第29話 ぶれいく!
「うん……それでね、私、決めたんだ……もう私、公共幸福振興会を辞めるよ……」
悠季くんとスマートフォンで通話する深織の声は、弱々しく、今にも消え入りそうなほどであった。
「そうか……いつかキミはそんな選択をすると、そんな風な予感がしていたよ。
それで、何故辞めるのかな? ……って、聴いて欲しいんだろ?」
「……うん。……悠季が虚人と呼んでいた人たち、意識と意思を持たない人がね、振興会の会員にも居たんだ」
「そりゃ居るだろうね。彼らは普通の人間と同じように生きている。違うのはその行動に意思が介在しないことだけだ」
「それでね、その人が振興会の理念を自分勝手に解釈して、人を幸せにするためだって言って、人を騙すようなことをしていたの」
「ふむ、それで、深織ちゃんはその虚人を死に追いやったってところかな?」
「……うん」
「何をそんなに落ち込む必要があるんだい?」
「悠季の言う通り、虚人は意思が介在していないだけで、本能に従って生きている生物なんだよね? それが過ちを犯したんだ」
「そうか、でもなぜそれが振興会を辞める理由になるのかな?」
「振興会の全ての人を幸せにするという理念は、実現できないって気付いたんだ。
だって、そんなことは不可能だよ。私も高校の頃、海果音を幸せにしなければと思って過ちを犯した。
みんな人を幸せにしようとして、道を踏み外してしまう。それは意思があろうがなかろうが同じことなんだよ。私は気付いていたのに……」
「そうか、人を幸せにするという理念がある意味人を狂わせてしまう、そして深織ちゃんは虚人とは言え、人を殺めてしまったことで、そのことを思い知った。ということだね?」
「そうだよ……それに、私が振興会に所属して沢山の人と交流することによって、私はまた虚人を殺めてしまうかもしれない。それももう嫌なんだ」
「……でも、前も言った通り、道を踏み外した虚人は海果音ちゃんに危害を加えるかもしれない」
「だからさ、私は海果音のそばにいて、守ってあげる。そのためにも振興会を辞めるべきなんだよ」
「……深織ちゃんがそう思うならそうすればいい。ボクだって虚人たちが本当に世界に害を成す存在なのか、見極めかねているところだ」
「そうだよね。虚人たちにだって生きる権利はある……うまく共存していれば、意思を持つ人間と区別がつかないんだから、ほとんど同じ存在だよ」
「わかったよ……じゃあ、気が済んだかい?」
「うん……ありがとう、悠季」
「どういたしまして……」
そうして深織は悠季くんとの通話を終えた。
次の日、彼女は公共幸福振興会の会長である祖父のもとへと赴いた。
「おじいさま、お話があります」
「どうした、そんなに改まって」
「その、最近思うところがありまして、私、もう公共幸福振興会の理念には……限界を感じています。ですから、私は振興会を辞めます」
「……そうか。理由を聴かせてもらってもいいかな?」
「はい、実は私、少し前から、他人を幸せにすることは不可能だと感じていたのです」
「それは、振興会の理念は間違っていると感じたということか?」
「いえ、振興会の理念はとても素晴らしいものですが、その理想は私には荷が重すぎて……」
「そうか、私が一番見込んでいた深織がそう言うのなら……振興会を存続する意味ももうあまりないのかもしれないな」
「そういう訳ではありません! ただ、私は個人的に……」
「いいんだ。最初から自分でも実現不可能な理想を掲げていると、そう考えていた節もあった。
だがな、深織を含め、多くの会員たちがその理想に共感してくれていたからこそ、この振興会を続けることができていたんだ。
しかし、私は深織がその理想に一番近い人間だと思っていた。その深織にそう言われてしまっては……な」
「申し訳ありません……」
「いやな、振興会自体、その理念が本当に実を結ぶのかということを問うための存在だったということでもあるんだ。
それに、活動を続ける中でこの世の中もまんざら悪いことばかりではないということもわかった。
だからな、公共幸福振興会はその役目を終えるだけなのだよ」
「……」
「ともかく、今すぐ振興会を畳むという訳ではないが、近いうちに……な」
「……わかりました」
それから深織は、自分の選択が公共幸福振興会の解散を招いたということの重みを背負い生きてゆくこととなる。
「おかえりー、深織。今日も早いんだね」
「うん、今から夕飯作るから、待っててね」
私は相変わらず深織と暮らすマンションで、PCを使ってバイトに明け暮れる毎日を送っていた。
そんな私にとって、彼女が振興会を辞めたことによって、彼女と共有する時間が増えたことは大変喜ばしいことであった。
しかし、そんな幸せなひとときも束の間のことだった。
「はい、ですから、これからはメディアへの露出も積極的に考えて頂きたいと」
「と、言われましても、私は役者として演じているだけですので……」
深織は声優の養成所に通いながら、新人声優としてボイスティックプロという声優専門の事務所に所属していた。
脇役とは言え、順調にアニメへの出演を増やしてゆく彼女を困らせていたのは、担当の女性マネージャーからの電話であった。
「ニーズがあるんです。今は脇役でのオファーばかりですが、それでも名前をチェックしてくれているファンがいるんです。
それは星野さんの演技に魅力を感じてくれた人たちなんです。その人たちに少しでも知ってもらうことで星野さん自身も成長して行けると、私はそう考えています」
マネージャーに下心が無いわけではなかった。深織が人気声優となることによって業績を上げることこそが彼女の目的であったのだ。
だがそれは、深織の才能に将来性を感じ、そのカリスマ性を見抜いていたからであった。
「そう、言われましても……」
「星野さんは今まで他の活動も大事にしたいからという理由で私の提案を断ってきましたよね?
でも、今はその理由は口にしない。ということは、もうその活動は声優としての活動に支障を来さないレベルになった、またはその活動を辞めたってことではないですか?」
マネージャーは深織にとって痛いところを突いてくる。
深織自身も、私のために使うと言っていた時間を持て余し気味になっていることを強く感じていたため、少しずつ態度を軟化させてゆく。
「ええ、仰る通りです……ですが、私なんかがメディアに露出したところで、人気が獲得できるものなのでしょうか?」
「ふふふ……少しは考えてくださっているようですね……そこは私にお任せください!
なんたって、私は一度引退しかけた声優さんを復帰させた実績がありますから!」
「……それは、よくわかりませんが、ともかく、お任せすればいいのでしたら……」
「はい、任されました! という訳で、星野さんはまずSNSにユーザーを作りましょう!」
「SNSですか? そんな急なこと……」
深織にとってSNSは、私、日向海果音が今まで起こしてきた事件の引き金となってきたものという認識が強くあり、抵抗を感じるものであった。
「炎上が怖いんですか? あんなの、見ず知らずの人に言わなくていいことまで呟いちゃうから起こるんですよ。
SNSを利用する上で重要なのは距離感です。知らない人に見られて困らないことだけ呟けばいいんです。
初対面の人にタメ口聞いたりしないですよね? それと同じ感覚です。星野さんはそんな人じゃないでしょう?」
「それはそうですけど……」
「なんだったら私が代わりに呟きますけど?」
「うーん……わかりました。私ができる限りやってみます」
「その言葉を待ってました! それじゃ、イベントやライブ、ラジオの仕事もドンドン取ってきますからね! 期待しててくださいっ!」
「は、はぁ……」
こうしてマネージャーの後押しにより、深織はSNSを始めた。最初は戸惑っていた彼女も、次第にそれに馴染んで行く。
「今日は収録です。頑張ります!」
そう書いて、台本を胸元に持ちカメラを見つめた写真を投稿する。
そんな彼女のフォロワー数も徐々に増えて行く。
「銀髪は地毛ですか?」
「みおりんの笑顔だけが僕の元気の源です!」
「みおりーん、テレビでみおりんの声が聴ける日を楽しみにまってるよー!」
いつの間にかフォロワーたちが呼び始めたこの「みおりん」というニックネームは、深織にとって大変恥ずかしいものであったが、反面嬉しさも感じていたのであった。
「ついに、初主役をゲットしました! これからもみおりんをよろしくお願いします!」
ついには自分からみおりんを名乗り、番組宣伝の投稿を拡散する深織。
「おめでとうみおりん! 放送が楽しみです!」
「大人気原作作品じゃないですか! 覇権ですよ! やりましたね!」
「これは原作ファンとしてもみおりんを認めざるを得ない。よくやった!」
という訳で話題作の主役に抜擢された深織であったが、別の悩みに頭をもたげていた。
それは、深織の自撮り、とりわけ肌色成分の多い物を所望する投稿が増えて行くことに会った。
「ノースリーブのみおりんも見てみたいな」
「写真集はいつ出るんですか?」
「フトモモ! フトモモ!」
「もっとローアングルの写真ない?」
「ちょっと二の腕にお肉がついてきましたね。
そんな状況に深織は苦々しく思いつつも、これも声優として成長するためとスルーを決め込むのであった。
そして、初主演作品の1話の収録の日がやってきた。
「それでは、これから『ぶれいく!』の第1話、『壊れかけのレディ』の収録を開始します。
まずは、主人公の『神武麗紅』役、星野深織さんからご挨拶をどうぞ」
緊張の面持ちで皆の前に立つ深織。彼女は当たり障りのない挨拶をする。
「ボイスティックプロの星野深織です。私はこれが初主演となりますので、皆さま、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。
「はい、星野さん、ありがとうございまーす。それでは次は、『小和檸檬』役の夢咲こよみさん! 前へどうぞ!」
「えー、私は星野さんと同じくボイスティックプロの夢咲です。正直、後輩に主役を奪われちゃって悔しいなーって感じですけど、がんばりまーす」
深織と夢咲さんは、拍手でスタジオのメンバーに迎えられる。
そして、ふたりは目も合わせないまま収録が始まった。
「しかしこの身体、やけに重いわね……胸に余計なものついてるからかしら……この喋り方もなんか面倒くさいわ……
本当にこの人間とやらで良かったのかしら……他の生物の身体の方が使い易いんじゃ……っと、人間が来たわ、ちょっと驚かせてやろうかしら……ククク……
おいそこの人間! 私は破壊神、神武麗紅様であるぞ! 怯えろ! 竦めぇっ!」
「……はかいしさん? ああ、私が他人のお墓の墓石を勝手に削って集めた砂で砂時計を作ってるのがバレちゃったのかな……イヒヒヒヒッ!」
「……えっ! なにそれ……あんたそんなことしてるの? こわっ!」
「砂が全部落ちるとね、クラスのみんなが死んじゃうんだ。だから、全部落ちる前にひっくり返し続けてるんだよ……ヒヒッ!
あ、あたしは小和檸檬って言うんだ……麗紅ちゃんだっけ? なんかあなた、変な恰好で面白いから仲良くしよ。ほら、私の右目あげるから……」
「ちょぉーっと待った! ダメよ! 目をえぐり出そうとしちゃ! 親からもらった身体は大切にしなさいよっ!」
萌え系4コマ漫画が原作の「ぶれいく!」は、地球を滅ぼすために舞い降りた破壊神「神武麗紅」が、人格が破綻した女子高生「小和檸檬」の心が壊れないように介護するという設定のドタバタコメディ作品であった。
息の合った掛け合いを見せるふたりであったが、やはり目を合わせることはない。
それは、主題歌の収録の時も同じであった。
「「つぶっせー♪ こわっせー♪ それでもいいから とどっけー♪ このほしーを はーかいせよっ♪」」
ふたりの歌唱力は非常に高く、その見事なユニゾンはヘンテコな歌詞と相まって、独特の世界観を醸し出すものとなった。
アニメ制作も順調に進み、関係者の誰もが皆、作品名の通りブレイクするものと確信する。
そして、放送が開始されると、その反響はSNS界隈を大きく揺るがした。
「みおりん、ぶれいく! 見たよ! ハマり役だね!」
「俺、星野深織を甘く見てた……と、今、第1話が終わった『ぶれいく!』を見て思う」
「こよみん目当てで見たけど、みおりんもすげーよかった」
そんな中にも、深織が直視を拒む投稿が紛れ込んでいた。
「みおりんの声で○○○○しちゃった」
「みおりん! みおりん! ふぅ……」
「みおりん、麗紅ちゃんのコスプレしてよ!」
神武麗紅の衣装は水着同然の露出度で、そんなことをすれば深織の身体が青少年の健全な心を破壊してしまう恐れがある。
しかし、正直深織にしてみれば、性的なことに対する嫌悪感などは無いのである。色々とあったので。
彼女にとっては、本人に対してリビドー全開のメッセージを送れる人の醜い心が嫌悪の対象だったのだ。
そんな彼女がスマートフォンでSNSの投稿を見ていると、マネージャーから着信が届く。
「はい、星野です……え? はい……ええ……夢咲さんのラジオに? ……なるほど、わかりました。よろしくお願いします」
夢咲さんの担当でもある深織のマネージャーは、番組の人気を利用し、ふたりをインターネットラジオ番組で共演させることにした。
そこで告知が行われる、「ぶれいく!」の主題歌発売イベントには、深織も勿論出演する。
それらは全て、深織をブレイクさせるための作戦であった。
「今日も始まりました『夢咲こよみの先読み放送局』! って、やっぱこのタイトル変じゃない?
……いや、未来を予想するコーナーはやってるけどさ、リスナーがボケをかましてるだけでなんの予想にもなってないじゃん。
……ああ、はいはい、スタッフが早くゲストを紹介しろって言うから進めますよ。
それでは、今私が小和檸檬ちゃん役で出演している『ぶれいく!』から、主役の神武麗紅ちゃん役の星野深織ちゃんに来てもらいました!」
「こんばんはー、星野深織です。今度はお前の星を破壊してやろうか! よろしくおねがいしまーす!」
「という訳で、みおりん……って呼んでいいのかな?」
「はい……」
「何照れてるんだよぉ、ははっ! で、その物騒な発言は何なの?」
「はい! 私が夢咲さんと共演させていただいている『ぶれいく!』の麗紅ちゃんのセリフです!」
「はいよくできました! と言いたいところだけど、ちょっとみおりん硬いよ。軍隊式なの?」
「ああ、いえ、緊張してて……」
「それに夢咲さんって、そんなよそよそしい呼び方しないで『こよみん』でいいよ」
「……こよみん……さん」
「さんはいらんで! それじゃ私が先輩風吹かせてるみたいじゃん。
確かに事務所もマネージャーも一緒だから先輩後輩の関係だけど……歳はそんなに変わらないでしょ?
……3つか……ちっ、結構違うな……」
「19歳です」
「コラー! みおりんが歳バラしたら私の歳もバレちゃうじゃないっ!」
「ごめんなさいっ」
というような、深織らしくないやり取りを繰り広げるが、これはマネージャーに指示されてのこと。
インターネットラジオを聴いたSNSのユーザーたちは、初めて耳にする星野のトークの感想を投稿する。
「みおりん、結構おっちょこちょいだな。かわいい」
「夢咲パイセン、後輩いじめっスか? 感じ悪いわー」
「こりゃ放送事故だわ」
インターネットラジオとは言え、配信開始と共に番組を聴く者は多い。
「で、『ぶれいく!』の主役なんだけどさ、私も主役でオーディション受けたわけですよ。でも、みおりんに取られちゃった」
「そう言われましても……そもそも麗紅ちゃんって主役なんですかね? 檸檬ちゃんの方が主役なんじゃ?」
「えーだって、『ぶれいく!』ってタイトルだよ? 破壊神が主人公に決まってるじゃん」
「いや、あの、青い丸型ロボットがポケットでなんでも解決するマンガがありますけど、あれの主人公ってあのメガネですよね?」
「……そうだね」
「あと、派出所は主人公じゃないですよね?」
「確かに……ってそんなことはどうでもいいんじゃーい! みおりんがキャストの一番上にクレジットされてるでしょーが!」
ちなみにこの作品の主人公も、私、日向海果音、メガネが主人公である。読者の皆様にはその辺をお忘れなきようお願いしたい。
っと、閑話休題。番組はおたよりのコーナーへと進行する。
「さて、そんなみおりんにおたよりが来てるよー。ラジオネーム『気は優しくて力任せ』さん。
こよみん、みおりんこんばんは。みおりんは初ラジオ出演、おめでとうございます!
……ってそうだったんだ。この業界ラジオ出演が多いからそんなことないと思ってた。
みおりんは破壊神の神武麗紅ちゃんを演じていますが、みおりんは何かを破壊した経験がありますか?
……なんじゃこの質問……ごめんねみおりん、答えられる?」
「ええ、私、この世界を一度破壊しましたから!」
堂々と言い放つ深織。夢咲さんはその突拍子もない発言に戸惑いを見せず返す。
「ほぅ、そうなの。で、どうやって壊したの?」
「えっとですねー、カミサマを殺したんですよ。こう、心臓をギュッと握りつぶして」
ラジオなのに手を握るジェスチャーをする深織。
「そうなんだー。で、なんでカミサマが死ぬと世界が壊れるの?」
「……なんか、カミサマは世界の大事な部品だって、そのカミサマが言ってました」
「ふむふむ、わかった。それで、どうやって破壊した世界は元に戻ったの? 今この世界は壊れてないじゃん」
「それは私が一生懸命修復したんです」
「そうかー、ところでその銀髪は染めてるの?」
「……地毛ですね」
「なるほど、ありがとう、みおりんは立派な不思議ちゃんだよ……くくく……あっはっはっは!
破壊したって! みおりんが? まだ年端も行かない女の子が? あはははははっ!」
笑いが止まらなくなる夢咲さん。深織はそんな彼女に慌ててその場を繕う。
「いや、本当なんですよ! この髪は地毛で、染めてないんですよ!」
「……ははははっ! そっかー、で、世界を破壊したんだって?」
「……いやいやいや、そんなの冗談に決まってるじゃないですか! 何言ってるんですかこよみん先輩っ!」
「だよねー! あはははははっ! いやー、あんた面白いわ! 気に入った! 主役だろうが何だろうが譲ってあげるよ!」
「やった! 主役もらっちゃいました! でも、麗紅ちゃん役は私が実力でゲットしたんですよ! ね、先輩!」
「それに度胸もいい! ますます気に入ったよ! みおりんとか言ったな?」
「はい、でも、現場で会ったらこうは行きませんよ」
「あはははははっ! それ私のセリフ! あーっはっはっは!」
涙を流しながら笑う夢咲さんに、深織もつられて笑ってしまう。
そんなこんなで番組は笑いに包まれたまま進行し、エンディングを迎えた。
「というわけで、今私がしゃべってる後ろで流れてるのが、『ぶれいく!』の主題歌、『もっと神を知りたい』ですね。
なんと、この主題歌、発売イベントを予定してるのです! それでは、みおりん、告知をお願いします!」
「はい、来週の土曜日に……」
こうして、深織の告知を最後に番組は終了する。
収録が終わり、ふたりがスタジオから出ると、夢咲さんは深織に話しかけたのであった。
「ふぅ……お疲れ様でした。星野さん、今日はありがとうございました」
「……ああ、いえ、すみません、なんか自由に振る舞っちゃって」
「いいんですよ。どーせマネージャーの入れ知恵でしょう? 彼女、声優がタレントだと思ってるんだから」
「そうですね。私も正直、ちょっと困ってます」
「やっぱりそうですよね。ふふ……あの、このあとちょっと、付き合ってもらえません?」
深織は前にもこんなことがあったなあと思い出しつつ応える。
「はい、いいですよ。どちらに行かれるんですか?」
「んー、ファミレスかな……私も大人気声優とか恥ずかしいこと言われてるけど、大したお金もらってませんからね」
「そ、そうなんですか……」
苦笑いを浮かべつつ夢咲さんの後を着いて行く深織。スタジオから5分ほど歩いたところにあるファミレスにふたりは入店する。
「好きなの食べていいですよ。今日は私が持ちますんで」
「え、あ、はい、ありがとうございます」
「一応先輩ですからねー」
注文を通し、運ばれてきた料理を口に運ぶふたり。そんな中、夢咲さんは深織に言葉をかける。
「アニメの収録の時、なんか無視しちゃったみたいになってごめんなさいね。
それに、『主役を取られた』なんて、悪態までついちゃって……なんか癖になっちゃってるんですよね」
「ああ、いえ、気にしてませんから……それに、そんなにかしこまらなくてもいいですよ」
「そっか、ありがとうございます……あ、ごめん、敬語を使うのもなんか変だよね。普通に喋るわ」
「はい、そうして頂いた方が私も気が楽です」
「いやいやごめん。でも星野さんもやっぱり硬いわね。私さ、星野さんには感謝してるのよ」
「ど、どういうことですか?」
「またまたそんな顔して、覚えてるんでしょ? だから私に話しかけづらかったんでしょう?」
「……高校の……文化祭の時ですか」
「やっぱりそうよね。あの時私の代わりにステージに立ったのが、星野さんよね?」
「そうです……」
「私もこっそり見てたんだけど、いやーあれはすごく良かったわ」
「それで、ステージから降りた私に……」
「あっ! それも覚えてるんだ! そう、私、星野さんに『頑張って下さい』なんて言ったのよね」
「……でもあれって、私を励ますために言った訳じゃないですよね?」
「くぅーっ! それもバレてたのね! なんかステージの上で輝いてる星野さんに嫉妬しちゃって、嫌味言っちゃったのよね……
大抵の声優志望の子は、声優になんてなれないから……」
「でも、お陰様で無事声優として仕事がもらえるようになりました」
「あはは! それ、私に対する嫌味? やっぱり星野さんっていい度胸してるわね!」
「ところで、夢咲さんってプライベートではそういう喋り方なんですね。収録の時や、ラジオの時はそんなんじゃなかったのに」
「ああ、あの喋り方はね、ナメられないようにするためよ! ああやってぶっきらぼうに喋ってると、変なファンも寄ってこないのよ」
「そ、そのためだったんですか?」
「そうよ! だってさ、正直星野さんも困ってない? 特に、SNSとか」
「はい……うっ……」
深織は夢咲さんから目を逸らしながら、嫌悪感をもよおすファンたちの発言を思い出していた。
彼女は思わず両手で口を押えてしまう。
「そこまで? いやさ、べーつにあんなの無視しとけばいいのよ。私なんて未だにマネージャーを殺した女だって言われるのよ?」
「ああ、そうでしたね。あの頃はご苦労されていたようですね」
「うん、正直、生きた心地がしなかったわ。しばらく仕事はお休みさせてもらったしね。
でも、こうやって仕事に復帰できたのは、星野さんのお陰なのよ?」
「えっ、それってどういうことですか?」
「それはね。私がふさぎ込んでた時、あなたがボイスティックプロの研修生として入所してきたからなのよ。
見たことある顔が入ってきたって、『あっ!』って思ってね」
「そうだったんですか。でもどうして?」
「私があの時、あなたに嫉妬して嫌味を言って逃げたって思えてきてね。
それで後悔して、後輩の前で恥ずかしくないような先輩になろうって、決意できたのよ」
「そういうことだったんですか。それは良かったです」
「うん、だから星野さん、本当にありがとうね。
……でさ、どうなのよ、マネージャーの声優タレント化作戦は?」
「その話ですか……正直いい気はしませんね。あれのお陰でちょっと困ったファンの方々が……」
「でしょ? わかるわ。でもあんな奴らさ、どうせ口だけで、リアルじゃ何もできない奴らなんだから、気にすることないのよ。
これ、先輩からのアドバイスね。にひひ……
でね、あいつらすぐ人の身体のことばっか言ってくるし、私を見て何をしたとか、男とか結婚とか、そんな話ばっかしてる。あんなのセクハラよね。
でもあいつらはわかってないのよ」
「というと?」
「あいつらさ、私たちの先輩が30くらいになって結婚するじゃない?
そーすると、売れなくなっただの、引退だの騒ぎだすでしょ?
でも、先輩たちは30歳から自分の人生を始めてるの。
アイドルなんかじゃない普通の人間に戻って、舞台役者やったり、普通の奥さんやったり、それが幸せなのよ。
黄色い声を出して童貞どもに媚びるのは、くちばしが黄色いヒヨッコの時だけよ。
30にもなってあんな深夜アニメばっか出てたら馬鹿らしいでしょ。
……そりゃまあ、人気が出過ぎて引っ込みが付かなくなってる人も居るけど、大抵は20代は苦労して、30代から自由に生きてる、それでいいのよ。
それがあいつらにはわかってないのよ。自分の見えている、深夜アニメに出ている声優という基準で考えてしまうのよね。
だから、ひとりの人間としてその声優がどうとかは考えてないの。だからそんな狭い世界に引きこもってる奴ら、ほっとけばいいのよ」
「そうなんですか……夢咲さんは強いんですね」
「にひひ、だからさ、髪の色も明るくしてさ、ぶっきらぼうに喋ってるってわけよ。
それで、30になったらいい男見つけてやるぞーってね」
「それでいいんですね。なんか私も気が楽になりました」
「そうでしょう? ……私の場合、ちょっと難しいかもしれないんだけどね……」
急に目を伏せる夢咲さんに、深織はどんな言葉を掛けていいやら、口をつぐんでしまった。
「……いや、ごめん。私さ、10代の頃はクラフトップの映画に出たいなんて言ってさ、意識高い系だったわけよ。
まあ、あの監督も引退しちゃったから、もうその夢は叶わないんだけど……」
「息子がいるじゃないですか!」
「……息子ね。まあ悪い人じゃないと思うわ。むしろすごくいい人だと思う……っと、話が逸れちゃったわね。
それでね、当時の男性マネージャーにワガママ言ってね。すごく困らせちゃったわ。
私も自棄になって、その、ホテルで肉体関係を持ってやろうかと思ったの。そのマネージャーとね。
まあ、何を血迷ったんだか……今考えても頭おかしいんだけど……
それでね、マネージャーに迫ったら、マネージャーが謝りながらホテルの窓から身を投げちゃったのよ。
それで、それ以来男の人を前にすると、その時のトラウマが蘇ってね。
ダメなのよ。体は強張るし、一定の距離以上近寄れない。だからさ、私未だに処女なのよ……」
「そう……ですか」
「……あはは、そうだっ! 星野さんは処女なの?」
堪え切れなくなって急に笑い出し、突拍子もない質問を投げかける夢咲さん。
「……」
深織は考えを巡らせるように目を泳がせ、そして、小さく口を開いた。
「……いいえ」
「そう……なんだ。そうだよね。フツーの女の子だったら、19にもなれば……って、ごめん、変なこと聞いちゃったね……」
深織のその辺にはふかーい事情があったのだが、夢咲さんはそれ以上追求せずに話を戻す。
「という訳で、まあ星野さんはもう気にしなくていいわ。これからも一緒に頑張りましょう」
「はい……先輩!」
「おうよ! 後輩!」
「「あははははははっ!」」
「そういえばさ、学園祭の時、星野さん見てたら私に似てるなーって思ったのよね。ほら黒髪とかさ……ってあれ?」
その時の深織の髪の色は銀色。彼女は何も答えずに微笑むだけであった。
「勘違い……だったかな? まあ、今日はありがとう。
あ、あと、私、夢咲ってのは芸名でね、本名は山崎詠子って言うの! よろしくね!」
「こちらこそ、ありがとうございます。
私も実は、御輿じゃなくて深織って……あ、何言ってるんだ私……」
頭を抱える深織。そんな彼女を夢咲さんはポカンと見つめる。
「あ、あの、今のは忘れて下さい! ごめんなさい!」
「……ああ、ええ、わかったわ……」
それからふたりは唯一無二の親友となり、声優業界恒例の百合疑惑なども持たれるようになる。
そして、深織は「ぶれいく!」の出演を期に、人気が爆発的に上昇し、ライブにイベント、ラジオと多忙な毎日を送ることとなった。
それはまさに、彼女が声優としてブレイクしたということに他ならなかった。
――しかし、そんな深織が、知事候補だった穂村芽吹と街頭で討論した時の動画が発掘されることとなる。
そして、それを視聴しほくそ笑む者が居たのであった。
「これは、利用できるな……」