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第25話 転がる価値と廻る世界

「あ、おかえりー」


「ただいま……って、またゲームしてるの? 早く寝なさいよ」


「えー、深織だって毎日こんな時間まで活動してるじゃん」


「娯楽であるゲームと、社会のための慈善活動を一緒にしないで欲しいな」


「……あはは、ごめんなさい」


「冗談だよ。まあ、娯楽が悪いってわけじゃないけど、とにかく、健康が第一なんだからね。ちゃんとご飯食べたの?」


「……ごめんなさい」


「もう、今作るからちょっと待ってなさい」


 彼女の名は星野(ほしの)深織(みおり)。彼女はその頃、私、日向(ひなた)海果音(みかね)と同棲していた。

 私たちは同じ大学に進学し、学部は違えど、学校からほど近いそのマンションで場所と時間を共有していたのだ。

 深織が作ったのはご飯、みそ汁、蒸した野菜と豚バラ肉のサラダで、それらの暖かい料理は味付けこそ控えめであったが、私の舌と胃袋を十分に満足させるだけの出来だった。


「ごちそうさまでした」


「お粗末様でした。でもさ、寝食を忘れるほどゲームにのめり込んでるの? いくら時間があるからって、そんなんじゃまともな大人になれないよ」


「いやあ、面目ない……食事は忘れてるんじゃなくて、食費を節約してるんだけどね……」


「どういうこと? 欲しい物でもあるの? それくらい、私が買ってあげるよ」


 彼女は私に対し、金銭的な援助を惜しまなかった。

 その関係性はなんというか……まあ、私が何か対価を支払っているかと言えばそんなことはなく、深織が何故私にそこまでしてくれるのか、不可解なほどであった。


「えっとぉ……ちょっと、これ見てくれる?」


 私は深織にPCの画面を見るように促した。

 ブラウザを開いた私は、ブックマークしたページを開く。

 すると、深織は目を丸くしてその数字を読み上げた。


「『不思議の迷宮 外伝 アルハの大冒険』、35,000円!? これって、これもゲームだよね?」


「うん、そうなんだけど、もう販売終了してて、中古品しかないけど流通量も少ないからこの値段なんだ」


「元はいくらだったの?」


「……3,500円」


「えっ、ちょっと言ってる意味がわからないんだけど、3,500円のゲームに中古で10倍の価値がついてるってこと?」


「いや、3,500円はベストプライス版だから、最初はもうちょっとしたんだけど……買ってくれるの?」


「……あのね、海果音、こんな非常識な価格のものは買えないよ。

 ゲームっていうのは、パッケージそのものに価値がある訳じゃないでしょ? 内容に価値があるんだよね?

 ならこんな価格になるのはおかしいって思わないのかな?」


「それには深い訳があってね、このゲーム、最初はコンシューマーで発売されて、そのあとこのPC版が発売されたんだよ。

 私はコンシューマー版を持ってたんだけど、PC版は買ってなかったんだ。

 元々プレイヤーを選ぶというか、通好みのゲームだったからそれほど売れたわけじゃなくてね。

 でも、後にネット界隈で実況プレイ動画が密かに流行り初めて、それに触発されて買い求める人が急増したんだけど、その時にはもう販売終了してたんだよ。

 内容はコンシューマー版にステージが追加されたものなんだけど、その追加ステージが奥深くてね」


「ふむ、じゃあそんなに売れるんだったらダウンロード販売でもすればいいんじゃないの?」


「それがね、権利関係が複雑で出せないんだってさ。なんとか大戦αシリーズにおけるロボより人間の方が強いあの作品みたいなもんなんだよ」


「……そう、とりあえず分かったよ。いや、なんとか大戦の例えはよくわからなかったけど。

 でもさ、やっぱりゲームにそんな大金は出せないよ。海果音のお小遣いだって、そんなことに使っちゃダメだよ」


「買っちゃダメなの?」


「ダメです。お金はもっと有意義なことに使わないと。ゲームなんて娯楽に過ぎないんだからね」


「うう……そう言われると返す言葉もない」


 その日、私は深織の説得を諦めて大人しく就寝した。

 しかし翌日、それでも諦めきれずに自分でお金を稼ぐことを思い立つ。

 そうして私は、求人サイトの検索結果を眺めていた。


「自分で稼いだお金を使えば深織だって何も言わないよね……接客業は……無理だなあ……ガムを噛むバイト? なんだそりゃ……」


 ブツブツと独り言を呟く私だったが、その目に見覚えのある文字が映る。


「月葉? ってこれ、珠彩ちゃん家の会社じゃん……」


 私は買ったばかりのスマートフォンを手に取り、連絡先の友達のグループからその番号を選択した。

 呼び出し音が鳴り始めてすぐに、その人物は応答する。


「もしもし、海果音? どうしたの?」


 彼女の名前は葉月(はづき)珠彩(しゅいろ)。彼女は高校を卒業したあと進学せずに、そのまま父が経営する会社、株式会社月葉に入社し、働き始めていた。


「あっ、珠彩ちゃん、バイト求人サイト見てたらね、珠彩ちゃん家の会社が求人出してたからさ」


「ああ、あれね。実はあれ、私が提案したものなのよ。

 新サービスの試用版のモニターが欲しくてね」


「ああ、そうなんだ。なんかスクリプトを書く仕事って書いてあったから、なんかソフトを作るんだと思ってね。

 高校の頃、珠彩ちゃんとプログラミングしたりしたからいけるかなって思ったんだけど」


「そう、スクリプトを書く仕事よ。ただし、決まった仕事があるわけじゃないから……電話じゃちょっと面倒くさいわね。

 時間も空いてることだし、久々に会いたくなったからそっちに行くわ」


「うん、待ってるよ。ありがとう」


 日も暮れかけた頃、珠彩ちゃんは私と深織が住むマンションの一室にやってきた。

 呼び鈴に心を弾ませた私は笑顔でそれを迎え入れる。


「いらっしゃい、お茶用意するね」


「ああ、そんなに構わないでいいわよ。しかし、ここも久々ね。あいつは居ないの?」


「深織ならまた慈善活動に精を出してるよ。はい、粗茶ですが」


 私は粉末のマサラチャイをお湯で溶いたものを珠彩ちゃんに出した。

 彼女は鼻をくすぐるスパイスの香りを堪能しながらそれを受け取る。


「ありがとう。ふーん、そうなの。あいつもよくやるわね。

 まあ、家業を継ごうっていうのは私と同じだから人のこと言えないけどね」


「あはは、でも深織にはあれが合ってると思うんだ。

 最近は、『人から不幸の種を取り除くのが私の役目』だって言って躍起になってるんだよ」


「それと声優の養成所にも通ってるんでしょ? ホント、何があいつをそこまで駆り立てるのかしらね」


「深織は真面目だからね。自分がどんな形で世の中の役に立てるかってことを真剣に考えてるんだよ」


「で、海果音、あんたはプログラマにでもなりたいの?」


「えーっと、そういう訳じゃないんだけどね」


「そう。まあでも、経験しておくのはいいかもね」


 彼女はチャイを一口飲んで続ける。


「それでね、本題に入るんだけど、バイトの話。ちょっとPC借りていい?」


「いいよ、はい」


 私はPCのパスワードを入力し、画面を開いて珠彩ちゃんに席を譲った。

 彼女はブラウザを開くとアドレスバーにURLを入力してページを開く。そのページのタイトルは「月葉Biz」。げつようびず?


「ここなんだけどね、さっき言った通りまだ試験運用中だけど、このサービスにエージェントとして登録すると、スクリプトとかプログラムを記述する仕事ができるのよ」


「どういうこと?」


「不特定多数のクライアントがこのサービスに仕事を登録してね、それがエージェントの仕事検索画面に表示されるの。

 エージェントは一覧から自分にできそうな仕事を選んで、それを受注する。

 それで、クライアントがアップロードした仕様書を読んで、プログラムを製造するってわけ。

 仕事には納期が設定されているから、それに間に合うようにね」


「おおう、なんかプレッシャー感じるね」


「そんなに気負う必要はないわよ。クライアントだって、不特定多数のどこの馬の骨ともしれない人たちがエージェントだってわかってるから、余裕を持ったスケジュールになっていると思うわ」


「馬の骨……まあ、それなら安心だね。それで、私はここに登録して仕事を受注してクライアントさんから報酬を受け取る。それがバイトの内容?」


「勿論クライアントからの報酬は受けられるけど、このサービスは試験運用だから、使ってくれた時間に応じてウチからも報酬を出すわ。

 それに、クライアントもモニターだから、そっちにも報酬を払ってるのよ」


「へぇ~、珠彩ちゃんの会社ってすごいんだね。お茶屋さんじゃなかったっけ?」


「私が高校に通い始めた頃からネット通販も始めて、それが大きくなってね。ネット事業には結構投資してるのよ。

 それでね、このサービスは私がアイデアを出して自分でユーザー登録と検索システムを作ったんだけど、将来的にはプログラミングだけじゃなくて、あらゆる仕事をここで受発注できるようにしたいの」


「壮大だね。なんでそんなことを?」


「パパがろくに仕事しなくなっちゃってね、それで私が社内で効率的に仕事を回す方法を考えてたんだけど、いっそのこと社会全体を巻き込めるようなものができないかなって思ったの」


「え、じゃあ珠彩ちゃんって月葉で結構偉い立場なの?」


「いえ、ただの平社員よ。だけどまあ、今は他の社員さんたちのお陰で自由に動けるようにしてもらってるわ。これでも一応社長令嬢だからね」


「そうなんだ。自由に動いていい社員なんて、なんかカッコいいね」


「ふふん、そうでもないけどね。さて、それじゃ登録してもらう前にもうひとつ、注意事項があるんだけど」


「ん、何?」


「このシステムはね、クライアントとエージェントで相互評価できるように作ってるの。

 だから、もしかしたら海果音が悪い評価を受けることもあるかもしれない。

 だけど、それはあくまで仕事上のことだから、気にせず割り切ってしまっていいわ。

 それに、海果音にもクライアントを評価して欲しいの。

 いつかのクロネットみたいに、デフォルトの評価は星3つだから、気持ちが動いたら星の数を変えてくれればいいわ。

 これらのことを了承してくれるなら、ここに登録してちょうだい」


「うん、わかった。自分がどこまでできるか不安だけど、とりあえずやってみるよ」


 私はそう言いながら、月葉Bizのユーザー登録を進めて行く。


「ありがとう。もし気に入らなかったら、いつでもやめていいからね」


 そうして私が登録を終える頃、玄関から扉が開く音が響いた。


「ただいまー」


「あ、深織、おかえりー」


「おかえり、久しぶりね、邪魔してるわよ」


「……珠彩、久しぶりだねー、仕事の方は順調なの?」


「ええ、まあまあね。今日ここに来たのもその仕事の一環なのよ」


「どういうこと? ……海果音に何かさせようっていうの?」


 深織は珠彩ちゃんに警戒の視線を送る。

 少し空気が重くなるのを感じた私は、すかさずフォローに回った。


「ああ、実は私、バイトしようと思っててね。

 それで、珠彩ちゃんの会社が求人出してたから、連絡したら来てくれたんだよ」


「ふーん……なんでお金が必要なの?」


「あっ、それは……」


 彼女は私の気まずそうな表情から状況を素早く把握する。


「ゲームね」


「はい……」


「ちょっと待ってよ、どういうこと?」


 私は珠彩ちゃんに事のあらましを説明した。


「なるほど、そういうことね。別にいいんじゃない? 自分で稼いだお金を何に使おうが他人に咎められるようなことではないと思うわ」


「まあ、そう言われればそうだけど、私はあんまり感心しないな」


「……だよね、やっぱやめとこうかな」


「海果音がそう言うなら私はそれでも構わないけど……」


 表情を曇らせる私と珠彩ちゃん。すると深織はそれを見かねたように溜息をつく。


「はぁ……まあ、稼ぐだけ稼いで、お金が溜まった時、それでも欲しかったら買えばいいんじゃないかな」


「許してくれるの? ありがとう!」


「ありがとう! 深織!」


「なんで珠彩も喜んでるの? まさか海果音を危ない仕事に巻き込もうって訳じゃないでしょうね?」


「そ、そんなことないわよ! 実はね……」


 珠彩ちゃんは深織に月葉Bizのことを事細かに説明した。


「……そういうことなら問題なさそうだね。わかったよ。だけど、学業に支障を来さないようにね」


「うん、わかった」


 それから私は、在宅時は暇さえあれば仕事を検索して、それを片付ける毎日を送り始めた。

 エージェントとして活躍するユーザーは私の他にも沢山居たが、その中でも平均星3.6個と、私としては上々な評価を得ることができていた。

 一方その頃、声優の養成所に通う深織には、朗報が舞い込んでいた。


「え、あのオーディション、通ったんですか?」


「ええ、希望していた役じゃなくて、端役みたいなものだけどね」


 深織は「おたくてぃくす!」という手に取るのも躊躇われるタイトルがついたPC用のシミュレーションゲームの役に合格したのだった。

 それは、大きいお友達向けの女の子がユニットとして大量に登場するゲームで、その512人のキャラクターのうちのひとりに深織は抜擢されたのだ。

 例え端役と言えども、フルボイスを謳うそのゲームの収録は長時間に渡り、それが初出演の深織にとってはとても思い入れの深い経験となった。


「だたぁいまっ♪」


「おかえりー、今日はやけに機嫌がいいね。ゲームの収録だったんでしょ?」


「あはは、いやぁ、長かったよぉ。台本も分厚くて、持ってるだけで体力持って行かれちゃうくらいだもん」


 そう語る深織の顔はとても晴れやかで、働くということがもたらす充実感を体現しているかのようだった。

 私もそんな彼女に触発されて、月葉Bizの依頼に費やす時間を増やしていった。

 そして、私が月葉Bizに登録してから1ヶ月後、私は依頼の報酬と月葉Bizのモニター報酬の明細を見つめながら考えていた。


(さて、アルハの大冒険を買えるだけの収入は得ることができた……だけど、冷静になって考えて見ると、やっぱり躊躇しちゃうなあ)


 とりあえず私は通販サイトの「アルハの大冒険」のページを開いてみる。


(え!? 値上がりしてるっ! 40,000円? いや、まだ買える値段だけど……)


 私は腕を組み、無言のままその数字をじっと見つめていた。


(待てよ、今40,000円ってことは、これからまた値上がりするんじゃないだろうか。

 それに、今も価値が上がり続けてるってことは、このゲームにはそれだけの価値があるってことだよね?)


 私は意を決してそれを購入する手続きに進む。


「結局買うんだね」


 いつの間にか後ろには深織が立っていて、私のことをじっと見守っていたようだ。


「……うん、そのために頑張ってきたんだからね。これが欲しいと思ったあの時の私を裏切る訳にはいかないよ」


「ははは、何それ。まあ、海果音が1ヶ月考えてそうしたんだったら、私から何も言うことはないよ」


「もうー、なにその含みのある言い方~」


「いやいや、そんなつもりじゃないけど……でもね、この間そのゲームの出品者の情報を追いかけてみたんだけど、あんまり近付かない方がいい人たちかも知れないよ」


「どういうこと?」


「どうやらその出品者、ゲーム以外にも転売をしてるみたいで、対策が甘かった頃はライブチケットも捌いてたみたい」


「そうなんだ……そういう仕事の人なんだね」


「うん。流行った食料品とか、そういうものはすぐに買い占めて転売に回してたみたい。

 その上、生活必需品の類まで扱っていた。だからね、海果音が取引した相手っていうのはそういう人たちだって……ごめん、買う前に言えばよかったね」


「ううん、いいんだよ。売る人の素性で商品の価値が変わるわけじゃないしさ。ちょっと気分はよくないけどね。これからは気を付けるよ」


「まあ、そういう人たちも居るってくらいの認識はしておいてもいいかもね」


「わかった」


 その時、深織のスマートフォンが震え出した。


「あ、悠季からだ……はい、もしもし」


 電話の相手は大地(だいち)悠季(ゆうき)。彼女は高校を卒業した後、医大へと進学して医者になるための勉学に励んでいた。


「うん、わかった。じゃあ明日」


 深織はそう言って通話を終了する。


「悠季くん? なんだって?」


「明日ふたりで会いたいって。話したいことがあるってさ」


「へぇ~、深織にね。じゃあ私からもよろしく言っといて」


「うん」


 翌日、深織は悠季くんと会う前の空いた時間に、ゲーム売り場の行列に並んでいた。

 その日は「おたくてぃくす!」の発売日。その店舗では、初回特典として深織が担当したキャラクターが描かれたグッズ、マウスパッドを配布していた。

 とはいえ、沢山いるキャラのうちのひとり。そのマウスパッドにも他のキャラクターたちがひしめき合う端っこにちょこんと描かれているのみで、十把一絡げな扱いを受けていた。

 そのゲーム、タイトルからは想像できないほどに発売前の期待が高く、その店舗では20人ほどの列を作り出す。

 深織は最後尾から2人目の位置で、自分の順番が来るのを待っていた。

 しかし、あとひとりで深織の番というところで思いがけない事態が起こったのだ。


「残ってる『おたくてぃくす!』全部ちょーだい」


 そう店員に告げる女性。彼女のさも当然といった態度に、店員は冷や汗をかきながら説明する。


「お客様、当店ではこのソフト、おひとりさま3本までの販売とさせていただいております。

 ですので、3本まででしたら可能ですが……」


「はぁ? 客が買うって言ってるんだよ? 店員は黙って売ればいーんだよ」


「お客様、あまりそう言ったことを仰られるようでしたら、警備員を呼ばせていただくことになりますが……」


 店員は意外にもそういった場合の対応に慣れているようで、口調とは裏腹に、一歩も譲らないことを匂わせる。


「チッ……わーったよ。じゃあ3本でいいからちょーだい」


「承知致しました、ご理解感謝致します」


 そうして深織の前の客は3本のソフトを購入し、3つの店舗特典を持って、苛立ちを滲ませた足音でその場を後にした。

 深織も何故か気まずい思いをしながらソフトを購入し、店舗特典を受け取った。

 そして、彼女がレジに背を向け歩き出した時、店員の思いがけない言葉が響く。


「申し訳ありません。特典の方が切れてしまったのですが、よろしいでしょうか?」


 深織が振り返ると、最後尾にいた男性は、消沈しながらもそれを承知し、ソフトを購入した。

 その一部始終を目で追っていた深織は、いたたまれない感情に襲われて男性に声をかける。


「あの……このグッズ、差し上げます」


 男性は顔を上げ、目の前に天使が舞い降りたかのような表情で深織を見つめる。


「い、いいんですか?」


「ええ、私は別のところで手に入れますので」


「でも、初回特典はこの店舗独自のもので……他では手に入りませんよ?」


 そう、彼の言う通り、深織の購入目的は店舗特典だった。ソフト自体は出演者全員にメーカーから貰えることになっており、購入する必要がない。

 彼の発言に、彼女の「自分が演じたキャラクターが描かれているグッズを記念として取っておきたい」という欲望が刺激される。


「……いえ、私は大丈夫です。実は関係者で……」


 深織は嘘をついた。自分の欲望より、作品のファンの想いを優先することが関係者としての務めであると、そう考えてのことだった。


「そうですか……では、ありがたくいただくことにします」


 男性はそう言って深織に深くお辞儀をしてから店舗特典を受け取り、重ね重ね深織に礼をしながら去って行った。

 深織にとってはグッズを逃した惜しさより、彼に感謝されたことの喜びの方が大きく、心持軽く店を出る。

 彼女は悠季くんのもとに急いでいたため、人通りのない裏道を急ぎ足で歩いていた。その時、彼女の耳に道端で電話をする女性の声が届く。


「うん、3つだけ手に入った。いや、店員が警備員呼ぶとか言い出してさ……そう、だから3つ出品しといて」


 そう、それはさきほど3本同時にソフトを購入した彼女であった。

 深織はそれらが転売を目的にしたものと悟ると、彼女に声をかける。


「あの」


「ん? 誰あんた? なんか用?」


「あなた、先程、『おたくてぃくす!』を3本購入されていた方ですよね? そんなに買う必要があるんですか?」


「はぁ? 私が買った物をどうしようが私の勝手でしょ。あんたには関係ないっつーの」


「しかし、店舗特典には数に限りがあります。3つも独り占めしたら、他に欲しがってる人がいるかもしれないのに……」


「ふーん、じゃあ、欲しがっている人の手に渡ればいいんだよね?」


「そうです」


「今、出品したからさー、買いなよ。ほら、オークションサイトって知ってる?」


「わ、私が欲しいというわけでは……」


「ふーん、そうなんだ。じゃあなんで口出すの? やっぱり関係ないじゃん。

 だいたいさー、欲しがってる人って言うのはさ、それを手に入れるためなら金に糸目をつけない人のことでしょ?

 お金を出してでも欲しい。その想いは優先されるべきじゃないかな? 単純に行列に並んだくらいで、たかだか10分くらいのもんでしょ?

 そんな大したことない苦労で手に入れるのなんて、お金出してくれる人に失礼でしょ」


「お金で解決しようなんて、そんな……」


「違うよ。汗水たらして働いて得た綺麗なお金でしょ? それを使って購入するっていうんだから、何も文句言われる筋合いないっしょ」


「しかし、それであなたの買い占めが正当化されるわけではありません」


「うっさいなぁ、必要とされてるからあたしたちみたいな商売が成り立ってるんだよ。

 間違ってるなら誰も買わなければいいだけだよ。そしたらわざわざあたしたちが売ることもなくなるんだ」


「そんな、転売なんかに手を染めて、心は痛まないのですか?」


「転売は否定されるようなことじゃないよ。その辺に並んでるお店だって、問屋から安く仕入れて高く売ってるんだ、おんなじことでしょ?

 いい? 価値っていうのは需要と比例して上がるものなの。商売ってのはその原理に則ってるだけで、それを否定したらお金を稼ぐ意味なんてなくなっちゃうよ」


「物には決められた価格というものがあって……」


「その決められた価格とやらが間違っているんだよ。……あたしが昔買ったゲームなんてね、3,500円だったものが2,000円で投げ売りされてたんだ。

 いいゲームだったのに、買う人が、価値がわかる人が少なかったんだ。それで大して売れずに販売終了になった。

 だけど、最近になって他人のプレイを見てから欲しがる奴がいる。今更遅いんだよ。そんな、モノの価値がわからないような奴が入手したいんだったら、定価の何倍だろうが払うべきなんだ……」


「そんなことが……」


「なんだよ、そんな目で見んなよ。あたしだってできればこんな商売したかないよ。

 だけどさ、モノの価値がわかってない奴が多すぎるんだ。ゲームだって人を救うこともあるのに、娯楽だからって軽視されて……

 そんなの黙ってられないでしょ。大金を出しても買う奴がいるほど価値あるものだって、そうやって見せつけてやらなきゃわからないんだよ」


「わかりました……ですが、最後にひとつだけ聴かせてください」


「なーに?」


「あなたは、品薄になった生活必需品を転売したりはしていないのですか?」


「してるよ。それがどうしたの?」


「そうやって価値を高騰させて、必要な人の手に届かなくするのは、正しいことなのですか?」


「……必要な人?」


「そうです。あなたはさっき、『ゲームだって人を救うことがある』と仰いました。

 それは、私も間違っていないと思います。なぜなら、現実の理不尽に耐えかねている人への癒し、心の支え、明日への活力となるものだからです。

 ですが、人を救うことを理由にゲームの価値を肯定するなら、守られるべき命が生活必需品の不足によって脅かされるのは間違っていないのかと、そう問いたいのです」


「う……そうか……そうだったね……あたしは元々、娯楽の価値が低く見られるのを否定したかったんだ。

 人を救うとか、そんなの綺麗事だよ。単純に……娯楽の価値を……娯楽の価値? なんであたしはそんなものを認めさせなきゃいけないんだ?

 アルハの大冒険……いや、その前から? あたしは何のために……あたしは……何者だ……?」


 彼女は深織の前で崩れ落ち、道に倒れた。

 その目は見開かれたまま光を失い、ただ虚空を見つめる。


「……深織ちゃん、その人は……」


 深織が声の方に振り向くと、そこには悠季くんが立っていた。


「悠季……み、見違えたね」


 悠季くんは深織を超える長身に成長し、髪も長く伸ばしていた。

 その姿は、彼女の姉である由乃さんを彷彿とさせ、凛々しくも美しさを感じさせる。


「高校卒業してから急に来てね……さて、そんなことより、今日会おうって言った理由は……多分その人と関係があるんだ」


「この人は……?」


「……そのままにしておこう」


「どういうこと?」


「それを説明したい。腰を落ち着けられるところがいい」


 深織と悠季くんのふたりは、廃ビルの谷間にある、忘れ去られて時が止まったかのような寂れた公園に訪れた。

 深織はベンチに腰を掛け、悠季くんは立ったまま静かに口を開く。


「ここなら大丈夫だろう」


「……悠季、何か知っているの?」


「そうだね……ボクは……キミと同種の存在だ」


 その時、深織には悠季くんの身体からぼうっと光が放たれているように見えた。

 その光景を疑うように目を擦る深織に、悠季くんは続ける。


「ボクはね、物心ついた頃から……いや、10歳の頃から人の死に立ち会うのが苦痛だった。

 お父さんの職業柄か、偶然からか、ボクは人の死に際に立ち会うことが多かった。

 ボクはそれを直視すると、めまいや吐き気がして立っていられなくなる。

 周りのみんなはボクが人の死の痛みがわかる子供だって褒めてくれたよ。

 だけど、そんな褒められるようなことではない。

 ボクはその苦痛から逃れるために必死に目を逸らし、耳を塞いだ。

 ただ、嵐が過ぎ去るのを待つようにね。

 だけど、医大に通うようになって、動物の解剖なんかをやっているとね、どうしても逃れられない。

 そしてボクは……気を失った。

 それで目が覚めた時にね、全てを思い出したんだよ。

 ボクが前の世界でキミと言葉を交わしたことも、キミにお父さんを救ってもらったことも」


「……!」


「そう、キミのその身体も、その力で奪ったものなんじゃないかな?

 ボクだってそうだった。いつか雷が鳴る夏の日に部室で話した夢の通りだ。

 前の世界でボクはキミに救われて、それでこの世界に呼ばれ、命を落とした10歳のボクの身体を手に入れたんだ。

 厳密にはボクの意識は大地悠季のものではない。キミは……元々の人格を残しているように思えるけどね」


「私は……わからない……病院で悠季が言った通り、星野深織と星野深織に集まった意思の集合体……」


「その身体は……この世界がこの世界を維持するために作り出した部品とでも言おうか……

 ともかく、ボクもキミも、空っぽの肉体に乗り移った意識という意味ではこの世界での在り方は同じだということだよ。

 それでね、人が死ぬことによる不快感の原因もわかった。

 ボクは無意識のうちに人の意識が消える様を感じ取って、それが不快感として現れていたんだ」


「でも、さっきの人は……」


「うん、さっきの人は息を引き取ったよ。だけど、ボクは何も感じなかった。

 変だよね。思い返してみれば今までも同じようなことがあったんだ。

 人が死ぬのを見ても、何も感じない……それはね、その人に元々意識がなかったからなんだ」


「意識の無い人間? それって……」


「そう、海果音ちゃんもそうなんだ。キミは今はその能力が衰えているのか、人の意識を感じることができないかもしれない。

 だけど、前の世界でははっきりとわかったはずだ。彼女は特別な存在……カミサマとでも言おうか」


「じゃあ、さっきの人も?」


「似ているけど少し違う。海果音ちゃんが死んだ時……キミが殺した時だね。

 その時、この世界は崩壊した。恐らく、海果音ちゃんはこの世界そのものなんだ。

 だけど、さっきの人はそうではなかった。

 キミがキミの形をした何者かを殺した時も、世界は崩壊しなかった。

 それにさっきの人が死んだ理由は、自分の存在に疑問を持ったからなんだ。

 ボクが死に立ち会った人の中にも自分の存在への疑問の中で息絶えた者が居た。

 そして、その時はやはり不快感を覚えなかった。

 じゃあそんなものがなぜ存在するのか、それは、キミの形をしたモノが高校2年生という世界の形を維持していたのと同じことだ。

 その意識の無い存在たちは、この世界の形を維持するためだけに存在する部品、ゲームにおけるNPCのようなものだったんだ」


「なぜそんなものが」


「わからない。世界の形を維持すると言っても、高校2年生の時代を繰り返すという歪な形を維持することもあるようだ。

 ただ、この世界にはそういうモノが無数に存在していて、それがあたかも意識を持った人間のように振る舞っている。

 だけどね、自分が何者であるかという疑問に辿り着くと、その機能を停止してしまうんだ。

 それとさっきの人を放っておいたのは、彼女がそのうち世界から忘れ去られる存在だからなんだよ。

 意識が元々ない人間が死ぬと、いつしか人はその存在を完全に忘れてしまう」


「でも、それは海果音も……」


「そうだね。だから、海果音ちゃんとあの存在たちはかなり似通ったものなのかもしれない。

 意識を持たない人間たち……ボクはそれを虚人と呼ぶことにした」

 

「キョジン?」


「中身のない、空っぽの、虚ろな人間ということだね。

 ボクはその人たちが今、誤作動を起こしてこの世界を揺るがしていると睨んでいる」


「誤作動?」


「ボクは人が死ぬ瞬間を見ると不快感を覚えるって言ったろ? それは撮影された映像でも多少現れるんだ。

 だから、不快感の正体を突き止めようとして、人が死ぬ瞬間の動画を漁るように見てて気付いた。

 海外で射殺されるような凶悪な犯罪者は、かなりの確率で不快感を覚えない虚人であるということに。

 そういう動画は極端に再生数が少ない。それも、その存在が忘れ去られるからなんだろうね。

 だって、普通凶悪犯罪者の動画だったらそれ相応の再生数を稼げるはずだろ? 現に不快感を覚える凶悪犯罪者の動画は桁違いの再生数だったよ。

 それで、さっきの人はどういう人だったんだい?」


「転売を繰り返していた人だった……生活必需品までもね」


「やっぱり、その存在はこの世界に混乱をもたらす原因になっていたっていうことだね。

 だからさ、今日キミに会いにやってきたのは、そのことを伝えたいからだったんだよ。

 虚人によって世界は狂わされてゆく……その世界っていうのは、キミの大切な人、そのものだ。

 高校時代にそれは嫌というほど思い知ったはずだよね。放っておけなくなってきただろう?」


「私にそれを止めろと? さっきの人のように……でも私にはもう人の意思が見えない。

 この身体を乗っ取った時に、その力は失われてしまった」


「ボクにも見えないさ。だけど、人が死ぬ瞬間にだけわかる。

 もちろん、ハズレだった時、普通の意識を持つ人間だった時には耐え難い苦痛を受けるんだけどね。

 キミはそんなことないのかい?」


「私は今までそんなこと感じた事がないよ。よくわからないけど、悠季とは何かが違うのかもしれない」


「そうか、僕には元々の悠季の意識は無いからね、キミにはまだ星野深織そのものの意識が残っている。それが原因なのかもしれない。

 まあともかく、似た者同士、仲良くしようじゃないか。

 何かあったら教えてよ。できる限り協力するからさ」


「わかった……」


「ボクにとっても……海果音ちゃんは大切な友達だからね。そこも似た者同士ってことさ」


「うん、ありがとう」


「じゃあ、またね」


 そんな、深織と悠季くんが互いの、そして自分の存在を改めて認識した夜から数日後。


「ただいま」


「あ、深織、おかえりー。ねえ、見て見て、これ買ったんだ。深織が出てるやつ」


 私はPCの画面を指差して笑う。

 その指し示す先に表示されていたのは「おたくてぃくす!」であった。


「あら、それなら私が持ってるのに、やりたいなら言ってよ」


「ちっちっちっ! 違うんだよ。じゃーん! 見て、このマウスパッド!」


「これって……店舗特典の」


「そう! 深織のキャラが描いてあるのってこれだけなんだもん。

 オークションサイトで探して買っちゃったよ」


「もう、また無駄遣いしてっ……あ、そういえば、あの35,000円のはどうしたの? やってないの?」


「あー、あれかー、購入を申し込んだのに全く音沙汰がなくてさ。

 それでキャンセルして諦めたら、もう別にいらないかなーってなってね。

 それと、その人が出品してる物は全部取引できてないみたいだよ。行方不明とかなのかな」


「そっか……そういうこともあるんだね」


「だからネットってなんか怖いよね。目の前でやり取りしてる相手が本当に生きている人間なのかわからないじゃん」


「うん、その気持ち、わかる気がするよ」


「まあそんなこと言ったら、今私の目の前にいる深織が本物の深織かどうかもわかったもんじゃないけどねっ! あはははは!」


「……」


「もう、冗談だってば! そんな顔しないでよ~」


 私はそれを機に、オークションサイトなどを利用することをやめた。

 自分で言った「ネットは怖い」という言葉が妙に引っかかり、出品者と取引をするようなことを躊躇うようになったのだ。

 それと、オークションサイトを利用する理由であったゲームに対する情熱が薄れ始めていたからなのかもしれない。

 私はやがて、ゲームをやるような暇があれば、珠彩ちゃんが作った月葉Bizで仕事を請け負うようになっていった。

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