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第02話 不安の飼い主

 季節は初夏、軽く汗ばむ陽気の中、日向は通勤のため駅までの道を歩いていた。


「ワンワン!」


「ひっ!」


 民家の敷地の塀の中から声がした。

 日向はいつも犬に吠えられる。犬は上下関係に厳しい動物だ。その犬から自分より下等な存在として認識されているのだろう。

 彼女に向かって吠えない番犬は居ないとすら言える。それに、家族や主人を守るためには、おどおど不審者な彼女を警戒するのは当然とも言えよう。

 散歩中の犬にも当然警戒され敵視される。そして噛まれそうになる。その時の飼い主の反応は決まってこんなものだ。


「あらあらごめんなさい、こら、人様に迷惑かけちゃダメでしょ!……何されるかわからないんだから……」


 犬に言葉が通じる訳もなく、そのささやきは日向の心をえぐるだけの凶器に過ぎなかった。

 表面上は謝っていても、犬同様に彼女に対する不信感を抱き、それを隠そうともしない飼い主。


「ああ……いえ、お気になさらず」


 日向は動物好きを自認していたが、ペットとして飼うことには非常に抵抗があった。


(そもそもペットっておかしくない? 動物本人の意思にはお構いなしじゃん。

 大体ペットを飼う側の人間には本当にその資格があるの?

 自分の生活もままならないような人が飼っていることもあるし、そんな人間のエゴに動物を付き合わせるのなんて傲慢だよね。

 そんな傲慢な人間が動物愛好家として幅を利かせてるなんて、おかしいでしょ)


 日向の心はこの不満をどこかにぶつけたい気持ちで溢れていた。


(例えばこのストレスをSNSにぶつけると……変な人から変な人扱いされて怒られるんだよね……

 ……やっぱやめた……前みたいなことになったら困るし……)


 例のSNS禁止の貼り紙を毎日部屋で目にする日向には、SNSへの投稿がトラウマとなっていた。

 あのやっかいな人を思い出し、軽く身震いしながら歩く彼女の目に、電柱の貼り紙が映る。


「ペット探してます。色は緑で『コンニチハ』と話します」


「え、そんな犬いるのっ? ……緑茶のキャラクターかな?」


 日向は貼り紙を読み進める。


「インコです。名前はピーちゃんといいます」


「鳥か!」


 日向は人語を操る緑色の犬を想像してなぜか笑いがこらえられなくなり、怪しい声を漏らしながら歩いていた。すると、それとは別の奇妙な声がする。


「コンニチハ」


 日向の目の前に塀の上にインコが止まった。色は緑、まさしく貼り紙の通り。


「ニャー!」


 すると、塀の上を器用に走ってくる猫が現れた。猫は首輪と鈴を身に着けている。恐らく近所で飼われているのだろう。インコは猫に追われていた。


「しっしっ!」


 インコが猫に襲われるのを忍びなく思い、小ジャンプを繰り返しバスケットボールのブロックのような手の動きで猫を追い払う日向。その様子を見た近所の勇敢な子供が駆け寄ってくる。


「猫をいじめるなー!」


 昭和のマンガのようなセリフを吐く子供から日向が後ずさると、続いてヒステリックな声が響く。


「ピーちゃんが逃げちゃったじゃないの!」


 そこには偶然インコの飼い主も居合わせていた。


 「すみません!」


 そしてなぜか近所の子供とインコの飼い主の両方から怒られた日向は、とぼとぼとその場を後にした。


「ペットってなんなんだよ……野生だったら鳥は猫の餌食なのに……そんなに大事にしてるならペットは外出させないようにしろよ……」


 日向は誰にともなく恨み言をつぶやきながらうつむき歩く。


「ワンワン!」


 またしても犬だ。なぜこうもエンカウントするのか、犬も歩けば尻尾ふりふり――という訳にはいかず、やはり日向への敵対心を燃やしていた。


「うわっ!」


 驚き飛びのく日向。そして腰を抜かし地面にへたりこむ。


「そんなに驚くことないんじゃ……」


 怪訝そうな顔を日向に向ける飼い主。いつものように警戒心むき出しの犬。怯えた日向は変な声が出てしまう。


「ひいぃっ!」


「失礼な人だなぁ……ほら、そんなのに構ってないで、行くぞ」


 そんな言葉に軽く傷つきながら、日向はペットとその飼い主が我が物顔で街を闊歩していることについて疑問を覚えた。


「ペットを飼っていない自分は他人に迷惑をかけていないのに……

 なんでこんなにペットを飼っている人が優先なんだろう……生類憐みの令かよ……」


 そうして彼女は仕事を終え、帰路に就いた。

 太陽が沈みかけた夕焼け空の下を歩く彼女は、猫に追われているインコを思い出し、妙案を思い付く。


(ペットより強い動物に襲われるという噂を流せば、ペットを外出させる人もいなくなるだろう)


 そのように考えながら帰宅した彼女が玄関の鍵を開けようとした時、ふと玄関脇の壁を見ると、一匹のヤモリが張り付いていた。


「今日もいるのか……電灯に寄って来る虫を食べてるんだろうな。

 最近あまり蚊に刺されないのは、こいつのお陰かな。

 家を守るって書いてヤモリっていうし、私を守ってくれてるのかな」


 呟きながら部屋に戻り、夕食と入浴を終えた彼女は、おもむろに紙にマジックで文章をしたためた。


「危険な動物が逃げました。探しています。他の動物に危害を加えることがあります。

 ペットの飼い主の皆様は、危険ですので、なるべくペットを外出させないようにしてください」


 彼女はそれを勢いで作ってしまったが、こんなものを見て信じるような人がいる訳がない。と、思いながらも、淡い期待を込めて、貼り紙を家から一番近い電柱に貼り付けた。

 次の日、通勤中の彼女は、貼り紙がまだ剥がされていないことを確認した。


「誰も気にしてないんだろうな。剥がされもしていないなんて……」


 彼女は貼り紙との関係がご近所の皆様に悟られることを避けるため、そそくさと逃げるようにその場を後にした。

 その日もひとしきり仕事を終え。会社からの帰り道を急ぐ彼女は貼り紙がまだ貼られていることを確認する。

 1週間ほど経過したある日、日向は異変に気付く。何故か彼女が作った貼り紙がコピーされて貼られているのだ。

 いや、ただのコピーではない。こんな一文が追加されていた。


「近付くと『キー』と鳴きます」


「誰のいたずらだよ……って最初は私のいたずらか。それにしてもありきたりな鳴き声だな」


 日向がそんな独り言をつぶやいていると、近所の主婦が立ち話をする声が聞こえた。


「私、犬の散歩中になんだかわからないものを見ちゃった……」


「なにそれ?」


「一瞬何か見えたんだけど、それに向かってうちの子が吠えるから、振り向いてよく見ようとしたら、ものすごい速さで消えていったの」


「気のせいじゃない? 私も疲れてると何かいるんじゃないかって不安になるけど」


「そうかしら……私もあんなの気のせいであって欲しいけど……でもなんか不気味だったから、すぐに散歩は中断したの。なんかうちの子怯えてたし」


「あらまあ、じゃああの貼り紙の動物かもしれないねえ……表現がざっくりだけど、危険らしいしね」


「私も安全が確認できるまでは犬の散歩を控えようかなって思ってて……」


 日向は貼り紙が思いのほか思い通りの効果を上げていることにしめしめと思いつつ横を通り過ぎた。

 次の日、彼女が作った貼り紙の横にまた別の貼り紙が貼られていた。


「危険! 謎の動物を見かけたら警察に連絡を! 被害に遭ったペットもいます! ペットを連れての外出は控えましょう!」


 だんだん過激化する貼り紙の内容に、日向は思わずツッコミを入れる。


「被害って、どうやったら架空の動物から危害を加えられるんだよ。しかしこの危険な動物の貼り紙の元凶が私だと気付かれるのはマズイなあ……」


 日向の不安をよそに、日が経つにつれて未確認生物の話題に踊らされる人々が増えていく。人々の心に恐怖が浸透する。

 その恐怖の根源たる未確認生物に、飼い主が存在するなどと考える者は、いつの間にか居なくなっていた。

 やがて、未確認生物の話はネット上を賑わすようになる。そして、その情報に異常な興味を示す女性が居た。


(ほとんどの情報が憶測にすぎない……もっと確かな情報を)


 星野ほしの 御輿みよ、公共幸福振興会の幹部にして、最近徐々に仕事が増えてきた声優である。

 彼女はSNSの騒動を追ううちにネットによる情報収集に味を占め、暇さえあればスマートフォンでネットを巡回するようになっていた。

 その日もスタジオでアフレコの合間に情報収集に勤しむ。

 噂話やオカルトには目が無い彼女は、科学の発達した現代に未確認生物が現れたという珍事にその気持ちを抑えられずにいた。


(ペットが被害に遭っているんだ……ならば解決しないと……実際にこの目で見ないと!)


 時計を見ると収録の時間が近付いていた。楽屋を後にする星野。


「よろしくお願いします!」


 さわやかな挨拶でスタジオ入りする星野。未確認生物のことを一旦忘れるために深呼吸をすると、目つきが変わる。

 瞬く間に時間は過ぎ、最後のセリフに力を込める星野。


 「こんなの……こんなのあんまりよ!」


 しばしの静寂、音響監督の判断を待つ。


 「ハイ、オッケーでーす! いただきました!」


 凍り付くような緊張から一変、スタジオに弛緩した空気が漂う。


「「「ありがとうございました!」」」


「「お疲れ様でしたー」」


 スタジオを後にする声優たち。しかし、まだ星野は緊張の糸がほどけず、動けずにいた。


「ミヨちゃーん、今日も良かったよー」


 星野の顔がほころぶ。


「迫真の演技だねー、役に憑依してるみたいだったよ」


「そうですか……ありがとうございます。でも、もっと努力しなければ」


「ははは、そんなに固くならなくていいよ。ミヨちゃんすごく真剣にやってくれるからこっちも嬉しいよ」


「そんな……私も精一杯で」


 言葉とは裏腹に、まんざらでもない表情の星野。そんな少し隙のある彼女に心を奪われる者は多い。


「ミヨちゃん真面目だもんね。

 そのくらいの年代の子はみんな顔出しとか、グラビアとか積極的にやってるけど、ミヨちゃんはあんまりやらないもんね。

 役者は演技で勝負ってことかな?」


「いえ、そんなことは……ちょっと他のことで忙しくて……」


「噂は聞いてるよー、慈善活動だっけ? 頑張ってるよね~」


「すみません、二足の草鞋で……」


「いやー、ちゃんといい仕事できてるからいいんだよ~。

 それにさ、神様? に仕えることやってるとやっぱりキャラの魂みたいなものが乗り移るのかね?」


 星野は顔を曇らせる。


「いえ、そういうんじゃないんで……」


「あれー? 違ったっけ? ごめんごめん」


「神様とか魂とか幽霊とか、そんなものは存在しません……!」


 演技以外で聞いたことの無い星野の強い口調に、スタジオが凍り付く。


「……だからごめんってばー。もー、冗談きついんだから、はははは……はは」


「申し訳ありません……少し取り乱してしまいました」


「ミヨちゃん本当に真面目だね。次もその調子で頑張ってくれると嬉しいよ」


「はい、失礼いたします。お疲れ様でした」


「おつかれさま~」


 音響監督の少し引きつった笑顔を残し、スタジオを後にする星野。

 彼女はスタジオが入っているビルを出ると、気を取り直し、すかさずスマートフォンを取りだす。


(明日の予定はなし……と、よし、行ってみようかな)


 次の日、星野は再び日向の住む町に足を踏み入れた。まずは日向の住むマンションの呼び鈴を鳴らす。


「はーい、どなたですか」


 日向がドアを開けるとそこには忘れようにも忘れられない顔があった。

 その顔はやけに明るく微笑み、言葉を投げかける。


「こんにちは! この町で面白い……いえ、放ってはおけない事件が起きてると聞いてやってきました」


「はぁ……なんのことですか?」


「未確認生物のことですよ! 知らないんですか?」


 好奇心がにじみ出ている表情を隠せない星野に、日向は危機感を覚える。


(なんかマズイことになったなぁ……まさかこの人がまた来るなんて……)


 星野は返事をしない日向を放ったらかしにして続ける。


「この町の知り合いと言えばあなたしかいないので、なんか知らないんですか? 影や足跡を見たとか、実際に被害に遭ったとか」


「いやぁ……噂は耳にしますが、私は何も」


 実際日向は最初の貼り紙を貼っただけで、他には何も関与していなかった。

 それに、下手に情報を与えてしまうと、この金髪碧眼を追い払うことができないと日向は考えていた。


「そうですか! わかりました! しばらく調査するんで、何かあったら教えてください」


「あ、はい、頑張ってください。なんか楽しそうですね」


「そんなことありません! 私は被害者が出ているこの状況を放っておけないだけです。

 ……ここだけの話、私はこの事件、人間が深く関わってると思ってるんですよ」


 急に真剣な顔で小声になる星野に、日向は何も悟られぬよう警戒して別れを告げる。


「そうですかー、では」


 その後、星野は慈善活動団体幹部という権限を利用して、人海戦術で情報を収集した。しかし、探しても探しても手掛かりが掴めない。

 次の日、また新しい貼り紙が現れた。


「塀や壁に張り付き、素早く這い回ります」


 次の日もまた……


「体長は3メートルほどあり、体色は黒です」


 次の日もまたまた……


「暗闇では二つの目が光ります」


 日に日にステータスが増強されてゆく未確認生物。日向は我が子の成長を見守っているかのような気分だった。

 そうしてるうちにも、ペットの被害報告が増えて行き、ペットを外出させるような飼い主はぱったりと居なくなった。

 日向にとっては願ったり叶ったりの状況だが、実体のないハッタリに人々が翻弄される様に、ちょっと申し訳ない心境となっていた。

 しかし、未確認生物の件はほとんど最初から日向を手を離れており、毎日増え続ける目撃者と貼り紙をただ見送るばかりで、日向はむしろ親離れして自立した未確認生物に、親として一抹の誇らしさを感じていた。

 対して星野は、次々と情報が増えて行く状況に、胸を躍らせていた。

 しかし、騒動がエスカレートして行く中、なんと未確認生物の被害に遭った人が現れたというのだ。

 情報の出所はネットの掲示板と、大変信憑性に乏しい状況ではあったが。


(いやー、人が被害に遭うって、そりゃおかしいでしょう。狂言かなんかじゃないかな)


 それをネットで見つけた日向は呑気なものである。

 彼女は道を歩いても犬に吠えられることはなくなり、ストレスから解放された日々を送っていた。

 だが、この事態を重く見た警察は、血眼になって謎の生物を追う。目撃情報は数あれど、全ての情報が断片的で要領を得ない。

 空回りする警察に、近所どころか町全体に不安が蔓延していた。怪奇現象に心躍らせていた星野ですらも、人間に被害が及んだ状況に喜んではいられなかった。

 手がかりである貼り紙を全て写真に撮り、分析する。貼られた日や、劣化具合、情報量により時系列順に並べた時、星野は最初に貼られた貼り紙を特定した。


「危険な動物が逃げました。探しています。他の動物に危害を加えることがあります。

 ペットの飼い主の皆様は、危険ですので、なるべくペットを外出させないようにしてください」


 星野はこの貼り紙に書かれている「逃げました」に注目した。


(これは……飼い主が居た?)


 そしてその筆跡に見覚えがあることを思い出した。解決を急ぐ星野はまたあのチャイムを鳴らす。


「はい……あー、あなたですか。なんかわかりました?」


 ドアを開けた日向は悠長に構えていた。


「こんにちは、春頃あなたに書いてもらったSNS禁止の貼り紙、まだありますか?」


「あー、貼ってありますよ。お陰様でSNS離れできて良かったですよ。なんかストレスからも解放されたみたいです」


「それはどういたしまして。ちょっと見せてもらえますか?」


「え、なんでですか? 剥がしてなんかいないですよ、ははは」


「いいから、見せて下さい」


 そう言って勝手に部屋に上がり込む星野。


「いやー、相変わらず強引ですね。私ももうSNSは懲り懲りで……」


「やっぱり……」


 手元の貼り紙の写真と、壁の貼り紙を見比べる星野。その筆跡は同じものであった。


「え、何が……あ!」


 日向が気付いた時にはもう遅かった。


「またあなたの仕業だったんですね……はぁ……」


 呆れたような口調でため息をもらす星野。


「い、いや……これは、ただのいたずらで……大体実際そんな生物いる訳ないじゃないですか! 何かの間違いですって!」


「……そうですね。そんな生物、存在するはずがありません。散らばっている情報は断片的で、ところどころ矛盾も見られる」


「あら……じゃあ……大丈夫かな? っていや、け、警察だけは勘弁してください!」


 日向は星野の予想外の反応にどうしていいかわからない。


「警察ですか……あなたの罪は貼り紙を貼ったこと。それだけのいたずらに警察の手を煩わせることもないでしょう」


「じゃあ、私はどうすれば?」


「いいですか、人間の感覚というのはあてにならないものです」


 急に星野の話が飛躍する。

 そう語る彼女の顔は、大変得意げであった。


「私が前に言ったように、これには人間が深く関わってます」


「私のことですよね? ホント、すみません!」


 星野は日向の謝罪を気にも留めずに続ける。


「今この町で起きている事件は、あなたの貼り紙を見て不安を喚起された人々の錯覚によって引き起こされているのでしょう。

 全ては人間の不安定な脳が見せる幻覚です。オカルトや超常現象、はたまた未確認の生物なんて存在しません」


「はぁ……つまり?」


「全ては思い過ごし、実際に被害を受けたというのも嘘か狂言か、人の手によるものか、いずれかでしょう」


「いや、ちょっと待ってくださいよ……私は何もしてないですよ?」


 人の手によるものという発言に、日向はあらぬ疑いをかけられているように感じ不快感を示す。


「……でしょうね。あなたにはそんなことできません」


「……?」


 星野が日向を見る目から、ふと険しさが消えるが、すぐに元に戻る。


「……しかしこれは解決しなければなりません」


「どうやって?」


「決まっています。元凶を絶てば良いのです」


「なるほど~」


「もちろんあなたにも手伝ってもらいます」


「……やっぱり……ですか」


「当然でしょう。あなたのいたずらが発端ですから。

 私がここに来たのもあなたに責任を取ってもらうためですので」


 星野は微かにいたずらっぽく微笑んで続けた。


「さあ行きましょう。この事件を終わらせるために」


「……はい、で、具体的にはどうすれば?」


「全ての貼り紙を剥がしてしまえばいいんです!」


「さっきも言いましたけど、あなたは本当に強引な人ですね……全てって、時間かかりますよ?」


「ですから今すぐに!」


「いやでも、勝手に剥がすのはちょっと……」


「私たちの手で超常現象を解決できるまたとないチャンスなんですよ!? 放ってはおけません!」


「なんか趣旨が変わってきましたが……」


 星野は微笑みながら日向に告げる。


「オカルトとか超常現象は存在しない。

 だから、それを証明するために解決するんです! 私が、いえ、私たちが!」


 不安げな表情を浮かべながらも、日向は押しの強い星野に逆らうことができなかった。その夜、星野と日向は貼り紙を剥がして周ることとなった。

 貼り紙は電柱や塀にしっかりと貼り付けられているが、汚れたり割れたりする恐れがあるため、爪で剥がす訳にもいかない。

 星野はガムやシールを剥がす時に使うヘラをホームセンターで調達し、日向と共に作業を開始した。


「いやでもこんなに貼ってあるとは……なんででしょうね?」


「あなたが他人に要らぬ不安を与えたからでしょう、今はとにかく手を動かしましょう」


「しかし、貼り紙剥がしてるのもなんか不審者みたいですね……これが注意喚起にもなっていたのだから剥がさなくてもいいんじゃ?」


「全て剥がしてしまえばきっと、皆事態が終息したと思うことでしょう。

 元々実体のない噂だったのだから、人々の心から不安の芽を取り除けば済むことです……でも、こうやってふたりで……えっ?」


 信じられないことだが、一度貼り紙を剥がした場所に再び新しい貼り紙が貼られている。


「ちょっとー、誰だよこんなことしたのは……」


 日向のぼやきに星野も同調する。


「今までの苦労が……ですが、また剥がせばいいことです」


 夜とは言え夏の熱気の中運動しているため、汗がほとばしる。日向のメガネはほんのり曇っていた。


「えっ……? あれ?」


「どうしました?」


 星野が手を止めた日向に尋ねる。


「いや、気のせいかな……なんか光ったような……」


「……私も、一瞬……いえ、ふたりとも疲れてきたようですね。ですが、おそらくもう一息です」


 その時、闇の中から何かが現れた。


「あなたたち、夜分遅くにこんなところで何をしてるんですか?」


 そう尋ねるひとりの警官が、懐中電灯でふたりを交互に照らす。


「あ……すみません。ちょっといたずらされてたので……剥がそうと」


 何事もないことのように振る舞う日向。


「そうですか。私たちも貼り紙の件は気にしていたんですが、最近不穏な噂が出回ってて、その上被害者も出ているので、剥がしてしまうのもどうしたものかと悩んでおりました」


「勝手なことをして申し訳ありません。でもこんなの、無用な不安を与えるだけだと思いまして……」


 星野はそう言いながら頭を下げる。


「うーん、まぁ、いいですよ。ただ、今後は先に警察に相談していただけると助かります」


「承知しました」


「もう貼り紙はほとんど剥がしてしまわれたようですね。

 特に問題もないようですので、私はこれで失礼します。

 お2人も、お気を付けてお帰りください。それでは!」


 その時、何かが這いずるような音が急速に近付いてくる。


「うわっ!」


 闇の中から現れた黒い塊が警官にぶつかったかと思えば、吹っ飛ばされた警官が電柱に鈍い音を立てながら頭を打ち付け、そのまま力無く倒れる。気を失ってしまったようだ。


「えっ……まさか……そんな!」


 気が動転する日向と、言葉も出ない星野。

 一方加害者の黒い塊には四本の足があり、2つの目が光っていた。その眼差しは、正面から日向を捕えていた。


「危ない!」


 星野はその3メートルはあろうかという黒い塊に飛びかかっていた。

 唖然とする日向の前で、星野は謎の生物を引き付ける。


「……大丈夫ですか!?」


「危ないからあなたは下がって!」


 貼り紙を剥がすために使っていたヘラで応戦する星野。

 黒い塊は貼り紙の情報の通り、塀を這いまわり、星野を翻弄する。


「……ちょ、ごめんなさい、待って!」


 日向は何故かそのように叫んでいた。その時、黒い塊の動きが一瞬止まる。

 しかし、星野の勢いは止まらない。応戦のため振り回していたヘラが黒い塊を切り裂いた。

 黒い塊からは鮮血が噴きだし、そのしぶきは日向の頬をかすめた。


「……うわああああああああああああ!」


 日向の絶叫に気を取られた星野の隙をついて、黒い塊は闇の中に消えていった。


「逃げられましたね……あれはなんだったのでしょう……」


 日向は腰が抜けて動けなくなっていた。星野への反応すらままならない。

 それを尻目に星野は、倒れている警官に駆け寄り身をかがめる。


 「ど、どうしましょう……」


 その時星野は、変な物体がのたうち回ってるのを見つけた。

 それはおもちゃの蛇のようであった。


「ひっ……なんですか……これ?」


「え?……あ、何がですか?」


 ようやく口を開く日向、だが気が動転したまま動くことができない。

 星野は冷静に対処しようと、深呼吸をする。


「はぁ……ともかく110番をお願いします」


「は、はいっ!」


「血……? ですかね? これは拭き取っておきましょう」


 日向の頬のしぶきをハンカチで拭き取る星野。

 しばらくして警察が駆けつける。

 その後ふたりは交番で取り調べを受け、事情を説明するが要領を得ず、防犯カメラの映像を確認するが、黒い何かが映っているものの、それが何であるかは特定できない。

 気絶していた警官も意識を取り戻し、当時の状況を説明するが、結局はっきりとしたことは何もわからなかった。

 そして日向と星野のふたりは交番を後にする。


「あれは一体なんだったのでしょうか? 私たちの脳が見せた幻? だと思うのですが……」


 星野は自らの身に起きたことが信じられずにいたが、その脳裏には黒い塊を切り裂いた時の感覚がこびりついていた。


「なんだったんでしょうね……」


 同じものを見た日向も、状況が理解できずにいた。そして、その後何事もなく日向の自宅に辿り着く。


「ここまで来れば大丈夫ですね。

 もう変な貼り紙を作ったりしないでくださいね。

 おそらく偶然だとは思いますが、他人を不安にさせるのも、いたずらするのももうやめましょう。

 いいですね?」


「はい……」


「では、私は帰ります」


「あ、ちょっと待ってください!」


 部屋の奥から何かを持ってくる日向。


「あの、私、日向ミカネって言います。

 これ、うちの会社の名刺です。コンピューターのシステムとか、インターネットのサイトとか作ってます」


 一瞬の間を置いて星野が応える。


「あ、はい。日向さんですね。

 私は星野御輿と言います。慈善活動団体の公共幸福振興会の支部長をしています」


「あれ? 声優さんをされているのでは?」


「そうです……兼業しておりまして、とは言っても振興会の方は非営利な活動ですが。

 声優だって覚えててくださったんですね、ありがとうございます」


「いえいえ、私、アニメは結構見ている方ですので、応援させていただきますよ」


「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


 そうして星野は去って行った。

 それからというもの、ペットや人間が未確認生物から被害を受けることはなくなった。

 そして何故か日向は、その日から頻繁に蚊に刺されるようになったのであった。

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