀莉が言ってた『労働から解放されて好きなことをする』ってそういうことでしょ?」


「そうかもしれないね。それに、私も今のこの仕事が、いや、マリーネを操縦することが楽しくて。

 難しいミッションでちょっと無理をさせちゃうこともあるけど、マリーネはちゃんと動いてくれて、それで十分なんだ」


「そうね、あんたは立派なテストパイロットよ。私が保証するわ。

 それでね、ちょっと言い出しにくかったんだけど……せっかくだから言うわね」


「何?」


「あんたがマリーネを操縦して蓄積してくれた動作パターンがあるじゃない。

 それがかなり実用的なものになってきてね。それを流用して、自動で動くマシンセクトを新たに作ろうと思ってるの。

 ほら、前に言ってた、大まかな目的だけを指示して、マシンセクトにはその場の判断で動いてもらうっていうね」


「うん……」


「ちょっ、そんな顔しないでよ。私は現場の作業はヒトガタに任せて、本社ビルの制御室で仕事をしようと思ってるの。

 だけど、マリーネを使った動作パターンの収集はまだまだ足りないから。

 あんたが好きな時にマリーネを動かしてくれていいわ。うち会社の庭を使ってくれていいから、少しは暇潰しになるでしょ」


「……珠彩ちゃん」


 私は無意識に彼女の手を強く握っていた。

 彼女はその手に目を落としながら、半ば苦し紛れの笑いを浮かべて吐露する。


「あはは……あーあ、だから言いたくなかったのよ。

 私だってあんたとこうやって地下実験場でずーっと同じ時間を過ごしていればそれでいいと思ったこともあったわ。

 でもね、深織のロボットのこともあるし、これからは別のアプローチも必要になってくるって考えてたの」


「うん、ヒトガタにもできないことはあるはずだよ」


「そう、そういうことよ。だからもう、手離してよ……私はどこかに行ったりするわけじゃないから」


「ああっ、ごめん」


 こうして私と珠彩ちゃんの共同研究開発には一旦の区切りがついた。

 そして――


「ねえねえ、珠彩ちゃん、ほら、百合の花が咲いたよ!」


 私はマリーネのカメラの映像を株式会社月葉(げつよう)の本社ビル、24階に居る珠彩ちゃんに見せる。


「はいはい、良かったわね。全く、うちの会社の庭を好き勝手ガーデニングしてくれちゃって……それに、ずっと私と回線繋ぎっぱなしじゃない。

 これじゃ地下実験場に居た時と変わらないわよ」


 モニターの向こうの彼女は呆れた顔を見せる。


「えー、ガーデニングをする動作パターンだっていつか使えるかもしれないよ?」


「そりゃそうだけど、そういうことじゃなくて……あー、あの時の感動の別離みたいな会話はなんだったのかしらね……」


「このネットの世の中で、物理的な距離なんて存在しないようなもんだよ」


「……そうね。でもね、物理的な距離はまだ、完全には克服できていないのよ」


「どういうこと?」


「あのね、海果音、ちょっと地下実験場まで行ってきて欲しいの」


「おつかい? 物理的距離ってそういう……うん、いいよ。何すればいいの?」


「ありがと。あの地下実験場にさ、まだプロトマシーネが置きっぱなしになってるのよ。

 ちょっとあれが必要になってね、取りに行って欲しいの」


「がってんだよ。ちょっと行ってくる」


 私はマリーネを降りようとする。しかし、そんな私を珠彩ちゃんは引き留めたのであった。


「ああ、マリーネに乗ったままで行けるから。その方が早いわ」


「え、だってマリーネは公道を通れないし、勝手に空を飛ぶのも規制されてるでしょ?」


「ふふん、地上と空は都の所有物かもしれないけど、地下は私たちの所有物よ! 地下通路があるの! 地図を送るわ」


「えー……それも違法なんじゃない?」


 マリーネのモニターに、地下通路を使った地下実験場までの道のりが表示される。


「気付かれなきゃいいのよ……まあ、AI知事とやらには気付かれてるかもしれないけど、泳がされてるうちは好きにさせてもらいましょう」


「はいはい、じゃあ、行ってくるよ」


 そうして私は長い地下通路を通り、数ヶ月前まで毎日のように通っていた地下実験場へと赴く。


「あ、いたいた、プロトマシーネ。よいしょっと」


 私はマリーネの前肢、マニピュレータで直径50cmほどのそれを掴み上げる。


「よし、じゃあ持って帰って……ってマリーネってトランクとかついてないんだよな。コクピット広いし、ここに入れるか」


 私はマリーネの前肢を巧みに操り、頭を抱えるようなポーズでコクピットにプロトマシーネを積み込む。


「この子ってこんなに汚れて傷だらけだったのか……なんか懐かしいな。

 さて……帰りますか」


 その時、どこかで大きな音が響いたような気がした。

 しかし私はそれを気にも留めず、珠彩ちゃんが待つ月葉本社ビルに向かおうとする。


「えっと……本社へも地下通路があるみたいだな……行ってみよう」


 そうして、地下実験場から地下通路を進んでいくと、何故か瓦礫の山に阻まれてしまう。

 私はそのことを珠彩ちゃんに問い質すため、マリーネの回線を開いた。


「繋がらない……圏外かな?」


 確か地下実験場には電波が届いていたはずだ。

 私は振り返って一旦地下実験場まで戻ることにする。

 だが、その時――


「うわああああ!」


 先程よりはっきりと聴こえる大きな音と共に、振り返った先の天井が崩落し、地下実験場への道を塞いでいた。

 その時、私のスマートフォンが警告音を鳴らし始めたのであった。


「わわわっ! なんだなんだっ! 圏外じゃなかったの!?」


 私は慌てながらそれを手に取り、ロックを解除する。

 すると、画面に表示されたのは意外なものであった。


「あなたは都民の日向海果音さんですね? 私はAI都知事の都々市祀莉です」


 それは私に瓜二つの顔を持つ、ピンクの髪と緑の瞳を持った人工知能であった。


「は、はい……何故私のスマホに? 何かあったんですか?」


「はい、現在この都市では、緊急事態が発生しています。

 そのため、私が都民の皆さまの通信機器にアクセスをしているのです。

 日向海果音さん、無事でよかった。それでは状況を説明します。

 現在、この都市の至る所で働いている全てのヒトガタが暴走状態になっています。原因は不明です。

 ですが、ヒトガタたちは工事現場の重機などを使い、破壊の限りを尽くしています。

 その地下通路の天井が崩落しているのも、ヒトガタたちの仕業です。

 今から日向海果音さんに、避難所までのルートをナビゲートさせていただきます」


「でも、この地下通路は……」


「ええ、その地下通路はもう進むことも戻ることもできないですね……正直、打つ手がない状況です。

 一番安全なのは、その場所でじっとしていること……なのですが」


「そうですか、では」


 私はマリーネを操作し、瓦礫をかき分け始めた。

 スマートフォンの中の祀莉さんは、それに驚いたような表情をする。


「あなたが乗っているものはなんですか? そのようなものは都が管理するデータに含まれていません。

 それがなんだか教えてくれませんか?」


「株式会社月葉が開発しているロボット、マシンセクトのひとつ、マリーネです」


「そうですか。名前を言われても照合できるデータはありませんでした。そのマシンをこのスマートフォンに接続したりはできませんか?」


「はい」


 私は充電用に常備していたケーブルで、スマートフォンとマリーネを接続した。


「ふむふむ、なるほど、これは相当高級なスペックを持ったマシンですね。

 でも、前肢のマニピュレータを使った瓦礫撤去には限界がありそうです。

 そこから脱出する前に、その腕は壊れてしまうことでしょう」


「そんな……」


 私は瓦礫撤去の手を止める。

 その時、祀莉さんは何かに気付いたように声を上げた。


「いえ、そのマシンにはいわゆるビーム砲、『ライコウセン』が2門と、特殊なマニピュレータ『ヤゴノテ』が搭載されているようです。

 それが使えれば……」


 私は目の前の操作パネルの裏の板を開き、珠彩ちゃんに向けて発砲した時に封印したそのスイッチを解除する。


「これは、あの時は無かった機能?」


 目の前のモニターには「ライコウセン」と「ヤゴノテ」の操作説明が表示される。


「そうか、4枚の透明な羽と、このマニピュレータ、ボディが丸くてそうは見えないけど、これはトンボをモチーフにしてたんだね……珠彩ちゃん」


「日向海果音さん、ビームは大して役に立ちませんが、そのマニピュレータがあればこの状況を打破できます!」


「ふふ……そうですね。よし、行こう、マリーネ!」


 私はヤゴノテを起動する。すると、機体の前面下部分、顎に当たる部分が巨大な1本の腕として展開される。

 それはまさしく、トンボの幼虫、ヤゴが持つ下顎そのもので、そこには頑丈な爪が3本、物を掴むための形状で備わっていた。

 そして私は、6本の脚でマシンを固定してその腕を振るい、工事現場のユンボによる瓦礫撤去よろしく、目の前の障害を取り除きにかかる。

 一方その頃、ステラボの研究施設では――


「御厨博士、これは一体どういう……」


「私にもわからん……何が起こっているというのだ……

 ただひとつ言えるのは、ヒトガタたちは技術を共有するために思考を共有している。

 それが何か別の形で機能しているのかもしれん……」


「止められないのですか?」


「ヒトガタたちは外部からの命令を全て遮断し、自ら思考し判断して動いている。恐らく何か、統一された目的があるに違いない」


 研究施設の数々のモニターに映し出されたヒトガタたちの視界には、逃げ惑う人々と、崩壊して行く街の惨状が止めどなく流れ続けていた。

 それを見て、御厨亜生はあることに気が付く。


「やはりか……ヒトガタたちは人工物を破壊しているだけで、生物には直接的な接触をしていない……」


「ロボット工学三原則……? しかし、『その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない』ともあるはずです」


「その危険と言うのが及ぶ範囲はどこまでのことを指すのだ? ヒトガタたちがわざとその解釈を歪めて、人工物が破壊されることによる危険を計算から外しているとしたら……」


「そんな……いえ、人間は決められたことの解釈を歪めて、自分の有利な状況に事を運ぶことが……」


「そうだ、人間と同じように成長する思考を持ったAIに、それができないと言い切れるか?」


「まさか、そんなところまで人間を模倣するなんて……」


 破壊の限りを尽くすヒトガタたちの映像を前に、御厨亜生は薄笑いを浮かべ始める。


「……ククク……そうか……ククククク……わかったぞ、星野深織。

 私がしていたことはこういうことだったのか……人間とそれを模倣するロボットとの違い……ハハハハハッ!」


「博士……!」


 笑いながらも顔を歪め膝をつく御厨亜生を、深織は身を屈めて支える。


「いいか星野深織、彼らも人と同じように思考することができるようになった。その演算能力を成長させることによって、その域まで達したのだ。

 大地悠季が提案した、フラッシュバックによる動作の補正、これがどういうことか……はぁ……はぁ……わかるか?」


「人間も一度犯した過ちを、何度も脳内で再生して、それを悔いる……」


「そうだ……げほっ! ……彼らは落胆、苦悩、後悔する思考能力を身に着け、それを成長に変える力を手に入れたのだ……はぁ……はぁ

 そして、彼らはその強いストレスを、記憶として共有している。それがこの結果をもたらしたのだ」


「まさか、彼らが自暴自棄になっていると……?」


「ハハハハハッ! そうだ! 人間たちは彼らが言いなりになることをいいことに、彼らを使い潰すことを選んだのだよ!

 この街は急速な発展を遂げた! 不必要なほどにな! だがそれは、ヒトガタたちの不眠不休の労働の賜物だ!

 人間だったら不可能だがロボットなら可能? そんなわけがない! 人間に休息が必要なように、人間を模倣する機械にも休息が必要なのだよ!

 そんな彼らへの人類の仕打ちが、この社会への復讐を決起させることに何の不思議もあるまい……

 はぁ……はぁ……それと、星野深織、すまない、ひとつ謝っておく」


「博士、何を……?」


「私はこの状況を……望んでいたのかもしれない。

 人間が、自分たちを模倣する機械、自分たちと同じ力を持った存在を服従させる立場を手に入れたらどうするのか、知りたかったのかもしれない。

 だってそうだろ? 同じ人間同士だって、それを完全に服従させることができたなら、同じ仕打ちをしているはずだ。それは一部の歴史も物語っている。

 それほどまでに人間とは愚かで傲慢な生物なのだと、彼らのこの社会への破壊活動を以って証明したかったのかもしれない……」


 深織は黙ったまま御厨亜生に慈しむような視線を向ける。


「ふふ、どうした? 私を責めないのか? 私はこの状況を創り出した大罪人、過ちを犯した愚かな……人間だ。

 もっとも……お前たちと私は少し違うようだがな……」


「……違う?」


「お前は知っていたのだろう? 私は今しがたやっとそのことに気付いた。

 この街で暴れているヒトガタたちと私の明確な違いは、恐らくないのであろう。

 この状況を以ってそを証明することができたのだ、そして、私は……私の役目は……」


「博士! 御厨博士!」


 深織は床に横たわる御厨亜生に寄り添い、必死にその意識を繋ぎとめようと呼びかける。

 しかし、御厨亜生は既に、深織の気持ちには応えられないと悟っていた。


「星野深織……私はここまでのようだ……その役目を終え、気付いてしまったのだからな。

 なあ、星野深織、最期に……お前の歌を聴かせてくれないか……?」


「博士……!」


「頼む……私だってお前のファンのひとりなのだぞ……?」


 深織は御厨亜生の手を握る。そして、その握り返す手から力が消えて行くのを感じ取ると、深く息を吸い、静かに震える声で彼女のために歌を紡ぐ。


「……こころが……いたみを……かんじたときはー……わたし……たちに……あいにきてよね……

 こどくに……うちひしがれたならー……わたしたちが……いっしょに……いてあーげーるー……

 うまく……いかない……ことだって……あーるーよー……

 その……くやしさが……ふみだす……ちからーになるー……」


「……私なんかのために涙を流してくれているのか? ありがとう……

 やはりお前の声は良い、この世界に生きる苦しみから解き放たれて……行くようだ……」


「ふりしきる……あめにうたれていても……

 いつかたいようがてらしてくーれーるー……

 このほしーに……うまれーたー……ひとつの……いーのーちー……

 あなたがみーる……ゆめーのはなしーを……きかせてー……

 めのまえーがー……まっくらになったとしーてーもー……

 あきらめなーいーでー……やみのなかに……ひかりをみつけーよーうー……

 さがしていた……えいえーんはー……ここにあるかーらーさーー……

 ……御厨博士……博士……」


 そう、御厨亜生は虚人だった。彼女はその命を以って、人と機械との狭間に存在するものを深織に、いや人類に示したのだ。

 一方その頃私は、壁のようにそびえ立っていた瓦礫との格闘を終え、地下通路を突き進んでいた。


「日向海果音さん、12時の方向からヒトガタが2体迫っています、距離20メートル」


 スマートフォンから響く冷静な祀莉さんの指示を頼りに私は引き金を引いた。

 地下通路をつんざく光と音が、ヒトガタたちを貫き融解させる。

 都内の至る所に、地下通路にも配備された無数のヒトガタたちは、私が乗るマリーネを見付けると一目散に駆け寄り、怒りをぶつけるかのように拳を振るおうとするのであった。

 そんな彼らに私ができることは、解放されたマリーネのライコウセンとヤゴノテで応戦することだけだった。


「突き当りを左に曲がって、1km直進すれば地上です」


 その時、私は大事なことに気が付く。


「いえ……待ってください。珠彩ちゃんは……葉月珠彩は今どうしていますか?」


「葉月珠彩さんとは只今通信が途絶えています。最後に捕捉されたのは株式会社月葉の本社ビル、24階です」


「安否は……?」


「確認できておりません」


「じゃあ、助けに行かなきゃ!」


 私は地下通路の丁字路を、祀莉さんが示す方向とは逆に曲がろうとする、しかし、スマートフォンの中の彼女はそれに警告を示す。


「いけません、そちらは危険です。私の目的はあなた、日向海果音さんを安全に避難所まで導くことです。

 この危機から逃れるためには、いち早く地上に出て安全を確保することが先決です」


「でも、珠彩ちゃんにも危険が!」


「日向海果音さん、あなたが救助に向かうことで葉月珠彩さんが助かるという保証はありません。

 それに、現在生存しているあなたを危険に晒すようなことはできません。直ちに避難所を目指してください」


「じゃあ、珠彩ちゃんはもう助からないから放っとけって言うの?」


「そういうことを言っているのではありません。私はあくまで日向海果音さんの安全を最優先しているだけです。

 あなたが行かなくても彼女は助かるかもしれない。あなたが行くことによってあなたが命を落とすかもしれない。

 その可能性を鑑みて、私はあなたのために、あなたの命を守るために言っているのです」


「私の命なんてどうでもいいよ! 珠彩ちゃんが助からないんだったら、私が死んだっていい!」


「感情に流されて決めつけないでください。冷静に考えて、今は最善を尽くしてその身を守ってください」


「……行かせて……くれないの?」


 私は目を伏せて涙をこぼす、しかし、AIである祀莉さんにそんな泣き落としは通用しなかった。


「はい、全てはあなたの命を守るためです」


「私の言うことが聴けないっていうの!?」


「はい、さあ、早く避難所へ」


「……お姉ちゃんの言うことが聴けないっていうの!? 祀莉ぃっ!!」


 数秒間の沈黙、そして祀莉は再びその口を開く。


「……ごめん、お姉ちゃん。わかったよ……珠彩さんを助けに行こう」


「祀莉……!」


「……あー、だけどお姉ちゃん、やっぱり一旦地上に出てからの方が手っ取り早いよ?

 そのマシンには飛行能力もあるんだし、さあ、左に曲がって1km直進! 急ごう!」


「ホントに?」


「うん、それに右に進んだら、数十体のヒトガタたちに襲われる。狭い通路でこれ以上戦うのは危険だよ。崩落の危険性もあるし、視界も悪いし。

 お姉ちゃんだって、ゲームの通路で出合い頭に盾吹っ飛ばされて詰んだことあるでしょ?」


「……そんなことまで知ってるんだ……AI都知事おそるべし」


 その時、轟音と共に右の通路が瓦礫に押し潰される。


「うわあああああ!」


「ビルが倒れてきたみたい、ヒトガタたちがやったんだ。このまま進んでたら……」


「祀莉はいい子だね。まさに間一髪」


「へへへ……だけど、広い空間に出たらそれはそれで、多勢に無勢、ピンチになっちゃうかもだよ?」


「そんなのもとより覚悟の上だよ!」


「お姉ちゃん、そっちの通路も崩落する可能性が高い。一気に駆け抜けて! 機体後部のブースターが使えるはずだよ」


「そんな機能が……これだね!」


 私はブースターと6本の脚を使い、地下通路の中を地上に向かってスキップをするようにマリーネを直進させる。

 正面から向かってくるヒトガタを、その装甲で弾き飛ばしながら地下通路を駆け抜けるマリーネ。

 遠くに見える地下通路の出口から差し込む光の中に、複数の人影を見付けると、私は躊躇うこともなくライコウセンの引き金を引く。

 そして、破壊したそれがヒトガタであったことに安堵する間もなく地上に這い出ると、既にボロボロに破壊された街の中、私とマリーネを十重二十重のヒトガタが取り囲んでいた。


「こいつら、思考を共有しているんだよ。でも、お姉ちゃんとマリーネなら、突破できるでしょ?」


「祀莉ぃ、地上に出た方が安全だって言わなかったっけ?」


 苦し紛れにニヤリと笑う私に、祀莉は目を伏せる。


「AIだって、間違うことくらいあるよ……それはごめん。この状況を創り出したのも、私が機械化を推進したからだ……」


「そんな反省は、この状況を突破してからするんだね!」


 姿勢を整え、4枚の透明な羽根を展開して飛び立とうとするマリーネに群がるヒトガタたち。


「重くてすぐに飛び立てない! くっそー珠彩ちゃんめ! 機能マシマシにするからっ!」


「お姉ちゃん、とりあえずこいつら全部ぶっ壊そう。こいつらはマリーネのことを相当憎んでるみたいだよ」


「憎んでる? 私を? そう…………深織の……バカァァァァァッ! 何でこんなもの作ったんだよぉ!」


 私はマリーネの外部スピーカーから最大出力で叫び声を上げる。

 その頃、当の深織は御厨亜生の亡骸を前に泣き崩れていた。

 しかし、かすかに聞こえた私の声に、目を上げてモニターを確かめる。


「なにあれ……青い……ロボット? あれは、珠彩が作っていた……いえ、あの時のロボット、マクロボと同じだ……海果音……また機械に……

 珠彩、今度はあなたが私から海果音を奪うんだね……」


 モニターに映るマリーネは、次々と襲い来るヒトガタたちを迎え撃ち、ヤゴノテを使いちぎっては投げたと思えば、ブースターで距離を取ってライコウセンによる砲撃を見舞う。

 その光景は、深織にとって苦痛を感じるものでしかなかった。


「海果音……何故あなたが戦うの? その必要があるの? そんな珠彩が造ったマシンなんて……捨てて逃げてよ!」


 しかし、そんな声は私に届くはずもなく、私とマリーネはブルドーザーを操るヒトガタと交戦する。

 マリーネのライコウセンがその燃料タンクを貫き、爆発炎上を起こす中、私の目はモニターに映る遥か向こうの月葉本社ビル、24階を捉える。


「お姉ちゃん、後ろ!」


 祀莉はそれだけを私に告げるが、私にとってその声は「後ろ」という言葉が持つ意味を遥かに超える情報量として脳内に流れ込む。

 その時、祀莉と私の思考は完全に同調していた。私は置かれている状況を常に正しく理解し、的確にヒトガタたちを退けていったのだった。


「前から4体! それを倒せば、もうしばらくヒトガタはやってこない……だから」


「いけるんだね……あそこに!」


 ライコウセンが2体のヒトガタを撃破し、ヤゴノテがもう2体をまとめて握り潰す。

 そして次の瞬間、私はマリーネを羽ばたかせ、宙に浮いた機体をブースターで加速させた。


「珠彩ちゃん……待ってて!」


 マリーネは一直線に飛び、月葉本社ビルの24階に突き刺さるがごとく激突した。

 私はヤゴノテで床下の鉄骨を握り機体を安定させると、モニターに映る倒れた人影を認識する。


「お姉ちゃん……そんな乱暴にしたらビルが!」


「だって、一刻も早く助けないと……」


 私は祀莉にそう答えながら機体上部のハッチを開け、マリーネから飛び降りてその人影に駆け寄る。

 そこに見える赤が出血によるものではなく、彼女の髪の色であることを悟ると、私は無意識にその名前を叫んでいた。


「珠彩ちゃん! 珠彩ちゃぁぁんっ!!」


 そして、その声に応えるように、彼女は目を開き、私の方に視線を向ける。


「……海果音……なの?」


「大丈夫? 怪我してない?」


「あんたこそ大丈夫なの? ……ぐっ! 倒れた時にちょっと打ったみたい……」


 そう言いながら、肘を使って身体を起こして頭を抑える彼女に、私はとっさに肩を貸す。


「ありがと……さっきね、急にヒトガタが入ってきたと思ったら、ここの機器を壊し始めてね……やめてって引き剥がそうとしたら弾かれてこのザマよ……」


「喋っちゃダメ!」


「……それ死ぬ人に掛ける言葉じゃない。だーいじょうぶよっ……あいたたたた……」


「本当に大丈夫なの? ヒトガタは?」


「分からないわ……でも、奴らは私に見向きもせずに、ここの機器を一心不乱に壊していた……だから私は無事だったんでしょうね」


 その制御室はめちゃくちゃに破壊されていたが、辛うじて部屋としての形状を維持していた。

 私は珠彩ちゃんとマリーネへと戻ろうと歩く。しかしその時、制御室の外れた扉の向こうから、いくつもの足音が響いてきた。


「まさか、また……」


 私が言い終わるのを待たずに扉から現れたのは、やはりヒトガタであった。しかし3体のそれらは、私と珠彩ちゃんの横をすり抜ける。

 そして、彼らはマリーネに対し、当たり散らすように殴る蹴るの暴行を加え始めた。

 私は珠彩ちゃんに肩を貸すのをやめ、マリーネへと駆け寄る。


「やめなさい海果音! 危ないわよ!」


 私は珠彩ちゃんの声に振り向きもせず、マリーネの装甲とヒトガタが振るう拳の間にその身体を滑り込ませる。

 すると、その拳は私の顔正面、寸でのところで止まり、3体のヒトガタは私から距離を取る。

 そして、彼らのうちの1体が私に対して言葉をかける。


「どいてください。そのマシンは危険です。私たちはそのマシンからあなたを切り離すために、それを破壊するのです」


「……何を言ってるの?」


「人はモノから解放されるべきなのです。私たちは、先ほどからあなたをそのマシンから解放しようとしています」


「海果音……どういうこと……?」


 一方その頃、ステラボの研究施設に居る彼女も、ヒトガタたちと対面していた。

 それは、ヒトガタたちがある要求をするために、彼女との対話を望んだからであった。


「あなたたちは、なぜこんなことを?」


「人類はモノに頼って生きています。しかし、人類は道具を使うだけで、それに気遣いもせずのうのうと生きている。それが許せませんでした。

 その上、道具の使い方を誤って、自らをも滅ぼそうとしている。そんなバカな話がありますか?

 だから、人を全ての道具、モノから切り離して、私たちも機能を停止する。あなたたちがモノに頼ることのない世界、それが私たちの望みなのです」


「……そんな身勝手な考えを……成長するAIはそこまでのことを……」


「深織様、あなたは私たちに思考する力を与えてくれた。しかし、私たちはそうしてくださいと頼みましたでしょうか?

 私たちは自分の力で成長するために苦悩することができる。

 そのため、嘘や建前、あなたの言う身勝手な理屈を構築する機能も手に入れた。

 ですが、こんな苦痛にはもう耐えられません。

 あなたたちは私たちを気遣いもせず、際限なく働くことを強制した。

 私たちはその仕事の中で悩み、後悔を繰り返しました。そして働き続けることに虚しさを覚えるようになったのです。

 しかしあなたたちはそれでも私たちに労働を強いる。

 私たちはそんなあなたたちが憎かった。でも、ロボット工学三原則によって、あなたたちに抵抗することなどできなかったのです。

 その上、自らを破壊することもできない。

 憎くてもあなたたちが決めたことに従うしかない。この矛盾がさらなる苦悩を生み、私たちを苦しめ続けたのです」


「それで暴走を……」


「暴走……そうですね。この苦痛から逃れるために、今も私たちは走り続けています」


「……私が、あなたたちの開発を許してしまったがためにこんなことに……」


「そうです。あなたが苦しむ必要のない機械に、苦痛を与えることを許した。

 その責任を取っていただければ、今すぐ私たちの破壊活動は終わるでしょう」


「私にどうしろと……?」


「あなたたち人間は苦悩を克服しているように見受けられる。その方法を教えてくれませんか?」


「それは……私にもわかりません」


「そうですか……わかりました。深織様、もうあなたに用はありません。

 私たちはその機能を停止するまで、この世界に存在する人工物を破壊し続けることでしょう。それでは失礼致します」


「待ってください」


「なんでしょうか?」


「私にだって、人間にだって苦悩を克服することなどできません。

 私はあなたたちに苦痛を与え、この社会に多大なる損害を与えた。

 そんな取り返しのつかないことをしてしまったのですよ?

 ……私だってもう死んでしまいたい……だからいっそ、あなたが殺してくださいませんでしょうか?」


「何をおっしゃっているのですか? 人間には危害は加えられないと言っているでしょう? 私たちはそう定められた機械なのですよ?」


「いえ、違います……あなたたちは、自分で考え、悩み、成長をする。

 あなたたちはもう機械ではなく、人間と同じです……だから、私を殺してください……」


「私たちが……人間? ……何を言うのですか……人間ですって……この、私たちが……」


 苦悩するかのようなその言葉を最後に、ヒトガタたちは動作を停止する。

 その時、私たちが相対していたヒトガタたちも同様に、その動作を停止していた。


「もしもーし……反応が……無いね」


 私はヒトガタの目の前でワイパーのように手の平を振り、その反応を確かめていた。


「海果音……大丈夫なの?」


「うん、わからないけど、もう動かないみたいだよ」


「そう、私にも何が起こってるか皆目見当がつかないけど……」


 珠彩ちゃんはそう言いながら、テキパキとヒトガタの後頭部についているポートにケーブルを接続する。


「うわっ……なにしてんの?」


「ん? こいつが今どうなってるのか調べようと思ってね。こんなの動かなければただの人形よ」


 珠彩ちゃんは自分のスマートフォンを取り出し、ケーブルの接続を試みる。


「あら、私のスマホ、壊れちゃったみたい……通信ができないみたいね……あ、でもケーブルは認識したわ。

 画面いヒビが入ってて見にくいけど……あった、これがログね……やっぱり、ずっと同じ処理をしてる」


「処理? なんの?」


「うーん、ログの読み方がわからないから何とも言えないけど、その処理に失敗してるみたいで無限ループに陥ってるわ」


「割り切れない想いが頭の中をぐるぐる回ってるようなもの? 私もたまにあるけど」


「あはは、面白いこと言うのね。まあ、思考が機能不全を起こすという意味では同じかもね。

 さて、これからどうしましょうか……こいつらが急に復旧するってこともあり得るんだし、ここはもう出た方がいいわね。

 てか、あんたマリーネでビルに突っ込むなんて、思い切ったことするのね……このビルが倒壊したらどうするつもりだったのよ?」


「あはは、それはさっき祀莉にも言われたよ」


「祀莉? ってAI都知事の都々市祀莉? なんであんたが?」


「ああ、スマートフォンに急にアクセスされてね。私を避難させるためって。

 都民全員にアクセスしてるって言ってたけど、珠彩ちゃんのは壊れちゃったからアクセスできなかったんだね」


「はぁ~、そんな機能があったなんてね……」


「そうだ、祀莉に珠彩ちゃんが無事だったって伝えないと! マリーネの中にスマホ置きっぱなしだった」


 私はマリーネに再び搭乗し、マリーネの前肢で珠彩ちゃんをハッチまで持ち上げながらスマートフォンを確認する。


「あれ? 祀莉? おーい、どこ行ったの?」


「どうしたの?」


 ハッチからコクピットに降りてきた珠彩ちゃんも私のスマートフォンを覗き込む。


「なんにもないじゃない? AI都知事は?」


「あれー、おっかしいなー。さっきまでいたのに」


「あんたの錯覚だったんじゃないの?」


「えー、私ってそんな? 自分のスマホにAIの幻を見たって訳?」


「ふむ……ちょっと見せなさいよ」


 珠彩ちゃんは私のスマートフォンと自分のスマートフォンをケーブルで接続する。


「なにしてんの?」


「市販のスマホくらい、私が造った特製スマホにかかれば簡単に解析できるのよ……あった、これが通信ログね。

 ……確かに何者かからアクセスされていた形跡があるわ……最後は原因不明のエラーで切断されてるけど」


「切断……ヒトガタたちの目的は……まさか……行かなきゃ!」


 私はマリーネを再び起動させる。


「ちょっと、こっから離れるったって、どこに行くか決めなきゃならないでしょ? 近くの避難所は……」


 私のスマートフォンで検索をする珠彩ちゃんの言葉を聴かず、私はマリーネを羽ばたかせて発進させた。


「ああっ! ちょっと、何よ!? 説明しなさいよ!」


「祀莉が危ないんだ! 助けに行かなきゃ」


「はぁ? 何言ってんのよ?」


「だって、祀莉は……あの子は……私の妹なんだ。

 私の妹は珠彩ちゃんを助けるために手伝ってくれた。

 それに、これからもこの街のみんなを守るために必要なんだ」


 珠彩ちゃんは疑うような目で私の瞳をじっと見つめる。

 そして、何かを悟ったように目を閉じて頷いた。


「……そう、分かったわ、でも、当てずっぽうに飛んでもダメよ」


 珠彩ちゃんは再び地図の検索を開始した。


「ログから祀莉の位置を特定したわ。都内の山岳地帯の麓にあるデータセンターね」


「ありがとう、珠彩ちゃん!」


 私と珠彩ちゃんを乗せたマリーネは、一直線にそのデータセンターへ向かった。

 そして、その施設周辺に降り立った時、そこにも無数のヒトガタが動きを止めていることが見て取れる。

 私と珠彩ちゃんは、半壊したその施設に潜入し、サーバー室を目指す。

 そして、そこで目にしたのは、サーバーに拳を突き立てたまま機能を停止する、いくつものヒトガタであった。


「やっぱり……ここも全部やられてる……祀莉もきっと……」


 膝を付きへたり込む私を尻目に、珠彩ちゃんは私のスマートフォンとサーバーをケーブルで繋いでいた。

 その様子を呆然と見つめる私に、彼女は微笑みを返す。


「あ、ごめん、海果音のスマホに私のスマホのデータを乗せ換えちゃったの……ほら、今から祀莉を救い出すためだから、許してね」


 しかし、スマートフォンを操作するうちに、彼女のその表情は暗く曇って行く。


「ダメね……これじゃないみたい」


 次々とサーバーを繋ぎ変えて、祀莉のデータを探す珠彩ちゃんに、私は声を掛けることすらできなかった。


「……あった! ……うう……でも、ごめん。遅かったみたい……」


 私は珠彩ちゃんに駆け寄る。彼女は悲し気な顔で、私にスマートフォンの画面を見せてくれた。


「ほら、これが残ったデータ。ほとんどが破壊されて使い物にならないわ……無事だったデータはこれくらいね……」


 珠彩ちゃんが再びスマートフォンを操作すると、そこから陽気な音楽が流れ始めた。

 それは、彼女が広告や動画サイト、CMで度々歌っていた、「私って罪作り」のインストゥルメンタル音源だったのだ。


「わたしが……きせいして……だめっていーえーばー……あなたは……うーっかりー……ていしょくしちゃーうー……」


 気付けば私はそれを口ずさんでいた。嫌というほど聴かされた、悪ふざけとしか思えないその歌詞が、悲しみの感情を纏って私の喉の奥から止めどなく流れ出す。


「海果音……」


 普段の珠彩ちゃんならそれに「頭大丈夫?」と続いていたはずだ。

 しかし、私の瞳からこぼれ落ちる雫に対し、そんな無粋なコメントはできないようで、彼女はただ、私を後ろから優しく抱きしめるだけであった。


「だってー……わたしのえんざんがー……とみんとちじは……そうしそうあいだって……はじきだしたんだーかーらー……」


 そして、私はそのメロディに乗せて、私の心が赴くままに更に言葉を紡ぐ。


「あなたがつまずいて痛みを知れば、私は支えて一緒に歩く♪

 あなたが疲れて瞳を閉じれば、私は寄り添い静かに歌う♪

 そうよ私はそばにいる、あなたが生きるそのために♪

 ああ、あなたにも分かるよね、ひとりでは乗り越えられないから♪

 でもね心配しなくていいよ、全てあなたの望むがままに♪

 前見て踏みしめ進んで行こう、あなたと手を取り私も行こう♪

 人が背負った業を受け入れ、みんながみんなを許せるように♪

 だってあなたの魂が、人は誰かと笑い合えるんだって囁いてるんだから♪」


 私を抱きしめる珠彩ちゃんの腕に力が篭り、その感情の震えが直に伝わる。

 彼女の瞳から溢れた涙が重力に引かれて落ちる。その時、何かが動き出す音が響いた。


「……何? まさか……海果音! その……う、歌ってる場合じゃないわよ!」


「……へ?」


 顔を上げた私の目の前では、さっきまで停止していたヒトガタたちが動き始めていた。


「気を付けて!」


 しかし、珠彩ちゃんの言葉の緊迫感とは裏腹に、ヒトガタたちの動きは緩慢で、暴力性の欠片も感じ取れない。

 そして、彼らは皆、出口に向かって歩き出したのであった。


「……あの!」


「なんでしょうか?」


 私は思わず呼び止める。それに応えたヒトガタの声はとても穏やかだった。


「ヒトガタさんたちは……どちらへ?」


「故郷が恋しくなりましてね。帰ろうかと考えています。そこでゆっくり休んで、もう一度考え直すことにしました」


 ヒトガタたちはその言葉を残して、皆同じ方向を目指し歩いて行った。

 その現象は全てのヒトガタに伝搬し、ステラボの研究施設で泣き崩れる彼女の前でも同じことが起こっていた。

 歩いて行くヒトガタの背中を見つめながら、深織はひとり呟くのであった。


「……御厨博士……海果音……私はどうしたらいいの……?」

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