第13話 2年生になりました
それは、私が高校2年生になった日のこと。
私は散り始めた桜の舞う通学路で、見慣れた背中に向かって急いでいました。
ですが、舞い散る桜の花びらが鼻をくすぐり、鬱陶しく邪魔をします。
ええい、あとで全て焼き払ってやる! と、心の中で息巻いたけど、現実の私は駆け足に息を切らしていました。
「深織、おはよう」
切れた息を断ち切って声を掛ける私。
「おはよう、海果音」
この子の名前は星野 深織。
その深織にいつもコバンザメのようにくっついているのが私、日向 海果音。
えっ、それでいいのか私……とにもかくにも、そんな私に挨拶を返す深織の笑顔は眩しすぎるほどです。
足が長く歩くのが私より速い深織は、私に歩幅を合わせてくれました。
私にこんなに気を遣ってくれるのは、私の生涯の中でも深織だけでしょう。
「今日から2年生かー、深織は春休み何してた?」
春休みを一貫した何かに捧げる人なんてそうはいませんが、なんとなく定型文的に質問をしてしまいました。
「毎日のように会ってたでしょ、寝ぼけてるの?」
「そうだっけー? 一晩寝たから忘れてたかもー」
取り留めのない質問をしてしまったからか、ついついとぼけた反応を返してしまいます。
「あんたは寝ると記憶がリセットされるのかっ」
「あはは、でも今日からクラス替えかー、深織と同じクラスになれるといいなー」
明るく振る舞ってはいるけど、深織と私が同じクラスになれるかということは、私にとっては深刻な問題です。
深織と同じクラスになれるなら、教室の壁を全て破壊することも厭いません。そうすることで、物理的に同じクラスに所属する所存です。
「なれるよ」
「なぜ断言するっ?」
「んー、なんとなーくそうなる気がするんだ。私の勘当たるんだよ?」
「そっかーそりゃたのもしーねー」
「あー、完全に信じてない顔だ」
「ふふっ、でも、こんな日がずっと続くといいね」
「……うん、ずっと続くと思うよ、ずーっと……」
「あははっ、深織、何言ってんの? あははは!」
「いやちょっと、そんなに笑わないでよ!」
「いや、ごめん、なんか深織らしくないなーと思って……
……ところで深織らしくないと言えば……深織の髪って黒だったっけ?」
「ん、じゃあ何色だったら私らしいの?」
「……んー、わかんない……ごめん、変なこと言って」
「いいよ、海果音が変なのは知ってるから」
「失礼な! ……あとさ……深織ってメガネかけてたっけ?」
「ああ、これ? これ、海果音のでしょ? 忘れ物だよ」
深織は自分がかけていたメガネを私にかけてくれました。
自分がかけていたメガネを他人にかける人なんて、鶏のから揚げ屋さんの前に立ってるおじさんの人形からメガネを奪ってかける人より少ないと思います。
いやでもあのメガネは固定されてるんでしたっけ……ともかく、それが私の忘れ物だと言うなら、それを使っていた覚えがあるはずなのですが……
「あ、私……メガネなんてかけてたっけ?」
「うん、似合ってるよ」
私の曇った視界は、チューニングがピッタリ合ったかのように鮮明に切り替わりました。改めて深織を見ると、その目は青く冷たく輝いています。
そのなんと美しいこと。それもそのはず、深織のお母さんは金髪碧眼の外国の方らしいです。
ですが、深織の髪は深い闇のような黒。彼女はその長い髪をポニーテールに束ねています。
そして、家はお金持ち。なんか慈善活動……? をしている組織を運営してるそうで、深織もちょっと神秘的な雰囲気を醸し出しています。
マンションに住む会社員の娘である私にとっては、月とスッポン、私にとっては不釣り合いで贅沢な関係と言えます。
私はそんなことを考えながらも、視界のピントと共に、記憶のピントが合うことに気付きます。
「……あーっ、忘れてた、これ私のだ!」
「あははっ、なんで忘れちゃうの?」
「なんでだろうね。でもなんかすごく懐かしい感じがする、しっくりくるよ」
"懐かしい"、たまに若い人が生まれてもいない時代のものを見て"懐かしい"と表現しますが、私にとってメガネは本当に懐かしいものでした。なんでだろ?
「……うん、あ、いけない、もうこんな時間!」
「ありゃ、これはちょっと急がないと……」
私は深織に手を引かれて急ぎます。そして、校門を抜けると、校舎前の掲示板にクラス分けの表が貼り出されていました。
「えっと……2年……A、B、C……あった! あっ、深織も同じクラスだよ!」
私たちのクラスは2年C組。出席番号もあいうえお順マジックで隣同士でした。
偶然とは言え深織の言った通り。彼女はそれが至極当然の予定調和であるかのように微笑みます。
「言ったでしょ?」
私は始業式を深織の横の席で寝ぼけ眼になって乗り切り、新しい教室に足を踏み入れました。
とはいえこの日はホームルームのみで下校。気楽なものです。
そして、教壇に立った教師は諸々の説明を終えたあと、こんなことを切り出します。
「それでは今日は皆さんに自己紹介をしてもらいます。1年の頃と同じクラスの人も居るでしょうが、初心を忘れず、自分のことを説明してください」
なるほど、2年生になって初めての試練がこれですか……
人前に立つのが苦手な私は、自分の順番が回ってくるまで、他の人の自己紹介が耳に入らないほど緊張していました。
「それでは、出席番号24のあなた!」
来ました。私の出席番号、病院の待合室で呼び出された時のような感覚。私は固唾を飲み込み、俯き加減で席を立ちます。
「……日向海果音です」
誰か私の羞恥心に麻酔を打ってください。それ以上言葉が出ません。クラスの皆さんは新種の生物を見るような視線を私に送ります。
それもそのはず、私の髪は金色で目は赤、一般的な容姿からかけ離れているのです。
その時、後ろから私のお尻をつつくものが……それは、ひとつ後ろの出席番号である深織の指でした。
咄嗟のことに背筋が伸びた私は、少し振り返って小声で抗議します。
「ちょっと、こんな時に……」
深織は頬杖を突き、私に微笑みかけます。
私はメガネについた埃を吹き飛ばす時のような小さな溜息をつき、少し気分が落ち着きました。
「……苗字は日向、日陰の日向で、名前は海の果ての音と書いて海果音です。
こんな見た目をしてますけど……みんなからは地味で目立たない、存在感が薄いって言われます。
なんでですか? メガネが悪いんですか? ショートカットだからですか?」
クラスに小さな笑いが起こりました。深織も相変わらず微笑んでいます。
「以上です! できれば仲良くしてくださいっ!」
私はそう言ってストンと席に座り、赤面して俯きます。
「はい、ありがとうございます。では次の出席番号、25のあなた!」
「はい!」
私の後の席の深織がすっくと立ち、その凛々しさを際立たせます。
「星野深織です。深く織り込むと書いて深織です。
私のポリシーは、常に正しくあろうとする意志を貫くことです。
例え何度間違ったとしても、挫けず、腐らず、正しさを追求し続けることで、人間は理想に近付いて行けます。
そうやって、自分から、世界から偏りを取り除くために、生きて行こうと考えています。
皆さんも困っていること、悩んでいることがあると思いますが、それも偏りのひとつです。
私はそれを解決するために力を惜しみません。皆さんの協力をさせてください。
……とは言っても、私も未熟なので、一緒に悩んでしまうことになると思いますが……よろしくお願いします」
最後は誤魔化すかのように照れ笑いをしていましたが、深織の女子高生の自己紹介を飛び越えた哲学かぶれめいた発言に、教室の空気は凍り付きます。
1年の頃はそんなこと言うような子ではなかったと思いますが、何かあったのでしょうか?
そんな予期せぬ衝撃が駆け抜けたものの、その日のホームルームは滞りなく終了しました。
そして下校中、深織はおかしなことを言い出します。
「海果音、友達作ってみない?」
「え、どうして?」
「海果音はさっき、自分は地味で目立たないって言われるって言ってたけど、それって本当に言われたことなの?」
「それは……」
「海果音は私以外の人とあまり話さないのに、『言われる』ってのはおかしいよ。自分でそうやって決めつけてるだけじゃない?」
そうだ、何で私は自分がそう言われてると思ってたんだろう……なんとなく言われてた気はするんだけど……一体誰に?
私がそんな風に自分との対話にふけっていると、深織はまた口を開きます。
「友達との付き合いは人を成長させるんだよ? 海果音が成長してくれると私も嬉しいな」
「と、言われても、私、どうしたらいいかわからないよ」
「とにかく、考えてみて。私も可能な限り協力するよ」
そして、深織と別れたあと、私は友達について考えながら歩いていました。
すると、考え事に集中し過ぎていたのか、いつの間にか見慣れない通りを突き進んでいました。
そこは閉じたシャッターの並ぶ寂れた商店街。後ろを振り返っても、自分がどこから来たのかさっぱりわかりません。
しばらく歩けば大通りに出るだろうと考え、そのまま歩き続けると、ひとつだけ営業している店舗がありました。
それは中古の機械などを扱うお店のようです。考え事をしていた私は、何故かそのお店に吸い寄せられるように入ってしまいました。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんみたいな子がこんな店に珍しいね。何かお探しかい?」
「え……あの……えっと、ともだち……」
私はつい考えていたことを口にしてしまいました。
店のおじさんは一瞬きょとんとした表情をしてから笑い出しました。
「……はっはっは、友達か。確かにお嬢ちゃんくらいの年頃には友達が必要だよな」
「あ、すみません、ちょっと考え事をしてて……」
「いいよいいよ、悩むのも貴重な青春の1ページだ。
……そうか、お嬢ちゃん、もしかして人付き合いが苦手なんだな?」
「はい……」
「なら、こうやって知らないおじさんに話しかけられるのも辛かろう?」
「いえ……そういう訳では」
「はっはっは、いいんだよお嬢ちゃん。おじさんも中学生の女子と話すことなんて滅多にないからちょっと緊張しててね」
「……高校生です」
「おっと、すまない。そうか、高校生か。多感な時期だよなあ。間違えたお詫びと言ってはなんだけど、これを見てくれ」
おじさんは店の奥から何やら球体関節の人形のようなものを持ってきました。
その人形は背丈が20cmほどで、服は着ておらず、全体的に白いプラスチックのようなボディで、顔に当たる部分には目かランプのようなものが2つ付いています。
「こいつはな、ちょっと前に流行った人形だ。人工知能が搭載されていて、話しかけると反応するようになるっていうね」
「はぁ……」
「これを売りに来たお客さんは、全然反応しないから手放したいと言ってたんだが、僕が話しかけても反応しないから、故障の類なのかもしれない。
でも、熱心に話しかけると反応するっていう話もあるから、この人形を相手に、会話の練習をしてみたらどうだい? なあに、おまじないみたいなものだよ」
私はこのおじさんが不良在庫を私に押し付けようとしているような気がしました。
が、成り行き上、断るのも気が引けたので、頂戴することにしました。
店を出て少し歩くと見慣れた大通りに出たので、私は無事に帰宅することができました。
帰宅した私は、食事と入浴を終え、寝る前にその人形に話しかけてみました。
「こんばんは」
ですが、反応しません。
「友達になってもらえますか?」
やはり反応しません。自分がバカみたいに思えてきました。
「どこか調子が悪いんですか?」
私はそんな感じで人形に話しかけ続けました。
そして次の日、また深織と一緒に登校し、席について鞄を開けると……
「あ……」
中には人形がありました。朝寝坊しそうになって慌てて入れてしまったのでしょう。
火災から逃げる時、枕を持って出てきてしまうのと同じ現象と思われます。
「海果音、どうしたの?」
深織が私の異変に気付きました。
「いや、実はこの人形が……」
「……学校におもちゃを持ってきちゃったの?」
「なんか慌ててたみたいで……」
「しょうがない子だね……黙っててあげるから、外に出しちゃだめだよ」
「いや、好きで持ってきたわけじゃないんだけど」
「そうなの? てっきりお気に入りの人形を持ってきちゃったのかと」
「私が人形で遊んでるの見たことある?」
「確かに海果音は人形で遊ぶような子じゃない。鉛筆と消しゴムを擬人化して遊ぶくらいだから、人形なんて必要ないもんね」
「うーん、心外だけど、確かにそうだね……まあ、これはこのまま鞄に入れておくから大丈夫だよ」
「そう、ならいいけど、そろそろ授業が始まるよ」
「うん」
そして昼休み、深織と食堂で昼食を終えて教室に戻ると、私の席の周りに人だかりができていました。
「キャー! カワイイ!」
「わー、すごい、どうなってるのこれ?」
私は人だかりをかき分け、自分の席に戻ろうとします。
「ごめんなさい……その席、私の席なので……」
やっとの思いで机に戻ると、机の上には鞄にしまっておいたはずの人形が直立していました。
誰がこんないたずらをしたのかと思っていると、その人形は首を動かしこちらを見ました。
「ひっ!」
「ねえ、これ……えっと……君の人形?」
人だかりの中のひとりが私に話しかけます。私の名前はわからなかったみたいです。
「そ、そうですけど、これ、今、動きませんでした?」
「え、動いちゃいけないの?」
「いえ、言葉に反応するとは聞いていたのですが」
すると人形は私に向かってお辞儀をしました。
「あ、本当に動くんだ……」
「そうだよ、さっきだって、隣の席でみんなで歌を聴いてたら、その音に合わせて踊り出したんだもん」
そう言って彼女が小さなCDプレイヤーの再生ボタンを押すと、人形はその音に合わせて踊って見せます。
しかし、しばらく踊るとバランスを崩し尻餅をついてしまいました。
「あははっ、カワイイ! ね、これあなたの人形なんでしょ? どこで手に入れたの?」
「いや、中古屋さんで……どこだったっけ……あ、お店のおじさんはちょっと前に流行ったって言ってたから、入手しやすいと思いますよ」
「そうなんだー、探してみよっかな。ありがと! あっと、そろそろ授業始まっちゃう」
授業開始のチャイムを合図にして、人だかりは蜘蛛の子を散らすように自分の席に戻っていきました。
深織はそんな一部始終を黙って眺めていたようです。
そして放課後、私の席には再び人だかりができました。他のクラスからも、人形を一目見ようという人が押し寄せます。
当の私はといえば、人混みを避けて遠巻きにそれを眺めているだけでした。それはまるで、人形の方が先に友達を作っていたかのようでした。
しかし、そんな状況を一変することが起きたのです。
「踊る人形があるっていうのはここ?」
赤いセミロングの髪と茶色の瞳をした女の子が、教室に入るなり大きな声で呼びかけます。
その声がモーゼのごとく人だかりを割って道を作り、彼女はそこを直進しました。
「これね……踊る人形っていうのは……さあ、踊ってみなさいよ!」
私は遠巻きに見ていたのでよくわかりませんでしたが、人形は恐る恐る踊り出したようです。
「ね、可愛いでしょ? あなたも欲しくなった?」
人だかりの中のひとりがその赤い髪の女の子に話しかけました。
しかし、彼女はそのことを気にも留めず、震えて独り言を呟き始めます。
「あ、あり得ない……冗談じゃないわ……こんなことが……あるなんて」
何故か愕然とする彼女。それは、海で半身浴をしている自由の女神を見た時のような顔でした。
「これ、誰が作ったの?」
彼女が周りをキョロキョロ見ていると、人だかりを構成する一部の人たちが私の方を指さします。
「いや、私が作ったんじゃなくて……」
赤い髪の女の子は、慌てて弁解する私に向かってずんずんと肩で風を切って歩み寄ります。
「あなたね! あんなふざけたもの……」
「な、何が……ですか?」
「どうしたらあんなのができたの? 二足歩行ロボットが踊るなんて……そんなバカなこと……それに、あんなに自然な動きで……」
「いや、私が作ったんじゃないですよ?」
「うるさい! いい? 二足歩行ロボットが人間と同じように動くなんて、現代の技術では簡単にできるものではないわ。
それがなんでできるようになっているのかって聞いてるの!」
「そう言われましても……」
「大体、人型のロボットなんて実用性が無いわ! だから研究も頓挫している。
ロボットの効率的な形を追求すれば、昆虫型に辿り着くのが当然だからよ!」
「あなたはロボットに詳しいんですね」
突然深織が割って入る。
「そうよ! それがどうしたの?」
「なんで怒ってるのかわかりませんが、現にあれは人間と同じように動いています。
とりあえず落ち着いてそれを受け入れましょう」
「そ、それもそうね……あなた、名前は?」
「星野深織です。この子は日向海果音」
「あ、よろしくお願いします」
私は人形に倣って丁寧にお辞儀をしました。
「私は葉月 珠彩、ロボット開発の研究をしているわ」
「なるほど、それで。で、あなたの言い分は?」
深織が勝手に話を進めてくれます。
「……人型のロボットなんて、無用の長物よ。だから私は昆虫型のロボットを開発している。
次のロボレスで私が作った昆虫型ロボットの実用性を証明するつもりなのに、二足歩行ロボットが存在したら、物珍しさでそちらが注目されてしまうでしょう」
後で知りましたが、このロボレスとは、その業界ではとても有名な競技なのだそうです。
「なるほど、それで、自然に動く人型のロボットが邪魔だと。でも、人と同じ動きができるなら、人の仕事をそのまま任せられますからね。それはとても実用的ですよね?」
深織は結構シビアな物言いをする子でした。
「ぐっ……とにかく、昆虫型のロボットの方が、人型のロボットより実用的だって証明すれば済むことよ! そこのあなた!」
他人に急に指差されたことはこれが初めてでした。
「はいっ!」
「日向海果音」
すかさずフォローする深織、なんか私馬鹿にされてませんか?
「日向さん! 来週の金曜日の放課後、ロボレスでその人型ロボットと私の昆虫型ロボ、『シュイロボ』を勝負させるわよ!」
「まだ出来上がってないんですね」
またもや深織は痛いところを突きます。
「ち……違うわよ! 調整が必要なの!」
「そうですか……海果音、どうする?」
私を見る深織の目を見ると、何故か断れない気がしてきます。
「や……やるよ……やります」
「そう。だそうですよ、葉月さん」
「ふふ……せいぜいロボレスを研究することね。私とあなたの勝負は後日ネットで配信させてもらうわ。
あなたのロボットが人間の動きを精巧に再現できることを見せた上でね」
目を閉じて何やら語りながら葉月さんは去ってゆきました。
さっきまであった人だかりも、葉月さんの先程の尋常ではない剣幕に、散り散りに、冷ややかになっていました。
「さて……海果音、この勝負、絶対に勝つよ」
この人もなんでこんなことを言うのでしょうか。
深織にとって、私が勝つことにメリットがあるのでしょうか。それとも、前世の因縁でもあるのでしょうか。
「いや、負けてもいいじゃん……」
「ダメだよ。勝負を挑まれたら勝ちに行かないと相手に失礼でしょ」
ですが、お人形さん改めロボットさんは戸惑っているようです。
「てか、この子何で動いてるのかやっぱりわからないんだけど……勝つと言っても、何をすればいいのかな?」
「うーん、とりあえず、そのロボットさんがどんな動きができるのか、試してみよ」
というわけで、放課後、校庭の隅でロボットさんの運動能力について試してみることにしました。
「ほら、走ってみて」
深織が優しく声をかけます。すると、ロボットさんは走り出しました。
しかし、その全速力で走る姿は、ドラマのクライマックスで演出されたようなスローモーションで、すぐに息切れ? を起こして止まってしまいます。
いえ、厳密に言えば息切れを起こしたような動作をしていたのでした。
「……ふーむ、持久力に不安を抱えてるね」
深織は次に、花壇の低い柵までロボットさんを導きます。
「ほら、この柵で逆上がりしてみてっ」
できません。よくよく思い出してみると、教室での踊りにもキレがなく、そのロボットさんは「運動神経の悪い人間」の動きを巧妙に再現していたのです。
普通に運動のできる人間を再現するのより高度な技術だと思いました。
「なるほど、わかったよ」
深織が急に納得したような表情でこちらを見ます。
「え、何?」
「今の動き、どこかで見たことがあると思ったら……海果音、あなたの運動神経を再現しているんだね」
「何それ、そんなことあるの?」
「私の目に狂いはないよ。海果音のことをずっと見てきたもの」
深織の意味深な発言にたじろぎ、何も言えない私でした。
「ロボレスで勝つには、運動能力の向上を図らないとね」
何故か深織はそのまま私を見つめています。
「物は試しということで、海果音、逆上がりやってみて」
「……わ、わかったよ」
「ちょっと待って! そのままじゃなくて体操着に着替えてね。制服汚れちゃうから」
「わかってるよー! って、制服汚れるって失敗する前提じゃ……」
私は深織に言われるまましぶしぶ体操着に着替え、鉄棒に向かい、逆上がりができるか試してみました。
確か、小学生の頃はできなかったような……
「ふんぬっ……!」
身体が持ち上がりません。
「ふーむ、思い切り地面を蹴ってみて」
深織は「生きるためには呼吸をしろ」と言うような、そんなのもうすでにやってるよと言いたくなるようなアドバイスをくれました。
「ふんっ……ぬっ!!」
私は勢い余って背中から地面に落ちてしまいました。
深織の予想通り、私の着ていた体操着は汚れてしまいました。
「……痛ててて」
「やっぱりこのロボットさんと一緒でできないんだね」
深織は私の身を案ずることもなく、私の背中についた土を払いながら呑気に言い放ちます。
すると、何者かの足音が近付いてきました。
「逆上がりができないのかい?」
私たちにそう話しかけるのは……男の子? のように見えますがここは女子高、そんなはずはありません。
背丈は高めで深織より少し低いくらい、髪は癖のある青白いベリーショート、黄色い瞳が目を引きます。
彼女? は緑のジャージを着ていることから、私たちと同学年であろうことが伺えます。
「そうなんですよ。この子、運動神経が悪いみたいで」
「そうか、キミ、逆上がりくらいならコツを掴めば簡単にできるようになるよ」
「そ、そうなんですか?」
「さっき見てたんだけど、キミは肘を伸ばして鉄棒から身体を離していた。それと、サマーソルトキックみたいに蹴り上げようとしちゃダメだ」
「そういえばそうですね。思い出してみれば、私も逆上がりする時は肘を曲げて身体をしっかり鉄棒にくっつけるようにしています」
深織も彼女? に同調します。
「だろう……キミは?」
「あ、星野深織です。この子は日向海果音。海果音、この人の言う通りやってみようよ」
いつの間にかロボットの運動能力向上の話はどこかへ行ってしまいました。
「そ、そうだね……よろしくお願いします」
「深織ちゃんに海果音ちゃんか、ボクは大地 悠季、よろしくね。
じゃあ最初はボクが補助するから、逆上がりする感覚を掴んでみよう」
「はい……」
大地さんは鉄棒を掴んだ私の背中とお尻を、後ろから支えるように手を添えます。
「いくよ、せーのっ!」
「ふんぬっ……!」
大地さんの掛け声に合わせて地面を蹴ると、天地が一回転する感覚を覚えました。
「ほら、できたじゃないか」
「で、できた……」
「ふふ、良かったね、海果音」
「まだまだだよ。じゃあ、今度はお尻だけを支えるから、肘を伸ばさないように意識を集中するんだ」
「はいっ!」
「せーのっ」
「ふんぬっ!」
またも私の身体はぐるりと一回転。生まれてから合計二回転したことになります。
「いいね、その調子だ!」
「……おお」
私もついつい感嘆の声をもらしてしまいます。
「じゃあ、次は一人でやってみようか。腕を曲げないように意識して、地面を思い切り後ろに蹴るんだ」
「海果音、頑張って!」
深織も応援してくれます。私もその声を裏切る訳にはいきません。
「行きます! ふんっ……ぬ! ……ああっ」
私の足は一瞬真上を向きますが、先程のように一回転することはなく、地面に巻き戻ります。
「海果音ちゃん、怖がっちゃダメだ。大丈夫、逆上がりで死んだ人はいないよ……多分」
「わ、わかりました。じゃあ……もう一回」
「半身不随になったとしても、海果音の面倒は私が一生見るよ!」
深織の発言に少し戸惑いますが、私は再度逆上がりに挑戦しました。
「ふんっ……ぬぅぅあ!」
そしてついに……ついに私は合計三回転目を自分だけの力でやり遂げたのです。
「おめでとう!」
「海果音! やったじゃない!」
「で、できた……できたぁぁぁぁぁ!!」
「いい子ね……よしよし」
深織はそう言って私の頭を撫でます。
「はは、できれば嬉しいものだろう?」
「はいっ! 本当にありがとうございます!」
大地さんも一緒に喜んでくれました。
「じゃあ、逆上がりだけじゃなくて、大車輪ができるようになろうよ!」
深織が突拍子もないことを言い出した時、私は思い出しました。
「って、私が逆上がりできるようになったのはいいけど、ロボットさんは……」
「ロボット? あっ!」
深織も思い出してくれたみたいです。
「ロボット? なんのことだい?」
「あの、このロボットです」
深織が大地さんにロボットさんを紹介すると、ロボットさんは丁寧に頭を下げます。
「おお、これは驚いた! 人形だと思ったら、自分で動けるんだね」
「そうなんですよ。それで……何で海果音が逆上がりしてたんだっけ?」
深織は首を傾げます。
「いや、だから、そのロボットさんが逆上がりできなかったから私もやってみたんじゃない」
「ああ、そうだった! じゃあ、ロボットさんにもう一回やってもらおうよ! できるようになってるかも!」
「なんでそうなるんだよ……深織は本当にそのロボットさんが私の動きをトレースしてるとでも思ってるの?」
「まあまあ、やってみなきゃわからないから!」
乗り気になる深織に、大地さんも優しく微笑みかけます。
「いいね、やってみてもらおうかな」
「うう……じゃあ、ロボットさん、また逆上がりしてみてください」
ロボットは再び花壇の低い柵に挑みます。すると、今度はくるんと一回転。うまくできました。
「やっぱり!」
深織は心の底から喜んでいる様子です。
大地さんも優しい表情のままそれを見ています。
「こ、こんなの偶然に決まってるよ」
「しかし、フォームもしっかりキミと同じになってるよ」
大地さんが余計なことを言います。
「じゃあ、今日から体力を付けるために走ろうか」
深織は強引に話を進めます。
「え、どうしてそうなるの?」
「だってほら、そのロボットさん、さっき走った時にすぐに息切れしてたから、海果音も走るの苦手でしょ?」
「なるほど、ボクも付き合うよ、いつも走ってるからさ。さあ、行こう」
あれよあれよという間に深織と大地さんの間で話が進み、気付けば私は校門の前に居ました。
そして、私は2人のペースに巻き込まれ、学校の周囲を一周することになりました。
「はぁ……はぁ……おぇぇぇええええ!」
「海果音、大丈夫?」
全ての内臓を吐き出さんばかりにえずく私に、深織は優しく背中をさすってくれます。
「学校の周りを一周するだけでも、海果音ちゃんにとってはフルマラソンのようなものなんだね」
「はぁ……はぁ……ごほっ……すみません……運動不足で……」
「でも、毎日続ければきっと強くなれるよ……ロボットさんが」
深織は肝心なことを思い出させてくれました。
「いやいや、私じゃなくてロボットさんが強くなればいいんでしょ?」
「そうだよ深織ちゃん、このロボットくんを強くすればいいんだ」
立場を急変させる大地さんは、どこかこの状況を、私たちとの交流を楽しんでいるように見えました。
「とは言っても、このロボットさんを鍛えても意味がないんじゃない? だって機械の筋肉は成長しないもの。
きっとこのロボットさんは持ち主の動きを再現することしかできないよ」
「そ、そうなのかな……」
「ははは、深織ちゃんの言う通りかもしれないね。何はともあれ、体を鍛えることは悪いことじゃないから、やってみようよ」
「じゃあ、行くよ、海果音」
そう言いながら深織はすでに走り出していました。そして、それに続く大地さん。
何故かロボットさんも私を囃し立てます。
「はぁ……はぁ……ごほっ……ぼぇぇぇぇええええ!!」
「海果音、その調子だよ」
「ほら、何周もしてれば楽しくなってくるだろ?」
深織も大地さんも全く息が上がっていません。汗もかいていません。この人たちの代謝機能は、エフェクトカットされているかのようでした。
「……楽しく……ありません……はぁ……はぁ……」
「そう、私は楽しいけど。海果音が頑張ってくれてるのは嬉しいし」
「そ、そう……で、なんのためにやってるんだっけ、これ……?」
「そんなことは気にせず、明日もまたやろうよ。キミの成長はボクの喜びでもある」
そんなこんなで、私は放課後毎日、深織と大地さんと一緒に体力作りのために走らされました。
そして、そんな活動が1週間ほど続きました。
「海果音も走るのに慣れてきたみたいだね」
深織が私の横を走りながら微笑みます。
「そうだね、ってロボットさんのためにこれをやってたんじゃ……」
「そうだったっけ?」
ロボットなんて知らないとでも言うような、とぼけた顔の深織でした。
「忘れてたの? まったく……でもなんで、ロボットさんのために私が体力作りする必要があったんだっけ?」
「さあ、なんでだっけ?」
深織にもその理由に心当たりがないようでした。そして次の日の放課後。
「さあ、海果音ちゃん、深織ちゃん、また走るよ」
大地さんはいつものように私たちを促します。
「はーい」
「ちょっと待ちなさいよ!」
それはどこかで聞き覚えのある声でした。
「あ、確か葉月さん。こんにちはー。どうしたんですか? 私たち、これから走りに行くんですよ」
「あなた、今日が何の日か忘れたの?」
「うーん、深織、何の日だっけ?」
「なんかあったっけ?」
「すっとぼけるんじゃないわよ! 今日は勝負の日でしょ!」
「そうなのかい? 海果音ちゃんが体力作りしてたってことは、キミと体力勝負するってことかな?」
「あなた誰よ?」
「ボクは大地悠季、今は海果音ちゃんのトレーナーだよ」
「あっそ。私は葉月珠彩。今日はその子の二足歩行ロボットと私の昆虫型ロボットをロボレスで対決させる日なのよ」
「あー、今日まで調整してたんでしたっけ? それで、完成したんですか?」
深織も呑気に質問する。
「そんなのとっくにできてるわよ! 今日までシミュレーションと調整に明け暮れていたの。あなたの二足歩行ロボットに確実に勝つためにね!」
またもや私は指を差されます。人差し指って言うくらいだから人を差すのは当然かもしれませんが、あまりいい気分ではありません。
「そうですか……そうだったね、海果音、私たちも今日まで体力作りに明け暮れていたんだものね、やるよ!」
「確かに、明け暮れてたね……私はいいけど……ロボットさんはどう?」
ロボットさんも戸惑っているようです。
「逃げるなんて許さないわよ。棄権もダメ。戦って勝たないと意味が無いの。体育館にリングがあるわ。着いてきなさい」
「こりゃ言っても無駄みたいだね。面白そうだから、ボクも観戦させてもらうよ」
こうして場所は体育館に移ります。
体育館には直径1メートルほどのケーキのような、土俵のようなリングがありました。
「ルールはもちろんわかっているでしょうね?」
「わかりません」
「私もわからないです」
「ボクも知らないなあ」
「あなたたち、今日まで何してたのよ!」
「ジョギングです……」
「ジョギングだね」
「海果音ちゃんは結構体力付いたと思うよ」
「それがロボレスの何に役に立つのよ! ……でもいいわ、それなら私の勝ちは決まったようなものね!」
「……えーっと、リングアウトするか、完全に動かなくなったら負け……シンプルなルールだね」
深織が携帯電話でネットを検索してくれました。
「しょうがない……ロボットさん、いいかな」
反応を返さないロボットさんに、深織が何が耳打ちをします。
「勝たないと例のロボットみたいに胸にタブレットつけて会社の受付や店頭で壊れるまで働いてもらうから」
小声で私にはよく聞こえませんでしたが、ロボットさんもしぶしぶ承知してくれたようです。
葉月さんは赤いロボットをリングの中央付近に置きました。
それは、直径30cmほどのハンバーガーのような円盤に、6本の脚がついているロボットでした。
「さあ、あなたの二足歩行ロボット……って言いづらいわね。名前はないの?」
「そういえばずっとロボットさんって呼んできたなあ。もうこのロボットさんは友達みたいなもんだから、『ロボットモ』って呼ぶことにします」
「では、シュイロボくんとロボットモくんの対決を始めるよ!」
大地さんが仕切り始めました。
私もロボットモをシュイロボさんと向かい合わせに置きます。
「ふふ、すぐに吠え面をかくことになるわ……」
「では、よーい、スタート!」
大地さんの掛け声と共にシュイロボさんが動き出します。
対するロボットモはといえば……
「おーっと、ロボットモ選手、シュイロボ選手から逃げています! どうですか、解説の深織さん」
大地さんが急に実況を始めました。
観客がひとりも居ないにも関わらず。
「そうですね、海果音もよく逃げ腰になりますので、それを再現してるのではないでしょうか。
それに……海果音の家にアレが出現した時もこんな感じでした」
深織もノリノリで解説します。
「逃げて隙を作ろうって魂胆ね。でも、この狭いリングの上で逃げ切れるかしら。さあ、シュイロボ、容赦せずにやりなさい!」
「シュイロボのマスター、葉月さんはシュイロボに話しかけてます。これはどういった意味があるのでしょう!」
「昔、小さい四駆のレースをするマンガがあって、それでは声を掛けると加速していたので、同じようなものですかね」
大地さんと深織は引き続き実況解説ごっこを続けます。
「うるさいわね! シュイロボは人工知能を搭載しているから私の命令を聴くのよ! あなたのだってそうでしょ?」
私はまた葉月さんに指を差されました。
「ロボットモに人工知能? そういえば、この子を売ってたお店で人工知能がって話をしてました」
「でしょう! さあ、ここからが本当の勝負よ!」
シュイロボさんはロボットモに詰め寄ります。しかし、二足歩行のロボットモは、マラソンのように走り回ることで逃げ続けます。
「海果音選手の体力作りが功を奏しましたね! 実況の深織さん」
「そうですね! あんなに立派に逃げ回るようになって……良かった」
涙を拭うふりをする深織でした。完全にふざけています。
「何が良かったのよ! 逃げてるだけじゃない! そういう競技じゃないからこれ!」
「逃げまわりゃ、死にはしない!」
大地さんが何か言っていますが、深織があることに気付きました。
「ねえ海果音選手、あのロボットモ、なんか目が光ってない?」
「選手って…… って、そういえばそうだね。たまにシュイロボさんの方を向いて何かを訴えているような」
「あれはモールス信号ね……あなた、ロボットモにそんなものを仕込んでたの?」
「そ、そんなもの仕込んでません。元からあった機能なんじゃないですかね……」
「あの信号は……降伏勧告? 舐めた真似してくれるじゃない! 勝負したくないなら、リングを降りればいいだけなのに……どうしても勝ちに拘るのね」
「ロボットモさんには私がよく言って聞かせてありますから。負けないようにって」
深織はそう言いながらにっこり微笑む。
「なるほど、ロボットモくんは実況の深織さんに逆らえないんですねぇ。そう言えば、海果音選手も実況の深織さんには逆らえないと漏らしていたことがありました」
「あらあら、そんなつもりはないんですけどねぇ。私は海果音選手に努力して勝つ喜びを味わわせたいだけなんだけど……ね、海果音選手」
「う……うん、逆らおうと思ったことすらないよ……」
「あなたたち、ごちゃごちゃうるさいわよ! 勝負に集中なさい!」
「そう言われても、多分ずっとこの膠着状態が続くと思うよ。それに、人間は昆虫より持久力があるだろうから、このままだとロボットモくんの勝ちだ」
大地さんが冷静に分析します。
「ちっ! バッテリーが……そろそろ勝負を決めないと危ないわね……シュイロボ! あれを使うのよ!」
すると、6足歩行のシュイロボさんの背中から4枚の透明の羽根が展開されました。
そして、シュイロボさんはその羽根をはばたかせて加速し、ロボットモに対し、一直線に飛びかかりました。
次の瞬間……
「おおーっと! シュイロボ、リングアウト寸前のところでひっくり返っています! そして、ロボットモくんはリング中央に居ます! 入れ替わってるー!
解説の深織さん、これはどういうことでしょう」
「はい、スローの映像……は用意できませんが、想像してもらいたいのは跳び箱です。
ロボットモは跳び箱の要領で突進してくるシュイロボを飛び越え、羽ばたいて軽くなっていたシュイロボはひっくり返ってしまったということですね」
「シュイロボ! よ、よくもやってくれたわね!」
葉月さんは私を睨みつけました。
ひっくり返ったシュイロボさんは、足を動かしてもがいても、羽根をはばたかせても元にもどることはできず、徐々にリング際に近付いて行きます。
「ロボットモ! そのままシュイロボを押し出しなさい!」
何故か深織が命令していました。
ロボットモはひっくり返ってるシュイロボさんに近付きます。
「くっ……二足歩行ロボットなんかに負けるなんて……昆虫は重心が上にあるから、ひっくり返ったら元に戻るのは困難……そこを突いてくるなんて……」
葉月さんは悔しそうに眼を固く閉じ、両手で頭を抱えますが、私は何も突いた覚えはありません。
「な、なんということでしょう!」
実況の大地さんの驚きの声にリングを見ると……
「ロボットモ、自らリングを降りました!」
「な、なんで!?」
解説の深織にも予想外の展開のようです。
すると、ロボットモはリングアウト寸前のシュイロボさんの下に回り、両手でシュイロボさんを押し上げました。
「な、なるほど……ロボットモはひっくり返ったシュイロボを助けるためにリングを降りた、リングの上からではひっくり返すだけの力が出せないから……
……おっと、シュイロボ、立ち直りました!」
「なんでそんな機能がついてるの……負けた……海果音が負けた……このままじゃ海果音は落ち込んで立ち直れなくなっちゃう……」
深織は失意体前屈のポーズを取っていました。大袈裟です。私は深織にそんな風に思われてたことから立ち直れなさそうです。
「……ふ、私の負けね」
葉月さんは満足げな顔でそう言い放ち、私を見ます。
「え、それってどういう……?」
「私のシュイロボより、あなたのロボットモの方が高いレベルで人工知能を実現しているということよ」
「言ってる意味がわかりませんが……」
「ロボット工学三原則というものがあるわ。
第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条、ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない……」
「そうか、ロボットモは自分や他の人工知能を搭載したロボットをも、人間と同じように認識していたということだね」
長話を始める葉月さんに、大地さんがアシストをかまします。
「そうよ、自分の判断で動く知能を持った者を、それが機械だからと言って助けないのは非人道的だわ。
だって、人間と同等の知能を持っていれば、それに感情が無いなんて言い切れないもの」
「それに、第三条、自己を守らなければならないということは、窮地に陥ってひとりではどうにもならない場合、誰かに助けてもらう必要がある」
「そう、だから、ロボットモは自分がひっくり返ったシュイロボの立場になった時のことを考えて、それを助けたの」
「助けてもらえる者は、いざという時他人を助ける者……考えて見れば当然だね」
「それに、人もロボットも他人の存在なしに存在できないわ」
「そうだね。単独で完全なものなど存在しない」
2人で目を閉じて、自分たちの発言に酔う葉月さんと大地さんでした。
「この人たち仲いいね。海果音なんて忘れられてるよ」
「そ、そうだね……」
「というわけで」
葉月さんはそう言いながら目を開き、こちらを見ました。
「私の負けよ。あなたとロボットモには目を覚まさせてもらったわ。二足歩行ロボットも、昆虫型ロボットも単独では限界がある。
私たち人間も、それぞれが役割を持って協力することで、ひとりでは成し得ないことをやってのけることができるのよね」
そう言って手を差し伸べ私に握手を求める葉月さん。
「は、はい……なんだかわかりませんが、良かったです」
「ふふっ」
その時私は初めて葉月さんの笑顔を見ました。
「みんな、見て!」
大地さんが指差すリングを見ると、そこにはリングの淵にもたれかかって動かなくなったロボットモと、それに寄り添うシュイロボがいました。
「あら、あなたのロボットモ、バッテリーが切れちゃったみたいね。充電してあげましょう」
「え、これ充電できるんですか? 今までしたことないんですけど」
「そんなわけないじゃない、あれから二週間近く経つけど、その間電源切ってたの?」
「いえ、ずっと元気に動いてましたけど……」
「……それってどういうこと? そんなに充電が持つってこと?」
「わかりませんけど……お店で貰った時は動かなかったけど急に動くようになって……」
「このロボット……何者なの?」
「お店のおじさんはちょっと前に流行った人形だって」
「……あなた、その……人形とやらと一緒についてきなさいよ」
ロボットモを抱えた私と、深織と大地さんは、葉月さんに先導されるまま、校舎のはずれの一室に通されました。
「『合体ロボット5号機設計部?』 なんですかこれ?」
深織がその部屋の表札を読みながら不思議そうに首を傾げます。
「私の部活の名前よ」
「合体ロボット5号機とは?」
「その名の通り、合体ロボットの5号機、なんとかランダーとか、なんとかクラフトみたいなマシンのことよ!
名前なんてなんでもいいの。科学部もロボット部も元々あったんだもの。あんな低レベルな奴らと一緒に研究なんてできないから、違う名前の部活を作る必要があったの」
「部員は?」
「私ひとりよ」
「え、それって部として存続できるの?」
葉月さんと深織の会話を聴きながらその部屋に足を踏み入れる私たち。
科学準備室を兼ねていると思しきその部屋の中には、パソコンや工具、ロボットの部品と思われるもの、基板、スパゲティ状に絡み合ったコード類、粉が入っていると思われる瓶、謎の液体が入ったフラスコ、アルコールランプなどが置かれていました。
「うるさいわね。この学校はシステムで管理されてるでしょ? だから、データの辻褄さえ合っていれば、どんな部活があっても見逃されるのよ」
「どうやってデータの辻褄を合わせてるの?」
深織はこの謎の部活に興味津々みたいです。私もこんな部活は前代未聞だと思いつつも、深織は単に葉月さんの反応を面白がってるだけなんだと思いました。
「このパソコンから学校のネットワークに侵入して、データを改竄してるのよ。さ、もういいでしょ。あなた、ロボットモを見せて」
「あ、はい」
私は動かなくなったロボットモを葉月さんに渡しました。
「こういうのは形式番号がどこかに……あった。検索してみるわ」
葉月さんはパソコンで何やら検索を始めました。するとすぐにロボットモと同じものの製品紹介画面が表示されました。
「待ってよ……これ、動く機能なんてないわ」
「えっ……!」
「ほら、ここの説明。『この人形は話しかけると返事をします。関節は人間と同様になっており、自由にポーズを決めることができます。ポーズによって返事は変化します』……どこにも自分で動くとは書いてないわ」
「そんなことって……」
私も葉月さんと一緒に画面を隅から隅までくまなく探しますが、どこを読んでも『話しかけた言葉と取らせたポーズによって返事をする人形』以上の記述はありません。
「うーん、妙だねこれは……海果音ちゃん、なんか心当たりはないのかい?」
「そんなものある訳が……でもどうして……」
「海果音、この子に何をしたの?」
「何もしてないよ! ただ、一晩中友達になってほしいって話しかけ続けただけだよ」
「ひっ!」
葉月さんが小さく声を上げます。
「どうしたんですか?」
「これ……バッテリーが故障してるわ……こんなものがどうやって動いて……」
「へぇ、不思議なこともあるもんですね」
私は何故か偶然そうなったんだろうなくらいにしか考えられませんでした。
「あなた! もうこれ、持って帰って!」
葉月さんはそう言うと、その人形を強引に私に渡しました。
「もう、それは私に近付けないで……帰ってよ!」
葉月さんはパソコンの前の椅子の上に体育座りをして小さく縮こまります。その身体は小刻みに震えていました。
「み、海果音……行こうか」
「う、うん」
「珠彩ちゃん……大丈夫?」
「もう、放っといてよ……」
葉月さんはそう言って、大地さんの気遣いを突き放します。
「そうかい……じゃあ、ボクも失礼するよ」
そうして、その日は急に頑なな態度を取り始めた葉月さんを残して、三々五々解散しました。
そんなことがあった次の日の昼休み、私は深織と箸が進まない学食を前にしていました。
「深織ぃ、学食おいしくないねぇ……」
「そう? コールスローサラダにミカンやリンゴ、パイナップルが入ってるからって、好き嫌い言っちゃダメだよ。そんなんじゃ大きくなれないよ」
「うう、サラダだけじゃないよ、どの定食頼んでも全部おいしくないんだよ?」
「世の中にはもっとおいしくない学食があるはずだよ。ワガママ言わないの。そんなだと、大人になってもあと1cmしか身長伸びないよ?」
「なんでそんな具体的に……私の身長は153cmで止まっちゃうの?」
その時、私と深織が囲んでいた4人掛けのテーブルの空いている席に、学食が置かれました。
「ホント、ここの学食、おいしくないわよね」
そう言って席に着く人物は……
「葉月さん!」
私は驚きの声を上げます。
「……珠彩でいいわ」
「はづ……珠彩、どうしたの? 席が空いてなかったから相席?」
深織は既に打ち解けたような口調で葉月さんに問いかけます。
「なんでもいいじゃない……ここの学食がひとりで食べるにはマズすぎるってだけよ」
そして、珠彩さんの前の席に、同じように学食が置かれる。
「ボクもご一緒させてもらうよ」
「大地さんも!?」
「ボクも悠季でいい。だってボクら、もう友達だろ? ね、珠彩ちゃん」
珠彩さんは顔を赤らめてそっぽを向きました。
「違うわよ! ……それで海果音、昨日の人形はどうしたの?」
「あの子ならあの後も全く動かないから、押し入れにしまっておきました」
すると、珠彩さんはほっと一息、安堵の表情を見せます。
「……ふふ、海果音、珠彩はね、あの人形が怖いんだよ」
深織がそのように茶化すと、珠彩さんはテーブルに両手をついて腕を突っ張り、身を乗り出します。
テーブルの上のお盆と皿がガタンと音を立て、張り詰めた空気を作り出します。
「違う! あんな非科学的なことが起こるなんてありえないわ! ……だから……」
珠彩さんは、振り上げた拳のやり場を無くしたかのように歯を食いしばり、思考を巡らせるように目を泳がせます。
「それで? どうしたんだい、珠彩ちゃん」
「……だから……あの人形が動いた原因は海果音にあるはずよ! 私は海果音を研究するために近付いたの!」
「何その取ってつけたような理由」
渾身の弁解をモグラ叩きの要領で挫く深織は、珠彩さんに対して相変わらず冷たいと思います。
「うるさいっ! だから、今日から海果音を研究するために、仕方なく一緒に居てあげようって話よ!」
「……そっか、じゃあボクも海果音ちゃんを鍛えるために、トレーナーとして引き続き付き添うってことで」
悠季さんは目を閉じてお茶を飲み、不敵に笑いながらそう言いました。
「えーっ! だってあれは、ロボレスのために……」
「キミみたいに伸びしろのある子は鍛えがいがあるってものだよ。ははっ」
「そう、じゃあ私も、2人から海果音を守るために常に寄り添わないと」
「深織っ……!」
私は手を合わせ、キラキラと目を輝かせて深織を見つめます。
「でもね、海果音、いざって時のために、自衛できるように強くなるのも大事なことだよ」
「自衛?……もしかしてそれって、やっぱり鍛えろってこと?」
「うん!」
そう言って満面の笑顔を私に向ける深織。それを見て満更でもない表情の珠彩さんと、暖かく見守る悠季さん。
私を含めた4人が醸し出す空気は、他人の関係を超えた、友達と言っても差し支えないような関係を形作っていました。
そのきっかけとなったあの人形は、今も押し入れに眠っています。
後で調べて分かったことですが、あの人形は元々、飾っておくと人の願いを叶えるものとして作られたそうです。
そして、その後、人工知能と言語を発して応援する機能が追加されたそうです。
また、目の点滅は、発する言語と同じ意味のモールス信号になっているそうです。
あれから、たまに人形を押し入れから出してみますが、やっぱり壊れてるのか、全く反応しません。
ですが、時々夜中に押し入れの襖の隙間からチカチカと光が漏れているような気がして起きることがあります。
まあ、夢みたいなものでしょうけど、今でもロボットモが私を応援してくれてるようで、ちょっと嬉しくなります。




