第22話 おねがい☆スチューデント
「ねえ珠彩ちゃん、この部って、顧問の先生は居るのかい?」
それは1学期の初め、私、日向海果音と星野深織、大地悠季さんが、
葉月珠彩さんの作った部、「合体ロボット5号機設計部」に入部して間もない頃のこと。
「一応居るわ。私がデータベースを勝手に改竄したから、本人は知らないかもしれないけど、米光小町先生よ」
「あれ、それってうちのクラスの担任の先生ですよ。ねえ深織」
「そうだね、しかし本人も知らないって、それでいいの?」
「先生に余計な苦労を掛けさせることもないでしょ。
まあ、あんたたちが問題を起こしでもしたら、迷惑かけることになっちゃうけどねっ!」
珠彩さんは意地の悪い笑みを浮かべます。
その後、私たちは様々な騒動を起こすことになるのですが、幸いなことに、先生に責任が及ぶようなことはありませんでした。
しかし、米光先生は私の担任として、その責任を果たさなければならない時がやってきます。
それは、1学期の中間テストを終えてすぐのことでした。
「日向さん……でしたっけ……」
「……はい」
「その様子だと、なんでここに呼ばれたか分かってるみたいですね」
そこは進路指導室、私は対面に座った米光先生と目を合わせないように下を向いていました。
「情報処理と理数系の点数は目を見張るものがあります。ですが……」
「はい……他の教科が……」
「そうです、他の教科との落差が激しい、それが問題です。授業は真面目に受けてるんですか?」
「そのはずですが……」
実のことを言えば、私は興味の湧かない授業では、天井を見て物思いに耽ってしまう癖がありました。
その思考は無限にループして、授業の時間が終わるまで続いてしまいます。
「ならば、それは点数になって現れるはずでしょう。
理数系ができているってことは、他の教科も論理的に理解できるってことだと私は考えていますが、どうでしょう?」
先生は数学教師、なんでも理屈で説明できると過信しているきらいがあります。
「どうでしょうと言われましても……」
「私の授業でもたまに集中力が途切れているように見えることがあります。
だけど、それは日向さんができる人だから、退屈してるのかと思ってましたが……」
数学ではたまたま集中できている時があるだけです。って言ったら怒られますかね……
「あ、いえ、他の授業でも集中力が続かないと言うか……」
「そうですか……ならば、改善できるように努力してみてください」
「分かりました……」
しばしの沈黙、先生もこれ以上かける言葉が見つからないといった様子です。
「はぁ……」
すると、真っ直ぐ私を見つめていた先生も、俯き、溜息を洩らします。
「すみません! なんか私、先生を困らせてるみたいで……」
私は顔を上げ、先生に頭を下げ、とりあえず謝ってしまいました。
先生はそれに対し、私を直視して続けます。
「あっ、ごめんなさい、そうじゃないんです。
私もちょっと気が抜けちゃったといいますか……」
しどろもどろになる先生、こんな時、私もしどろもどろになってしまいます。
「手間のかかる生徒ですみません。もっと先生に迷惑をかけないようにしますのでっ!」
「いえっ、本当にそんなんじゃなくて!」
「でも、先生……」
再びの沈黙。どのくらいそうしていたでしょうか。
そして、先生は意を決したように口を開きます。
「……実は私、この学校に向いてないかなって、最近思ってるんです……」
「えっ、どうしてですか?」
私は先生の授業や、指導に不満を感じたことはありませんでした。
まあ、不満を言えるほど学校生活に真面目に取り組んでいないというのもありますが……
「私、初めて赴任したのが前の学校で、3年間居たんですけど、そこでは私が担任して教鞭を取った生徒たちはみんな、学力が向上したんですよ。
私も最初は偶然かと思ってましたが、その差は歴然で……何が良かったのかはわかりませんでしたけど、とにかく上手く行ってたんです」
確かに先生の授業は問題に対する解答の導き出し方が明確に理解でき、学力の向上に貢献というのも頷ける話です。
「ですが、去年まで3年間その学校に赴任したあと、前触れもなくこの学校に転任させられて……
私は何も問題を起こしていないのに、校長も教育委員会も、どうしてそんな判断をしたのか……」
そう吐露する唇は微かに震えていました。
先生は震えた声で更に続けます。
「それで、この学校に来たら、前の学校での私の評判を知った他の先生たちが、私を試すようになって……
『若者の考え方を学ばせて欲しい』なんて、わざとらしく私を値踏みするような態度を取るんですよ……」
「先生……」
「ごめんなさい! 生徒にこんなこと言うなんて、教師としてあるまじき行為ですよね。
なんでだろう? おかしいな、疲れてるのかな……」
目を上げた先生は明るく振る舞いますが、その目を潤ませていることから、相当に無理をしているというのが伺い知れました。
「先生、私、このことは黙っておきますから。
でも、私にも何か協力できることがあったら言ってください」
「ありがとう……でも大丈夫です。
教師として、生徒に慰めてもらうような情けない姿を見せるのは良くないことでした。ごめんなさい」
「そんな……私は慰めている訳じゃ」
「ふふ、いいんですよ。気持ちだけで十分です。
それに、私は生徒から施しを受けるんじゃなくて、生徒のために奉仕しなければなりません。
日向さんや他の生徒たちの成績を底上げできるような方法を提案してみます。
任せてください。私の『若者の考え方』をこの学校の先生方に教えてあげますよ!」
その目には、いつも先生が授業で見せる炎が灯っていました。
「先生……ありがとうございます!」
「こちらこそ、私の話を聴いてくれてありがとうございました。
生徒に気を遣わせちゃうなんて、やっぱり教師失格かな……
でも、日向さんには何故か話したくなってしまったんですよね……不思議です」
「あはは、私は何もしてませんが……」
「ふふふ、とにかく、近日中に手を打ちます。期待して待っていてください」
「はい!」
私は先生のモチベーションアップに貢献できたような気がして、少し誇らしい気分で進路指導室を後にしました。
そして、それほど間を開けずに、米光先生の提案は授業の現場に反映されたようです。
それは、ドリルのような冊子を使って、問題と解答をセットで覚えることを繰り返すという形で私たちの前に現れました。
それから授業時間の半分ほどをそれに費やすようになり、宿題も、問題と解答を入れ替えたものをもう一度解くというようなものになりました。
とにかく、繰り返し書いて問題と解答を覚える。それが、米光先生の成績向上作戦だったのです。
かくして、1学期の期末テストにおいて、その効果は日の目を見ることとなります。
「海果音、テストの結果、どうだった?」
テストが返却された日、ホームルームが終わった直後、前の席に座った深織に尋ねられた私は躊躇うことなく答えます。
「理数系以外は大体、60点くらいだね」
「ふーん……やっぱり繰り返し問題を解くっていうのは効果があるんだね。
中間テストではみんな赤点ギリギリだったのに……」
「あはは、それは言わないでよー」
眉をハの字にしながら笑い、頭を掻く私に、深織は続けます。
「それで、理数系の科目はどうたったの?」
「あー、それがね、中間テストでは平均90点くらいだったのに、80点くらいになっちゃった。
やっぱり期末は難しいのかなぁ」
私は少し困った顔を見せます。
「なるほどね。海果音、それもあの繰り返し問題を解く授業の効果だよ」
「ん、どういうこと?」
「作業することに脳が慣れて、思考力を発揮する機会が減ったからかな」
繰り返し問題を解く授業は、私にとってとても都合の良いものでした。
何故ならば、繰り返すだけの作業と化したその授業は、休みなく手を動かしている間に幾らでも物思いにふけることができたからです。
問題を全て解く、回答を見る、100点でなければもう一度問題を全て解く。
このように繰り返される授業は、脳の思考する領域をあまり使わずとも可能で、その余った領域を好きなことに使うことができていました。
そう、深織の言う通り、授業では問題を解くための思考力を発揮する機会が激減していたのです。
しかし、私にとって、期末テストの結果はそれほど悪くありません。
再び進路指導室に呼ばれることもなく、思い残すことなく夏休みに突入することができました。
そして、2学期の始業式まで時は流れます。
「ここで、教頭先生からお話があります」
壇上にあがる教頭先生、彼女の顔は険しく、尋常ならざる雰囲気を醸し出しています。
「1学期の期末テストでは意外なことが起こりました。
それは、全生徒の点数が最低50点を上回ったことです。
しかし、ほとんどの生徒は、得意科目以外では65点以上の点数を取ることができませんでした。
それは皆さんも承知のことと思います。
そして、非常に残念なことに、得意教科の点数も多少落ちることとなったでしょう。
それについて、米光先生からお話があります」
米光先生がアイドルが謝罪会見をするような面持ちで壇上にあがり、教頭先生の隣に立ちます。
「皆さんの点数が、平均的なものに収まるようになってしまったのは、私が提案した暗記を重視する授業の影響です。
暗記に適したテストの問題だけ、皆さんが解くことができたと、そういったことになります。
ですから皆さんの点数が小さくまとまってしまった。これは私に責任があります。申し訳ないことをしました」
そして、頭を下げる米光先生を遮るように、教頭先生の言葉が続きます。
「そう、全生徒のテストの点数が、みな同じように、60点という、それほど高くない数値に収まることなど、あってはならないことです。
そのために教師一同、一計を案じました。
2学期の中間テストでは、結果に順位を付けて発表致します。
そして、成績上位者には、一部の宿題、授業を免除して、出席扱いにすることをお約束します。
その時間は、部活にでも何にでも好きなようにお使いください。
今後、皆さんには是非、個性を伸ばして、その力を発揮して頂いて、どんな手を使ってでもいいから、1位になることを目指していただきたい。
教師一同、そのように考えております」
個性を発揮してどんな手を使ってでもいいから1位になれという教頭先生の言葉は、生徒たちの心に大きく響きました。
暗記を重視する授業は削減され、生徒たちは想い想いの個性を発揮することに躍起になります。
自分が理解できるまで執拗に質問を繰り返す生徒、
逆に、自分が理解できているところは説明を急かす生徒、
教師の説明を復唱する生徒……
それは段々とエスカレートし、問題を起こす生徒も増えて行きます。
強風の日に窓を開け、自分だけ文鎮を使う生徒、
座席表を改竄し、一番前の席を陣取る生徒、
他人のノートにびっしりとお経を書き、黒板を写せなくする生徒、
他人の筆記用具を全て削ってないバトル鉛筆にすり替える生徒、
他人の近代史の教科書のセンシティブな部分を墨で塗り潰す生徒。
他人のロッカーに自分の南京錠を掛ける生徒……
それらの行為は全て、教師による問題の解決が行われ、授業の時間が無為に奪われて行きます。
そして、2学期の中間テストの最中にも、問題は頻発しました。
後ろに回す解答用紙にさっと可燃性の液体を染み込ませ、消しゴムを掛けると発火するように仕組む生徒、
テスト中にブツブツと呟き続け、他人の集中力を掻き乱す生徒、
奇声を上げる生徒、ニンニクの匂いをまき散らす生徒、貧乏ゆすりをする生徒……
こうして、時ノ守女子高等学校は、無法地帯へと化し、教師たちはその対応に追われました。
生徒たちは満足にテストが受けられない状況で、少しでも点を取ろうと努力しましたが……
「海果音、テストの結果、どうだった?」
「……全部0点だった……」
私に配られた答案には、名前欄に鉛筆の文字を溶かす液体が塗布されていたようで、全て無記名で0点となっていました。
しかし、私の後ろの席で、同じ妨害行為を受けていたと思われる深織はといえば……
「全教科95点以上だったよ。全部100点にしたかったんだけど……」
「えっ、どうして?」
「海果音は注意が足りないんだよ……くすくす」
何言ってんだこの女。
しかし、他の生徒も皆、私と似たような惨憺たる状況で、学校はテストの結果自体を全て無効とすることで、収拾を付けることとしました。
当然、成績上位者が発表されることもありませんでした。
「しかし、なんで妨害行為をした奴らはのうのうと過ごしていられるのかしらね」
そう疑問を口にするのは珠彩さん。
彼女もまた、納得のできる点数を取ることができなかったひとりです。
「『個性を尊重しろ』の一言で教師を黙らせてるみたいだね。
教師たちも『個性を伸ばせ』と言った手前、あまり強く出られないみたいだよ」
悠季さんは深織と同じように"注意力"を発揮することで、妨害行為に屈することなく、好成績を上げることができていたようです。
ホント、なんなんでしょうこの人たちは。
「全く、この世界は不安定だね……」
深織は天井を見ながら何かを呟きました。
「ん? どういうこと?」
「いや、なんでもないよ。そろそろ下校時間だね。帰ろうか」
そうして私たち4人は部室を後にします。
「あ、部室の鍵、私が職員室に返してきますよ」
「あら、ありがとう海果音、お言葉に甘えるわ」
「じゃあ、私たちは昇降口で待ってるから」
深織たちと一旦別れた私は職員室に向かいます。
この時私は、そこに居るであろう、米光先生のことが気になって仕方がありませんでした。
「失礼します」
「あら、日向さん」
職員室の扉を開けると、案の定、そこには米光先生が居ました。
彼女以外の先生は全員出払っているようです。
「あ、先生、部室の鍵返しに来ました」
「ああ、私が顧問ってことになってる部ですね。
いつもは葉月さんが返しに来るのに、今日はどうしたんですか?」
「いえ、なんとなく……先生のことが気になって」
先生は私の視線の意味を察したかのように力なく笑います。
「あはは……生徒に心配かけるようなことはしないようにと心掛けてたんですけどね」
「そんな、心配だなんておこがましいですよ。
私はただ、先生の始業式の時の顔が忘れられなくて……」
「それが心配かけてるって言うんですよ……」
自嘲するように目を窓の方に逸らし、遠くを見つめる先生。
私はそんな先生を見ていると、いたたまれない気持ちになってきます。
「あの、中間テストのこと……すみません」
「え? なんで日向さんが謝るんですか? 日向さんは被害者で、学校側もそれを承知していますよ」
「いえ、元はと言えば、私の問題を解決するために、先生があのカリキュラムを提案したんですよね?」
「ああ、あれですね……あの後私はドリルを強要するミス・ドリラーとか言われちゃいましてね。
私も言いたいことはあるけど、この学校では一番の若手だから、ちょっと立場が弱いんです。
それで、あれは個性を殺すための授業だなんて批判されて……」
「個性……ですか」
「そう、個性、教頭先生なんかは、『個性を大事にしろ』、『個性を伸ばせ』なんて言ってましたけど、私はそれにずっと疑問を抱いてたんですよ。
個性ってなんだろうって、例えば『晴』という字を書く習字の授業があったとして、ひとりだけ『雨』と書いてもそれは個性とは言えませんよね」
「はい、それはただの身勝手だと思います」
「私はね、個性って言うのはそういうことじゃなくて、他の人と同じことを同じようにしようとしても生じてしまう、どうしようもない差のことだと思っているんですよ。
他人より少し上手にできたとか、早くできたとか、個体差が、それぞれの肉体の差が生み出す、滲み出てしまうものが個性だと、そう考えてます。
それなのに、みんな個性を発揮して競争しろって言われると、中間テストの時のように、他人を出し抜いたり、他人の足を引っ張る方向に動いてしまう。
能力が拮抗してくると、どうしてもそうなってしまうんですよね。
それに、個性を大事にするとか、伸ばすとか、個性ってそういうものじゃないと思うんですよね。
大事にしなければ消えてしまうようなものは個性と呼べませんし、鍛えられるようなものでもありません」
「確かに、言われてみればそうですね。
鍛えて身に付けられるようなものは、技術と呼ぶのが相応しいのでしょうね。
それに、大事にしろって言いますけど、本当にそうなのでしょうか。
だって、個体差が個性なら、うまくできない、早くできないことも個性ですよね。
みんな、自分に都合がいいことだけを他人の個性として認めて、尊重するとか言いますが、それはフェアじゃないですよ。
他人が眉をしかめるような癖も個性と呼べますし、私はそういったことで度々苦い経験をしてきました。
他人はそれを認めて、尊重してくれるのですか? してくれませんよね?
それならば、いっそ個性なんてなくなってしまえばいいんですよ」
「日向さん、それは違いますよ」
「えっ……」
「うまくできないことも個性、それは正しい認識だと思います。
そして、それを消してしまったら、得意なこともできなくなってしまう、そういうものでしょう。
そういった能力は表裏一体で、その個体が行動して起こす現象が、良い結果を生むか、そうでないかという、ただそれだけのことなんですよ。
しかもそれは、受け取る側によって良し悪しが決定される。
本当にそれだけのことで、一概に評価できるものではありません」
「そう、ですか……」
「だから、日向さん、あなたが気にしていることも、実は良い結果を生んでいたり、これから良い方向に働いたりするのではないでしょうか」
「そうだと……嬉しいですね」
「はい、私もそう願っています」
先生の見せる笑顔は、それまでの教師としてのものとは違う、同じ立場にある人としてのものでした。
「それで先生の力になれればって思います」
「もう、生意気なこと言う生徒ですね……」
そう口では言いながらも、優しさと安堵が入り混じった表情を見せる先生。
「でも先生、あの教頭先生の様子だと、結構厳しいことを言われたんじゃないですか?」
「……そうですね、だから、有無を言わさず個性を伸ばすことを掲げられてしまいましたが、今度は中間テストのようにならないように提案しろと言われています。
でも、日向さんは気にしないでください。
私には昔取った杵柄がありますから、必ずや皆さんの成績を上げてみせますよ!」
「昔って、たった一年前じゃないですか」
「あははは、そうですね……ありがとうございます。
日向さんが気を遣ってくれて、ちょっと気が晴れました」
「そ、そんなこと、とんでもありませんっ」
そうして私は先生との傷を舐め合うような交流を終え、部室の鍵を返し、昇降口に急ぎます。
「あら、遅かったじゃない、どうしたの?」
「珠彩さん、ごめんなさい、先生とちょっと話してて」
「あれー、海果音ってそんなに社交的だったっけ? 成長した?」
「もー、深織、茶化さないでよ……」
「海果音ちゃんが成長してるってのは、本当なんじゃないかな?」
4人で下校する私たち、そんな道すがら、珠彩さんは私を気にかけてくれます。
「海果音、先生と何の話してたの?」
「あー、いえ、今回の中間テストの騒動で、うちの担任の米光先生がちょっと困ってるみたいで」
「困ってる?」
「教頭先生なんかに『中間テストのようなことにならないように提案しろ』って言われてるみたいで」
「はっ、そんなの始業式で教頭が『個性を発揮しろ』とか言ったからじゃない。
責任転嫁も甚だしいわ」
「私もそう思いますけど、先生は立場が弱いらしくて……
前に赴任していた学校では生徒の学力向上に大きく貢献したそうで、それもプレッシャーになってるみたいです」
「先生って結構若いわよね? それで学力向上に貢献? それに、赴任先が変わるなんて、妙な話ね」
「言われてみればそうですね」
翌日の部室。
「海果音、ちょっといい?」
「はい、なんでしょうか」
私は手招きする珠彩さんのもとに椅子を滑らせました。
「これね、昨日調べたんだけど、米光小町先生のこと」
珠彩さんはモニターに映した文章を読み上げます。
「先生の最初の赴任先は男子校だったの。
教育委員会はなんでそんなことをしたのかと言うと……それは実験のためだったのよ」
珠彩さんが指し示す場所にはこのように記述されていました。
「男子校におけるアイドル的教師が及ぼす効果についての実験」
「えっ、これってどういう……」
「見ての通りよ。米光先生はモルモットにされていたの。
そして、彼女は教育委員会の思惑通り、生徒たちに好かれ、彼らの学力を著しく向上させたわ。
生徒たちの成績の上下に一喜一憂する健気さも人気の秘訣だったみたいね」
「当たり前と言えば当たり前ですけど……しかし、そんな結果を出したのに、なぜ転任することになったんでしょうか?」
「……えっと、うーん、あの、ちょっと刺激が強いかもしれないから、心してね」
「へ?」
私が目を丸くしていると、画面には「小町ゃんねる」なるサイトが表示されます。
そこには、我が目を疑うような光景が広がっていました。
「え、あの、これって……」
「これはキャッシュで、今はもうこのサイトは無いんだけど、見てのとおりよ。
男子生徒たちは米光先生に対してこういう劣情を抱いていたの」
米光先生に関する妄想を巡らせた、おびただしい書き込み。
そして、隠し撮りとも見える写真の数々、それは確かに米光小町先生、その人のものでした。
口を開け、唖然とする私に諭すように珠彩さんは続けます。
「この年頃の男子っていうのはこういうものだからね、どうにもならないことなのよ……それに、先生本人はこのことに関して何も知らない。
だけど、教育委員会は調査でこのサイトを発見し、その影響が本人に及ぶ前に、転任と言う形で片を付けたの」
「でも、なんで珠彩さんがこんなことを?」
「前に言ったでしょ? パパはこの学校に出資している。
だから、教育委員会関係の情報も、ちょっと工夫すれば引っこ抜くことができるのよ。
勿論、法的にはアウトだけどね。
だから、この情報を使ってどうにかすることもできないわ。
ただ、海果音には知って欲しかったかなって、何かのヒントになればって、それだけよ」
「……そ、そうですね、これを私が知ったところで……いえ、待ってください……」
「ん?」
「私、ちょっと米光先生を呼んできます。
あ、そのサイトは閉じておいてください!」
私は職員室に走り、仕事をしている米光先生を捕まえて、部室に戻りました。
「もう、日向さん、いいアイデアがあるって何?
あ、皆さん、こんにちは……そういえば、私この部活の顧問なんですよね……初めて部室に来ました。
って、たまには部室に顔を出せってことですか? 日向さん」
「いえ、違います。私から提案があるんです」
「提案って、なんですか?」
「あの、教育カリキュラムについてです。
素人の意見ですが、何か力になれればと思って……」
「あら……そうですか」
先生はあまり期待していない様子で、一応の聴く態勢を取りました。
「先生、この子を教壇に立たせてみてはいかがですか?」
私はこの部室の中で一番女子に人気がある人物を指さしました。
「ボ、ボクがかい?」
「あなたは、大地悠季さん?」
「そ、そうです……海果音ちゃん、どういうことか説明してくれないかな……」
「日向さん、生徒に教壇に立てなんて、そんなお願いできませんよ……」
先生と悠季さんの2人は、予想外の出来事に困惑していました。
珠彩さんは体を椅子に預け、ほくそ笑みながらこちらを伺っています。
「私の考えはこうです。
教科ごとに成績の良い生徒を先生役に抜擢します。
教壇に立つのは生徒ですが、補助として先生が付き添う形になります。
以前、私はクロネットで、同じ立場の生徒同士で教え合うことの効果を実感しました。
教える側にとっても、教えるために理解を深めることができるため、相乗効果が見込めます。
しかし、教師役の生徒は素人、そのため、ある教科に強い生徒は、それが苦手な生徒の気持ちが分からず、横暴になってしまうことがあります。
それは、教師役が教える技術を持たないからに他なりません。
その対策として、教える技術のプロ、本当の教師が、教師役の生徒に教える技術を伝授します。
さて、その伝授はいつ行うのでしょうか?
それには、以前先生が提案した暗記を重視する授業を利用します。
私の実体験から、暗記を重視する授業は一定の効果を上げられるものとなっていると言い切れます。
その教科が苦手な者でも、繰り返すことによって、確実に知識を蓄え、点数を上げることができたからです。
ですが、その暗記を重視する授業は、ある一定の層にとっては意味のないものです。
そう、それは、その教科についての理解が早く、成績が優秀な者です。
他の生徒が問題を繰り返し解いている間に、そういった方を対象に、別の教室で先生方から教える技術を伝授するのです。
つまり、教師役の教室と、問題集を解く教室に分けるのです。
そして、教える技術を伝授された生徒は教壇に立ち、他の生徒たちに、生徒の立場からその教科について教育を行うのです。
また、教師役の生徒が、他の生徒から好感を持たれている場合、その教育効果は何倍にも膨れ上がることでしょう」
「だから、悠季なのね……海果音、やるじゃない」
全てを理解した珠彩さんは、不敵な笑いを浮かべました。
「ですが、普通に教師から生徒に教える授業も織り交ぜると良いかもしれません。
その辺は、実施しながら少しずつ割合を調整して行くと良いでしょう。
それと、授業の最後に教師役の生徒の好感度を生徒たちに投票してもらって、好感度の高い生徒は登壇する頻度を上げるというのも重要かと思います。
好感度の高い人の授業なら、苦手な教科でも頑張れるでしょう」
「確かに、理屈では日向さんの言う通り、効果を上げられそうですね……
やってみる価値はありそう……」
「しかし、そんな大それたこと……なにより、ボクが教師役だなんて……」
「悠季さんもさっきの私と珠彩さんの会話を聴いていましたよね?
その辺、心当たりあるんじゃないですか?」
「ぐっ……わ、わかったよ……」
私の挑戦的な態度に、柄にもなく取り乱す悠季さんでした。
「日向さん、ありがとう。
早速明日提案してみます。
日向さんの『若者の考え方』で他の先生たちに思い知らせてあげますよ!
さーて、早く資料を作らなきゃ!」
米光先生はそう言い残して部室を後にしました。
「ねえ海果音」
先生の足音が消えると、無関心を装っていた深織が口を開きます。
「ん? 何?」
「なんで海果音は先生のためにそこまでするの?」
「うーん……1学期のテストの時、先生に助けてもらったからね。
私も先生の力になりたいって、ずっと考えてたんだよ」
「そう、良かったね」
深織はその素っ気ない言葉を最後に、その日は口を開きませんでした。
私には彼女の瞳が、心なしか物悲しい光を湛えているように見えました。
そして、私が米光先生に教育カリキュラムを提案してから数日後の朝のホームルーム、米光先生から新たな教育制度についての説明がなされました。
「さて、中間テストでは皆さん大変残念な結果となってしまったことでしょう。
私たち教師一同はそのことを深く反省し、新たな教育制度を発足することとしました。
それが、名付けてカリキュラマスター制度です。
これは、簡単に言うと生徒から教師役を選出して、教壇に立っていただくという試みです。
突拍子もない話と思われるでしょうが、お聴きください。
まず、授業を3種類に分けます。
ひとつめは今まで通りの教師による授業です。
ふたつめはクラスを2つに分け、教科ごとの成績優秀者には、教育する技術を身につけていただき、
そうでない生徒は問題集の繰り返しによる知識の習得をしていただきます。
みっつめは教育する技術を身につけた成績優秀者による授業です。
この教師役の生徒のことをマスター生徒と呼ぶことにします。
教師による授業、マスター生徒の育成と問題集、マスター生徒による授業、このサイクルを繰り返し行うことにより、皆さんの学力向上を図ります。
マスター生徒の授業では、終了時にマスター生徒の評価を無記名で受け付け、評価が高かった、人気があったマスター生徒は、その後、教壇に立つ機会が増えることとなります。
このような形式としたのには理由があります。
生徒の皆さんが同じ授業を同じように受けていても、どうしても理解度に差が生じてしまいますよね?
学習により習得できる知識を利益とすると、理解度の高い生徒は他の生徒と同条件下でより多くの富を、知識という資産を持つ者となります。
逆にそうでない生徒は、相対的に持たざる者となります。
富める者が持たざる者に知的資産を分配するために教壇に立つ、これがこの制度の基本理念です。
その上、持たざる者には問題集の繰り返しにより最低限の学力を保証します。これは、経済におけるベーシックインカムのようなものです。
そして、富める者は教師という立場で根本的な理解を深めることにより、更に学力を向上させていただくことができるという仕組みになっています。
資産の分配とは言いましたが、学力は分け与えても減ることがありませんよね?
授業を受けた生徒の学力が向上し、教師役を追い越してマスター生徒となることはあるかもしれませんが、それも、この制度の目的のひとつです」
この日から、このカリキュラマスター制度は試験運用が始まることとなります。
それから、成績優秀者の数名はマスター生徒として、教師から教える技術を徹底的に叩き込まれました。
悠季さんも度々教壇に立ち、その好感度を武器に、他の生徒のモチベ―ジョンを向上させることに大きく寄与したのです。
そして、2学期期末テストの結果は――
「海果音、テストの結果、どうだった?」
「理数系以外は平均75点くらいだね。
理数系も90点以上取れてるし、私にとってはこれ以上ない結果だよっ!」
他の生徒たちも、苦手教科で平均70点以上を記録したようです。
放課後の教室で深織とそんな話をしていると、米光先生が満面の笑顔でやってきました。
「日向さんのお陰で、他の先生からも褒められちゃった!
『あなたはこの学校に向いている』って! ありがとう!」
そして、カリキュラマスター制度は、試験運用から実運用にフェイズが移ることとなりました。
しかし、この制度には誤算があったのです。
それは、情報処理のマスター生徒となった珠彩さんの身に起こりました。
彼女は好感度が非常に高く、生徒ひとりひとりにお節介を焼き続けて、「名誉お母さん」の称号を得ると共に、過労で倒れるといった事態に見舞われたのです。
そんな彼女が学校を休んで自宅でネットを見ていると――
「なにこれ……『悠季ゃんねる』? あー、やっぱりこうなっちゃうのね……」




