第15話 人にやさしく
「ちょっと、君」
私は廊下で急に、知らない生徒から呼び止められました。
今までそんなことはほとんどなく、私は他人の気に障るようなことをした気がして、恐る恐る振り返ります。
「な……なんですか?」
「これ、落としたよ」
彼女がその手に持っていたのは、私のメガネ拭きでした。
私は今までメガネ拭きを幾度となく無くしてきたのですが、なるほど、ポケットから落ちてたんだなあと気付くことができました。
「……あ、ありがとうございます」
「気を付けてね!」
私がメガネ拭きを受け取ると、彼女は微笑み、Uターンして去って行きました。
「満足そうな顔してたね。いいことすると気持ちがいいから」
そう言って私の肩に手を乗せたのは、深織でした。
「ああ、深織、なんかさー、最近みんな心なしか親切になってる気がしない?」
「お菓子解放戦争があってからだろうね。
みんなあの時目を覚まさせてくれた"太陽の使者"に恥じないようにって、行動を改めてるみたいだよ」
「そ、そうなの? その"太陽の使者"って……私……なんだよね……?」
「うん、そうだよ! あの時海果音がみんなを目覚めさせたんだよ」
「そっかー……いや、でも、みんな私のことは知らないみたいだけど?」
「そりゃ、海果音が奥ゆかしいからだよ」
「そ、それだけのことで?」
「うん!」
何故か満足気な深織と共にその日の授業を受け終えて、いつもの部室に向かいます。
「みんなが親切にねえ……そりゃ結構だこと」
「暴動を起こした反動か……極端にならなきゃいいけどね」
珠彩さんも、悠季さんも、発言にどこか含みがあります。
「みんなの心を入れ替えさせた"太陽の使者"なる人物は偉大だね。
きっと崇められるに違いないよ」
深織は語り口は白々しく、その視線は私を捉えています。
「でもみんな海果音のことは覚えてないんでしょ? なんか損した気分よね」
「そ、そんなことありませんよ……私は今までも、これからもひっそりと生きていきたいので」
「海果音ちゃんは顔が整ってるから逆に印象に残らないんだよきっと」
「そ、そうかなあ……」
悠季さんの発言に私は照れ臭くなり、その日は赤い顔のまま下校したのでした。
そんなことがあってから数日後――
「みんな、もうホームルームの5分前だよ。席についてー」
私がトイレから戻り教室の扉の前に立つと、その向こうからそんな声がします。
そして、教室の引き戸を開けると、クラスメイトは皆既に席に着いていて、私は集中する視線を受けました。
「ちょっとあなた! "太陽の使者"に恥ずかしくないの?」
「え……? "太陽の使者"?」
「そうよ! みんなで"太陽の使者"に顔向けできるように、規律を守らなきゃならないのよ」
「……はぁ、そうですか……」
「何? その気の抜けた返事は! この学校の生徒は皆、"太陽の子ら"となるべきなのよ。
さあ、合言葉を言いなさい! 『フォロー・ザ・サン』と!」
「……いや、そんなの知りませんし……」
「は? それでもこの学校の生徒なの? あの時の"太陽の使者"の言葉に心を打たれなかったの?」
「す、すみません……フォロー・ザ・サン……」
「……本当に知らないのね……みんな、この不届き者にお手本を見せてあげるのよ」
すると、クラスの主流派と思われる人たちが、天に手のひらを掲げながら――
「「フォロー・ザ・サン!」」
私は、なんか古いアニメの"きみよ つかめ"の部分みたいだなと思い、クスっと笑ってしまいました。
「今、笑ったわね!?」
そうして、私は彼女から正義の怒りのようなものをぶつけられ、謝りながら席に着きました。
そんな私の後の席では、いつものように深織が微笑んで座っていました。
「ちょっと、助けてくれてもいいじゃん」
「あそこで私がなんか言っても火に油を注ぐだけだよ」
「ふん、いいよーだ。深織に助けてもらわなくてもひとりで生きていけるようになるよ」
「……ごめん」
そう呟く深織の顔は何故か心底申し訳なさそうな表情でした。
程なくして先生が教室に入ってくると、いつものようにホームルームが始まりました。
その日から、"太陽の子ら"を名乗る人たちは、次々と新しい規律を自主的に作り始めました。
5分前行動厳守、挨拶は『フォロー・ザ・サン』、授業中などに発言する場合は、私が"きみよつかめポーズ"と密かに呼んでいるポーズを取る、
校内に持ち込むお菓子は300円以内、宿題を忘れた時などは休み時間中廊下で"きみよつかめポーズ"を取り続ける、
平日に外出する場合は制服を着る、太陽に目を背けないようにサングラスをかけてはいけない、学校の池で釣りをしてはならない……などなど。
しかし、一番の問題は、他の生徒に積極的に"太陽の子ら"となることを薦めるということにありました。
これにより、1週間も経つと校内の生徒はほとんど"太陽の子ら"となりましたが、生徒が規律正しく行動するようになるため、教師たちもそれを咎めませんでした。
全てはいつか"太陽の使者"に会った時に顔向けできるようにと、皆がそれを誇りに思い、それに微塵の疑いも持っていませんでした。
そうして規模を拡大した"太陽の子ら"は、その規律を逸脱したものに対して容赦なく制裁を浴びせ、猛省を促すものとなっていました。
「で、あいつらの言ってる"太陽の使者"って一体誰なのかしらね? 実態が無い偶像崇拝じゃない。
これじゃお菓子解放軍とやらと変わらないわ。構成員も大体一緒でしょ」
放課後の部室、珠彩さんは呆れた口調でそう吐き捨てます。
「どうも最近の彼女たちを見てると、自分たちで作ったルールに縛られてる感じがするね」
「私も悠季さんの言う通りだと思いますけど、でもそれで学校が良くなるならそれでいいんじゃないですか?」
「海果音は自分の行動に成果が出て嬉しいんだね」
深織は皮肉めいた言葉を私に投げかけました。
「そ、そんなわけじゃないよ……もう私なんて関係ないじゃん。
今更私があの時の"太陽の使者"だって名乗り出ても、みんな信じないと思うよ」
「そうかなー? ……まあこれから色々とはっきりすると思うよ」
次の日、私が登校すると、昇降口の掲示板に見慣れないポスターが貼られています。
それは、生徒会長選挙の立候補受付を報じるものでした。
お菓子解放戦争の犠牲となり辞任を余儀なくされた水墨硯さんに成り代わる、
新しい生徒会長を2週間後の選挙で決定するとのことでした。
そして、それに向けて"太陽の子ら"たちは、"太陽の使者"を生徒会長に選出するべきだと主張を始めます。
「「"太陽の使者"に清き一票を! 私たちの心の救世主たる"太陽の使者"を生徒会長に!」」
休み時間にはそう言いながら練り歩く集団が現れ、校内は日常からかけ離れた空気に支配されてゆきます。
「いやはや、彼女たちは投票箱に"太陽の使者"って書いた投票用紙を入れかねないね」
悠季さんはやれやれといった様子でかぶりを振ります。
「ねえ海果音、名乗り出て見たらどうなの?」
珠彩さんが意地悪にも私を挑発します。深織の病気が伝染したんでしょうか。
「私が生徒会長だなんて、務まるわけがないですよ。自分のことで精一杯なんですから」
「えへへ、勝手に私が推薦しちゃおうかしら」
珠彩さんの見せる笑顔は、いつも深織と軽口を叩き合ってる時のものとは違い、とても可愛らしいものでした。
「まあ、こういうのは本人の意思が一番大事だからさ、海果音ちゃんがやりたくないって言うなら強要してはいけないよ」
「……」
その日の深織は、そんな私たちを眺めながら無言を貫いていました。
そして次の日、生徒会長選挙に立候補者が現れました。
それは枇々木ほのかさん。彼女は登校中の校庭で、衝撃の演説を繰り広げたのです。
「みなさん、私がみなさんの仰っている"太陽の使者"です。
私はみなさんのことを良く知っています。それは勿論、私が"太陽の使者"だからなのです。
そこの方、あなたは昨日、弁当を忘れてきましたね? そうでしょう!」
そう言われた生徒さんは深く頷き、枇々木さんに羨望の眼差しを向けます。
そして――
「フォロー・ザ・サン!」
彼女はそう言って手のひらを太陽に掲げました。
その後もその辺にいる生徒を呼び止めては、占い師よろしく過去の行動を言い当てる枇々木さん。
その度に手をかかげ叫ぶ人たち、といった異様な光景が繰り広げられました。
そして放課後――
「あいつってお菓子騒動の時に海果音に運び屋になるように持ち掛けた奴でしょ?
さすがの情報網みたいね」
「みんな彼女が本当の"太陽の使者"だと信じ始めているね……」
「海果音、言うなればあいつはあんたの偽物なのよ? 悔しくないの?」
「いえ、別に私は……でもこれで、枇々木さんが生徒会長で決まりですかね。
これから先、他の人が名乗り出てもあの人を超える情報通はいないでしょうから」
「海果音、はっきり言うわ、私はあいつが許せない。
海果音を利用しようとしておいて、今度は海果音の行いまでも自分のものにしようとしてるなんて……」
「でも、彼女も"太陽の使者"が海果音ちゃんだとは気付いてないみたいだよ。
むしろ、それをいいことにあれは自分だったと自己暗示をかけている節がある」
「そうね。だからこそ、やっぱり海果音が名乗り出るべきなんじゃないの? 思い知らせてやらなくちゃ!」
「いえいえ……私はそんな」
私は両手を前に出して振りながら苦笑いをしていました。
すると、今まで沈黙を守っていた深織が口を開きます。
「珠彩の言う通りだね。海果音、立候補しようよ」
「……えっ?」
「……深織ちゃん、海果音ちゃんが嫌がってるのに、強要しちゃダメだよ」
「うーん、そうかな? 何事も挑戦だと私は思うんだけど……ね、海果音」
「えー……」
その時の私は心底迷惑そうな表情をしていたことでしょう。
そんな私に、深織は提案を重ねます。
「海果音が生徒会長になったらさ、私が万全サポートするから」
「私もサポートするわ! 海果音、あんたは何もしなくていい! 私たちに任せなさいよ!
……でも、人前に立てるくらいにはなりなさいよ?」
「ふふ、ありがと、珠彩。……という訳で、どう?」
「……うーん、深織がそう言うなら……」
「……」
悠季さんは目を閉じ、それに対して何も意見しませんでした。
という訳で、私は深織と珠彩さんの後押しによって生徒会長に立候補しました。
そして私はトランジスタメガホンを手に、登校時間中の校庭に立ちます。
「えー、皆さん、おはようございます。
私はこの度生徒会長に立候補しました、日向海果音です。よろしくお願いします」
しかし、登校中の生徒の皆さんは、誰一人として振り向くことはありません。
物陰から見ていた深織が、私に手招きをします。
「そんなんじゃダメだよ。『私が"太陽の使者"です』ってはっきり言わなきゃ」
小声で大それたアドバイスをする深織に、私はしぶしぶ従います。
「えー、皆さん、驚かないでくださいね……実は……私が"太陽の使者"なんです!」
言ってしまいました。もう後戻りはできない、そう思った時、登校中の人たちの目の色が変わります。
「なんですって!?」
「どういうこと!?」
そうして押し寄せる人の波、私はもみくちゃにされながら――
「あんたなんかが"太陽の使者"な訳ないでしょ!」
「そうよ、あなたみたいな暗そうな子が太陽だなんて、あり得ないわ!」
というような罵声を次々と浴びせられます。
「それに、"太陽の使者"は枇々木ほのかさんだ! 『ほのか』を漢字で書くとサンズイに『光』なんだよ? それこそが彼女が"太陽の使者"である証拠だ!
彼女の名を汚すのは許さない!」
そう、それは"太陽の使者"を騙るという、彼女たちにとって最大の禁を犯した者への制裁そのものでした。
私はそんな生徒さんたちの波から抜け出せずに、もうどうにでもなれと投げやりになっていました。
その矢先、私は何者かにお姫様のように抱きかかえられます。
「えっ……ちょっ……やめっ!」
するとその人は、私を抱えたまま大きく跳躍し、生徒さんたちの渦から抜け出します。
「海果音ちゃん、大丈夫?」
それは悠季さんだったのです。彼女は私を助けに来てくれたのでした。
「悠季さん、ありがとうございます!」
「良かった……しかし予想外に"太陽の使者"は人の心を捕らえて離さないようだね……これはどうしたら……」
悠季さんは私が居なくなったことに気付かず罵声を上げ続ける生徒さんたちの渦を見つめました。
「悠季……」
「深織ちゃんか。君らしくないね、こんなやり方」
「ごめん……」
「わ、私もごめん……」
ふたりで頭を下げる深織さんと珠彩さんでした。
その後、私は朝のことがなかったかのように声をかけられることも、視線を向けられることすらありませんでした。
そして放課後――
「ともかく、海果音ちゃんを生徒会長にしてボクたちがそれを補助するのは名案かもしれない。
お菓子騒動の時に海果音ちゃんの言葉から感じた力は、人の心を動かすに足るものだった。それは事実だからね。
そんな海果音ちゃんが生徒会長なら"太陽の使者"の影響を消し去ることができるかもしれない。
元々は海果音ちゃんの発言がこの状況を作っているんだからね。
だけど、海果音ちゃんが"太陽の使者"だと名乗るのは、彼女らの神経を逆撫でするだけだ。
だから"太陽の使者"ではなく、海果音ちゃん自身が生徒会長になる手を考えないと」
「「はい……」」
深織と珠彩さんは頭を下げ、シュンとしながら悠季さんの話を聴いていました。
すると、珠彩さんが唐突に顔を上げます。
「わかったわ、悠季。私たち……ステラソルナで、海果音を生徒会長にしてやろうじゃない! まずはポスターよ! 誰か作れる?」
深織と悠季さんは小さく首を振ります。そんな2人を横目で見ながら私は――
「はい……作れます」
俯き、上目遣いで恐る恐る右手を挙げるのでした。
「ホント? じゃあ、テツジン! あなたにはポスター作製のミッションを与えるわ! なるはやでね!
紙で持ってきても、データで送ってくれても、パパの会社でコピーするから!」
あなたもそう呼ぶのですか……
そんなこんなで、私は帰宅すると、高校入学祝いにお父さんに買ってもらったPCに電源を入れます。
資料作成ソフトを開くと、素材が無いことに気付きました。
そんな時は、深織に聴いてみるのが早かったりします。
「……あ、もしもし深織? あのさー、私の写真のデータ持ってる?
あったらメールで送って。ポスターの素材にするから」
「わかった、とっておきのがあるから楽しみにしといて、ふふ」
その声はとても頼もしく、電話を切った私が期待に胸を膨らませていると、早速PCにメールが送られてきました。
そこに添付されていた写真を一目見た私は、すかさず深織に電話を掛けます。
「もしもし? 深織さんですか?」
「どう? 海果音の写真、気に入った?」
「あのー、これですね、私の下着姿なんですけど、いつの間に撮ったんですか?」
「えっ、そんなの送ってた? ごめん、すぐ送りなおすから!」
電話は繋がったまま、またもやメールが送られてきます。
「あー、これですか……そうですか……これ、私の寝顔ですよ……ね?」
「うん、よだれは編集で消しておいたよ」
「いやー、そういう問題じゃないんですわ……これを公衆の面前にポスターとして晒すってのは、どうなんですかね……?」
「あぁっ! そういえばポスターだったね! ごめんごめん、また送りなおすから」
すると今度はメールに2枚の写真が添付されています。
「うっ……」
私はつい声を漏らしてしまいます。そこには満面の笑みを浮かべる私と、手を合わせてお願いをしている私が写っていました。
自分の顔のドアップを見るのがこんなに恥ずかしいことだとは、思いもしませんでした。
「あ、ありがとう……助かるよ」
「気に入ってくれたんだね、良かった。これでさっきのと合わせて4種類のポスターができるね」
「2種類で十分だよ!」
そう叫んだ私は電話を切ると、早速ポスターの作成に取り掛かります。
「なーんだ簡単じゃん、2枚で30分もかからなかった!」
PCで作業をしているとついつい独り言が口をついて出てしまいます。
私はポスターのデータを珠彩さんのメールアドレスに送りました。
次の日――
「さーて、海果音、できたわよ、2パターン! いっぱい印刷してきちゃった」
珠彩さんはポスターの束をテーブルの上に置きました。
すると深織は何故か、ポスターの文字を見つめながら神妙な顔をしています。
"あなたの一票が必要です"
「どうしたの? 深織」
「……いえ、なんでもない。……さすが海果音だね。よくできてる」
「えへへっ」
「さーて、今日はこれを校内の掲示板に貼って、明日は登校時に看板を持って海果音をアピールするのよ!」
「……」
拳を握り意気込む珠彩さんと、無言で腕を組み背中を壁に預ける悠季さんでした。
次の日の朝――
「日向海果音に清き一票を!」
「おねがいしまーす! 2年C組の日向、日向海果音でーす!」
ポスターを張った看板を持ち、精一杯の声を張り上げる深織と珠彩さん。
私は自分の名前が書かれている、ハンズで売ってるパーティグッズのようなタスキを身にまとい、
両手を口の前に持ってきて大声を出して……るポーズをとって小声でアピールします。
「お、お願いします……」
しかし、登校中の生徒たちは見向きもせず、通り過ぎて行きます。
私は少し疲れてしまい、木陰に座り込んでしまいました。
「はぁ……」
「おや、溜息かい? 海果音ちゃん」
「悠季さん……これで本当にいいんですかね。私が生徒会長だなんて……」
「そっか、やっぱあんまり気が乗らないんだね……まあ、当選してからどうするか考えてもいいしさ、今はふたりに任せてみれば?」
「そ、そうですね……当選したら、運がいいんだか悪いんだか……はは」
苦笑いを浮かべる私に、悠季さんは微笑んでくれました。
「「日向海果音をよろしくお願いしまーす!」」
しかし、その日向海果音のPRは、暖簾に腕押しぬかに釘、あまり効果をあげているようには見えませんでした。
そして、立候補者締め切りの当日、私は思いもよらないポスターを目にします。
"生徒会長選立候補者 水墨硯"
そう、それはお菓子騒動の責任を取って生徒会長を辞任したはずの水墨さん、その人だったのです。
その立候補に、生徒さんたちの批判は集中します。
より一層厳しさを増し、自主的な取り締まりを強化した"太陽の子ら"が、それを見て黙っているはずがなかったのです。
そうした混迷の中迎えた投票日、私を含めた3人の立候補者は体育館で全校生徒の前に登壇します。
まずひとり目の登壇者は枇々木ほのかさん。
「私は2年A組の枇々木ほのかです。この度私は生徒会長に立候補させていただきました。
私は皆さんのためにこの身を捧げます。ですから皆さんも、私に委ねて頂きたいのです。
私は、この学校の規律をより厳格なものとし、皆さんの行いを高校生として恥じないものにしてゆく所存です。
生徒は皆、その感情を制御する術を身につけ、一人前の大人になるために、この学び舎に通っています。
私たち生徒はかように情念を抑えねばならない、そういう時期を過ごしているのです。
そのために伴う痛みは小さくないかも知れません。
ですが、その痛みを乗り越えなければ、私たちが社会人の仲間入りをしてお天道様の下を大手を振って歩くことなどまかりならないのです!
私は皆さんの良心に問いかけています。私を生徒会長に当選させるべき、そうですね?」
その後も彼女は、自らを律することを生徒さんたちに強要するような言葉を並べ立てます。
「以上で私、枇々木ほのかの候補者演説を終えさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました」
深々と頭を下げる枇々木ほのかさん。
「「フォロー・ザ・サン!」」
枇々木さんが舞台袖に消える寸前、何人かの生徒が手を挙げ、そう叫びました。
しかし、そんな行動を咎めるような動きは誰からも起こりません。
場の空気はもうすでに、"太陽の使者"、枇々木ほのかさんの当選を疑わない状況となっていました。
辺りを見回せば、彼女の言葉に涙を浮かべ感動している者も居るほどでした。
そして、次に登壇するのは私、日向海果音です。
「私は2年C組の日向海果音です。この度私は……」
この時私は、一気に皆の態度が変わるのを感じました。
その体育館を満たしていたのは私に敵対する空気そのものでした。
「私は……今の状況がとても息苦しく感じます。
皆さんは今、ほとんどの方があるひとつの価値観に囚われ、それに隷属することが正しいと妄信しているように感じられます。
皆さんが勝手に決めたルールで、それを少しでも踏み外す者が現れれば正義の名のもとに制裁を加える、それが本当に人のための行いなのですか?
生徒としての行いには責任を持たなければならない、それは勿論のことです。
ですが、それは教育委員会や、この学校の教職員の方々が苦心の末に導き出した枠組みの中で行えば良いことです。
そう、我々は未熟なのです。だからこそ、人生の先輩であり、私たちのことを親身になって考えてくださる教職員の方々にその身を預けているのです。
未熟な者同士が互いを縛り付け合うことに正義などありません。
本当に人間にとって必要なことは、互いに協力と感謝をすることです。それが社会を形成し、共に生きる人々を救うのです。
人は他人を100パーセント理解することはできません。ですから、最終的には相手を許容するか、信頼するしかないのです。
道を踏み外しそうになった者には手を差し伸べ、それを救い出すことで自らをも高めることができる、そう考えられませんか?
あなたがもし何かの拍子に窮地に陥った時、それまで辛く当たっていた相手に助けてもらえると思いますか?
自分を律することは必要ですが、相手を赦すことこそが本当の強さだと、私は思うのです。
ですからもう、ひとつの価値観で互いを縛り付けることはやめましょう。
多様な価値観を認め、それらを自らに取り入れることで、私たちは成長し続けることができます。
勿論好き嫌いはあるでしょう、ですが、その自分だけが持つ感覚を他人に強要してはいけません。
『私はこれが好き、あなたはこれが嫌い』それでいいじゃないですか。
それが敵対する理由になるのは、その人が他人を許容できない弱い人間だからです。
もし、私が間違っていることを言っているなら、申し訳ありませんが、それを皆さんの手で救ってください。
私なんかがこんなことを言うのはおこがましいことですが、皆がそれぞれ楽しく人生を送れるように、協力して行く必要があります。
皆さん……勿論、私もですが……他人に……人にやさしくできる人になりましょう!
……以上で……私の……え、演説を終えさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました」
私は――生徒会長に立候補していたはずなのですが、会長になった時の抱負など、言わなくて良かったのでしょうか?
この時私はとても気まずくなり、いそいそとその場を後にしたのでした。
その時ちらりと見えた生徒さんたちの顔は、皆唖然とし、処理しきれない感情を抱えたものとなっていました。
「深織……」
舞台袖では深織が手を広げて待っていてくれました。
「よくがんばったね……ありがとう」
私は力のこもる深織の両腕の中で、その感謝の言葉と、その目から流れる雫の意味を考えあぐねていました。
そして、その横を通り抜ける影が――水墨硯さんの演説が始まります。
「皆さま、私は……元生徒会長の……水墨硯です。
今日は皆さまに謝りたくてこの場をお借りしました。
この会場の趣旨とはかけ離れていることをお許しください。
私はあの日、ある生徒から没収したお菓子を校内で口にしてしまいました。
おそらくここにいる生徒のほとんどの人はそれを知っていることでしょう。
噂と言うものは恐ろしいと痛いほど思い知らされました。
私はその過ちを犯してから、幾度も岐路に立ち、その度に間違えた結果、あのような事件を起こしてしましました。
他の生徒にお菓子を食べているところを見られた時、校内でお菓子の欠片が見つかったことを見て見ぬふりをした時、
見て見ぬふりを他の生徒にも強要した時、そして、教職員の方々に宣戦を布告した時、
説得を試みて下さった生徒の方を確保するように命令した時……全てが間違っていました。
あの時、私を突き動かしていた責任感……いえ、ちっぽけなプライドは、教職員や生徒の皆さまに多大なご迷惑をおかけしました。
私は、許されようなんて甘い考えは持っていません。
ですが、皆さまに対して謝罪をさせていただきたい、その一心でこの場所をお借りしています。
なぜこのようなことになったのかと言えば、公式の謝罪の場を設ける勇気がでなかったからです。
今こうしてここにいるのは、ある方の後押しのお陰です……そして、私は決心しました……この学校を……」
その時、全校生徒の中から、ひとつの影が壇上に駆け上がりました。
「待って!」
「りょ……」
それは生徒会副会長を務め、水墨さんと一緒にその職を辞任した清水 涼香さんでした。
「涼香……」
清水さんは躊躇せずに両手と膝と地面につけ、額を深々と下げます。
「みすずちゃんを……許してあげてください!」
「そんな、涼香、やめて……」
「……みすずちゃん、私はあなたの力になってあげられなかった。
だから、せめてこれくらいは……皆さま、お願いします!」
清水さんの額は床にぴたりとつき、そこに涙が伝いました。
突然のことに体育館は静まり返り、凍り付いた時間が流れます。
すると、水墨さんも清水さんと同じ体勢を取り――
「……」
ふたりとも何を発することも無く、そのままの状態が続きます。
「わ……私は……」
言葉が続かない水墨さん、生徒たちはそれを固唾を飲んで見守ります。
その時――
「……がんばれ!」
生徒たちの中のひとりが、そう声を上げました。
すると、その声に呼応するように――
「が、がんばれ!」
「「がんばれ! がんばれ! がんばれ!」」
ほぼすべての生徒が水墨さんに声援を送り、その響きは体育館を揺るがしました。
「……皆さま……ありがとうございます……誠に申し訳ありませんでした!
またこれからも皆さまと……この学校で一緒に学ばせてください!」
「お願いします!」
清水さんも水墨さんに続きます。
体育館を包む"がんばれ"の大合唱と、それに混じった嗚咽が、
この学校の生徒の心がひとつになったことを証明していました。
多くの人が流す涙は、単なる感動の涙ではなく、自分の行いを悔い、水墨さんの勇気への感服を表していました。
そうして、生徒会長候補者演説はそのすべてを終え、数日後、投票結果が開示されました。
当選者の名前は――
"水墨硯"
彼女を赦し、もう一度チャンスを与えたいという全校生徒の想いが実を結んだのです。
ちなみに、私、日向海果音への投票は――1票でした。
「……っどうしてあんたたち海果音に投票しなかったのよ!!」
「珠彩さん、まあまあ落ち着いて……」
そう言ってなだめる私を無視して、珠彩さんは怒りの視線を深織と悠季さんに送ります。
「ボクは海果音ちゃんがやりたくないなら強要すべきじゃないって言ったじゃないか」
「海果音が生徒会長になったら忙しくなっちゃうし」
「なによそれっ! 私だけバカみたいじゃない!!」
その時、深織の携帯電話が震え出しました。
「ちょっと待って……はい……わかりました。
ごめん、ちょっと出てくる」
深織はそう言って部室を後にします。
「ちょっと待ちなさいよ! まだ話は終わってないのよ!!」
「私もトイレへ……」
私がおずおずと部室を出た後も珠彩さんの声は廊下まで響いていました。
ふと廊下の先に目をやると、深織が誰かと話しているのが見えました。
あれは――水墨さん?
「……ありがとう星野さん、あなたが背中を押してくれなければ私は……」
「いいんですよ、生徒会長……えっと、まあ……あんまり無理しないように、ですよ!」
「本当にありがとう! じゃあ、私はこれで」
「はい」
心が洗われたような表情の水墨生徒会長は、手を振りながら走って行きました。
私はそれを見送る深織に駆け寄ります。
「深織ぃ、珠彩さんが……」
その時深織は私の言葉に耳も貸さずにつぶやきました。
「……がんばれなんて、言えないな……」
「え? 深織、どうしたの?」
すると、やっとのことで私に気付いた深織はいつもの笑顔に戻っていました。
「いやー、大変だったね、海果音」
「ホントだよ……」
そこに、私と深織のクラスの担任の先生が通りかかりました。
「日向さん……だっけ? 今日はありがとう」
「え、なんですか?」
「いえね、私たちもお菓子騒動からこっち、反省すべきことばかりで、あなたにはそれを教えられたわ」
「そ、そんな……」
「これからは、生徒任せにするようなことはせず、大人として、教師としての責任をちゃんと果たしていくことにします。
生徒たちに恥じない先生にならないとね」
「先生……」
こうして私がお菓子を持ち込んでから始まった一連の騒動は幕を閉じました。
そして、次の日の昼休み。
「結局、お菓子騒動も生徒会長選も同じような流れで解決しちゃったわね」
「そして全ては元の鞘に納まったと……いうことでいいのかな?」
「なんか色々と苦労だけ重ねることになって損した気分……
そう言えば、深織、手の甲の傷治ったのね。
跡も残ってないし、良かったじゃない」
「ああ、これ? ちょっと残念……」
「何言ってんのよあんたは」
そして私は、今日も深織の作ってくれたお弁当を食べて、その幸せを噛み締めるのでした。
「深織、お弁当の味付け、変わったね」




