第12話 はかいせかい
己を売って得た500円で再入社を果たした日向は、オフィスで仕事をしていた。
「うぅ、仕事終わらない……PC重い……」
日向がいくらマウスを動かしてもキーボードを叩いても、PCの動きは鈍く、仕事は一向に進まない。
そして、それが何の仕事なのかを彼女は理解していなかった。
「終わらないと帰れない……終電が……」
焦りを見せる日向に対し、PCはマイペースであった。
その時、上司が現れる。
「おいヒカゲ! 喜べ! 新しいPC買ってきたぞ!」
日向が使っていたPCを手早く片付け新しいPCを設置しはじめる上司。
「あの、すみません、まだ保存してなかったんですが……」
「何言ってんだ? これがあればそんな些細なこと気にならなくなるぞ」
「些細なことってそんな……って、これモニターしかないじゃないですか! キーボードとマウスは? ってか筐体は?」
「これはな、今までのヒカゲの思考の癖を全部記憶してるんだ。
だから、ヒカゲが考えるだけで動くんだよ」
「えー、何の冗談ですか。あんま面白くないですよ。
何が"だから"なのかさっぱりですし」
「いいから使ってみろ」
日向は頭の中でマウスを動かしキーボードを叩いた。
するとPCはサクサクと動き、彼女が考えた通りの処理を始めた。
「おー、ほ、本当なんですね! なんか進んでる! 何でかはわからないけど!」
「お前の仕事が遅いからだよ、これは業務効率化の一環だ」
「うわー、これならすぐ終わりますね……ってどこまでやれば終わりなんでしたっけ?」
「馬鹿野郎、せっかく業務効率化したんだ、楽なんだから永遠に仕事できるだろ? 大丈夫、悪いようにはしないから」
「なるほどー、悪いようには……って、なんで? どういうことですか?」
「ははは、任せたぞ! そうだ、あともうひとつあるんだった!」
するといつの間にか日向の後ろに誰かが立っていた。
「お前の体も永遠に使えるようにしてやる」
後ろに立っていたのは日向と同じメガネをかけた、彼女に瓜二つの人物だった。
違うのは黒い髪と瞳の彼女に対して、その人物は金色の髪と赤い瞳であることであった。
「よろしくお願いします」
「よろしくって……あーあー、なんか声がガラガラする……」
日向がふと自分の手に目をやると、しわがれた老人の手があった。
それだけではない、その視界がぼやけていることにも気付く。
彼女がメガネを外しても、その景色は変わらなかった。
「なにこれ、怖い……なんですかこれ?」
「その体はもう使い物にならないだろ? それも取り換えてやるよ」
「それでは」
そう言ったのは日向に瓜二つの彼女であった。
そして、その手にはナイフが握られていた。
次の瞬間、日向は胸が異常に熱くなるのを感じ、そこナイフが突き立てられていることを理解する。
「ぐっ……あっ……」
「よーし、新しいヒカゲ! 頼んだぞ!」
日向に瓜二つの彼女は、椅子から日向を投げ捨てるようにどかし、その席につき、仕事をはじめた。
薄れゆく意識の中で、日向は天気のことだけが気になっていた――
「ゆ……め? なんだ、夢か……」
朝の光の中、ベッドから上体を起こす日向、その時、その後頭部から何かが落ちる。
「あー、これか……もういらないのかこれ」
それは、人工知能モルフォに接続するために葉月に埋め込まれた、コネクタを挿入するためのポートであった。
日向はゴミ箱にそれを投げ捨て、カーテンを開ける。
「雨か……」
すると、雨が止み、すぐに青空が広がる。
顔を洗うために洗面所にフラフラと移動する日向。
鏡を見るとそこには夢で見た金髪赤眼の女性がいた。
「やっぱり……」
日向はいつものオフィスに出勤し、いつものように少し残業をして、いつものように帰宅した。
その日、上司も同僚も、彼女の風貌の変化には全く気付いていなかった。
彼女は帰宅後、レトロゲームをプレイする。
「左下ってホントに失敗作が効くんだ」
日向は縛りプレイを好み、この日も職縛りでラストボスに挑んでいた。
激戦の末ラストボスを撃破すると、エンディングが始まる。
「なるほど、本当にフリーズするんだ……」
日向は動きを止めたレトロゲームの電源を切ると、PCに向かい、動画配信サイトを開いた。
トップニュースには公共幸福振興会が解散したことが報じられていた。
「ミオリ……」
一方、公共幸福振興会を解散した星野は、声優の仕事を続けながらも無気力な日々を過ごしていた。
しかし、仕事への支障はなく、むしろ以前より演技のリアリティと迫力が増したとの評判が立つほど、表現力を向上させていた。
そんな彼女も、プライベートでは動画配信サイトにどっぷり浸かり、時間さえあれば無表情、無感情でそれを眺めていた。
そう、別に面白いから見ているという訳ではなかった。
動画に映る人々は皆、幸せそうな表情をしていた。
葉月 珠彩が作ったインスタントワークにより、人々は自分のペースで生活に不自由しないだけの賃金を得る仕事を請け負い、大きく余った自分の時間を、自分の夢や幸せのために使っていた。
「これで……良かったんだ」
何故か涙が流れる、だがそこには人々の幸せを祝うこととは違う感情が渦巻いていた。
そんな彼女が動画をはしごしていると、予言者を名乗る人物の動画が始まった。
「みなさんこんばんはー! ネット予言者の天野 御楽でーっす! よろしくね!
さて、今日の予言は世界の滅亡! きゃっ! こわーい!」
画面に映る3Dのキャラクターは、楽しそうにはしゃぎながら喋っていた。
コメント欄を見ると、バカバカしいという意見が2件あるだけであった。
「なんと、この度、今から丁度1年後、この世界が滅亡することがわかりました!
それは、カミサマがそう決めたからです! 偶然現れたカミサマが世界を滅亡させます!
カミサマなんて居ない! って言うみんな、それは違うんです! 今は偶然カミサマが認識できていないだけです!
カミサマは突如として現れるのです! この世界が滅亡する時、皆さんはそれを理解することになります!
じゃあなんでカミサマはこの世界を滅亡させるのか? ってことなんですが、それは皆さんが争いをやめないからでーす!
争って誰かが勝てば誰かが負ける、負けた人のことを考えたこと、ありますかー?
誰かが勝って得をすれば、当然負けた人は損をする、誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。
そんなの不公平だと思いませんか? みんなで幸せになることはできません!
皆さんは火を生み出すために、火が発生させるエネルギーを超えるエネルギーが必要だって知ってますか?
そうです、エネルギーを使って何かをしても、結果的にそのエネルギーの量を下回る効果しか得られないんです。
これは幸せにも言えることでしょう! 誰かが幸せになるためには、その幸せの効果を超えるエネルギーが必要なんです!
ということは、みんなで幸せになることなんてできませんよね?
ある人は、皆が高い誇りと理想を持ち、常に正しくあろうとすることで、人類は幸福になれると信じていました。
またある人は、家族と仲間のために過激な手段を取りました。ですが、その先に人類の明るい未来を見据えていたことも事実です。
そのまたある人は、公平なルールのもと人類に安定をもたらし、いい人がちょっとだけ得をする世界を望みました。
ところが、そのどれもが弱者を必要とする構造から抜け出せるものではありません。
あ、いや、これは私じゃなくてカミサマが言ってるんですよ?
というわけで、もうそんな他人の犠牲の上に幸せを勝ち取るのなんてやめましょう! それならどうしますか?
じゃあみんなで一斉に不幸になっちゃいましょう! というのがカミサマの提案です!
弱者の犠牲の上にしか成り立たない世界なんて、もう終わらせてしまいましょう。
みんなで一緒に滅びればこれほど公平なことはありません。
三途の川、みんなで渡れば怖くない!
ということで、その日が今から丁度1年後なんです! お楽しみにしていてくださいね!
それと、今週の天気ですが……」
星野は動画を閉じる。
彼女にはその3Dキャラクターの背後にいる人物が誰であるかということが瞬時に理解できた。
彼女はその人物に会うために走り、マンションの扉を開く。
「遅かったね、待ってたよ」
「ミカネ、もう悪ふざけはやめなさい」
「ミオリは信じてくれたんだね、あの動画。
……ふざけてなんかいないよ、もうこんなのやめよう」
「こんなのって……やめるなんて……ミカネに決める権利はないでしょう」
「ふふ……ちょっと外歩こうよ」
日向はそう言うと靴を履き玄関を出る。
そうしてマンションの廊下を軽い足取りで進む日向を星野は追った。
「……驚かないんだね、それとも他の人と同じで気付いてくれないだけかな?
ほら、髪型変えたんだ、前と同じように短くした」
「色も……変わった……」
2人はマンションを離れ、夕暮れの河川敷を歩いていた。
西の空を彩る太陽が、日向の金色の髪を際立たせる。
「目もね……不良の高校デビューじゃないよ」
「今も何かしてるの?」
「何かって? ああ、雷はもう落とさないよ。
何もしなくてもこのままなんだ、まあ無意識のうちに演算してるんだから何もしてないって訳ではないけど。
あの動画さ、結構前に投稿したんだ。
でもだーれも最後まで見てくれないし、コメントがついたと思ったらバカにされてるだけだったよ」
「影響……しないってこと?」
「よくわかったね、そう、影響しないんだ、前みたいにはね。
その効果を自由に操作できるようになったんだ」
「あなたは何者なの?」
「ミオリの知ってる日向ミカネだよ、それは昔から変わってない。
変わったのは私がその力を自ら認識したってだけのこと」
「嘘、あなたは変わった」
「違うんだ、私さ、月葉に捕らえられて、異常気象を起こす手伝いをさせられてたじゃん。
あ、あの時は助けてくれてありがとうね。
でさ、あなたと別れた後、私が何をしてたかわかる?
……わからないか、再就職だよ。
そうしないといけない理由があった、私が生きていないと、この世界が守れないと思った」
「守る? あなたは今、この世界を破壊しようとしてるんでしょ?」
「葉月社長にお見舞いしたあの雷、あれが良くなくてね。
あれを起こすために私は、ネットワーク上にある空調や温度調節装置をフル稼働させた。
するとその効果は雷を落とすだけに留まらなかった。
そのせいでこの星の気象は非常に不安定になって、この星全ての生物を脅かす災害を起こすほどとなった」
「でも、あの後は何も起きてない」
「そう、起きないように常に調整してたんだよ、私がね。
調整に使った装置は月葉のものだけじゃないよ、ネットワーク上にあれば、私の頭の中の人工知能モルフォがプロテクトを外して動かすことができた。
そうすることで世界を守ってるつもりだった。
頭は痛かったし、時間の流れがいやに遅く感じられた。
ミオリもそんなことなかった?」
星野は葉月珠彩とのバーの夜を思い出した。
そう、あれは無限とも思える時間だった。
「あれはね、処理の遅延なんだ。
知ってる? 物体が光の速さで移動すると、その物体に流れる時間は止まるんだって。
それは物体の速さに処理が追い付かなくなるからなんだよ」
「処理? なんのこと?」
「便宜的にそう言ってるだけだよ。
でも本質はコンピューターのそれと大差はない
ミオリもどっかで教えてもらったと思うけど、この世界を支配する物理法則っていうのは、数ある偶然の中から一番効率のいいものを選ぶんだ。
だからその処理速度を維持できる。
その上、誰も見てない、観測されないものの処理は簡略化される。
オープンワールドのゲームみたいなものだよ。
……まあいいや、この星の気象も物理法則が決めてるんだけど、その決定を覆すものが現れた」
「それが……あなた?」
「そう、物理法則の決定を私が上書きしていた、数ある空調装置を使ってね。
そしたら、頑張ってこの世界を守ってたら、物理法則の演算量が増加しちゃったみたい、だから、この世界の処理が遅延し始めた。
それは本当にこの世界の、物理法則の危機だったんだ。
処理が遅れ続けてやがて止まってしまう、そういう危機が迫っていた。
物理法則はその危機を回避するために、一番効率のいい偶然を発生させた。
……私を物理法則に取り込んだんだよ、そう、私はこの世界の法則を司る部品になったんだ」
「そんなバカな話……」
「物理法則にとってその応急処置は功を奏し、演算処理は以前の速さを取り戻した。
だけど、私にとっては、永遠に物理法則に縛られる存在にされただけに過ぎなかった」
「そんな……」
「だから、もう私が死ぬことはない。
肉体を構成する成分は以前と変わらないけど、体を危害を加えられることは全て偶然のもとに回避される。
老化だって偶然起こらない、偶然新しい細胞が作られ続ける。
その身体は偶然正常に機能し続ける。永遠にね」
「どうしてそんなこと……」
「物理法則に取り込まれた時、全てが理解できたんだ。
全ての存在の座標とそれがどう運動するかが頭の中にあった。
過去も未来も関係ない、時間なんてものは物理法則にとっては座標のひとつに過ぎなかった」
「だから、あんな影響が……」
「相変わらず察しがいいね。だから私は最初から変わってなんかいないんだ。
私の些細な愚痴があれだけの影響を及ぼしたのも、あのヤモリを化物に変えたのも、全て私がこうなるって約束されてたからなんだよ。
でも、それらはみんな良い結果を生まなかった、みんな少しずつ不幸になるだけだった。
だけどそれが、物理法則にとって効率の良い偶然だったんだよ」
「だからって、進んでみんなで不幸になろうなんて、滅亡しようなんて……」
「言ったでしょ、私は全てを理解した。そしたら皆が幸福になるなんてどうやっても無理なんだとわかったんだよ。
誰かがちょっとラッキーだと思うだけでも、それを上回る不幸が発生している。
宇宙の果てで起こったことがそのまた果てに影響しさえする。今まではそれが見えなかっただけだった。
それがわかったら、もういっそ皆で滅びた方が潔いって思っちゃった」
「どのような存在であろうと、生きようとする者がいる限り、それを否定することは許せないよ。
幸せを掴もうとしてる者に諦めろなんて言うのは……許せない!」
星野の顔に微かな怒りの感情が浮かんでいた。
日向はそれをそのメガネの向こうの赤い眼に写すと、更に続ける。
「そうは言うけど、もうこれ以上誰かが傷つくのを見るのは嫌なんだよ。
生物はその争いを求める本能を捨てられない。
ちっぽけな意思の力なんかじゃ、幸せを勝ち取ることの誘惑には勝てない。
強い者、自分が強いと錯覚してる者は弱い者を叩く、そしてその弱い者もさらに弱い者を叩く。
そうやって常に自分の優位性を誇示しようとする、それに幸せを感じることが生物の本能なんだ。
だったらそんな者、居なくなった方がいい」
「意思の力は……いつかそんなものを超えられる」
「そっか、ミオリはそれを知っていて、それが使えるんだよね。
でも、その力で人を不幸にしたことを思い知ったんでしょ? だから振興会を解散したんでしょ?」
「ミカネ……それはあなたが」
「うん、ごめんね、あの時は必死だった。
でもあなたの力は、やっぱり他人を不幸にする力でもあった、このことに変わりはないんだよ。
だからもうやめよ? 私ももうあなたの独善に振り回されるのはごめんだから。
私はモルフォの演算装置にされて心地いい夢を見てた、それで良かったのに、それなのに、あなたの余計な思い込みに付き合わされた」
星野はそれに明らかな不快感を示し、平手を振りかぶる。
しかし、日向に向けて振り下ろされたそれは空を切る。
「言ったでしょ? 私に危害は加えられない。
あなたがあの時、機械に囲まれて何もできなかったように、意思を介さない偶然の動きを捕えることはできない」
「じゃあ、あなたにはもう意思がないってこと? 生物ではなくなってしまったということ?」
「生物の定義を意思が操る乗物とするなら、そうだろうね。
こうやって話してるのも、全て物理法則上の偶然がそうさせてるだけに過ぎないと言える」
「なぜそんなことを……」
「それは……まあ、その意思の力とやらで私を止められるならやってみるといい。
あなたが何をしても1年後にはすべてが終わる、これを避けることはできない」
星野は拳を握り、日向の顔面目掛けて渾身の力でパンチを見舞う。
しかし、それもいとも容易く回避されてしまう。
「やってみなければ……わからない!」
大きく跳び上がった星野は、全体重を乗せたキックを繰り出す。
それはやはり日向にかすりもせず、地面にクレーターを作るだけに終わる。
「無理だってば、しかし、話が通じないと思ったら暴力に訴えるなんて、やっぱり生物の意思ってやつは欠陥品だね」
星野は河川敷に放棄されていた車を掴むと、それを日向に投げつける。
案の定それも回避され、大きな水しぶきを上げる。
「珠彩さんに言われたんでしょ? 偽善団体って、私もその通りだと思うよ。
あなたの活動に比べたらあの子のやってることは遥かに公平だよ、ミオリの完全な負けだ。
ミオリに付き合わされてきた会員の皆さんはどう思ったのかな?」
星野は電柱を引き抜き振り回す。
「可哀想に……あんなものに捕らわれたばっかりに……自分を見失って……!」
電柱は日向に振り下ろされるがそれもまた通用しない。
「可哀想? 私が? そう、ミオリはやっぱり私を見下してたんだね。
その言葉は自分より弱い者にかける言葉だよ。自分の方が強いって思ってる。
あなたもあいつと同じ、私を利用することで自尊心を保ってたんだね。
ほら、調子に乗らないでって言ってごらんよ!」
星野は天を裂く勢いで跳び上がり、ビルの壁面に両手を食い込ませると、それを持ち上げる。
「ははは、それが意思の力? 物理法則を覆すにもほどがあるってものだね。
あなたのその身体はもう、本当に戻れないところまで来てしまったんだ」
星野の美しかった金髪は、いつの間にか真っ黒に染まり、澄んだ空のようだった青い瞳は、全てを凍り付かせるように冷たく輝く青に変わっていた。
「もうその肉体を維持できなくなってきたみたいだね。
病院で言われたでしょ? そのまま意思の力に任せれば、あなたの身体はその力に押し潰されて命を落とす。
いや、もう命なんてとっくに無くなってるのかもしれないね」
星野が投げた12階建てのビルは大きく放物線を描くが日向の目の前で突風に吹かれて落ちる。
その風に星野も吹き飛ばされそうになるが踏みとどまる。
「ミカネ……私はあなたを止める!」
「止めてどうするの? 私を止めればこの世界は滅亡しないとでも思ってるの?
私が居なくてもこの世界は近いうちに滅亡する。
私はただその時計の針を早めるだけなんだよ」
急に辺りを地震が襲う。
星野はこの突拍子もない出来事に膝をつくが、その冷たいまなざしはずっと日向を捕え続けていた。
「私は偶然の力を使ってこんなこともできるんだよ。
まあこんなことをしなくても、その身体はあなたが意思の力を全て消費し尽くした時に終わる。
わかっているんでしょ?」
「私の命は関係ない! あなたを止められればそれでいい!」
「止められるのかな? その力で。
言われたでしょ? 強すぎる力は破壊しか生まない。
そんなものを振るっていればいつか世界を滅ぼすことになるかもしれない」
「この力は、世界を救うことだってできるって、信じてる!」
星野はコンビナートからガスタンクを持ち上げ投げつけた。
それは高圧線をなぎ倒し、地面に炸裂する。
そして、破壊された高圧線から放たれた電流に引火し、大きな炎上を起こす。
「何その力、それが魔法ってやつ? 炎上魔法?」
炎上するに大地に立つ日向が笑うと、辺りに豪雨が発生し、その火を消し止めた。
雨の降り続ける中、日向は続ける。
「本当にそんな乱暴な力で世界を救うことができるって思ってるの?
そういえば、病院では院長と多くの親御さんを救ったようだね。
……でも、なんであの時無関係のあなたがそれを救うことができたのか不思議だよね。
それは、あなたにも子供を亡くした親御さんの気持ちがわかっていたからじゃないのかな?」
星野は動揺の表情を見せる。
それを見た日向はニヤリと笑い、更に続ける。
「私は何でも知っている。
あなたが声優として大成したのも、おじいさまが亡くなった時に会長になれたのも、同じ手を使ったからでしょ?」
「ぐっ……!」
星野は600メートルを超える電波塔の先端を握りしめ、上空から日向に振り下ろす。
日向はそれを何事もなかったかのようにかわして続ける。
「そう、あなたは子供を亡くした親の気持ちを理解していた。
たとえそれが、まだ生まれていない子供のことだったとしてもね……」
「ミ……ミカネェェェェエエエエッ!」
日向に向かい突進する星野。
その顔には優しかったあの頃の面影はひとかけらも残っていなかった。
「結局ミオリは、自分のために自分の身体、そして自分の子供まで利用したんだ。
生き埋めになって自分を慰めるために私を利用したあの時のようにね!」
「……あなたが、あなたが居なければ……!」
「私が居なくたって、ミオリは大丈夫でしょ? 私を助けたのはあなたの気まぐれに過ぎない」
星野は日向の動きを捉えることができない。日向は瞬時に星野の背後に回り込んでいた。
星野は日向に背を向けたまま、動きを止めてしばらく立ち尽くし、そして語り始める。
「あなたが居なければ……私は生きていけない。それが一番許せないことだった。
ミカネ、私は悔しかったんだ。
あなたは私を忘れていても平気だった。私もあなたのことを忘れようとした。でもそれはできなかった。
私があのSNS騒動であなたに再会した時、あの時から自分の感情を抑え切れなかった。
あなたに関わってはいけないと、そう考えていたのにできなかった。
全人類のために公平に、誰かを贔屓してはいけない、偏見を持ってはいけないと、そう考えていたのに、その感情に逆らえなかった。
私は嬉しかったんだ。あなたに再会できて、あなたと一緒に何かができて、あなたの……面倒が見られて。
でもそれは全部あなたのためにならない。私のため、私が自分のためにやっていたことだったんだ。
人は自分のためにしか生きられない、本能や感情には抗えない、それが悔しかった。
結局、物理法則を覆すための意思の力も、物理法則に従順な本能や感情を満足させるためにしか使われることはない。
私は私のためにあなたを利用して生きてきた。でもそれが人間として当然のことだった。
人は少なからず他人を利用しないと生きていけない。だから、私はあなたのことを忘れられなかった。
当たり前だよね。それが人間なんだから。自分の記憶と感情から逃げることはできないんだから。
そして、あなたは私を忘れていても平気だった……他人を必要としていなかった…………そうだと思ってた。
あなたは人間であることから逃げて物理法則の一部になった。だからこの世界はあなたにとって情報の集合体でしかない。
でも、そのはずなのに、あなたは誰かや何かが傷つくのを見るのはもう嫌だって言う。それっておかしくない?
だって、偶然や自然現象は誰かのことを慮ったりしない。
彼らに幸運を授けたかと思えば、彼らが生きる日常を一瞬にして無慈悲に奪って行く。
それなのに、単なる情報に感情を動かされることなんてあるの?」
「……違うよ。感情に縛られていた頃の私はもう居ない。
私がしようとしてるのは、私の力によって苦しみ続けてきたあの子……かりそめの人格、ヒカゲちゃんへのせめてもの罪滅ぼしなんだ。
全ての生命を滅ぼすことで、彼女を全てのしがらみから解放する」
「……他人ごとなんだね」
「そうだよ。この世界の全てが私とは無関係なんだ。もう全部どうでもいいんだよ」
「嘘、そうやって誤魔化して……じゃあなんで私にわかるようにあんな動画を作ったの?」
「ミオリにお別れが言いたかったんだよ。それもあの子のためだ」
星野は日向の方に向き直り、メガネの奥の瞳を見つめる。
星野の瞳はかつての輝きを取り戻し、慈しむような眼差しを日向に向けていた。
「ねえ、もうこんなことやめよう? なんでそんなに意地を張るの? カミサマにでもなったつもりなの?」
「カミサマなんかじゃないよ。私は全ての生き物から全てを奪う悪魔なんだ。
今までも、私の言葉は他人をそそのかして、偏見を助長し、心に恐怖を植え付け、自らを顧みない行動を取らせ、やがて生きる気力を奪ってきた。
そうやって生き物の滅亡を促す悪魔だったんだ」
「ミカネ、あなたのやってきたことは結果的に間違っていたのかもしれない。
だけどそれは、理不尽なこの世界に抗ってあなたが出した答えなんだ。
あなたは神や悪魔なんかじゃない、意識と感情を持った人間なんだよ」
「意識と感情の狭間に縛り付けられるなんてもうまっぴらだよ。
他の存在に振り回されて苦しむのも、もううんざりだ」
「じゃあ、あなたにとって他人は必要ないってこと?」
「そうだよ、必要ない」
「あなたは本当にそれでいいの? 私もその必要のない他人のひとりのなの? 私の存在もあなたを苦しめてきたって言うの?」
「……うん」
日向は星野から目を逸らす。
星野はそんな日向に軽蔑の目を向ける。
「そう、わかった……じゃあ、私もミカネなんて要らない、もう消えていいよ。
それと、それはもう必要ないよね?」
星野は振りかぶって力の限り手を伸ばす。
「……ぐっ!」
血を吐き出す日向。星野の手は日向の薄い胸の間を突き破り、その心臓の手触りを味わっていた。
「感情や意識のない存在に命なんて必要ないでしょ? あなたが存在する限り、あなたは苦しみ続ける。
だから、私があなたを存在することから解放してあげる。
私は私の意志に逆らって、あなたのためにあなたを消すの。それが私があなたに、あなたのためにできる、たったひとつのことだから。
何より私は……あなたを苦しめないと生きていけない、あなたのことが好きな私のことが大嫌いだから、私は私からあなたを奪う。永遠にね」
「ミオ……リ……!」
星野はそのまま手を握りつぶし、日向の身体から腕を引き抜いた。
そして、赤く染まった震える手のひらを見つめる。
身体から力を失った日向は、崩れ落ちながらメガネを落とす。
その時、世界から全ての色が消え、ふたりを残して全ての存在の気配が消えた。
「ミカネ……ごめんね」
そう言って星野は、一面の黒の中から日向のメガネを拾い上げる。
星野にとっては世界がどうなったかなんてどうでもいいことだった。
日向はそんな星野を虚ろな目で見つめながら何かを呟くが、それは意味を成していなかった。
――すると、星野の頭の中に日向の声が響く。
「あー、聞こえますか? コホン、もしこれが聴こえているんだとしたら、私のミオリに対する気持ちと、ミオリの私に対する気持ちは今も一緒だってことだよね。
ふふん、さて、どこから話そうかな。
まず、予言の話から! あれは嘘でしたー! 1年後に世界を滅亡させることなんてできません!
いくら都合よく偶然を組み合わせたとしても、タイミングよくみんな一緒に滅びるなんて、1万年くらいかけて調整しないとできません!
偶然は物理法則を覆さないからね! 物理的にできませんってやつ、プログラマーが良く言うやつ!
じゃあなんで1年後なんて言ったのかって? そりゃミオリを呼ぶためだよ。
ところで話は変わるけど、物理法則はなんで私を取り込んだんだと思う? ってごめん、そっちも半分嘘なんだ。
確かにこの世界の処理速度は落ちていた、でもそれを解消するためなら、私を排除すればいいだけだからね。
物理法則にとっちゃ、生物の生存を脅かす災害なんて起こっても何の問題も無いからね。
じゃあ何故か! それはね、物理法則は恐れたんだよ、それを覆す意思の力を!
ミオリの身体には意思の力、というか呪いが過度に集中した、普通ならそれで死んじゃうんだけど、呼び戻された。
ねえ、バスの運転手の恰好、似合ってたでしょ? ふふふ。
そして、振興会を解散した時にミオリは呪いそのものになった。
その力は、この世界を支配する物理法則に抗う力、この世界を破壊する力……
だから、私を排除したりなんかしたら、ミオリの力が暴走してこの世界がどうなるかわからない。
そんな破壊者から自分を守るためにこの世界は私を人質に取った。
あなたに対する感情や執着を残したままね。意識のない死人を人質に取っても意味がないからね。
そして、この世界に危害を加えるということは、私に危害を加えることになる。
ミオリにはそれが絶対にできない、世界はそう高をくくったんだ。
だから、私にミオリを挑発するように仕向けた。
それに、ミオリが私に攻撃を仕掛けるとしても、私は偶然の力によって全ての攻撃を無効化する。そのはずだった。
私が挑発すればミオリは私を救うためにその力を消耗し尽くすまで走り続ける、そうなれば、この世界は安泰ってわけ。
でも、私はミオリに私を殺してもらいたかった。
そしたらミオリが私のためを想って、自分の意志に逆らってまで、私の存在を否定してくれた。
私はその存在を一番大切な人に否定されたという感情の動きに咄嗟に対応することができず、情報の処理に遅延が発生して動きが止まったって訳。
じゃあなんで殺して欲しかったのか、それはみんな一緒に不幸になろうなんて高尚な想いからじゃない……
私はミオリのいない世界で生き続けるなんてごめんだよ。そのためにこの世界を終わらせたかった。あなたと一緒に死にたかった。
私だけ死んでミオリが生き残るのも嫌だった。ミオリが他の子を好きになったら嫌だからね。
だから、物理法則の一部である私を破壊すれば、この世界は機能不全に陥って、それを処理できずに止まると考えたんだ。
……そしたら、予想通りだった。
やっぱり意思の力は物理法則を凌駕する。物理法則には意思がどう作用するかを予測できない、ミオリの私への想いを理解できなかった。
ありがとう、ミオリ、大好きだよ……」
その時、星野は一筋の涙を流す。
「そんなの……間違ってるよ……ミカネ!」
――こうして世界はその動作を停止した。
――はずだった。
日向はベッドで目を覚ました。
朝食を摂り、顔を洗い、髪を整え、制服を着て家を出る。
散りかけた桜の花が舞う中を歩いていると、見慣れた後ろ姿を見付け、駆け寄り声を掛ける。
「ミオリ、おはよう」
「おはよう、ミカネ」
「今日から2年生かー、ミオリは春休み何してた?」
「毎日のように会ってたでしょ、寝ぼけてるの?」
「そうだっけー? 一晩寝たから忘れてたかもー」
「あんたは寝ると記憶がリセットされるのかっ」
「あはは、でも今日からクラス替えかー、ミオリと同じクラスになれるといいなー」
「なれるよ」
「なぜ断言するっ?」
「んー、なんとなーくそうなる気がするんだ。私の勘当たるんだよ?」
「そっかーそりゃたのもしーねー」
「あー、完全に信じてない顔だ」
「ふふっ、でも、こんな日がずっと続くといいね」
「……うん、ずっと続くと思うよ、ずーっと……」
「あははっ、ミオリ、何言ってんの? あははは!」
「いやちょっと、そんなに笑わないでよ!」
「いや、ごめん、なんかミオリらしくないなーと思って……
……ところでミオリらしくないと言えば……ミオリの髪って黒だったっけ?」
日向はその赤い瞳で、星野を見つめながら疑問を投げかける。
星野の黒くしなやかな長いおさげ髪は、鼻に心地いい微かな香りを漂わせ、日向の風になびく短い髪は美しく金色に輝いていた。
「ん、じゃあ何色だったら私らしいの?」
「……んー、わかんない……ごめん、変なこと言って」
「いいよ、ミカネが変なのは知ってるから」
「失礼な! ……あとさ……ミオリってメガネかけてたっけ?」
「ああ、これ?」
星野はそう言うと、自分がかけていたメガネを日向にかける。
「これ、ミカネのでしょ? 忘れ物だよ」
「あ、私……メガネなんてかけてたっけ?」
「うん、似合ってるよ」
日向は鮮明になったその視界に、星野の氷のように美しく光る青い瞳を映す。
「……あーっ、忘れてた、これ私のだ!」
「あははっ、なんで忘れちゃうの?」
「なんでだろうね。でもなんかすごく懐かしい感じがする、しっくりくるよ」
「……うん、あ、いけない、もうこんな時間!」
「ありゃ、これはちょっと急がないと……」
学校に向かって走り出すふたり。
彼女の願いによって、彼女たちは永劫回帰する。
未来を破壊して、永遠に続く今を創造する。
それこそが彼女の出した回答であった。
(なんだ、こうすれば良かったのか)