第14話 ステラソルナ
私、日向海果音が星野深織と葉月珠彩さんと大地悠季さんの4人で昼食を摂るようになったあの日から、
私たちは放課後、合体ロボット5号機設計部の部室に入り浸るのが恒例となっていました。
「あんたたち、最近いつもこの部屋にいるわね」
部室の主であるところの珠彩さんは、疎ましそうな表情で悪態をつきながらも、自分で飲むついでに、私たちにコーヒーを振る舞ってくれます。
「醤油……?」
深織は怪訝な顔でカップの中の液体をまじまじと覗き込みながらそう呟きました。
「ただのコーヒーよ! ったく、なんで醤油を出さなきゃならないのよ。
あと悠季、あんたは自分の部活があるでしょ! なんでここにいるのよ」
「ボクは陸上部に助っ人として参加してるだけだから、大会の時にしか部活動はしてないよ。普段から鍛えてるしね」
暑苦しい台詞回しの珠彩さんとは対照的に、悠季さんはさわやかに答えます。
「なるほど、幽霊部員ってことね」
深織が再びぼそっと呟き、ひとりで納得していますが、その意味は私にはわかりませんでした。
「助っ人って、何を偉そうに、しかもスクワットしながら……
そんなに身体ばっか鍛えて、あんた、男を敵視してて、力ずくで思うままにされたくないとかそういう面倒臭い系?」
「失礼だね。ボクはそんなくだらないことは考えてない、ボクの敵が居るとすればボクだよ。
ボクはこうして自分と戦ってるんだ」
「はあ、バッカみたい。何言ってんだか。あんたみたいに戦う奴を、戦わない奴らが笑うのよ。
まあ、私はあんたみたいな奴、嫌いじゃないけどね」
「その言葉、ボクへの応援としてありがたく受け取っておくよ」
珠彩さんと悠季さんは意外とウマが合うようでした。
そんなふたりが親睦を深めていたその時、私は――
「……苦い」
コーヒーを一口頂いた瞬間、反射的についそう漏らしてしまいました。
「ほら、砂糖とミルク! そんなの飲む前に言いなさいよ!」
珠彩さんはスティックシュガーとポーションクリームを投げて寄こしました。
それをキャッチし損ねた私は、床に落ちたそれらを這いつくばって拾います。
「……あ、ありがとうございます」
ふと、深織の方に目をやると、ブラックのままコーヒーを飲んでいます。
さすが、私とは違って大人だなと感心しますが、彼女の口をついて出たのは――
「私、緑茶がいいな」
「緑茶なんてないわよ! ここはあんたのための喫茶店じゃないのよ!?」
深織の唐突な注文に、珠彩さんは怒りを露にします。
「でも、珠彩の家はお茶の農家なんだよね?」
珠彩さんは家の話をしたがらないため、私は深織がなぜこのことを知っていたのか不思議でなりませんでした。
まあ、彼女の家の組織の情報網の広さを考えれば、気にするほどのことではないのかも知れません。
「そ、そうだけど……だからって緑茶が好きな訳じゃないの!」
「そっか、反抗期なんだね」
「あんたはホントにうるさいわね!」
珠彩さんは顔を真っ赤にして深織に食って掛かりました。
対する深織は平静を保ったまま、話を次に進めます。
「しかし、コーヒーだけっていうのも味気ないね。お茶菓子とかないの?」
深織が更に注文をつけたため、また珠彩さんが怒り出すかと私が怯えていると、珠彩さんはやけに冷静な態度で答えました。
「ないわよ。だって、校則にあるでしょ。食堂以外では喫食禁止って。
それに、昼休み以外は食堂が空いてない上に、校舎に食品を持ち込むことも禁止されてるんだから、この学校では実質的にお菓子なんて持って来れないのよ」
生徒手帳を広げてみると、校舎に持ち込めるのは飲み物だけ、確かにそのような校則が書いてあります。
利用規約を読まずに同意ボタンを押してしまうような私にとっては初耳の情報でした。
思えばこの学校、時ノ守女子高等学校では、校舎と食堂の建物が分かれており、渡り廊下で繋がっています。
学業と食事のメリハリをつけるためと、ゴミ問題と、衛生面の観点からそのような造りになっているとのことでした。
「でも物足りないよ。そろそろ下校時刻だし、帰りのコンビニでなんか食べよ」
私は深織のことをもっと真面目な子だと思っていたのですが、近頃、彼女のいたずら心が頻繁に顔を出します。
以前より親しみやすい性格になったかとは思いますが、このようなあっけらかんとした口調の彼女には、その裏に何かがあると下衆な勘繰りを巡らせずには居られません。
「え、もうそんな時間? もう、あんたたちのせいで最近はめっきり研究が進まないじゃない。どうしてくれるのよ」
「……ご、ごめんなさいっ!」
私はこういう場合、反射的に謝ってしまいます。
「え、あ、いいのよ海果音、私はこいつに言ってるんだから」
珠彩さんは私をかばうように深織を指さしながらそう言います。
「珠彩~、海果音をいじめないであげて~」
「全部あんたのせいでしょ! もう、あんたの相手してると疲れてくるわ……」
珠彩さんは目を閉じて俯き、片手を頭に当てて、疲れてるポーズを取ります。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。ボクは制服に着替えてくるよ」
悠季さんが制服に着替えると、私たち4人は部室を後にします。
ボーイッシュな悠季さんも、制服に着替えると可愛らしさが強調され、ああ、この子も女の子なんだな……としみじみ思い知らされます。
私たちは下校時刻の放送を待たずに校門を後にし、そして、夕日が照らす道すがら、コンビニに立ち寄りました。
「あ……」
「ん、どうしたの?」
私が財布の中を覗いて唖然としていると、珠彩さんが気にかけてくれます。
「……いえ、お財布の中、15円しか入ってなくて」
「そう、好きなの選びなさいよ」
「え?」
「あんたのお菓子買うくらいの出費、痛くも痒くもないわ」
「……いえ、私はこれで十分ですから」
私はそう言って笑いながら、パッケージに国民的アニメキャラみたいなのが書いてある棒状のコーンスナック、たこ焼き味を手に取りました。
「それに、自分が何かを手に入れるだけの権利、財産を少しでも有してる限り、その範囲内で選択することで、
自分の身の丈というものをわきまえることができるから、無駄に高望みをして破滅することも避けられるじゃないですか」
「そんなこと言って遠慮ばっかして、そんなんじゃ生きてて損することばかりよ?
まあ、あんたが考えてそうしてるなら、それを否定したりしないけど……」
珠彩さんは何かを言いよどんでいる様子で目を泳がせます。
そこに、買い物を終えた悠季さんが口を挟みました。
「珠彩ちゃんは、ボクたちの友情も海果音ちゃんの財産だよって言いたいのさ」
「う……」
珠彩さんは悠季さんの発言に赤面します。珠彩さんのコロコロ変わるこういった表情にもすっかり慣れたものです。
「そんな顔するほどのことかい?」
「……悠季、あんた、よくそんなこと言えるわね……」
「その顔、可愛いよ」
悠季さんは鼻で笑いながら、珠彩さんをからかいました。
「バカ……」
ともあれ私は、手に取った経済の悪化の進行に比例して小さくなってゆく、これ以上は増えるまい棒を購入し、先に買い物を終え外に出ていた3人の元に急ぎます。
そして私たちは近くの公園のベンチに腰をかけ、買い物袋を開けました。
悠季さんはブドウのグミ、珠彩さんは抹茶アイスを、深織は何やら大袋入りのお菓子を買ったようです。
「深織、そんなに食べるの?」
「ううん、海果音と一緒に食べようと思ってね」
深織は私の質問に、それが至極当然のことのように答えて笑います。
そして、大袋から個包装された美味しい――所謂魔法の粉がかかった楕円形のお煎餅を取り出しました。
「相変わらず仲のよろしいことで」
「何、妬いてるの?」
「はいはい、私もなんか分けられるものを買っておけば良かったと思っただけよ」
深織のからかいにも慣れてきたのか、珠彩さんは抹茶アイスを食べながら呆れた様子でそう言います。
「あら、珠彩は緑茶が嫌いなんじゃなかったの?」
「え?」
深織の問いかけに動きを止めた珠彩さん。その手に持つ木のスプーンから、溶けた抹茶アイスが一滴こぼれます。
「いや……これは……べ、別に嫌いって訳じゃないのよ……」
「はい、海果音」
そんな珠彩さんを無視して深織はお煎餅を渡してくれました。
「悠季も、はい。珠彩も食べる?」
「ちょっと、人の話を聴きなさいよ!」
「ん? 緑茶は嫌いじゃないんだよね。じゃあこれ、はい」
深織はそんなもんの製造ラインを確保するのは無駄だろと言いたくなるような小さなペットボトルのお茶を4人分買っていたようで、
立ち上がってみんなに配り始めました。
「ぐっ……これ、うちの……」
「あははははっ、そうなんだ~、やっぱり月葉って珠彩ん家の会社なんだね。
葉月と月葉、なるほどだよね~、あははっ」
ペットボトルを握りしめ、悔しさに歯を食いしばった珠彩さんと、はしたなく歯を見せて笑う深織。
「深織ちゃん、珠彩ちゃんをあんまりいじめちゃダメじゃないか。
この子の強気な態度は羞恥心や心の弱さの裏返しなんだから」
「悠季っ! あんた何言ってんの? 私の心が弱いですって!?」
「悠季さんって、言うのが憚られるようなことも、あっさり口に出しますよね」
「ははは、そうかな? 海果音ちゃんにはそう見えてるんだね」
「うーん、私も海果音と同じこと思ってた! 悠季は正直な物言いをするなって」
深織がそう言いながら、後ろからのしかかるように私を抱きしめました。
首を反らせて振り返ると、深織は満面の笑顔、そして、その手は私の身体をまさぐるように動きます。
「ちょ、深織、やめ……くすぐったいよ」
「……あんたたち、見てられないからそういうのやめなさいよ……」
「仲良きことは……だね」
そんなやりとりをひとしきり交わした後、私たちはそれぞれ家路に就きました。
私は日の暮れかけた道をひとりで歩きながら、物思いにふけります。
珠彩さんは、不器用に素っ気ない素振りをしながら、何かにつけて気にかけて、世話を焼いてくれる。
悠季さんは、物事の核心を突く一言を恥ずかしげもなく素直に口に出す。
深織は、先読みしているかのように気を利かせて立ち回り、それがまるで当然のことのように振る舞う。
それぞれ性格は違うけど、みんな私にとっていいひとであるということだけは断言できます。
私はどう見られてるのかな? その日はそんなことを考えながら眠りに就きました。
そして次の日、事件は起きたのです。
「うぅぅぬぅぅぅぅんっ……疲れた」
1時限目と2時限目の間の休憩時間、私は変なうめき声を上げながら、座ったまま背中を反らし、両腕を目いっぱい上に挙げます。
そして、そのまま机にバタンと突っ伏しました。
すると、私の胸の辺りからパキっという小気味よい音が響きます。
しかし、肋骨が折れたにしては痛みも何も感じません。
何気なく制服の上着、ブレザーの内ポケットを改めると、何かが手に触れます。
私はそれを目の前に取り出しました。
それは、昨日深織が買ってくれた魔法の粉煎餅が真っ二つになったものでした。
「海果音、どうかしたの?」
「い、いや、なんでもないよ……」
後ろの席から話しかけてきた深織に見えないように、冷や汗をかきながらこっそりとそれを再び懐に忍ばせます。
しかし、いつの間にこんなところに入ったのでしょうか。
それに、今の今まで気付かなかったなんて、ゲームで先に進めなくて何時間も迷った末に、
背景だと思っていた宝箱にキーアイテムが入っていることに気付いた時のことを思い出しました。
普通の人であれば――私のような胸が未発達な人間でなければ――すぐに気付いていたかもしれません。
「あーっ! お菓子持ってきてる人がいるー!」
急にクラスメイトのひとりが私を見て大袈裟に叫びます。
「今隠したでしょ? 私、見たんだよ」
「いえ……そんなことは……」
まごまごと両手を前に出し否定のポーズを取る私に対して、後ろの席の深織は何も手を差し伸べてくれません。
いつもの彼女だったら、私をかばってくれたと思うのですが――
私は慌てて取り繕おうとしますが、ざわめき立つ教室の中、サイレンが鳴り響きます。誰かが通報したのでしょう。
すると、マスクをした数人の生徒が教室に素早く駆け付けました。
「我々は生徒会、私は生徒会長の水墨 硯です!
只今、校舎内食品不正保持の通報を受けた! 心当たりのある生徒は大人しく名乗り出なさい!」
終わった――
私は観念して、ブレザーの内ポケットから魔法煎餅を取り出しながら、生徒会のもとへ歩み寄りました。
「あなたね、それを持ってきなさい」
「は、はい……」
「危険よ、他の生徒は下がって!」
生徒会長のその言葉に、他の生徒は私を中心に円を描くように遠巻きにその様子を眺めます。
「そんな……ただのお菓子ですよ?」
「あなたも! それを床に置いて下がりなさい!」
「は、はいぃぃっ!」
私は床に魔法煎餅をそっと置き、エビのごとくジェットで後ずさりしました。
生徒会長の水墨さんは、それをピンセットで丁寧につまみます。
「そ、そんな、爆弾でもあるまいに……」
「ここは学び舎、こんなものの存在を許せば、その気の緩みがたちまち生徒たちを汚染する。
私たちだって、このマスクをしなければ、その香りに惑わされてしまうかもしれない程にね。
今回は見逃してあげるけど、これからはあなたをきっちりマークさせてもらいます! 次はありません、いいですね!」
「は、はい! 申し訳ございません……」
深々とお辞儀をしながら謝罪する私を尻目に、水墨会長は魔法煎餅をポケットにしまいながら、生徒会のメンバーと共に教室を後にしました。
そんな私に、深織が後ろから両手を私の肩に乗せて体重をかけます。
「みーかねっ!」
この女はなんでこんなに楽しそうなキラキラ笑顔を見せつけるのでしょうか。
「み、深織ぃ、なんで助けてくれなかったの?」
「海果音、『申し訳ございません』なんて日本語はないよ、『申し訳ない』でひとつの言葉なんだからっ」
「は、はい、それは大変申し訳ないことをしました……って、そんなのどうでもいいよー!」
――
「ってことがあったんですよ。深織ったら酷いですよね?」
その日の放課後、私は部室に入るやいなや、その話題を持ち出しました。
私の悲痛な訴えに、珠彩さんは平然と答えます。
「ふーん、でも、深織だって生徒会に対して楯突くようなことはできないでしょ。
それに、お菓子を持ち込んだ海果音が悪いんじゃないの?」
「そんなのわかってます! でも、元はと言えば深織が買ってきたお菓子なんですよ?」
「海果音ちゃん、お菓子を買ってもらっておきながら、その言い草は良くないよ。謝りなさい」
「悠季さんまで……うう、でもそっか、ごめん深織……お菓子ありがと……」
「ううん、海果音の言う通りだよ。私が悪かった。ごめんね。でも、やっぱり生徒会のやり方に口を出すことなんてできないよ」
深織はそう言ってぺこりと下げた私の頭を撫でます。
「まあ、深織だって海果音がうっかり校舎にお菓子を持ち込むなんて思ってもみなかったでしょうから、これは事故みたいなものね。私たちも気を付けないと。
でも、深織がそのことを見越していたずらしたって可能性もゼロではないわね」
珠彩さんが深織の方を見て不敵な笑みを浮かべます。
「そんな、海果音が学校にお菓子を持ってきて、私に何のメリットがあるって言うの?」
それもそうです。私がお菓子を持ち込んで、そしてそれが見つかって、私が生徒会にマークされることで深織が得られる利益などないでしょう。
その日も珠彩さんの入れてくれたコーヒーを頂いて過ごし、下校時間となりました。
「ごめんなさい、私、トイレ行って来ますから、先に行っててください」
私は深織たちにそう告げてトイレに急ぎます。
「わかった、下駄箱で待ってるよ」
コーヒーの利尿作用をひとしきり実感した私がトイレを出ると、微かに声が聴こえます。
「……ごめんなさい」
それは、何者かに謝罪する女子生徒の声でした。
その声は、消え入りそうなか弱さを感じさせるものでした。
私はそれが誰なのか、非常に気になりましたが、その誘惑には負けず、下駄箱で待っている深織たちのもとに急ぎ、学校を後にしました。
――そんなことがあってから数日後、私は教室で掃除をしている時、異変に気付きました。
「ん、これは……」
「どうしたの?」
塵取りを覗き込む私に、一緒の班で掃除をしていた深織が振り向きます。
「いや、この欠片、なんかお煎餅みたいじゃない?」
深織も塵取りを覗き込み、私が指さす先にあるものに目をやりました。
そこには5mmほどの白い欠片が落ちていたのです。
「……そうみたいだね」
「まさか、誰かがお菓子を持ってきた……?」
「外で食べた時のものが服について、それがここで落ちたんじゃない?」
「それもそうか」
「ちょっと、星野さんと……あなた、口じゃなくて手を動かしてよ」
学級委員の桃松 林檎さんでした。
私の名前はわからなかったみたいです。
「ごめんなさい、これが気になって……」
「……そう、いいから早く片付けてね」
そう言えば桃松さんは、私が魔法煎餅を持ってきた時に大袈裟に騒ぎ立てた張本人です。
今回も何か言われるかと身構えましたが、桃松さんは何も見なかったかのようにその場を離れました。
「よかった……」
「ふーん、なんか匂うね」
深織は訝し気に桃松さんの後ろ姿を見つめています。
「そうかな?」
次の日の朝、私はいつものように早めに登校し、教室のドアを開けました。
すると、いつもは誰も居ない朝の教室に、2人の生徒が向かい合わせに座っています。
2人は驚いた顔で固まり、こちらを見つめていました。
「……は、早いね」
「いつもこの時間に来てるの?」
2人からそんな質問を受ける私。
彼女たちの表情は驚いて固まったままですが、その手は2人揃って素早くポケットの中にしまわれます。
「あ、はい、これだけが取り柄で……」
私は苦笑いでそう言うのが精いっぱいでした。
2人の不審な行動に、教室に入るのを躊躇った私は、くるりと踵を返してトイレに向かいます。
私がトイレのタイルに足を踏み入れたその時、扉がひとつ閉まっていることに気付きました。
私がその隣の個室に入ると、壁の向こうから声がします。
「しっ……誰か来た」
そして、ガサゴソとビニール袋を掴むような音が静かなトイレに響きましたが、それはすぐみ止みます。
それから私が用を足してトイレを出るまで、隣の個室からは不自然なほどに音がしませんでした。
教室に戻ると、先程の2人の姿は消え、私の席の後に深織が座っています。
「おはよう」
「おはよう……ねえ、海果音」
「何?」
「……なんか最近、変じゃない?」
「私が? 変?」
「そうじゃなくて……他の人たち」
「……さっき、不審な動作をしてる人たちを見たけど」
「そう……これ、なんだと思う?」
深織はそう言いながら人差し指を立てました。
私がその指をメガネを通して間近に捉えます。
「なんだろ……こ」
粉? と言いかけた私の口に、深織の指がするりと侵入しました。
「うえっ! ぺっ! ぺっ! な、何すんのっ」
「それ、何の味?」
「え? ……これは……魔法の粉?」
「やっぱりね。その机を見てよ」
窓から斜めに注ぐ朝の陽ざしを受けた机は、その光をキラキラと反射させています。
「これは……粉……と指の跡……と言うことは……」
私が机から目を離し深織の方に振り返ると、彼女はサッと手を下に降ろしながら言いました。
「魔法の粉煎餅ね。おそらくそこで誰かが食べていたんじゃないかな……」
「でも、食べ物は校舎内に持ち込んじゃいけないって……」
「うん……昨日の掃除の時の欠片も……最近みんな変なんだよ。やけにこそこそしちゃってさ」
「まさか……今までお菓子はおろか、食べ物が持ち込まれることなんて……」
「そう、無かった。だけど……」
深織は私のメガネの奥の瞳に鋭い視線を送ります。
「私が……持ち込んでから? でも、あれは……」
「おはようー!」
その時、他の生徒が登校してきたため、私と深織の会話はそこで途切れてしまいました。
私は朝のホームルームが始まるまで、それとなく粉が着いた席を気にかけていました。
すると、そこに座った生徒は、辺りをキョロキョロしながら制服の袖で机の上を拭いました。
それからというもの、カーテンの裏で動く2つの影、廊下の隅で壁を向いた2人、机の下で動く2つの手……
などなど、怪しい動きをする生徒がそこかしこに居ることに私は気付きました。
そして、掃除の時間、私は決定的な瞬間を目にしたのでした。
「よいしょ!」
そう言ってひとりの女子生徒が机を持ち上げたその時、何かがポロリと零れ落ちました。
「……!」
机を持ち上げた生徒は落ちたものを見たまま固まっています。
その視線の先にはなんと、魔法の粉煎餅があったのです。
「……」
周りの生徒もそれを見つめたまま固まっています。私はまるでこの教室だけ時間が止まったかのような感覚を覚えました。
しかし、静まり返った教室に響く時計の針の音が、そうではないと告げています。
その時、学級委員の桃松さんが教室に足を踏み入れました。
「……!」
桃松さんは一瞬固まり、煎餅が落ちた机を持ち上げたままの生徒に目配せをします。
すると、その生徒は机を下ろし、煎餅をさっと拾って机に放り込みました。
「……机は大事に扱ってね」
桃松さんがそれだけ言うと、周りの生徒たちは皆、何事もなかったかのように掃除を再開します。
そして、放課後――
「わかった! 机が異次元と繋がってたってことね!」
「そっかー、海果音の机からもクシャクシャになった赤点の答案とか出てくるもんね。あれも異次元から来たんだ」
合体ロボット5号機設計部の部室では、珍しく珠彩さんと深織が意気投合していました。
「赤点って……確かに歴史と社会は苦手だけど……」
「海果音は理数系だけ得意なんだもんね!」
「だけって! そ、そうだけどさあ……」
「冗談はさておき、そんな状況で誰も通報せずに見て見ぬ振りをするなんて今まではあり得なかった。
ボクのクラスでも掃除用具入れからチョコレートが発見されたけど、なかったことにされたよ。
これは何か事件の匂いがするね」
「確かに妙だけど、私には関係ないことね。校則を破るようなことをしたら、家から追い出されちゃうわ」
実家は古くから続く農家で、通販サイトを運営する企業でもあるという、いわゆる社長令嬢の珠彩さんは、
それ相応に非常に厳しく躾けられているそうです。
「でも、このコーヒーだって飲み物の持ち込みが許可されているのをいいことに、法の目を掻い潜ってるようなものだよ。嗜好品だからね」
そう語る悠季さんのお父さんは、大地総合病院の院長さんだそうで、コーヒーを喫する気品のある立ち振る舞いに、育ちの良さがにじみ出ています。
「どうせ珠彩のことだからルールさえ破らなければ何をしてもいいと思ってるんでしょ?」
「あら、あんたなんてその気になれば、この学校に圧力をかけてルール自体を捻じ曲げることもできるんでしょ? 調べたのよ」
そして、深織の実家は由緒ある家柄だそうで、その財力で精力的に慈善活動――と称されることを行っており、その影響力は政財界にも及ぶとか及ばないとか。
ともあれ、マンション住まいの単なるサラリーマンの娘である私など一瞬で消し飛ばされてしまうほど、皆さん恐れ多い方々なのです。
「まあ、教室で緊張感が漂うってこと以外、私たちには関係ないことですね。
彼女らに流されないように、私たちはより一層気を引き締めましょう!」
事故とは言え、お菓子を持ってきてしまった手前、私はちょっとばつの悪さを感じています。
「そうだね。私もコンビニに寄ろうなんて言ったことは反省するよ」
そう言って深織はコーヒーを飲み干します。
「……深織、それ、私のなんだけど……」
「ん? おいしいよ」
にっこり笑う深織と、怪訝そうな顔をする珠彩さん。
そして、その様子に軽く微笑む悠季さんなのでした。
そんなこんなで、定期的に行われる全校朝礼まで時は流れます。
そこで、校長先生から衝撃の発言が飛び出しました。
「最近、学校にお菓子を持ち込んでいる生徒が多く見受けられます。
皆さん、気付かれていないかとお思いでしたでしょうが、そんなことはありません。
私たちは、あなた方のことを本気で考えているからわかるのです。
あなた方の変化は、その態度にもはっきりと表れているのが見て取れます。
今、高校生活に不要な緊張感が、皆さんを支配しているのです。
その発生源はお菓子の持ち込みにあるのでしょう」
ざわつく生徒たち、その様子を見回しながら、校長先生が告げたのは……
「私たちは皆さんを親御さんから預かる立場にあります。
ですから、大切な皆さんのために、事は慎重に運ばなければなりません。
ですが、これ以上校則違反を見逃すことはできないのです……
そこで、明日から登校時に全校生徒に持ち物検査を実施することとします」
そして、次の日から校門で教職員が待ち受けるようになりました。
「なに? これは」
「……すみません」
「謝ってちゃわからないでしょ」
「……音楽プレイヤーです」
「先生も聞いてみていい?」
「だ、ダメです!」
というような、関係ない持ち物までチェックされるというやりとりが幾度も繰り返され、生徒たちは皆、その状況にストレスを感じることとなりました。
携帯電話などは、連絡用に持ち込みが許可されていましたが、そういった個人の所有物を見られるのはいい気分ではありません。
そして、そのような状況におかれながらも、果敢にお菓子を持ち込まんとする生徒が後を絶ちませんでした。
遅刻した振りをして、校門に教職員が居ない時間を狙って持ち回りでお菓子を持ち込む生徒たち、
下着の中にお菓子を隠して登校する生徒、などなど、女子高生の溢れ出る情熱を、余すことなくぶつける彼女たちなのでした。
「今日はお菓子持ち込み許可の嘆願書が教職員たちに提出されたらしいわよ」
と、珠彩さん。いつもの部室です。
「でも、それは突っぱねられた。無下にもね」
「当然でしょ。お菓子なんか持ち込んだら勉強の邪魔になる。
教職員がそんなものを許すはずないよ」
すまし顔の悠季さんと深織。
「でも、ガス抜きという意味でも、みんなの不満を解消した方がいいんじゃないですか?
このまま状況がエスカレートして行けば、いつ爆発するかわかりませんよ」
「そんなこと言ってー、海果音はお菓子が食べたいだけじゃないの?
海果音が他の人からなんか持ち掛けられてるのを見たんだからね」
深織がいつものように私を茶化します。
「あー……見られてたんだね……」
「何? 海果音、あんたもお菓子の不正持ち込みに関わってるの?」
「ち、違いますよ! あれは……」
――その日の昼休み、トイレから出た時、私は不意に声を掛けられました。
「ちょっと……そこの人!」
「は、はい、私ですか?」
「そう、あなた! あなた名前は?」
「日向海果音です」
「そう、ヒカゲさんね、ちょっといい?」
「え? ……ヒ、ヒカゲ?」
"ヒカゲ"、それは何故かとても懐かしい響きでした。
いつかそう呼ばれていたことがあったような……デジャヴュ?
「いいから!」
そう言って彼女は私の手を引いてトイレに連れ込みました。
その時の私は、深織以外に触れられることなんて滅多にないなあと思っていました。
「ヒカゲさん、あなたに折り入ってお願いがあるの。
あなたの才能を活かすチャンスだよ」
「な、なんですか?」
「これを……登校する時に持ってきて欲しいの!」
彼女が持っていたのは何やら粉が入ったビニール袋でした。
「なんですか? これ」
「これはね……とっても美味しいんだよ。
条件を飲んでくれれば、前払いとしてあげるから」
「いえ、結構です……もしかしてそれ、魔法の粉煎餅の粉なんじゃ……?」
「ご名答! 今これが、校内で一番ホットなアイテムなんだ」
「わ、私はそういうのに関わるつもりはありませんので……」
「そう? あなたにとっておいしい取引だと思うんだけど……
なんてったって、あなたに向いてる『オシゴト』なんだものっ!
ねえあなた、あなたって、存在感が薄いって言われない?」
「そ、そんなことないですよ……」
「悪く言ってる訳じゃないんだよ?
いやね、私、校門で見たんだ、あなたが先生たちの荷物検査を素通りしてかわしてるのを」
「言われてみれば……呼び止められたこと、ありません」
「でしょう? 私もあなたのことは知らなかったんだけど、
あの荷物検査をスルーするために研究しようと思って、校門に隠しカメラを仕掛けてたんだ。
それでね、よくよく見たら、あなただけが先生たちをスルーしてたの。
私もこの学校の情報通としては名の知れた者なんだけど、動画で見るまであなたを認識できなかった」
「そうですか……」
「正直悔しかった。この学校に私が知らない生徒が居たなんて……
だから、その才能を見込んで、この粉を校内に持ち込んで欲しいの!」
「嫌です……」
私はトイレの壁を背に、その生徒から目を逸らしながらそれだけ告げました。
「ふーん、そう、私がみんなのために役に立てるチャンスをあなたにあげようって言ってるのに、とっても名誉なことなのに、断るんだ。
……あなた、友達居ないでしょ?」
「え?」
「私、あなたみたいな人、わからないんだ。
人間関係のネットワークに属してない人なんて、居ないのと同じじゃん」
「か、勝手に決めつけないでください……居ますよ」
「へー、誰?」
彼女は私をあざ笑うように見下げた表情でそう言いました。
「……深織……星野深織です」
「ほ、星野さん?」
その名前を聴いた彼女は、カメレオンのごとく顔色を変えます。
「そうです……あと、ふたり……居ると思います」
「そうなんだ……そっか、星野さんか……む、無理言ってごめんね……あはは……
わかった、わかったよ……でも、もし気が変わったら教えてね。
私、2年A組の枇々木、枇々木ほのかって言うの」
「枇々木さんですか……多分、気は変わらないと思います。
私、リスクを背負って生きていけるほど、強くないんですよ」
そう言って苦笑いをする私に、枇々木さんは苦笑いを返しながら去って行きました。
「そっか、じゃ、じゃあ、またねっ」
――ということがあったのでした。
「ふーん、そんな話してたんだ……ふふ」
と、深織は少しほくそ笑みながら私を見つめます。
「は? 『あとふたり』ですって? 『居ると思います』ですって!? こいつはともかく、私までその扱いなの!?」
「ご、ごめんなさいっ!」
私は急に怒り出した珠彩さんに手を合わせ、強く目を閉じて肩をすくめました。
「はははっ、ボクは海果音ちゃんのその遠慮がちで控えめなところ、嫌いじゃないよ。
それに、ボクらがないがしろにされてるんじゃなくて、深織ちゃんと海果音ちゃんの距離感が近すぎるだけだよ」
「……いや、海果音は近くで見てないとどっか行っちゃいそうで……心配なんだよ」
「そうかい? それは心配じゃなくて、不安と言うんじゃないかな?」
深織と悠季さんはそう言って、軽く目配せを交わします。
「と、とにかく、海果音って意外と意思が強いのね。
もっと流されやすい子だと思ってたわ」
「えへへ……」
「何笑ってんのよ……私をその他大勢扱いしたことは許してないんだからね」
「ははは……すみません」
「海果音は珠彩は怖いんだもんねー」
「は? 私のどこが怖いって言うのよ?」
「そういうとこだぞっ!」
深織はウィンクで珠彩さんを煽ります。
「そう言うあんただって、一部の人には怖がられてるのよ?
さっきの海果音の話の女子だってそうでしょ?」
「怖い? 私が?」
「そうよ……あんた、優等生ぶってるから、知らない人には受けがいいけど、あなたの、その、家のこと?
知ってる人からすれば、近寄り難いのよ」
「……そう、ふーん、まあ、そう見られても仕方がないのかもね」
深織は今までそのことに触れられるのを避けていたと私は記憶しているのですが、
この時の彼女からは、それを受け入れている余裕が表情に現れていました。
「海果音ー、なーにこっち見てるのっ?」
「いや、深織って強いんだなって思って……はは」
「やだなー、私だって海果音には弱いんだよ?」
深織はそう言って私に抱き着くのでした。
「……やっぱりあんたたち、距離感が狂ってるわ……」
それからというもの、校内でのお菓子の流通は、増加の一途を辿ります。
取り締まりの目を掻い潜ったお菓子たちが、教室や廊下でその姿を見せない日はありませんでした。
事態を重く見た教職員たちはそれに対抗し、お菓子の持ち込みの根絶に乗り出したのです。
その影響は、私たちの部にも及ぶこととなりました。
「海果音、コーヒーいる? なんか砂糖切らしちゃっててないんだけど」
「ああ、じゃあ大丈夫です。ありがとうございます」
「そう、しかし妙ね、ちょっと前まで結構あったんだけど……誰かに盗まれた?」
「今、みんな甘味に飢えてますからねえ」
「そうね、お菓子の持ち込みを通報すれば部費が増えるなんて、教職員たちも大胆なこと考えるわね……
そんなことをして生徒間の軋轢を生んだらどうやって修復するつもりなんだか……
で、今日は深織は?」
「いえ、知りません。深織は『ちょっと用事が』なんて言ってどっか行きましたけど」
その時、部室の扉が開きました。
「あら、悠季じゃない。深織見なかった?」
「深織ちゃんは今日は見てないなぁ、海果音ちゃんと一緒に居ないなんて、おかしなこともあるんだね」
「……いえ、私たち、セットじゃないですから」
「はは、仲がいいのは悪いことじゃないよ」
そして、再び部室の扉が開きました。
「な、何? あなたたち!」
珠彩さんの驚きの声を無視して、数名の白衣を着た生徒が部室に入ってきました。
すると、その生徒たちは、部室の棚の中やテーブル、椅子の下などを探り始めます。
「ちょっと! 何してんのよ! あなたたちなんなの?」
「這いつくばって、一体何を探しているのかな? 迷惑なんだけど」
悠季さんはいつもの柔和な表情から一変、厳しい視線を向けます。
「部長、インスタントコーヒーがありました! ミルクもあります!」
「よくやった! しかし、コーヒーとミルクだけなんて不自然ね……」
その部長と思しき人物は、珠彩さんを疑いの目で見つめました。
「は? 急にやってきて何?……ははーん、あなたたち、どこかで見たことがあると思ったら、部室が爆発したことでお馴染みの科学部さんじゃない」
「そ、それがどうしたの? 部が違うからって、学校の備品は生徒全員で共有してるものよ。
探し物をするくらいの権利はあるわ!」
「ふふ……あははは! それで、私の部室からお菓子が見つかれば、あなたの部は部費が増えて、私の部はペナルティを受けるってことね?」
「そうよ! ただでさえあなたの部は怪しいんだから、いっそ潰れてしまえばいいんだわ!」
「そう……あなたたちが束になって知恵を絞っても、実力では私に勝てないからって、そういう手を使うんだ……
でも、残念だったわね、この部室にはお菓子なんてないわ」
「くっ……お菓子がなくたって、今は砂糖を所持してるだけで取り締まりの対象になるのよ! 今日決まったの、知らなかったでしょ!」
「……し、知ってましたぁ!」
「珠彩ちゃん、冷や汗出てるよ」
「あんたはどっちの味方なのよ! と、とにかく、ここにはお菓子は勿論、砂糖もない、なんだったら思う存分探すがいいわ。
……しかし、あなたたちの部の実績は大したものね」
「な、なにを?」
「知ってるのよ。最近、科学部に科学部員以外が出入りしているのを……
あなたたち、魔法の粉を生成して売ってたんでしょ? それが教職員たちにバレたら……どうなるのかしらね。
それに、砂糖の持ち込みが制限されたから魔法の粉が生成できなくなったって考えれば、あなたたちの行動にも辻褄が合う。
部室が爆発してしまって備品にも相当の損害が出たでしょうから、それを補填する算段が付かなくなったというわけね。
その爆発だって、もしかしたら魔法の粉塵爆発なんじゃないの?」
すると、科学部員のひとりが口を挟みました。
「違うっ! あれは部長が殺虫剤を使って……」
「しっ! 黙ってなさい! きょ、今日はこの辺にしといてあげるわ! 今に見てなさい!」
科学部の方々はその捨て台詞を残して去って行きました。
私は散らかった部室を片付けながら口を開きます。
「帰っちゃったね」
「ちょっとカマをかけただけなのに、図星だったのね。
爆発の方は大方、ゴキブリかなんかに驚いて、スプレーのガスで充満した部屋で火でも使ったんでしょうけど」
「甘いものがあるところにゴキブリあり、だからね」
急に割り込んできたその声は――
「深織! 何してたの?」
私は部室に入ってきた深織に駆け寄りました。
「あれ、何この散らかり様、それにさっき白衣の生徒が何人か走っていったけど」
「あれは科学部の人たちだよ」
「……あんた、さっきの発言からすると、わかってたんでしょ?」
「さあ、何のことかな。あ、そうだ、海果音、ごめんね。ここにあった砂糖、全部捨てちゃった」
「えっ?」
「いやさ、あのスティックシュガー、消費期限が切れててね」
「そ、そうなの? 珠彩さん」
「砂糖に消費期限? 気にしたことなかったわね……って、なんで海果音に謝るのよ! 持ち主の私に謝りなさいよ!」
「えー、だって、砂糖が無いと海果音はコーヒー飲めないから……」
「っ!……ともかく……助かったわ」
「何が?」
「あんたが砂糖を捨ててくれたお陰で、科学部が涙目敗走することになったって訳よ」
「ふーん、よくわからないけど、良かったのかな」
「ああ、でもこれで終わってくれればいいんだけどね……」
その悠季さんの嫌な予感は的中することとなります。
お菓子や砂糖に対して相互監視を強いられた生徒たちは、それからというもの、ぱったりとお菓子を持ち込むことを止め、すっかり大人しくなってしまいました。
しかし、それから数日後のある日、私と深織が朝の教室で他愛もない会話を交わしていると、不思議なことに気付きます。
「あれ? もうこんな時間、1時限目始まっちゃうけど……誰も居ない」
「そうだね、どうしたんだろう?」
深織もどうしてそんな状況になっているのかわからないようでした。
その時、教室の引き戸がガラリと音を立てて開きます。
「あんたたち、この状況で何してんのよ?」
その声の主は珠彩さんでした。
「あれ、珠彩のクラスは隣でしょ? 間違えてるよ?」
「あんた、ホントに何が起きてるか知らないの? 能天気ね」
深織の冗談には目もくれず、珠彩さんは話を進めます。
「あのね、今ほとんどの生徒は食堂に立てこもって、お菓子の持ち込みを許可しろって喚いてるのよ」
「あー、その話か。私と海果音には関係ないし」
「知ってるなら説明させないでよ!」
「珠彩が勝手に説明したんでしょ? それに、海果音は知らなかったもんね」
「あー、はい……そんなことが起きてるんですね」
「ほら、海果音も呆れてないで、こいつと一緒に部室に来るのよ! さあ、急いで!」
「あはは、珠彩ったらはしゃいじゃって、台風の日の子供みたい」
クスクスと笑う深織に珠彩さんは苛立ちの視線を向けました。
「はしゃいでなんかないわよ! こんなとこに居ても意味ないでしょ」
「深織、行こうよ」
「わかったわかった」
私たち3人は合体ロボット5号機設計部の部室に急ぎます。
「おや、遅かったね」
そこには既に悠季さんが筋トレをしながら待っていました。
「揃ったわね。さあ、どうしましょうか」
鼻息も荒くみんなを煽り立てる珠彩さんに、深織は呆れた口調で返します。
「どうしましょうって言ったって、この状況でできることなんてないよ。
ねえ海果音、時間がもったいないから勉強しましょ」
「えー、せっかく授業がないのに……」
「じゃあ、海果音は授業が始まれば真面目に勉強するの?」
「……いや、そういう訳じゃ……」
「って言ってるんだけど、どうすれば海果音が勉強に取り組んでくれると思う?」
「いや、そんなのどうでもいいでしょ……この状況を解決できれば、私たちの部の教職員からの評価もうなぎのぼりって訳よ。
それにこの学校はパパも出資してるの。それをあんな連中の好きにさせたくはないわ」
「へぇ、そうなんだ」
「そうよ! だから裏ルートでこの学校の機密情報も手に入れられるという寸法なの」
「いや、そうじゃなくて、珠彩ってお父さんのこと『パパ』って呼ぶんだね」
「……放っといてよ!」
「大丈夫、珠彩がファザコンだってことは機密情報にしておくからっ」
「で、深織ちゃんはホントのとこ、どう思ってるのかな?」
「うーん、教師たちが生徒の要求を何の条件もなしに呑むなんて、そんなのバカげてるよ。
生徒は教師に教えを乞う立場なんだから、それが対等になったり、逆転するような可能性を作ること自体がおかしいでしょ」
「……そう思ってるなら、私たちにできることがあるはずよ」
「だから、教師たちに任せておけばいいんだよ。私たちが何かする必要はないって」
「深織ぃ、とりあえず状況の確認くらいしておいてもいいんじゃない?」
このまま話が進まないような予感がして、私は控えめに提案しました。
「……うーん、海果音がそう言うなら……ねえ、珠彩」
「なによ、相変わらず海果音にだけ甘いのね」
「職員室の様子って見られる?」
「お安い御用よ。もうすでに手は打ってあるわ」
そう言って珠彩さんはPCのモニターを指します。
「おー、職員室が写ってる、どうやってるの?」
「シュイロボにちょっと細工をしてね。カメラとマイク、スピーカーを付けたの。
今はシュイロ・アルファって呼んでるわ」
「なるほど、じゃあ、音拾って大きくしてくれる?」
「言われなくたってそうするわよ」
「ふたりとも、実は気が合うんだね。あはは」
「前から思ってたんですけど、ロボットに自分の名前付けるのって恥ずかしくないんですか……?」
「珠彩はそういうセンスの家系なんだよ。気にしないであげて」
私の疑問に答えたのは深織でした。
珠彩さんが無言で深織を睨みつけていると、PCのスピーカーから教職員たちの声が聞こえてきます。
「しかし、生徒に危害を加えるようなことはできません」
「向こうは武力によって食堂を占拠しているんだ。こちらも強行突破すべきでは?」
「生徒たちは教育委員会やPTAに守られている。そんなことをしてクレームにでもなったら学校の存続すら危うい」
「そうですね。生徒たちの親にひとりでも過剰反応する者が居た場合、それは現実のものになってしまうでしょう」
「生徒たちが立てこもっているのは食堂。保存食の倉庫と直結しているため、消耗を待つのも悪手です」
「それに、調理場にある用具は武器にもなります」
「勧告をしようにも、彼女らは食堂のスピーカーを全て破壊しています。直接対話を望んでいるようです」
「対話と言っても、生徒たちは譲る気はないようですぞ」
その後、議論は堂々巡りとなるのを私たちはひとしきり眺めていました。
「ふーん、なるほど、教職員たちはおいそれと手を出せる状況じゃないってことね」
「食堂の方はどう?」
「そっちはさっき、ボクがちょっと見てきたんだけど、窓は全てカーテンが閉まっていた。あと、門番みたいに見張りが」
「食堂の出入り口は、校庭に出られる正面と渡り廊下、それと搬入用の裏口ですね」
「そうだね、全部の扉に見張りが2人ずついたよ。みんなモップやなんかで武装してた」
すると、校庭の方からメガホンを通した教師の声が聞こえてきました。
「君たちの要求は理解した。だが、学校の教職員としてはそれをそのまま受け入れるようなことはできない!
校舎に食品が持ち込めないのは、君たち生徒を守るためでもあるんだ! まずは話合おうじゃないか!」
その声に、立てこもってる生徒側もメガホンで対抗します。
「何度言われても同じだ! 私たちお菓子解放軍はあなたたちに譲歩するつもりはない!
100パーセントこちらの要求が受け入れられるまでは、この食堂を占拠し続ける!」
そんなやり取りが今までも何度か繰り返されているようで、教職員たちとお菓子解放軍の主張は平行線を辿ります。
「ブルドーザーでも使って食堂を破壊しちゃばいいのに」
深織はやけに物騒なことを口にしました。
「ふざけたこと言ってるんじゃないわよ。このままずっと膠着状態が続いてるのよ。
教職員たちが実力行使に出ることなんてないでしょ」
「まあ珠彩の言う通りか……確かシュイロボにはスピーカーが付いてるって言ったよね?」
「ええ」
「シュイロボがこの部のものだってことは?」
「ふふ、色々と面倒を避けるために、他のロボットとは違ってシュイロボだけは秘匿してるのよ」
「そう、良かった。教職員と話させてくれない? 声は変えられる?」
「お茶の子さいさい!」
「お茶屋の子は珠彩のことじゃ……」
「うっせーな! ……どうぞ、職員室に繋がっているわ」
「あー、あー、教職員の皆さん、聴こえていますか?」
「なんだ……これ……機械?」
職員室に侵入してきた6本脚の赤い円盤から流れる電子音交じりの呼びかけに、教職員たちは驚きを隠せないようです。
「今この状況を打破する手段を皆さんはお持ちですか?」
「……待ちなさい、君は何者だ?」
「……私たちは……そうですね……この学校の平穏を望む者……『ステラソルナ』とでも名乗っておきましょうか」
「ステラソルナだと? この学校の生徒か?」
「そうです……ですが、素性は隠させていただきます」
「ふん、気に入らないが、何か打開策があるんだな?」
「はい、ここはあのお菓子開放軍を名乗っているふざけた集団に、譲歩を申し出てはいかがかと」
「譲歩だと? 彼女らは譲る気はないようだが……」
「それはあなたたち教職員が持ち掛けてるからですよ。
生徒がその身を晒して話をすれば、耳を傾けるかもしれませんよ」
「そうか、そうかもしれないな……それで、どこまで譲歩するつもりだ?」
「校舎での喫食禁止はそのままに、食品の持ち込みは許可して、食堂……昼休みだけ開封することを許可するんですよ」
「ふーむ、それならば学業の妨げにはならないということか……」
「お弁当を持参する生徒が増えれば、食堂の人手不足問題も解決するかと」
「それが問題になっていることを知っているのか……確かにその通りだが……ちょっと待ちたまえ」
その教師はそう言ってカメラに背中を向け、周りの教職員たちと軽く話し合ったあと振り向きました。
「……止むを得まい、ではこの件は一旦君に任せよう。しかし本当に大丈夫なのか?」
「はい、適任者が居ますので」
すると、教職員たちがこそこそと話す声が聞こえてきました。
「……そんなことを本当に許してもいいのですか?」
「生徒同士の話し合いで事態が終息するなら安いものだろう」
「ですが……彼女らがそう簡単に折れるのでしょうか?」
「丸聞こえね。で、深織、『ステラソルナ』って何よ」
「え? 私たちの組織名だけど? 私たちの苗字の星、大地、日、月をラテン語にして、Stella、Terra、Sol、Lunaで『Sterrasoluna』(ステラソルナ)。
いいでしょ?」
「はあ? ここは合体ロボット5号機設計部よ? それに部長は私……」
「事を秘密裏に進めるためにね。ロゴ部は名乗れないでしょ? それに、彼女たちを説得するのは珠彩でも私でもない」
そう言って深織は私に期待の眼差しを向けるのでした。
「いや、無理だよ……」
恐れおののく私に、深織は笑顔を見せます。
「大丈夫、私が台本を書くから、それを読むだけだよ」
「そ、そうは言われても……」
私はいつも通り強引に事を進めようとする深織の勢いに勝てませんでした。
そして、私はひとり、メガホンを持ち部室を出て、校庭に向かいます。
食堂の正面に辿り着くと、いつの間にか近付いていたシュイロボから深織の声が聴こえます。
「こちらインヘリタンス、テツジン、準備はいい?」
「インヘリタンス? テツジン? なにそれ……」
「コードネームだよ。星は継ぐものだと相場が決まってるからね。
あと、海果音には強くなって欲しいからテツジン、カッコイイでしょ?
じゃ、台本通りよろしくっ」
「な、何を言ってるのかわからない……」
「さあ、お手並み拝見といきますか」
「適任者って、海果音ちゃんのことだったんだね。どうしてだい?」
「海果音はね、存在感が薄いんだよ。目立った行動を取っても人の記憶には残らない……それに……」
「へ? あんた、何言ってるの?」
「しっ……始まるよ」
私は深織が書いたメモ用紙を広げました。そこには顔から火が出るような文言が――
ですが、深織の期待を裏切ることはできません――やらなければならないのでしょう。
「私は時ノ守女子高等学校の平穏を望む者、ステラソルナの代表……太陽の使者です!
あなたたちお菓子解放軍を名乗る生徒たちは、教職員たちに不当な要求をしています!」
するとメガホンを持った生徒が食堂から出てきて、すかさず言い放ちます。
「うるさい! これは生徒と教職員という枠組みで考えられることではない!
私たちは人として当然の権利を主張してるだけだ!
お前こそ、教職員たちの言いなりになって、それでも意思を持った人間か!?」
人格を否定されてしまいました。何か、何か反論しなくては――
「……何を言うのですか! あなた方は自分の立場を理解なさっていないのですね!
いいですか、権利を主張していいのは、義務を果たせる、責任を負える者だけです!
あなたたちはまだ、成長するための猶予を与えられている者!
責任を負うことから守られている者! この学校における全てを前借りしている者なのです!
暴力によって不当に占拠しているその建物も、教室も、机も、椅子も、その足で踏みしめている校庭の土も、貸し与えられているものです!
学食や教科書だって、あなたたちの成長を見込んで格安で提供されています!
そして、教職員から受ける全てのことは、教養も、生活指導も、あなたたちが生徒の立場に甘んじているからこそ、与えられる恵みなのです!
大人になるまでの間、一時的に免除されている責任の重みを考えれば、教職員たちに対等、もしくはそれを上回る要求をできるなど、明らかな越権行為です!
それは、あなたたちが立派な大人に成長するようにという、教職員、ひいてはこの社会からの期待を裏切ることに他なりません!
それがいくら理不尽であろうとも、この社会で決められたことを守れる者だけが、一人前の大人、人間として認められるのです!」
深織たちは、シュイロボのカメラとマイクを通して、私がまくしたてる様子を部室で見ていました。
「……あれ、深織が書いた台本なのよね?……すごい迫力ね……」
「違うよ。私が書いたのは、『不当な要求をしています』までだよ。
あとは、譲歩する条件を書いただけ」
「ほほう、じゃああれは、海果音ちゃんのアドリブってことかな?」
「うん、だから適任者だって言ったじゃない」
「深織……あんた何か知ってるの?」
「海果音のことならなんでも知ってるよ」
私は自分でも何を言っているのかよくわかっていませんでした。
ただ、頭に浮かんだ言葉を羅列するのに精一杯だったはずなのですが、対するお菓子解放軍の生徒は狼狽えます。
「……そんなことを言っても、生徒同士で争うように仕向けられたことは、許されることではない!」
「ええ、そうかもしれません。ですが、教職員たちが、安易であったとはいえ、生徒間の争いに任せるという手段に出たことを鑑みるに、
人間の欲望とはそれほど簡単に制御できるものでないと言えます。
ですから、我々ステラソルナが教職員たちと交渉して、その欲望の逃げ道を作る新しいルールを提案しました!」
「なんだと……?」
「提案は次の通りです。学校に食品を持ち込むことは許可されます。ですが、開封すること、喫食することを許されるのは、昼休みに解放されている食堂に留めます!
……どうですか? あなた方もそろそろ引っ込みが付かなくなってきたことでしょう。この辺で手仕舞いにするのがベターかと……」
「確かに……その通りではある……だが……そんなことで折れてしまっては……」
「この期に及んでなんですか? あなた方は自分たちに有益なルールを勝ち取ることができた。
それで十分ではないのですか? さあ皆さん、食堂を解放するのです!
この条件を呑む方は、両手を挙げて校庭に出てきてください!」
すると数秒後、食堂から少しずつ生徒が溢れ出てきます。
彼女らは皆両を挙げ、自分たちを『よくやった』、『頑張った』と褒め称えるような、大変満足気な顔をしていました。
私はそんな彼女たちを見ているうちに、冷静さを取り戻していきます。
「あれ……うまくいったのかな? 深織、これで良かったの?」
「うん、さすが海果音だね」
「はぁ……」
溜息をついた私は、押し寄せる両手を挙げた人の波を見つめたまま、呆然と立ち尽くしていました。
しかし、事態が終息したかと思われたその時、私は突然視界を奪われ、そして、両脇を何かに掴まれてしまいます。
「な、何するんですか!?」
「いいから来なさい!」
そうして私は強制的に連行されました。
足の裏の感覚が校庭の地面から、固い床になって尚しばらく歩くと、私は腰を縄で柱か何かに縛り付けられたようです。
誰かの手が私の視界を奪っていた布を剥ぎ取ります。
「あなた、あんな馬鹿気た要求、私たちが呑むと思ったの? 何が平穏を望む者よ、ただの教職員の言いなりじゃない」
それは、水墨硯生徒会長その人でした。
「それにあなた、誰かと思えば、最初にお菓子を持ってきた犯人じゃないの……私はあなたのせいで今こうしてここにいるのよ」
「え、私のこと覚えてるんですか? ……嬉しい……私、日向って言います」
「何言ってるの? あなた、この状況がどういうことかわかってないの?」
「え、仲間になれとか、交換条件で協力を要請するとかじゃ……」
「へぇ……目隠しをされて連れてこられた上に、縛られてるのにそういう風に考えちゃうんだ」
「やっぱり違うんですね……じゃあ……」
「これは私たち生徒と教職員たちの戦いなのよ。即ち、教職員たちを屈服させるまでは引くに引けないの。
そのためにあなたを利用させてもらうわ」
しばらくすると、カーテンが開く音が響き、メガホンで校庭に呼びかける声がします。
「教職員の皆さん! 見えますか? 聴こえていますか!? 今こうして生徒が他の生徒を柱に縛り付けるという事態が発生しています!
これは、それを止められなかった教職員の皆さんの不祥事です!
この意味が解っていますよね? 問題が明るみになれば、学校の存続の危機となることでしょう!
いいですか、私たちの学校へのお菓子の持ち込み、校舎内での食事の許可と言う要求が受け入れられない場合、この状況を撮影した動画をネットに公開します!
猶予は1時間、それまでに要求を承諾する旨の証明書を用意できない場合、動画は容赦なく公開させてもらいます。死なば諸共です!」
悪化した事態に教職員たちは皆、落胆の表情を見せます。
「なんということだ……やはり生徒に任せたのが間違いだったのか……」
その頃、シュイロボで様子を伺っていた部室のみんなは――
「あんた、どうすんの? 海果音が捕まっちゃったじゃない」
「……」
「深織ちゃんはこうなることも想定内だったのかい?」
「そんなことないよ……私が説得して、海果音を解放してもらう」
「深織、あんたが行くと目立ちすぎる。失礼だけど、あんたは自分の立場をもう少しは知った方がいいと思う」
「……どういうこと?」
「あんたが教職員側についているということは、あんたの家の権力がこの学校に及んでいると勘ぐられても仕方がないわよ。
それに、私たちが教職員たちから身を隠してる意味もなくなってしまうわ」
「そうは言っても、海果音を行かせたのは私だよ……」
「ちょっと落ち着こうか。説得しようにも、彼女たちには海果音ちゃんの動画を公開することができる以上、こちらの思い通りになるとは思わない方がいい。
となると、教職員たちに彼女たちの要求を呑むように説得する方が手っ取り早いんじゃないんかな」
「そうするしかないなら……」
「そうね。悔しいけどあいつらの言う通り、これは学校の存亡に関わる問題よ。
それに、海果音の動画を公開されるのもよろしくないでしょう。
……でもね、教職員たちが手を出せなかったのは、多勢に無勢という理由もあった。
ほとんどの生徒が降伏した今、食堂に居るのは10数人程度、そして時間にはまだ余裕がある。
まだ万策尽きたわけじゃないわ!」
「珠彩……! じゃあどうすれば……」
「ふふん、任せなさい! あいつらの携帯電話の通信を妨害すればいいのよ」
その時、シュイロボが部室に戻ってきました。
「よし、これからシュイロボに携帯電話の電波を妨害するための装置、ジャマーを取り付けるわ。
ジャミングしてる間に、奴らの携帯電話を取り上げれば問題は解決よ!」
「……これから?」
「そ、そうよ、30分もあれば……いや、35分くらいかかるかも……可能だわ。
あと、できたとしても、出力の問題で5分程度しかジャミングを持続できないと思う。
食堂全体を覆うほどの強力な妨害電波を発生させるためには膨大な電力が必要なの」
「そっか……ジャミングが切れるまでに携帯電話を奪えなければ、取り返しのつかないことになるね」
「でも、それ以外に手はなさそうだ。深織ちゃん、珠彩ちゃんに賭けてみようじゃないか。
突入はボクがやるよ。この中で一番身体能力が高いのはボクだからね」
「悠季……ありがとう、そうだね、悩んでる時間なんかないし……珠彩、お願い!」
「合点承知!」
40分後――
「で、できたわ!」
「30分って言ったのに……」
「深織ちゃん、珠彩ちゃんを責めてる暇なんかないよ」
悠季さんはマフラーで顔の下半分を隠し、ジャマーを取り付けたシュイロボを小脇に抱えて部室を後にしました。
「……いや、あれだと顔バレするでしょ? もっとこう、フルフェイス的な……」
「うーん……ほら、本人が気に入ってるみたいだったし」
「まあ、本人の気の済むようにさせるのが一番よね……」
2人が固唾を飲んで悠季さんからの通信を待ちます。
「こちらジオ、聴こえるかい?」
「ジオって……悠季か……早いわね」
「渡り廊下の前の茂みにいるよ。渡り廊下の前の扉には2人見張りがいる」
「わかったわ。10秒後にジャミングをかけるからシュイロボを離して。
シュイロボは可能な限り食堂に接近させるわ。カウントダウンが0になったら突入するのよ。
それから、ジャミング中のシュイロボは動けないから、私はカメラで見てることしかできない。
あとは悠季の働き次第よ」
「責任重大だね……じゃあ、離すよ」
「了解! 10……9……8……7……6……5……4……3……」
その時、扉の前の女子生徒ふたりがシュイロボに気付きます。
「あれ、何?」
「……虫? でかっ! きもちわるっ! 早く燃やすのよ!」
そう言ったのは、科学部の部長でした。そう、彼女は虫が大の苦手であり、焼却しなければ気が済まない性分だったのです。
「き、気持ち悪いって……私のシュイロボが……?」
科学部の部長の反応に、珠彩さんは激しく心を痛めることになりました。
しかし、それに構わずシュイロボは予定通りジャミングを開始。
悠季さんも、茂みから飛び出し、扉に急接近します。
扉の前に立つ女子生徒のひとりがモップを構えようと持ち直したその刹那、悠季さんはそのモップを蹴り上げました。
自らの痛む手をかばう女子の前で、宙に浮いたモップをキャッチする悠季さん。
もうひとりの女子は携帯電話を取り出し、連絡を試みていましたが、ジャミングの影響で繋がりません。
そして珠彩さんが身を屈めて横に回転すると、女子生徒2人はいとも容易く転ばされてしまいます。
尻餅をついたふたりは、何が起きたのかすらわからない様子です。
「大人しくしててね」
悠季さんはそう言うと、食堂の扉を開きました。
私の周りを取り囲んでいたお菓子解放軍のメンバーはその異変に気付き、それぞれの手に掃除用具を持って一斉に悠季さんに襲い掛かりました。
「荒んだ心に武器は危険だよ!」
悠季さんはそう言うと、襲い来るお菓子解放軍の武器を、手に持ったモップで次々と弾き飛ばしました。
全員の武器を排除すると、その手に持ったモップを真横に投げ捨てます。
お菓子解放軍のメンバーは皆、それを目で追いました。そうして注意を逸らすと、悠季さんは壁伝いに逃げながらカーテンを引きちぎりました。
そして、それを使い、追いかけてくるひとりの生徒を簀巻きにしたのです。
「抵抗したわね! 動画をネットに公開するのよ!」
一瞬の出来事に反応が遅れた水墨生徒会長の声に、携帯電話で私を撮っていた生徒、副会長は動画のアップロードを試みます。
「ダ、ダメです! ネットに繋がりません!」
「なんですって! どういうこと?」
事態が飲み込めていない生徒会長たちを尻目に、鮮やかな手際で次々と生徒たちを簀巻きにする悠季さん。
早々に全員を片付け、私が縛り付けられている柱に急速に距離を詰めます。
すると、生徒会長は背後から私の襟もとに手を掛けました。
「それ以上近付いたら、この子の服を破いて裸に剥いてやるわ!
そんな動画がネットに公開されたらこの学校はどうなるんでしょうね?」
まだ2分ほどしか経過しておらず、シュイロボのジャミングは続いています。
動画の公開はできません。しかし、問題は別のところにあったのです。
「や、やめてください! これが破れたら……替えがないんです!」
そう、私の家は決して裕福ではありませんでした。
悠季さんもその状況に、手出しすることができません。
「まだネットに繋がらないの? いいからこいつを撮影なさい。
動画を持っているうちは、こっちが有利よ!
これを公開してご覧なさい、こんな貧相な女子の身体、どれだけの変態があぶり出されることやら! あはははは!」
悠季さんは動きを止めざるを得ず、簀巻き状態から抜け出した周りの生徒たちに拘束されてしまいます。
そして5分が経過し、シュイロボはジャミングするだけの出力を維持できなくなってしまいました。
一方、部室の珠彩さんは。シュイロボのカメラを通してカーテンの剥ぎ取られた窓から、一部始終を指をくわえて見ていることしかできません。
「ちょっと深織! これ、どうすんのよ? 悠季も捕まっちゃったわよ! ……って、あれ?」
しかし、部室には既に深織の姿はありませんでした。
「会長! ネットに繋がりました! 今この状況を中継してやりましょう!」
「そうね! 先に約束を破ったのはあなたたちよ! 覚悟なさい!」
すると、私の襟もとを掴む会長の手に力が入ります。
そして、私の胸元から、ブラウスが破れる音と、ボタンが弾け飛ぶ音がしたのです。
私がもはやこれまでかと思っていたその矢先、珠彩さんが食堂の外のシュイロボのカメラに2本の脚が映り込むのを目にしました。
「誰……?」
「こちらインヘリタンス、無慈悲な夜の女王、ごめんね」
「無慈悲な夜の女王って……なにそれ? 私の事? ……って、今謝った?」
すると、シュイロボが映し出す風景は上に登ってゆきます。
そして、映像は激しく回転しながら乱れ、マイクはガラスが割れる破滅的な音を捉えました。
「えっ!? シュ、シュイロボォォォォォッ!」
そう、シュイロボは深織に投げつけられ、食堂の窓を突き破っていたのです。
そして、シュイロボはその勢いのまま、私を撮影していた携帯電話にぶつかり、それを弾き飛ばします。
突然の出来事にお菓子解放軍の一同が動揺したかと思えば、深織が割れた窓から飛び込んできました。
「深織っ!」
深織の顔を確認した私の目から、勝手に涙がこぼれ落ちます。
「海果音、ごめん!」
深織はそう言って私にカーテンを羽織らせると、唖然としている生徒会長と副会長の前を通り抜け、
弾き飛ばされた携帯電話を掴んで操作し、録画されているデータを消去しました。
「星野……深織さん? なぜあなたが……」
生徒会長は深織の姿を見て恐怖の表情を浮かべています。
「私は海果音を助けに来ただけです。あとは先生方に任せます。
さあ、海果音、悠季、帰ろうか。このままじゃ教職員に見つかっちゃう」
深織はそう言いながら、私の縄をほどいてくれました。
「ちょっと待って……」
私はカーテンを羽織ったまま、生徒会長に視線を向けます。
「ごめんなさい、私があの日、あんなものを持ち込んだばかりに……こんな事態に……」
「……いえ、やっぱりあれの誘惑に勝てなかった私が悪かったんだわ」
すると、さっきまで私を撮影していた生徒、副会長が生徒会長に寄り添います。
「……みすずちゃん、もう十分だよ。みすずちゃんはよくやったよ」
「よくなんかないよ……私はお菓子を食べてしまったこと、そしてそれを見られてしまったことの責任を取ることができなかった……」
「うん、でももういいの。これで終わりにしよ」
ふたりで泣き濡れる生徒会長と副会長を残し、私は深織に肩を抱かれながら食堂を後にします。
その時私は、深織の手から赤い雫が滴り落ちていることに気付きました。
「深織、手、怪我してる……?」
深織は割れた窓から食堂に飛び込んだ時に、ガラスで手の甲を切っていたようです。
「ああ、これ? 大丈夫、こんなの唾でもつけておけばいいんだよ」
そして、外には珠彩さんが待っていました。
「で、解決したのね?」
「うん」
深織はそう言って珠彩さんにニヤリと笑いかけます。
「珠彩ちゃん、この子……」
後からやってきた悠季さんは、その腕に壊れたシュイロボを抱えていました。
その手には、シュイロボから砕け散った部品が握られています。
「珠彩、ありがと。お陰で助かったよ」
「そんなあっけらかんと言われても……私のシュイロボを壊しておいてよくそんな涼しい顔してられるわね」
「だから、先に謝ったでしょ。海果音が生徒会長に危害を加えられるのなんて、見てられないから」
「まったく……あんた、海果音のことになると本当に見境がなくなるのね。
あと、無慈悲な夜の女王って何よ? 私ってそんなイメージなの?」
「あー、コードネームにしては長すぎるね。これからはミストレスって呼ぶよ」
「意味わかんない。でも、もうコードネームで呼び合わなきゃならないようなことに首を突っ込むのはまっぴらだわ」
結局、生徒会長はその職を辞任して教職員たちに謝罪を行い、事態を重く見た教職員側も再発防止のためステラソルナに提案されたルールを呑むこととなりました。
そんなことがあってから数週間が経過すると、食品の持参が認められたことにより、食堂の職員たちの負担は大幅に軽減されました。
かといって、学校としては食堂の職員たちから職を奪うようなことはできず、その結果は学食の味に如実に表れるようになったそうです。
なぜ、人づてに聞いたような表現なのかって? それは――
「はい、海果音、今日もお弁当作ってきたよ!」
そう、深織が私の弁当を毎日作ってきてくれるようになったからなのです。
「ありがとう! でもよく考えたらなんで? 私、深織にしてあげらることないよ?」
「食堂のご飯は美味しくないって言ってたじゃない」
「いやでも、みんな美味しくなったって……」
「いいんだよ……さ、食べて食べて!」
「まったく、あんたらは見てるとこっぱずかしくなってくるわね……
ところで深織、あんたの手の甲の傷、まだ治らないの? ずっと絆創膏付けてるけど」
「うん、まだ治らないんだ。なんでかは私にもよくわからないけど」
深織はそう言いながらも、うっとりした瞳で弁当を食べる私を見つめています。
「美味しい! でもなんか不思議な味がする……これって隠し味かなんか使ってるの?」
「そんなようなものだよ。気にしないで……」
ニッコリと微笑む深織に、珠彩さんと悠季さんの反応は――
「やっぱり、全部こいつの計画通りだったんじゃないの……?」
「……結局、この騒動で一番利益を得たのは深織ちゃんってことみたいだね」
そしてその後、徐々に学校の至る所で、太陽の使者なる人物の噂が耳にされるようになっていったのです。
しかし、合体ロボット5号機設計部改めステラソルナの面々以外の人は皆、相も変わらず私を認識していないようでした。




