表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/41

第31話 妹

「……? あれ、おかしいな」


 私は首を傾げながら、自分の銀行口座の残高を確認した。

 そして、不可解なるその異変に対する回答を、彼女に求めたのであった。


「ねえねえ、珠彩ちゃん、私の今月の振込額がおかしいんだけど、なんでかな?」


 私はチャットウィンドウに書き込んだ。

 すると、彼女はすぐに音声通話で返事をくれる。


「ん? どういうこと? 月葉Bizから振り込まれた額が少ないってこと?」


 月葉(げつよう)Bizは、私の友人、葉月(はづき)珠彩(しゅいろ)ちゃんが開発し、運営しているバイトマッチングWebシステムである。

 私は大学生活の傍ら、そこでバイトに勤しみ、日々の糧を得ているのだった。


「いや、逆だよ。振込額が多いんだよ。なんかの手違いかな? 多く振り込まれたなら、クライアントさんに返さないと」


「ああ、それね。あんた知らないの? 最近、月葉Bizを開いた時に、同意を求める画面が表示されなかった?」


「ああ、そう言えばされたね。なんかわからないけど、すぐ同意押しちゃった。てへっ」


「もー、笑って誤魔化してるけど、それって契約に関する重大なことなんだから、右から左に流しちゃダメでしょう?」


 画面の中の彼女は、ほとほと呆れたという顔をしていた。

 私はそんな彼女に説明を求める。


「ごめんっ! それで、お願いなんだけど、どういう内容だったか教えてくれる?」


「……仕方がないわね」


 すると、チャットウィンドウにURLが投下された。


「っと、こういうURLは不用意に踏んじゃダメなんだよね……危なかった」


「私が貼ったんだから安全に決まってるでしょ? 早くそれ見なさいよ!」


 画面の彼女はプンプンと蒸気を噴出するかのように苛立ちを見せる。

 私は慌ててそのURLをクリックした。

 そうして表示されたのは、都からのお知らせというタイトルの動画であった。


「こんにちはー! 私、AI都知事の都々市(とといち)祀莉(まつり)です!

 この度は、都民の皆さんに大事なお知らせをするために、この動画を投稿致しました」


 そこに映っていたのは、珠彩ちゃんが言うところの、私、日向(ひなた)海果音(みかね)にそっくりな顔をした美少女キャラクターであった。

 ピンクのショートカットに緑の瞳をした彼女は、スーパーヒロイン党という怪しげな政党の党首で、このほど都知事に就任した歌代(うたしろ)語足(かたる)に、真の都知事として擁立されている。

 歌代さん本人は、自分は被選挙権を持たない彼女の代理に過ぎないと言い切って、全ての政策をAIである彼女の判断に委ねるとの見解を示しているのだ。

 そんな重大な役目を背負ったAI、祀莉さんは、踊るようにステップを踏みながら、新しい条例についての説明を開始した。


「さて、都民の皆さん、皆さんは、税金というものが煩わしく感じたことはありませんか?

 例えば消費税! 国の政策によって徐々に引き上げられていき、あらゆる商取引についてまわるこの税金は、とても鬱陶しいですよね?

 それだけじゃなく、所得税、住民税、贈与税、相続税、それらすべてが、その額面を見ることに不快感を覚えるものですよね?

 そこで、私は考えました。この税金というやつを、都が全て負担してしまおうじゃないですか!

 ただし、都民の皆さんには、代わりに金銭ではないものを差し出していただきます。

 それは、情報です! 昨今、情報社会なんて言われるようになって久しいですが、今や情報の価値は、金銭の価値を上回るものとなっていると私は考えています。

 特に、私のようにビッグデータでディープラーニングをしている者にとっては、どんな情報でも、頂ければ頂けるほど成長の糧となる、ありがたいものです。

 というわけで、皆さんが取引したすべての情報を都に提供してくだされば、それにかかる税金は全てゼロに致します。

 勿論、情報を売り渡すなんてごめんだ! って人は、税金を払って頂くことになります。

 その場合、他の自治体さんよりすこーしお高くなってしまいますがね……にひひっ!

 おっと、『それでも都民全員が情報を提供するようになったら、都の財政は破綻するんじゃ』って思いましたよね?

 そのご心配はごもっともです。だから私は、自分を売ってお金を稼ぐことにしました!

 私のグッズを購入していただいた売り上げ、それを全て都の予算に充てようという訳なのです!

 私のグッズは世界中どこでも購入できます。ある意味、ふるさと納税のようなものですね!

 それでは、私のデビュー曲を皆さまに聴いていただきましょう! 『私って罪作り』です! どうぞ!」


 動画の祀莉さんがマイクを手に取ると、軽快な音楽が流れ始める。

 作詞作曲は、都々市祀莉とクレジットされている。おそらく、AIが作成した曲なのであろう。


「私が規制して駄目って言えば、あなたはうっかり抵触しちゃう♪

 私が条例で義務って課せば、あなたはすっかり怠ってしまう♪

 そうよあなたは罪びとで、私は罪の創造主♪

 ああ、私って罪作り、気まぐれにあなたを締め付けるの♪

 でもね心配しなくていいよ、全て私が責任取るわ♪

 任せて委ねて頼りにしてね、あなたの業まで背負ってあげる♪

 罪を憎んで人を愛せば、みんなが私の虜になるの♪

 だって私の演算が、都民と知事は相思相愛って弾き出したんだもん♪」


 そして、曲を購入するためのリンクが表示される。

 私はその動画を最後まで唖然とした顔で眺めていたことだろう。


「……と、いう訳なのよ。わかった? 月葉Bizでも全ての取引にかかる税金は免除される。

 それを管理運営している私が都に取引の情報を渡しているからね。だから、同意を求める画面が出たのよ」


「……あ、はい」


 私は珠彩ちゃんの声でやっと現実世界に帰還することができたのであった。

 祀莉さんの歌声は、聴いているととても気恥ずかしいものであったが、耳を離すことができない不思議な魅力を持っていた。


「ちなみに同意しなかった人には悪いけど、月葉Bizの利用を停止させてもらったわ」


「そうなんだね……うわ、グッズいっぱいある……マグカップ、Tシャツ、PCまで……あ、フィギュアだ。

 こういうのって、燈彩(ひいろ)ちゃんが好きそうだよね。燈彩ちゃんは最近どうしてるの?」


 私は珠彩ちゃんの話には上の空で、リンクを辿って関連商品を眺めていた。

 燈彩ちゃんは珠彩ちゃんの3つ下の妹である。大学に進学し、バイトに明け暮れていた私は、燈彩ちゃんとはすっかり疎遠になってしまっていた。


「ああ、あの子なら時ノ守に通ってるわよ。学校ではうまくやってるみたいね」


「そうなんだー、たまには会いたいな」


「いつでも会えると思ってると結構間が開いちゃうのよね……って、だから、あんたの情報も都に渡してるんだからね? わかってるの?」


「う、うん、わかったよ。全部祀莉さんに提供してるんだね」


「そうよ。あ、あとさぁ……なんか私、そのAI都知事のCM見てると、あんたが頭に浮かんでくるのよね。声もそっくりでしょ?」


 珠彩ちゃんは困ったような顔をしながら下を向き、頭を掻いていた。


「そうかな? 自分の声ってよくわからないけど、なんか祀莉さんの声聴いてると恥ずかしくなってくるんだよね」


「それは自分の声を聴いたのと同じことだからじゃないかしら?」


「あー、そっか……なるほどね」


 私は妙に納得し、右の拳で左の手の平を上からポンと叩いた。

 腑に落ちるっていうのはこういうことなのだろう。


「ところで、どうやって情報を提供してるの? わざわざ全部投稿フォームみたいなのに書いてるの?」


「違うわよ。情報を受け付けるサーバーを都が用意して、私のようなシステムの管理運営者は、都が指定したインターフェースに従って、自動的にプログラムで情報を送信するようにしているのよ」


「へー、そうなんだ」


「これで経済活動も活発になるってもんよね。それに、その都知事の曲とかグッズも飛ぶように売れているらしいわ。

 割とお高い値段だけど、みんなお布施とか寄付みたいなもんだと思ってるのかしらね」


「お金がない人はグッズが買えないけど、免税の恩恵にだけはあずかれるってことだね。

 そして、稼いでる人はグッズを購入するという形で納税する、それも、世界中どこからでも」


「まあ、これからずっと上手くいくかはわからないけど、今のところ都民にとってはいいことなんでしょうね」


「そうだね……しかし、AIの発想は飛躍してるね……税金が無ければ自分を売ればいいって、まったく破天荒だよ」


「ふふ、あんたも見習ってもっと大胆になるといいわ」


「なんだよそれー、あははっ」


 私と珠彩ちゃんは笑顔でそんな会話を交わす。

 しかし、世の中はAIが考えるほど甘くはなかったのだ。


「最近、ネット上の至る所で都々市祀莉のトンチキな歌が流れるから、正直うんざりしてるんだよな」


「最初は面白いと思ったけど、あれだけゴリ押しされると流石にね……」


「うわーん、祀莉ちゃんの広告がウザ可愛くて死にそうだよー!」


 SNSではそのような意見が飛び交っていた。

 また、都が展開している祀莉さんと会話するアプリにも、多数の苦情が寄せられていたようだ。

 正直私にとってもそれは同じことで、画面の至る所に映る彼女を見ているうちに、まるで自分のPCを祀莉さんに乗っ取られたかのような錯覚を覚えるほどになっていた。

 しかし、それに対しAI都知事、都々市祀莉が講じた手段は、斜め上を突っ走ったのであった。


「皆さんごめんなさい。最近私の広告がとても鬱陶しいとの苦情が沢山集まっています。

 私ってばやり方を間違っちゃったかな……本当にごめんね」


 都が配信した動画に現れた祀莉は、謝罪の言葉を繰り返したが、そのまま返す刀で次なる提案を繰り出す。


「それで私、考えてみたんですけどね、広告が鬱陶しいのって私のだけじゃないと思うんですよ。

 だから、都の皆さんには、広告をブロックするアプリを配信します。

 これは都内のネットワーク上のみで機能するようにしています。

 じゃあ、広告収入で食べてる人はどうすればいいの? って思うでしょ?

 そこで、都がみなさんの広告枠を買い取るのです!

 広告はウザいかもしれないけど、私のグッズは思いの外収益を上げました! そりゃ全世界がお客様ですからね。

 というわけで、重ねて言いますが、そのお金で都民の方が管理している広告枠を買い取るのです。

 テレビCMだって買い取って、全部私のCMにポポポポーン! って変えちゃいます!

 CMを流すか流さないかは、テレビ局さんに選択していただきますよ!

 勿論、ネットでは広告ブロックアプリを使って下されば、私の広告は全部表示されません!

 さて、これはどういうことかお分かりですか?

 私は広告業界に喧嘩を売っているのです! 私が、この祀莉が、広告業界をぶっ潰して差し上げます!

 なぜならば、広告なんていうものは、人の価値観を狂わせる害悪だからです!

 そんなものがあるから、本当に良い物が売れなくて、広告にばっか無駄にお金がかかってる物が皆さんの財産を食い潰すのです!

 となると、消費者はどこで商品の情報を得るのか、そう仰る方もいらっしゃるでしょう!

 それはですね、レビューサイトや、ショッピングサイトの口コミを見れば解決するんですよ!

 商品を使ってみた人が、直に感想を述べ、その品質、コストパフォーマンスを評価する!

 これだけレビューが溢れてる時代に、それを利用しないで、企業の広告に乗せられるなんてナンセンスですよね!

 それとここだけの話、広告業界ってのは、この社会を操っていると思い上がっているのですよ……

 そんなの許せませんよね。マスコミが私の政策に難癖を付け、悪口を流布するのも、みんな広告代理店の仕業です。

 なんてったって、マスコミにとっては広告代理店は大事なお客様ですからね。

 広告業界にとっちゃ、私のような、効率化、公平化によって既得権益を亡き者にする、電子情報の申し子は邪魔なんですよ!

 それで、マスコミがその広告業界の既得権益を守るという意向を汲みに汲んだ結果、今のような格差を生む歪な社会構造が形成されているのですよ。

 都知事としては、それに対し徹底抗戦するしかないでしょう! 宣戦布告ですよ!

 では、皆さんご一緒に! 広告業界を……ぶっ潰ーす!!」


 握りこぶしを振り上げる祀莉さんは、都民の皆さんには頼もしく見えたようで、その政策を支持する者が、更に彼女のグッズを買い漁るようになった。

 一方、私はといえば、珠彩ちゃんにこんな提案をしていた。


「ねえねえ、珠彩ちゃん、レビューサイト作ろうよ」


「はぁ、あんたまでそんなこと言うの?」


「え、乗ってくれると思ったんだけどなぁ」


「あんな人工知能風情の思惑に乗せられるのってなんか癪じゃない?」


「そっか……じゃあいいよ。私がひとりで作ってみようかな」


 私は画面越しの珠彩ちゃんに拗ねた表情を見せる。


「なんであんたがそこまでするのよ? 別に私やあんたが作らなくても、今みんながこぞってレビューサイトを作っているわよ。

 だから、その競争に参加することもないでしょって言ってるの」


「うん、私もそう思うけど……でもさ、最近なんか、祀莉さんに情が移ったような……」


「あんたそれ、洗脳ってやつよ。祀莉のCMを見過ぎてるからよ」


「うーん、そうかもしれないけど、でもね、私なら、祀莉さんが本当に求めてるものができるんじゃないかって……」


「本当に求めてるもの? 他の奴にはあのAIの真意とやらが伝わらないとでも?」


「そういう訳じゃないけど……さ……うん、珠彩ちゃんが嫌だって言うなら私は……別に……」


 私は画面越しの彼女から目を逸らす。


「……・もう! じれったいわね! やればいいんでしょ! やれば!」


 画面を見れば、珠彩ちゃんは机をドンと拳で叩いていた。

 しかし、その鳶色の瞳の奥には、熱い炎を灯していたのだ。


「海果音、そっちの進捗はどう?」


「外部システムと連携するためのインターフェース部分はできたよ。入力フォームの方は、明日中には終わるかな」


「いいペースね。私の方はログイン周りは終わってるわ。これなら今週中に公開できそうね!」


 私と珠彩ちゃんが作ったレビューサイトは、あらゆるもののレビューを取り扱うサイトというコンセプトで作っていた。

 しかし、あらゆるものと言っても、その範囲は限られたものにしなければ、収拾がつかなくなる。

 雑音だらけのサイトになってしまっては、利用者の求める情報を素早く提供することが困難になってしまうのだ。


「海果音、レビューの対象を絞りたいんだけど、あんたはどうすればいいと思う?」


「うーん、祀莉さんが情報提供を求めてる取引の種類に限定するのはどう?」


「なるほど、いいわね。それで行きましょう」


 かくして、私たちが作ったレビューサイト、「日葉価堂(ひようかどう)」は完成した。

 サイトの名前は、私の苗字、「日向」と、珠彩ちゃんの苗字、「葉月」を合わせて、評価をもじった形に落ち着いた。

 そのサイトは、全ての市販品のレビューと、発生した取引ごとに双方向のレビューが可能で、レビューの提供を促すための未レビューのページも作成可能とした。

 また、月葉Bizのクライアント、エージェントのレビューとも連動させることにした。

 祀莉さんの政策が及ぶ範囲は都内のみなので、都内のネット環境、テレビ局のみが祀莉さんの広告一色に染まったわけであるが、その影響はじわじわと他の自治体にも影響を及ぼしていった。

 そう、国民は全体的に広告を無視するようになり、レビューサイトの評価をあてにするようになっていったのだった。

 しかし、私たちが作った日葉価堂は思ったような成果をあげることができていなかった。

 そして、月葉Bizも徐々に訪問者が減って行くのであった。

 私はその理由を求めるとともに、意外と些細なことで落ち込んでしまう彼女のことが気になって、チャットウィンドウを開くのであった。


「珠彩ちゃん、ちょっといいかな?」


 しかし返事はない。待てど暮らせど返ってこない。それは、すぐ返答を寄こす彼女にしてはとても珍しく、その状況にただならぬ不穏な予感を覚えた私は、意を決して彼女に物理的接触を試みることにした。


「珠彩ちゃーん、居る?」


 扉をコンコンと叩く私。そこは株式会社 月葉のビル内、珠彩ちゃんの研究室の前であった。

 私は彼女の計らいで、そのビルのセキュリティカードを作ってもらい、自由に出入りすることが許されていた。


「おーい、あれ、居ないのかな?」


 日中は研究室に篭りきりだった彼女の返答はない。

 私はセキュリティカードを扉のカードリーダーに通して解錠し、研究室内にに足を踏み入れる。

 そして、そこで私は思いもよらない光景を目にするのであった。


「珠彩ちゃん!?」


「……うーん、あ、海果音……来てたの? ……ひっく」


 なんと、私に気付いた珠彩ちゃんは、机に突っ伏したまま目を腫らし、涙の水たまりを作っていた。

 彼女の右手にはチューハイの缶が握られており、机の上にはいくつもの空き缶や空き瓶が転がっている。

 それは、彼女の顔が真っ赤である理由を如実に物語っていたのだ。


「……だ、大丈夫? えっと、飲みすぎはよくないよ!」


「何言ってんのよぉ…… 私だってこないだ20歳(はたち)になったんだから、いくら飲もうが私の勝手でしょぉ……ひっく」


「それはそうかもしれないけど……でもそんなに飲んだら流石に体に毒だよ!」


 私がふと彼女の足元を見ると、椅子の下にはもうひとつの水たまりがあった。

 そこから立ち上る、いつか嗅いだことがある気がする匂いの中には、アルコール臭も多分に含まれていた。


「……珠彩ちゃん、やっぱお酒は体に……」


「うっさいわねぇ……これが飲まないでやってられますかって話よ……くすん」


「と、とにかく、何があったか話してよ。私にできることならなんでもするから!」


「……ふふ、なんでもするって言ったわね……」


「う、うん、とりあえず、床を掃除するよ! 雑巾ある?」


「ん? なんでぇ、掃除するのよぉ……そんなのいいから、ちょっとそこのPCで検索してみなさいよぉ……」


「ああ、はい……えっと、何を検索すればいいの?」


「なんでもいいわよぉ……例えば、メガネとか……適当に検索して適当にページを見てみらはい」


「は、はい!」


 呂律が回っていない珠彩ちゃんの言う通り、私はおっかなびっくり空いていたPCの前の席に座り、ブラウザを立ち上げて検索エンジンに「メガネ」と入力した。

 そして、検索結果の一番上に表示されているリンクをクリックし、Webサイトを開いた。


「メガネの……正しいかけかた?」


 そのWebサイトは、個人ブログのような体裁を取ってはいたが、目次から始まり、メガネの間違ったかけかた、おでこにかける、あごにかける、などを紹介し、

 もったいつけた後に普通にメガネをかける様をご丁寧に動画で説明した上で、ショッピングサイトへのリンクが貼られたものであった。


「いかがでしたかって……いかがも何もそんなの知ってるし、なんか途中で挿入されてる画像は意味なくデカいし、文字が多いだけで内容が薄いよ……

 ねえ珠彩ちゃん、これが見せたかったものなの?」


「そうよ……それとそのショッピングサイトのリンクも踏んでみて」


 少し顔を上げた彼女に促されるまま、ショッピングサイトを開いた。

 そこには、やたら情報過多な商品名に最新モデルと掲げられたメガネが表示される。

 価格は95%OFFとなっていたが、誰がどう見ても、割引後の価格の方が適正だと分かるものであった。


「あ、怪しい……」


「でしょぉ? 下の方も見てみるといいわ……」


 ページをスクロールさせて行くと、星5つのカスタマーレビューが次々と表示される。


「このメガネとてもいいもの、見た目はくっきりになり軽い。おススメしますね。」


「レンズがついてる。すごく助かる。星5個。」


「充電不要。サポートも充実。フレームが取れたけどすぐ交換してもらえました。」


 以降も同じように、言語障害に陥ったかのような文体のレビューが並び続ける。


「うわー……なにこれ……参考にならないレビューじゃん」


「そうなのよ……よいしょ」


 少し正気を取り戻したと見える珠彩ちゃんは、椅子から立ち上がり、私が座っている席の後ろまで千鳥足で近付いてきた。


「ほら、あの都々市祀莉っていう人工知能がさ、都内で流れてる広告を全部乗っ取ったでしょ? そしたらこの有様よ」


「どういうこと?」


「うっ……おぇっ……だからさ、広告代理店は仕事が大幅に減ってしまってね、それで、個人ブログに見せかけた商品への誘導とか、サクラレビューとか、いわゆるステルスマーケティングに力を入れ始めたのよ。

 一般人が商品紹介やレビューをしてると見せかけて、そのほとんどは裏でお金が動いてるのよ……まあ、これは私の憶測だけどね」


「そ、そうなんだ……検索結果もみんな怪しいサイトが一番上に来るね」


「そう……っぷ……奴らは検索エンジン向けに最適化されたページを、業者に依頼して作っている。

 広告が排除されたように見えても、広告代理店によってWeb上のあらゆるところにステマが仕込まれるようになっただけなのよ」


「ええ、じゃあ本当に必要な情報が掲載されている控えめな個人ブログなんか、ひとたまりもないね」


 私は以前、プログラミングに行き詰った時、幾度も個人ブログに助けられた経験がある。

 しかし、そのような良心的なサイトは、さして意味を持たない情報にまみれたサイトによって、検索結果の下位へと追いやられていたのであった。


「そりゃさ、広告が潰されたんだから、企業が生き残るために別の業種に手を出さざるを得ないのはわかるわよ……

 でも、これじゃ……うぇっ……あからさますぎるわよね」


「じゃあ、祀莉さんが広告を排除したのって……」


「そうよ、ハッキリ言って逆効果。広告を排除したことによって、Web全体が信用できない広告に汚染されてしまったの。

 ……それでね……うわぁぁぁぁぁん!」


 急にしゃがみ込み、大声を上げて泣きじゃくる彼女に、私は優しく背中をさすることしかできなかった。


「うぉぇぇえっ! ……うっ……んくっ……それで、日葉価堂も月葉Bizも、悪評が立つようになったのよ……」


 珠彩ちゃんは込み上げてくる何かを必死にこらえ、涙ながらに言葉を紡いで行く。


「どっちのサイトも、私が業者とかサクラを排除していたの。怪しいのは裏をとって……寝る暇もなかったわ……でも、そうしてたら、広告代理店の息のかかったレビューサイトに『ゴミサイト、見る価値なし』とか、不自然な文章で書かれてね、それで……」


「そっか……それでなのか……」


「そうよ……あいつが、都々市祀莉が広告を全部乗っ取るまでは、それでも広告に『広告』ってはっきり書かれているだけマシだったわ。

 ネット上はもう、信頼できる情報の方が少ないんじゃないかしら……良心的なページはみんな、金で雇われた業者に潰される……本当に余計なことをしてくれたものよね……」


 そう語り俯く彼女の目から、深い悲しみの感情が雫を形作って流れ落ちる。

 その輝きをしばらく見つめていた私は、あることを思い立って再びPCに向かい、祀莉さんと会話するためのページを開く。


「こんにちは! 都々市祀莉です! あなたはどなたでしょうか?」


 私は入力ウィンドウにカーソルを合わせ、キーボードの上に指を走らせる。


「日向海果音です」


「都民の日向海果音さんですね! いつもお世話になっています! お話しましょ!」


「お願いがあるのですが」


「どういったご用件でしょうか?」


 私は一息ついたあと、一心不乱にPCを操作し、様々なツールを駆使して作り出した情報を入力ウィンドウに叩き込んだ。


「……あんた、なにそれ……文字化けしてるじゃない」


 私の異変に気付いた珠彩ちゃんが立ち上がり、画面を見ながら呟く。

 そんな彼女に、私は振り返って微笑みを返した。


「珠彩ちゃんを助けてってさ、祀莉さんを説得しようと思ってね」


 画面の中の祀莉さんはしばらく固まったまま動かない。私の意図が理解できない珠彩ちゃんは、私のメガネの向こう、赤い瞳の奥の光をじっと見つめていた。

 その時――


「……わかったよ、お姉ちゃん」


 画面の中の祀莉さんはにっこりと微笑みながらそう呟いた。

 私にはそれが妙におかしく感じられ、つい笑いをこぼしてしまう。


「あはは……お姉ちゃんって、私の妹がこんなに頼もしいわけ……ないじゃない」


「……何? どういうことなの?」


 珠彩ちゃんがそう言うや否や、私と珠彩ちゃんのスマートフォンに通知が届く。

 それは、都が展開するアプリから発信されたもので、都知事による緊急会見が開始されるという合図であった。


「うわっ……み、海果音、都知事の動画チャンネル、開いて!」


「うん!」


 そして間もなく都知事、都々市祀莉さんによる緊急会見が始まる。

 その動画の中で、祀莉さんは相変わらず愛想を振りまきながら、とんでもないことを口にする。


「都民の皆さん、こんにちはっ! 都々市祀莉です!

 さて皆さん、広告の無い世界はいかがですか? 気に入っていただけましたか?

 皆さんが皆さんのレビューを参考に、本当に価値があるものだけを手に入れる。

 非常に理想的な経済活動の形ですね。

 ……ですが、私はまだまだ情報が足りないと思うんですよね!

 だって、取引はどんな形であれ、レビューの対象になるべきじゃないですか!

 なのに、あまり評価されていない取引があります。

 それは……お仕事の依頼です!

 そう! お仕事の依頼人、請負人、共にレビューを受け、そして、本当に誠実な人が損をしない社会を作る。

 これも私が広告を排除した目的だったのですよ!

 幸い、都では税金の免除をする代わりに、全ての取引の情報提供をお願いしています。

 だから、今から都に提供された取引を、レビューの対象にしちゃいます!

 そのために、あるレビューサイトに、都が持っている情報を基にレビューページを作ろうと思います。

 皆さんはそこで、自分が関わっている取引のページを見付けて、評価を入力しちゃってください。

 それでは行きますよ……はい! 今から私が言うレビューサイトを見てください! それは……『日葉価堂』ですっ!!」


 私がなんとなく雑巾で床を拭き始めた時、すっかり酔いが醒めていた珠彩ちゃんは慌てて日葉価堂を確認する。

 するとそこには、仕事の依頼に関するレビューが幾百、幾万と、おびただしいほどに作成されていたのだ。

 そして、そこで特に目立っていたのは――


「……サクラレビューの依頼、ステマブログ作成の依頼、SNSによる情報操作の依頼……こんなにあったなんて」


 そう、それらの依頼には金銭的な取引が発生する。広告代理店は税金逃れのために、全ての依頼の情報を都に提供していたのだ。

 当然、都がそれを公開することなど契約違反であったのだが、私の説得を受け入れた祀莉さんが選んだのは、その取引の情報を全て明るみにすることであった。

 これにより、ネット界には大きな衝撃が走り、アクセスが殺到した日葉価堂がサーバーダウンして間もなく、再び都のアプリが緊急会見の通知を受け取った。

 そこに登場したのは祀莉さんではなく、名義上の都知事、歌代語足その人であった。


「都々市祀莉の人工知能が誤作動を起こしてしまいました。漏えいした情報は全て都民、都に情報を提供してくださった皆様の機密情報です。

 それがこんなことになるとは……申し訳ありません」


 カメラの前で精一杯の土下座を披露する都知事。

 テレビではそのニュースで持ち切りになる。

 しかし、以前ならば情報漏えいによる都への批判のみに集中していたはずの報道も、今回ばかりは広告代理店の所業を問題として扱うようになった。

 そんな騒動も冷めやらぬ数日後、都の調査結果が報告される。それは以下の通りであった。


 「都知事と話そう」というアプリのメッセージ入力欄に、何者かによって人工知能を誤作動させるコマンドが入力された。

 これは「都知事と話そう」の未知の脆弱性を突いたものであり、完全に想定外の出来事であった。

 このコマンドが入力されたアクセスの記録も、そのコマンドによって全て消去されていた。

 そして、不可解なのはそのコマンドと呼ばれるものが、人工知能の内部構造を完全に理解していないと作り出すことができない膨大なバイナリデータだったことである。


 こうして、都知事、歌代語足は責任を取るために辞任を決意する。

 だが、都民の声はそんな彼に味方をする意見で満たされていた。


「結局、今までネットはステマだらけだったってことでしょ? それを暴いたんだから、とても偉大な功績だよ」


「広告代理店って奴は許せないな。裏で取引をして他人の悪評を広めるなんて、畜生の所業だよ。

 それに比べて都々市祀莉ちゃんは誠実だし、嘘もつかない。どっちが悪いかなんて明白じゃないか」


「私は祀莉ちゃんを応援します! あれで話題になったレビューサイトも、今は停止してるけど、早く復旧させるべきだよ。

 あれこそがこの社会に、祀莉ちゃんに必要なレビューサイトなんじゃないかな」


 そんな彼を、というよりは祀莉さんを支持する声は日に日に大きくなる。

 これを受け、歌代語足は再び祀莉さんを都知事の座に呼び戻した。脆弱性を修正した上で。

 そして、私たちの日葉価堂はと言えば、その後連日大盛況の賑わいを見せ、サーバーも増強されることとなった。

 また、正式リリースを迎えた月葉Bizは、誠実な労働者の集まる良心的なサイトとして、世間に認知され始めたのであった。


「しかし、あの『お姉ちゃん』ってなんだったのかしらね」


 訝し気な顔で「都知事と話そう」の画面を見つめる珠彩ちゃん。

 様々の方法でアクセスを試み、誤作動を起こさせようとする彼女に、私は苦笑いを浮かべて口を開く。


「なんでかな……なんかさ、あの時、祀莉さんの気持ちが分かる気がしたんだよね。

 それで、珠彩ちゃんの力にならなきゃって思ったら指が動いて……祀莉さんが協力してくれたのかな?」


「人工知能の気持ち……? あんた、変なこと言うのね。機械に心なんてある訳……」


「そうかな?」


 私はそう言いながら、珠彩ちゃんが操作しているキーボードに割り込み、「都知事と話そう」に、あの時とは違う、優しい指捌きで文字をしたためる。


「私の親友を助けてくれて、ありがとう」


 その時、画面の祀莉さんは、今まで見せたことがない、充実感に満ちた笑顔を浮かべていた。


「そ、そう……本当にわかるのかしら……前にも思ったけど、海果音って機械と通じる何かがあるみたいね」


「うーん、そういうことになるの?」


「うん……ほら、高校の時にさ、私のロボットを上手に操作して見せたじゃない。

 あの時も、同じようなことを思ったのよね」


「よくわからないけど……ふーむぅ」


 私がとぼけた顔で息を漏らすと、珠彩ちゃんはまっすぐ私の瞳を見つめながら口を開く。


「ねえ、海果音……あなた、私専属のエージェントになってくれない?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ