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第27話 この都市の明日のために

「やっほー、海果音(みかね)


 私がいつものように自宅でPCをいじっていると、珠彩(しゅいろ)ちゃんがチャットアプリで話しかけてくれた。


「あ、やっほー、珠彩ちゃん」


「ふふんっ、海果音、いつも月葉Biz、使ってくれてありがとうね。どう、うまくいってる?」


 月葉Biz(げつようビズ)とは珠彩ちゃんが作ったバイトマッチングアプリのことだ。

 その頃、月葉Bizは試験運用中で、私はそのモニターをしていた。


「うん、みんなモニターだからか優しい人ばっかりで、居心地がいいサービスだね」


「ありがと、そう言ってくれると嬉しいわ。

 それでね、その月葉Bizなんだけど、プログラミング以外の仕事、PCでできない仕事も発注できるようにしたの。

 だから、海果音に是非使って欲しくてね」


「あ、そうなんだ。なんか仕事一覧に『ガムを噛む仕事』とかあったから何かのバグかと思ったよ」


「あはは、そんな仕事あるの? なんのためにあるのかしらね。

 まあ、とにかく、なんか興味を惹かれる仕事があったらやってみてよ。お願い」


「うん、わかった」


「じゃあ、よろしくね。また!」


「あ、ちょっと待って!」


「ん? なーに?」


「あのね、良かったらでいいんだけど……お休みの日とかさ、一緒に遊ばない?」


「ええ、いいわよ」


「えっ? いいの? 外出して遊ぶんだよ?」


「何言ってんのよ。いいに決まってるじゃない。そんな改まることでもないでしょ。

 で、いつ遊ぼっか?」


「あわわ、えっと、次の土曜日、朝10時くらいにどうかな?」


「ええ、次の土曜日ね。一日空けておくわ。で、どこで待ち合わせるの?」


「えっと……十常寺駅の命の鐘のとこで!」


「りょーかいっ! ふふ、楽しみね」


 約束を交わし、珠彩ちゃんとのチャットを終えた私は、月葉Bizでプログラミング以外の仕事の検索を試みる。

 そして、検索結果の一覧に表示されたひとつの仕事に興味を覚えた。

 その仕事は拘束時間30分、やることは顔写真とボイスサンプルを撮られるだけ。それだけのことで報酬はソーシャルゲームの10連ガチャが2回まわせるほどのもの。

 説明には、エキストラのようなもので、撮られた素材は個人が特定されるような形で利用されることはないと書かれていた。

 ただ、少し気になったのは、クライアントのスーパーヒロイン党という、警戒を禁じ得ない珍妙な名前であった。


「うーん、やってみるか……よし、申し込みっと」


 そうして私は、指定された日時に指定された場所へと赴いた。

 時間は18時、場所は新しめの綺麗な雑居ビルの一室、スーパーヒロイン党の事務所だ。

 そこには既に、同じようにこの仕事を請け負ったと思しき他の女性たちが並んでいる。


「次の方、よろしくお願いします」


 列はスムーズに進み、私の番もそれほど待たずしてやってきた。

 スマートフォンにインストールしておいた月葉Bizのモバイルアプリで二次元バーコードを使って本人認証を行うと、明るいスタジオへと通される。


「ではまず、ボイスサンプルを頂きます。何か、この社会をこうして欲しい! というようなコメントをお願いできますか? 10秒以内で」


「はい、わかりました」


 後で調べてみた所、このスーパーヒロイン党という団体は設立されたばかりの政治団体とのことであった。

 その活動内容は明るみになっていなかったが、なるほど、まずは市民の声を集めようとしたと言ったところであろうか。


「それでは行きますよ。さん、にい、いち……」


 録音中を示すランプが灯る。私は目の前のマイクに向かって、なんとなく頭に浮かんだ内容を言葉にしていた。


「誰かが他の誰かを敵視しないような、誰にも敵意を向けないような、そんな社会になってほしいです」


「……はい、ありがとうございます。それでは次はあちらで顔写真の撮影をお願いします。メガネはお取りになってください」


 促されるまま歩き、レフ板で囲まれた椅子に腰をかけると、私はメガネを外して真正面のカメラのレンズを見た。


「では、よろしくお願いします。少し表情が硬いので、ほんの少し笑ってもらえますか?」


 私が少し口角を上げると、カメラのシャッターが下りる。


「はい、オッケーでーす。ありがとうございました。お帰りはあちらになります」


 私が席を立ち、入室した時とは別の扉から退室する。

 廊下で撮影を待つ女性の列を尻目に時計を見ると、並び始めてから25分ほどが経過していた。

 並ぶ時間も拘束時間に含まれていたようで、撮影自体は3分もかからずに完了していたのであった。

 私は月葉Bizのレビュー機能で、この仕事に星を5つつけた。


 そして、その週の土曜日、私は十常寺駅前の命の鐘広場で珠彩ちゃんを待つ。

 時間は9時30分。早い、早すぎる。私はどうも時間を30分単位で考えてしまう。

 それに従うと、10時に待ち合わせと言われたら、間に合うように9時30分に現地入りしてしまうのだ。

 私は駅前特有の座り心地が悪い傾斜がかかったベンチに腰を掛け、その広場の中央にある命の鐘を見つめていた。


「お待たせっ」


 どれくらい待っていただろう。スマートフォンの時計に目をやると、時間は9時35分。そんなに待ってはいなかった。


「珠彩ちゃん、早いよ! 10時集合だって言ったじゃない」


「じゃああんたはここで何してるのよ。あの鐘が落ちないように見張る仕事でもしてるの?」


「あ、いや……自分でも早すぎると思ったけど、5分前から待ってたんだよ」


「ひひひ、やっぱそうじゃない。あんたのことだから、30分前には居ると思ってね。

 朝っぱらから女の子ひとりでこんなところに居たら、ぼっちだって笑われるわよ」


「ぼっち?」


「友達も恋人も居ない暗い子のことよ。非モテとか陰キャとも言うわ」


「そんなぁ、確かに私は今時の若者みたいに大袈裟に明るく振る舞うことはないけど……」


「ああ、そうね。あんたにはできないわね。あれはね、所謂リア充、パリピ、陽キャってやつよ」


「ウェーイとか言ってる人たちのこと?」


「そう、私はああいうのは苦手だけど、あれはあれで苦労があるのよきっと。

 と、こんなところで立ち話もなんだから、ちょっと歩きましょうよ」


「うーん、そっか……」


「どうしたの?」


「いや、私たちが知らないだけで、パリピの人たちにはそれをするに足る理由があるのかもしれないね」


「ふーん、そうなのかしらねえ……ところで、今日は何する予定なの?」


「えっと……決めてない。珠彩ちゃんは?」


「私も決めてないわよ。もう、あんたが誘ってきたんだから、しっかりしてよね」


「ごめん。私、今日は珠彩ちゃんに会いたいってだけのことで呼んだんだったよ」


「……あらそう。まあ、それならそれでいいわよ」


 珠彩ちゃんは頬を赤らめて目を逸らす。そうやって言葉に詰まる彼女に、私は苦し紛れの提案をした。


「じゃあさ、今日はその、今時の若者ってやつのマネをしてみようよ」


「マネ? ウェーイってやるの?」


「う、うん。私たちも若者文化に触れないと、取り残されちゃうよ」


「とは言ってもねえ……私、リア充的行動とか、パリピ文化とか、疎いわよ。

 高校時代を思い出してごらんなさい」


 言われてみればそうだ。私も珠彩ちゃんも、部活のメンバー以外とはほとんど交流がなかった。

 そんな私たちにとっては、世間一般の若者がどんなことをしているのかなんて知る由もなかった。


「そ、そうだね……でも、今日はそれを体験するいい機会だと思うんだ。

 これでこの街のトレンドを検索して、周っちゃおうよ!」


 私はスマートフォンを印籠のように掲げる。


「わかったわよ。じゃあ……まずはあそこで作戦を練りましょう」


 珠彩ちゃんが指さす先には、注文が難しいことでお馴染みのコーヒーチェーン店があった。

 私は早速、その店名と「作法」を検索する。


「……えっと、よし、わかった。私が先に注文するから、珠彩ちゃんはそれに続いて!」


 そして入店。店員さんの優しい笑顔に見守られながらスマートフォンに表示された通り、ドリップコーヒー、ホット、トールと注文を行う。

 珠彩ちゃんは「同じものを」というひとことで注文を済ませる。

 私たちは空いている席に向かい合わせに座り、コーヒーを堪能した。


「なんかさ、こうやってると、部室で珠彩ちゃんにコーヒー振る舞ってもらってたことを思い出すね」


「そう言えばそうだったわね。あの頃は毎日ああして……そりゃ他の友達もできないってもんよね。

 てかあんた、ブラック飲めるようになったのね」


「あはは、まだちょっと苦手かな。あの場から一秒でも早く立ち退きたくてね……

 ところでさ、このコーヒーのサイズって神様の名前だよね? あの雷を落として投げたハンマーが戻ってくる」


「違うわよ。なーにバカ言ってんの」


 笑顔で何気ない会話を交わす私たち。


「さて、じゃあどこに行こうか」


「そうねぇ……」


「今検索してるんだけどさ、なんかリア充的な遊びって夜間が多いんだね。ナイトプールとか。盲点だったよ」


「そりゃそうでしょ」


「いや、私なんて日が暮れてくると眠くなっちゃうから、これは無理だなあって」


「あはは、あんたらしいわね。……しかしまあ、周りを見てみなさいよ」


 急に私に顔を近づけ小声になる珠彩ちゃん。私は促されるままぐるりと辺りを見回す。


「みんなノートパソコンとかタブレットでカタカタペタペタしてる……なんでこんなところで」


 私もつられて小声になる。周りの人たちはみんな、作りもののようなさわやかな顔でマシンに向かっていた。

 その時、駅前の命の鐘が10時の告げる。


「みんなこういうところで見せつけるように仕事するのが好きなのよ。土曜日だってのにね……」


「あはは……なんかちょっと居心地が……時間も時間だしそろそろ出ようか」


「そうね」


 私と珠彩ちゃんはそのコーヒーチェーン店を出る。

 10時を迎えた駅前を見渡すと、大きなゲームセンターが開店しているのが見えた。


「あそこ……行こうか」


 恐る恐る提案する私に呆れた表情を見せる珠彩ちゃん。


「……あんた、ただゲームしたいだけじゃない」


「ち、違うよっ! ただ、パリピと言えばプリントマシンかなって、そう思ったんだよ」


「ふーん、そう。まあ気は乗らないけど、若者の生態を研究するいい機会よね。行きましょっ」


 珠彩ちゃんはまんざらでもない笑みを浮かべて私の前を歩く。しかし――


「うう、いざとなるとなんか恥ずかしいわね……」


 プリントマシンのカーテンの巨大なキラキラ女子の前で固まってしまう私たちふたり。

 目の前では撮影を終えたと思われる女子高生が、キャッキャと騒ぎながら写真に落書きをしている。

 珠彩ちゃんの後ろに隠れるようにしがみ付く私は、震えた声を出していた。


「写真のこと、プリって言うんだね……私たち高校生じゃないし、やっぱりやめとこうか」


「な、何怖気づいてるのよ……あんたがプリントマシンだって言ったんじゃない。

 私たちだって2年前は立派な女子高生だったんだから、わかりゃしないわよ」


 そうして意を決した私たちふたりは、マシンに指示されるがまま撮影を終えた。

 加工や落書きなどもせず、ふたり並んだ証明写真のようなそれを、ひったくるように手に取り、逃げるようにその場を後にする。

 私は心なしか周りの女子高生が笑っているような気がして、とてもいたたまれない気持ちだった。


「はぁ、はぁ……ミッションコンプリートよ」


 いつになく息が上がっている珠彩ちゃんの背中をさすっていると、ゲームセンターの騒音に紛れて賑やかな声が聴こえてきた。


「ねぇねぇ珠彩ちゃん、あそこのアーケードゲームで遊んでる人たち、ウェーイって言ってるよ。あれも多分パリピってやつだよ」


「ふぅ……ああ、あれはロボット対戦ゲームよ」


「ああ、あの有名な……」


「パリピとはまた違う人たちだと思うけど……」


 音声入力でもあるまいに大声を上げながらプレイする人たち。

 彼らの目に映るロボットたちは、画面狭しと飛び回っている。


「珠彩ちゃん、あれってさ、元々は宇宙服とか歩兵の延長だったやつだよね? あんな動きするものなのかな?」


「海果音、そんな蘊蓄とか歴史とかリアリティとか、そういうものはユーザーにとってはどうでもいいことなのよ」


「そ、そうなんだ……」


 私たちは近寄り難いそのゲームに触れることも無く、プライズマシンなどを眺めるだけ眺めてゲームセンターを後にした。


「なんか思った通りにはいかないね……これからどっしよっか」


「思いの外負担が重かったわね……やっぱり慣れないことはするもんじゃないわ」


「あ、あれ、ボウリングなんてどうかな?」


 私は「第一回戦」というアミューズメント施設を指さす。


「体を動かすのはいいことね。わかったわ」


 しかし、ボウリングの球は私にとって思いの外重かった。

 私たちはセンスのかけらもない配色のレンタル靴を履き、指を持って行かれそうになりながらも、それを放り投げる。

 私が投げたボールは、時にバウンドし、時に転がらずにツツーっと滑り、幾度となく脇の溝に吸い込まれるように落ちて行った。

 スコアは私が88点、珠彩ちゃんが162点と、倍近くの差が付いてしまった。とは言え――


「うーん、これ以上やったら仕事に支障を来しそうね」


 珠彩ちゃんが腕を抑えながらそう漏らす。

 何事にも本気で挑む彼女には、その得点と引き換えに、大事な商売道具である腕を損傷しつつあったようだ。


「私も、ちょっと怖い」


「そ、そうよね。切り上げましょう……あ、あれなら運動みたいなもんだし、悪くないんじゃない?」


 珠彩ちゃんはその施設に併設されていたカラオケへと私をいざなう。

 私は高校時代、彼女の妹、燈彩ちゃんとよくカラオケに行っていたため、それならばと意気込んだ。

 そして入室。私は手拍子を打ちながら、珠彩ちゃんのこの世を呪っているかのような歌に聴き入った。


「がくしゃはせけんを~みたようなきになる~♪」


 しかしなぜ彼女の歌声は、地の底から響くように力強いのだろうか。

 マイクを握る手に血管が浮いている。このまま歌い続けたら握り潰してしまいそうだ。

 私がそんな彼女からマイクを受け取りひとしきり歌い終えると、彼女はいつもの呆れた表情を見せる。


「あんた、ホントそういう歌好きよね……なにそれ、軍歌なの?」


「えー、いい歌だよ。『漕ぎ出そう戦いの海へ』なんてなかなか出てこない歌詞だよ」


 そうして腕に続いて喉を潰さんばかりに歌い続けた私たちが外に出ると、時間は13時を回っていた。


「お腹空いたわね。あそこにしましょう」


 それは、緑と黄色の看板が目立つサンドイッチチェーン店だった。


「あそこもあのコーヒー屋さんみたいな感じじゃないの?」


「大丈夫よ、あそこは慣れてるの。オフィスの近くにあってね……というかそこは潰れちゃったんだけど」


「そうなんだ、でも、注文難しそうだよね」


「私と同じように注文すればいいから、安心して」


 珠彩ちゃんがカウンターの前に立つと、店員さんが口を開く。


「ご注文をどうぞ」


「エビアボカドをウィートで、トーストしてください。トッピングはクリームチーズ、野菜はオニオン増し、ソースはワサビ醤油とホットペッパー3つ」


 流れるような早口でまくしたてる珠彩ちゃん。私がそんな彼女に唖然としていると、店員さんは私にも注文を促した。


「えっと……エビアボカドを……あー、えっと」


 助けを求めるように珠彩ちゃんを見ると、その顔はニヤリと笑っていた。


「……店員さん、オススメでお願いします」


 彼女がそう口走ると、店員さんは華麗な手際でサンドイッチを仕上げて行く。

 珠彩ちゃんは何やらカードでふたり分の会計を済ませた。

 そして、サンドイッチを受け取った私たちは、席について包み紙に手を掛ける。


「……いじわる」


「……くく、あっはっはっは! 普通にしてれば店員さんの方から質問してくれるのに!」


「もう、やたら量の多いラーメン屋じゃないんだから……」


 私はぼやきながらサンドイッチを頬張った。


「……ん、美味しい!」


「口に物入れたまま喋らないの」


「……ん、ごくっ……ごめん」


「ふふん、結構いけるでしょ。でもさっきよく見たら、ここもお店を畳むことになったようね……」


「システムが複雑だから?」


「うーん、実際注文してみるとそうでもないんだけど、やっぱりとっつきにくいってのは弱点よね」


 私たちはそれを完食し、食後のコーヒーを飲み干し、再び歩き出す。


「さて、これからどうしようかしらね……」


「いざとなると何をしていいかわからないね……」


 私はまた辺りを見回す。改めて見てみると、街には至る所に看板が存在し、情報に満ち溢れていた。


「あっ、珠彩ちゃん」


「ん、行きたいところでもあったの?」


「あそこ、行こうよ」


 看板には「第二回戦」と書いてあった。ロゴはさっきのアミューズメント施設「第一回戦」とよく似ている。


「……海果音、あれがなんだかわかってるの?」


「うーん、あそこもボウリングとかできるんじゃないの?」


「……ボウリングならもう行かなくていいでしょ」


「いや、ボウリング以外の何かがあるのかなって」


「うーん……」


 珠彩ちゃんは立ち止まり目を閉じて黙り込む。


「どうしたの?」


「海果音、あそこはね……男女が休憩と称して入るホテルなのよ」


「はあ、休憩ね。じゃあ丁度いいじゃん。疲れたでしょ? 行こうよ」


 私は屈託の無い微笑みで彼女を誘った。


「……あんた、知らないの? ……と、とにかく、あそこには行かないわ」


「えーっ、ざんねーん」


 そして再び黙り込む彼女。


「そうだ、珠彩ちゃん、知ってる? むかーし大きな地震があった時にね、ああいうホテルで、部屋から女子高生の恰好をしたおじさんが出てきて、なんか部下に電話で指示をしてたなんてことがあったらしいよ」


「えぇ……って、あんた、分かってて言ってたのね! もうっ!」


「あははっ、さっきのお返しだよーっ!」


 私は珠彩ちゃんから逃げるように街中を走る。


「ちょっと、待ちなさいよっ! 私をからかったわねー!」


 口調とは裏腹に、彼女も笑顔を浮かべていた。

 そんな彼女は、駅前のオーロラビジョンの前で立ち止まる。


「あー、あれ、知事選挙が近いからね」


 画面には候補者と思われる男性と、ピンクの髪をした女性キャラクターが映っていた。


「私はこの度、この都市の知事に立候補させていただきます、歌代(うたしろ)語足(かたる)と申します」


 それは以前にも度々知事選に立候補していた、所謂泡沫候補の人だった。


「私たちは政治的判断を、AIであるこの、都々市(とといち)祀莉(まつり)ちゃんに委ねます!」


「こんにちはー、都々市祀莉です! これからは私がこの都市の政治を変えて行きます! よろしくお願いします!」


 画面からありったけの笑顔を振りまく彼女、珠彩ちゃんはそんな彼女と私の顔を交互に見ています。


「ねえ海果音、メガネ取ってみてくれない?」


「え、なんで?」


「いいから、取りなさいよ!」


 珠彩ちゃんは私のメガネに手を掛けようとする。しかし、私はその手に指を絡ませて掴み、意地の悪い笑みを浮かべながら挑発する。


「ははーん、わかった! 私にキスしようっていうんでしょ? だからメガネが邪魔なんでしょ?」


「バカッ! 違うわよ! もう……あ、深織(みおり)だ!」


「えっ!?」


 私は顔を横に向けた珠彩ちゃんに釣られて一瞬動きを止める。珠彩ちゃんはその隙をついて私からメガネを奪い取った。

 そして、彼女は両手の平で私の頬を挟み、真正面にその顔を捉えた。


「……やっぱり。あんた、見れば見るほどあの都々市祀莉とか言うキャラにそっくりね」


 とても嬉しそうな明るい表情でそう告げる彼女に、私は質問を返す。


「深織は?」


「そんなの居ないわよ」


 一瞬で真顔に戻った珠彩ちゃんの後ろでは、オーロラビジョンによる演説が続いていた。


「我々スーパーヒロイン党は、政治というものがわかりません! でもそれは我々だけでしょうか?

 今までも、沢山の政治家の先生方が知事としてこの都市の条例を作ってきました。

 ですが、それがどれだけ効果を上げるかなんて、結果論でしかありません。

 そう、未来は不確定なのです。ですから、大事なのは過去のデータから一番安定した政策を取ることなのだと、私たちは考えているのです。

 その、過去のデータを分析し、より良い方向性を導き出すのがこのスーパーヒロイン、都々市祀莉ちゃんなのです!

 さあ、祀莉ちゃん、ご挨拶を!」


「はぁーいっ! 私はこの都市のありとあらゆるデータを蓄積していますっ!

 犯罪、事故、自殺に倒産! などなど、これらのネガティブデータを参考に、それらを防止できるように、よりベターな条例を施行します!

 それにですねー、私、何と言っても、この都市から無作為に抽出した4,000人の女性の顔を合成して作られているんです!

 協力してくださった皆様! ありがとうございます! 勿論、皆さんのプライバシーに関わる情報は何も保持していません! ご安心くださいっ!

 そんな皆さんのためにも、今回の知事選では必ずや当選を果たして見せます! 私は皆さんの意志を背負ってるようなものですからっ!」


「はい、祀莉ちゃん、よくできました。でもね、祀莉ちゃん、実は残念なお知らせがあるんだ」


「ウタシロさん、なんですか?」


「祀莉ちゃんはAIでしょ? この国ではAIは政治家になれないんだ」


「えーっ! そうなんですか? がっくり……」


「でも安心して! この僕、歌代(うたしろ)語足(かたる)が代わりに知事になって、スーパーヒロインである祀莉ちゃんの意志を現実のものにするんだ!

 それでね、将来的にはAIにも人権、選挙権、被選挙権を認めて、祀莉ちゃんに本当の知事になってもらうんだ!」


「わー、歌代さん、本当ですか? ありがとう!」


「うん、僕に任せといて! これぞ名付けて、スーパーヒロイン作戦さ!」


 なるほど泡沫候補らしい、わざとらしい茶番劇による頭のネジが吹っ飛んだ演説だった。

 私たちはしばらく呆然としていたが、私はあることを思い出す。


「あ、あのスーパーヒロイン党って、私が月葉Bizのバイトで行ったところだ!」


「合点がいったわ。そこで写真を撮られたのね。それにあの声も……海果音にそっくりよ」


「あの……そろそろメガネ返してくれる?」


「ああ、ごめん。でもさ、なんで無作為抽出した4,000人を組み合わせたのにあんたの顔と声にそっくりになったのかしらね……」


 珠彩ちゃんはそう言いながら私にメガネをかけてくれた。


「うーん、わからないよ。私の顔って平均的な感じなのかな?」


「そうかもね。でもあんた、よく見ると整った顔立ちしてるし、可愛いから、合成したって言うのは嘘で、あんたの顔が採用されたんじゃない?」


「あはは、珠彩ちゃん、私が可愛いって、何言ってんの?」


「う……はは、なんか変なこと言っちゃったわね。私、疲れてるみたい、そろそろ帰りましょうか」


「うん、私も疲れたよ。でもさ、最後に……あれ、食べたいな」


 私が指さした先にはクレープの移動販売車が停まっていた。

 その前には10人ほどの行列ができており、明るそうな子たちがスマートフォンをいじったり、友達と会話をしながら順番待ちをしていた。


「う……クレープね。あんたが食べたいって言うならいいけど」


 珠彩ちゃんは少し気まずそうな顔で目を逸らす。


「ん? クレープ嫌いなの?」


「いえ、最近ね、甘い物控えてるのよ。というか……食べないようにしてるの」


「えーっ、なんで? 高校の時はよく食べてたじゃん」


 私はそう言いながら彼女の脇腹を突っついてみる。


「ちょ! やめなさいよ! くすぐったいじゃないっ!」


「あははっ、全然太ってないじゃーん。ほらー、食べようよクレープ」


 彼女の引き締まった脇腹は、私の指を心地よく押し返してくる。調子に乗った私は、彼女をくすぐりにかかる。


「ひっ、わ、わかったから、もうやめてっ!」


「わーい、ありがと珠彩ちゃんっ」


 私たちはそのクレープ屋さんの列の最後尾に並ぶ。そして、他の若者たちと同じように会話を交わすのであった。


「でもさ、なんで急に誘ってくれる気になったのよ?」


「あー、いや、いつもチャットでしか顔を合わせてなかったから、リアルで会いたくなって。今日はありがと」


「そう、まあ私で良かったらいつでも呼んでよ」


「いいの? ……忙しいんだよね?」


「まあ、先約があったりして都合が悪かったら断るわよ。それだけは許してね」


「うん、わかった。これからは気軽に誘うよ。

 それとさ、私、断られたくらいじゃ怒ったりしないよ。友達ってそういうものじゃないよ」


「じゃあ、どういうものなの?」


「気軽に誘えて、気軽に断れるのが友達……かな」


「そうね、私もそう思うわ。だけど、海果音は私を気軽に誘わなかった。それは矛盾してるんじゃない?」


「うう……厳しいなぁ、珠彩ちゃん。ごめん、私が自分勝手に誘ったら悪いかなと思って」


「もう、あんたはそうやっていつも遠慮ばっかりして、もうちょっと自分に甘くなりなさいよ。

 ……まあでも、私はそんなあんたのこと、嫌いじゃないというか、むしろ……」


「えへへ、そっかぁ、珠彩ちゃん、私のこと好きなんだ……じゃあ……」


 私は目を閉じて、少し背の高い珠彩ちゃんに対して閉じた唇を向ける。


「ちょっと、なにしてんのよバカ! なんでそうなるのよ! 私は友達として……」


「分かってるよぉーだっ! あははははは! 珠彩ちゃん、本当に疲れてるんだねっ!」


 そんな悪ふざけをしていると、私たちの順番がやってきた。

 私はイチゴ、ブルーベリー、ラズベリーの入った所謂三色ベリーを、珠彩ちゃんは抹茶ブラウニーとショコラのクレープを購入した。


「あそこで食べよ」


 公園のベンチに腰を掛ける私たち。私は早速クレープにかぶりつき、口に広がる甘みと酸味を堪能するが、珠彩ちゃんは様子がおかしかった。


「あれ、どうしたの? 食べないの?」


「ねえ、これ、甘いのよね? 砂糖が入ってるのよね?」


 訝しげな顔で手に持ったクレープを見つめる彼女。心なしかその手は震えていた。


「そりゃそうでしょ。スイーツって言うくらいなんだから」


「うう……そ、そうよね。スイーツ……た、食べるわよ」


「いや、私に断らなくても……」


 彼女は困った顔でそう返す私をちらっと横目で見てから、目の前のクレープを一口頬張る。


「…………んっ! あんまぁ~いっ!」


 至福の表情でそう漏らす珠彩ちゃん。


「ええっ、そんなに美味しかったの?」


「はむっ……もぐもぐ……ごくんっ。

 いえね、私、高校卒業してから糖分を断っていて、本当に久しぶりに甘い物を食べたのよ……それにしても、甘い……」


 私は恍惚の表情を浮かべる彼女に冷ややかな視線を送ってしまう。


「あはは……そうなんだ。これからは無理しない方がいいよ……」


「……うう、悔しい! 甘い物がこんなに美味しかったなんてっ!」


 そうして、涙まで流して見せる彼女と、それに少し引き気味の私は、リア充的な体験をすることは叶わなかったものの、それなりに充実した一日を送り、帰路についたのだった。

 そんな私たちの横を通り過ぎる街宣車、それは与党が公認する現職知事、志原(しはら)誠治郎(せいじろう)のものだった。

 その知事最有力候補である彼の隣には、ある女性が座っていた。


「星野さん、今日はお疲れ様でした。またよろしくお願いします」


「いえ、こちらこそ、またお願いします。私は個人的に志原さんに知事を続けて欲しいと考えているだけですので」


「ははは、それはありがたいことです。あなたのおじいさまにも大変よくして頂いた、星野さんにはもう頭が上がりません」


「ふふ、そんな、大袈裟ですわ」


 そう、その街宣車のウグイス嬢をしていたのが、志原の後援会に所属していた星野(ほしの)深織(みおり)、その人だった。

 声優の卵として養成所に通う彼女は、ウグイス嬢にうってつけの人材だったのだ。

 また、志原と星野家は家族ぐるみの付き合いをしており、深織の所属する慈善事業団体「公共幸福振興会」も、志原の後援会として手厚い支援をしていた。

 泡沫候補に対して現職知事、その力の差は歴然であり、結果は見えているようなものだった。

 しかし、知事候補はその2人だけではなかった。


「テクノロジーの力で経済を効率化して、既得権益をぶっ潰す!」


 過激にそう語るのは、穂村(ほむら)芽吹(めぶき)という、ベンチャー企業の経営から成り上がってきた女性であった。

 彼女はやり手の起業家であったが、その手腕の強引さから、一時期刑務所に服役していたこともあるという異色の経歴の持ち主だった。


「今この国は、複雑怪奇な利権構造と無駄な仕事に溢れています。それを、この国の首都であるこの都市の変革を期に、最適化するんです」


 彼女は主にSNSや動画サイトで自身の政治論を展開し、ネット上に根強い信者はいるものの、一般層に大量のアンチを抱えていた。

 それもそのはず、彼女がネット上で発する言葉は暴言が多く、それに不快感を覚える者は少なくなかったのだ。

 しかし、彼女は口だけで実際に政治的な行動を起こすことはないと思われていたため、知事選への出馬は、良い意味でも悪い意味でも大きな話題となった。

 そんな風雲児と現職知事、泡沫候補の三つ巴となった知事選も、投票日の前日を迎える。


「えー、私はこの、所謂趣味の街の方々に多大なる負担を強いる政策を取ると言う選挙公約をしております。

 ですがそれは、皆さまのためを考えてこそなのです」


 現職知事の志原は、再選を期に、更なる規制強化をするという選挙公約を抱えていた。

 この日彼は、趣味人が集まる街に出向き、その規制の対象になってしまう人々に向けて演説をしていた。


「皆さまひとりひとりは大変善良な市民です。ですが、一部の異常者の行動により、皆さまは誤解を受け、そして、迫害されるに至る恐れがあります。

 そう、一部の異常者を取り締まるために規制を強化する。それこそが皆さまの人権を守る最適解なのです」


 志原の公約には、非実在青少年に対する性的な描写を大幅に規制するという内容が含まれており、かねてより行き場を失いつつあった趣味人たちに、最後通告を突きつける形になっていた。

 それに対し、趣味人たちは反対運動を起こしたりもしていたが、趣味人たちは所詮少数派。そのような運動が知事選に影響することなど無いと目されていたが、志原は律儀にも、彼らの同意を得ることを望んでいた。

 その時、別の候補の街宣車が志原の前に現れる。それは、穂村のものであった。

 彼女は街宣車を降り、志原のもとへ歩み寄る。


「志原さん、あなたは規制規制と言うが、それでは自由経済活動に支障が出てしまう!

 規制を可能な限り無くせば、市民は神の見えざる手に導かれるように、自然と人々の最大幸福を考えて行動するようになる!

 その自由と行動こそが、この社会をより良く、より清らかに成長させるものなんだ!」


 それに対し、志原は反論する。


「穂村さん、それは大変ごもっともなことだ。だかそれは、市民が皆善良であることを前提にしないと成り立たないことです。

 残念ながら、この社会には一部の危険な思想を持った人物や、自分の行動に歯止めが効かない人物がいる。

 そういった方々を正しく導くためにも、規制の強化が必要なんです。

 それに、これはあまり言わないようにと考えていたことですが、一度規制したものについても、社会的状況を鑑みて徐々に解除してゆく予定です」


 その言葉に趣味の街の人々もざわめき立つ。しかし、穂村は更に語気を強めた。


「そうやって耳障りの良いことばかり言って、その規制がいくつもの利権構造を作り出し、弱者を生むということがわからないわけでもないでしょう!

 あなた方の規制を理由にビジネスが生まれる、百歩譲ってそれはいいかもしれない。だが、そのビジネスは、あなた方が懇意にしている企業に利益を誘導するため、そして、あなた方自身の利益になるように使われる。

 しかし、そのビジネスで本当に手を動かす人々には、中抜きによって利益が行き渡らない。そういった人たちが社会の中で行き場を失って行くのです。

 そうやって生まれた弱者たちが、自暴自棄になってこの社会に一矢報いるためと暴走するのを幾度も見てきたはずでしょう!

 彼らは失うものが無い、だからこそ無敵であり、善意に保証された社会をいとも容易く崩壊させることができるんです!」


「そのような利権が存在する証拠はありません……」


「そうかもしれない、だが、実際に苦しんでいる弱者はいるんです。この中にだっているかもしれない。

 そういう人が行動を起こした時、その標的があなたになることだってあるんですよ?」


 狼狽え、言葉を失う志原。その状況にひとりの女性が口を開く。


「穂村さん、あなたは今、そうやってもっともらしいことを言っていますが、今までのあなたのネット上での言動には目に余るものがありました。

 そんな人間に自由とか正義を語る資格があるとお思いですか?」


 それは、志原の街宣車にウグイス嬢として同乗していた深織だった。

 彼女はその持ち前の誠実さを体現したような美しくも厳しい声で彼を糾弾する。


「あなたはSNS上で、他人に対して『バカ』だの『死ね』だの、およそ公人の自覚があるようには思えない悪意をぶつけています。

 政治家というのは民衆の代表なのです。その民衆に嫌われるような言葉を選ぶ時点で、代表たる資格はありません」


 しかし、穂村も負けてはいない。


「それとこれとは関係ないでしょう。私の口が悪いからと言って、今言ったことは間違いではないはずです。

 利権により自由化されていない経済は、弱者を生む原因となる」


「経済が自由化されて自由競争が活発になると、一部の優れた人たちだけが利益を独占することになりませんか?

 それも、労働という収入源を断たれた弱者を生み出す原因になります。それは、強い者だけが生き残ればいいという、強者の理論です」


「違う! 一部の優れた人たちが独占するのは労働だ! その人たちが生み出した利益は、誰も困窮しないように社会に還元すればいいだけだ!

 労働に不向きな人は労働せずに、優れた人たちが生み出した利益、税金を使って遊んで暮らせばいいんだ!

 もうこの国は、それが可能なほど豊かになったはずだ!」


「遊んで暮らせですって? そんな堕落した人間を生み出してなんとするのですか?」


「人間には堕落する権利がある! そうやって堕落とか言って、社会に貢献していないと、収入がないとダメだと言う固定観念を押し付け、不安を煽るのが正しいのか?

 そうやって焚きつけるから、無鉄砲に犯罪に走ったり、自殺に逃げたりする者が現れるんだ! それくらいなら遊んで暮らした方がマシだろう?

 ビジネスにしたって、無駄な規制でこれがダメ、あれがダメだと煽るから、それをうまく掻い潜った者だけが勝者となる。

 しかし、法の抜け穴を通ることを良しとしない正直者はバカを見る。これも格差を生む構造のひとつだ!

 そういった数々の不条理を覆さなければ、この都市に明日は来ないんだ!」


「しかし、あなたはその法の目を掻い潜って利益を追求したが故に投獄された経験がありますよね?

 あなたの仰る規制緩和は、それに対する怒りによる当てつけ、復讐なのではないでしょうか?」


「……そうだ、だが、そうやって世の中の理不尽に直面できたからこそ、この都市を、この国を良くする方法を思い付いたんだ」


「今はそうかもしれません。しかし、怨恨に根差した動機というのはとても危険です。

 私には、あなたが強者の立場になった時、弱者に対して自分がされたような理不尽を強いる姿が目に浮かびます!」


「そ、そんなことはしない……!」


「そうでしょうか? 人間が怒りを抱くとき、それは己の無力さを思い知った時です。

 そう、理不尽に対抗する力が無かったからあなたは憤りを感じた。

 しかし、その理不尽に対抗できるだけの力は、また別の理不尽を生みます。

 あなたがそれだけの力を手に入れた時、それを他人を陥れるために行使しないと言い切れますか?

 他人に対して『バカ』だの『死ね』だの、暴力的な言葉を使うようなあなたが!!」


「……違う、私はただ、正々堂々と自由に競争して豊かな社会を築きたかっただけだ……ぐっ」


 穂村は急に息を荒くして胸を抑え、もがき苦しみながら膝をつき、やがてうつ伏せに倒れる。

 深織はそんな彼女を唖然として見つめることしかできなかった。


「穂村さんっ! 誰か救急車を! 穂村さん! 穂村さん!!」


 そう叫び、穂村のもとに駆け寄ったのは志原だった。彼は穂村の傍らに跪き、穂村が気を失わないように呼びかけを続ける。そんな中、穂村はひとり呟いていた。


「……私は……私は何故こんなことを……そうだ、最初はただ、ビジネスでこの国を、この世界を住み良いものにするために……

 しかし、ではなぜそんなことを? 私は……一体何者だ?」


 穂村はそう言ったきり、口を開くことも目を開けることも無かった。ほどなくして救急車が到着し、彼女は搬送される。

 そんな彼女を見送った志原は、呆然と立ち尽くす深織に駆け寄る。


「星野さん、お辛いでしょうが、あなたが気に病むことではありません。

 きっとこれは何かの偶然です。とりあえず今日は帰ってお休みになられると良いでしょう」


 深織は促されるままに帰宅した。彼女が私と暮らすマンションの扉を開けると、リビングでは私が珍しくテレビニュースを見ていた。


「あ、深織、おかえりー。

 ねえ、すごいよこれ。あの知事候補の穂村さん? 演説中に急に亡くなったんだって。

 選挙の前日だって言うのに、こんなことがあるんだね……どうしたの? 深織ぃ」


 私は深織が志原の後援会に所属しているなどとはつゆ知らず、呑気に呼びかける。

 だが、深織はただいまも言わずに無言でテレビを見つめていた。そんな彼女のスマートフォンが震え出す。


「……あ、ごめん。海果音、ただいま……ちょっと電話に出てくるね」


 深織はそう言ってベランダに出て行った。彼女は電話を取り、静かに口を開く。


「……悠季(ゆうき)?」


「ああ、突然すまない。ニュースで見たよ。あの知事候補、亡くなったんだってね。それで、その映像の隅にちらっと深織ちゃんが姿が見えたものでね」


「……うん」


「彼女が亡くなる瞬間の映像を見たけど、ボクは何も感じなかったよ」


「ということは……穂村芽吹は……虚人?」


「そのようだ。彼女が亡くなったことと、深織ちゃんが居たことになんか関係があるのかい?」


「彼女は志原さんと討論をしていたよ。それで、私が我慢できなくなってつい……彼女を追い詰めてしまった」


「そうか、だが、キミは何も悪くないよ。普通の人間なら、追い詰められたくらいじゃ死ぬことはない」


「……そうかな?」


「言っただろ? 虚人は海果音ちゃんを脅かす可能性が高い。それに、ニュースのこともそのうちみんな忘れるさ」


「悠季はドライなんだね……」


「そうでもないと、命を扱う職業に向いてないかもしれないね。ははは。

 とにかく、キミは気にせず素知らぬ顔で過ごせばいい。海果音ちゃんのためにもね」


「……わかった。ありがとう」


 そうして深織は電話を切り、リビングに戻った。


「はぁ~、結局明日の投票は予定通り行われるんだってさ」


 未だ呑気な私に、気を取り直した深織が尋ねる。


「海果音は行くの?」


「一応選挙権持ってるからね。行ってくるよ」


「そうだね。使える権利は行使しないとね」


「ははは、なにそれ、変なの~」


 そして2日後、私たちが行った投票の結果が開示される。

 私はその時、いつものように珠彩ちゃんとチャットをしていた。


「まさか、あの人が当選するなんてね……」


「ほんと、びっくりだよね」


 なんと、知事に当選したのは、歌代語足だったのだ。

 彼はテレビ画面の中で、何度も腰を折り、当選したことへの感謝と、何故か謝罪を行っていた。


「いえ、私にも予想外の出来事でして……なんといいますか、私などが当選してしまって申し訳ありません。

 ですが、公約の通り、都々市祀莉ちゃんの判断を忠実に守って、この都市をより良く変革させて行く所存です!」


「ウタシロさんっ、そんなに緊張しないで! 私、頑張りますね! スーパーヒロイン作戦、開始ですっ!」


 テレビ画面の中のテレビ画面から彼をフォローする都々市祀莉。


「しっかし、あの都々市祀莉って子、本当に見れば見るほどあんたに似てるわよね」


「そ、そうかな~、本当になんでだろうね」


「でもこれで、私も政治に親近感が湧くってものよね」


「そういえば、珠彩ちゃんは誰に入れたの?」


「海果音、そういうこと聴く?」


「あはは、まずいかな?」


「……白紙で出したわよ」


「えっ、珠彩ちゃんも?」


「あんたもなの!? あはははっ」


「ははは、どうにも決められなくてね……」


「私もね……でも、政治なんかじゃそんなに簡単に都市も国も世界も変わらないわよ。やっぱり世界を変えるのは科学の力でしょ! それと……」


「それと?」


「世界をひっくり返すほどのクライシスかしらね」


「あはは、そうだよね。そうでもないと世界なんて変わらないよね」


 そう、その頃の私は、そんな楽観的ともいえる笑いを浮かべるだけで、それから訪れる未来を予想だにしていなかったのだ。

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