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第20話 ディスプレイ越しの感情

「SNSって何? 死んだ魚の……」


海果音(みかね)、そこまでにしときなさい」


 なぜか私は珠彩(しゅいろ)さんにたしなめられてしまいました。

 私は帰りのホームルームで配られた手のひらサイズのタブレットを片手に、部室の椅子に座っています。

 タブレットの画面には「クロネット」というタイトルが。

 時ノ守女子高等学校では、その年の2学期から、教育の一環として、校内SNSを立ち上げることになったのです。


「ソーシャルネットワークサービス、ネット上で社会を形成するサービスだね。

 ネット上にアカウントを作って、他の人と会話したりしてコミュニケーションを取るんだ。

 それを校内に構築して、全校生徒でネットリテラシーの学習をしようってことさ」


 悠季(ゆうき)さんが解説してくれました。

 ふと深織(みおり)を見ると、その顔は曇っています。


「ねえ、海果音……あなたは止めておいた方がいいんじゃない?」


「え、どういうこと?」


「やめておくって、全校生徒が今週中にアカウント作れって言われてるんだから、無理でしょ。

 あんた、海果音がネットで心無い発言を受けて、打ちひしがれて挫折するとでも思ってるの?」


 珠彩さんは深織に訝しげな目を向けました。


「いや……そういう訳じゃないけど……海果音って意外と神経が図太いからね。

 ただその、ちょっと不安で……」


「ふーむ、深織は私を心配してくれてるの?」


「うーん、そういうことかな。まあ、なんか困ったことが起きたら私に言うんだよ」


「わかんないけど、わかった」


 私は深織にとりあえずの了解を伝えると、アカウント作成のためにタブレットを操作します。


「名前を決めて下さいって、みんな本名だよね?」


 すると珠彩さんは、含みのある笑いを浮かべました。


「……ふふふ、海果音、もうそこから学習は始まってるのよ。

 本当に本名で登録しちゃっていいの?」


「なるほど、本名でなければならないなら、『名前を決めて下さい』とは書かないよね。じゃあボクは『ジオ』にしとこうかな」


 悠季さんは、片手の親指でささっと操作して、アカウント登録を終えました。


「じゃあ、私は『インヘリタンス』か……」


「私は……『ミストレス』? だったわね」


 深織と珠彩さんも悠季さんに続きます。


「ええっと……じゃあ、私は……『テツジン』だったっけ? なんかやだなあ……」


 私は深織の顔色を伺うように視線を流しました。


「海果音の好きなのでいいんじゃない? 『28号』でも、『白い歯とそれとモアイ』でも」


「なにそれ……じゃあ、私は……『ネイキッド』で……」


「匿名なのに丸裸って、皮肉で洒落てるじゃない。いいセンスね」


 珠彩さんは登録情報を入力している私に笑いかけてくれます。

 後でわかったことですが、この校内SNSクロネットは、ユーザーが匿名で使うことを前提に作られていたのでした。


「でも、匿名とは言っても、これを使ってるってことは、この校内の誰かってことなんですよね?」


「そうだね。だけど、そこは学習だから、匿名だって仮定して使うってことなんじゃないかな」


「なるほど、とりあえず安全圏内でネットでの立ち振る舞いを勉強しようってことですね。

 しかし、学校も急にこんなシステムを立ち上げるなんて、どっかの民間企業に委託してるんですかね?」


 私は何故か、そんなことが気になっていました。


「違うよ。これはこの学校のSNS部が運営してるんだって。

 それも教育の一環なんだってさ」


 深織は何故か校内の事情に詳しいのでした。


「えっ、それって結構すごいことなんじゃ」


「ふーん、あの活動と称してネットでレスバトルしてただけの部がそんなことをね。

 まあ、大方ネットに転がってたSNSのパッケージをサーバーに展開しただけでしょ。

 あとは、生徒に配布したタブレットのMACアドレスからのアクセスのみを許可すれば、校内限定の閉鎖的ネットワークのできあがりって訳ね」


 IT関係の情報に強い珠彩さんは、そのように推察しました。


「ユーザー検索……『ネイキッド』……あ、居た。

 これが海果音だね」


 深織は早速検索機能を使って私のアカウントを発見しました。

 私のタブレットには、「よろしく」というインヘリタンスさんからのメッセージが表示されます。


「この『友達になる』ってのを押せばいいのかな?」


 私はメッセージの下に表示されたそのボタンをタップします。

 深織のタブレットにはその通知が届いたようで、彼女はそれを許可。

 すると、インヘリタンスさんが友達リストに追加された旨のメッセージが表示されました。


「じゃあ、私もあんたたちと友達になっておくわ」


「じゃあボクも」


 そうして、私たちは皆、友達リストに3人が登録された状態となりました。


「これ、グループに入ることで複数人での会話ができるみたいだね」


「このグループ一覧ってやつかしら?

 数学、国語、英語、社会、科学、体育、議論、アンケート、運営……これは学校側が初期登録したグループみたいね。

 各教科のグループは、これで意見交換して学習に役立てろってこと?

 あ、グループを作成ってのもあるわ……ふふふ」


 私がグループ一覧から「数学」を開くと、もうすでに何件か投稿がありました。

 他の教科のグループも見てみようと、グループ一覧画面に戻ると――


「あ、『ステラソルナ』ってこれ、私たちのでいいんですかね。参加しますね」


 そのグループを開くと、そこには「このグループは参加者からの紹介のみで参加することができます」のメッセージが。

 ほどなくして、タブレットには「ステラソルナに招待されました。参加しますか?」のメッセージが表示されました。


「そのグループは『プライベート』に設定したの。説明によると、作成者、参加者からの招待のみで参加できるみたいよ。

 参加するまでは投稿も見えないんだって。

 各教科のグループは『パブリック』に設定されているみたいね。そっちは参加自由で外から投稿も見える。

 あと、ユーザーがグループを作成するときに、プライベートとパブリックを選択することができるわ」


 どうやら「ステラソルナ」は珠彩さんが作成したようです。

 私はメッセージの下の「はい」ボタンをタップしました。

 すると、既にインヘリタンスさんとジオさんも、グループ「ステラソルナ」に参加している状態でした。


「しかし、これじゃ匿名の意味がないね」


 深織が少し鼻で笑って見せます。

 すると、グループ「ステラソルナ」には悠季さんが入力したメッセージが表示されます。


 ジオ「いや、この学校の生徒は1,000人もいるんだから、匿名性はこれから発揮されていくんじゃないかな」


 ネイキッド「なるほどですね!」


 私もメッセージを投稿しました。


 ミストレス「あんたたち、目の前にいるんだから直接喋りなさいよ」


 それは珠彩さんからのメッセージでした。

 そして、その下にはインヘリタンスさんからの「**も使ってるじゃない」のメッセージが。


「あれ、『珠彩も使ってるじゃない』って書いたのに……」


 深織が首を傾げます。


「それはきっと、校内のデータベースと照合して、個人名は表示しないようになってるんじゃない? 手の込んだことするわね。

 それに、このタブレット、ランダムに配られた訳じゃなくて、先生は番号を確認しながら配ってたわ。

 ということは、匿名でもいざって時には個人が特定できるってことね」


 インヘリタンス「****」

 インヘリタンス「****」

 インヘリタンス「******」

 インヘリタンス「**」


「しゅいろ、シュイロ、shuiro、葉月……カタカナもひらがなもローマ字もダメだね。苗字だけでもダメ」


「ちょっと深織、人の名前で遊ばないでよ!

 ……でも、マニュアルを読んでみると、実名で登録している人の名前は表示できるみたいね」


 そうして、私たちは部室から三々五々解散したあとも、クロネットによる会話を続けていました。


 ミストレス「あら、そろそろ10時ね。もう寝ようかしら」


 普段なら私は21時までには寝るようにしているのですが、その日はクロネットによる会話が弾み、時間を忘れていました。

 そして、私が「もうそんな時間?」と書き込もうとしたその時――


 システム「授業中と22:00~06:00はアクセスできません」


 というメッセージが表示されて、画面は固まってしまいました。

 私はその教育的配慮の行き届いたシステムに感心しながら就寝しました。

 しかし、そのシステムの運用開始から1週間ほど経つと、早くも問題が発生します。

 私たちの部活では、パブリックグループをウォッチするのが日課になっていました。


「各教科のグループ……荒れてるわね」


 珠彩さんはやれやれと溜息をつきながら、その様子を眺めています。


 ○○「なんでこんな簡単なこともわからないんだよ?」


 ××「説明の仕方が悪いんだよ! 相手の気持ちを考えられない人でなし!」


 どのグループでも、質問者に対する回答者の歩み寄りが見られない状態となっていました。

 それに対し、質問者も売り言葉に買い言葉で相手の人格を攻撃したりしています。

 私はそんな各教科のグループには怖くて参加できず、独自にパブリックグループを立ち上げていました。

 しかし、私の立ち上げたグループ「プログラムビギナー」でも、ちょっと困ったことが起きていました。


「でも、海果音のグループはうまくいってるじゃない」


 珠彩さんはそう言ってくれますが――


「そんなことないですよ。私がプログラムを教えてもらおうとして立ち上げたグループなのに、他の人の質問に私が調べた結果を回答することになってて……」


 そう、そのグループでは、無限ループを回避する方法、オブジェクト指向プログラムの作り方、正規表現の使い方、処理速度の向上などについて質問が飛び交い、私が調べて、色々な手法を比較検証した結果を書き込むというのが定番になっていました。


「でも、みんな『ありがとうございます』って丁寧にお礼してくれてて、良い空気じゃない。

 海果音の説明も、調べた手順を簡潔にまとめてて、わかりやすいわ」


「えー、そうですかね。最近これのお陰で忙しくなっちゃって……」


「でも、海果音も調べた結果が身についてるでしょ? プログラムを習得するっていう目的に適ってるじゃない」


「言われてみればそうですけど……ってかなんで珠彩さんはこのグループに参加してくれないんですか? 珠彩さんならすぐにわかりそうなのに……」


 すると、その時、プログラムビギナーの会話に、表計算ソフトの関数に関する質問への回答、調査結果が投稿されました。


「これ、いつも質問してくれてる人からだ! うわ、わかりやすい。この関数ってこうやって使うんですね……」


「ふふ、私が居なくても大丈夫じゃない。

 むしろ私みたいなのは居ない方がいいのよ」


「うう……先に回答された……嬉しいし、ためになるけど……ちょっと悔しいですね」


「あははははは! 海果音、それはいい傾向よ! そうやって切磋琢磨していけば私の助言なんて必要ないわ! やっぱり私は参加しなくて正解ね!

 ……それにね」


 珠彩さんが何かを言いかけた時、深織が口を挟みます。


「じゃあ、珠彩は『素直になるためのグループ』でも作ればいいんじゃない?」


「なんですってぇ!」


 いつものように喧嘩をおっぱじめるふたりですが、その様子に目もくれず、悠季さんは感心したように呟きます。


「そうか、お互いが同じ立場で教え合えば、回答者が質問者を貶めるようなことにはならないんだ」


「……そうよ。だから、プログラムについて私が"解っている"立場から説明しても、うまくいかないか、最短距離で解答に導いてしまうから、相手の身に着くこともない。

 その上、回答者は教えてもらって当然という感覚になってしまう。その意識の食い違いが問題なのよ」


 珠彩さんは深織の両肩を掴んで壁に押し付けたまま振り返りそう語ります。


「そこまでわかってて教えないなんて、珠彩は意地が悪いね」


 深織は口ぶりとは裏腹に何故か笑顔でした。


「人聞きが悪いわね。これは学習でしょ。問題をすぐに解決しても、得られる収穫は少ないわ」


「でも……各教科のグループは日に日に人が減っていって、なんか参加しづらい雰囲気になってます」


 私はタブレットをスワイプしながら、そのメガネを通した赤い眼に、惨状とも言える画面を映していました。


「珠彩、ごめん。ちょっとどいて」


 深織は珠彩さんを丁寧に引きはがし、椅子に座って何やらタブレットを操作し始めました。


「……深織ちゃんは大胆だね」


 悠季さんが不敵に笑います。


「どうしたんですか?」


「運営グループを見てごらん」


 そこには、インヘリタンスさんからの投稿で、

 「各教科のグループは、その教科の成績が3以下の人しか参加できないようにしてはいかがでしょうか」と書かれていました。


「海果音が悲しむ顔は見たくないからね……」


「そっか、どの端末を誰が持っているかを管理されてるってことは、成績と照会することができるってことね。

 ちょっと強引な手だけど、ベターだとは思うわ」


 珠彩さんは優しい目でタブレットを操作します。

 すると運営グループにはミストレスさんのメッセージが表示されました。


 「参考として、プログラムビギナーのグループは、お互い同じ立場で教え合うことによって、大変上手く回っています」


 そして数分後、その下には教員からのメッセージが。


 「確かにそうですね。インヘリタンスさんの提案を検討してみます」


 それから数日後、各教科のグループには成績によるゾーニングが施行され、それが功を奏して、その空気は緩やかに、穏やかになっていきました。

 最初は差別だなどと言われていたこの施行ですが、ほどなくして、成績上位者は自主的に上位者だけのグループを作り、そこで日夜研究発表などを繰り返しています。

 しかし、まだ安心はできませんでした。

 一部のユーザーは、各教科のグループ以外でも相手を口汚く罵ったり、傷つける発言を繰り返していたのです。


「なんか、みんなの書き込み頻度が増えるにつれて、どんどん空気が悪くなってるような気がしますね……」


「海果音、そんなこと言ってもね、それは個人の資質の問題だから、私たちがどうこう言ってもしょうがないじゃない。

 大体、そういうのは本来、運営がどうにかしなきゃいけないのよ」


「そりゃそうだけどさ、海果音が悲しんでるんだよ……なんとかしなきゃ」


 深織は珠彩さんに懇願するような表情をします。


「あんたは海果音を甘やかす親か! ……これが問題なのはわかってるわよ。

 でも私たちにはどうしようもないことじゃない」


「ふうむ、ねえみんな、まずはアンケートってグループで意識調査してみたらどうかな?」


 「アンケート」グループは特殊なグループとなっており、生徒が最大8択のアンケートを生成し、全校生徒に回答を求めることができるものでした。


「悠季さん、なんのアンケートを取るんですか?」


「簡単な二択さ。『あなたはクロネットへの投稿で人を傷つけたという心当たりがありますか?』ってね」


 悠季さんはそのアンケートをグループに投稿し、3日が経ちました。


「約半数の生徒が回答したみたいね……で、この有様か……」


 そこには「ある」が10%、「ない」が90%という結果が表示されていました。


「半数くらいは自覚があっても良さそうなものだけど……ちなみに海果音はどっちにしたの?」


 深織は簡単な質問を投げかけてきました。そんなの決まってます。


「『ある』だよ」


「なんでよ! あんたのどの発言を見ても、人を傷つけるようなこと書いてないじゃない!!」


 珠彩さんに盛大に突っ込まれてしまいました。


「ひええ……いやでも、心当たりあるかないかって言われたら、あるのが普通じゃないですか?」


「バカじゃないの? なんでそんなに自己評価が低いのよ!」


「珠彩は自分の発言が海果音を傷つけるってことを自覚した方がいいよ……」


 深織がフォローしてくれました。

 そして、少し顔を赤くした珠彩さんが続けます。


「……と、とにかく、このアンケートの結果から導き出されるのは……」


「本当に他人を傷つけてる人は自覚がなくて、そうでない人は他人を傷つけてるんじゃないかって気に病んでるってことだね」


 アンケート発起人の悠季さんは、そう結論付けました。


「相手の顔が見えない匿名のネットワークでは、相手を傷つけるような発言をする人が発生するのは避けられないってことなんですかね」


「……海果音、あんたやっぱりいいこと言うわね」


 珠彩さんは何かをひらめいたようにほくそ笑みました。


「なるほど、相手の顔が見えればいいんだね」


「わ、私が言おうとしたのにっ!」


 真顔で言い放つ深織に、珠彩さんは悔しさをにじませます。


「とは言っても、どうすればいいんですかね?」


「深織ちゃんはいつも海果音ちゃんの顔色を見て行動してる節があるよね。

 海果音ちゃんが傷付かないように、過保護ですらある」


「ゆ、悠季、急に何を言うの……」


「いや、ただの感想さ」


「……それは、表情がコロコロ変わるから……その……可愛くて……」


 最後の方は目を逸らして小声で言っていたので良く聞こえませんでしたが、どうやら私を褒めてくれているみたいです。


「……まとめると、相手の顔が可愛くて表情がコロコロ変化すれば、傷付けないように配慮した発言ができるってことかしらね」


 しかし、珠彩さんの言う通りにしようとしても、運用側ではない私たちにはどうしようもありません。

 そんな折、クロネットはシステムの改修が行われることになりました。

 その改修内容とは、発言ひとつひとつに星1~5つの評価が付けられるようになったことにあります。

 そして、発言の評価を平均したものがユーザーの評価となるようにしたのです。

 また、書き込みを投稿する際にいちいち「それは他人を傷つけない発言ですか?」という確認メッセージが表示されるようになりました。

 教員たちはこの評価システムと確認メッセージによって、ユーザーが周りからどう思われているかを自覚させる作戦に出たのです。

 しかし、機能が実装されてから数日経っても、その効果は期待に沿えるようなものではありませんでした。


「好き好んで他人の発言を評価しようなんて人、なかなかいませんよね。面倒ですし」


「そうね。まあ、いい発言をしている人は好評価を受けるようになったけど、心無い発言の抑制にはあまり効果がないみたいね。

 あと、書き込むためにボタンを押す回数が増えてしまうのも手伝って、投稿数自体が減ってしまっているわ」


「やっぱり、相手の顔が見えなければこんなものだよね。

 心無い発言に反論したりする人もいるけど、それだと言い合いになってしまう……」


 悩む深織。

 何故かクロネットの状況を憂いでいる我々ですが、彼女はこれを攻略する手口を探しているように見えます。

 そして、再び彼女は口を開きます。


「ねえ珠彩、これって投稿の評価の傾向から、事前にその書き込みがどんな評価を受けるかって、計算できると思う?」


「文章のパターンからそれの評価を予測するってこと? 人工知能か何か知らないけど、文章を自動で評価するシステムなら、もうネット上にあるわね」


「そっか、じゃあ事前に評価を予測して表示する機能をSNS部に作ってもらおうよ。発言に評価が付けられるようになったんだからできるんじゃない?」


「深織、それはあいつらを買いかぶってるわ。……あった、これを見て」


 それは、SNSパッケージソフトの解説サイトでした。

 見覚えのあるそのレイアウトは、まさしくクロネットと同じものでした。

 私はモニターを覗き込み、珠彩さんがマウスで選択して反転させた部分を読み上げます。


「評価機能の使い方。このソフトには発言ごとに評価をする機能を実装できます。

 この機能を使えるようにするには、設定画面で『評価機能』をONにします」


「……ON、OFFだけの問題……?」


 悠季さんはあっけにとられたような口調でした。


「と、言う訳よ。元からあったものをONにしただけ。

 投稿する時にいちいち確認メッセージを表示する機能もON、OFFがあって、表示される文言を自由に設定できるってだけ」


「でも、無くても作ればいいんだよね。

 運営グループで頼んでみたらやってくれるかも」


 深織の指が素早くタブレットの上を滑ります。

 私がクロネットの「運営」グループを開くと、そこには既に深織が書き込んだメッセージが表示されていました。


 インヘリタンス「最近、人を傷付けるような投稿をする人が増えてきています。

 そこで、投稿の前に書き込みを評価して表示する機能を追加すれば、そういった人も投稿を思い留まるのではないでしょうか?

 ご検討のほど、よろしくお願いします」


 すると、すぐに反応が返ってきました。


 鳴子つぐみ「運営です。そのような機能はありません。追加することもできません。

 大体、投稿の前に書き込みを評価ってどうやってするんですか?」


 鳴子(なるこ)つぐみさんはSNS部の部長さんです。

 彼女はその立場から、本名で登録していたのでした。


 インヘリタンス「ネット上に文章を評価するシステムがあるようですが、それを真似ることは?」


 鳴子つぐみ「無理です。そんないつ完成できるかわからない機能を作る余裕はありません」


 インヘリタンス「外部に開発を委託しては?」


 鳴子つぐみ「ダメです。クロネットの中身をSNS部以外の者に見せるなんてことはもっての外です。

 コンプライアンスに関わる問題です」


 インヘリタンス「そうですか。ありがとうございました」


 と言った具合で、深織の提案はけんもほろろにあしらわれてしまったのでした。


「ほら言ったじゃない。無理なものは無理よ」


 そんな珠彩さんに深織は食い下がります。


「じゃあ……情報処理部なら……」


「情報処理部ぅ? あのね、深織、あいつらはネットで情報を検索して雑談してるだけよ。

 それに、SNS部以外にはソースを渡せないって言ってるじゃない。

 大体、プロでも文章の自動判定プログラムを作るのに3ヶ月はかかるわよ。そんなことしてたら2学期が終わっちゃうわ」


「そんなにかかるの? なんで?」


「あんた、安請け合いしか取り柄のない営業みたいなこと言うわね……

 自動判定プログラムって言ったら、人工知能のようなものよ。

 そんなもの作るならそれくらいかかって当然でしょ」


「情報処理部がダメでも、例えば珠彩なら、作れるんじゃないの?」


「不可能じゃないけど……いや、文章の判定機能なんて3ヶ月あっても難しいと思うわ」


「……あの!」


「ん? 海果音、どうしたの?」


「それって、イチから作った場合の話ですよね?」


「そうだけど」


「じゃあ、もし人工知能が既にあったら? ネットにはあるんですよね?」


「そりゃ、それがあれば組み込むだけだからそう時間はかからないけど、ネットにあるのだって研究機関のものだし……でも、そうね……いや、なんでもないわ」


「珠彩ちゃん、何か心当たりがあるんじゃないかい?」


 悠季さんの問いかけに、珠彩さんは気まずそうな顔で答えます。


「……いや、パパの会社の研究機関にも、『バタフライ』っていう試作品の人工知能があるの。

 でも、ダメよ。会社の資産を易々と学校のシステムに組み込むなんて……」


「でも、シュイロボに組み込んだ人工知能ってそれじゃないの?」


「あれは、あの時は勢いでそう言っちゃったけど……私がマネして作っただけだから、本当の人工知能とは程遠いわ」


 珠彩さんはかぶりを振りながら、深織と目を合わせようとしません。


「……はい、珠彩」


 深織はいつのまにか珠彩さんのポケットから携帯電話を抜き取り、電話帳から「パパ」に発信して、珠彩さんにそれを渡そうとしていました。


「わわっ、あんたいつの間に……」


 慌てた珠彩さんがそれを受け取ると、発信音は消え、彼女のお父さんが出たようです。


「あ、パパ、ごめん、忙しいでしょ? え、そうでもない? あー、何の用かって? えっとぉ」


 深織の凍り付くような鋭い視線は、珠彩さんを捉えて離しません。


「実はね……学校で困ったことがあって……うん、その、『バタフライ』を貸して欲しいんだけど……ダメだよね?

 ……え、いいの? 本当に? ……ああ、そう……わかった、ありがとう」


 珠彩さんの焦りと冷や汗にまみれた通話はそこで終了しました。


「貸してくれるって……最近のパパ、仕事にあんまり頓着しないようになったのよね……危機感が薄いっていうか……」


「ありがとう! 珠彩!」


 珠彩さんの手を取りガッチリと握る深織。


「ちょっと待ってよ、冷静に考えて。

 肝心なのはクロネットに組み込むことでしょ。

 SNS部が私たちにソースを渡すなんてことないでしょうし、サーバーへのアクセスもできない。

 人工知能があるからってどうにもできないわ」


 それに対し、深織はニヤリと笑いながら返します。


「そうかな? なんらかの手段でクロネットのプログラムのソースを頂いて、それに書き込みを評価する機能を組み込む。

 そして、運用が止まっている夜中にそれをリリースして、次の日の朝から使ってもらう。

 SNS部は部活までシステムをいじることができないから、放課後までの間にその機能を生徒たちが認めれば、それを取り除こうなんてできないでしょ?」


 それを聴いた珠彩さんもニヤリと笑いました。


「なにそれ、盗むってこと? あんた、そんなこと考えてるの?」


「できない?」


「深織、あんたも悪い奴ね……それなら、クロネットのサーバーのパスワードを奪うことができれば可能だわ」


 ふたりはニヤニヤと笑いながら、お互いに肘で突っつき合っていました。


「でも、深織、なんでそこまでしてそんなものが欲しいの?」


 そう尋ねる珠彩さんは、真剣な目つきに戻っていました。

 深織も真剣な目つきでそれに答えます。


「他人を平気で傷つけるような発言が飛び交っているのを放ってはおけないでしょ。

 本当は各自が意識して配慮した発言をすべきだとは思うけど……人間はそんなに都合よくできてないからね。

 システムでカバーできるなら、それに頼ってもいいじゃない」


「そう……あんたも意外と甘いのね」


「うーん、人は間違いを犯すものじゃない? それを許すことができるのも、また人間ってね」


「何よ、ただの海果音の受け売りじゃない」


「バレたか」


 深織はバツが悪そうに舌を出しておどけました。


「でも、パスワードを奪うってどうすればいいんですかね?」


「海果音、良い質問だね。それは……」


 深織は悠季さんに視線を向けました。


「ボク? 何をすればいいのかな?」


「そりゃもう、パスワードを奪うと言えば……スパイだよ。

 悠季、私の言う通りに動ける?」


 次の日の放課後、計画は実行に移されました。

 SNS部の部室を物陰から監視する悠季さん。

 彼女はSNS部の部長、鳴子さんが部室に鍵を掛け、帰宅する瞬間を狙いました。


「いてっ」


 そこは廊下の曲がり角、悠季さんは早足で部室を後にする鳴子さんとぶつかり、尻餅をつきました。


「だ、大丈夫ですか? すみません、急いでいたもので……」


「こちらこそ、ごめん……あれ?」


 起き上がろうとする悠季さんの傍らには、学校から支給されたタブレットが転がっています。


「落としちゃったけど……大丈夫かな」


「……」


 鳴子さんはタブレットを片手で操作する悠季さんに見惚れているようです。


「ありゃ……まいったなぁ」


「ど、どうしたんですか?」


 悠季さんは鳴子さんにタブレットの画面を見せました。


「いや、クロネットが起動しなくなっちゃって……」


 それは事前に珠彩さんがクロネットのバグを見付けて、それを利用していたからなのですが、悠季さんは困っている演技を続けます。


「学校から借りてる物なのに……壊しちゃったのかな……」


「……あ、あの……私、それ直せると思います」


「え? 君が?」


「すみません、詳しくはわかっていないんですが、操作中にそうなってしまうことがあるみたいで……

 私、SNS部の部長をやっていて、それをそのタブレットにインストールしたのは私たちなので、もう一度同じことをすれば直るかもしれません。

 とにかく、こちらへどうぞ」


 そのアプリケーションは、ネット上で自動的にアップデートが行われますが、ネットからインストールすると時間がかかるということで、サーバーから直接インストールしていたものでした。


「ちょっと待っててください……」


 鳴子さんはそう言うと、PCを操作し始めました。

 PCにはパスワード入力画面が表示されます。


「そのPCって、ずっと起動してるの?」


「えっと……これはアプリの開発とサーバーを兼ねていて……その方が何かと開発に都合がいいので」


 鳴子さんはそう言いながらパスワードを入力します。

 サーバーが開発環境を兼ねるというのは、アプリケーションをデバッグする時などにネットワークの問題と他のバグを切り離すために都合がよく、実験的で予算の少ないプロジェクトではままあることのようです。

 珠彩さんはそのことを見越していました。

 悠季さんは、タブレットのカメラでその様子をこっそり動画撮影します。


「あ、それ、ちょっと貸してください」


 録画を停止し、タブレットを渡す悠季さん。


「えっと、ちょっと時間かかるんで……そこにかけてください」


「ありがとう。で、なんでそこまでしてくれるんだい?」


「いえ、バグを出したことが先生にバレたら、ちょっと嫌だなって思って。

 なので、原因の解明ができるまでは知らんぷりしてようと」


「なるほどね」


 そこは深織の読み通りでした。珠彩さんがバグを見付けた時点で、それを隠蔽するのが人の心理だと彼女は予想しました。


「……はい、これでインストールし終わりました。起動してみたので、おかしいところはないか、確かめてもらえますか?」


「わかった……大丈夫みたいだね。じゃあ、ボクはもう失礼していいかな?」


 悠季さんは席を立ちます。


「いえ、あの……」


 鳴子さんは頬を染め、座ったまま悠季さんを上目遣いで見つめます。

 彼女がネットでのインストールを薦めずに悠季さんを部室に招き入れたのも、その辺に理由があるようです。


「ちょっと急いでてね、いいかな?」


 悠季さんはしびれを切らしたような態度を取ります。


「あ、はい、ごめんなさい!」


「じゃあ、ありがとう」


 その後、私たちの居る部室に戻った悠季さんは、鳴子さんがパスワードを入力している動画を珠彩さんに渡しました。


「さすが悠季ね。見事にたらし込んでるわ」


 珠彩さんは鳴子さんの手の動きを見ながら悠季さんをからかいました。


「手の動きでそんなことがわかるのかい?」


「ふ……わからないわ。でも、パスワードはわかった」


「ならよかった」


 悠季さんはニッコリと微笑みました。

 そんな彼女に深織が問いかけます。


「で、窓のカギは開けた?」


「最初から開いてたよ。3階の窓から侵入するなんて思ってもみないんだろうね」


「ふふ、じゃあ、うまくいけば明日から開発に入れるわね」


 この人たち、どう見ても悪の組織です。


 次の日の朝――


「あれ? クロネットに繋がらない」


 ベッドの中でタブレットを見ると、「サーバーからの応答がありません」のメッセージが。

 しかし、登校して1時限目が始まる前にはそれも復旧していました。

 そして放課後、部室では――


「で、珠彩、首尾の方は?」


 深織は希望の眼差しを向けますが、珠彩さんは落ち込んでる様子でした。


「……ごめん、ソースとデータは手に入れることができたけど、少し失敗した……」


 そう言いながら珠彩さんはUSBメモリーを差し出しました。


「えっ、どういうこと? ソースとデータが手に入ればうまくいったってことじゃないの?」


「ソースとデータはね……でも……」


 作戦としては、30cmほどの昆虫型ロボット、シュイロボを遠隔操作して夜中の部室に忍び込み、開発ソースを盗み出す。それだけのことです。

 学校には防犯カメラが仕掛けられており、校内の見回りも行われているため、生身の人間が忍び混むことはリスクが高く、壁を上ることもできるシュイロボには打って付けの任務でした。


「PCにパスワードを入力して、USBメモリーを挿入して、操作して……っていうのに手間取っちゃって……

 急いで逃げようとしたらLANケーブルが抜けちゃったみたいなの……まさか、ツメが折れてるケーブルを使ってるなんて……」


「それで朝、クロネットに繋がらなかったんですね」


「そう……LANケーブルを繋ぎ直しただけだから、データを盗んだことはバレてないでしょうけど……でも、シュイロボの遠隔操作って意外と難しくて……」


 珠彩さんは柄にもなく少し意気消沈していました。


「珠彩ちゃん、練習すれば次はうまくいくよ」


 悠季さんが慰めます。


「練習はしたのよ、ロボットの操作があんなに難しいなんて……

 リリースするためには、もっと複雑な操作が必要だから、次はなんかしらの改善策が必要かもしれない」


「でも、シュイロボに『バタフライ』を組み込めば、自動的にやってくれるんじゃないですか?」


「海果音、人工知能っていうのはそこまで万能じゃないのよ。

 知能なんて言うけど、自律的な思考をしている訳じゃない。

 文章の判定に使えるっていうのは統計の域を出ないことよ。

 データベースに集めた情報から事象の相関関係を洗い出して、その関係性に近い判断をする。

 この文字の組み合わせを使っていれば評価が高い、この文法を使っていれば評価が低い……そんなようなもの。

 データベースに入る情報がいくら膨大と言っても、現実世界の情報量に比べれば塵にも満たないわ。

 無限とも言える、常に変化し続ける周囲の情報からどの行動を取ればいいかを選択するなんて、今の技術ではとてもじゃないけどできないわ」


 深織は珠彩さんの肩に手を置きました。


「珠彩、そんなのあなたらしくないよ。とりあえず今は、前に進むことを考えよう。私に手伝えることがあったら言って」


「深織……」


「珠彩さん、私もよく失敗しますけど、それって私にとっては成長するために必要なことなんだって思うんです。

 痛い目を見ないと解らないというか……とにかく、失敗は失敗じゃなくて……私と珠彩さんが同じだなんておこがましいことを言うつもりはなくて……ええと……

 ……あと! 私もプログラミング手伝います。そろそろ勉強の成果を見せないとですしね!」


「そうね……ふふ、ふふふ……」


 顔を伏せ、不気味な笑いを浮かべる珠彩さん。


「ど、どうしました?」


 すると珠彩さんは急に立ち上がりました。


「海果音! あんたは可愛い表情を5パターン作って、星の数に対応させて! ネガティブなものからポジティブなものまでね。

 私はこれに書き込みを評価してそれを表示する機能を組み込むわ」


「……がってんです!」


 そうして珠彩さんと私のふたりは、毎日部活の時間を利用して文章評価機能の開発に勤しみました。

 しかし、開発を進めるうちに、私は変なことに気付いてしまいます。


「あの、珠彩さん……」


「何?」


「これって5段階の表情を表示させるんですよね? でも、星の数って、最初はゼロじゃないですか。

 ということは、ほとんどがネガティブな顔が表示されちゃうってことじゃないですか?」


「……確かにそうね……調子に乗って進めてたら、そんな設計ミスが出てくるなんて……迂闊だったわ」


 珠彩さんは少し困った様子で首を傾げています。


「……それでですね、私、考えたんですよ。

 いっそ、星が付いてない初期状態の発言は全部3つ星にしちゃえばいいんじゃないかって」


「……3つ星か……ふーむ……」


 腕を組んでしばらく考え込む珠彩さん。


「それ、良いわね! 採用よ! 対策を提案できるなんて、海果音もやるじゃない!」


 珠彩さんは私の手を握り、その強さで感謝の気持ちを表してくれていました。


「……!」


 その時、深織の視線が冷たく走ったのを感じました。

 しかし、私たちはそれを気にかけずに開発に集中します。


「深織ちゃん、すごい顔してるよ……しかし、なんで部活の時間内だけでやるんだい?」


 悠季さんの問いに、珠彩さんは当たり前のことのように答えます。


「そんなの決まってるじゃない。このシステムは教育の一環なんだし、私たちもそれに倣うだけよ。

 それに、決められた時間に作り上げるから意味があるのよ。

 ね、海果音」


「あ、はい、やろうと思えばプライベートな時間も使っていくらでもできてしまいますからね。

 そうするとクオリティに走ったりして際限がなくなってしまう、終わるものも終わりません」


「わかってるじゃない……じゃあ、今日はそろそろ切り上げようかしらね」


「はーい」


 その後、珠彩さんと私はそのプロジェクトを通じて以前にも増して意気投合して行きました。


「珠彩さん、表情、とりあえず完成しました。見てもらってもいいですか?」


「……うん、いいわね。私の方もさっきできたわ。結合させましょう」


 そうして、珠彩さんの文章判定機能と、私の表情表示機能を組み合わせ、実行してみました。


「ふふ、上手くいってるみたいね。しかし、この表情の変化、本当に相手の感情が見えてるみたいね」


 手前味噌ですが、文章の入力と共にアニメーションでコロコロと表情を変化させるそれは、機械に感情が芽生えたかのように感じさせるものでした。


「……えっと、表情の切り替えって意外と簡単で、珠彩さんがクロネットに文章判定機能を組み込んでる間に作り込んでみたんですよ」


「生意気なことしてくれるじゃない……あとは、テストしてリリースするだけね。

 深織、悠季、テストをやってくれない?」


「うん」

「いいよ」


 ふたりがテストを実行しているその時。


「ねえ、海果音、あんた、ゲーム得意?」


「得意……かどうかはわかりませんが、好きですよ」


「そう、なんかね、あんた見てると、ちょっと悔しいんだけど、機械と相性がいいんじゃないかって思えてきてね」


「相性ですか」


「うん、作ってもらった表情変化のプログラムも、なんか命が宿ったみたいに見えてね……疲れてるのかしら」


「結構急ピッチでしたからね」


「でね、あんたなら、私よりシュイロボをうまく扱えるかななんて……」


「え、それって」


「大丈夫、サポートはするから。あんたならシュイロボの動きに血を通わせることができると思うの。

 リリース、お願いしていいかしら?」


「……ええ、わかりました。私にできることなら」


「ありがとう。……こないだあんたに励まされたでしょ。そしたらさ、私には仲間がいるんだなって、そう思えて……それで、安心したの。

 なんの根拠もないのに、バカみたいね」


「えー、それって私の言葉に根拠がないってことですか?」


「違うのよ! よくわからないけど、あんたの言葉には不思議な力があるのかも知れないわね」


「不思議な……力ですか」


 その時、深織が血相を変えてやってきました。


「珠彩、不具合が見つかったよ」


「え、何?」


「珠彩と……海果音の距離が近い!」


「……はぁ?」


「深織ちゃん、バグは無かったって報告するんじゃなかったのかい?」


 悠季さんは呆れ果てているようでした。

 ですが、ともあれ開発は全ての工程を終え、準備は整いました。

 そして次の日の夜、そんな私たちの努力の結晶をリリースする時がやってきます。

 私は珠彩さんの家の敷居を再び跨ぐことになりました。


「静かにしてね。燈彩はもう寝てるから」


「はい……」


 時間は22時、普段なら私はもう寝ている時間です。

 ですが、私はその日の放課後、シュイロボの操作を徹底的に練習していたのもあり、興奮と緊張から、目が冴えていました。

 私が座った椅子の前のモニターには、学校付近に忍ばせてあったシュイロボのカメラの映像と、夜の静かな街の音が微かに響いています。


「じゃあ、海果音、お願い。このルートなら防犯カメラの死角を通れるから」


 私は深呼吸をしてから、シュイロボを操作しました。


「そう、やっぱり上手いわね。このまま壁を上れば行けるわ」


 シュイロボの足に取り付けた吸盤でしっかりと壁を掴み、3階にあるSNS部の部室の窓を開けました。


「じゃあ、散々練習したから大丈夫でしょうけど、念のためこの手順書に従ってリリースするわよ」


「はい……まずはモニターをつけて、パスワードを入力して……」


 その後、リリースするデータをUSBポート経由でサーバーに配置し、システムを再起動しました。

 そして、USBの安全な取り外しを行い、サーバーから抜け、モニターをOFFにします。


「ふふ、うまくいったみたいね……ちょっと待って!」


 シュイロボが拾う音からは、足音が響いてきました。

 それは宿直の教員の夜間見回りだったのです。


「海果音、どうしよ……見つからないことを祈るしか……」


 珠彩さんは目を固く閉じ、手を合わせていました。


「任せてください……こうすれば」


 私はシュイロボを操作して静かに床に降ろし、脚部を折りたたみました。

 宿直の教員は、SNS部の部室の扉を開けます。


「あれ……なんか音がすると思ったけど……ん? 床の隅になんかあるわね」


 彼女は手に持った懐中電灯でそれを照らします。


「……なんだ、お掃除ロボットね」


 彼女はそう言って部室を後にしました。

 校内には何台かのお掃除ロボットが配備されており、前回の侵入でLANケーブルが抜けたことも、以前お掃除ロボットが引っ掛けて抜いてしまったことがあったからこそ、それほど気に留められることはなかったのです。


「前から似てると思ってたんですよ」


「海果音、よくやったわ! シュイロボがお掃除ロボット扱いされたのは気に入らないけど……ともかくありがとう。

 あんた、やっぱり機械との相性抜群みたいね」


「なんででしょうね……でもなんか、確かにシュイロボの気持ちがわかるような、そんな気がします」


「あははは! 機械に気持ち? あんた変なこと言うわね。

 でも、私とあんたが出会った時のあの人形と言い、あんたの周りではそんなことがあり得るのかもしれないわね」


「うーん、よくわかりませんが、彼らだって道具として使われるだけじゃ、ちょっと寂しいですよね」


「うん、確かにそうね。さて、じゃあこのまま学校を出るわよ」


 その後、何事もなくシュイロボを退散させた私たちは、それぞれのベッドで達成感を味わいながら就寝しました。

 そして、次の日の朝――


 ミストレス「早速使ってみたわ。ちゃんと動いてるみたいね」


 ネイキッド「そうですね。良かったです」


 インヘリタンス「**も**もお疲れ様。ありがとう」


 インヘリタンス「あっ、ミストレスとネイキッドだった……」


 ジオ「あはは、さて、今日の放課後までが勝負だね」


 書き込み画面に表示された顔は、仕様通り、文章を組み立てるにつれて可愛らしくコロコロと表情を変化させます。

 確認画面も表示されなくなったことも手伝い、その日の書き込み数は今までで最大のものになったのです。

 中には、ポジティブな5つ星の表情を表示させることをゲームのように競う者も現れ、クロネットはかつてない賑わいを見せました。

 そして、運営グループにも、その機能に好意的な声が溢れます。


 ○○「書き込みに反応する表情、すごいですね!」


 ××「これがあると便利ですね!」


 鳴子つぐみ「運営です。ありがとうございます。これからも試行錯誤してゆきます」


「海果音、やったわ。あいつら、私たちの追加した機能を受け入れたみたいよ」


「珠彩さん、私たち、やったんですね!」


 ふたりで喜びを分かち合う私たち。

 そう、SNS部は予想外の出来事に、機能を削除するといった対応をとることができず、その機能は全校生徒に受け入れられたのです。


「しかし、珠彩はひどいことするね。これじゃSNS部の人たちの顔が立たないでしょ」


 深織はSNS部に対する同情をみせます。


「はぁ? 仕様書もテストの証跡もしっかり作って置いてきてやったんだから、逆に感謝して欲しいくらいよ。

 それに、誰がやったかなんて誰にもわからないんだから、やつらの顔に泥を塗ることもないでしょ」


「匿名のシステムに匿名の開発者が貢献か……面白いね」


 悠季さんも満足気な表情を浮かべています。

 しかし、ひょんなことに、そのアップデートでの一番の効果は、投稿に対する評価の初期値が3つ星であるということでした。

 3つ星が付いていると人はどちらかに寄せたくなる心理が働くようで、人の心を動かした投稿はそれなりの評価に落ち着き、取るに足らない投稿は星が3つのままという具合になっていったのです。


「じゃあ、また同じアンケート、取ってみるかい?」


 悠季さんはみんなの返事を待たずにタブレットを操作します。

 そして、「あなたはクロネットへの投稿で人を傷つけたという心当たりがありますか?」というアンケートが再び作成されました。

 結果は、「はい」が80%、「いいえ」が20%となりました。


「みんな自分の書き込みが他人にどう映るかを考えるようになったみたいだね。

 これで海果音が気に病むこともなくなるんじゃないかな」


 深織も安心した顔を見せてくれました。

 しかし、問題はまだ残っていたのです。それは、「議論」のグループにて起こりました。


 鳴子つぐみ「私たちは本名で活動しているのに、匿名で立場を隠してる人たちがいる。それは問題ではないか」


 それは、SNS部の部長の発言でした。彼女は何者かに勝手に機能を追加されたことも手伝い、やり場のない憤りを感じていたのです。

 そして、その他にも全生徒の約半数が本名を登録していたことも重なり、それは大きな議論を巻き起こしました。


 ○○「実名を晒さずに陰でコソコソと活動することが恥ずかしくないのか」


 ××「匿名の人たちは責任を逃れるためにそうしている」


 などなど、状況は次第に匿名派を追い詰めて行きます。


「はぁ……やっぱり最後はここに辿り着くか。やっぱりみんな、どこかで争いを求めてるのかな……」


 深織が「議論」グループを眺めながらため息をつきます。

 彼女は、私が気に病まないようにとずっと気を遣ってくれていました。

 となれば、今度は私が彼女の悲しみを取り除く番です。


 ネイキッド「匿名がそんなに悪いことですか?」


 気付けば私は、「議論」グループにそう書き込んでいました。


 鳴子つぐみ「そんなの悪いに決まってます。実名の私たちが正しくて、匿名のあなたたちは間違ってる。それが当たり前です」


 ネイキッド「正しい? 間違ってる? 物事はそんなに簡単に二元論で割り切れるものではありません。そんな個人の価値観に依存した判断があてになるものですか」


 鳴子つぐみ「では、どうやって判断するのですか?」


 ネイキッド「それは、役に立っているか立っていないかです。匿名で活動することで、現実のしがらみに囚われず、才能を開花させるものもいるのです。

 それに、あなたはSNS部の部長という立場があるから、本名を晒すことが優位に働く。

 現実に生き辛さを感じている人は、匿名だからこそ開放的に活動できるのです。

 そう、現実の立場に根差した世界に向いている者、ネット上の人格に根差した世界に向いている者、ただ単に向き不向きの問題なのです。

 そういう意味で、匿名を許可することは人の役に立っていると言えるのではないでしょうか」


 鳴子つぐみ「私が実名を出しているということがどういうことかわかってないのですか? 私にかかれば匿名のあなたなんて、どうにでもできるんですよ!」


 ネイキッド「やはり、そうやって立場を利用するためにそうしていたのですね。

 ですが、あなたは『ジオ様ファンクラブ』というグループに所属していますよね? あなたが熱心にジオ様の発言を追っていることは周知の事実です。

 そのジオ様は匿名の人物です。なぜあなたはジオ様が誰かということを暴こうとしないんですか?」


 ジオは悠季さんのクロネット上での名前。彼女はネット上で名前を隠していても、人を惑わす色香を振りまいているようです。


 鳴子つぐみ「それは……ジオ様が誰かと想像することが楽しみだからです……それを暴いて、みんなから……自分から夢を奪うことなんてできません……」


 ネイキッド「そう、ジオ様が匿名であるということ、それはあなたや、他のジオ様のファンの心を充実させるために役立っているではないですか」


 私のその投稿から書き込みが止まり、3分ほどが経過しました。

 そして――


 鳴子つぐみ「そう言われてしまっては、反論しようがありません。

 そうですね、誰もが皆、現実での立場を離れて、誰かのための誰かになれるというのは、ネットの有益な利用方法と言えます。

 ジオ様が誰かということより、そこに居るだけで人を惹きつける誰かであるということの方が重要だということが、あなたのお陰で分かりました。

 ありがとうございます。」


 その発言を最後にこの議論は終息しました。

 このような議論が起こることこそが、教員たちがこのSNSを学校に導入した本当の狙いでもあると明かされたのは、2学期が終わる頃のことでした。

 その後、クロネットは匿名と実名が共存する場所として、それからもSNS部による運営が続けられたのです。


「結局、現実でもネットでも、鳴子さんは悠季にたらし込まれてるってことだね」


 深織のその言葉は悠季さんに罪悪感を覚えさせるものでした。


「しばらくクロネットはやめとこうかな……」

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