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第16話 かかったかな? と思ったら

「結局、"太陽の使者"のことは何事もなかったかのように誰も口に出さなくなったわね」


「みんな憑き物が落ちたみたいに平然と過ごしてるね」


枇々木(ひびき)さんはあれからどうなったんですかね?」


「あの子は選挙で支持してくれたみんなに謝って周ったそうよ、つい出来心だったって。意外と律儀なのね。そしたら結局みんな許してあげたみたい」


「謝れば許されるってのも、ちょっと腑に落ちない話ですね……」


「それはさ、みんなが海果音みかねの演説を聴いて、それで許す心の大切さを学んだからだよ」


深織みおり……いやでもさぁ、ちょっと極端と言うか、あっさりしすぎてない? みんなに嘘をついたんだよ? そんなに簡単に許されるものかな?」


「みんな流されやすいのさ。ボクたちはまだ子供だからね。感情的に訴えかけるような刺激的な話にはすぐに影響されてしまう、そんな危うさを抱えているんだ」


 と悠季ゆうきさん、いつもの部室では、生徒会選挙を振り返っていたのでした。

 その時、珠彩しゅいろさんの携帯電話が鳴ります。


「あ、ちょっとごめん、電話……もしもし……ああ、ママ? どうしたの? そんなに慌てて……え、また? はぁ……最近大人しくしてると思ったら……うん、わかった、迎えに行ってくる。

 ……うん、じゃあまたあとで」


 珠彩さんはそう言って、面倒くさそうな顔をして電話を切りました。


「どうしたんですか?」


「いや、妹がちょっとね……問題起こして、だから、保護者の迎えが必要なの。

 今、両親が立て込んでて迎えに行けないみたいで、私が中学校まで迎えに行かないといけないんだ」


「……ご両親はお忙しいの?」


 深織は深刻そうな顔で、珠彩さんに質問を投げかけました。


「あー、忙しいというよりはふたりで遊び回ってるのよ……パパったら社長なのに、事業は社員に任せていっつもママと一緒にどっか行っちゃうの。

 表向きは仕事とか言ってるけど、そんなのバレバレ」


「そっか、仲良しなんだ……良かった」


 呆れた様子で話す珠彩さんに、深織はほっと胸をなでおろすように微笑みます。


「良くないわよ! だから、私がしっかりしないと……って、待たせてるからもう行ってくるわ。部室の鍵、かけといてね。じゃあ、また明日」


 そう言いながら席を立って荷物をまとめた珠彩さんは、颯爽と部室を後にしました。

 そして、珠彩さんは妹さんの待つ中学校への道を、早足で突き進みます。


「……って、なんであんたたち着いてきてるのよ」


「いえ、鍵かけるの面倒なので……」


「珠彩ちゃんの妹さんがどんな子か気になるのさ」


「珠彩は家族とどう接してるのかなって。『迎えに来てあげたわよ! ふん!』みたいな感じ?」


 深織は両手を腰に当て、胸を張って珠彩さんのマネをしました。首をぷいっと振り、かなり誇張されています。


「あんたの中で私のイメージどうなってるのよ……」


 そうして歩いているうちに、20分ほどで珠彩さんの妹さんが通っているという中学校に辿り着きました。

 その時、校門から教師らしき人物が現れます。


「あら、葉月さんじゃない、久しぶり~。そちらはお友達?」


「先生、ご無沙汰してます。まあ……うーん、そんなようなものです」


「「「こんにちは」」」


 その先生に会釈をする珠彩さんと私たち3人。そう、ここは珠彩さんの母校でもあったのです。


「こんにちは。……で、今日はどうしたの?」


「いえ、妹がまた……ご迷惑ばかりおかけしてすみません」


 苦笑いをする珠彩さんに、先生さんも少し困ったような表情を見せます。


「そう、まあ……今のうちなら問題起こしても大したことにならないから、それも成長するために必要なんじゃない」


「いやはや全く、出来の悪い妹で……なんと申し上げていいやら」


「葉月さんと同じで成績はいいみたいだけどね……じゃあ、またね」


「さようなら」


「「「さようなら」」」


 再び会釈をする私たちに、先生さんは手を振って去って行きました。


「……じゃあ、私は妹迎えに行ってくるから、あんたたちはもう帰りなさいよ」


 珠彩さんはそう言って、校門を抜け校舎に消えていきました。

 そして数分後、珠彩さんは、珠彩さんを一回り小さくしたような、ふわふわの赤髪で茶色い瞳をした女の子と手を繋いで一緒に歩いてきます。

 その珠彩さんの妹と思しき少女は、手に包帯を巻き、落ち込んだように俯いていました。


「……って、まだ帰ってなかったの?」


「当たり前でしょ。あなたが珠彩の妹さん? こんにちはっ」


 深織の屈託の無い笑顔に、妹さんは少し表情を緩めました。


「こ、こんにちは……」


「この子人見知りなのよ。さ、家に帰るわよ」


 しかし、妹さんは無言で左右に首を振ります。


「もしかして、帰りたくないとか言わないわよね?」


 すると、妹さんは小さく頷きました。珠彩さんは少し溜息をついてから困った顔をします。


「……もう、またそんなこと……しょうがないわね、じゃあ、落ち着くまでお姉ちゃんとファミレス行こうか」


 再び小さくこくんと頷く妹さんでした。

 そんなこんなで、私たち3人は葉月姉妹に着いて行き、場所はファミレスに移ります。


「いらっしゃいませー、何名様ですか?」


「2人で」


 妹さんと手を繋いだままの珠彩さんは、涼しい顔で店員さんにそう言い放ちました。

 しかし、店員さんは頭の上にはてなを浮かべ、私たちに目線を向けます。


「後ろのお客様は?」


 すると、すかさず深織が答えました。


「いえ、私たちもその子たちの連れです。だから5人です」


「5名様ですね。こちらのお席にどうぞ」


 店員さんは安心したように微笑み、席まで案内してくださいました。


「……ちっ」


 席についてあからさまな舌打ちをする珠彩さんを気にもかけずに、深織はメニューを開きました。


「海果音、何頼もっか?」


「えーっと、ハンバーグがいいなあ」


 深織の隣に座った私もメニューを覗き込みます。

 しかし、珠彩さんはそれを無視して呼び鈴を鳴らしました。


「お待たせしました。ご注文をどうぞ」


「ドリンクバー、5つ、チョコレートパフェ、1つ、以上」


「ドリンクバー5つとチョコレートパフェ1つですね。承知しました。

 ドリンクバーはあちらにグラスがございますので、セルフでお願いします」


 誰の意見も聞かず、すんなりと注文を終える珠彩さんに、深織は不満げな表情を見せます。


「珠彩、海果音がハンバーグって」


「夕飯食べられなくなるわよ」


 珠彩さんは吐き捨てるようにそれだけを告げました。

 そして、私たちは席を立ち、それぞれドリンクバーで飲み物を注いで席に戻ります。

 しばらくすると、妹さんの前にチョコレートパフェが運ばれてきました。


「さて……それで、今回は何があったの? ……あと一応、この人たちにちゃんと自己紹介するのよ」


「……」


「黙ってないで」


「……わ……」


 イライラを表情に浮かべる珠彩さんに促され、妹さんは俯いたまま小さく呟きました。


「聴こえないわよ」


「珠彩ちゃん、そんなに責めるみたいな言い方したら、妹さん委縮しちゃうよ」


「わ……わが……」


「ん? 何?」


 珠彩さんが聞き耳を立てると、妹さんは急に立ち上がりました。


「我が名はスカーレット・オーガスト! 緑の葉の力をその身に宿す、紅の魔導士なり!」


 そして、夏を連れてきたいなせな人が「めっ」とするような決めポーズ。

 口の端からニヤリと八重歯が覗き、私たちを斜めに見下ろす視線も決まっています。緑の葉? お茶のことでしょうか。

 珠彩さんはそれに心底呆れた表情で、大きく溜息をつきます。


「また始まった……初対面の人くらいにはまともに挨拶しなさいよ、燈彩ひいろ!」


 しかし、その燈彩と呼ばれた妹さんは、座りもせず決めポーズをキープしています。


「燈彩……さん? 私は星野深織、よろしくね」


「ボクは大地悠季、よろしく」


「私は日向海果音です」


 そして燈彩さんは目を閉じ、腕組をして問いかけました。


「……ククク、我が姉、ヴァーミリオンよ、この者たちとはどのような関係だ!」


「何がヴァーミリオンよ、お姉ちゃんって呼びなさいって言ってるでしょ! こいつらはただの友達よ。今日は何故か付いてきちゃったの」


「そうか、ヴァーミリオンの盟友たちよ、その顔、しかと覚えたぞ!」


「声がでかいのよ! 座って静かにしなさい! 他のお客さんに迷惑でしょ!」


「珠彩も声でかいよ」


 深織は相変わらず冷静に突っ込みます。

 ああ、なるほど、そういうことですか……すべてを理解した私は下を向き、薄笑いを浮かべました。


「ククク……」


「海果音? ……燈彩ったら、変な子でごめんね。滑稽だよね? 最近ずっとこの調子で……」


 そして私は、ゆっくりと顔を上げ鋭い目で燈彩さんを見つめながら、すっくと立ち上がりました。


「ハーッハッハッハ! 我が名はマリンカノーネ・ソレイユ! ガラスの眼をその身に宿す、星の女神に護られし者なり!」


「み、海果音?」


 珠彩さんは真ん丸の眼でこちらを見上げています。


「海果音、テーブルずれた」


 脚が当たったようです。痛いです。深織はテーブルの位置を直してくれました。


「海果音ちゃんも……海でマリン、果音をもじってカノーネ、ソレイユは日向、星の女神ってのは深織ちゃんのことかな」


 あ、悠季さん、解説ありがとうございます。


「ふたりとも、いいから座りなさい!」


 拳でテーブルを叩く珠彩さん。気付けば周りの目が冷ややかです。


「「はい……」」


 私と燈彩さんは落ち着いて椅子に腰を掛けました。


「で、燈彩、授業中に自分で手を切ったって? 先生から聞いたわよ。なんでそんなことしたの?」


「それは芸術を学ぶひととき、我が心を投影せし白き平原に、灯すべき炎が力を失った、それを賄うために、我が命の雫を捧げたにすぎないのだ」


 燈彩さん、非常に活舌の良いお嬢さんです。


「は? 意味わかんないのよ、まともに喋りなさい」


 珠彩さんは燈彩さんの口調に付き合い切れないようです。しかし、私は――


「スカーレットよ、己の力が及ぶ範囲だけでものを考えるのは愚か者の所業。周囲を見渡せばまだ炎を豊かに抱く者が居たはずだ!」


 すると、燈彩さんは私と目を合わせ、その声に力を込めます。


「他者の力を利用するなどできぬ相談だ! それに、我は自らの力を使うことにより、白き平原に独創性の炎を咲かせることができると睨んだのだ!」


「否、自らに傷を刻んでまで力を得たところで、その身を滅ぼすことにしかならぬ! それは貴様を愛する者を泣かせる行為に他ならない」


「ぐぬぬ……! しかし……我は他者とは生きる次元が違うのだ」


「そうか……我にもそのように認識していた時代があった……」


「海果音も! 何言ってんだかわからないわよ……なんの話してんのよ」


 しびれを切らした珠彩さんが、私に説明を求めます。


「あー、いえ、燈彩さんは美術の授業で赤い絵の具が足りなくなって、自分の血を使ったらカッコイイかなとか思ったみたいですよ。

 それに、なんか周囲に打ち解けられないみたいで、絵の具を借りるなんてできないそうです……」


「えー……」


 珠彩さんは怪訝そうな顔で私と燈彩さんを交互に見つめます。


「すまない、ヴァーミリオンよ……我はその湧き出す命の雫を目の当たりにした瞬間、自らを制御することができず、その咆哮は皆に不要の心配を与えてしまった……」


「海果音」


 間髪入れずに私に振る珠彩さんでした。


「あー、いざ手を切って血を見たら、気が動転して叫んじゃったんですって。それで先生が心配したみたいですよ」


「……ったく、思い切ったことする癖に気が弱いんだから……」


「すまな……」


「いい加減その喋り方止めなさい!」


 またもや珠彩さんの拳がテーブルを揺るがします。つくづく感情表現がストレートなお姉さんです。


「ごめんなさい……お姉ちゃん」


「ククク、ヴァーミリオンよ、そこまでにしておけ、スカーレットも反省している。

 それに、その特別を求める心、我もわからぬではない。

 それこそが純然たる自我を確立する唯一の術であると、その考えに至るのも無理はない」


「……マリンカノーネ……いや、マスター!」


 私を見つめる燈彩さんの目に、輝きが灯ります。


「スカーレット!」


「「ハーッハッハッハ!」」


「いい加減ふたりとも殴るわよ……」


 握った拳を振るわせる珠彩さん。


「……お姉ちゃん、ごめん……でも血って時間が経つと茶色くなるんだね」


 燈彩さんは自分の手に巻いてある包帯に目を落としながらそう言いました。


「当たり前じゃない。赤血球の成分、ヘモグロビンは鉄分、鉄が錆びると茶色になるのよ。授業で習ったでしょ?

 でも、ようやく燈彩も落ち着いてきたみたいね。海果音、ありがと」


「マスター、ありがとうございます……」


「なんか懐かれちゃったみたいね、海果音」


 私に申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる珠彩さんと、恥ずかしそうに上目遣いで見つめる燈彩さん。


「あはは……なんか通じるものがあるみたいですね」


「でもね、燈彩、中学2年にもなってそんなごっこ遊びしてるんじゃ、海果音お姉ちゃんに笑われちゃうわよ」


「あ、いえ、私は今でも頭の中ではそのごっこ遊びしてます……」


「あ……そう……」


「燈彩ちゃんは所謂中二病ってやつだね」


「海果音も前からそうだよ。ってか、珠彩も大概中二病だよね」


「何言ってんのよ、そんなわけないでしょ。

 さて……甘いものも食べて落ち着いたみたいだし、燈彩、もう帰るわよ」


「……わかった」


「パパとママにはうまく言っておくから、ね」


「うん……」


「じゃあ、あんたたちもまっすぐ帰りなさいよ、もう結構遅い時間じゃない」


「珠彩ちゃん、お母さんみたいだね、ふふ」


「……世話のかかる子が増えて困るわ。海果音、今日は本当にありがとうね! 今度、お礼させて!」


「ああ、いいんですよ。……それではスカーレット、また逢おう!」


「マスターマリンカノーネよ、また相まみえる日を楽しみにしております」


「あんたらその歌舞伎の見栄みたいなポーズ、なんなの……?」


 数日後学校にて――朝のホームルームが終わり、1時限目の授業が始まろうかという時、私は校庭をぼんやりと眺めていました。

 すると、特徴的な赤い髪の生徒が登校してきます。そう、それは珠彩さん。彼女は遅刻確定でしょう。


「深織、珠彩さんが」


「あら、珍しいね。後でからかっちゃおうかな」


 そう言っていつものように微笑みを浮かべる深織でした。

 そしてその日の放課後、私と深織が部室に入ると。


「うーん……」


 珠彩さんは座って頭を抱えていました。


「おつかれー、珠彩?」


「どうしたんですか?」


「あ、海果音、深織……いえ、ちょっとね……」


「燈彩ちゃんのことかな?」


 後ろから悠季さんの声がしました。


「……うん、もう3日目なのよ」


「3日目?」


「……燈彩がね、引きこもって今日で3日目なの。

 学校は勿論、部屋の外にも出てこない……今朝も説得したけど、何も言わないの……

 ご飯もあんまり食べてないみたいだし……」


「それで、遅刻ですか……」


「見られてたのね。……そうよ。そのあと授業受けてても全然集中できなかった。

 今日は金曜日でしょ? 今日までは怪我で休みってことでいいかもしれないけど、

 来週の月曜日に学校に行けなかったら、ズルズル長引いて不登校になっちゃうかもしれない……」


「燈彩さんも思いつめてて踏み出せなくなってるんじゃないですかね」


「そうかもね……ねえ、海果音、あんたさ、燈彩の話し相手になってやってくれない? お願い」


 懇願するように両手を合わせる珠彩さんに私は快く答えます。


「いいですよ。私もなんか、燈彩さんに共感できるところがありまして、悩んだり苦しんだりしてるなら力になりたいです」


 するとパっと明るくなる珠彩さんの表情。


「ありがとう! じゃあ……ああ、でも、今日はもう遅いから……明日、そう明日、うちに来れる? 私はずっと家にいるわ」


「明日ですね、わかりました。珠彩さんの家の住所って、どこですか?」


「ちょっと待ってね、携帯にメールするから……よし」


「……来ました。ありがとうございます。私も明日は一日暇にしてる予定だったので、丁度良かったです」


「ごめんね、変なことに巻き込んで。後で絶対にお礼するから!」


 そう言ってまたもや手を合わせる珠彩さんでした。

 そして次の日、私はメールでいただいた住所に赴きます。


「この辺だよね……しかし、長い塀だなー……お、丁度ここだ……この門? で、でかい……」


 私はその延々と続く塀の先に見つけた巨大な門のインターホンを恐る恐る押しました。


 ピンポーン♪


 心地よい音が響き、程なくしてインターホンのスピーカーから声が聞こえてきます。


「海果音? おはよう、待ってたわ。さ、中に入って、玄関まできてちょうだい」


 すると、巨大な門が自動的に音を立てて開きました。


「……おはようございます。わ、わかりました……って、遠い!」


 門から続く長い一本道の先に、扉のようなものが見えます。あれが玄関なのでしょう。

 私は石畳の上を1分ほど歩き続け、ようやくその玄関に辿り着きました。

 すると、その扉も自動的に開きます。


「入ってきて、今日も燈彩を説得してみたけど、やっぱりダメだったの……

 ……!」


 珠彩さんは、私の肩越し遥か向こう、門の方を睨んでいました。私が振り向くと、既に門は閉まり始めていました。

 そして、珠彩さんに導かれるまま、ひとりでは迷ってしまいそうな巨大な豪邸の中の一室の前に通されたのでした。


「燈彩! 起きてる? ほら、海果音お姉ちゃんを連れてきたわよ、開けなさい」


「おはようございます。燈彩さん、海果音です」


「……中から鍵がかかってるの……出てきてくれるといいけど……」


 扉の向こうでは何やらごそごそと音がします。


「……マスター……?」


 部屋の中から微かに声が聴こえました。

 よく見ると、扉には鍵穴があります。珠彩さんが開ければいいのにと思ってそれを見つめていると。


「鍵までかけてたってことは、それなりに思うところがあるってことでしょ……勝手には開けられないわよ」


「……そうですね、燈彩さんが自分の意志で開けないと意味がないですね」


 そうしてしばらく待っていると、鍵が開く音がしました。

 そして、ゆっくりと、10cmほど開いた扉の先からは、先日見た可愛いふわふわヘアーの女の子が恐る恐るこちらを覗いています。


「……マ、マスター? マスターマリンカノーネ!」


「おはようっ」


 私はその怯えた小動物のような彼女に、ありったけの笑顔で挨拶をしました。


「燈彩さん、ちょっと話せますか?」


「は、はい……じゃあ、入ってきてください……お姉ちゃんは……ダメ……」


「はいはい、わかったわよ……海果音、お願い。任せたわ」


「はい、自信はあまりないですけど……」


 私はそう言って、燈彩さんの部屋の中に入りました。

 そこは、アニメやゲームのポスターがおびただしく貼り巡らされた壁に囲まれている、12畳ほどの部屋でした。

 見上げると、どうやって上ったのかと思うほどの高い天井にも、しっかりとポスターが貼ってあります。

 そして、アクリルケースに入ったフィギュアの数々、モニターが3枚もある光るケースのPC、本棚を埋め尽くすライトノベルと、なんとも羨ましい限りの光景が広がっていました。


「うわ……すっご……」


「マスター、ここ、どうぞ、座って下さい」


 言われるがままにベッドに腰を掛けると、底がないのかと思うくらい柔らかく沈み込みます。

 そして、着ぐるみのようなピンクのパジャマを着た燈彩さんは、ファミレスでの様子と打って変わって、もじもじそわそわとしていました。


「燈彩さん……えっと、燈彩ちゃんって呼んでいい?」


「は……はい」


「じゃあ……燈彩ちゃん、どうしたの? ずっと学校も行ってないし、部屋からも出てないって、お姉さんから聞いたけど」


「……うう、すみません」


「うまく言葉にできないかな?」


「いえ、なんとなく、外に出るのが怖くなって……だって、手を切って血を流して叫んでる子なんて、みんな気持ち悪いと思ってるに決まってます。それに……」


 燈彩さんの目は、本棚のライトノベルや、アクリルケースのフィギュアに泳ぎます。


「この部屋の中の方が外よりずっと面白いものを見ていられます。クラスメイトの冷ややかな視線とか、嫌なものを見ることもありません」


「そっか……そうだよね。本の中の世界や、魅力的なキャラクターたち、それに、燈彩ちゃんを含め、人間の頭の中には無限の想像力がある。

 ここにいれば困ることもないよね」


「そうです……そう思います……なんでみんながみんな外に出なくちゃならないんでしょうか……私みたいな人は外に出ない方が、私も他の人にも、お互いにとっていいことなんじゃないでしょうか」


 私は目を隠すように片手で顔を半分覆いながら静かに口を開きました。


「……ククク、スカーレットよ、貴様は何も知らないようだな……」


「な、何言ってるんですか! 少なくとも、クラスのみんなよりは本を読んでます!」


「いいものを見せてやろう、この世界の真実をな……着いて来い!」


「……ど、どこへ?」


「いいから来るんだ! それとも、マスターの言うことが聴けないのか?」


「……わかりましたマスター、このスカーレット、この身が尽きるまでマスターにお供する所存です!」


「よく言った、スカーレットよ! まずは防護服に着替えるのだ! その恰好ではこの先着いてこれまい」


 おもむろにタンスから服を取り出す燈彩さん、しかし、彼女は服を持ったまま着替えずにいます。


「どうした? スカーレットよ、時計の針は待ってはくれぬぞ」


「……き、着替えるので……外に出ててください」


「あ、そっか、ごめん……ごゆっくりどうぞ……」


 そうして私は燈彩さんの部屋からいそいそと退散しました。


「海果音、どうだった?」


「……ククク、ヴァーミリオンよ! 案ずることはない、彼女は私と契約を交わしたのだ!」


 すると珠彩さんの手が上がり――


「いたいっ」


「……あ、ごめん、癖でぶっちゃった……大丈夫?」


「ああ、いえ……大丈夫です」


 なるほど、いつもそうやって燈彩さんを諫めてるんですね。

 私も反射的に痛いと言ってしまいましたが、頭を軽く叩く程度で、そこに恐怖は感じられませんでした。


「今、あの子何してるの?」


「いえ、私がとりあえず外に出ようって、そしたら着替え始めて、私は追い出されたんです」


「追い出された? まさか、このまま出てこないなんてこと……」


「あっ、そっか、ごめんなさい、珠彩さん……」


「うーん……どうしよう……」


 しかし、私たちの心配は杞憂に終わったのです。


「……お待たせしました……」


 そう言って、白のワンピースに身を包み、麦わら帽子を被った燈彩さんが部屋から出てきます。


「よくぞ参った、さあ、共に世界をその目に焼き付けるのだ!」


「はい、マスター!」


「私の家に参ったのはあんたの方でしょ……で、どうするの?」


「……ちょっと散歩しようかなって。大丈夫です、危険なところには行きません」


「そう、わかった。じゃあ、任せたわよ」


 そうして私と燈彩さんは玄関を抜け、門の前で珠彩さんと別れました。


「……深織」


 残った珠彩さんは横目で電柱の陰を見ます。


「……なんだ、気付いてたの?」


「当たり前でしょ。さて、海果音、うまくやってくれるかしらね」


「海果音ちゃんならきっと大丈夫だよ」


 そう言って塀から飛び降りてきたのは――


「悠季、あんたも居たのね。ってか、人んちの塀に勝手に上らないでよ」


「あはは、ごめんね。ボクはただの興味本位さ」


「はぁ……あんたたち、ほんと暇ね」


「私は海果音を見守ってるだけで暇ではないんだけど……あ、角曲がった、見失うよ」


「はいはい、尾行なんて趣味の悪いこと……面白いに決まってるわ!」


 そうして心底楽しそうな表情を浮かべる珠彩さんを始めとした3人に尾行される私たちなのでした。

 数分歩いたところで、私は民家の壁を指さします。


「スカーレットよ、あれを見るがいい」


「……ドアですね」


「あのドア、何か妙ではないか?」


 そのドアをまじまじと見つめる燈彩さん。そして気付きます。


「……あっ、よく考えたらおかしいです! あれ、2階なのに足場がありません! あれでは外に出ようとすると落ちてしまいます!」


「よくぞ見破った! そう、あれは"ヘヴンズドア"。天国に続く扉なのだ!」


「……ですがマスター、こういう考え方もあります! 空中にあるドア、私には見覚えがあります!

 あれは、あそこにはタラップが繋がるんです! だから、あの家は飛行するのではないでしょうか!」


「鋭い。 さすがスカーレットだな、空を飛ぶ家か。しかし、こう考えることもできるぞ!

 この町が洪水に飲まれた時、どうなると思う?」


「……なるほど、下の板が水で浮き上がって、あのドアを開けることができる! ということは、あそこにはボス部屋の鍵が!?

 そして、どこかにこの町の水位を上げるスイッチがあるに違いありません!」


「ふふ、良い感をしているな、そのスイッチとやらを探しに行くぞ!」


「御意! マスター!」


 そう言って走り出す私たちふたりでした。


「何言ってんのあいつら……あんなのベランダが老朽化して撤去されただけじゃない……

 それに洪水って何? あそこまで水位上がったら、この町は壊滅よ」


「珠彩は真面目だね……さ、急いで追わなきゃ」


 ――私は道すがら拾った木の棒を持ち、燈彩さんと共に更に歩き続けます。


「む、あれを見ろ!」


 私が指さす先には、空き地に打ち捨てられた、錆びて赤茶けた螺旋階段があります。周囲に建物はなく、その階段はどこにも繋がっていません。


「マスター! あれも天国への……?」


「ふふ、よく見るんだ、あの螺旋、二重になっているだろう」


「はい……あれには何の意味が?」


「二重螺旋と言えば、DNAのことであろう。つまりあれが表しているのは、進化の行きつく先には何もない……そう、滅亡しかないということなのだ!

 あ、燈彩ちゃん、そこは他人の敷地だから入っちゃダメだよ」


「……ごめんなさい」


 目を輝かせてその階段を上ろうとする燈彩さんを、私は寸でのところで止めました。


 ――


「あれも建物が撤去されただけじゃない……」


「はー、二重の螺旋階段なんて珍しいなあ……結構遠くまで来ちゃったね」


「珠彩、悠季、感心してないで行くよ」


「私は感心してないわよ!」


 ――そして、更に歩みを重ねる私たちは、道の真ん中に佇む巨木を見上げました。


「スカーレットよ、この神木の力を感じることができるか」


「はい、マスター、この木は時空を曲げ、道の間から生えています」


「ククク、まだまだ貴様も未熟だな……これは、ここに道を通そうとした時に、この木を排除することができなかったからこうなっているのだ。

 何故だかわかるか?」


「なるほど、そう言われて初めてこの神木の恐ろしさが分かります。

 この木を切り倒そうとしたもの、危害を加えようとしたものは……帰らぬ人に……」


「その通りだ……ここでは痛ましい事故が起きた。それはこの神木の怒りによるものだったのだ」


 ――


「珠彩ちゃん?」


 悠季さんが珠彩さんの異変に気付きました。珠彩さんは明らかに腰が引けています。


「……! ね、ねえ、あ、あれってホントなの? あの木、呪われてるんじゃ……」


「もっと寄ってみたらわかるかもしれないよ」


 深織は珠彩さんの両肩を後ろから掴み、巨木の方にぐいぐいと進みます。


「や、やめてよ! 押さないで! 近付けないで!」


「ごめん珠彩、体が勝手に」


「バ、バカ言ってんじゃないわよ! とにかく、やめて! こ、怖い!」


「ふたりとも、そんな大声出すと海果音ちゃんたちにバレるよ」


「あ、はい。さ、行こう、珠彩」


「だから押さないでって言ってるでしょ!」


 ――そうして私たちは住宅街を抜け、駅前までやってきました。


「マスター! ここから宇宙に旅立てるのですね?」


「スカーレットよ、感が冴えてきたようだな。その通りだ。

 しかし、あれに乗ってしまえばもう二度と帰ってこれぬ。それは片道切符なのだ」


「なるほど……は! マスター、ここは妙です! 白い……マスクがそこら中に落ちています」


「ふむ、おそらく何かの病原体から身を守るために使われていたものだろうな。

 しかし、病原体の力には及ばず……マスクを残してその身体が溶けて消えてしまったのではないだろうか」


「マスター、それはおかしいです! それだと、消えてしまった人は全裸にマスク一丁だったことになります!」


「あ、そっか……じゃあ……駅を出た人たちは早く帰るために加速した。そして、加速により生じた熱を逃がすためにマスクを取ったのだろう」


「なんとぉ!」


 ――


「あいつら不謹慎ねぇ、知らない人が聴いたら怒るわよ……って、深織、何してんの?」


「……あ、ゴミは拾わないと」


「ボクも手伝うよ」


「ああ、素手で触ったら汚いから……はい、手袋とトング」


「ありがとう」


「なんでそんなもん、2人分も持ってるのよ……」


「珠彩の分もあるよ」


「……ちゃっちゃと片付けてふたりを追うわよ」


 駅前に散らばるマスクなどのゴミを、片っ端からゴミ袋に入れる深織たち3人なのでした。

 ――そして、気付けば時間はもう15時、朝から何も食べていない私たちふたりは、駅前のハンバーガー屋さんで食事を摂ることにしました。


「え、アボカドワッパーないんですか?」


「はい、その商品は販売終了しまして……申し訳ありません」


 がっかりした私がメニューを眺めて迷っていると、燈彩さんが先に注文しました。


「私はワッパージュニアセット、ウーロン茶で」


「うーん、じゃあ私もワッパージュニアセット、アイスティーで」


「かしこまりました。ワッパージュニアセット2つで、お会計が1,000円となります」


「あ、ここは私に任せて!」


 いいところを見せようとした私は財布の中を見て愕然としました。15円しか入っていません。


 ――


「……悠季、これお願い」


「了解」


 ――私は自分の身体に何かが触れた感覚を覚えました。

 私はそれを気にもかけず、冷や汗をかきながら苦し紛れに服のポケットを探っていると――そこには見覚えのない1,000円札がありました。


「あ、これで……お願いします」


「かしこまりました。1,000円丁度、いただきます。少々お待ちくださいませ」


「さすがですマスター! 財布をスられても大丈夫なように、裸でお札を持っていたんですね!」


 そう言って私に羨望の眼差しを向ける燈彩さんは、自分の財布からお札を出しかけていました。

 そして、そこから覗く束の厚みは、私には眩しすぎる代物でした。


「そ、その通りだ! スカーレットよ、よくぞ見破った!

 ……あと、すまんがその財布を……しまってくれんか……私には強すぎる」


「あ、し、失礼しました! マスター!」


 ――


「あいつら店員さんの前で恥ずかしくないのかしら……」


「ふう……間一髪だね」


「ありがと悠季。さ、私たちも何か食べようか」


 ――


「お待たせしましたー」


「ありがとうございます。さあ、スカーレット、あの席で食べよう」


「御意です!」


 ――


「結局ボクたちも同じの頼んじゃったね」


「ワッパーが5つ……5ワッパー……頼りになるやつ、イカすやつ……か」


「何言ってんの? 深織」


「地震のもとを踏み潰せそうだね」


「は? あんたたちなんなの?」


 ――


「あ、スカーレット、ソースついてる」


 私は燈彩さんのほっぺを指さしました。


「ああ、すみません。片手だと食べにくくて……」


「そうだったな、私が拭いてしんぜよう」


 私は燈彩さんのほっぺを紙ナプキンで拭いてあげました。


「ありがとうございます」


 ――


「……!」


「深織ちゃん、目が怖いよ」


「何? あんたどうしたの?」


 そうして、わたしと燈彩さんのふたりは遅めの昼食を終え、更に街の探索を続けました。


「スカーレット、見るのだ、あの黒い鳥を」


「マスター、あの鳥、何かをくわえています。あ! 道路に落とした!」


「静かに! よーく見てな!」


 道路に落ちたのは木の実でした。そして、道を行く車がそれを踏み潰したのです。


「鳥は舞い降りた……あ、何か食べてます!」


「そうだ、スカーレットよ、あの鳥はわざと木の実を車に轢かせたのだ」


「なんと恐ろしい……あれが木の実ではなく、爆弾だったとしたら!」


「そう、あの黒い鳥は、軍用に訓練を受けているのだ!」


「動物の軍事利用はここまで進んでいたのですね!」


「それに比べて……あの鳥を見よ」


「あの、首の後ろに緑のラメが入った灰色の鳥は……?」


「スカーレットよ! あれに手を差し伸べてみよ!」


 するとその鳥は、燈彩さんに近寄ってきて手の平をつつきました。


「いてっ」


「ふふ、油断したな、スカーレット! その鳥はその留まることを知らない食欲によって、攻撃性が高まっているのだ!

 ……あと、これで拭いておいた方がいいよ」


「かたじけない、マスター……」


 私は燈彩さんの手の平を除菌シートで拭いてあげました。

 ――


「カラスに比べてハトってバカなのね……」


「カラスは苦労してるからね。賢くならざるを得ないんだよ」


「深織ちゃん、寒いよ」


 ――気付けば辺りは夕暮れ、私と燈彩さんのふたりは川の堤防の上の道路を歩いていました。


「ここは昔、線路があったんだよ」


「はー、そうなのですか! マスターはやはり物知りですね」


「それにね………この階段を見よ!」


「……これは、何の変哲もない急な階段に見えますが」


「ククク、ここからこの角度で見た時にだけ、この階段は真実を語るのだ」


「なんと……こ、これは……あの決戦の地!?」


 そこはとあるアニメの最終回で使われた、決戦の地のロケ地、いわゆる聖地なのでした。


「そうだ……ここがあのふたりが命を落とした場所なのだ……」


「すごいです、マスター! そんなことまで知ってるんですね!」


「これくらいのこと、常識の範囲であるぞ!

 ……ふう、スカーレットよ、喉が渇かないか? あそこで喉を潤そう」


 私は自動販売機の前で財布を取り出しました。

 が、そこでまた財布に15円しか入っていないことを思い出し、固まっていると――


「よいしょ、マスター、何にしますか?」


「……あ、炭酸水で……無糖の」


「わかりました」


 燈彩さんはそう言うと、躊躇なく自分の財布から小銭を取り出し、2本のペットボトル飲料を買いました。


「はい、マスター」


「あ、ありがとう、あのベンチに座って飲もうか」


 年下から施しを受けたことに少し動揺した私でしたが、隣に座る燈彩さんの笑顔を見ていると、気持ちが落ち着いてきます。


「さて……今日はどうだった? 燈彩ちゃん」


「マス……海果音さん……とても楽しかったです」


「ふふ、そうでしょ。この平凡な街にだって、視点を変えればいくらでも面白いものが転がってるんだよ」


「視点ですか……」


「燈彩ちゃんはさ、この現実世界がつまらないって思ってたでしょ。

 そこまでのことではなくても、なんか思ってたのと違うとか。

 そりゃそうだよね、この世界ってさ、自分が成長すればするほど、知れば知るほど大したことがないって気付かされる。

 それよりも残酷な面、汚らわしい面、えげつない面が目立って見えて、その実態に失望させられる。

 それで、創作の世界に惹かれた。人の住む世界より、人が創った世界の方が面白いと感じた。

 だから、創作の世界の登場人物のように振る舞うことで、この世界に対する不満を誤魔化そうとした。

 私だって、この世界に生きる自分には意味がないとすら感じていた。

 だけど、この階段もそうだけど、創作の世界だって、この現実の世界が基になってできている。

 むしろ、この現実の世界の一部に過ぎないんだよ。

 それにさ、今日見てきたものはみんな、それぞれがそこに至るまでの歴史を積み重ねている。

 打ち捨てられたものでさえ真っ当な役割を持っていた。そう、意味がないものなんてないんだよ。

 ほら、あそこを見てごらん。この道は昔は線路が通ってたって言ったよね?

 あれは、そのことを忘れないために建てられた記念碑と、使われていた線路、標識、駅舎の切れ端だよ。

 そうやって誰かが覚えている限り、それが意味を失うことなんてないんだよ」


「……でもあれは、悲しき寄せ集めです」


「そうかもしれないね。だけど、彼らと私たち人間の違いは、彼らは自分の行く末を自分でどうにかすることはできないけど、

 私たちは自分の行く末を、自分の意思によって選択することができる。

 この世界に失望するのも、この世界を面白くするのも、結局自分次第ってことなんだよ」


「……そうですね。そうかもしれませんけど……」


「……ん?」


「今日のこの日を面白くできたのは……海果音さん、あなたが一緒に居てくれたからです」


「そ、そうかな……私はちょっと見方を変えてみようって思っただけで……」


「あんなこと言って、傍から見たら正直バカみたいですよ……

 でも、海果音さんと一緒だったから、そのバカみたいなことにも意味があった。私はそう思うんです」


「……そっか」


「そうですよ。私は他人と同じことをしても意味がないって思ってました。

 だけど、そうじゃなかった。他の人と何かを分かち合うことが、こんなに幸せなことだったなんて、海果音さんに教えてもらうまで気付けませんでした。

 だから、今日は本当にありがとうございました。

 ……あと、私、来週からちゃんと学校に行きますから。もうお姉ちゃんに心配かけたりなんかしません」


「うん、それでいいと思う」


 夕陽が照らすベンチで私に肩を寄せる燈彩さん。

 私に伝わる燈彩さんのぬくもりは、その心が穏やかであることを物語っていました。

 ――


「よかった。解決したみたいだね、珠彩ちゃん」


「そうね……それにしても、海果音ってホントにいい子ね」


 珠彩さんは深織に同意を求めるように視線を向けます。


「……あの小娘、海果音とあんなに接近して……」


「……あんた、もう帰んなさいよ……私の妹をなんだと思ってるのよ」


 悔しそうな表情を浮かべる深織に、珠彩さんは心底呆れていたようです。

 ――そして、3人が1日を掛けて見守り続けた私たちにも、別れの時がやってきます。


「じゃあ、帰りますか」


「はい、私はあっちなんで、ここで失礼します」


 ぺこりとお辞儀をして、踵を返して振り向きながら笑顔で手を振る燈彩さんに、私も笑顔で応えるのでした。

 そして、燈彩さんが十字路に差し掛かった時。


「あ、葉月さん!」


「こんなところで会うなんて奇遇だね」


 彼女はクラスメイトと思しき2人の女子とばったり遭遇しました。


「あ、こんにちは。ホント、奇遇ですね」


「あれ、普段はあの面白い喋り方しないんだ」


「学校だけ?」


 普段? と様子が異なる燈彩さんに、クラスメイトは驚きを隠せません。


「ああ、いえ……すみません、いつもお騒がせしちゃって」


「えー、なんか調子狂うなあ。あの喋り方がいいのに!」


「そうだよねー、まあ、往来でやるのは恥ずかしいからかな」


「ははは……まあ、そんなところです」


 クラスメイトのふたりは燈彩さんの左手の包帯に目をやります。


「それで、怪我の方は大丈夫なの?」


「あれから3日間も休んでるから、みんな心配してたんだよ」


「ああ、この通り、とりあえず大丈夫です」


 燈彩さんは2人に左手を上げて、握ったり開いたりして見せました。


「そっかー、大丈夫なんだね」


 その時、クラスメイトのひとりが思い出したように口を開きます。


「……あ、そうだ、私たち明日、カラオケに行こうと思ってるんだ!

 それでさ、良かったら一緒に行かない?」


「カラオケですか……そういうのちょっと苦手で」


 クラスメイト2人から視線を逸らす燈彩さん。

 しかし、2人は燈彩さんの目を見て続けました。


「何言ってんの! 葉月さんこないだ教室で急に歌い出して、みんなびっくりしてたけど、

 あれって、葉月さんの歌がすごく上手だったからなんだよ!」


「え?……そ、そうなんですか?」


「そうだよ! 葉月さんの歌、もっと聞かせて欲しいな」


「……そ、そうですか。なら、お言葉に甘えて」


 燈彩さんの少しほころんだ表情に、クラスメイト2人も笑顔を返します。


「よーし、じゃあ決まり!」


「明日、12時に駅前だけど、大丈夫?」


「大丈夫です。た、楽しみですね」


「だねー!」


「たのしみっ!」


 私は、そんな3人のやりとりを遠くから呆然と眺め続けていました。

 しかし、肩を叩く手の感触に、はっと我に返ります。


「海果音、今日はありがと」


「あ、珠彩さん……燈彩さん、お友達と仲良くできるといいですね」


 その時の私の目は遠くを見つめ、何か虚無感のようなものを感じていました。


「そうね……って、どうしたの?」


「……どうもしてませんけど……ただ、良かったなあって」


「海果音っ」


「深織、あ、悠季さんも。なんだ、みんな見てたんですね……恥ずかしいなぁ」


「今更恥ずかしがることでもないさ」


「海果音~、あの子が離れて行っちゃうみたいで寂しいんでしょ?」


「あんたはなんで嬉しそうなのよ」


「寂しい……そっか、これが寂しいってことなのかな」


 そうか、燈彩さんはもう私に頼らずとも他人と、クラスメイトとうまくやっていけるのでしょう。

 それはいいことなのに、それがなぜか、私にとって大きな喪失感を与えていたのですね。

 でも、それでいいんです。私は彼女に人と楽しみを共有することの大切さを伝えることができた。

 そのことが、私が今存在していることに意味を与えてくれている。そう思えました。


「じゃあ、帰りましょうか」


「……海果音? 泣いてるの? そんなに寂しい?」


 珠彩さんは私を二度見して、その瞳からこぼれる雫を心配そうに目で追います。


「いえ、違うんです。嬉しいんですよ……私も人のために何かができるんですね」


「はは、海果音ちゃんは今までもそうしてきたはずだよ。そして、これからもそうして行くはずさ」


「そ、そうですかね?」


「海果音は自分を過小評価しすぎよ。もっと自信を持つといいわ」


「珠彩さん……ありがとうございます」


「いいえ、とんでもない。まあ、また気が向いたら燈彩と遊んであげてよ」


「ええ、もちろんです!」


「海果音」


 急に深織が私の名前を呼びます。私が振り向くと彼女は、言葉に詰まっているようです。


「何?」


「……今度、私とも……ああやって遊んでほしいな」


「え? ……いや、深織はいつも私で遊んでるじゃん」


「「あははははは!」」


 何かを察した珠彩さんと悠季さんの笑い声が、沈む夕陽を見送るようにこだましていました。

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