第26話 インタビュー・ウィズ・ストーカー
「どう? トラブルになったりしてない?」
バイト受発注サービス月葉Bizの開発者、珠彩ちゃんは、そのサービスを試用する私を何かと気にかけてくれる。
「うん、大丈夫だよ。最近ちょっと睡眠時間が短くなったけどね」
それを聴くと、PCの画面に映る彼女の顔は少し曇った。
「使えって言っておいて申し訳ないけど、大学もあるんだし、あんまり根を詰めちゃダメよ」
「あはは、そうだけど、仕事がテンポよく進んでると止まらないんだよね」
「そう? でも本当にほどほどにしてよね。
そうでないと、今あんたの後ろに居る奴に私が怒られちゃうんだから」
「えっ?」
振り返るとそこには深織が居た。
「ただいま」
「ああ、深織、おかえり」
私は椅子をくるりと回して彼女を見上げる。
「珠彩、あんまり海果音を酷使しないでね。そうでないと……」
「そうでないと?」
「……ううん、なんでもない」
画面越しの深織に疑問の視線を向け、首を傾げる珠彩ちゃん。
私はそんなふたりを交互に見る。
「と、とにかく、私は大丈夫だから、ふたりとも心配しないで」
「そう、分かったわ。でも、何か問題があったらすぐ私に言うのよ」
「私にも言うんだよ」
「う、うん……じゃあ、珠彩ちゃん、またね」
「またねっ」
そうして私は珠彩ちゃんとのチャットを終えた。
「あ、深織、疲れてるでしょ? お風呂湧いてるから、先に入っちゃってよ」
いつの間にか気配を殺して私の後ろに立っていた彼女を労う私。
しかし、彼女はそれを拒否する。
「いや、海果音も今まで仕事してたんでしょ? 海果音の方が疲れてるだろうから、先に入っちゃってよ。ねっ」
ずっと部屋に籠っていて大した汗もかいていない私だったが、笑顔でそう促す彼女には逆らえない気がして、言われるがままに従う。
「わかった。じゃあ、入ってくるよ」
湯船に浸かると、凝り固まっていた肩の筋肉に血が流れ込むのを感じる。
血液はさらに脳に圧迫感を与え、疲労が溜まっていたということを私に気付かせてくれた。
「ううーんっ……はぁ……しかし、深織も疲れているだろうに、なんで私ばっかり優先してくれるのかな」
私は鼻の真下まで湯に浸かり、ブクブクと気泡を吐き出しながらそう呟いた。
そうしてふやけかけるまでその温かみを堪能したあと、私は風呂から上がり、深織の用意していた食事を摂って就寝した。
そんな日常にも慣れ親しんできたある日のこと、私は月葉Bizで株式会社クリエITという会社の保岡守というクライアントから仕事を請け負う。
「なるほど、クライアントのそのまたクライアントが作った静的WEBページを、スクリプトで動的ページに修正か。
いちいち画面が切り替わるのは使い勝手悪いからなぁ」
そんな独り言を呟きながら作業を進めて行くが、依頼ページからダウンロードした仕様書の記述がどうにも曖昧で要領を得ない。
私の作業はカタツムリの歩みのごとく遅延を極め、ついには珠彩ちゃんに泣きを入れる事態へと発展する。
「ごめん、珠彩ちゃん、今請け負ってるお仕事なんだけど、全然進まなくて……これってマズイよね」
「うーん、私も仕様書を見てみたけど、さっぱりね。どこから手を付けていいのかわからないわ」
「だよねぇ……どうすればいいんだろう」
「こういう場合はいっそ、辞退しちゃうってのも手よ。このクライアントはうちと付き合いがある会社の人でね、海果音と同じように試用版だということを了承して無料で利用してるの。だから、こういう事態にはエージェントが辞退するってこと自体には問題がないわ。相手が素人だってのもわかっているだろうしね」
「うう……なんか申し訳ないけど、そうさせてもらおうかな」
「うん、変な気を遣わせてごめんね。ひとつひとつの依頼を審査することができればいいんだけどね……」
私は月葉Bizの依頼ページを開いた。
「私には難しく、納期通りに成果物を上げることができません。申し訳ありませんが、この案件は辞退させていただきたく」
そんなメッセージをしたためてクライアントに送る。
これで良かったのかな? そんなことを考えていると、数時間後、クライアントからのメッセージが返ってきた。
「申し訳ありません。こちらの指示が曖昧だったようで、作業進捗が上がらないとのことも当然かと思います。
こちらと致しましては、辞退ということで承っても問題ありませんが、もしよろしければ、弊社にてご説明させていただきますので、再度、作業を請け負ってくださいませんでしょうか? それに従って納期も延長いたしますので、どうぞ、ご検討ください」
これに対し私は、了承のメッセージを送る。納期通りに成果を上げることができなかった負い目を感じていたのだろう。
そうして、翌日の18時に株式会社クリエITさんへと訪問する約束を取り付けた。
「もしもし、月葉Bizでエージェントをさせていただいている日向です。保岡さまはいらっしゃいますでしょうか?」
私の住むマンションから4つ離れた駅から徒歩10分、雑居ビルの1つの階を借り切ったそのオフィスの扉の前で、受付の電話を掛ける私。
ほどなくして、担当者、保岡さんが出迎えてくださった。
「……ようこそいらっしゃいました。いやぁ、お若い方だったのですね」
その男性は私の姿を見て少し戸惑いを覚えているようだった。
無理もない、仕事上、文字だけでコミュニケーションを取っていた相手が19歳の小娘だとわかれば、その仕事ぶりへの不安を感じるのは当然のことだろう。
彼は見た所、30代半ばと言った風貌で、全身から人生に疲れていますオーラが滲み出ていた。
私は彼に連れられて、オフィスの中を通り、会議室へと通される。
彼は私を椅子に座らせると、扉に手を掛けて動きを止める。
「あっ……女性の方なのに密室に男とふたりきりというのはよくないですね。開けておきます」
少し焦った表情で冷や汗をかく彼の動作はぎこちなく、腰を掛けるのも、椅子を初めて見た人かというくらい不自然だった。
彼は言葉を切り出すタイミングを見失っていたようで、数秒の沈黙が流れる。
私はそれに耐えることができず、先に言葉を発してしまう。
「お疲れ様です。あの、名刺とかないんですけど……私、日向海果音と申します……って、月葉Bizで知ってますよね。あはは」
私も引きつった笑顔を浮かべ、何を話していいやらしどろもどろになる。
彼は設計資料とおぼしき紙の束を私に差し出しながら、ようやく口を開く。
「保岡です。よろしくお願いします。この度はご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
えっと、こちらが設計書となります。詳しくご説明させていただきますね」
渡された資料は月葉Bizにアップロードされていたものとそれほど変わりなく、相変わらずよくわからない。
保岡さんの説明も、私のぽかーんとした表情に戸惑いつつ、堂々巡りを繰り返す。
私はその空気にいたたまれなさを感じ、ついつい口を開いてしまう。
「あ、あの……飲み込みが遅い私が悪いのですが、実際に画面を見せて頂きながらっていうのは可能でしょうか?」
私のその言葉に、彼は一瞬固まってしまう。
「……あ、すみません、私の説明がわかりづらいからですよね。わかりました、私の席までご案内します」
そうして私たち2人は会議室を出て、彼の席へと進む。
そのデスクには食玩と思われる小さな動物のフィギュアが並び、およそ仕事で使っているとは思えない、森の集会のような雰囲気を醸し出していた。
彼は席に座り、PCのロックを解除する。私は彼の肩越しにそれを覗き込んでいた。
「ここを押すとこう動いて……」
彼は華麗な手つきでPCを操作する。私が驚いたのは、彼が必要以上にマウスに触れず、大体の操作をキーボードで行っていたことだ。
彼の指は卓越したピアニストのようにキーボードの上を駆け巡り、画面に大量に開いているウインドウを自在に操って見せる。
「と、いうわけで、こうしていただければと思います」
彼が作った方が早いのでは? そう思いながらも私は、うんうんと頷きながら、その説明を理解して行く。
しかし、説明を受けた上で更に疑問が生じた私は、彼の動きを遮って、マウスに手を伸ばす。
「あの……ここの動きなんですが……」
「あ、はいっ!」
その上擦った声に驚き、私は彼の方に顔を向ける、すると、彼は顔をのけ反り、何かから逃れようとするような表情を浮かべていた。
「あの、顔が……」
怯えたように呟く彼の肩越しに手を伸ばしていた私は、その肩を乗り越えんばかりに画面に顔を近付けようとしていた。
そう、それは、彼の顔に私の頬が触れてしまうほどの、ある意味での侵略行為だった。
「あっ……すみません、私、男の人と……こういうの初めてで……ごめんなさい……」
そう言って赤くなり、身を引く私に、汗を拭いながら苦笑いを浮かべる彼。
私は彼に失礼なことをしてしまったとその行動を悔いた。
「あ、これですね。これはここをこうすると……」
そんな中彼は、懸命に私への説明を続ける。
そうしているうちに、私が抱えていた疑問は大体解消し、彼とのぎこちない空気も次第に弛緩して行く。
19時半、私がそのオフィスを出る頃には、私たちの笑顔は自然なものへと変化していた。
「今日はこんな時間まで、本当にありがとうございました」
「ああ、いえいえ、私の方こそ、分からないなんて言ってここまでさせてしまって申し訳ありませんでした。
納期の方は承知致しましたので……えっと、頑張ってみます!」
「ははは、まあ、難しいようでしたらまた仰っていただければと思います」
「はい……あんまり甘えないようにしますけど」
「いえ、なんなりと仰ってくださいね。
さて、私はまだ仕事があるので、ここまでのお見送りとさせていただきますが、お気を付けてお帰りください」
そうして雑居ビルを出ると、街はまだ活気に満ちていて、仕事帰りのサラリーマンが飲みに行こうなどと騒いでいる。
私はそれを尻目に帰路に就くが、駅までの道すがら、後ろから視線を感じるような気がしていた。
視線の端っこで何かが光ったような、そんな感覚に自然と早足となる。
私は電車に乗り、彼女が待つマンションへと急ぐ。
「ただいまー」
「おかえりー、遅かったね? もしかして、珠彩の仕事?」
「ああ、そう言えばそうだけど、今回は私の落ち度だから。それに直接珠彩ちゃんは関係ないよ。私とクライアントさんの問題」
「そう、まあいいけど、夜道をひとりで歩くのは危険だから、気を付けるんだよ」
「はぁーい」
そうして、私はオフィスでいっぱいになったメモを傍らに置き、仕事を進めて行く。
なるほど理解してしまえば実装はなんのことはない、そんな軽い気持ちに押されて捗る作業。
数日後、私は納期に余裕をもったまま、その成果物を納品することができたのであった。
しかし、その納品への返事は、予想だにしないものだった。
「申し訳ありません。お客様からの要望で、仕様を変更することとなりまして」
メッセージにはそう綴られており、再度の訪問を促されるに至っていた。
それを受けた私は、再びクリエITのオフィスに足を踏み入れる。
私はまた、保岡さんの席で説明を受け、疑問を口にする。
彼はマウスで私が作った画面を操作しながら説明を続けるが、それがどうにも理解できない私は、無意識に手を伸ばした。
「あの、こういう操作なんですけど……」
すると、私の手が彼の手に触れる。
その瞬間、彼の手はびくんと跳ね、素早く引っ込められた。
「ごめんなさいっ!」
私は反射的に謝っていた。
「ああ、いえ、どうぞ、続けてください……」
私は遠慮がちに画面を操作して見せる。
「それですか、それなら……」
そうして、彼の説明をひととおり受け、私はまたメモ帳をいっぱいにしてオフィスを後にした。
その後も、成果物を納品する、仕様変更を受ける、オフィスに伺って説明を受ける、成果物を納品する、というサイクルを何度か繰り返す。
オフィスに伺うため、街を行き来する私は、その道すがら、相変わらず何者かの視線を感じ取っていた。
(まあ、気のせいだよね。私みたいに被害妄想が強い人間は、ありもしない視線を感じたりするものと相場が決まってるんだ)
私はそんな風に考えて、そのことをさして気にも留めていなかった。
そんなことよりも、オフィスで交わす保岡さんとの何気ない会話に一抹の楽しみを感じていた私の足取りは軽かった。
「保岡さん、このフィギュア、動物好きなんですか?」
「ああ、これですか、そうなんですよ。こういうリアルな造形に目が無くって。
こういうのを眺めてると、彼らが生きて動いて、生活している姿がありありと想像できて、自分もちゃんと仕事して生きていかなきゃって思えるんですよ」
「わかります! 私も野生動物の生活史とか、すごく興味がありますから」
「そうですか、こんなおじさんと趣味が合うなんて、日向さんは女子大生っぽくないですよね」
「あはは、なんか恥ずかしいですねぇ」
そんなやり取りを交わすことで、私たちの息は次第に合うようになり、幾多の仕様変更をものともせずに乗り越えてゆく。
そして、クリエITさんでの仕事はリリースに立ち会うことで終わりを告げる。
「申し訳ありません。わざわざ来ていただいて……上司が立ち会ってもらえってうるさくて」
「いえいえ、私もリリースまで見届けないと安心して眠れないので、逆によかったです」
「そう言ってもらえると助かります……さて、参りますか」
「はい!」
多少の作業ミスはあったものの、リリースは問題なく完了した。
時間は18時、私は保岡さんと共にオフィスを後にする。
「では、私はこっちですので」
私がそう告げると、保岡さんは少し間をおいて、震えた声を絞り出す。
「あ、あの……この度は本当にありがとうございました。
お礼と言ってはなんですが、このあとお食事でもいかがですか? 私が出させていただきますので……」
思ってもみない言葉に私は硬直するが、たどたどしく言葉を紡ぎ出す。
「ああ、いえ、報酬の方は頂いておりますので……こちらこそ、私の不手際でいろいろ煩わせてしまって申し訳ありませんでした」
しかし、彼は食い下がる。
「いえ、これは……私が個人的に、日向さんへの感謝をお伝えしたくて……ご迷惑でなければっ!」
10以上歳の離れた男性に頭を下げられては、その好意を無下にすることはできない。
私はそう考えて、彼のお言葉に甘えることにした。
「いらっしゃいませ。2名様ですね。こちらのお席へどうぞ」
なんのことはない、一般的でリーズナブルなファミリーレストランだった。
窓際の席に対面で座る私たち。
彼は腕から使い込まれた腕時計を外し、テーブルに置く。
それはコトリという音と共に照明を反射して、一瞬の輝きを見せた。
(そういえば、こんな光、どっかで見たことが……)
「ご注文はお決まりでしょうか?」
店員の来訪に慌てながらメニューを選ぶ。
一般的でリーズナブルとは言え、私にとってはどれも心躍るご馳走の数々。
私はその中から普通のハンバーグを指定するが、保岡さんはその注文をランクの高いものへと変更する。
そして、保岡さんも同じものを注文した。
料理が運ばれてくると、私は口いっぱいに広がる肉汁の味に舌鼓を打ち、笑顔でそれを平らげる。
それは彼にとっても満足の行く逸品であったようで、私と同じように顔をほころばせていた。
「ごちそうさまでした!」
保岡さんは食後のコーヒー、私はアイスクリームを口にしていると。
彼は唐突に口を開いた。
「あの、日向さん……もしよかったらでいいんですけど……私と付き合ってくださいませんか!?」
沈黙、硬直、時間が止まる。
私はその言葉に何も返すことができず、彼の目ではなく溶けてゆくアイスクリームをじっと見つめ続けていた。
「……私、いえ、僕にはなんの取り柄もありませんし、33にもなって未だに親と実家暮らしで、所謂子供部屋おじさんです。
それに出世も望めない、マネジメントができませんから。趣味だって、子供みたいで、周りから笑われます。
スポーツをしようとしても体がついて行きません。運動神経ゼロです。
オシャレだって、清潔感を醸し出すことだってできません。どうやって女性と話していいかもわかりませんでした。
それでも、そんな僕でも良ければ……付き合って欲しいんです!」
彼はその勢いに任せて手を伸ばし、固まっている私の手を握ろうとする。
しかし、その時――
「いてててててて!」
その手は一瞬のうちにひねり上げられていた。テーブルに顔をうずめる彼の横に立っていたのは――
「海果音に触らないでっ!」
深織だった。彼女はいつのまにか私たちが座る席の横に立ち、彼の腕を折らんばかりに力を込めている。
「保岡さんっ! ……深織、どうしてここに……」
「深織ちゃん、落ち着きなよ」
その声は更に後ろから現れた彼女のものであった。
「悠季、あなたもいたのね。この人は今、海果音の手に触ろうとしたんだよ」
「……とにかく、手を離すんだ。……海果音ちゃん、久しぶりだね」
その笑顔には確かに見覚えがあった。深織以上の長身に成長し、髪を伸ばした美しい女性、それは悠季くんその人であった。
「ひ、久しぶり。元気そうだね」
私はその異常な状況において、至って普通の言葉を返す。気が動転していたのだ。
冷静になったと思しき深織は保岡さんから手を離した。
「さ、深織ちゃん、行こうか」
「え、でも、海果音が……」
「いいから……」
悠季くんの琥珀色の瞳は冷たい視線を深織に向ける。
それに気圧されてか、深織は私をチラチラと気にかけながら、悠季くんと共にその場を後にした。
そして、再びの沈黙。しかし、今度は私から口を開く。
「あの、今のは友達で……失礼しました。ごめんなさい……
それで、えっと……付き合う? でしたっけ……」
彼はごくりと唾を飲み込む。
「ごめんなさい……私、そういうの考えたこともなくて……
それに……保岡さん、あなたは自分をそんなに卑下して、そんなに自身の無い人に『はい』って返事する人がいると思いますか?」
「そうですね……申し訳ありません。私がどうかしてました」
俯いてそう語る彼は続ける。
「いや、なんというか気の迷いというか……私はこんな人間でそれでもいいならって、許してくれるならって、そう考えてしまったんです」
「なるほど、自分はこんな人間で、期待に沿えないかもしれない。でもそれを了承した上で付き合ってもらえるなら……ということですか」
「……そうです」
「つまり、基本的に断られることを前提としている。そうやって、逃げ道を確保したんですね」
「はい……」
「気持ちは分かります。私もそういう考えに至ることがあります。今回のお仕事だって、途中で辞退しようとしましたし、自分には無理だって。
でも、なぜそう思ってまで、私に告白したんでしょうか? 結婚したいとか彼女が欲しいとか、そういうのがあったんですか?」
「いえ、今まで結婚しようとか彼女を作ろうなんて思ったことはなかったんです。
自分には女性とお付き合いすることは無理だって、そう考えていたんです」
「そうですか……私も男性とお付き合いするなんて、そんなことできるとも、したいとも思いません。
ではなぜ、告白という行為に至ったのでしょうか?」
「それは……私も異性とお付き合いしたいなんて思ってません。ですが、親や周りから言われるんですよ。
『彼女はいないのか』、『結婚はまだなのか』、『女が居ない奴はダメだ』って」
「そうですか……そういった世間体に強迫観念を植え付けられて、それでですか……ちなみに、女性は好きじゃないんですか?」
「いえ、人並みに好きです。私だってアイドルに熱を上げることはありますし、女の子のフィギュアも持っています。
でもそれは、アイドルとファンだからこそ成立していて、手が届かない、手を出さないことを前提にした関係ですので、それはわきまえています。
アイドルの方はオンリーワンだけど、私たちは彼女が好きなその他大勢のひとりですから。
だから、アイドルが誰かと結婚するという時も、そのアイドルや誰かを責めるのではなく、『ああ、ひとりの人間に戻ったんだな』と、心からおめでとうと言えるんです。
それに、一般の女性であっても、私に好意を向けてくれるような人は相当なレアものだって、わかっています」
「……そうですか、わかりました。それを理解した上で、ある意味達観的になって尚、私に告白した。
それは、世間一般の、人は恋愛して結婚することが当然と言う常識、いや、偏見に後ろめたさを感じたからですね」
「そうですね、常識は裏を返せばひとつの偏見だと、私も思います。
だけど、その偏見が民主的多数決によって常識となる。それも当然のことと承知しています」
「しかし、本当に恋愛して結婚するのが常識なのでしょうか?」
「どうですかね。昨今の少子化を鑑みるに、私のような人間も少なからずいると言うことが伺い知れます。
よく考えてみると、一夫一妻制度というシステムに無理が生じているのではないでしょうか?」
「システムに無理が……それはどういうことでしょうか」
「そもそも、一夫一妻という制度が確立された頃には、お見合いという風習が存在したからそれが成り立っていたのではないかと言うことですね。
つまり、現在の自由恋愛を経て結婚するべきという風潮は、一夫一妻を維持しようにもできないということかと」
「なるほど、お見合いをして結婚することで家柄を守る。そういった固定観念が一夫一妻を支え、ひいては人口の増加につながっていたと、そういう訳ですね」
「そうです。だから、自由に恋愛していいよってなると、恋愛に不器用な人間は結婚に至ることができない。
それが私なのです。それは白い目で見られて当然なのかもしれません」
「その、白い目で見る人たちは、自分のプライドを守るために、恋愛できない、結婚できない他人を貶す。
そうやってマウントを取ることで自尊心を保っている。それだけのことにあなたは巻き込まれて、周りからそう言われているのではありませんか?」
「……確かに、考えて見ればそうですね。
恋愛結婚強者にとってみれば、私のように恋愛に興味がない人間は、同じ立場で勝負していない、しみったれた人間だと思って、それで貶していいと思っているのでしょう。
そうしないと、自分たちの自尊心を保てませんからね」
「私もそれに賛同します……ですが、それは私たちだから理解できる価値観でもあります。
他人にとっては全く違う世界が見えているものなのです。人によって正解は千差万別ですからね。
って考えると、私たちって相当気が合うと思うんですけど……でも」
「はい、恋愛しようとは思わないっていう部分で気が合ってるので、恋愛するのはおかしなことになりますね。
日向さん、ありがとうございます。目が覚めました」
「ふふふ、でも、保岡さん、ごめんなさい。
私はこうやって何か問題にぶち当たった時に、その理屈を紐解いて納得しないと前に進めないもので……」
「だから、あの仕様書では仕事が進められなかったんですね。私もそうです。
実はあれ、私が書いたものではなくて、上司が書いたものなんですよ。
それで、わからないって言われたから書き直して欲しいとお願いしたら、『実際に会って話さないからわからないんだ』って怒られて、それでオフィスにお呼びすることになったんです。申し訳ありません」
「いえ、私も今回のことはいい経験になりました」
「……でも、私は初めて会った時から、日向さんのことが気になっていたんですよ。それは確かです。
それで、こんなこと言うのは失礼ですけど、女子大生だって聞いて……それならって」
「……そうですか、こんな19の小娘に告白したのは、御しやすいと感じたからなんですね?」
「そうハッキリ言われますと……まあ、そうです。自分に甘かったんです。
相手が若くて未熟だからって、自分と釣り合いが取れるなんて勘違いして、日向さんは将来有望で、私は出世も期待できないんだから、釣り合う訳がありませんよね」
「保岡さん、そうやって自分で卑下するから、どんどんその価値が下がっていくんですよ。
根拠の無い自信だって、それがあるだけで人はその価値を高く見積もってしまうんです」
「そんな嘘、つけませんよ……」
「あはは、私もそんな嘘はつきたくありません」
そうして、私はすっかり溶けてしまったアイスクリームをできるだけスプーンですくって口に運び、保岡さんは冷めきったコーヒーを飲み干した。
保岡さんは会計を全て持ち、店を出ると再び私に深いお辞儀とともに礼を言う。
私たちは意気投合し、意気投合したからこそ、その場を最後にして、再び会うことはなくなった。
「あれ、なんか忘れているような……」
一方その頃、深織と悠季くんのふたりは、廃ビルの谷間にある人気のない公園に居た。
「はい、では深織ちゃんのだいはんせいかーい! はじめるよー!」
「悠季、キャラが違うよ」
「うるさいっ! 大反省会なんだからもっと慎ましく!」
「はい……」
「深織ちゃん、キミは最近、外出する海果音ちゃんのことをずっとつけていましたね?」
「はい……」
「まあ、ボクもキミをつけていたようなものだから、人のことは言えないけど……どうして?」
「だって、悠季が海果音は虚人に脅かされるって言ったから! それで心配になって」
「なるほど、でも、あの男性は違うと思うよ」
「そ、そうだね……」
「深織ちゃんはあの男性が海果音ちゃんとうまくやってるのが気に入らなかったのかな?」
「いや、そうじゃなくて、海果音がバイトで頑張ってるのを応援しようって陰ながら……」
「でも、きっと海果音ちゃんは誰かにつけられてるって気付いてたと思うよ。陰ながらって言いながら、相手にバレるようじゃあ……」
「そんなバカな……海果音は、あの海果音だよ?」
「いや、その小指、たまに光を反射してるじゃん。それに海果音ちゃんは気付いていたんじゃないかな? それ、なんなの?」
「あ、これ? これは海果音の髪の毛、ずっと一緒に居られるように、小指で繋がっていられるように巻いてたんだ」
うっとりとした顔で小指を立て、私の金髪を見せびらかす深織。悠季くんはそれに思いがけない行動に出る。
「うあっつ!」
驚きの声を上げる深織。悠季くんの手には火のついたライターが握られていた。
「ああっ! 海果音の髪が燃えちゃったじゃない!」
「ふう……」
悠季くんはそのライターでタバコに火をつけて一服、立ち上る煙を見上げる。
「悠季、タバコなんて吸ってるんだ……医者志望なのに」
「あはは、4月20日でボクも20歳になってね。
まあ、ものは試しにと吸ってみたんだよ。これで悩んでる患者さんは多いからね。その気持ちを知りたかったんだ」
悠季くんはタバコをくゆらせながら続ける。
「で、キミは海果音ちゃんから直接その髪の毛を貰ったのかな?」
「……お風呂に浮いてた」
「そう、まだあるでしょ、続けて」
ニッコリと微笑む悠季くん。
「はい……あっちも金色なのかなって……そう思って」
「ふーん、それで?」
「……集めてます」
「そう、他には?」
「……残り湯を飲んだり……」
「そういえば深織ちゃん、高校時代に海果音ちゃんの弁当に自分の血を入れてたよね?」
「……はい」
「あと、海果音ちゃんが捕まった時に胸がはだけた写真も持ってるでしょ?」
「……はい」
「もう、そういうのはやめようね?」
「……はい」
「……しかし、あの男性の行動、多分あの人だって、冷静に考えれば告白なんてしない人間だった。
だけど、それをしてしまった。それは何故だと思う?」
「感情に……突き動かされて」
「そう、彼は自分でも制御できない感情に動かされてそれをしてしまった。
だから、深織ちゃんも十分に注意するんだ。自分の感情に負けないようにね」
「……わかった」
「じゃあ、ご飯でも食べようか。今日はボクが奢るよ」
「……ありがとう」
そうしてその夜は静かに更けていった。
次の日私は、珠彩ちゃんに事のあらましを報告する。
「……ということで、何度もオフィスにお邪魔して、仕事を進めて行ったんだよ」
「あんたも律儀ねえ……そんなお客さんの要望で振り回されて、ご苦労さまだったわね」
「いいんだよ。私も勉強になったから」
「ふーん、どういうことが?」
「……あー、えーっと、納期だけ意識してそれに合わせて仕事を進めようとすると、仕様が具体的になってないところで躓いて、結局最初に予定していた納期から大幅に遅延してしまうってこと」
「あはははは、そりゃ上出来ね! 良かったじゃない」
「それと……」
「ん?」
「人と一緒に仕事すると……心を動かされてしまうってこと……」
「なにそれ? どうしたって言うの?」
「いや、私さ、ちょっと隙があったみたいで、良くなかったなって」
「言ってる意味がわからないんだけど」
画面に映る珠彩ちゃんの顔には疑問符が浮かんでいた。
「……まあ、とにかく、月葉Bizではネット上で全てやり取りするように推奨してるから、直接会うようなことがないようにシステムを改良しないといけないわね」
「うん」
「じゃあ、またちょくちょく使ってみてよ。あんたの報告、すごくためになったわ。
……と、そろそろ切るわね」
「え、どうしたの?」
「あんたの後ろの人が、私をね、睨みつけてるからよ」
「……え? あっ、深織!」
彼女はまた、音もなく腰に手を当てて、私の後ろに立っていたのだった。
「珠彩……直接会うことがないように、ちゃんと頼むよ」
「わ、わかってるわよ! なんであんたがそんなことで怒ってるのよ!」
「……」
「深織、怒ってるの?」
私は振り向き、深織を見上げる。
「知らないっ!」
深織はそう言ってプイっと後ろを向き、つかつかとキッチンへと向かった。
私は珠彩ちゃんと笑顔で挨拶を交わしチャットの接続を切る。
その時私は、たまには珠彩ちゃんとも、画面越しだけではなく、直接会いたいと思っていたのだった。




