第30話 ステラボ
「公共幸福振興会は解散するが、これからは皆、自らが信じる人類の幸福のためにできることを続けて欲しい」
緊急と銘打たれたライブ動画の中で、会長によって公共幸福振興会の解散が宣言された。
星野深織が脱退したことを契機に、公共幸福振興会は解散したのだ。
当の深織にとってそれは、その心理に暗い影を落としていた。
「どうしたの? ミオ、そんな顔して……これからお客様と顔を合わせるって言うのに」
「ああ、ごめんなさいヨミさん、ちょっと個人的なことで、感傷的になっちゃいまして」
「もう、しっかりしてよ。最近はあなたの人気の方が上なんだから、そんなんじゃお客さんがっかりしちゃうわよ?」
苦笑いを浮かべる夢咲こよみさん。そんな彼女に深織は精一杯の作り笑顔を返す。
「はは……そうですかね? ヨミさんの方が私よりずっと可愛いですからね」
「ははーん、私が低身長だってバカにしてるのね? 言うようになったわね」
「そんな、滅相もない! 私はただヨミさんには敵わないと思っただけで」
「ふふ、どうかしら……あ、そろそろ始まるわよ」
「夢咲こよみさーん、星野深織さーん、お願いしまーす」
「「はーい」」
その日は深織と夢咲さんが出演するアニメ、「ぶれいく!」のブルーレイディスク第1巻発売イベントだった。
大好評のうちに1クールで最終回を迎えたそのアニメには、沢山のファンがついた。
そんなファンの彼らは、ふたりの登場を心待ちにして、猛烈な熱気を放っていた。
「こんにちはー! 星野深織でーす!」
「こんにちはっ! 夢咲こよみでぇすっ!」
「「「うおおおおおおおおおおおお!」」」
そのイベントでは、抽選に当たったブルーレイディスクの購入者がサインをしてもらえる。
椅子に座るふたりの前には、長蛇の列ができていた。
「購入ありがとうございまーす!」
「ありがとうございまーす!」
ふたりの笑顔に迎えられた客のひとりは、ブルーレイディスクの箱にサインをもらった後、深織にこっそりと告げる。
「深織さん、公共幸福振興会ではお世話になりました。
私もあれから色々と考えましたが、深織さんは自分の目指す道を見付けて、こうして活躍してらっしゃるんですね。
私も深織さんの応援をしながら頑張ります」
「……ええ、その節は申し訳ありません。期待を裏切ってしまったようで……」
「いいんですよ。私たちは皆、深織さんに裏切られたなどとは考えていません」
深織の顔はまた暗く影を落とす。その後もそのような客がちらほらと深織に挨拶をして去って行った。
深織の声優としての人気は、彼らに支えられている部分も大きかった。
そんな列の中から、ひとりの少女がふたりの前に現れる。
「応援してます」
その風体は、私、日向海果音の身長、152cmを下回り、青くて長いストレートの髪を腰まで伸ばしていた。
深織はそんな彼女の吸い込まれるような真っ黒な瞳に目を奪われ、動きを止める。
「……みおりん、どーしたん?」
「あら、こんなに若い方にも応援されているんですね。ちょっと驚いちゃって……」
「『ぶれいく!』は私のような人にも人気あるんですよ」
「おー、そうか、ありがとうね。しかし、こんなに高い買い物して大丈夫か? お小遣いは大事に使うんだよ」
少女の頭を撫でる夢咲さん、そして少女はサインをもらったあと、会釈をして去って行く。
そうして、全ての客にサインを終え、イベントは滞りなく終了した。
深織はイベントの行われたアニメグッズショップの関係者通用口から帰路に就く。
そんな彼女が人通りの少ない道を歩いていると、声を掛けられるのであった。
「おい、星野深織」
それは、先程サインをした青い髪の少女であった。
深織は突然のことに、再び彼女を前に動きを止める。
「ははは、そんなに驚くことはないだろ?」
「……さっきはありがとうございました。どのような御用でしょうか……?」
恐る恐る言葉を運ぶ深織に、彼女は嘲るような視線を向ける。
「ははははっ……なあ、ちょっと顔を貸してくれないか?」
「どういうことでしょうか? 私は今プライベートなので……」
「そんなに警戒するなよ。お前にとって良い話と悪い話があるんだ。
どちらにしろ、聞き逃すと損をすることになるぞ?」
深織はその少女に得体の知れない雰囲気を感じ取り、こくりと頷く。
「ふふ……懸命だな。着いて来いよ」
少女と深織は裏通りを進んで行く。
辺りはすっかり暗くなっており、夜の街の灯が賑わいを見せていた。
2人が少し開けた通りに出ると、少女は地下への階段を降り始めた。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
2つの指を伸ばしピースの形を作る少女。そこは、チェーン系の大衆居酒屋であった。
店員は少女に目を落とした。
「あの、お子様のご来店はちょっと……」
店員は深織に困惑の表情を向ける。
すると、少女はIDカードを店員に差し出した。それは、新知事が就任して間もなく、都が発行したものであった。
「し、失礼しました! 2名様ご来店でーす!」
「「いらっしゃいませー!」」
深織と少女のふたりは個室に通される。
おしぼりで手を拭いた少女は、店員を呼び、ビールを注文した。
「おい、お前は何にするんだ?」
「……えっと、私はまだ未成年ですので」
深織はウーロン茶を注文する。
ほどなくして、店員が飲み物とお通しをテーブルに並べる。
少女はその間、メニューに目を通していた。
「すまない、注文を……これとこれと……あと、これを」
「あ、申し訳ありません。山芋のお漬物は切らしておりまして……」
「なんだと? 漬物を切らすってあり得ないだろ……まあいい、こっちのぬか漬けの盛り合わせで頼む」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
店員とのやりとりを様子を無言で見つめる深織。
そんな彼女の前で少女はビールを喉に通す。
「ぷはぁーっ! やめられんな! このお通しの煮物もよく味が染みてるぞ。
……ん? なんだその顔は? ああ、自己紹介がまだだったな」
すると少女は名刺のようなものを差し出した。
そこには、「御厨研究所 所長 御厨亜生」と記されていた。
しかし、深織が驚いたのは、その裏に書かれていた生年月日であった。
「……なんだ、そこに書いてあるのは嘘ではないぞ。私ひとりだが、一応研究所ってことにしている」
「……さんじゅう……ろく?」
「ははははっ! なんだそんなことに驚いていたのか! よく若作りだって言われるよ!」
「し、失礼しました……」
「ふふ、いいんだ。お前は公共幸福振興会の星野深織で合っているな?」
「振興会はもう……」
「分かってる……では、本題に入ろうか」
深織は御厨亜生の黒い瞳に見つめられ、言葉を発することができなかった。
「まずは悪い話からだ。これを見てくれ」
彼女はスマートフォンを差し出す。そこには動画が映し出されていた。
「これは……穂村芽吹さん……」
「そうだ、穂村芽吹が倒れた時の街頭演説だ。誰かが撮影していたようだな。
そして、そこに映っているのは……星野深織、お前だな?」
「……はい」
「最近これが、ネット上で少し話題になっていてな」
「知っています」
「だろうな……この動画か拡散しないように、お前の事務所の連中が手を廻しているからな。
これが衆目のもとに晒されるのがそんなにマズいのか……? これは、お前が何か後ろめたいことでもしている動画なのか?」
「いえ、そんなことはありません……私は何も……」
「だろう? 何をそんなに震えている? この後穂村芽吹は倒れ、そして死に至る。しかし、それはお前には関係のないことだ」
「ですが、やはり、見る人によっては」
「その通り、これを見て、お前が穂村を死に至らしめたと、短絡的に考える者がいることだろう。
特に……こいつらの中にはな」
御厨亜生はスマートフォンを手に取り、Webページを開いた。
深織の前に再び差し出された画面には、「ホムラボ」というタイトルが表示されていた。
「これは……なんでしょうか?」
「知らないのか? 穂村芽吹のオンラインサロンだよ」
「オンラインサロン?」
「……そこからか、いいか、特別にこの亜生様が説明してやる。
オンラインサロンってのはクローズドなコミュニティサイトだ。
SNSのように開けているわけではなく、会員は月額などの料金を払ってそこに参加している。
そのコミュニティは主に、ひとりの思想のもとに意思統一がされている。
会員たちは、その思想に従い、研究や、社会奉仕活動、書籍出版、創作などを行っている」
「……そんなものが」
「なんだその顔は? しかめっ面はお前には似合わんぞ? そう、お前が所属していた組織と似たようなものだよ。
ここの会員は、穂村芽吹の思想のもとに集い、そして、社会貢献に関する研究をしている」
「している……?」
「そうだ、穂村芽吹が亡くなった後も、このオンラインサロンはその勢いを止めることはない。
むしろ、会員が増えているほどだ。どうしてだかわかるか?」
その時、店員がふたりの個室に料理を運んでくる。
「お待たせしました。焼き鳥盛り合わせと、豆腐サラダ、ぬか漬けの盛り合わせです」
「……おお、ありがとう。結構量があるな……あ、生もう一杯」
店員を見送る深織と御厨亜生。そして、御厨亜生はサラダを無言で取り分ける。
「統一された思想さえあれば、そして、神格化された人格があれば、それだけで組織を形成することができる……」
「……うむ、良い回答だ。そう、このオンラインサロンは、穂村芽吹の死後、彼女の人格を神格化し、活動の源にしている。
よくある宗教と同じようなものだな」
「しかし、そんなもの、長続きする訳が」
「ふふ、わかっているじゃないか。今このオンラインサロン、『ホムラボ』は、迷走していると言っていい。
穂村芽吹の死による盛り上がりは混乱を呼び、一部の狂信者を残して皆散り散りになるだろう。
しかし、今彼らの統率は未だ乱れることはない。それはな、仮想敵を見付けたからなんだ」
「それが、悪い話……?」
「ふふ、察しがいいな。さすがは公共幸福振興会の思想の体現者という訳だ。
そう、それがお前にとって悪い話。さっきの動画がこの『ホムラボ』の連中に見つかったんだ。
だからな、奴らは活動家としてのお前を失脚させようと、虎視眈々と狙っていた。
ところがお前は公共幸福振興会が解散したことにより、その立場を失い、ひとりの声優過ぎない者となった。
思想の体現者ではなくなったお前に挙げた拳を振り下ろすほど、奴らもバカではないのだ」
「では……彼らはこれからどうするのでしょう? 私の声優活動を妨害する?」
「それもあるかもしれない。しかし、奴らの統率にもそろそろ綻びが見えてきた。
……あ、シシトウ半分もらえるか? はは、串から外すのは好きではないがな」
深織はシシトウを串から外しつつも、その眼差しでしっかりと御厨亜生を捉えていた。
「では、その熱が収まりつつある状況が、私にとっての良い話ですか?」
「……そんなちっぽけな話ではない。これは、未だ冷めやらぬ、そして、いずれ冷めてしまうその熱を……お前に利用させてやろうと言う話なのだ」
「私が? しかし、どうやって……彼らは私を敵視しているのでは?」
「ふふ、簡単な話だ。好きの反対は嫌いではなく、無関心と言うだろう? 憎しみを裏返せばそれは好意になる。
……だから、まずはお前がこのオンラインサロンの会員となるのだ」
「私に何をしろと? ……まさか、彼らに許しを乞えと?」
「それだけではない、お前がこのオンラインサロンの思想の根源となるのだよ。どうだ、悪くない話だろう?」
八重歯を見せてニヤリと笑う御厨亜生に、深織は目を伏せて答える。
「……私は、今の生活に満足しています。そのような……社会貢献や、活動家になることなど、もう望んではいません」
「ほう、では、声優としての活動がお前の全てだと言うのか?」
「私は、声優として人々に生きる元気を分け与えることと……ひとりの女の子を不幸から守ることができれば、それで十分なのです。」
「……ホントにそうか?」
「……はい」
「ふん、まあいい、もう一度自分の胸に良く聴いてみることだな。お前はその程度で終わっていい女ではないと、私は思ったのだがな」
「……そうですか……それで、今日はそんなことのために、私に近付くために、あのイベントにまで参加したのですか?」
御厨亜生はつまみを口に運び、目を閉じてビールを一口飲み込むと、表情を明るく一変させて口を開いた。
「いや、違うんだ! 私はああいう萌え系の日常アニメが大好きなんだよ!!!」
急に大声を出す御厨亜生に深織は身構える。
「今日は本当に嬉しかった! お前にサインしてもらえて! 一生の宝物にするぞ!」
「ええ……」
「なんだその怪訝そうな顔は! 客に対して失礼ではないか! 全く……!」
御厨亜生は腕を組み、プイっと斜め上を向く。
「いえ、なんというか、予想外の展開に力が抜けて」
「好きな物を好きと言って何が悪い? それともお前は、声優という職業にありながら、あのようなアニメを軽んじているのか!?」
「そういう訳ではないのですが……」
「いいか? 萌えアニメはな、バラエティ豊かで魅力溢れるキャラクターたちの生きる世界なのだぞ?
こんな言い方をしては悪いかもしれんが、私は彼女たちを、人間を基にして作られた、魅力が凝縮された生物であると考えている!
そして、それを映すアニメは彼女たちの生活史のドキュメンタリーのようなものだと考えている!
それを見ているだけで大変興味深い! それだけで、私は幸せな気分になれるのだ!」
「はぁ……」
「それとな、私はその美少女動物園とも言える作品共が、大きくふたつに分類できると考えている。
ひとつはペットのように少女たちを愛でるためのもの、もうひとつは自然界のように野生の、自然体の少女の生き様を描いたものだ。
私は特にこの、自然体の少女を描いた作品がだーいすきなんだっ!
……これだ! この作品は、3人の少女が、自分たちだけが持つ、この3人だからこそ成り立つ特有の空気感を大事にする、リアリティのある人間模様を描いている。
これが一番好きなんだ!」
御厨亜生はその瞳をらんらんと輝かせながら、スマートフォンで作品のWebサイトを開いて深織に見せる。
そこには、ピンク、黄色、青紫の髪をした女子高生たちが並んでいた。
「ああ、そうですか……」
「なんだそのジト―っとした目は? 馬鹿にしてるのか? これだから最近の声優は……」
御厨亜生の空けたビールは既にジョッキ6杯、彼女はすっかり酔っぱらっていた。
その後、深織はいつ終わるともわからない彼女の萌えアニメに関する蘊蓄を延々と聴かされ続け、店を出る頃にはうんざりといった表情を見せていた。
「……まあ、よく考えておくんだな。気が変わったら私に連絡を寄こせ」
「今日はありがとうございました」
その夜、深織はそれだけを残し御厨亜生と別れた。
それからというもの、深織の周りでは、少しずつ変化が訪れはじめた。
それは、始まったばかりの、夢咲さんとのラジオ番組の中でも少しずつ姿を見せる。
「うわ……」
「どうしたんですか? ヨミさん」
「いや、これは……ミオは見ない方がいいわ。ちょっとスタッフ、これ……」
構成スタッフがそのおたよりを見て顔を青くする。
「すみません! これ、抜いておいたはずなんですが……」
「しっかししてください! ミオの目にこんなものが触れたら……」
そこに書かれていたのは深織を"人殺し"呼ばわりする内容の文面だった。
構成スタッフは勿論、夢咲さんもそれが何を意味するのかを、幾度も目にしたネットの噂によって理解していた。
「ヨミさん、いいんですよ。もう気にしてませんから」
力なく笑う深織に、夢咲さんは慰めの言葉をかける。
「ホントに気にしなくていいからね。こんなの無視しておけばそのうち納まるわよ」
そして、番組は開始し、ふたりは重大と称する発表を行う。
「さて、私たちふたり、なんと、ユニットを組んでCDデビューしちゃいます! その名は……みおりん、お願い!」
「その名前は、なんと……『こよみおり』です! そして、この番組も改題致します!」
「その名も……」
「「こよみおりの深よみラジオ!!」」
「この深よみっていうのは、深く読むという意味ではありませんよ。みおりんの『深』の字と、私の『よみ』で、ふたりの力を合わせて作る番組だってことです!」
「でもまだ、いつCDデビューするかは決まってないんですよね?」
「そうなんですが、今、着々とプロジェクトは進行していますっ!」
そんなこんなで、ネット界隈ではこの「こよみおり」の話題で持ちきりとなる。
こうして人気街道を爆走せんとするふたりであったが、相変わらず深織にはSNSなどで"人殺し"呼ばわりするメッセージが届いていた。
しかし、当の彼女は私にはそんな素振りを一瞬たりとも見せていなかった。
「深織、じゃあ私、出掛けてくるね」
「うん、海果音、気を付けていってらっしゃい」
深織と同棲するマンションの一室、玄関から出ようと扉を開けた私の前に、小さな女性が立っていた。
「深織さん、いらっしゃいますか?」
「……ああ、深織ーっ! お客様だよ……ちっちゃい女の子だけど」
「……」
無言で私の向こうに立つ少女を見つめる深織。
「あれ、知らない子?」
「いや、そちらは御厨亜生さんって言うの」
「ああ、そうなんだ」
「お邪魔します!」
元気に笑う彼女に、深織は怪訝そうな目を向ける。
そして、見つめ合う2人を尻目に私は外へ出かけるのであった。
「……どういった御用で」
深織は私が去ったあと、御厨亜生を部屋に招き入れ、お茶を出す。
そして、2人はテーブルを挟み、向かい合って座る。
「そんな怖い顔をするな。どうだ? 決心はついたか?」
「そう言われましても、こんなところまで押しかけてくるなんて……」
「すまない。お前が不幸から守るとか言ってる奴と会えるかと思ってな。さっきの背の低いメガネの奴がそうなのか?」
御厨亜生は私より身長が低い。具体的には145cmである。
「はい。私はあの子のために生きられればそれで……」
「なんだそれは、結婚でもするつもりなのか? 女同士で」
「……それは」
目を逸らす深織の心理に興味を抱くこともなく、御厨亜生は続ける。
「そんなことより、事態はややこしいことになってきたぞ。
『ホムラボ』の連中はすっかりお前を敵視して、その活動の動力源にし始めた」
「……あなたがやったことでは?」
「相変わらずだな……まあ、そうとも言える。
私もあのオンラインサロンに入会してな。それで色々と探らせてもらった。少しハッパをかけたりもしたよ。
あそこにいる人間たちの熱意は本物だ。その一端がお前に向いているだけだ。それに、各界の優秀な人材が揃っていたよ」
「もう、社会貢献とかそういった活動には興味ありませんから」
「ふん、そう言いつつも、お前は今の生活に物足りなさを感じているのではないのか?
あの動画に映るお前の炎を宿したような熱い瞳と、今のお前の空虚な目は別人のようだぞ?」
「……何かに熱くなって、周りが見えなくなるのは嫌ですから」
「……そうか、しかしお前はいいとしても、あの『ぶれいく!』の発売イベントに来ていたような奴らはどうしていると思う?」
「振興会の……会員だった人たちですか?」
「そうだ。それでな、『ホムラボ』でお前を叩いていた奴の中に、元振興会の奴がいたんだよ」
「なんですって!」
「そんなに驚くことはないだろう。愛しさ余って憎さ百倍、振興会が解散して空いた心の隙間にはお前への憎悪が芽生えているんだ。
そうでなくても、心の拠り所を失った元振興会の奴らは、生きることに虚しさを感じていることだろう。
そういう奴らが皆、声優としてのお前のファンになって行くんだ」
「しかし、彼らと私はもう……」
「はっはっは! それは大変無責任なことだな。
お前は振興会の中で象徴的な立場にあった。その美貌も相まってな。
彼らの心を動かしていたのはお前だ。お前はその責任から逃れようというのか?」
「私に何ができるというのでしょうか?」
「何度も言っているだろう。『ホムラボ』に入れ。お前が一言謝れば、あとは私がなんとかしてやる。
いいか? 私はお前を利用しようとしている。わかっているんだろう?
だから、お前も私を利用するんだ。そして、2人で『ホムラボ』が抱えている優秀な人材を利用するんだよ」
「……利用だなんて」
「そう、利用するんだ。この世界の、いや……あの女のためにな……」
「……!」
「……ん? 何か変なことを言ったか?」
鋭い視線を向ける深織。
その時、御厨亜生は本当に何も理解していなかった。
だが、深織を説得したいがため一心に、偶然その言葉を紡ぎ出したのだ。
「それにだ、あのラジオで告知していたユニット、『こよみおり』というのはいつCDデビューするんだ?
今お前がスキャンダルで活動自粛などということになれば、それも叶うまい」
「それは……」
「なあ、『こよみおり』はいつデビューするんだ? まだ予約できないのか? なあ! なあ!!」
御厨亜生はあの居酒屋で見せた輝きを、再びその瞳に灯していた。
そんな彼女を前に、深織は小さく呟く。
「……世界を守るのはあの子を守ること。そして、ヨミさんには迷惑を掛けられない、それにファンの皆さんの期待も……」
深織はしばらく思考を巡らせるように辺りをぐるりと見回したあと小さく頷くと、御厨亜生を真正面に見つめる。
「……わかりました」
「いい返事だ」
そして、深織は御厨亜生の言う通り、「ホムラボ」に入会する。
深織は会員全員が閲覧できる記事を作成し、そこに謝罪文をしたためた。
「皆さま、私は星野深織、あの穂村さんの街頭演説の時に討論し、そしてその死に居合わせた者です。
穂村さんの死は私にとって思いもよらないことでした。
皆さまの中には、穂村さんが亡くなった原因を私に求めている方がいらっしゃることも承知しています。
ですが、私は彼女に触れても居ません。偶然あの場所に居合わせたのです。
しかし、皆さまの心に悪い意味で印象深く残ってしまったこと、それは、あの時の私の態度が、皆さまに不快感を与えるものであったことにあると考えています。
ですから、皆さまの怒りは至極真っ当なもので、私と致しましては、深くお詫びする次第でございます。申し訳ございませんでした」
その記事についたコメントは、辛辣な意見や、罵倒であった。
しかし、その中に、彼女を擁護する意見が現れる。
「星野さんは何も悪いことをしていません。
彼女を叩くコメントを書いている方は、彼女の言葉が穂村さんを圧倒するものであったと感じたからこそなのではないでしょうか?
はっきりと言わせて頂ければ、それはあの時星野さんが仰ってように、反論する術を持たないあなた方の自分自身に対する怒りです。
あなた方は自分に感じた無力さへ感情を彼女にぶつけているにすぎません。
ではなぜ、彼女の言葉は穂村さんを圧倒したのか、それは、彼女が穂村さんの思想を正しく理解し、それを上回る答えを出す力を持っていたからです。
そう、彼女こそが、穂村さんの真の理解者にして、その思想を更に高みへと導く者なのです」
深織は続けて記事を投稿する。
「私は、人は人を幸せにすることはできないと、公共幸福振興会の活動を通じて痛感しました。
ですから、私がこれから目指すのは、人類から不幸を取り除くことです。
それは、穂村さんが望んだ、不安を煽られることのない世界を作ることです。
人類は憂いを捨て去り、不幸に臆することなく前へと進むべきなのです。
そして、皆がそれぞれ自力で掴むこと、これこそが真の幸福であると、私は考えています。
私はそれを実現するために、この『ホムラボ』に入会したのです」
それは御厨亜生の入れ知恵であった。
その記事には肯定的なコメントが押し寄せる。
「星野さんは何も悪いことはしていなかった。むしろ、彼女の言う通り、私は人類から不幸を取り除くこと、それを目指して活動して行きたい」
「亜生ちゃんが言う通り、『ホムラボ』の思想を一番に理解していたのは星野さんだったんだ。
だから、私は星野さんに、この『ホムラボ』を背負って立つ代表者となって欲しいくらいだ」
そのような意見が「ホムラボ」内のそこかしこで散見されるようになる。
そして、極めつけは次の通りである。
「皆が言うように、星野深織さんをこのオンラインサロンの代表者として迎えましょう。
これからは、人類から不幸を取り除く、そのために皆で協力して行きましょう。
こんなことを言うのもなんですが、穂村芽吹さんにいつまでも縋るのはやめませんか?
皆が穂村さんの思想に固執し続けていては、彼女も安心して成仏できないことでしょう。
それに、星野さんには、このラボに動乱をもたらしたその責任をとってもらうのです。
だから、私はこのラボの名前の変更を提案します。
星野さんが言うように、憂いを捨てるためのラボ、『ステラボ』とするのはいかがでしょうか?
これは、星野さんの星の字をラテン語にした『ステラ』とも掛かっているんですよ」
その記事を投稿したのは、御厨亜生であった。
その提案にラボの大多数が賛成し、「ホムラボ」は「ステラボ」へと変革を遂げる。
こうして2人は互いを利用し、オンラインサロンを利用する立場を手に入れたのであった。
2人は再び、あのイベントの日に飲み交わした居酒屋へと足を運ぶ。
「しかし、どうして私にこんなことを?」
「いや、私の研究もひとりでは限界があってな……だから、オンラインサロンの人材と金が必要だったんだ」
「……では、私利私欲のために?」
「そうかもしれないな。だが、私はお前の人類から不幸を取り除くという考え方に共感した部分もある。
私の専門分野は、人間を模した機械を作ること、具体的には人工知能、AIとロボットを作ることだ。
私は研究さえできれば満足だ。あとはお前がその思想に従って、私が作ったものを利用してくれれば良い」
「そうですか……」
「気が乗らないか?」
「いえ、私だって綺麗事だけでは自分の理想に近付くことすらできないってわかってますから。
存分に利用させていただきますよ」
「……ふふ、良い顔をするじゃないか。
やっぱりお前は、思想を体現する立場が似合っているよ」
「それは御厨さんの買いかぶりってやつですよ」
「はははは、しかし、お前はやっぱり声優で終わるようなちっぽけな女ではなかったな!
その能力を持て余すことがどれだけ退屈であるか、思い知ったのであろう?
それに、元振興会の会員たちや、『ホムラボ』の会員も、その有り余る力のやり場を見付けられずにいた。
そういった者たちがお前の思想を利用し、その力を存分に振るうことになるのだ。
人は互いに利用し合うことでしか生きられないからな。だが、それでいいんだ。そうでなければ面白くない」
「御厨さん、私は……ちっぽけなことに固執するようなつまらない女ですよ? 人の上に立つなんて、本来おこがましいことです」
「そんなことはない、何と言っても、星は人々が見上げる空の上で輝くものだからな! 星野深織、お前にはそこが一番相応しいんだよ。
……それとな、私のことは博士と呼べ!」
「……はい、御厨博士。……して、今までどのような成果を?」
「なんだ、疑っているのか? そうだな、私が開発したAIなら、今は知事とやらに祭り上げられて、愚民共のオモチャになっているよ……」
遠い目であらぬ方向を見つめる御厨亜生。
その時、深織と御厨亜生のスマートフォンに、同時に通知が届いた。
「この度ステラボに入会しました、大地悠季と申します。よろしくお願いします」




