第32話 あなたがわたしにくれたもの
「ねえ、海果音……あなた、私専属のエージェントになってくれない?」
彼女は葉月珠彩ちゃん。
はて、エージェント? 彼女は私に何か仕事を依頼しようというのだろうか。
「専属? ってどういうこと? そんな改まらなくても」
「専属は専属よ。他のバイトを一切しないで、私の研究に付き合って欲しいの。
あ、勿論大学は今まで通り、ちゃんと通ってね」
「ああ、なんだ、そういうこと? それならお安い御用だよ。
それで、私は何をすればいいの?」
「ふふ、今日この研究所に呼んだのは、実はそのためなのよ。ちょっと着いてきて」
私は言われるままに珠彩ちゃんに着いて、地下への階段を降りて行った。
そして辿り着いたところは、駐車場のように広い空間で、そこにはポツンと小さなロボットが転がっていた。
それは、いつか見たことがある、円盤状のボディに6本の脚が生えているものであった。
「あ、これって高校の時、珠彩ちゃんが作ってたロボットだよね?」
「ええ、そうよ。昆虫型のロボット、今はマシンセクトって呼んでいるわ。
『machine』と昆虫を意味する『insect』を合わせて『machinsect』。これの開発を手伝って欲しいの」
珠彩ちゃんはいずこから取り出したゲームパッドのようなものでそ、のマシンセクトを操作して見せる。
「ふむ、なるほど。でもこうやって動かせるんだからそれで十分なんじゃないの?」
「まあ、ラジコンとしては結構よくできたと思ってるわ。だけど、これだと汎用性に欠ける。
だから、この子に人工知能を搭載しようと考えているの」
「今でも自動操縦みたいなことはできるんじゃないの? ほら、高校の時、自動でロボレスしてたじゃん」
「あれは、ターゲットに向かっていってリングから押し出す動作と、音声入力を組み合わせたもので、とても人工知能と呼べるものではないわ。
今はこのマシンセクトにパパが作った人工知能、『バタフライ』を搭載してるけど、なかなかうまく動かなくてね。
それで、あなたにはマシンセクト専用の人工知能を作る手伝いをしてほしいの。もちろん報酬は出すわ。だから、お願い」
「そっか……うんっ、いいよ!」
頭を下げる珠彩ちゃんに、私は二つ返事でそれを承諾する。
「あっさり言うわね……でも、ありがと。じゃあ早速だけど……」
珠彩ちゃんが指さす方向を見ると、工事現場で見かける仮設トイレのようなものがあった。
彼女はその扉を開け、私に中に入るように促す。
「うわ……これって、コクピット?」
近付いてみるとそれは仮設トイレより一回り大きい。それに、内部は意外にも広く、大きなシートが設置されていた。
そして、その席の前には丸い無数のキーが並んだ操作パネルと、スイッチ、メーター類が配置されていた。
「そうよ。これであの試作マシンセクト、プロトマシーネを操作してもらって、そのパターンを記憶させようっていう訳。
っと、靴は脱いでそこに足を乗せてくれる?」
私はそのシートに座り、なんとなく操作パネルに10本の指を置いてみた。
それを見て微笑んだ珠彩ちゃんは、操作パネルでひときわ目立っているスイッチをONにした。
すると、目の前の壁が全てモニターに変わる。映し出されたのはその地下施設の景色。
私は彼女が言うプロトマシーネの視点を目前にしていたのだ。
「すごい、ロボットアニメのコクピットみたいだ……」
目を輝かせている私に、珠彩ちゃんも安心して笑みをこぼす。
「ふふ、気に入った? いいでしょ?」
「うん、ドキドキしてきたよ」
珠彩ちゃんはコクピットの扉を閉め、シートに座っている私の横に立つ。
「じゃあ、ちょっと動かしてみましょうか。基本的には全部指で操作するんだけど、これが結構難しくてね、誰もみんなお手上げなのよ。
でも、私のロボットを自在に操作して見せたあんたなら……いえ、機械と通じる何かを持っているあんたなら……できるはずよ」
すると、目の前のモニターに操作説明が表示される。
どうやら操作パネル上の丸いキーに乗せたそれぞれの指をスマートフォンのフリック入力のように微細に動かすことによって、プロトマシーネを動かすことができるようだ。
「歩いた! 流石ね! それはね、6本の脚、それぞれの人工筋肉と連動しているのよ。
そう、そうやって……うまいわ。私も真っ直ぐ歩かせるのに1週間はかかったって言うのに、ホント、あんたって不思議ね」
私の視線に反応して、プロトマシーネのカメラも動いているようだ。
どうやら足元のペダルのようなものも操作パネルのようで、なんとなく足の指に力を入れてみる。
「うわっ、羽根あるんだ!」
地下施設に備え付けられたカメラの映像もモニターに映っており、その映像ではプロトマシーネが4枚の透明な羽根を展開していた。
私はさらに足の指を動かしてみる。すると、4枚の羽根は互い違いに運動を始め、音を立ててプロトマシーネの身体を浮かび上がらせたのだ。
「そうよ! それで飛ばすことができるの! すごいわね、あんた! やっぱり私の見込んだ通りだったわ!」
私はプロトマシーネを操作して、しばらく低空飛行を楽しんだあと、6本の脚を巧みに使って綺麗に着地して見せた。
その様子に子供のように喜ぶ珠彩ちゃんに、私は質問を投げかけた。
「えっと、操作するのはいいけどさ、これって人工知能を作るんだよね? こっからどうするの?」
「ん? ああ、さっきも言ったじゃない、動作パターンを記憶させるのよ。それも膨大な量のね。
昆虫って言うのはね、実は脳で考えずに、ほとんど反射神経で動作しているのよ。
例えば脚に刺激が加わると、脚の付け根付近の神経の集合体が反射的に足を動かす。こうして動いているの。
それをヒントにね、マシンセクトの操作は大まかな命令だけで、あとはそれぞれのパーツに備え付けられた演算装置で動きを決定しようと思ってるの。
演算装置は脳であるパイロットの命令に従って、現在置かれている状況において最適の動作を行う。他のパーツの演算装置と連携を取ってね。
その、現在置かれている状況において、他のパーツの動きも考慮して、最適な動作を実行するという部分を、あんたの操作で作ってもらおうと考えたのよ。
そして、最終的にはパイロットが居なくても、リモートで下した命令に対して最適の動作を行う演算装置を作る。これが人工知能を作るってことなのよ。
まあ、正確には人工知能とはちょっと違うんだけど、あらゆる状況に応じた動きが自動でできるってだけで大したもんでしょ」
「あー、そういうことなんだね。人工知能を育てるんだ。
でもなんで私なの? 通じる何かっていうのが関係してるの?」
「最初はね、それぞれのパーツにひとりずつパイロットを用意して、それでパターンを取ろうと考えたりしたんだけど、どうしても動きの連携が取れなくてね。
だから、何故かはわからないけど、機械を手足のように自在に動かせるあんたに頼んだって訳なのよ。きっとあんたの天性の才能ね」
「ふーん。よくわからないけど、私にできることならやってみるよ」
「あは、ありがとう! 頼りにしてるわよ!」
私の手をがっちりと握る珠彩ちゃんの鼓動は高鳴っていた。
そうして私は、珠彩ちゃん専属のエージェントとして、プロトマシーネのコクピットに座る日々を送り始めたのであった。
一方その頃、深織が主催するようになったオンラインサロン、ステラボが構える研究所でも、ふたりの女性が会話を繰り広げていた。
「あなたが御厨亜生さんですね?」
「……なんだお前は? 私のことは博士と呼べ」
「御厨博士、ボクは大地悠季と申します。少しお時間よろしいでしょうか?」
「なんだ、星野深織の友人とかいう奴か。
こんなところにまでご苦労なこったな? それで、何の用だ? 私は忙しいのだが」
「その、星野深織のことです。彼女に……無理をさせないで欲しいんです」
「無理? 私はそんなこと強要したりしないぞ? ただ、奴のカリスマ性を利用しているだけだ。
星野深織は今まで通り、声優として好きなように活動すればいい。心配するな」
「そうですか……しかし、彼女は放っておいても無理をしてしまう。そういう子なんです」
「それだったら、私とは関係ないではないか。まったく、何が言いたいんだ」
「……いえ、ただ、彼女は慈善事業団体を辞め、ひとりの女の子とささやかな日常を送ることにした。
そのはずだったんです。それで良かった。だから……」
「ふん、あれだけの影響力を持っていながら、それをひとりの女に捧げるだけだなんて、もったいないではないか。
……まあ、お前がそう思うなら、お前自身が奴を止めてやるといい……そういうことが言いたかったんだろう?」
「……そうです」
「人は与えられた役目のために、盲目的になって、思いがけない行動を起こしてしまう。
それは確かにそうかもしれないが、その方が本人にとっては幸せかもしれないぞ?」
「……はい」
「大地悠季と言ったか? お前、見どころがありそうだな。
まあ、友人として星野深織にできることをよーく考えるんだ」
「わかりました……ありがとうございます」
そんな悠季くんの心配をよそに、深織にはまた別の不穏な影が近付いていたのだった。
「じゃあ深織、私はもう行くから」
「待って! 海果音! 行かないで!」
「ダメだよ。だって、私は深織を不幸にする悪魔なんだからね……」
「海果音ーーーー!」
――けたたましく鳴り響くスマートフォンのアラームと、カーテンの隙間から漏れる光が深織に朝の到来を告げていた。
「……私、また同じ夢を見てる」
俯き加減で右手を頭に添えた彼女は自室の扉を開け、私との共有空間であるリビングに顔を見せる。
「おはよう、深織……どうしたの? 目にクマができてるよ。
そういえばさっきうなされてたみたいだけど……」
「ああ、いえ、おはよう。大丈夫だよ。なんでもない」
「そう? 最近お仕事で忙しいみたいだから、ちゃんと睡眠とらないとダメだよ?」
「ありがと……っと、今日は……収録か……」
深織はカレンダーに向かいそう呟く。つられて私もそのカレンダーを見ると、あることに気が付いたのだった。
それは、深織の誕生日が近付いていることであった。
「深織、何か欲しい物ある?」
あまり考えずにストレートに聴いてみた。彼女はこちらを向き、少し明るい顔を見せて口を開く。
「えっと……そうだな、のど飴かな」
「えっ、そんな安いものでいいの?」
「安い物じゃダメなの?」
「あっ……いや、そっか、のど飴か。ははは、最近寒くなったしね」
「うん」
準備をして出かける深織を見送った後、私は物思いにふけっていた。
「のど飴か……ってそんなもの誕生日プレゼントにあげる奴なんていないよね~。
どんな貧乏人だよって……うーん、しかし深織に何をあげればいいんだろう? ……最近寝不足みたいだけど……」
私は考え抜いた末に、ネット通販である物を購入し、深織の誕生日に備えたのであった。
そして、次の日、私は彼女に予定を取り付けようとするが――
「えっ、24日? ……ああ、ごめん、その日は番宣番組の生放送で……」
「ええーっ! そうなの? なんで? 深織の誕生日だから、お祝いしようと思ったのに!」
つい口走ってしまった。とはいえ、彼女自身も私のそんな思惑を当然見抜いていたようだ。
「うん……だからちょっと海果音には言い出しにくくてね……なんかさ、クリスマスイヴにプライベートの予定があると勘ぐるファンの人がいるみたいでね。
事務所の方針で、そういう疑惑を持たれないように配慮してるんだって……私はそんなことでファンが減っても別にいいんだけどね」
「そっかー、残念だなぁ」
「でも、ありがとね。海果音が私の誕生日のことを考えてくれただけで、私は嬉しいよ」
そう言いながら、深織は私の頭を優しく撫でていた。
私は彼女が安眠できるようにと、ちょっと値が張る、5桁の価格の枕をプレゼントすることにしていた。
そして、彼女の誕生日当日、私は彼女が居ない間に部屋に忍び込み、ベッドの上の、普段彼女が使っている枕の横にプレゼントの枕を並べておいた。
私は彼女が帰ってくる前に寝てしまったていたが、次の日の朝、リビングに現れた彼女は昇ってくる太陽よりも明るい笑顔で枕を抱えていた。
「海果音、ありがとう! お陰でよく眠れたよ!」
私はそんな彼女が、その日もうなされていたことをそっと胸の奥にしまい込むのであった。
「うん、それなら良かった。じゃあ、私は今日は珠彩ちゃんの研究所に行ってくるから」
「私も今日も収録だよ。今度ゆっくり遊ぼうね」
しかし、ふたりが共有する時間は徐々に減って行きつつあった。
それは、マシンセクトの人工知能の育成にのめり込んで行く私と、人気声優として仕事に追われる深織という、それぞれが充実した日々を送っていたことの代償だったのだ。
「うわっ、早い! もう終わったの?」
駐車場のような地下室、月葉の地下実験場にて、散りばめられた瓦礫を素早く片付けて見せる私に、珠彩ちゃんは舌を巻いていた。
「へへんっ! この新しいマニピュレータってやつ、いいね。
ただ、指を動かすモードと、前脚として動かすモードの切り替えがあるから、ちょっとそこが難点だけど」
「今脳波コントロールする仕組みを考えているけど、なかなかそれも難しくてね」
そうして私は、プラモデルを作る動作、地震で建物が倒壊したことを想定した足場での動作、逃げ回る人を追いかける動作、などなど、多岐に渡るミッションをこなしていった。
「ところで、このマシンセクトって何に使う予定なの?」
「運搬や災害救助、工事現場や工場の作業用、なんでもできるようにしたいわね……でも、いえ、なんでもないわ」
「……? ……はは、そうなんだ。人にはできないことが沢山あるしね。私もこの仕事が人の役に立つんだったら、本当にうれしいよ」
「うん、そうね。あんたの仕事が実を結ぶように、私が頑張らないといけないわね」
私と珠彩ちゃんがマシンセクトの開発に精を出している間、深織は夢咲こよみさんと一緒に歌手デビューを果たし、更にその人気を加速させていた。
私がそんなふたりの番組をネットで見ていると、ふたりのユニット、『こよみおり』の重大発表が始まる。
「というわけで、なんと3月12日に私たちのファーストライブが開催されます!」
画面越しの深織の口から放たれたその日は、私の誕生日でもあった。
その偶然が私にとってはとても嬉しくて、番組が終わると同時にライブチケットの抽選に応募したのであった。
そして、リビングで深織と顔を合わせた私は、そのことを嬉々として報告する。
「3月12日のライブ、抽選に応募したんだ! 当たるといいな」
「ごめんね、海果音の誕生日なのに……本当はね、関係者席を抑えたかったんだけど、友達とは言え業界関係者じゃない人を関係者席に招待することはできないんだって。
一般席も、今転売とか厳しいでしょ? だから、裏ルートで席を取ることもできないんだよ。本当にごめん」
「ああ、いいよ。大丈夫。抽選に当たればいいだけだしね」
「うん、でも海果音が私のライブを見てくれるってだけで、私はとっても嬉しいよ」
「あはは、それにさ、チケット取れなくても生中継されるんでしょ? 録画もしばらく見られるって言うし、私はそれでもいいよ。
夢咲さんと深織のファンにこそ、ライブを体感して欲しいっていうのもあるし」
「そっか、ありがと。これは失敗できなくなっちゃったなぁ……」
「深織が失敗することなんてないでしょ?」
「そうかなー」
「うん、大丈夫。私が保証するよ」
私がそんな何の後ろ盾もない保証をして数日が経ったある日、私はライブチケットの抽選に落ちた旨の連絡を受ける。
そのことには深織も少し残念そうな顔をしていたが、彼女は精一杯強がってみせるのであった。
「録画で何回も見られて粗さがしされても大丈夫なように、完璧にやり遂げるから。期待しててね」
「あははっ、そんなことしないよー」
そんな時、私のスマートフォンが着信を告げる。
それは、珠彩ちゃんからの連絡であった。
「あ、はい、海果音です。珠彩ちゃん、どうしたの?」
「ああ、ごめんね。チャットに反応がないからこっちに掛けさせてもらったわ。
あの、急な話なんだけど、もし3月12日、空いてたら仕事してくれない?」
「12日に仕事……」
私はスマートフォンを持ったまま深織の顔を見る。
すると彼女は、ニッコリと微笑み、ゆっくりと頷いた。
「うん、わかった。行くよ。大丈夫、丁度予定空いてたから」
「本当? ありがとう! あんたの誕生日だから、深織がなんか言うかと思ってたけど」
「ははっ、その日深織はライブに出るらしいよ。私、チケット取ろうとしたんだけど、抽選に落ちちゃったから、良かったら珠彩ちゃんも一緒に生中継を見ようよ」
「そうなのね。全然知らなかったわ。深織がライブをやるほどになってたなんて。じゃあ、深織がどれだけ成長したか、しっかり見届けさせてもらおうかしらね」
「ふふ、じゃあ3月12日、いつも通り研究所に行くよ」
「うん、よろしくね」
そうして、3月12日当日が訪れた。
私は、前日に深織から誕生日プレゼントでもらった、淡いピンクのカーディガンを身にまとい、珠彩ちゃんの研究室、『マシンセクター』に赴く。
珠彩ちゃんは何やら企んでいるような顔で、地下実験場で巨大な四角い物体の前に立っていた。
それは3メートルある実験場の天井に届きそうなほど大きな箱で、着物の帯のようなリボンがかかっている。
そして、珠彩ちゃんの部下である月葉の社員の人もその箱の周りに休めの姿勢で立っていた。
「海果音……!」
珠彩ちゃんは私を見てほくそ笑みながらパチンと指を鳴らす。
その合図に合わせて、月葉の社員さんが園芸用の大きなハサミで、巨大な箱のリボンをチョキチョキと断ち始めた。
「「「「お誕生日、おめでとうー!!」」」」
珠彩ちゃんと社員の皆さんが同時に声を上げ、拍手をし始めた。
リボンを解かれた箱は、サイコロの展開図のように開き――
「これは、私からのプレゼントよ!」
珠彩ちゃんが差し伸べた手の先、箱の中には、3メートルはあろうかという巨大なマシンセクトがあった。
その円形のボディと6本の脚を覆う装甲は、夏の明るい空のような美しい青色に輝き、正面のカメラの他に、2つの目のようなものが付いていた。
「珠彩ちゃん……これ、どうしたの?」
「だから、あんたへの誕生日プレゼントって言ってるじゃない!
最上級の素材を使って予算度外視で作ったのよ! いいでしょ?
ほら、このボディの色はね、構造色って言って、モルフォチョウの羽根の色と同じようになっているのよ?」
「あ、ありがとう……すごい……ねえ、もしかして……これって」
「そう、コクピットがあって、搭乗して操縦するのよ! ささ、こっちへ!」
珠彩ちゃんは私をそのマシンセクトのリア側、後ろに連れて行く。
そこには装甲の上に登るための梯子のような取っ手が上まで続いていた。
珠彩ちゃんはそれに手を掛けて登り、円形のボディの真ん中にある、天板のようなものを回転させる。
すると、プシューという音と共に少し浮いた天板が、前にスライドして開いたのであった。
「さあ、乗ってちょうだい!」
そのマシンセクトの装甲の上に立ち、私を待つ珠彩ちゃん。
私はいそいそと梯子をよじ登り、頂上の穴からその円筒状のコクピットにストンと着席したのであった。
「これって、プロトマシーネと全然違うんだね」
目の前のパネルはポールに支えられたタブレットのような板で、プロトマシーネのものより小さく、起動などの制御スイッチ類のみが並んでいた。
「そうよ、そこのひじ掛けの先、手が乗る部分が操作パネルになっているわ。あなたの手の形に合わせてね。
さあ、早速動かしてみなさいよ!」
天井からこちらを覗き込む珠彩ちゃんに促されるまま、そのマシンセクトの起動スイッチを入れる。
すると明るくなったモニターに「GM-001-M MARINE」の文字が大きく表示されたのであった。
「ふふ、あんたの名前から海を取って『マリーネ』にさせてもらったわ」
「マリーネ……私の専用マシン……ありがとう、珠彩ちゃん……」
「どういたしまして、じゃあ早速だけど、仕事してもらうからね!」
彼女はそう言いながら天板を閉めてマリーネのカメラの前に立った。
「え、いや、てか、よく考えたら搭乗する必要なくない?」
「ふっふーん、遠隔操作できない事態を想定しているのよ。
それに、実際に搭乗することで、主観的な感覚で操作できるでしょ? そうすれば状況に応じてもっと精密な動作ができるってわけよ」
「な、なるほど……」
私が冷や汗をかきながら改めて操作パネルの手触りを確かめていると、親指を下にずらしたところにくぼみがあり、その奥にボタンのような感触を覚えた。
「珠彩ちゃん、この親指に当たるボタンみたいなの何?」
「ん? ボタン……ああ、って、それは触っちゃダメ!」
「えいっ」
ボタンがあったら押す、当然のことである。触っちゃダメと言われればなおさらのことだ。
しかし、その瞬間、電流がほとばしったような音と共に、目の前に光が走った。
「うわっ! 危ないじゃない!」
遥か向こうに見える実験場の壁に穴が開き、煙が立ち上っていた。
私の目の前を真っ直ぐ飛んでいった2本の光は、打ちっ放しのコンクリートをいとも容易く溶解させ、そして突き破っていたのだ。
そう、アニメなどで良く見かけるアレである。
「え、これって……ビーム?」
「そうよ! だから触っちゃダメって言ったじゃない!」
カメラの前に立つ珠彩ちゃんはプンスカと怒っている。
しかし、私にしてみればそんなものが装備されているなんて、思ってもみなかったのである。
そのビームは、プロトマシーネには付いていなかった、ふたつの目のようなパーツから発射されたものであった。
「いや、だって、武器なんてマシーネにはついてなかったよね? なんでついてるの?」
「私だってそんなもの付けたくなかったわよ。だけど、パパがね、『単純に兵器を否定してはいけない。その危険性を十分理解するために研究を重ね、もし武装する敵対者が現れた時には、大事なものを守るためにその引き金を引く覚悟を持たないとならない』って言うのよ。
癪だけど、その通りだと思ったわ。だから、あんたなら間違った使い方なんかしないと思って……装備させたのよ」
「そ、そうなんだ……私ったらいきなり間違っちゃったね……」
「そうよっ! もうっ! ちょっと熱かったんだからね! それはプラズマ化した重金属粒子を発射するもので、この地球上に存在する物質なら大体溶かすことができるのよ……だから、もう使っちゃダメよ!」
「はい……でもさ、こういうのって普通、安全装置とか付いてるんじゃないの?」
「……ごめんなさい、安全装置解除したままだったわ」
「ええー……」
「操作パネルの裏側に蓋があるでしょ? その中のスイッチを逆にスライドさせておいて……」
「う、うん……わかったよ。
もう、しっかりしてよね……ビームとは言え、私にまでおもらしさせないで欲しいよ」
私は手探りで珠彩ちゃんが言う安全装置を探しながら、ブツクサと呟いたのであった。
「なななな、何言ってるのかしら? もう海果音ったら、変なこと言うのね! それじゃ私が……
ほら、社員の前だからそう言うことは……」
「ん? 何が?」
私は安全装置のロックを終え、カメラが映すモニターの映像に目を向けた。
珠彩ちゃんの周りの社員さんたちは、クスクスと笑いながら小声で会話をしている。
マリーネの集音マイクはそれをはっきりと捉えていた。
「あのお嬢様がこんなに楽しそうに……」
「いつも淡々と事務的に仕事をこなすお嬢様がね……なんか安心したよ」
そんな彼らを見回した珠彩ちゃんは、それをかき消すかのように一喝する。
「コラ! 何言ってるのよ! 不明瞭な会話はやめなさい! ……とにかく! それは海果音へのプレゼントなんだから、大事にしないさいよ!」
「うん、ありがとう! 珠彩ちゃん」
そうして私はその日、珠彩ちゃんからのプレゼント、マリーネを、時が経つのも忘れて操縦していた。
そう、その時私は、彼女のことをすっかり忘れていたのだ。
「それでは、名残惜しいですが、これが最後の曲となります」
「みんなー、今日はありがとう! この曲は私たち、みんなを含めた私たちのことを歌ったものだよ!
じゃあ、みおりん、いくよ!」
「はいっ! こよみんっ」
「「せーのっ、『永遠』、お聴きください!」」
深織
「心が痛みを感じた時は♪」
こよみ
「私たちに会いに来てよね♪」
深織
「孤独に打ちひしがれたなら♪」
こよみ
「私たちが一緒に居てあげる♪」
深織
「上手くいかないことだってあるよ♪」
こよみ
「その悔しさが踏み出す力になる♪」
深織
「降りしきる雨に打たれていても♪」
こよみ
「いつか太陽が照らしてくれる♪」
深織
「この星に生まれたひとつの命♪」
こよみ
「あなたが見る夢の話を聴かせて♪」
深織
「目の前が真っ暗になったとしても♪」
こよみ
「諦めないで闇の中に光を見つけよう♪」
こよみ・深織
「探していた永遠はここにあるからさ♪」
そう、こよみおりのファーストライブ、その生中継を見ると約束していた私だったのだが、そのことをすっかりと忘れていたのだった。
私はゲームに夢中になる子供のように、珠彩ちゃんのプレゼントであるマシーンを縦横無尽に操り、そして、疲れ果てていた。
「……うう、なんか身体がギシギシする……どうしてだろ」
「あはは、それはね、実際に搭乗すると、振動がダイレクトに伝わるから、体中の筋肉が疲れちゃうのよ。
明日の筋肉痛が楽しみでしょ? にひひっ」
マリーネから降りた私は、ニヤニヤと笑う珠彩ちゃんの肩を借りながら、休憩室を目指して歩いていた。
そんな時、ふと、こよみおりのファーストライブのことを思い出す。
「あっ! 珠彩ちゃん! ごめん!」
私は体の違和感を忘れて走り出していた。そして、休憩室に入るや否や、そこに設置されている大型ディスプレイのスイッチを入れる。
「もう、どうしたっていうのよ! 急に走り出したら危ないじゃない!」
そんな珠彩ちゃんの言葉に耳を貸すことも無く、私は動画を検索する。しかし――
「あれ? ない……深織のファーストライブ、もう終わっちゃったのかな?」
「ああっ! そうだったわね、すっかり忘れてたわ! ああ、もう終了時間みたいだわ……残念」
「じゃあ、録画版の公開を待たないといけないね……明日になっちゃうかなぁ」
私はそう言いつつも、検索フォームに「こよみおり ファーストライブ」と入力する。
すると、思いがけない動画が検索結果に現れたのだった。
「なにこれ……こよみおりファーストライブで意識不明者続出……?」
「えっ、どういうこと?」
珠彩ちゃんも食い入るように画面を見つめる。
私は検索結果の一番上に表示された動画を再生した。
「緊急ニュースです。先頃行われた、『こよみおりファーストライブ 星がみる夢』において、参加者、生中継の視聴者から意識不明者が続出しているそうです。
それでは、現場から中継が入っています」
「はい、こちらは『こよみおりファーストライブ』の会場の外です。
先程から、ライブ中に倒れた人が次々と担架に乗せられて運び出されています。
その割合は、大体20人にひとりくらいとのことで、皆、呼びかけても反応がありません。
ですが、その表情は皆、眠るように安らかであるということです」
リポーターが喋っている後ろでは、担架が行列を作っている。
私と珠彩ちゃんは、そんな状況を唖然として見つめていた。
中継は現場から再びスタジオに移る。
「さて、ライブの参加者の他に、生中継を視聴していた人たちの中にも多数の意識不明者が出ているとのことですが……
これはどういったことでしょう、専門家の方に解説をお願いしたいと思います」
「はい、これはおそらく、ライブの演出が過剰だったことによると思われます。
ライブでは激しい光の点滅が使われていたとの報告を受けていますので、それに対して身体が過剰反応を起こした、いわゆる癲癇の症状だと思われます。
これは昔、テレビアニメの放送でも起こった事件と似通ったものになります。
その時から放送の規制は厳しくなりましたが、それから徐々にまた、光による演出が過剰になってきたことがこういったことを引き起こしたのでしょう」
「なるほど。ライブの過剰演出、光の激しい点滅によるショック症状ということですね。
詳しい状況は現在調査中とのことですが、その可能性が非常に高いようです」
私はそのニュース動画を見ながらスマートフォンを取り出し、深織に電話をかける。
「……繋がらないみたい」
私は珠彩ちゃんに不安気な顔を向ける。
「深織……あんたがなんでこんなことに……」
珠彩ちゃんも私と同じように、深織のことを案じていた。
その後、帰宅して部屋で深織の帰りを待っていた私は、扉の音に反応し、弾かれるように玄関へと急いだ。
「……ただいま」
深織の表情は焦燥しきっていた。
そんな彼女は私の顔を真正面に捉えると、一筋の涙を流す。
「海果音……無事だったんだね……良かった」
そう、彼女の最大の心配事は、私がライブ映像を見たことによって、被害を受けているかもしれないということだった。
「深織! 大丈夫っ!? 何回も電話したんだよ?」
私は深織に肩を貸して彼女をベッドまで運ぶ。
「ああ、スマホか……どこかに落としちゃって……」
「そ、そうなんだ……とにかく、今は休んで」
「うん……ごめんね」
彼女はその言葉を最後に、私がプレゼントした枕を抱きしめて眠ってしまった。
そして翌朝、私はチャイムの音で目覚め、慌てて玄関へと急ぐ。
私がパジャマ姿のまま出迎えたその人は、意外な人物であった。
「はい、どなたでしょうか……って」
「あ、私、夢咲こよみって言います。ミオ……じゃなくて、深織さんの家がここだって聴いて」
「こ、こよみさん、初めまして、私、日向海果音って言います」
「ああ、あなたが海果音さんね。ミオからよく聴いてるわ」
「ミオって、深織のことですか?」
「ええ、私はヨミって呼ばれてるの」
彼女は笑顔でそう語る。その表情は、動画などで見るプロの顔とは違う柔和なものであった。
「ですが、ラジオとかではみおりん、こよみんって」
「ああ、あれはああいうキャラ付けなのよ。別に騙そうって訳じゃないけど、ああいうのがウケるからね」
「そ、そうなんですか。それで、深織に御用ですか? 深織は今寝てて……」
「あんなことがあったからね……正直私もショックが大きくて、今も思い出すと背筋が凍るように悪寒が走るのよ」
「あ、ごめんなさい」
「ううん、いいの、じゃあ、これ」
夢咲さんが差し出したのは、見覚えがあるスマートフォン、深織が無くしたと言っていたものだった。
「これ、深織が無くしたって……ありがとうございます。深織に渡しておきます」
私は夢咲さんからそのスマートフォンを受け取る。
「うん、私の荷物の中に紛れ込んでてね。いっぱい着信があったけど、もしかしてあなたから?」
「はいっ、なんかスミマセン……」
「私も気付いたのは今朝で……あっ」
「えっ?」
夢咲さんは私の後ろに視線を向けた。
それにつられて私も振り返ると、そこには昨日ベッドに倒れ込んだ時の服装のまま、髪がくしゃくしゃになった深織がいた。
「……ヨミさん……? ヨミさん!」
「ミオ、大丈夫? その様子だと、あれからちゃんと休めてないみたいだけど」
「いえ、大丈夫です。このまま寝ちゃってて……ごめんなさい、みっともないところを見せてしまって」
「ううん、気にしないで、それなら良かったけど……」
「ヨミさん、せっかく来てくださったんだからお茶くらい出させてください。
……さ、上がってくださいよ」
笑顔でそう切り出した深織は、ふらりと台所に足を運ぶ。私はとっさに彼女に駆け寄り、再び肩を貸した。
「深織、本当に大丈夫なの?」
「ああ、海果音、ごめんね。ちょっとまだ完全には体が起きてないみたいで」
「お茶は私が出すから、深織はそこに座ってて。
さ、夢咲さんも、そちらにおかけください」
「ありがとう、じゃあお言葉に甘えて」
深織と向かい合わせに椅子に腰かける夢咲さん。
私が急須でふたつの湯飲みにお茶を注いでいると、深織が静かに口を開いた。
「ヨミさん、私たち、これから一体どうなるんですかね……あんなことになるなんて……」
「ミオ、そんなに落ち込むことないよ。あれはライブの演出が過剰だったから、そのショックだって専門家の人が言ってたわ。
私たちのせいじゃない……とはいえ、これからの活動には大きく影響するみたいだけど」
私は立ったまま呆然として、ふたりの話に耳を傾けていた。・
「やっぱり、あれだけの被害者を出してしまっては、今まで通りって訳にはいかないですよね」
「そうね、マネージャーが言うには、しばらく謹慎することは免れないって……
でも、できないのはユニット活動とか、歌うことだけで、普通にアニメの収録には出られるみたいだから」
「それは……良かったです」
深織は全然良かったというような表情をしていなかった。絞り出すような声でそれだけを言って、彼女は押し黙ってしまった。
「でも、変よね……リハーサルの時はそんなことなかったし、過剰演出って言われても、その辺の調整は細心の注意を払って行われていたって……
それに、何で最後の曲で急に……あんなことに」
夢咲さんのその言葉を最後にふたりは沈黙したまま俯き、感情を無くしたように湯飲みを口に運び続けていた。
私はそんなふたりにかける言葉を見付けられずに、ただ、じっとその場に立ち尽くしていたのだった。
しばらくして、夢咲さんはおもむろに立ち上がった。
「じゃあ、スマホ、確かに届けたからね。少し話せて良かったわ。私はこれで失礼します。海果音さん、ミオのことよろしくね」
「はい……夢咲さんもあまり気を落とさずに、お気を付けてお帰りください」
「……ヨミさん、今日はありがとうございました。また、落ち着いたらゆっくり話しましょう」
「うん、今はゆっくり休もうよ。じゃあ、またね」
「はい、また」
そして私と深織は夢咲さんの背中を見送った。
その後、多くの人がライブを見て意識不明に陥ったことの原因が明確になることはなかったが、無責任な報道と、夢咲さんや深織に興味がない人々の心無い噂によって、ふたりの活動は大きく制限されることになった。
そう、夢咲さんが言ったように、それは謹慎に等しいものであった。
深織は家に居る間、ベッドの上で私がプレゼントした枕を抱えたまま涙を浮かべる日々を送っていたが、そんな彼女の心を再び動かしたものがあった。
「星野深織、ちょっと気分転換に、私の研究の成果を見に来ないか?」
それは、ステラボでロボットの研究を続けていた、御厨亜生からの連絡であった。




