第03話 あなたが居なければ
秋口、日向の住む地域は台風の被害に見舞われた。
「はい、申し訳ありません。
ちょっとまだ時間が読めない状況で、出勤時間の目途がつき次第、また連絡します。
あっ、今電車の中なので、すみません! 失礼します」
日向はいつも通りの時間に家を出たが、交通機関の遅延により足止めを食らっていた。
結果、その日は始業時間に間に合わないどころか、昼前に出社する事態となった。
「台風くらいで遅刻してんじゃねーよ」
出社するなり上司の洗礼を浴びる日向。
「すみません……」
「天気予報で台風っつってんだから、早めに家を出ればいいんだよ!」
日向はいつも始業30分前には席についているような無駄な勤勉さを備えていたが、例外的な事態への対応力が著しく欠けていた。
「いえ……あの、天気予報見てなくて……」
「お前んちテレビないのかよ! ニュースも見ないなんて、なんのために給料やってると思ってるんだよ」
「はぁ……」
確かに日向はテレビを持っていなかった。
だがしかし、天気予報くらいインターネットで見ている。
(大体、電車遅延は遅刻扱いにならないのに……)
日向はそのように思っていたが、いつものように頭を下げてやり過ごすことにした。
「とにかく、ニュースくらい見ろよ! 社会人の常識だろ!」
「はい……」
日向はそう返事したものの、テレビを購入するような気にはなれなかったが、帰宅中、一応電気量販店に寄ってみた。
テレビコーナーにて値段をチェックする。
「やっぱりテレビは高いなあ……」
案の定テレビは買わずに、とりあえず電池などの日用品を買う日向。
すると、レジで店員から何やら券を渡された。
「今キャンペーンで福引をやっておりまして」
「おおっ!」
「あちらで1回引けますよ。よろしければどうぞ」
「じゃあ遠慮なく引かせていただきます。ありがとうございます」
思わぬイベントに心躍る日向。出口付近に設置されている福引に吸い寄せられるように足を運ぶ。
「これで、一回!」
「はい、どうぞ、回してください」
力一杯ガラガラを回す日向、それに応えるように銀色の玉が転げ落ちる。どう見てもこれは残念賞ではない。
「おめでとうございます! 2等、テレビが当たりました!」
自分の思わぬ引きの良さに息を飲む日向。
「ではこちらの契約書にサインをお願いします!」
店員は待ってましたとばかりに何かの書類、契約書を取り出した。
「へ?」
状況が飲み込めない日向に、やれやれといった顔で説明を始める店員。
「ですから、このテレビをご利用になる場合、こちらの放送局への支払いを契約しなければなりません」
「あ、じゃあいいです……」
「そう言わずに! この放送局はスポンサーから資金提供を受けない代わりに、公平性を徹底した報道をモットーとしていますので!」
この放送局、えげつない集金方法があまりに話題を呼んでしまったため、決済が契約書への同意による銀行からの引き落としに落ち着いたのであった。
「契約しなくても映りますよね?このテレビ……」
「契約なさらない方にはこのテレビは提供できません」
「それはまたご無体な……」
「いかがなさいますか? 今なら最初の支払いが標準の半額となっております。この機会を逃す手はないかと」
(たったそれだけ? 余裕で見逃せる機会なんですけど)
と思ったものの、押しに弱い日向は口には出せずに、店員に丸め込まれる形で契約書にサインしてしまった。
そして――薄型とは言えテレビは意外と重かった。
配送料金をケチったため、思わぬ重労働をする羽目になった日向は、やっとの思いで帰宅すると、早速テレビにアンテナを繋ぎ電源を入れた。
「まぁせっかく契約したんだし、見てみるか、あの放送局……」
チャンネルを回すと丁度夜のニュースの時間。
日向は夕飯を口に運びながら、30分ほど鑑賞していたが、どうにも自国の政府への批判が激しく、事実より感情を優先した報道が行われていた。
「うーん、これはちょっと気分悪いなぁ……」
この放送局は報道には権力の監視という名目があるということを強く推し進めた結果、行き過ぎた自国への批判と、過剰な他国への擁護を行っており、どう見ても公平性を保っているようには見えなかった。
「まぁ、普通にスポンサーのついてる局も映るよな」
チャンネルを変える日向。
「ふむふむ、なるほど。確かに見てるだけでいいというのは楽だ。ネットじゃ検索しないといけないからなぁ」
ほどなくして、テレビからCMが流れ始めた。
「24時間働くあなたに! 疲労回復にこの液体が効く!」
テレビの中ではスーツとネクタイでビシっと決めた男性が栄養剤片手にニヤリと笑う。
「ははは、いやいや、24時間も働かねーよ! なんでだよ!」
思わずツッコんでしまう日向。その砕けた口調は、どことなく彼女の上司を彷彿とさせる。
「風邪で辛い! そんな時にはこれ! すぐ効いて眠くならない! よーしあとひと仕事! 頑張るぞー!」
テレビの中ではスーツとネクタイでビシっと決めた男性がガッツポーズを決める。
「はは、いやいや、風邪引いたら帰って寝ろよ!」
再びツッコむ日向、テレビに向かってひとりで笑いながら文句を言うようにはなりたくないものである。
「眠気覚ましの決定版! ……」
日向は笑うのを止め急に真顔になり、思わず電源を切ってしまった。
「なんでこんなに働かせようとしてくるのか……もうテレビなんて見るのやめて寝よう……」
次の日、日向はいつものように始業より30分早い時間に出社する。
「あよーざいまー」
「なんだその気の抜けた挨拶は!」
「すみません……おはようございます」
PCに電源を入れようと自席に着くと、壁に見慣れないポスターが貼ってあるのを発見する日向。
"みんな時間通りに来てるんだよ! 遅刻は厳禁! 電車遅延は言い訳になりません!"
「これ、坂上さんが作ったんですか?」
「ちげーよ。 お前を含めて遅刻しないように社長が買ったんだよ」
「買った? こんなパワポで10分で作れそうなポスターを?」
つい思ったことを口にしてしまう日向。昨夜テレビに向かってツッコミを入れていた後遺症であろう。
「……うるせーな、さっさと仕事始めろよ」
「あっ、はい、すみません」
日向にはまだ始業時間ではないことを指摘するような度胸はなかった。
オフィスには、先程のポスターと似たようなものがところどころに貼ってあった。
"始業時間までに準備は済ませよう!"
"あなたが休んでる間も働いてる人がいるんだよ?"
"もう帰るの? 報告は済ませた? 他の人の手伝いは?"
日向はそんな言葉たちに囲まれながらげんなりした一日を過ごし、すっかり疲れ切ってしまった。
そして、帰宅するなりテレビをつけてみる。
「24時間働くあなたに! ……」
瞬く間に電源を切り、ごろんと寝転んで天井を見つめる日向。
「もういいや……明日は休みかー、何しようかな……そういやあのポスター、ネット通販で買ったって言ってたな」
日向はPCでネットを検索する。するとポスターの販売業者はすぐに特定できた。
「あー、ここかー、……値段結構するな~、こんなの私でも作れるのに。
って、こういうのは作らないけど……最近は労働時間規制も強くなってきたっていうのに、時代に逆行してるなぁ」
日向はしばらく商品ラインナップを怪訝な顔で眺めたあと、PCの資料作成ソフトを立ち上げた。
仕事では見せたことが無いような楽しそうな顔でPCを操作する日向。そして30分後――
「できたー! ほら見た事か! 30分あればできたじゃない!」
資料の内容は"ちゃんと有休取ってる?"といったもので、休みなく働く会社員に向けられたメッセージとなっていた。
「って作っただけじゃなんかもったいないな……うちの会社には貼らせてもらえないだろうけど……」
日向はフリー素材共有サイト「イラストック」にアクセスした。
このサイトは有志からアップロードされたフリー素材をダウンロードできる。
手順は簡単、まずは規約に同意の上メールアドレスでアカウントを作成し、画面を操作して画像形式のファイルをアップロードするという具合だった。
「アップロードしちゃお! 審査があるみたいだけど、問題ないでしょ。よーし次は何作ろうかな!」
そのサイトでは、著作権に違反していたり、公序良俗に反するファイルは審査の段階で弾かれるが、それほど厳しい審査があるわけでもなく、アップロード後、1日程度で誰でもダウンロードできるようになるのであった。
一仕事終えて気持ちが高ぶった日向は、調子に乗って次々と資料を作成した。
"車だって休みたい時がある。あなたも落ち着いて"
"あなたが居なくても大丈夫! 休んでも仕事は止まったりしないよ!"
"ストレスを感じたら、ほっと一息休憩入れよ!"
勢いに任せて次々と資料作成とアップロードを繰り返す日向。そうして気付けば週末の休日2日間をまるまる消費していたのであった。
その疲れからか、その週は出勤してもろくに仕事が進まなかった。
そして、一週間後の休日――
「およ……この私が作った素材、やたらダウンロードされてるなぁ」
ちょっと上機嫌になる日向。
"あなたが居なくても大丈夫"、この言葉は、ネットで労働への不満を漏らす人々の心に響くものだったようで、ネット上のそこかしこで見かけるようになった。
一般的な――あまり裕福ではない――労働者が不満を吐き出すためによく利用している呟ぎ型SNSでも、賛同の意見が多数寄せられている。
「誰かが言ってくれないかって思ってた」
「思いもよらずこの言葉に助けられた」
「今年の流行語大賞は"あなたが居なくても大丈夫"に決まりでしょ」
日向はこの意外な状況に困惑しつつもまんざらでもない気分だった。
そしてある日出社すると、オフィスの壁に自分が作ってアップロードした資料のポスターが貼ってあることに気付く。
「あれ?」
「どうした? なんかあったか?」
上司に尋ねられ、日向は質問を返す。
「このポスター、どうしたんですか? それと、前のポスターは?」
「ああ、あのポスターの会社、一回利用しただけで矢継ぎ早にセールスしてきて、内容も今までとそんなに変わらないのに一新しましょうとか言われて社長が頭にきたみたいでな。
貼ってあったのを全部剥がして、これはあの会社が作ってるのと逆のことを言ってるから腹いせに貼ってあるんだよ。『うちも労働環境を改善しなきゃならない』なんて大層なことまで言い出してな」
「そうですか。なんかうちってそういうのと無関係だと勝手に思ってました」
「俺もそう思ってたんだけどな、きっかけがあれば変わるもんなのかもしれないな。って、無駄話してないで仕事するぞ!」
「は、はいっ!」
気付けば当たりが優しくなってきた上司の態度にも慣れた頃、日向が行く取引先の壁、お店の壁、などなどいたるところで"あなたが居なくても大丈夫"のポスターを目にするようになった。
結果日向の残業も減り、毎日のように定時で帰宅してはテレビを眺める毎日を過ごしていた。
今日もニュースを見る日向。
「このほど政府は働き方改革の一環として、"あなたが居なくても大丈夫"を標語にして、有休取得を促進することを決定しました」
「はぁ~、なんか思っても見なかった反響だなぁ……私ってプログラムより広告作る才能の方があったのかなぁ」
そして、数ヶ月が過ぎ、変化が訪れ始めた。
日向は仕事に余裕ができたことから、昼食くらいは自分の意思で摂るようになり、この日もお気に入りの定食屋に訪れた。
しかし、店の扉には"休業いたします"と貼り紙がしており、理由として休暇取得促進により人手が足りなくなったことが挙げられていた。
「この店、安くてそこそこ美味しかったんだけどなぁ、明日はやってるのかな」
呟きながら他の店を探していると、ちらほらと同様の理由で休業している店が見受けられる。
営業している店は満席だったり、あまり気を引かれないメニューだったりしたため、その日はコンビニエンスストアで食料を調達し、社内で食べることにした。
自席でおにぎりなどをむさぼっていると、時間差で外に出ていた上司や同僚もコンビニ袋を提げて戻ってくる。
「あれ、今日はコンビニなんですか?」
「ああ……食べたい店がなくてな。なんだ、お前もコンビニなのか」
「そうです。栄養偏っちゃいますね」
「お前はもうすでに偏ってそうだけどな、ははは」
「……いや、確かにそうですけど……」
「気ぃ悪くしたならゴメンな、ははは」
そのようなやりとりをしたのち、日向は仕事を終え帰宅しテレビをつける。
「近頃、従業員の休暇取得などにより、臨時休業する店舗や会社が増えてきました。この状況に政府は『狙い通りの効果が出ている』との見解を示しています」
「なんか見ちゃってるなぁテレビ、某公平な放送局にはお金取られてるけど、意外と良かったのかも。
しかしこんな事態になるなんて、何がどう作用するかわかったもんじゃないなぁ」
日向はすっかりテレビに向かって独り言を言う癖がついてしまっていた。
「街角を行き交う人にインタビューしました」
「なんかー、お店あんまりやってないですよね。
こないだ急に洗剤切らしちゃったけど、スーパーも臨時休業でやってなくて困っちゃいました。
でも僕も今日は有休取ってるんですけどね」
そんなインタビューを見て、日向はうらやましく感じる。
「前よりは良くなったとは言え、うちは安請け合いするから気軽には休めないんだよなぁ」
そうこうするうちに、"あなたが居なくても大丈夫"の標語のもと、大して仕事をしない無気力な人が増えていった。
日向はいつものように出社すると、上司から新たな顧客から仕事の依頼があり、その顧客が今日来訪すると告げられる。
「あれ……このお客さんの名前……」
「どうした? 知ってるのか?」
「いえ、個人的にちょっと……」
「そうか、なら今日は俺、他の顧客訪問もあるからお前が対応してくれないか? 契約の話は営業に完全に任せてるから大丈夫だ」
日向は嫌な予感がするが逆らえない。
「わ、わかりました」
「頼むわ」
コミュニケーションが苦手な日向は、緊張しながら顧客の来訪を待った。やがてその顧客が現れる。
「こんにちは」
「こんにちは、あ、やっぱり……」
「ご無沙汰しています。名刺を頂いたので、これも何かの縁かと思いまして」
「あ、ありがとうございます。それではこちらにどうぞ。おかけください」
来訪したのは星野であった。献身的なボランティア活動などで信頼を得て、幹部としての格が上がった彼女は、自由に企画を立ち上げる権限を持っていた。
日向は彼女に苦手意識を持っていたが、全く知らない顧客よりはマシな程度に対応することができると、変に安心した。
「それで、どういったご依頼でしょうか?」
「ホームページを作っていただきたく伺いました」
日向は丁度、以前担当していた通販サイトの仕事から外れたばかりで、かなり余裕があった。
「そうですか、どういったサイトをお望みでしょうか。やはり振興会関係の?」
「そうです、振興会のホームページを作っていただきたく」
「どういった内容でしょうか、プロモーションとか宣伝とかですか?」
「そうなんですが、ちょっと事情がありまして」
「はぁ、お伺いしましょう」
「最近、お店や企業の休業が相次いでいるのをご存知ですか?」
ご存知もなにもなかった。またしても元凶は日向にあったのだから。ひきつった笑顔で彼女は答える。
「ええ……もちろん、ニュースも見てますから」
「それなら話が早いです。今この国には働く気力の無い人々が溢れています。何故だと思いますか?」
「やっぱりあの……標語ですかね?」
「そうです! あの"あなたは必要ない"みたいな標語が、皆さんの働く気力を奪っているのです」
「あの、標語がちょっと違うような……」
「なんですか? あの標語が良いものだとでもいうのですか?
とんでもありません! 人間が必要ないと言われるようなことはあってはならないのです!
皆が幸せになるためには、それぞれが社会において役割を持ち、必要とされることが不可欠です!
そして、本当に必要がない人間などいないのです。
それをあのような標語で尊厳を否定されるなどと……嘆かわしいことです」
「なるほどー……そうですね。それで、どうするのですか?」
「私が調査した結果、あの標語はネット上のフリー素材のポスターが元凶だとのことで、
それならばこちらもインターネットにホームページを立ち上げて対抗しようという訳です」
「どういったもので対抗をしようと?」
「今必要なことは2つ! 働く気力を奪われた人の尊厳を取り戻すことと、人手不足になった企業、店舗の経営を救うことです!
そこで、我々の振興会が人々に"あなたが必要だ"と呼びかけて、会員になっていただき、人手不足になった企業、店舗に人材として派遣しようかと……」
「いやいや、人材派遣業を行うにはその免許が必要なんですよ」
「そ、そうなのですか?」
「そうです。発想は理想的で素晴らしいかと思いますが……」
日向は精一杯のお世辞をこれまた精一杯の作り笑顔で言う。
「それは困りましたね……その免許はすぐ取れるものなのでしょうか?」
「いえ、私にはよくわかりませんが、でも派遣業って一歩間違えれば人権の侵害にもなり得ます。
それでも構わないのですか?」
「なるほど、それは困りますね……何かいい手段はないものか……
そうだ! あの標語の影響で廃業する企業もたくさんあると聞きます」
「……そうですね」
「そういった企業の業務を振興会で買い取って引き継げばよろしいのではないでしょうか。
廃業するくらいですから、二束三文で買い取れるはずですよね! 大丈夫です! 私たちの組織には結構な資金力がありますから!」
弾むような笑顔を見せる星野に、日向は自然と呆れたような態度を取ってしまう。
「あー、はい……そうですね。では、具体的にどういったサイトにすればよろしいでしょうか」
「人材不足で立ち行かなくなった企業を積極的に買収するというPRと、その買収した企業のために人材を必要としているという内容で、振興会の会員募集フォームを作ってください!」
「わかりました、検討させていただきます。現在ほかに決まっていることはありますか?」
「あります! "あなたが必要です"という内容の素材を、ドーンとホームページのトップに載せたいです!
あの人類の敵である憎きポスターに勝てるようなものを!」
「わ、わかりました……では週末までに見積もりを出させていただきます。
よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
星野は軽い足取りで株式会社システイマーを後にした。
慣れないコミュニケーションによる疲れがどっと出てぐったりしている日向に、ほかの顧客との打ち合わせが終わり帰ってきた上司が話しかける。
「お前のお客様、どうだった? うまくいきそうか?」
「あ、はい、いろいろとあちらで決めて下さいまして」
「そうか、じゃあ俺の出る幕はないかな」
「いえ、わからないことだらけなので、見積もりのこととか、教えてください!」
「ったく、そんなこともできねーのかよ、まあいいけどよ、どうしたいんだ?」
上司の後押しもあり、この案件は、見積もりから受注までトントン拍子で進んだ。
サイトの公開は次の年の1月1営業日となり、株式会社システイマーにしては余裕のあるスケジュールを立てることができた。
しかし、余裕があるとはいえ慎重を期した日向は、休日の空き時間に自宅で作業を行った。
日向はまず、"あなたが必要です"の素材を作成し、星野にメールで送る。
次の日、会社の電話が鳴った。
「はい、株式会社システイマー、日向でございます」
「お世話になっております。公共幸福振興会の星野です」
「お世話になっております。
素材の方、ご覧いただけましたでしょうか?」
「はい! とてもいいですね! これでお願いします!
……ですが、これ、あのポスターにものすごく似てますね……」
「あ、そうですか? いやー、対抗するためですからね……ははは……」
日向は笑って誤魔化すしかなかった。
なぜなら素早く仕上げるため、"あなたは必要ない"の素材を流用したからであった。
「引き続きこの調子で公開までよろしくお願いします!」
明るい声の星野に、日向も調子を合わせる。
「はい! お任せください!」
勢いづいた日向は、夜遅くまで作業を行い、帰り道のコンビニで買い物をするのが日課となっていた。
星野も振興会の知名度を上げるために、声優として忙しくなってきた傍ら、以前より積極的にボランティア活動に勤しむ。
しかし、そんなふたりのやる気とは裏腹に、世間では労働人口の減少がさらに進行していた。
「うわっ、コンビニまで休業!? 営業時間短縮まではあると思ってたけど……結構深刻だなぁ……」
日向もその影響を存分に受け、人が働くことのありがたみを肌で感じるようになっていた。
「仕方ない、あのサイトを使うか……」
日向は帰宅するとPCを立ち上げ、通販サイトに入会した。
それは日向が以前担当していたサイト、「抹茶味」であった。
3月末のリリースを最後にシステイマーとの契約を打ち切ったこのサイトは現在、その母体である企業、「株式会社 月葉」によって独自に開発、運用が行われていた。
抹茶製品だけだった商品ラインナップも、食料品全般とサーキュレーターや扇風機などの一部の電化製品にまで広がっていた。
人材不足が叫ばれる昨今、この国の食品を扱う通販サイトではこのサイトがトップを走っており、手頃で明快な料金設定とサポートの充実により、日々会員数を伸ばし続けていた。
日向は日夜ここで購入した食品を口にしながら振興会のサイトを開発し、そして時は流れ1月1営業日を迎えた。
「リリースは成功しました! とりあえず問題はないでしょうが、今後しばらくは注意深く様子を見ることにします」
日向の明るい声が電話の先の星野に届く。
「ありがとうございます! 今後ともよろしくお願いします」
その後、ボランティア活動で既に認知度が高かった振興会のサイトには、多くの来訪者が詰めかけた。
一時はサーバーの通信パフォーマンスが低下するほどの賑わいを見せ、入会募集フォームの利用も上々。
その賑わいを支えていたのは紛れもなく、トップに表示された"あなたが必要です"というメッセージである。
自分は居なくてもいい人間であると拡大解釈し、無気力となっていた人々にこの言葉は大きく響いた。
また、星野の声優としての人気も振興会の勢いに拍車をかけていた。
「お陰様で振興会の知名度も上がり、入会希望も多く、入会手続きが間に合わないほどです。
本当にありがとうございます」
「いえ、私どもはWebサイトを作っただけですので、礼には及びません。
仕事ですから」
「いえいえ、トップのメッセージのデザインあってこそですよ」
ふたりはそんな気持ちの悪いやりとりを何度か繰り返し、3ヶ月ほどが経過した。
インターネットのうまみに味を占めた星野は、運営が立ち行かなくなったサイトを中心に業務を積極的に引き取り、公共幸福振興会の宣伝に利用していた。
しかし、そんな彼女のネット侵略には他の目論見もあったのだ。
(ついに……ついにフリー素材共有サイト、イラストックの運営権を手に入れた!
これであの"あなたは必要ない"とかいう素材を抹消することができる!)
といったように息巻く星野だが、急に素材を削除すること自体が炎上の対象になることも重々承知していた。
手をこまねいているだけでは埒が明かないと思った星野は、素材をアップロードしたのが何者かを探ることにした。
このサイトではメールアドレスをアカウントとしているため、素材をアップロードしたユーザーのメールアドレスを簡単に特定することができる。
しかし、星野がメールを送ろうとメールソフトを立ち上げ、メールを新規作成し、宛先にメールアドレスを入れたところ――
「これは……」
星野はメールの作成を取りやめ、日向に連絡を取ろうと試みる。
しかし、株式会社システイマーの営業時間はとっくに終了しており、星野は日向個人の連絡先を知らない。
それから1時間後、日向のマンションの呼び鈴が鳴る。
「はーい、どちらさまですか?」
「こんばんは」
すっかり見慣れた顔に、日向の顔も少し弛緩する。しかし、彼女はこの後の急展開を予想だにしていなかった。
「あの"あなたは必要ない"という素材、あなたが作ったんですね?」
「……いえ、そんなこと……ないですよ」
そっぽを向いて白を切る日向に星野は追い打ちをかける。
「このメールアドレス、あなたのですね?」
一見日向とは関係なさそうな文字の羅列を見せつける星野。
しかしそれはまさしく日向が個人で使用しているメールアドレスだった。
動かぬ証拠を叩きつけられた日向は覚悟を決めて震えるが、ひとつ疑問が湧く。
「あの……なんでそれが私のメールアドレスだと……?」
「それは……あなたがホームページの素材を送った時のメールアドレスがこれだったからです!」
メールソフトは一度受信した名前付きの送信元メールアドレスを、その名前と共に連絡先に保存する、
そして、メールアドレスが入力されたメールソフトは、自動的に入力を補完し、メールアドレスの主が「日向ミカネ」であることを星野に教えていたのだった。
「……えっ……そんな……」
そして日向は気付いた。
メール送信の際に、会社のメールアドレスと、個人メールアドレスを切り替えながら使っていた彼女は、作業の疲れからか、送信元メールアドレスの選択を誤ってしまっていたのだ。
会社ではメールの誤送信を防止するためのソフトがPCに設定されていたが、当然自宅のPCにはそんなもの設定されていなかった。
「なぜこのようなことをしたのですか?」
日向に詰め寄る星野。
何度目かのこの状況に、日向はすっかり慣れっこになって……いなかった。
「いえ、つい出来心で……そうだ、テレビ、テレビのせいですよ! あとポスター!」
日向の言っていることがとんと理解できない星野。
星野の表情が険しくなっていくのを目の当たりにしながら、日向は言い訳を続ける。
「あの、違うんです! ……いや、違わないけど……」
「何か……事情があるのですか?」
「……いえ、事情ってほどではないんですが……」
「何かあるんですね……わかりました、聴かせてください」
勝手に日向の部屋に上がり込む星野。日向も自然と飲み物を用意し、ふたりはテーブルを囲む。
「その頃、私はそこにあるテレビを手に入れたばかりで、見ていたんですが、CMでは無理して働くことが異常に美化されているような気がして……」
「……それはどのような?」
「24時間働くとか、風邪でも休まないとか、そういったものです」
「そうですか、私も見たことがあります。無理して働くことを美化している……確かにそのようにも見えますね」
「あと……この会社のポスターです」
日向はインターネットであの頃会社に貼ってあったポスターを販売していた通販サイトを開こうと検索した……が、その通販サイトは既に存在しなかったため、検索サイトのキャッシュを表示して見せる日向。
「なるほど、労働できることに感謝しなければならないと……確かに極端ですが、あなたの作った"あなたが居なくても大丈夫"というのも、労働に対する冒涜と受け取られる可能性があるのでは?」
「なんというか……憎しみのようなものですかね……今はやり過ぎたと思っています。
なぜなら現在のこの状況、コンビニもろくにやっていない……ここまでのことになるとは、思ってもいなくて……」
その時、呼び鈴が鳴った。
「あ、すみません……はーい!」
日向は玄関へと急ぎ、扉を開く。
「こんばんは、抹茶味です。商品のお届けに参りました」
「ありがとうございます」
「ここにハンコを」
「はい」
「ありがとうございました。またご利用ください! それでは失礼します」
日向が通販サイトで注文していた食料品が届いた。
この通販サイトでは宅配業者に委託せずに、自前で配達員を好条件で雇っていた。
「あ、このお茶菓子美味しいんですよ。召し上がって下さい」
星野にお茶菓子を出す日向。
「ありがとうございます。しかし、あの通販サイトは今ものすごい勢いで成長してますね」
「コンビニがやってない今の状況じゃ、みんな利便性を取って利用するようになりますよ」
「結構おいしいですねこれ……もぐもぐ……ゴホゴホッ」
「あ、お茶もう一杯どうぞ」
星野の湯飲みにペットボトルからお茶を注ぐ日向。
そのペットボトルのラベルにも抹茶味のロゴがついていた。
「ごくごくっ……すみません……話を戻しましょう。
ともかく、あなたの作った標語の影響で、ひとつの国の政府までもが動き、多くの労働力が失われた。これは由々しき事態です。
労働に対するテロ行為と言っても差し支えないのではないでしょうか?」
「そんな大袈裟な……とも言えないですね。本当にどうしてこんなことになったのか」
「なってしまったものは仕方がありません。
今まで私はあなただけのせいにしてきましたが、この世の中自体の風向きが変わりつつあるのでしょうかね」
「わかりません……ただ、無理して仕事をすることが正しいという風潮は……やっぱり嫌いです」
「そこまでですか……わからなくもないですが、何か理由があるのですか?」
日向は一瞬黙り込み、俯きながら口を開く。
「私、いつも思ってたんです。
みんながみんな頑張らなきゃいけない、必死にならなきゃいけないって言われれば言われるほど、みんな追い詰められていくんじゃないかって。
それで、追い詰められた人は、他の人に負けないようにもっと頑張って……頑張るだけじゃ足りなくて……
その……他の人を敵視したり、利用しようと考えるようになって……いつでも自分と他人を比べて、優劣をつけて、ハッタリも嘘も相手への圧力も利用して競争して、それで、競争に負けちゃった人は……更に追い打ちをかけられて……そんな風になるのかと思うと……嫌だったんです。
……だから、もうやめてって、そんなに頑張りすぎないでって言いたくて……でもそれってやっぱり間違った考え方だったんですかね……?」
「そうだったんですね……わかりました。
でもそれは……そう考えるのは、あなたがとても優しい人だからです。
あなたは間違ってなんかいません」
「違いますよ」
日向は顔を上げ、星野の目をまっすぐに見つめる。
「え?」
「私は優しくなんかないです。"やさしい"は"やさしい"でも、"Easy"の方の"易しい"……つまり甘いんですよ。
だって、頑張っている人の敵意が私に向いたらと思うと怖いじゃないですか。
私は他の人から敵意や反感を向けられたくなくてそれで、自分が傷つきたくなくてそう考えてるんですよ。だから私は……自分にとても甘い人間なんですよ!
その結果、他人にも頑張らなくていいって甘くなってしまう、それだけのことです」
そのように語る日向の目には、涙が浮かんでいた。
「そうですか……」
星野は優しい目をして更に続ける。
「変わっていないんですね……あの頃から」
「あの頃……? いや、結構変わりましたよ!
ご飯もちゃんと食べるようになりましたし、最近休みも取れるようになったんですよ!
もちろんSNSもあれから全くやってません!」
涙を拭い、何故か誇らしげな顔をする日向。
「……やっぱり、覚えてないんですね」
「……?」
その時星野はとても悲しい目をしていたが、日向にはその意味を伺い知ることはできなかった。
「では、私はこれで失礼します。
ホームページの件、引き続きよろしくお願いしますね」
「は……はい、お気を付けて……あ、あの!」
「なんでしょう?」
「あの素材は……どうすれば……?」
「あなたの想いが理解できて良かったです。あれはそのままにしておきましょう。
それに今は、振興会が人を必要としていますから……ふふっ」
星野はいたずらっぽく笑い、その場を後にしようとした。
しかし、日向はそれを引き留めるように呼び掛ける。
「あと!」
「……?」
しばしの沈黙、2人の脳裏には色々な想いがよぎったが、それらは全て形にできないまま消えていく。
「……いえ、なんでも……」
「そうですか、ではまた……」
日向は星野が言う"あの頃"のことが妙に引っかかっていたが、それ以上追求すると何か変わってはいけないものが変わってしまう気がして何も言えなかった。