第23話 煉獄
「いえ、違います。私から提案があるんです」
私は怯えていた――
「さて……今日はどうだった? 燈彩ちゃん」
海果音が私以外の人と――
「なんですか、悠季さん、『会ったことあるような』ってナンパの手口ですか?」
交流を重ねることによって――
「私もプログラミング手伝います。そろそろ勉強の成果を見せないとですしね!」
気持ちを通わせて――
「珠彩さん、私、フィギュアをコマ撮りして繋ぎ合わせた特撮をやりたいんですが……」
親交を深めて行くにつれて――
「うーん……1学期のテストの時、先生に助けてもらったからね。私も先生の力になりたいって、ずっと考えてたんだよ」
海果音が遠くへ行ってしまうような気がして――
――だけど、自分に言い聞かせていた、「これでいいんだ」と。
「ねえ深織、私、次の日曜日、珠彩さんと燈彩ちゃんとカラオケに行く約束しちゃった!
深織も一緒に行かない?」
今まで私に見せた事のない笑顔で携帯電話の画面を見せる海果音。
「……私はやめとくよ……楽しんでおいで」
精一杯の作り笑いで応えるけれど、気が気ではなかった。
日曜日、気が付けば私は3人を物陰から見張っていた。
「ごめんね、海果音、燈彩ったら友達と行ったカラオケで味を占めちゃったみたいで、自分の歌を聴かせたがるのよ」
「ち、違うよお姉ちゃん、私は海果音さんの歌が聴きたくて、海果音さんと一緒に楽しみたくて誘ったの!」
「あはは、私は人前で歌うのはちょっと苦手かな……他の人が知ってるとか、盛り上がるとか、気を遣わなきゃいけないから」
「ふふ、海果音らしいわね。今日はそんなこと気にしなくていいの。
こいつがどうしてもって言うんだから。
……と、そろそろ時間ね、入りましょう」
「「はーい」」
3人が自動ドアを抜けフロントから店の奥に消えるのを目で追う。
そして、彼女たちがそこで過ごすであろうひとときを悶々と夢想する。
「あ、私、この歌知ってるよ」
「海果音さんも歌えるんですか? 一緒に歌いましょう!」
「わかったっ! ふふっ」
「わわ、ちょっと、海果音さん、近いですよ。ほっぺが……当たって……」
「同じマイクで歌おっ!」
「ジュースお替り頼んでおいたわよ~」
「「かじーりあーうほーねのーおくーまでー♪」」
すべては私の行き過ぎた思い込みだろう。だけど、それは不安と共に加速してゆく。
「珠彩さんも歌ってくださいよ」
「私もお姉ちゃんの歌聴きたーい」
「わ、私はいいのよ……そんな恥ずかしいこと……」
「いいからいいからー」
「はい、お姉ちゃん!」
「そんな、こんなもの渡されたって……」
「あ、使い方分かります?」
「わかるわよ! もう……じゃあ、これでいいのね?」
「「わぁー!」」
「おんなーにーうまれーてーよろこんでーくれーたのーはー♪」
「……ごく……けほけほっ……えほっ」
「あ、海果音さん、それ私のジュースです」
「ああっ、ごめん、間違えた……ちょっと戻しちゃった……私がもらうよ」
「ごく……ごく……ごく……」
「そんなっ、燈彩ちゃん!」
「海果音さん、美味しいですっ」
「そらからもらったおくりものがーこのつめだけなんてーこのつめだけなんてぇー♪
……って、何してんのよ! 私の歌、ちゃんと聴きなさいよ!」
「きゃはははは! それーっ」
「やだー、燈彩ちゃん、抱き着かないでっ、くすぐったいよぉー」
海果音はそんなこと言わない。
だけど、解っていても止められなかった。
「あ、深織~! やっほー!」
休日の街中で手を振る彼女、その隣に居る私ではない人物が私の心を掻きむしる。
「やあ、深織ちゃん、お買い物かい?」
「……いえ、ちょっと用事があってね……親戚の家に……悠季と海果音は?」
いや、掻きむしっているのは自分だ。
それは、夏の日の虫刺されのように後を引き、掻けば掻くほど更に神経を逆撫でる。
「悠季さんがお買い物に付き合って欲しいって、このあと映画も見に行くんだよっ」
「あはは、独りだとなんか恥ずかしくてね」
「悠季さん、女の子らしい服も着たくなったんだって」
「あんまり大っぴらにしたくなかったんだけどね……」
満更でもない笑顔を浮かべる彼女と、余所行きの服ではしゃぐ海果音は、傍から見ればカップルのようであった。
「そ、そう……私は親戚の家に用事があって、そろそろ電車の時間だから……」
仲睦まじいふたりに見送られて改札を抜け、宛てのない電車に揺られながら、彼女たちの休日に想いを馳せる。
「それ、似合うと思いますよ。じゃあ、私、外で待ってますから」
「……来て」
「……! な、何するんですか! そんな、離してください」
「カーテン……閉めて」
「そんな、そんな、試着室ですよ? ダメですよ……ダメ……ですよ……」
「ふふ、さあ、もっとこっちに……」
「これ以上、ダメですよ……」
「……キミを、ボクに試着させて欲しいんだ」
「ああっ、そんな、悠季さん……」
悠季も海果音もそんなことしない、ええ、解っていますとも。
だけど、現実よりも自分の中で膨れ上がる妄想に囚われてしまう。
「ひっ、怖いよぉっ」
「震えているね……大丈夫、大丈夫だから、ほら、怖くない……」
「うう……あ、ごめんなさい、涙で濡らしちゃって……」
「気にしないで、ごめんね、この作品は海果音ちゃんには刺激が強すぎたかな……」
「ううう……」
いや、私の脳が処理して見せているものが現実だとすれば、それは妄想に留まらない。
私にとってのリアルはそこにあるのだ。
それが私の心を押し潰そうとするとき、私は決まってこう念じていた。
(違う、海果音はそんなんじゃない……これで、いいんだ)
そうして1年が過ぎる頃、私の心には葛藤がよぎる。
(ダメ、そんなことをしては……それは、海果音のためにならない)
だけど、私はその気持ちに抗うことはできなかった。
だから私は罰を受けた。
そして今、その罪を償う時がやってきた。
それは、3学期も終わろうかという日の真夜中、合体ロボット5号機設計部の部室での出来事。
暗闇の中、静かにその扉は開かれた。
「やあ、待ってたよ」
「人? あなたは……誰?」
その手に握られた懐中電灯の光が、眩しく私を照らし出す。
「私は……星野深織。そう、あなたと同じ……」
「ど、どういうこと? その恰好と……それに、髪の色」
「やっぱりあなたにもそう見えるんだ……私もさ、懐かしいって思ってたんだ。
私がアイドルまがいの声優をやっていた頃のイメージってやつかな? この衣装、ちょっと派手だよね。この金髪には似合わない……」
私は彼女から目を逸らし、自らのひとつ結びにした髪を撫でる。
その金色の輝きは確かにあの頃のものだった。
「あなたは……まさか、私……なの?」
「そうだね……多分、物理的にはあなたの方が本物の星野深織。
私は地縛霊みたいなものかな?」
「冗談はやめて……!」
彼女の顔が険しく歪む。
「くすっ……私は嫉妬していた。
だから、何度もやり直した。
例えそれが、彼女のためにならなくても、その誘惑には勝てなかった」
「何を……!」
「分かっているんでしょ? 今あなたがしようとしていることだよ。
学校のデータベースに侵入して、海果音の成績データを改竄し、留年させる。
そして、それが起爆剤となって、世界は元に戻る。
そう、私がこの世界を作り変えたその時にね。
簡単なことだったんだ、海果音はこの世界の物理法則と繋がっている。
だからあの時だって、私の力でこの世界を作り変えることができた。
私の力はきっかけに過ぎない、だけど、海果音がツールとなって機能することで、この世界はその様相を変えた。
勿論知っているよね。私はそれを繰り返した。
何百回、何千回そうしたか、もう覚えていない。
そして、今はあなたがそれを繰り返している。
これがどういうことだかわかる? 私が……何者だかわかる?」
「私が使った力の残骸?」
「そうとも言える、だけど、あなたの思っているようなものではない。
私はね、それを繰り返すごとに、力が弱まっていくことに気付いていた。
だけどきっと、海果音が私以外の人間と心を通わせることが許せなかったんだろうね。
いけないと思いつつも、海果音のためにならないと思いつつも、時間の針を戻し続けた。
そうしたら、私は力を使い果たしていた。
あの時、海果音が言った通り、力を使い果たした私はその命を落とした。
……と、思っていたんだけどね……
気付けば私はこの世界に干渉することができないただの傍観者、意識だけの存在となっていた。
動くこともできなかった。私はその状態でこの学校に縛り付けられたんだ。
そして、次の日、思いがけないことが起こった。
海果音と一緒に……あなたが登校してきた。
驚いたよ、そこに居るのは確かに自分だった。
最初はなんでそんなことになったのかわからなかった。
だけど、そんなことより、私にとっては、私ではない私が海果音と学校生活を送っているのを見せつけられることの方が、苦しかった。
海果音はあなたに、私と接するのと同じように接していた。
目を閉じようとしても、耳を塞ごうとしても、どうしようもできない。
海果音の視線が、声があなたに向けられる度、その手が触れる度、私はその身を焼かれるような思いをした。
珠彩や悠季に妬いていたあの頃がぬるま湯に感じられるほどに、それは私の心を焦がし、傷めつけ続けた。
それがずっと繰り返されて、そしてあなたは3学期の終わりにまた時間を巻き戻す。
また何百、何千、何万回と……私は思ったよ、こんなのは拷問だ、これが煉獄ってやつなんだって。
それは、罪を犯した私に対する罰だったんだ」
「罪……ですって?」
「そう、罪だよ。
私は嫉妬していたんだ……海果音の……成長にね」
「そんな……私はそんなこと……」
「私もこうなるまで気付かなかった。
でもね、海果音が他人と心を通わせて、人と人との間で自己を確立して行くにつれて、私から離れて行ってしまう気がしていた。
それは海果音にとっての成長だったんだ。
そして、私は海果音が成長して……自分のものではなくなってしまうことが許せなかった。
だけど、最初から私のものなんかじゃなかった、海果音は誰かの所有物ではなかった。
私は勘違いしていた、海果音が常に私の庇護下に居ることを望んでいた。
だから、私は海果音が成長して自立することを否定し続けた。
その、他人の成長を妨げて、自分だけのものにしようとした罰を受けていたんだ。
繰り返し続ける時間の中で、巻貝の中を無限に回り続けるような時空の中で、ずーっと海果音を見つめていたい。
そんな、終わることのない日常を描くマンガやアニメのような世界にずっと浸っていたかった。
だけど、海果音の隣、そこにいるのが自分ではない誰かになった時、それを見せつけられ続けることがこんなに苦痛になるとは思っていなかった。
それは、海果音を欺き続けて彼女の自立を阻んだ私への報いだった。
私はそれをされて当然のことをしてしまったんだ。
あなたにだって、その欺瞞に気付く時が来るかもしれない、自分の傲慢さを痛感する日が来るかもしれない。
それは、望んではいけないことだったんだよ」
「違う! 私は海果音の幸せを願っていただけだ!」
「終わりのない日常を繰り返す、それは確かに不幸ではないのかもしれない。
だけど、人間の幸福というものはそういうものではない。
抑圧された、満たされない状況を突破する瞬間、過ぎ去って行くのが幸せなんだ。
人は他人を幸せにすることはできない、自分で掴み取ることしかできないんだ。
それに、永遠に繰り返す日常なんて、甘いだけでろくに栄養のないお菓子みたいなものだよ。
それはとても美味しいし、いくらでも食べられる。
だけど、それに甘え続けてはいけない。
自分で味わって苦味を知らなければ、人間は成長できない、幸せにはなれないんだ。
私も、世界に干渉できない意識だけの存在になるまでそのことに気付けなかった……」
「意識だけの存在……でも、今あなたはこの私に干渉している……それはどういうこと?」
「それはこっちが聴きたいよ。
あなたは何者なの? あなたには意思が感じられない。
あなた自身はそう思ってないかもしれないけど、私にはわかるんだ……海果音だって……そうなんだもん。
多分ね、この世界は私がこの1年を何度も繰り返すうちに、歪な形状を記憶してしまったんだと思う。
そして、世界は私を失ってもその形を保ち続けるためにあなたを生み出し、慣性のように、同じことを繰り返すようになってしまったんだろう。
あなたはこの世界の恒常性、ホメオタシスによって生み出された、星野深織に限りなく似せて作られた人形なのかもしれない……」
「私は……星野深織だよ……」
「それは否定しない。だけど、違うんだよ。
私はね、あなたがこの間の文化祭でアイドルを演じた時に、観客から集まった意思の力の集合体なんだ。
その呪いとも言える力はこの学校から溢れんばかりに増大し、意識だけの私に、この世界に干渉する力を与えた。
物理的な存在としての星野深織、あなたではなく、星野深織の意識である私に宿ったんだ。
それが、あなたが偽物であると言う確固たる証拠だよ」
「だからといって……偽物だからって、どうだって言うの?
……ふっ……あなたのお陰で迷いが消えたよ。
私はこの繰り返し続ける時間の中で、永遠に海果音と添い遂げる。
私にはその力と、権利があるんだ! あなたがそれを邪魔するというなら、容赦はしない!」
彼女の手は私を掴もうとするが、それはするりと抜け、空を切る。
「その力がある? あなたにそんなものはないよ。
ただ、この世界があなたに合わせて動いていたってだけ。
それに、本当はね、あなたが偽物かどうかなんてどうでもいい。
ただ、私は……星野深織が、海果音を独り占めにしようとするあなたが……私が……憎い!」
私はその両手で彼女の首を掴み、締め上げた。
久々に触れた人間の肌の感触は暖かく、そして、脈打つ鼓動は強さを感じさせる。
だが、その首は脆く、もう少し力を込めれば簡単に砕けてしまうほどだった。
私がその感覚にしばらく溺れているうちに、いつの間にかそれは事切れていた。
手を離すと力なく崩れ落ちるそれは、まさしく人形のようであった。
それを目の前にした時、私にはどうすればいいか分かっていた。
そう、いつか悠季が語ったように、その身体とひとつになるのだ。
現実の重みを手に入れた私は部室を後にした。
自室に戻り、鏡を見ると、そこには確かに星野深織が居た。
そして、瞳は空のような青を取り戻し、髪の毛は銀色に染まっていた。
翌日――
「おはよう、星野さん」
「おはよー」
そこには変わらない、いや、変わり行くことを許された日常があった。
しかし、私の前の席はホームルームが始まっても空いたままだった。
「日向海果音さんはお休みです」
教師からそう告げられた。
海果音と再会することを心底楽しみにしていた私の心は、少し挫かれてしまった。
授業が終わり、放課後、いつものように部室で珠彩、悠季と過ごした。
変わった髪の色には気付いていないようだ。
そして、私に対する態度は何万年も前の昔のままだった。
「海果音が休みなんてちょっと心配ね……長引かなければいいけど」
「もうすぐ、あの日だもんね。
海果音ちゃんは体が弱そうだから心配だよ」
「深織、電話してみたら?」
「いや、寝てて起こしたら悪いから……ね」
「それもそうね」
しかし、翌日になっても海果音は姿を現さなかった。
更に翌日、私は、明らかに焦りを見せる教師の言葉に耳を疑った。
「日向海果音さんは……行方不明になったそうです」




