第21話 She is an Angel
まだ残暑に汗ばむ季節、私たちが通っている時ノ守女子高等学校では、文化祭が迫っていました。
「時ノ守高校文化祭、略して時祭……ね」
合体ロボット5号機設計部の部室では、深織が学園祭の開催要項に目を通していました。
「今年から変なルールが追加されたみたいね」
部長である珠彩さんは、椅子に座ってPCに向かいながら、時祭の特設サイトを眺めています。
「そうだね。部活が増えて、全生徒の入部が必須になったからか、部対抗で売上を競うみたい。
その結果に比例して来年の部費が決定されるみたいだよ」
「外部向けには、時祭で使えるのはコインだけで、入場時に100ポイントのものが5枚配布されて、校内に設置された機械で10枚1,000円で販売されるって書いてあるね」
悠季さんは校門や駅で配られている来客向けのチラシを持っていました。
「5枚タダでくれるってことですか? それならお客さんの懐に優しい文化祭ですね。学校は赤字になるんじゃ?」
「海果音、5枚だよ? 500円分だよ? そんなの撒き餌だよ、すぐ使い切っちゃうでしょ。
楽しもうと思ったら、1,000円で両替せざるを得なくなる。それで買った10枚も使っているうちに端数が出る。そして、コインを現金に戻す手段はない。
コインを使い切らずにお客さんが帰った場合、余りがそのまま学校の売上になる。
コインの種類が1、5、10、50、100の5種類あるのも、コインを使うとその場で割引チケットを配布するように指示しているのも、学校側が小銭を集めるためなんだよ。 もちろん、現金が使えるのが両替機のみというのも、売上を管理しやすくしたり、生徒に現金をネコババされたりするのを防ぐためにやっている。
学校側は、高校生が現金を扱うことへの不健全性を理由としているけどね」
深織の丁寧な語り口によって、学校の阿漕な商売の全容が解説されました。
「そ、そうなんだ……それで、ロゴ部の出し物は何にするんですか? 珠彩さん!」
珠彩さんはPCから目を離さずに素っ気なく答えます。
「は? なんでそんな学校の商売に私たちが付き合わなきゃならないのよ。
この部は私が家から持ち込んだ物で成り立ってるんだから、部費なんていらないでしょ」
「えっ、珠彩のことだから『稼ぎまくってやるわよ!』とか言い出すと思ってた!」
深織は意外という素振りを見せつつも、その目に浮かぶ笑いを隠し切れていませんでした。
「はぁ……あんた、私をどんなキャラだと思ってるのよ。
で、あんたはなんかやりたいことないの?」
「私? うーん、私も別に興味ないかな」
「そうなの? 深織。なんか残念だなぁ」
「海果音ちゃん、気を落とすことはないよ。何かやりたければ、採算度外視でできるってことなんだからね」
悠季さんに慰められましたが、私は何かやりたいという訳ではありませんでした。
「あー……じゃあ、私が明日までに何か考えてきます」
その日の夜、私は動画サイトで、「文化祭で上映した自主製作映画の1分ほどのワンカットが短い録画の繰り返しで、何ヶ月もかけて撮影していたため、後ろに映ったビルが成長して行く様が非常にウケた」という話を聴き、大笑いした後に思い立ちました。
次の日の部室――
「珠彩さん、私、フィギュアをコマ撮りして繋ぎ合わせた特撮をやりたいんですが……」
「あら、ストップモーションアニメね。いいじゃない。カメラはあるし、その辺の物で小道具を作ってもいいわね」
「はい、小さいビルを沢山作って並べたいと思ってます」
「しかし、他の部はまんまと学校の策略に乗せられてるようだね」
深織は校内で配られていたと思しきチラシを手にしていました。
私はそれを覗き込んで読み上げます。
「大人気アイドル声優、夢咲こよみのライブステージ?」
「ほう、それはすごいね」
悠季さんは目を丸くしています。それもそのはず、夢咲こよみさんは、アニメを見ないような一般の方でも一度はその名前を耳にしたことはあろうと言う、若手ナンバーワンアイドル声優でした。
「アイドル研究部ね。そりゃまあ、私たちの学校にも多少の知名度はあるけど、なんでそんな有名アイドルを呼ぶことができたのかしら……」
「わからないけど、他の部の屋台とか喫茶店じゃ太刀打ちできないかもしれないね。
ただ、これによるとアイドルを文化祭の3日間拘束するってことだから、相当なお金が動いてると思うよ。
巨額を投資して、来年の予算を大量に確保する……って戦略かな」
「部によって力の入れようがまちまちだね。ボクが名前を貸している陸上部では、野球部と合同でお化け屋敷をやるみたいだよ。
そこでボクは幽霊役をやることになってるんだ」
「ありきたりねえ。まあ、うちはそんなに大掛かりなことしないから、悠季はそっちに専念するといいわ」
「そうだね。大道具や小道具の作成もあるから、しばらくボクは陸上部に顔を出すことにするよ」
そうして、1ヶ月後の時祭を目指して、各部は着々と準備を進めて行きます。
しかし、私の撮る特撮、『時ノ守怪獣大決戦』はあまりしっくりきません。
「うーん、なんか迫力がないなあ。ビルもなんかショボい気がしてきた……」
「個人でこれだけできれば十分じゃないの? 海果音って以外と欲張りなのね」
「あ、珠彩さん、そういう訳じゃないんですけど、あまりにも人形劇っぽくて……背景が部室の壁に貼ったポスターって言うのもなんか……」
「そうね……私がいいところを紹介してあげる。この後時間ある?」
「何かいい考えがあるんですね! ありがとうございます。行きましょう!」
私と珠彩さんがそんな会話を交わしているその時、深織はいそいそと帰り支度をしていました。
「深織も一緒に来るでしょ?」
しかし、深織は一瞬困った顔を見せます。
「あ、いやー、実はね、最近部活に時間を取られ過ぎてるからって、親からお稽古ごとの予定を入れられちゃったんだ」
「確かに、最終下校時刻が20時になってるから、ついつい残っちゃうのよね」
普段は18時の最終下校時刻は文化祭準備のために延長されましたが、20時以降に活動を行った場合、レギュレーション違反となり、来年の部費はゼロとなるそうです。
「お稽古って何?」
「うん……ダンスレッスンかな」
「は? あんた、何を目指してるのよ」
「多分、レッスンの内容はなんでもいいんだよ……体のいい門限みたいなものだね」
少し寂しそうな顔の深織と別れ、私と珠彩さんはあまり人気の無いビル街に辿り着きました。
「ここよ」
そこは学校からほど近いビル街にある雑居ビルでした。かなりの年代物のようですが、隅々まで手入れが行き届いています。
「ここにスタジオがあるんですね!」
「そんな大層なものはないけど……良かったらと思ってね。着いてきて」
「あ、はい……」
そうして珠彩さんに案内されたのは、5階にある生活感の無い一室でした。
「ここはね、パパがひとりで仕事に没頭したい時に使ってるのよ……最近はあんまり熱心に仕事をしてないから、ほとんど使ってないけど……」
珠彩さんはそう言いながら、カーテンを開けました。すると、そこには大きな窓と、その先に立ち並ぶビル群が姿を現します。
「うわー、絶景ですね!」
少し寂れた夕刻の街でしたが、窓から漏れる光は空に瞬く幾多の星のようでした。
「それでね、ここにテーブルを置いて、この窓を背景にするといいんじゃない?」
「いいですね! 夜に撮影すれば光源のバランスも一定になるし……今までの分、撮り直しになっちゃいますけど……」
「ひひひっ、それくらい私が手伝うんだからなんとかなるわよ。時間はあまりないけど、絶対に完成させるわよ!」
「はい!」
珠彩さんと私はテーブルを窓際に移動させ、その上にミニチュアのビルを並べて行きます。
「あ、珠彩さん、ビルは手前だけでいいですよ。なるべく小さいのだけで」
「こう?」
「もっと手前でも……その辺で!」
私はフィギュアを並べ、珠彩さんはデジタルカメラをセッティングして覗き込みます。
「あら、フィギュアにピントを合わせると手前のビルがフィギュアを引き立ててリアルに見えるわね」
「ふふふ、でしょー」
そうして私たちふたりは毎日その雑居ビルに通い、撮影を進めて行きました。
時は流れ、文化祭の前日――
「結局、クライマックスのシーンが残っちゃましたね……」
「うーん、拘り始めたら切りがないわね……少し妥協しないと……」
「前日ですもんね。時祭の前日、時祭イヴですね!」
「海果音、それは私も思ったけど、口に出してはいけないわ」
その日は早々と下校し、夜になるまで待っている間、残りのシーンを撮影する練習をすることになりました。
「ここがふたりの秘密基地か……」
稽古までの時間がある深織も顔を出してくれました。
しかし、熱心に練習を繰り返す私たちを目の当たりにした彼女は――
「今回は私が居なくても大丈夫みたいだね。
でも、ふたりとも、あんまり無理はしないようにね」
――そう言って差し入れのお菓子とお茶を置いて去って行きました。
そして、彼女がその雑居ビルから出る時、急に声をかけられます。
「夢咲、なにしてるんだ、ホテルはこっちだぞ」
それはスーツを着た30代の男性でした。
そんな彼に、深織は困惑の表情を見せます。
「え、なんでしょうか?」
「え、じゃないよ、あっちのホテルだよ」
「ああ、いえ、私はその、夢咲さんではありませんが……」
「……あ、すみません、人違いでした……雰囲気が似ていたもので……」
「そうですか……」
「申し訳ありません!」
男性は深織に深々と首を垂れました。
深織も軽く会釈をしてその場を立ち去ります。
すると、その様子を伺っていたと思われる女性が男性に近付いて来ました。
「ねえマネージャー! さっきのはどういうこと? 私とあの子の雰囲気が似てるって?」
「ああ、夢咲、遅かったじゃないか」
「ちょっと迷っただけよ!」
「お前が人気のないところがいいって言うから……」
「そんなのどうでもいいの! 私とさっきの子が似てるですって?」
「いや、それは、ちょっと慌ててて……」
「ふんっ! どうせ私は一般人と間違われるくらい没個性的よ」
「そんなこと言ってないじゃないか」
「あんな媚びたメイクと衣装なら、誰だってアイドルになれるわよ!
そんなの私じゃなくてもいいでしょ!」
「おい、声がでかいぞ……人が見てないからって」
男性は彼女の剣幕にしどろもどろになっていました。
「そんなの関係ないでしょ! それに、あのメイクと衣装じゃなきゃ私だなんて誰にもわからないわよ!
……大体、私はアイドルなんかやりたいなんて言ってない。
あなたがキャリアを積むためだから、下積みだからって従ってきたけど、こんなの続けても呼ばれるのは深夜のオタク向けばっかりじゃない!
何が主題歌タイアップよ! 何が番宣イベントよ! 私はそんなことをするために声優になったんじゃないわ!
しまいにはライブですって? 人気が出ればとか言ってたけど、サイリウムの付属品みたいな客が私に何をしてくれるっていうのよ!
この髪だって、少し明るい色にしただけで『劣化』とか、『彼氏が居る』とか騒いで、お前らは私のお父さんかよっ!
陰では枕営業とか言われてるかと思えば、『処女だから演技にリアリティがない』とか、好き勝手言いやがって!
あいつらの黒髪処女信仰に付き合ってやらないと仕事がもらえないなんて、もうやってられないわ!
そりゃたまには塩対応にもなるわよ! 何が換金所のババアよ!
その上あいつらときたら、写真を見れば脚が、胸がって……おっぱい、おっぱいって、私だって好きでこんなモノ2つもぶら下げてるわけじゃないわよ!
そんなに欲しけりゃくれてやるわよ! 私にはこの声と演技以外何もいらないのにっ!」
「そんなにお客様を悪く言うなよ……色んなことを言われるのも、お前が慕われている証拠だろ……」
「だからっ! そんな奴らに慕われたって、子供とその親が安心して見られるような、クラフトップの映画には出られないって言ってるのよ!」
「そんなのわからないだろ、それにあの監督だって……ロリコンなんだぞ……」
「監督の個人的な趣味と作品への評価は関係ないでしょ!
あの監督はロリコンかもしれないけど、その情熱を作品に注ぎ込んでいるからこそ、他の人にはマネできない魅力的なキャラクターを創り出すことができるのよ!
それに、自分の欲望をあからさまに表に出したりしない……そりゃ、入れ込み過ぎた想いが滲み出ることはあるだろうけど……
それでも、観ている人がそれに気付かないくらい、エンターテイメント性が高くて、模範的で、優等生的な、家族でも安心して見られる映画を作っている。
だから、世界でも認められる国民的な作家になっているのよ! 彼はアニメを作るプロとして、職人として、恥じることのない仕事をしているわ!」
「お前、相当ストレスが溜まってるみたいだな……
明日からの仕事も、お前が高校時代はアイドルのレッスンばかりでろくな思い出が無いとか言うから女子高の文化祭にしたんだぞ。
空き時間もたっぷりあるんだ。そこで羽根を伸ばしてこいよ」
「話を逸らさないでよ! とにかく、私だって役者としてプロになりたいの!
それなのに……男に媚びるような演技ばっかり上達していく自分が嫌なの……」
「それだって、お前が役者として才能があるからだろ。そしてそれは、いつしかお前の夢を叶える力になる。
そのために今は与えられた仕事の中で全力を尽くすんだ。媚びた演技が嫌なら、少しずつ自分で変えて行けばいいじゃないか」
彼女は先程までの剣幕から一転、神妙な面持ちで視線を落としました。
「……そんなの……わかってるわよ……」
「そうか、ごめんな、夢咲……」
「……! 大体何よその名前! 私の名前は山崎詠子なの! そんな低学歴な親が付けるような名前、要らないわよ!」
彼女の目には涙が浮かんでいました。
「……すまない」
その言葉を聴いた彼女は、しばらくその場でうつむいたあと、そのまま震え出しました。
「ふふふ……わかってるわよ……私だってプロだもの……」
「ど、どうした?」
彼女が顔を上げると、その目はきらきらと輝き、誘うような微笑みを浮かべていました。
そして、彼女は甘いささやきを口にします。
「……ねえ、ここでしよっか」
「急に何言ってんだ? 冗談はやめろよ……」
彼女は狼狽える男性の腕に絡みつき、胸を押し当てます。
「あなたがぁ、私をこんな風にしたんだよ? ……責任取ってね!」
「バカ! やめろ! ちょっと……離れろよ……」
「だーめっ」
そうして、夢咲こよみさんとそのマネージャーは、そのままホテルに消えて行きました。
私と珠彩さんはと言えば、そんなやりとりが交わされているとも知らずに撮影に勤しみ、気付けば時間は日を跨いで、朝を迎えようとしていました。
「おっしゃー! これで終わりぃ!」
「やったわね! 海果音! これで完成よ!」
徹夜明けの血走った目と異常なテンションで私たちはがっちりと握手を交わします。
その後、落ち着いてふたりで夜明けのコーヒーを飲みながら完成品を見ていると、珠彩さんから提案がありました。
「ねえ、海果音、せっかくあなたが一生懸命作ったんだから、最後に挨拶くらい入れない?」
「え? 私がですか?」
「うん、これ、よくできてるし、観た人もきっと、作った人がどんな人か知りたいと思うわ」
「そうですかねえ。だって、上映中は私も居るんですよ?」
「いいから、だってあなた、人前じゃ緊張して話せないでしょ? ほら、ここに立って、私が撮るから」
「わ、わかりましたよお……」
私は窓とテーブルの間、ミニチュアの並ぶ前に立ち、昇ってくる朝日を背に、珠彩さんがいつの間にか用意していたビデオカメラに視線を向けます。
「えっと、この度はこの作品をご覧くださり、ありがとうございました。
私が好きなものは……見ての通りです。えへへっ。
初めてのことでしたので、色々と拙い部分もあったかと思いますが、許してください。
最後に、この作品に協力の撮影に協力してくれた葉月珠彩さんには大変感謝しております。
ありがとうございました」
珠彩さんがビデオカメラを止め、しばらくの沈黙が続きます。
「……な、なによ、最後は私へのメッセージになってるじゃない……」
彼女は顔を真っ赤にして片づけを始めました。
私もそれに続き、程なくして部屋は綺麗になりました。
「まだこんな時間か、ちょっと寝られますね」
「うん、深織に起こしに来いって言ってあるから大丈夫ね。少し寝ましょ」
そうして、私たちふたりは束の間の休息を共にします。
意識が薄れゆく中、サイレンの音が遠く響いているのが聴こえました。
そして、数時間後――
「珠彩、海果音、起きなさい」
「……ん、もうそんな時間?」
「ふぁぁぁー、おはようございます……」
文化祭の前日が繰り返されるなどと言うことはなく、私たちは雑居ビルの前に停めてあった深織の家の車に同乗し、登校しました。
「おはよう、みんな」
校門では悠季さんが待っていてくれました。
また、教員から登校してきた生徒全員に、5枚のコインが手渡されているようです。
部室までの道すがら他愛のない会話を交わす私たちなのでした。
「海果音ちゃんと珠彩ちゃんはちょっと疲れてるみたいだね。目にクマができてるよ」
「あはは、私が悠季さんの代わりに幽霊の役で出ましょうか?」
「うう、お風呂入りたい……」
珠彩さんはそう言いながら、部室で上映の準備を済ませると、そのまま椅子で寝てしまいました。
私も寝ぼけ眼で機器の操作をリハーサルします。
そして、いよいよ時祭の開催時間が近付いてきました。
「じゃあ、ボクは陸上部に戻るよ。あとで見に来るから」
そう言って悠季さんは部室を出て行きました。
陸上部と野球部合同のお化け屋敷が設置されている体育館に向かう道すがら、彼女は騒ぎを耳にします。
「大変! 昨日ホテルで事故があって、夢咲こよみさんが来れなくなっちゃった」
それはアイドル研究部、部長の十朱まよいさんの声でした。
「うん、詳細はわからないけど……とにかく3日とも出られないって今連絡が」
十朱さんはひどく落ち込んでいるようでした。
そんなステージが立ち行かなくなったアイドル研をかばうこともなく時祭は開催しました。
そして、私たちが作った「時ノ守怪獣大決戦」はと言えば――
「誰も来ない……」
呼び込みを引き受けた深織は頭を抱えていました。
機材を操作していたはずの私も、その椅子で寝息を立てている始末でした。
「ロゴ部でーす! 特撮やってまーす!!」
深織の叫びは虚しく廊下に響き、行き交う幾多の生徒や来客も足を止めることはありません。
しかし、精一杯の声を張り上げる彼女に注目する者がひとりだけ居たのです。
「みなさーん! 見て行ってくださーい! 特撮でーす! 10分と短いので、お時間は取らせませーん!」
「……あ、あの」
「あっ! 見て行ってくれるんですか? ありがとうございます!!」
深織はそのお客様候補を逃すまいと勢いで捲し立てます。
しかし、その相手は冷静でした。
「いえ、違います。あなたにお願いがあるんです」
「……では、見てくれないと……?」
「その件は申し訳ありません。
私はアイドル研究部、部長の十朱と言います。あなたの声とそのオーラを貸していただけませんか?」
「どういうことですか?」
「実はですね、今日、私たちが開催しているステージの出演者が土壇場で出られなくなりまして、それで……
あなた、声優の夢咲こよみさんに似ているって言われたことありませんか?」
「そ、そんなこと言われたことないですけど……」
深織は前日に人違いで声を掛けられたことを思い出していましたが、冷や汗をかきつつも、それを気取られないようにしていました。
「とにかく、その声と容姿ならこよみさんに勝るとも劣りませんので、私たちのステージに出て下さい!」
そうして土下座を繰り出す十朱さん、後ろに並んだ部員たちも同時に土下座をしていました。
「うーん、困ったなぁ……」
――私は遠くから響く、聴きなれた声に目を覚ましました。
「ありゃ、もうこんな時間か……誰も来なかったのかなぁ……あ、珠彩さん……って寝てる……」
私は休憩と看板を出し、部外者が誰一人足を踏み入れなかったと思しきその部室から出て、各部の出し物を見て周ることにしました。
「たこ焼きでーす! 食べて行ってくださーい!」
「寄ってらっしゃいませ! ご主人様!」
「コイン落としに体当たりしないでください!」
屋台、喫茶店、ゲームと様々な出し物がひしめき合う校舎を抜け、渡り廊下を通って体育館に行こうとしていると――
「あー、居た居た、待ってー海果音!」
それは珠彩さんでした。
「はぁ……休憩するのはいいけど、私も起こしてよ! もう!」
「いやぁ、すみません、気持ちよさそうに寝ていたもので」
「……それはごめん、あはは……ちょっと疲れすぎちゃったみたいね。
それで、どこ行くの?」
「いえ、悠季さんの様子を見に行こうかなって」
「ああ、そういえば、悠季って陸上部だっけ? 何かやるって言ってたような……」
私たちはお化け屋敷の前までやってきました。
「ああ……そうだったわね、お化け屋敷……」
「珠彩さん、私ひとりじゃ怖いんで、一緒に入ってくれますか?」
「怖い? ああ、そうね。海果音も怖いのよね……」
私はそんな彼女を尻目にお化け屋敷の受付で100ポイントのコインを2枚支払い、振り向きました。
「……来ないんですか?」
「行くわよ、行くに決まってるでしょ! ちょっと待ってて!」
珠彩さんはガクガクと震え、冷や汗を垂らしながら入場の手続きを済ませます。
「じゃあ、行きましょう」
「ああっ、海果音、置いてかないでっ」
体育館の一角を迷路のように壁で区切り、お化け屋敷は設営されていました。
壁の上から天井のように布が被せられて暗くなった道を歩く私。
私の両肩に後ろからしがみ付く珠彩さんの手は、震えていることがはっきりとわかります。
周りには、人の顔が浮かぶ提灯や、井戸から出てくる無数の手、墓石から急に両腕が生え顔を出してロボットのようになったりと、かなり凝った造りになっていました。
それらに遭遇する度に肩を掴む手には力が篭り、私にはお化けよりその肩の痛みの方に恐怖を覚えました。
そして、最後は少し広いところに出ます。
暗くてわかりにくかったですが、ミイラのように包帯をぐるぐる巻きにした人が解説を始めます。
「ここは最後のチャンスゾーンです。
このバットで向こうから飛んでくるコンニャク球を打ち返せれば、素敵なプレゼントを差し上げます」
ミイラさんは私にバットを渡すと、後ろに座り込み、キャッチャーのように構えます。
すると、正面から幽霊が現れ、大きく振りかぶりました。
「わわわっ!」
私は慌ててバットを振りましたが、手ごたえは全くありませんでした。
しかし、コンニャク球が何かにぶつかった音が確かに聴こえたのです。
「痛てっ!」
コンニャク球は、何故か私の前で座り込んで震えていた珠彩さんにヒットしていました。
「ああ、ごめんなさい、そんなところに人が居たなんて」
そう言って近寄ってきたのは、ピッチャーをやっていた幽霊の人でした。
「あれ? 海果音ちゃんと珠彩ちゃんじゃないか」
「悠季さん!」
「いい音したねー、やっぱ大地さん、野球部に入ってよ、お願い!」
ミイラさんは急に悠季さんの勧誘を始めました。
「いやいや、なんども断ってるじゃないか。申し訳ないけど」
「そっかー、やっぱダメかー……そう言えば、あなた、大丈夫ですか?」
ミイラさんはまだ座り込んでいる珠彩さんに声を掛けました。
しかし、彼女はうんともすんとも反応しません。
「……あー、珠彩ちゃん、ここを出たら右に行くといいよ」
幽霊メイクがばっちり決まった悠季さんの助言通りに、お化け屋敷を出た彼女は、赤い人のマークがついた部屋に駆けて行きました。
「海果音、ごめん、先に戻ってて!」
お化け屋敷を出たところは校庭でした。遠くにはステージができており、大変盛り上がっているように見えます。
その時、丁度出演者が退場したところのようで、大声援が響いていました。
「「「「アンコール! アンコール!」」」」
そして、舞台袖では――
「星野さん! 今のすごく良かったですよ! ほら、アンコールもかかってるし! もう一曲、行っちゃいましょうよ!」
「十朱さん、ごめんなさい……今日はもうこれで……」
苦笑いを浮かべる深織、しかし、アイドル研究部、部長の十朱さんは引きません。
「何言ってるんですか! ファンの声に応えるのがアイドルの仕事ですよ!」
「じゃあ、この曲のオケがあれば……」
深織はいつも持ち歩いて聞いている音楽プレイヤーのリストを見せました。
彼女は、そんな曲のオケがある訳がないと高を括っていたのです。
「ありますよ! 行きましょう!」
「えっ……」
――私はステージの人だかりの一番後ろにつき、誰が出てくるのかを見守っていました。
観客席は有料でしたが、どこまでが観客席なのかわからないほどに、その人だかりは膨れ上がっていました。
すると、曲が流れ出し、フリフリのドレスを着た人が舞台袖から駆け出してきます。
「み、深織! なんで……」
「「「「うわぁぁぁぁ!!」」」」
普段女子高に足を踏み入れることのない男性の野太い声援が響き渡ります。
そして、深織はレッスンの成果とも言える切れの良いダンスを披露しながら歌い出しました。
「すっくとーたーちあがりっ にらむ ひとみがーもーえあがるー きめのせりふがぁ でてこないー♪」
唖然とする私をよそに、地響きを立てて盛り上がる観客たち。
深織の歌う舞台には、いくつものコインが投げ込まれていました。
「うわっ……あいつ、何やってるのよ……」
私の後にはいつの間にかトイレで用を済ませた珠彩さんが立っていました。
「ト、トイレなんて行ってないわよ!」
珠彩さん、私の心を読まないでください。それとも私が口に出して訊ねるとでも思ってたんですか?
「とりえはひとつだけーどー わかるでしょきみこっそっすたっあーぁぁぁ♪」
曲が終わり、彼女が舞台袖に消えたかと思うと、観客の男性は口々に感嘆の声を漏らします。
「いやぁ、すごい、こよみちゃんが出られないって聞いて愕然としたけど、あんな子が居たなんて」
「あの子、ここの生徒さんらしいよ。現役女子高生の生ステージ!」
「彼女は天使だ!」
「いや、違う、彼女は悪魔だ! 僕らに甘い罠をかける人だ!」
そして、止まない熱気に押されてか、再び曲が始まり、またもや深織が駆け出してきます。
「……海果音、あんなの放っといて行くわよ……」
「あ、はい」
私は部室に戻ると、途中で珠彩さんに買ってもらった焼きそばを食べながらお客さんを待ちました。
その日は数名のお客さんが私の特撮を見てちょっと感心したような表情で帰って行きました。
その間も校庭からは野太い声援と、深織の歌声が響き渡り続けていました。閉会時間まで。
しかし次の日、思わぬことが起きたのです。
「もう一回見せてくれ!」
「お願いです!」
「俺まだ見てないよー」
「え? え? 間もなく始まりますから、落ち着いて並んでください!」
私たちの特撮上映会は、何故か長蛇の列ができるほどの大盛況となりました。
受付の珠彩さんがやっとのことで休憩の看板を出して、私たちは逃げるように校庭に出ます。
「ああ、そういうこと……」
携帯電話でネットをチェックする珠彩さん。
私は彼女に買ってもらったお好み焼きを頬張っていました。
「もぐもぐ……どぉしたんですか?」
「海果音、口にソースついてるわよ……いやね、私たちの特撮が大盛況な理由がわかったわ」
私はポケットティッシュで口についたソースを拭いながら、珠彩さんが差し出した画面の掲示板に目を通します。
「特撮の最後の方の地味なメガネの子の後ろのホテルの窓から飛び降りている人影が見える……?」
「そう、それがね、夢咲こよみが泊まっていた部屋なんだってさ」
「私ってそんなに地味ですかね……」
「ちょっと、急に泣き出さないでよ!」
珠彩さんはハンカチで私の涙を拭いながら続けます。
「ほら、あのステージに出演する予定だったでしょ? だからあそこに泊まってたみたいでね。
事故があって救急車が出動したらしいけど、朝方ってこともあって目撃者が居なかった。
だから、事故と言っても詳細は隠蔽されていたの」
そのステージには今日も巨大な人だかりができ、そこでは深織が歌い、踊っていました。
「しんぱいーをー させたくーてー とーおーりへー とびだしーたあーぁぁぁぁ♪」
珠彩さんはそれに呆れ果てた視線を向けながら更に続けます。
「……でね、あなたの『許してください』って言ってる後ろでかすかに『許してくれ』って言ってるように聞こえるんだって」
「そ、そうなんですか……そりゃまた、とんでもないものが映ってしまいましたね……」
私たちは舞台の深織に目もくれず部室に戻ると、早速映像をチェックしてみました。
「あ、逆光で良く見えないけど、確かに人が落ちてますね。『許してくれ』って言うのも聞こえます」
「うん、人が飛び降りた後に窓から乗り出してる影も見える。これは夢咲こよみ以外にも誰か居たってことね。
……ふふ、ふふふ」
「しゅ、珠彩さん……?」
不気味に笑う珠彩さん、そして彼女は右手の拳を固く握って口を開きます。
「稼ぎまくってやるわよ!!!」
「珠彩さん、声、大きいです……」
そうしてその日、最後の数秒間を見るためだけにコインを支払い、私たちが作った10分間の特撮映像を見せつけられる人々は後を絶ちませんでした。
大量のコインを得た私たちは、次の日も同じように上映会を続けます。
そして、お昼休憩の時間――
「もぉー ひとりー ぼっちじゃー ないーぃぃ あー なたがー いるからーぁぁぁぁ♪」
私と珠彩さんは、屋台で買ったカレーを口に運びながら、今日もステージで元気に歌う深織を眺めていました。
「あいつ、いつまであれを続けるつもりかしら……」
「空前絶後の人気ですよね……あれだとコイン獲得枚数1位はアイドル研究会になりそうですね」
私たちが深織の終わることのない歌声を聴きながら部室に戻りました。
上映会を再開し、お客さんを入れ替えている時、私はスーツの男性に声を掛けられました。
「この映像……買い取らせてもらえませんか?」
「え? どういうことですか?」
「何々、どうしたの?」
珠彩さんが身を乗り出してきました。
「ああ、もしかして責任者の方ですか? この映像を買い取らせていただきたく……最後の部分だけでいいんです。
それと、今後、その部分は上映しないでいただきたい」
「いや、それはちょっと……」
「この金額でいかがですか……」
この時私は、人間の目の色が変わる瞬間を初めて目にしました。
「あーいのー ために ふーたぁりー できるー こーとをー おしえーてーほしーいーぃぃ♪」
部室は不自然なほどに静まり返り、遠くから深織の歌声がやけにはっきりと聴こえてきます。
「……わかりました……ですが、全てここのコインでお支払いいただけますか?」
そうして珠彩さんは、米俵に入りきらない程の大量のコインと引き換えに、最後の動画部分をデータで渡し、特撮映像から削除しました。
「クク、ククククク……」
その後、上映会は特撮部分の効果音と珠彩さんの小さな笑い声が響き続け、ひとりの熱心な特撮ファンのリピーターを除き、誰一人として来客することはありませんでした。
しかし、珠彩さんにとって、招かれざる客がやってきたのです。
「葉月さん、あなたこの部の部長よね? ちょっとお話よろしい?」
「はい……先生、どうしたんですか?」
「いやね、ちょっとテレビを見てたら緊急ニュースがやってて、顔にモザイクと、声は変えてあったけど、うちの制服が映っててね」
「はぁ……」
「それでね、その映像、ここで流してたものなんだって?」
「はい、そうですね……買い取ってもらいましたけど、いけませんでしたか?」
「そう……買い取ってもらったことも問題と言えば問題ではあるけど……あなた、部員を20時以降も働かせ続けたわね?」
「……え? あ! 海果音! 逃げるわよ!」
「こらー、それはレギュレーション違反よー!!」
私は大量のコインが入った袋を背負って校庭に逃げてゆく珠彩さんとそれを追う先生を、目で追うことしかできませんでした。
「止まりなさーい! 葉月さーん!」
「先生! 話せば、話せばわかります!」
珠彩さんはステージの人だかりの前を走り抜けます。
「あ、深織だ! 助けて! みおりぃーっ!!」
「もーしか もーしか あーいはもしかしーてー ほーおりー なーげた ぶぅーめらんー♪」
「ちょっとぉ! 聴いてんの? みおりーぃっ! …………ホント、あいつと付き合うのは並大抵のことじゃないわね……」
「待ちなさーい!」
そして、前を通り過ぎた珠彩さんに気付きもしなかった深織は、時祭最後のステージを降りました。
「結局、ロゴ部では何もできなかった……みんなどうしてるのかな」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
深織は部室に向かう道すがら、黒髪の女性に声を掛けられました。
彼女のその顔立ちは整っており、透き通るようなきれいな声の持ち主でした。
「はい、なんでしょう」
「さっきのステージ、感動しました。アイドルか声優を目指してらっしゃるんですか?」
「……ああ、ステージは偶然なんですけど、声優を目指してはいます。一応」
「そうですか……じゃあ……がんばって……くださいね」
深織は彼女の微笑みに底知れぬ何かを感じ取っていたのでした。
そして、時祭が明けて数日後――
「結局、あのビデオを買い取っていったのは、芸能ジャーナリストだったみたいね。
あのあとすぐに緊急特番であれが流れたみたいよ」
「ん? これは……」
携帯電話でニュースを読んでいた悠季さんが声を上げました。
「どうしたの?」
「いや、隠蔽されてた夢咲こよみさんのホテルでの出来事なんだけど、真相が解明されたみたいだよ」
「真相……ねぇ」
「うん、えっと、あのホテルから飛び降りたのは夢咲さんのマネージャーで、救急車を呼んだのは彼女だったらしいよ」
「えっ……そうだったんですか?」
「ああ、それでか……」
深織には何か心当たりがあったようでした。
「ところで、時祭のコイン獲得数ランキングってどうなったんですかね?」
「ああ、あれ? 私たちのは全部没収されちゃったのよね……まあ、私が悪かったわ」
「いえ、私も楽しかったですから、ちょっと残念ではありますけど。
……となると、1位はアイドル研究部とかですかね?」
「いや、違うよ。アイドル研究部は2位」
深織はあっさりと私の予想を否定しました。
「え? あんなに集客してたのに?」
「うん、一番儲かったのは、コイン落としを設置していたゲーム部だったんだって。
結局、経済ってのは相場そのものを操作するのが一番手っ取り早いってことだね」
悠季さんはそれに、乾いた笑いを漏らします。
「コイン落としって……それはまた、笑えないオチだね」




