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第18話 Lostorys

 私たちが所属する部、合体ロボット5号機設計部、略してロゴ部ではいつもの光景が繰り広げられていました。

 深織(みおり)は自宅から持ち込んだPCに向かって作業をしています。


「何してんの?」


「これ? 組織のホームページ作ってるんだよ」


 深織の実家は慈善事業団体を運営しており、彼女もその一員として活動に参加しているそうです。

 以前の彼女はその活動に抵抗を持っていたような気がしますが、高2になってから吹っ切れたように思えます。


「そうなんだ、これ、HTMLってやつ? すごいね、深織ってこんなことできるんだ」


「そうだよ……これは海果音(みかね)のお陰かな」


「私が? 何で?」


「……内緒」


 いつもの深織の含みのある発言に困惑しながらも、私は部室の隅でウレタンマットを敷いて柔軟体操をしている悠季(ゆうき)さんに目を移します。

 彼女はこの部室でトレーニングに勤しんだり、宿題をしたり、DIYで工作をしたりしています。

 そんな風に、ロゴ部では皆それぞれが自由に活動をしていました。

 私は以前、携帯ゲームなどにうつつを抜かしていましたが、最近、部長である珠彩(しゅいろ)さんからおさがりのPCを譲り受け、それで遊んでいます。


「海果音、何してるの?」


 私がPCに向かって作業をしていると、さっきまで作業台でロボットの脚らしきものを組み立てていた珠彩さんが後ろから声をかけてくれました。


「オセロ作ってます。ネットを見てプログラム書いてみようと思って、昨日から作ってるんです」


「へー、見た感じ結構できてるじゃない、どれどれ、動かしてみて」


「いえ、まだ見せられるような代物じゃありませんから……」


「いいからいいから、それ私のPCなんだから、その操作の最終決定権は私にあるのよ!」


 よくわからない理屈ですが、私にはそれに反論できるような材料がありません。


「は、はい……」


 私はプログラムが止まらないようにと祈りながら慎重に操作します。

 まだまだ想定外のバグが沢山残ってることでしょう。


「あら、ちゃんと動いてるわね。あんた、1日でそれ作ったの? 才能あるんじゃない?」


「いえ、見様見真似でやってみただけですから」


 褒められた私はちょっと嬉しくなり、珠彩さんに笑顔を向けます。

 珠彩さんはその隙に、私からマウスを奪い、画面を操作しました。

 すると、画面にはよくわからない表示が出て、オセロは落ちてしまいました。


「ああっ……だ、だから言ったじゃないですか、まだ見せられるような代物じゃないって」


「ふーん、なるほどね。それ、ソースをサーバーに上げられる?」


「え?」


「私がそのバグが発生する条件を特定して、直し方も考えるわ」


「そ、そんな、こういうのは自分で全部やりとげないと」


「ふふ、どうせそんなことで悩んでるんだろうと思った。

 初心者なんだからそんな細かいこと気にしなくていいの。

 あんたはそのオセロを5色にするとか、将棋を作るとか、好きなことをしてればいいわ。

 自分で作ったものが動く様を見るのが、プログラミング上達の一番の近道よ」


「そうですか……じゃ、じゃあ、お願いします……」


「バグを見付けちゃった私の責任でもあるから、気にしないで」


 珠彩さんはそう言って笑いながら自席のPCに向かいます。彼女の席はエアコンの吹き出し口の下にあります。

 夏休みも近付き、暑い日が続く中、キンキンに冷やされたその席は、大きな背もたれが付いており、クッションも高級品のようです。


「どれどれ~」


 珠彩さんが席に戻ると、外では急に豪雨が降り出しました。

 すると、悠季さんは窓際まで移動し、外の様子を伺います。


「土砂降りだ……すごい音だね、あ、光った」


 光を追ってすぐに落雷の轟音が響きます。そして――


 プツン


「……停電?」


 深織が呟きます。夕刻、明かりを失ったその部室は薄闇に包まれました。


「ちょっと待ってて」


 珠彩さんは部室の棚からアルコールランプを取り出し、テーブルの真ん中に置いて火を付けます。


「綺麗ですね」


 アルコールランプの炎が放つ青い光は、そこがさっきとは別世界であるかの如く辺りを照らし出しました。

 外では稲光が走り、轟音が響き渡ります。


「ひっ」


「しかしこれじゃ帰ろうにも帰れないわね。やることもなくなっちゃったし、どうしよ」


 雷を怖がる私とは違い、珠彩さんは平然とそう言います。

 そして、しばらくの沈黙が続いたあと、深織が思い付いたように口を開きました。


「そうだ、丁度いい雰囲気だし、怖い話でもしようよ!」


「怖い話? 怪談? なに下らないこと言ってるのよ」


「そんなこと言って~、珠彩、怖いんでしょ?」


「聴いてもいないのに怖いも何もないでしょ。私はそんなのに興味ないわ」


 珠彩さんはそう言って、自分のPCの席に戻り、こちらに背を向けました。


「海果音、悠季、聴きたいでしょ?」


「うーん、この天気じゃ時間を持て余すだけだしね」


「ボクも付き合うよ」


「ほらね、じゃあ言い出しっぺの私からいくよ」


「はぁ~、まったく……」


 呆れる珠彩さんをよそに、深織はアルコールランプの炎に顔を寄せ、静かに語り始めました。


 ――


 それは、あるサラリーマン(以下A)が実際に体験した話である。

 Aは、システムエンジニアリングサービスを主体とするIT企業に勤めていた。

 システムエンジニアリングサービスとは、社員である技術者の労働を顧客に提供するサービスを行う企業のこと。

 派遣業のようなものだが、指揮命令系統の違いがあり、似て非なるものである。(実際は派遣扱いのことも多い)

 そんな企業で働く技術者のAは、あるプロジェクトに火消し要員として参画することになった。

 場所は都会の雑居ビルの一角、Aはそこに常駐し、毎日出勤することとなる。

 Aは胡散臭い営業に連れられて、駅からほど近いそのオフィスに足を踏み入れた。

 するとそこは、張り詰めた空気に支配された空間で、なりふり構っていられないといった外見の技術者が、何人も背中を曲げてPCに齧りついていた。

 彼はプロジェクトマネージャーらしき、目のギラついた男性と挨拶を交わす。


「Aです、よろしくお願いします」


「よろしくお願いします。私はこのプロジェクトでプロマネをしています。

 リーダーは彼だから、彼の指示に従ってください」


 そのプロジェクトマネージャー(以下プロマネ)は、とても丁寧な口調ではあったが、ただならぬ威圧感を放っていた。

 そして、プロジェクトリーダー(以下リーダー)にプロジェクトの説明を受ける。


「……というわけで、今大変厳しい状況にあります。

 なので、申し訳ないんですが、基本的に定時で帰れるとは思わないでください。お願いします」


 Aは初っ端からやる気を挫かれるような、半ば命令めいたお願いに対し小さく頷いた。


「では、席はあそこなので、まずは開発環境を構築してください。

 やり方は隣の席の人が知ってるので、どんどん聞いちゃってください」


 言われるがままに席に着くA、彼がそのPCの電源を入れると、懐かしいロゴマークが表示される。


(これは……何世代前のOSだろう……? いやしかし、起動が遅いな)


 AはPCの起動を待つ間、隣の席の人に挨拶をすることにした。


「Aです。よろしくお願いします」


「……よろしく」


 Aの方に身体を向けることもなく、その技術者(以下B)は小さくそう答えた。


「あ、あの、環境構築のことなんですが……」


 Aが恐る恐るそう尋ねると、Bはサラサラとメモを書いてAに渡した。


「そのパスに環境構築手順のメモがあるから、それ見てやって」


 AはPCを使っているのに手書きのメモでやりとりすることに違和感を覚えながらもそれに従い、環境構築手順を追ってゆく。


(次は統合開発環境ツールのインストールか……プロダクトキーはこれだな……みんなこれ使ってんのかな?)


 Aはそのツールのライセンスに関する疑問を胸にしまい込み、インストーラーを起動した。

 そして、プロダクトキーを入力し、インストールの完了を待つこととなった。


(やっぱり遅いな……どれどれ……うわ、メモリ少なっ、CPU使用率も100%だ……こりゃ結構かかりそうだな)


 Aはリーダーから手渡された紙の資料に目を通しながら、インストールが終わるのを待った。

 すると――


"インストールに失敗しました。"


「あれ?」


 Aはつい口に出してしまった。

 それに対し隣の席のBは見向きもせず、黙々と作業を続けている。

 Aは仕方なく自力でインストール失敗の原因を探ることにした。


(あら、こりゃHDDの容量が足りなくてインストールできなかったんだな……どうしよ、このPC、元からファイルが沢山入ってるみたいだけど、削除していいのかな?)


 Aは渋々Bに尋ねた。


「あの、すみません」


「……何?」


 不満げな顔をAに向けるB。


「えっと、このPC、容量がいっぱいみたいで、ツールがインストールできないんですが……」


「そんなの適当にファイル削除して容量確保すりゃいいでしょ。

 そんなこといちいち聴かないで自分で判断してよ。こっちは忙しいんだから」


「すみません、でも消しちゃいけないファイルとかあるのかなって……」


「しばらく使ってないPCだから問題ないんじゃない?」


 Bはモニターに向き直り、作業を続けながらそう言った。

 Aが辺りの様子を伺うと、リーダーは険しい顔で長電話をしており、プロマネはいつの間にか姿を消していた。


(今日中に環境構築完了しないとさすがに帰れないよなあ……)


 しかし、リーダーの長電話は延々と続く。しびれを切らしたAは電話中のリーダーに話しかけた。


「何?」


 心底迷惑そうな顔のリーダーに問いかけるA。


「あの、PCに入ってるファイル、消していいか確認したいんですけど……」


「何で消すんですか?」


「いえ、ツールがインストールできなくて……」


「はあ? 容量作るのもあなたの仕事でしょ? 自分で判断してやってくださいよ」


「……はい」


 そして、長電話に戻るリーダーと、席に戻るAであった。

 AがPCに向かい、いくつかのフォルダーを開いて行くと、「新しいフォルダー」というフォルダーの中に、ファイル名の末尾の日付だけが違うファイルや、ファイル名からは何もわからないファイルが大量に入っていた。


(『新しいフォルダー』なんてところに重要なファイルなんてないだろう。どうせ必要なファイルはファイルサーバーに格納されてるだろうし、ファイルの更新日付も結構古いし、全部消しても問題ないだろう)


 そうしてAは「新しいフォルダー」を削除し、ツールのインストールを再開した。


(よし、うまくいった)


 ツールのインストールも無事完了し、終電も近付いてきた頃、初日の作業を終えるAであった。

 それ以降Aは、終電で帰宅しては食事と入浴を短く済ませ、可能な限り就寝の時間を設けるという日々を繰り返しながら仕事を進めていった。

 仕事にも慣れてきた頃、Aはオフィスで不穏な光景を目にする。それは、プロマネとリーダーの間で起きていた。


「いや、無いとか言わないでよ。あれ契約に必要なファイルなんだからさ」


「すみません、ファイルサーバーに埋もれてると思ってたんですが、無いんですよね……」


「それじゃ困るんだよ! お前仕事舐めてんの?」


 鬼の形相でリーダーに迫るプロマネ、どうやら重要なファイルが無いらしい。


「すみません、ファイルサーバーを管理してたZさんが辞めちゃったんで、引継ぎがうまくいってないというか……」


「あいつかよ、あいつ、鬱になったとか言って勝手に辞めやがって、無責任な奴だな」


 作業を進めるAの目の前で、丸一日それは繰り広げられていた。

 次の日、Aが寝ぼけ眼で出勤すると、リーダーがAの席に座っていた。


「あの、どうしたんですか?」


「あ、Aさん、このPCにあったファイル、消したりしなかった?」


「いえ、環境構築する時に、ツールがインストールできなくて……たしか、『新しいフォルダー』というのをフォルダーごと消しました」


「え? なんだって!? どうしてそんなことしたんだよ!!」


「……す、すみません、隣に座ってたBさんに聞いたら消していいって……」


 BはAが参画してしばらくしてから、体調不良による欠勤を繰り返しており、その日も出勤していなかった。


「あの人にそんなことを決める権限がある訳ないだろ!? なんで俺に聴かなかったんだよ!?」


「いえ、聴いたんですが、リーダーもその時は自分で判断しろと仰ったので……」


「俺は判断しろって言っただけで、消していいなんて言ってないだろうが。

 言い訳するんじゃねえよ! 責任取れるのかよ!?」


 その時、プロマネがAとリーダーのもとに近付いてきた。


「リーダー、どうしたんだ? Aさんが困ってるじゃないか」


「あ、プロマネ、こいつ、あの契約書のファイル勝手に消しちゃったみたいで」


「なんだって!? 無いと思ったらあんたが消したのか?」


 リーダーが説明するところによると、ファイルサーバーを管理していたZが辞める直前、ファイルサーバーが不調となったので、交換したとのことであった。

 その、交換する前のファイルサーバーが、Aに与えられたPCだったのだ。

 どうやらファイルサーバーの移行作業で、重要な契約書や、設計書のファイルのコピーが漏れてしまっていたようで、契約書のPDFファイルには、顧客の印鑑がスキャンされていたとのことだった。


「お前の責任だからな、もしこれで契約が無くなりでもしたら、お前とお前の会社を相手取って訴えてやる」


「……す、すみません」


 プロマネに詰め寄られ、謝ることしかできないA。その時、リーダーが思い出したように口を開く。


「あ! そうだ、ファイルサーバーを交換する前はバックアップを取ってたんだった!」


「そうか、そうだった! じゃあそこから復旧すればいいのか! よし、頼んだぞ!」


「はい、早速、データ管理室に行って来ます。A! お前も来るんだ」


 リーダーはAを連れて、データ管理室という奥まった部屋のドアをノックした。


「すみません!」


 すると、データ管理室の扉が開き、やけに冷たい空気と共に、主としか呼びようがない仙人のような風体の人物が現れた。


「おや、リーダーじゃないか、どうしたんだ?」


「実は……」


 リーダーは主に事情を説明した。


「なるほど、では入るがいい」


「お前も入れ」


 リーダーに促され、Aもその部屋に足を踏み入れる。

 そしてAと主の目が合った瞬間――


「やつれているな……禍々しい……」


 半ば徹夜続きのような生活をしていたAは、目に見えて衰弱していた。


「じゃあ、あとはやっておけよ」


 リーダーがそうAに命じる。


「え?」


「え? じゃねえよ、お前がファイルを消したんだから、お前が復旧させるんだよ。俺は忙しいんだから。

 ファイルが見つかるまで帰れないからな」


 そう言ってリーダーはAをデータ管理室に残して去って行った。


「さて、Aさんとやら、ちょっと時間がかかるぞ」


 主が話すところによると、バックアップは毎日磁気テープのストレージで行っていたが、雑然と並べられ整理されてないそれらは、どれがどの日付のものであるか不明とのことであった。

 それに加え、そのバックアップすら、「滅多に起こらないデータ障害のためにバックアップを行うのはもったいない」というプロマネの判断により、途中で打ち切られていた。

 そのため、設計書が最新版であるかも怪しいとのことだった。


「あり得ない……」


 Aがそう漏らす。


「みんなギリギリの中頑張っているんだ」


 Aは、真剣な目でそう語る主の背中越し、デスクの上に、電源ランプがついたままの携帯ゲーム機が転がっていることがとても気になっていた。

 主の説明は更に続き、磁気テープからデータを復旧するのには大変な時間を要するとのことで、その中から最新の設計書と押印されている契約書を見つけ出すという、途方もない時間が必要とのことだった。

 そして、データを復旧しては確認することを繰り返し、無限とも思える時間が過ぎてゆく。

 Aと主は全てのテープストレージを確認し、最新版と思われる設計書と契約書を発掘した。


「頑張りなさったな」


 Aがデータ管理室を出るその時、主が労いの言葉をかける。その顔は優しさに満ちていた。Aはそれを半ば無視してオフィスに戻る。

 オフィスではプロマネとリーダーが会話をしていた。


「だからさ、俺がバックアップ取ろうって言ってなかったら、このプロジェクトはパーだったんだよ」


 自慢げにそう話すプロマネに、リーダーも同調する。


「さすがプロマネですね。お陰で助かりました」


 Aは「バックアップを打ち切ったのもお前だろ」という言葉を飲み込み、復旧したデータを2人に渡す。


「おう、あったのか。ならよかった」


 プロマネの返答はやけにあっさりしていた。しかし、すぐにその表情は威圧感を帯びたものに変わり。


「Aさん、あなたとの契約は今日で打ち切りです。勝手にデータを削除するような人間は、プロジェクトに百害あって一利なしですからね。

 それと、ここに入ってる設計書や契約書に不備があった場合、あなたとあなたの会社に賠償を求めるので、そのつもりでお願いします」


「……そうですか」


 Aはそれだけ発すると、リーダーが口を開く。


「もう帰っていいですよ。お疲れでしょうし」


 Aは最初の説明を受けた時のように再び小さく頷き、オフィスを後にした。

 二度と来ることはないだろうその雑居ビルを出たAは、真横からの日差しを受ける。

 Aはそれが西から来てるのか東から来ているのか判断できないほど焦燥しきっていた。

 しかし、方角がわからないはずなのに、自然と駅の方向に足が進む。

 Aは、その道すがら、出勤中と思しきBと鉢合わせした。


「おう、Aじゃん、もう帰るの? いいなあ、そんな暇あるんだったら今度飲みに行こうよ」


 オフィスでの不機嫌な彼とは180度違う朗らかな態度に、Aは殺意を押し殺しながら完全に無視してすれ違い、帰路に就いた。

 Aはその後もあのプロマネから賠償を要求されることに怯えながら、毎日を過ごしているそうだ。


 ――


「っていう話なんだけど、怖かったでしょ?」


 深織が得意げな表情で感想を求めます。


「……なにそれ、怖いって、怖いのベクトルが違うんじゃないの? なにそのIT業界の闇みたいな話……

 大体、いち労働者が管理の行き届いてないデータが消えたことの責任を負う必要なんてないでしょ」


 椅子に座ったままくるりと向き直った珠彩さんは、やけにげんなりした顔でそう感想を漏らします。


「多分それ、プロマネすらも被害者と言えるね」


 悠季さんは冷静にそう意見を述べました。そして私はと言えば――


「こ、怖いよぉぉ……」


 恐怖に怯え、ガクガクと震えていました。


「なんであんたが怖がる必要があるのよ!」


 珠彩さんのそんなツッコミも聞こえないほど、私は震え上がっていたのでした。


「次は海果音に話してもらおうと思ったけど、今は無理みたいだね。

 珠彩、悠季、なんか怖い話ないの?」


「私がそんなの知る訳ないでしょ」


「うーん、難しいけど、ボクの夢の話でもいいかな? とても不思議な話なんだけど」


「お、悠季、ネタがあるんだね。じゃあよろしく」


「わかったよ。じゃあ……

 それはボクが10歳くらいの頃に見た夢なんだけど、

 その頃ボクは、大病を患ってうちの病院に入院してたんだ。主治医はお父さんでね。

 夢の中のボクは病院の屋上に居たんだ。そこに女性がやってきた。

 それは、そう、深織ちゃんに似てたかな。とても綺麗な女性だった。

 深織ちゃんと違って、黒髪じゃなくて金髪だったけどね。

 ボクはその女性になんか退屈な話を延々としていたと思う。

 それで、次の場面は、少し年老いたお父さんが、たくさんの人に責められている状況だった。

 そこにさっきの金髪の女性が現れて、お父さんを助けてくれたんだ。

 その時ボクは、とても救われた気分になった。夢の中なのに変だよね。

 それでまた屋上でその女性と言葉を交わした、そしたらボクの身体は天に昇り始めたんだ。

 夢の中なのに意識が遠のいていくのを感じた。

 だけど、気付いたらボクは、ベッドで寝ているボクの真上に浮いていた。

 そこにはお父さんも居てね。ものすごく落ち込んでた。

 不思議なことに、寝ているボクからは生きている気配をかけらも感じなかった。

 すると、ボクはそのボクの身体に降りていってひとつになったんだ。

 そして、目を覚ました。お父さんは涙を流して喜んだよ。ボクが九死に一生を得たってね。

 ボクはそれから、リハビリを繰り返して、体を動かすことに夢中になっていったという訳さ」


「……そっか」


「深織、どうしたの?」


 軽い言葉とは裏腹に神妙な面持ちの深織を、珠彩さんが気にかけます。


「いや、なんでも……」


 軽く目を伏せる深織。悠季さんは更に続けます。


「それでね、それからなんだけど、そのベッドで目を覚ます前の記憶がとても曖昧なことに気付いたんだ。

 なんか、いろんな事柄が混じり合ってると言うか、矛盾している記憶もあった。

 微かに妹が居たような記憶や、事故に遭った記憶、それも夢なのかもしれないけど、とても不思議な感覚だよ。

 それにね、ボクは目を覚ます前は、写真で見ると、姉さんと同じ銀色の目をしていたんだけど今は違う。これもとても不思議なことだ」


 悠季さんの琥珀色の真っ直ぐな瞳は、その発言に嘘偽りがないことを物語っていました。


「なにそれ、目を覚ます前と後であんたは違う人間になったって言いたいの?」


「そうなのかもしれない……それと、夢の中の世界は、この世界とはちょっと違っていた。

 だけど、今思い出しても懐かしくて、やけにリアルな感覚が残ってる。

 もしかしたら、ボクが夢に見たのは、ボクがかつて生きていた、失われた世界の物語なのかもしれない」


「はははっ、そんな失われた世界なんて、観測できないものあっても無くても一緒じゃない。バッカみたい」


 珠彩さんは悠季さんの話を軽く笑い飛ばしました。

 深織は誰とも目を合わさずに下を向いています。


「確かに不思議な話ですね。でも悠季さんがやけに大人びてるのって、その辺に原因があるんじゃないでしょうか?」


「あら、海果音、もう大丈夫なの?」


「はい、よく考えてみたら私、高校生なんだから、サラリーマンの恐怖体験とか聴いて怖がってるのが可笑しくなっちゃって」


「そりゃそうでしょ、深織が変な語り口で恐怖を煽るからよ。ただの失われたデータの話なのに」


「そうですね。変なの」


 私がそう言って深織の方に目を向けますが、彼女はまだ無言のまま下を向いていました。


「そういえば、海果音ちゃんと初めて会った時、前にも会ったことがあるような感覚があったけど、それも何か関係してるのかな?」


「なんですか、悠季さん、『会ったことあるような』ってナンパの手口ですか?」


「そんなんじゃないよ、ただ、突き詰めるとボクは何者なんだろうって、そう考えるととっても怖いと思ってね」


「そうね、そんなこと考え出したらきりがないもの。自分が何者であるかなんて証明することはできないわ」


 珠彩さんが悠季さんの意見に同調するのを見届けた私は、少し間を置いて切り出しました。


「……さて、私からもとっておきの怖い話があるんですよ」


「そんなこと言って、大した話じゃないんでしょ? もういいわよ」


「私は海果音の話、聴きたいな」


 深織が身を乗り出してきました。さっきまでの神妙な面持ちはどこかに置いてきたようです。


「ボクも海果音ちゃんの話には興味あるな」


 悠季さんも期待の視線を向けてくれます。


「ふふん、じゃあ、行きますよ」


 ――


 とある高校に、方向音痴で知られる女子生徒が居た。

 彼女の方向音痴は少し特殊で、場所は合っているが、階を間違えるというものだった。

 彼女の証言によると、確かに3階居たはずなのに、扉を開けると2階に居たというようなことが度々起きていた。

 その上、彼女がその現象に見舞われるのは学校内のみとのことであった。

 だが、彼女以外にそのような体験をしたものはおらず、他の生徒は皆、下らない言い訳だと彼女の言葉に取り合うことはなかった。

 ある日、彼女は部活中、教室に筆記用具を忘れたと言って部室を出て行った。

 しかし、待てど暮らせど彼女は部室に戻ってこない。

 ついにその日、彼女は戻ることはなく、翌日になっても現れることはなかった。

 そうして彼女は行方不明者として扱われることとなり、警察は校内を隈なく捜索したが、彼女が発見されることはなかった。

 生徒の皆がそれを忘れかけた頃、豪雨の日、彼女が所属していた部室の通気口から、どす黒い液体が落ちてくる。

 その液体は、血の混じった腐敗臭を放ち、止めどなく流れ落ちてくる。

 そのような事態に、警察による校内の捜索は再開された。

 部室は1階にあり、真上の2階には視聴覚室があったが、床板を剥がしてみても何も異常は発見されなかった。

 しかし、警察は不可解なことに気付く。

 その校舎、見取り図では視聴覚室と隣の図書室の間には壁があるだけとなっているが、廊下から見ると2つの部屋はやけに離れているように見えた。

 間にある壁を廊下から叩いてみると、音は不自然に響き渡る。

 壁をよく見て見ると、上からペンキを塗りなおした跡もあり、そこが怪しいと踏んだ警察によって壁は取り壊されることとなった。

 壁が取り壊されると、そこには小さな部屋らしき空間があった。

 そして中では、行方不明となった彼女が、腐乱死体となった状態で発見されたのだ。

 また、驚くことに、彼女の死体の傍らには、ボロボロになったミイラが横たわっていた。

 部屋は窓や出入り口が全く存在しない密室であった。

 しかし、奥の壁は一部破壊されており、中の配水管が引っ張り出されていた。

 豪雨によってそこから漏れだした水が、床に水たまりを作り、染み出して、下の階の部室にどす黒い液体を落としていたのだ。

 辺りには壁を破壊した時に使ったのか、ひしゃげた筆記用具がそこかしこに落ちていた。

 彼女が教室に忘れて取りに行ったものだ。

 中には、1本だけ無傷の赤いマジックがあったが、それも当然彼女の所有物であった。

 そして、壁には所々赤い字で「いたい」「たすけて」と書かれていた。

 司法解剖の結果、腐った彼女の体内からミイラの体組織が発見される。

 彼女は排水管の水を飲み、ミイラを食べ、その空間の中でしばらく生きながらえていたのだ。

 警察が調査したところによると、この学校では昔、改築工事と共に行方不明となった者が居たとのことだった。

 密室のミイラは、その行方不明者のものとされた。

 その事件は彼女の死体の発見で幕を閉じることとなったが、彼女がどうやってその部屋に入ったのかという点については、結局わからずじまいであった。

 だが、もうひとつ不可解なことがあった。

 壁に書かれている文字は全て、彼女の筆跡と一致しなかった。

 そう、壁に何を書いても誰にも伝わらないため、彼女がそれを書く意味などないのだ。

 では、その悲痛な赤い文字は誰が書いたものだったのだろうか……

 その校舎は、その後も改築工事を繰り返し、今も存在しているそうだ。

 もしかしたら、あなたが毎日通っているのがその校舎なのかもしれない……


 ――


「失われた人……の話か。面白いね」


 悠季さんは私の話に興味深く聴き入ってくれていました。


「……」


 珠彩さんは無言のまま私たちに背中を向け、PCの真っ暗なモニターに向かいました。

 その目は固く閉じられ、体は小さく縮こまり、何かを必死にこらえているようです。


「珠彩? 怖かったの?」


 深織がそう尋ねます。


「……そ、そんなことないわよ」


 しかし、その声は震えていました。

 いつの間にか外の豪雨は止んでおり、停電から復旧したのか、急に電気が付き、エアコンが動き出します。

 珠彩さんはそれに対してビクっと反応したあと、安堵したように溜息をつきました。

 その時――


「ひっ!」


 エアコンの吹き出し口からポタポタと水滴が落ち、珠彩さんの頭を直撃しました。


「……か、帰って!」


 珠彩さんは急に怒り出したようにそう言いました。

 その身体はPCの画面の方を向いたまま小刻みに震えています。


「どうしたの? 珠彩? 具合でも……」


 深織が再び尋ねますが、それを言い終わる前に、悠季さんが口を開きました。


「帰ろうか。 珠彩ちゃんは……まだ作業が残ってるんだよね?」


「……そ、そうよ」


「そういうことで、深織ちゃん、海果音ちゃん、帰るよ」


「あ、はい」


 単純に「停電が終わったなぁ」くらいの気分でいた私は、気の抜けた返事をしていました。


「……わかった」


 深織もあっさりとそれを承諾し、珠彩さんを残した私たち3人は、荷物をまとめて帰ることにします。

 私たちが部室を出るとき、PCの前に座ったままの珠彩さんが「ありがとう」と呟いたような気がしました。

 外はさっきまでの豪雨が嘘のように晴れ渡っていましたが、私の耳には「トットット」と、どこからか水が滴る音が響いていました。


 翌日、部室には珠彩さんのPCの前に、真新しい椅子が設置されていました。

 そこに腰掛ける珠彩さんは、私の視線を感じ取ると、私が口を開く直前に振り向き、こう言いました。


「パパからの早目の誕生日プレゼントよ!」


 私にとっては、椅子の下の床がピカピカに磨かれていたことと、珠彩さんの誕生日までまだ1ヶ月以上残っているということが、不可解でなりませんでした。

 それと、失われた先代の椅子の行方が気になって仕方がありません。

 あれもおさがりで貰えないんでしょうか? そう思いながらも、私はいつものようにパイプ椅子に腰をかけるのでした。

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