第11話 星が輝く時
星野は日向と別れたあと、声優と慈善活動に復帰した。
忙しい毎日を過ごしてはいたが、いつも気になっていたのは日向のことであった。
(うう、あんなことしちゃったから嫌われたかな……あっちからは連絡が無いし、こっちからは連絡しづらいなぁ)
そんなことを考えながらも、日課のゴミ拾いをしようと、振興会の会員と共に街に繰り出した。
しかし、そこにゴミはひとかけらたりとも落ちていなかった。
「会長、ここにはもうゴミがありません。
街ゆく皆さんの意識が向上したんでしょうか? それとも誰かが既に片づけた?」
「うーん、まあどちらでもいいじゃないですか、街からゴミが消えることはいいことですよ」
星野は口ではそう言いながらも、内心少し残念に思っていた。
やる気が空回りしているような気がして、そのままでは引っ込みがつかない。
「今日はちょっと遠出してみますか」
「はい、会長」
隣の駅に足を運ぶと、そこにはすでにゴミ拾いをしている集団がいた。
星野はその集団に向かって訪ねる。
「あの、ゴミ拾いですか?」
「はい、そうです。我々、ネットの情報を見て、この街のゴミを拾うバイトをしてるんですよ」
「バイトですか、では、賃金が発生してるのですか?」
「そうですね、金額は少ないですが、街を綺麗にするのは気持ちいいので、やって良かったなあと思ってます」
「そうですか、それは素晴らしいことですね。
それで、その賃金はどこから出ているんですか?」
「依頼主はこの街の皆さんってことになってますが、この辺もまだお店が結構残ってるので、その経営者の方々が出し合ってるんじゃないですかね」
株式会社 月葉の敷地で大爆発が起きてから、Matchargeはその勢いを一旦弱めたため、中小の商店も細々とではあるがまだ生き残っていたのだった。
星野はその理由を知っていたが、誰にも話してはいなかった。
「なるほど、ありがとうございます」
数々の企業が株式会社 月葉に続き、人工知能が普及した今、定型化可能な仕事は次々と単純効率化されていった。
そんな中、人間は残された仕事を奪い合うことになるかと思われていたが、この社会には、人間が必要とされる問題がまだまだ山積みであった。
以前、そのような問題は公共幸福振興会のボランティアにより解決されていたのだが、それらを仕事として請け負う者たちが現れ始めたのだった。
帰宅した星野は、ネットでゴミ拾いの仕事を検索した。
すると、検索結果の一番上にMatchargeの関連サイトが表示される。
彼女がそのリンクをクリックすると、移動した先で宣伝動画が流れ出した。
「こんにちは、私はこの度、株式会社 月葉改めMatcharge Inc.の社長に就任しました、葉月 珠彩と申します。
よろしくお願いいたします」
社長を名乗り挨拶をするのは、赤い髪が特徴的な女性であった。
歳は恐らく星野と同じくらいに見受けられた。
「さて、この度、お仕事をお探しの皆様に、Matchargeからご提案がございます。
それは『インスタントワーク』です。
このインスタントワーク、Matchargeの会員であれば、簡単なお手続きでご利用いただけます。
仕事を依頼する場合はクライアント、仕事を探している場合はエージェントのメニューにお進みください。
まずはクライアントからご説明いたします。
クライアントは依頼するお仕事の場所、開始時間、募集人数、依頼内容、所要時間、報酬を入力するだけ。
難しいお仕事の場合は、説明動画の投稿もご利用いただけます!
報酬はもちろんお客様のご負担となりますが、自由に設定することができます。
妥当な相場が解らない場合は、分析メニューを利用することにより、人工知能によって弾き出された適正金額を知ることができます。
また、クライアントは共同で報酬を出し合うこともできるため、お金があんまりないって人でも、お仕事の案を出して賛同してもらえれば出資してくれる人がいるかも!
エージェントはリストから依頼されているお仕事を選んでエントリーできます。
クライアントはエントリーされたエージェントのリストから参加者を選択して開始の合図を出します。
そして、エージェントが予定通りに仕事を完遂できたとクライアントに判断されれば、額面通りの報酬を受け取れます。
さて、ここまでこの動画をご覧くださった皆様は、意外と簡単だとお思いでしょう。
そうです、ここまでは簡単な話、でも、ここからが肝心な話なんです!
今までのお仕事と言えばクライアントは安い報酬でいかに難しい仕事をしてもらうか、エージェントはいかに楽をして報酬を受け取るかというせめぎ合いがありました。
これによって、クライアントは不当に安い報酬を設定したり、成果にいちゃもんをつけて報酬を渋ったり、
エージェントは手を抜いた仕事をしたり、報酬が割りに合わないとゴネたりと、問題を多くはらんでいました。
これを解決するのが、相互評価制度です。
クライアント、エージェント共に相手のことを評価できるのです。
評価基準はお互いの誠実さ、エージェントの方に対しては仕事のジャンルごとの適正度にも点数を付けられます。
また、コメントを付けることもできます。
エージェントとしての向き不向きが数値化されることによってその人の個性を知ることもできます。
これらの評価の影響は、インスタントワークに留まらず、Qスコアにも及びます。
もちろん今まで通り、Matchargeで受けられるサービスに影響が出ますが、インスタントワークでもQスコアを元に優先順位を決定しています。
Qスコアが高いクライアントの依頼は検索の上位に、Qスコアが高いエージェントには向いてる仕事の依頼が優先的に通知されます。
勿論、Qスコアが少ない方に対しても、それなりに順当と言えるような仕事の依頼が通知されます。結局は、その人に合った仕事を、生活に不自由しない程度には紹介できるものと考えて頂いて結構です。登録しているだけで、その辺は保証します。
そして、ご存知の通り、Qスコアは常に他の方に可視化されています。
エージェントの適正度も、ついているコメントも同じように可視化されます。
この相互評価制度によって、公平公正な労働が実現されるのです。
人工知能により不当な評価をしたと判断された利用者は、Qスコアが大きく下がることとなりますので、ご注意ください。
また、Qスコア及びエージェントの適正度をあげつらい、相手を貶めるようなことをしてもQスコアが大きく下がります。
そして、自身の評価を誇示して相手に圧力をかけるような行為も、同様にQスコアを大きく下げさせていただきます。
基本的には皆さんがお互いに気遣い合って利用して頂ければ問題はありません。
クライアント、エージェント共に、お仕事完遂時に少しだけ手数料を頂きますが、サイト内ポイントTchashを使えばお得にご利用いただけます。
それでは最後に、実際にゴミ拾いを例としてインスタントワークのご利用手順を説明させていただきます」
動画はゴミ拾いの依頼から報酬の支払いまでの実際の流れを解説する。
(なるほど、これがあのゴミ拾いのバイトに繋がっていたんだ)
星野は感心しながらも、自分の活躍の場が少し奪われたような気がして不安を覚える。
その後、時が経つにつれて、ゴミ拾いの他にも、掃除、ハチの巣駆除、レンタル友達、介護、などなど、公共幸福振興会が担っていた役目と徐々に競合する存在へと成長するインスタントワーク。
振興会の活動が少なくなったため、インスタントワークにエントリーする会員も増えていった。
その年の冬、インスタントワークはその規模をあっという間に拡大し、社会に欠かせない存在にまで成長した。
何故欠かせないのかと言えば、それは働き口の無い人にとってのライフラインとなっていたからであった。
そういった人々は、サイト内通貨のみで生活をするものが多数を占めていた。
インスタントワークでエージェントとして活躍することにより自分の適性を知り、企業への就職を成功させるものも急増した。
そして、それとはまた違う形で企業への就職を目指している女性が居た。
「どの仕事にエントリーしても参加させてもらえない……
私のQスコア、まだ1桁だからなぁ……」
日向ミカネである。
彼女は星野と別れたあと、自分のマンションに戻り、無所得者として政府から援助を得て生活していた。
しかし、政府からの援助は、資金提供という形ではなく、ネットワークの無料利用権やスマートフォンの貸出し、食料や生活必需品の引換券の提供であった。
贅沢と言えばMatchargeがQスコアの低い者に気まぐれで配布する抹茶製品のみという有様で、明日に希望を見いだせない毎日を過ごしていた。
彼女もインスタントワークに登録していたが、エントリーする条件は現金での報酬にあった。
電子マネーが定着した世の中においては、その条件を満たすことがことのほか困難であった。
「あった! 現金報酬500円! って何だこの仕事、ガムを噛む?
しかも応募要項に身長体重制限がある……スレンダーな人って……それと、メガネ?、いや私は条件に当てはまってるけど……
うーん……とりあえずエントリーっと……」
するとすぐに契約が成立する。
日向はその速さに違和感を覚えるも、藁にも縋るような想いで指定された場所へ赴いた。
「なんだここ……路地裏じゃん……こんなとこでガムを噛む? 意味がわからない……」
細く暗いジメジメとした路地に辿り着く日向。
すると、そんな路地裏には不釣り合いな黒のスーツとサングラス、帽子を纏った男性が現れる。
「あなたがヒナたんさんですね」
「あ、はい、そうですけど、ガムを噛む? 仕事のクライアントさんですか?」
「はい、ではこれを噛んでください」
(試食して感想を言う仕事かな……でもこのガム見たことある、新商品じゃないよね。
じゃあ昔よくあったガムを取ろうとすると挟まれるドッキリ?)
しかし、ガムは至って普通の板ガムであった。
苦手なクールミント味であることに躊躇するが、包み紙を開け、口に頬張る日向。
(これ、どんだけ噛めばいいんだろ)
その時、黒ずくめのクライアントが何かを呟いていた。
日向は動きを止めて尋ねる。
「あの、これいつまで噛んでればいいんですか?」
「あと、256回です」
「そ、そうですか……」
日向は再びガムを噛み始める。
すると黒づくめの男の声がはっきりと聞こえるようになってきた。
「901、902、903……」
ガムを噛んだ回数を数えていた。
日向はそれに不気味さを覚えるが無心でガムを噛み続ける。
「1024! ありがとうございます! さ、そのガムをこちらに捨てて下さい」
黒ずくめの男は手に小さなタッパーを持っていた。
日向は怯えながらも言われるがままにそのタッパーにガムを吐き捨てる。
「あの……噛んでた唾も一緒に……」
日向は怪訝そうな顔をしながらも、それに従わなかった時、何をされるかわからないという恐怖から、言う通りにありったけの唾液を吐き出す。
「あ、ありがとうございます。では、報酬の500円です」
黒ずくめの男はガムと唾液の入ったタッパーを大切そうに鞄にしまいこみ、500円玉を差し出す。
日向はそれをひったくるように受け取ると、走って逃げだした。
そして、走りながら政府から貸与されたスマートフォンでそのクライアントに低評価をつけた。
彼女がマンションに戻り、再びスマートフォンを見ると、インスタントワークの通知が山のように届いていた。
「な、なんだこれ……」
そこには、切った爪、耳垢、髪の毛、使用済みの……などなど、見るもおぞましい文字が並ぶ。
日向は思わず嗚咽を漏らし涙を流す。
その時、インスタントワークから新しい通知が届く――
涙
日向はスマートフォンを投げ捨てた。
その日、日向はスマートフォンに怯えながら布団を頭にかぶって過ごした。
次の日、気分を整えた彼女は、久々にスーツに袖を通し、ある会社の受付の受話器を手にしていた。
「はい、先程ご連絡差し上げました、日向です。
坂上様はいらっしゃいますでしょうか」
ほどなくして、その人物が現れる。
「おう、ヒカゲじゃないか! どうしたんだ? じゃなかった、日向さんですね、こちらにどうぞ」
それはかつて日向の上司だった人物であった。日向は会議室に通される。
「ではおかけください」
「よろしくお願いします」
「……で、どうしたんだ? 連絡しろっつったのに、遅かったじゃないか」
よそよそしい態度を早々に切り上げ、昔のように日向に接する元上司。
「いえ、色々ありまして……あの、これ」
その手には500円玉が握られていた。
「お返しします!」
日向の突然の行動に動揺する元上司。
しかし、その表情は驚きから安堵に変化する。
「お前、そんなの返さなくて良かったのに、律儀な奴だな。
しかも今時現金って、もうみんな電子マネー使ってるっつーの! ははは!
でも、でもいい奴だなお前」
「すみません、これが手に入るまで踏ん切りがつかなくて……」
「相変わらず変な奴だなお前。
まあ、これはありがたく受け取ってやるよ」
「それで、ご相談が……」
「お、やっと本題か……何だ?」
「実は、今仕事がなくて……ここでまた働かせてください!」
目を強くつむり、手を合わせる日向に、上司は優しい笑顔をかける。
しかしその顔はすぐに真剣な表情に変わる。
「お前なあ……そんなのが通用すると思ってるのか?」
「え?」
「いいかヒカゲ、お前はこの会社を自分勝手に辞めていっただろ?
そんな奴を信用できると思うか?」
「そ、そんな、あれは……」
「どんな理由があろうとそれだけは事実だろ? いいか、社会人ってのは信用が第一なんだよ」
「はい……重々承知しております」
そして、2人の間を重苦しい沈黙が包む。
「……なんてな、わかったよ、ちょっと待ってろ」
会議室を後にする元上司、
「社長、お願いします。
日向をもう一度採用してやってください!」
「そう言われても、君もあの子が居なくなった時怒ってただろ? 何を今更」
「この通りです!」
日向の元上司は、跪き、手と頭を床につける。
そして、会議室に戻ってきた彼は再び日向の上司になっていた。
「話をつけてきた。今日から働くだろ?」
「は、話が早すぎませんか?」
「へへっ、俺は社長から信頼されてるからな」
「そうじゃなくて……今からですか?」
「そうだよ、お前のデスクもそのままになってるし、お前が辞めてから保守担当者が決まってない案件もあるし、お前はメガネもちゃんとかけてるし」
「……わ、わかりました」
日向は相変わらず押しに弱かった。2人はオフィスまで歩き出す。
「それで、今どんな仕事を?」
「いや、すぐにってのは無いんだけどな、でも安心しろ、今はいつでも仕事を受けられる優れものがあるんだ。
仕事の依頼も、受注もすぐにできちゃうんだぞ?」
上司は日向にスマートフォンの画面を見せる。
そこにはインスタントワークの画面が映っていた。
そう、今やインスタントワークは企業の受発注にも利用されるほどに認知されていた。
「うっ……ぅおぇぇぇぇぇぇえ!」
「どうした? ヒカゲ! うわっ、お前、こんなとこで吐くなよ!」
こうして床の汚物を片付けながら、「これも売れるのかなあ」と考える日向は、ようやく再び職を手にすることができたのだった。
そして、その帰り道――
「ありゃ、雨降ってきた……めんどくさいなぁ……」
すると、雨はすぐに上がり、傘を持っていない日向は足取りも軽く家路を急いだ。
日向が職を手にする一方、星野は以前にも増して声優の仕事に精を出していた。
「お疲れ様でしたー!」
しかし、それは公共幸福振興会の活動の機会がインスタントワークに奪われているから故のことでもあった。
今や動画配信からアニメ業界への出資も積極的に行うMatchargeは、星野の出演を歓迎する立場にもあった。
そんなMatchargeの動画配信サービスで密かに注目されていたのは、Matchargeでしか見られないコンテンツ、「葉月が聴く」であった。
それは、Matchargeの社長である葉月珠彩が自らインタビュアーになり、芸能人、財界人、政治家、かと思えば一般のニート、そして自社の社員などを招くものであった。
しかし、人気の秘訣は何といっても可愛く振る舞う葉月珠彩その人にあった。
「さて、来週のゲストは、今、アニメ『間違った世界を終わらせる魔法』で主人公の『見捨郁恵』ちゃんを演じている、星野 御輿さんです、お楽しみに!」
「間違った世界を終わらせる魔法」は「この世界は間違っている」と嘆く魔法少女が、そんな世の中を変えるために奮闘したり、命を落としたり、拾ったりするアニメであった。
内容はありきたりであったが、その丁寧で堅実な作りに、アニメファンからの人気が非常に高い。
そのアニメの主人公役の声優、星野御輿は、復帰から急激に人気が上昇し、今や声を聴かない日はないとまで言われていた。
そんな彼女が出演するとなれば、「葉月が聴く」の従来の熱量を遥かに凌駕する放送になることは明白であった。
期待に胸を膨らませたファンがサーバーを落としかける中、それはなんとか予定通り放送された。
「葉月珠彩です! こんばんはー!
いやー、ちょっと放送トラブルがあったみたいで、皆さんにご心配をおかけしました、申し訳ありません。
いやでもホント、今日のゲストの人気が伺い知れるってものですよね!
それではお呼びしましょう! 現在放送中のアニメ、『間違った世界を終わらせる魔法』で主人公の『見捨郁恵』ちゃんを演じている、星野御輿さんです!
よろしくおねがいします!」
メイクと衣装をバッチリ整えた星野がスタジオに入る。スタジオに充満する芳香剤の匂いによるものか、星野は一瞬むせそうになる。
「わーぱちぱちぱち、いやー私、星野さんの大、大、大ファンなんですよ! 今日はお会いできて嬉しすぎて気絶しそうです!」
「そんなー、大袈裟ですよ……あ、皆さまこんばんは、星野御輿です!」
「いらっしゃいませー、ホント、よく来てくださいましたね、お忙しいんでしょう?」
「そんなことありませんよ……いや、多分こんなに忙しいのは今だけで、すぐに若い子に追い抜かれちゃうと思います」
「そんなことないですよー! 星野さんはまだお若いですし、すごく綺麗ですよ。その金髪は地毛なんですよね?」
「はい、母と同じです」
「いやー美しい、ほら、目もこんなに青く澄んで、カメラさん寄って下さい! 皆さん見えますかー?」
「恥ずかしいのでやめてください……あはは」
顔を真っ赤にしながら口元を両手で隠す星野。
「さて、ここからは色々と伺っていきたいのですが、何で声優になったんですか?」
「そこからですか! ははは、いや、単にアニメが好きだったからですよ」
「そうなんですか? それだけ?」
「いけませんかー? でも、頑張れたのは応援してくれる友達が居たからですかね」
「そうなんですかー」
他愛のないトークを繰り広げるうちに話題は放送中のアニメに移る。
「さて、星野さんは今、『間違った世界を終わらせる魔法』に出演していらっしゃいますが、星野さんは『こんなの間違ってる!』って思うことありますか?」
「なんですかそれー! いやそんなのないですよ!」
「ホントですかー? 星野さん、郁恵ちゃんに憑依したみたいな演技が好評ですけど、実体験に基づいてるからあんなに激しい演技ができるんじゃないんですか?」
「基づいてるってことはないんですけど……そうですねえ、この世界が良くなりますようにって、いつも考えてますよ」
「な、なんですかそれ? もしかして、噂の団体ですか?」
「そうです、私、公共幸福振興会という全人類の公平の幸福を支援する団体で……その、会長をさせてもらってるんですよ」
「あー、聞いたことあります! そうなんですねー、それっていわゆる宗教みたいなものなんですか?」
「よく言われますけど、違うと考えてます。
まあ、そう見えるのも仕方ないと思います」
「なるほど! 公共幸福振興会が宗教扱いされるのは間違ってる! ってやつですね!」
「あははは、なんですかそれー! そんなこと言ってませんよー」
そんな笑いの絶えない雰囲気の中、葉月珠彩は一瞬鋭い視線を送る。
「星野さん、ズバリですね、その団体、やめちゃったらどうですか?」
「え? どういうことですか?」
「いや、声優としての人気と実績があるのに、それ以外の活動に時間を取られるのはもったいないと思うんですよ。
だから、声優のお仕事に専念されるのはどうかなーって」
「ああ、そういうことですか。
今は考えてませんが、いつかは私も引退して、他の方に会長をお任せすることになるんでしょうね」
「いえ、それもそうなんですけど、いっそ、組織を解体しちゃうとか!」
「えー、急な話ですねー、そんな予定全くありませんよー……」
それから数秒間、2人の会話は途切れたままになる。
凍り付いたような空気の中、気まずい雰囲気だけがその場を支配していた。
星野は気を取り直そうと出されていた飲み物を初めて口にする。
「……うっ! ……なんですかこれ? 腐って……? コーヒーじゃない?」
星野は思わず口の中のものを少しカップに戻してしまう。
「……くくく……はははっ! 星野さん、それ、薄めた醤油ですよ! あ、あははははは!」
こらえきれずに笑い転げる葉月珠彩。対する星野は未だ状況が理解できない。
「しょ、醤油? な、なんでそんなものを?」
「ごめんなさい、星野さん……くくく……ドッキリなんですよ! 間が持たなくなったら飲むかなーって、あはははは!」
唖然として何も言えなくなる星野。
「匂いでばれないようにって、芳香剤まで使って……本当にごめんなさい……くくくくくっ……はぁ……はぁ……」
息切れした葉月珠彩は、気を落ち着けるために自分の前にある飲み物を口にする。
「……ブーッ!」
茶色い液体を勢い良く噴き出す葉月珠彩。その瞬間、スタジオはスタッフの爆笑に包まれた。
「ワハハハハハハ!」
「……ちょ! スタッフ! なにこれ! 何で私のまで醤油なの? しかもこれ……原液でしょ?」
「……ふふふ」
星野も思わずつられて笑ってしまう。
「星野さんまで! 逆ドッキリ?」
「ち……違いますよ! 私だって醤油飲んだんですから!」
こうして、2人とスタッフの笑いによって、スタジオは以前の和やかな雰囲気を取り戻してゆく。
「……さて、そんな星野さんですが」
「は、はい、そんな星野です」
「告知などがあればどうぞ!」
星野は放送中のアニメやイベントの情報を羅列する。
葉月珠彩はさっきまでの鋭い視線がなかったかのように、笑顔で頷きながらそれを聴いていた。
「はい、ありがとうございました! では本日の『葉月が聴く』はここまでです。
星野さん、本日はお忙しい中、本当にありがとうございました!」
「ありがとうございました」
「さて、来週のゲストは、弊社の人工知能、モルフォの研究開発を行ってるチームの方々です。
興味深い話が聴けそうで、ワクワクしますね! それではみなさんまた、さようならー」
「さようならー」
放送は予定通り終了した。
スタッフにお礼を言いながら帰り支度をする星野に、葉月珠彩が話しかける。
「星野さん、このあとちょっと、付き合ってくださいませんか?」
「え?」
「時間、ありませんか? 行きつけのバーがあるんですが、2人で打ち上げをしましょう」
「ああ、そういうことですか。
喜んでご一緒させていただきます」
スタジオを出て夜の繁華街を歩く2人。
葉月珠彩の顔からはすっかり微笑みが消えていた。
「ここです」
そこは間接照明の効いた至って普通の佇まいをしたバーだった。
葉月はカウンターの一番奥に腰をかけ、星野もその隣に腰をかける。
2人はそれぞれバーテンダーにカクテルを注文した。
しばらくの間、沈黙が2人を包む。
葉月珠彩は出されたカクテルを一口飲んでから、星野を見ずに口を開く。
「ねえあなた、本当にやめないの?」
「え? なにがですか?」
葉月珠彩の唐突な質問に、星野は聞き返す。
「妙な宗教団体よ」
「ああ、あれは宗教団体じゃなくて……」
「そんなことはどうでもいいわ、あなた、本当にあんな慈善活動が成り立つと思ってるの?」
「どういうことですか?」
葉月珠彩の言葉に、星野の顔からもさっきまでの愛想笑いが消えていた。
「あれは本当に慈善活動なの? 依頼を受けたらお金をもらっているんでしょ?」
「はい、頂いてます。
ですが、お気持ち程度ですので、金額は依頼された方に決めてもらっています」
「そこよ、あなたたちは決めない、相手に決めさせる。
これがどういうことかわかってるの?」
「依頼された方は皆さま誠意を持った金額を支払ってくださってます。
タダ同然などということはありません」
「わかってないのね。
あなた、それは相手の良心に付け込んでるだけなのよ?」
「付け込んでる? そんな……」
「だってそうでしょ? あなたたちは依頼人を試してるの。
言わなくてもわかりますよね? って。
あなたたちがそう思ってなくても、相手はそうは思ってくれないわ。
端金を渡そうものなら後でどんなことになるかわからない。
だってそうでしょ? あなた方の団体はとても大きな影響力を持っているんですもの」
「そんな脅迫のようなことしていません!」
「してるしてないの問題じゃないの。
それだけの権力を持ってるということがどれだけ相手を身構えさせるかわかってないでしょ」
「でも、私たちはお金を目的に活動してるわけじゃない」
「そこも問題なのよ。あなたにはお金が必要ないかもしれない。
だけど、他の会員さんたちはどう? あなた、慈善活動だからって、働いてくれた会員さんたちにそれ相応の報酬を与えていないんじゃなくて?」
「それは、皆さんお金じゃないと仰って下さってるので」
「それも会員さんたちの良心に付け込んでるのよ。
今時労働の対価を有耶無耶にするなんて通らないわ。
それに、労働時間だって……実態が知れたら労働基準監督署が黙ってないでしょうね」
「労働ではなく、慈善活動です」
「同じことよ。
慈善活動は社会のためとか言うけど、労働だって全て社会のためなのよ?
そこに違いはないでしょ?
むしろ労働と言い切ってまず対価を明示した方が潔いわ。
私が作ったインスタントワークのようにね」
「それは……」
「何か思い当たる節があるようね。
まあ、あなたの活動と多少競合する部分はあると思うけど、私たちの方がずっと誠実よ。
全ては事前に数値化されて利用者に判断を委ねる。
これがどれだけ公平で公正な経済活動かわかって?」
「……ですが、その数値が適正と言えるのでしょうか?」
「言えないかも知れない、だからデータを取って少しずつ人工知能が調整しているの。
あなたの依頼はこれくらいが適正って常に見せているわ」
「それは、機械が決めたことですよね? それが正しいと言い切れるんですか?」
「少なくとも、人間の良心に決めさせるよりは正しいと思うわ。
それに、みんな事前にわかるように明示してる。
この依頼人はどれだけ信用できるか、この労働者はどれだけの技術を持ってるか、その全てをね。
利用者が数値を見て割りに合わないと思うなら、やめとけばいいだけのことよ。
そうして行くうちに段々適正な条件と報酬に近付いて行く。
全ての労働は明確な報酬のもとに行われるべきだわ。
これをすればいくらもらえるって決めておくの。
そして、利用者には生活するために必要最低限の報酬が得られる仕事を紹介する。
そうすれば、労働に意欲が見出せない人でも、それに従っていれば、必要最低限の社会貢献ができるようになる。
必要のない人間なんて居なくなる!」
「それは違います! 労働は、労働者自らの意思によって能動的に行われるべきです!」
「理想を語るのは自由だわ。だけど、それに他人を巻き込むのは間違ってる。
インスタントワークではアンケートを取っていて、職歴がある人には前職の不満点を挙げてもらってるの。
その回答は、休日にボランティアへの参加を強要されたとか、精神論を押し付けられているという意見が多かった。
最初は参考にするためだったけど、思いがけない収穫があった。その前職のほとんどが、あなたの組織の関連会社だったという事実を得られたのだからね。
勿論、立ち行かなくなった企業を片っ端から買収しているあなたの組織の規模を考えれば不思議じゃないことだけど、それにしても目立っていた。
もうあなたの考え方には着いて行けないって人が沢山いるのよ。身勝手な理想は人を苦しめるの。
理想に対してどこまで自分を捧げることができるかを試されているようなものだもの。
そんなの、重荷になるし、格差を生むに決まっているわ。
今求められているのは負担を強いる理想ではない。
あなたのしているような押しつけがましい奉仕活動は、必ず良くないしがらみを生む。
『私がこうしてあげたんだから、感謝すべき、何かしら見返りがあるべき』とね。そうやって奉仕した相手を追い詰める。
あなたは見返りを求めていないと言うかもしれないけど、あなた以外の人はどう?
その奉仕活動にそれ相応の対価を求めて当然と考える人が居るのが、むしろ自然なことでしょう。
私はね、本当に社会に必要な人は、"いいひと"だと考えてる。
それは、他人より少しだけ不快感を背負うとか、他人の負担を少しだけ和らげるとか、そういうこと。
極端な話、割り勘した時に端数の100円くらいなら躊躇なく出せて、そのことをおくびにも出さない、それだけでいいの。
そういった"いいひと"の気遣いは、人を縛り付けたりしないわ。
そして、相手が負担に感じるような過度な奉仕もしない。
私はそんな、貧乏くじを進んで引いて、少し損な役回りを演じていた人たちをインスタントワークで優遇したいの。
労働の対価が標準化されれば、他人より少し頑張ってしまう"いいひと"の行いは顕著に表れるわ。そういう人には良い仕事を紹介したい。
そのためにも、他人と奪い合うことなく共生するための安定した労働環境が必要なの。
奪い合いは"いいひと"が一方的に追いやられてしまうからね。
それと、あなたの言う自らの意思とやらが正しいとは限らない。
自分のためならば、能動的に悪事に手を染める者もいる。
みんな最低限のことをやっていればそれなりに楽しく生きていけるなら、そんなことをする必要もなくなるってことよ。
それに、インスタントワークで明確化された労働に勤しむ方が、悪事に手を染めるよりずっとリスクが低いでしょ。
むしろ、ネットワーク上で人間ひとりひとりに対する評価が可視化されるんだから、悪事や犯罪なんてできなくなる。
これで他人を貶めたり、足を引っ張ったり、陥れたりするような人はいなくなるわ。
その行為は全て自分の評価として返ってくるんだから。
それも、不明確な人間の判断なんかじゃなく、限りなく公平に近い判断でね」
「そんなの機械に管理されるようなものです! 人間の尊厳はそんなことで汚してはいけません!」
「ならはっきり言ってあげる。
あなたのしている慈善事業は不誠実な経済活動に他ならない。
人の良心や弱みに付け込む偽善行為よ!
それに比べたら、損得勘定で動かない機械の方が信用できるに決まってるじゃない」
「それでも……他人や機械に指示されるのではなく、自らの意思によって幸福を手に入れようとすることこそが、人間のあるべき姿なのです!
そうすることで、皆が公平に幸福を手に入れられる社会を作ることができるのです」
「じゃあ、その皆の幸福のためなら……私は不幸になってもいいって言うの……?」
「な、何を……?」
葉月珠彩の発言の意図が理解できない星野は戸惑うしかなかった。
そして、葉月珠彩は歯を食いしばり目に涙を浮かべながら言い放つ。
「皆を幸福にするなら……私のパパを返してよ! この偽善者が!!」
「……お客様、他のお客様のご迷惑になります」
葉月珠彩の悲痛な叫びと、バーテンダーの冷静な接客対応により、静寂が辺りを支配する。
星野もその空気に押し黙ることしかできず、カクテルを煽る。
「……あなたたちの動きは早すぎた……救援活動なんて都合のいいこと言ってたけど、あの事故はあなたたちが起こしたことに違いないわ。
私は、父があそこでしていることに反対していた。嬉々として見せられた変なロボットの設計図も突っぱねた。
だけど……私にとってパパはあの人しかいないの……
父はね、私が就職して独り暮らしを始めた頃から仕事にのめり込んでいったわ。
そして、家族にも社員にも人一倍気を遣っていた。みんなが不自由しないようにと頑張っていた。
でも、母はそんな父から離れていった。男を作ってね。
母は父の収入により贅沢な生活を送っていた。だけどそれじゃ足りなかったの。
きっと、家庭を放ったらかしにして働く父に心の距離を感じていたんでしょうね。
独りになった父は、以前にも増して仕事に打ち込んだ。
社員への待遇は十分すぎるほどだった。いえ、過剰と言えるほどだった。だけど、そのために自分を犠牲にしていたの。
それで私は、独りになった父を支えるために会社を辞め、実家に戻り、月葉で働くようになった。
私が居てあげなければと考えてた。過激になった父の思想を止めるられるのも私だけだと思っていた。
でも、私が本当に感じていたのは、家族を……パパを失うことへの恐怖だったの。あの事故でそれに気付いた……」
星野は沈黙を貫くが、その顔にははっきりと焦りの色が見える。
「どうしたの? さっきまであんなに威勢よく反論してたのに……
まあいいわ、証拠なんてない……それにあそこで見つかるものによっては私たちが不利な立場になる。
父が心血を注いで築き上げてきたものを守るために、そんなリスクは冒せない……」
「……何がお望みですか?」
「やっと口を開いたと思ったらそれ? そんなの悪役のセリフじゃない。
お似合いね、笑わせないで……あなたたちの偽善団体を解散してって言ってるのよ」
「解散……ですか」
「大丈夫、あなたたちが居なくてもインスタントワークが慈善活動の代わりを担ってくれるわ、公正な報酬のもとにね。
……だって、あれは、インスタントワークは……父を殺したあなたの組織を潰すために作ったんですもの……」
星野は明確な敵意を向ける葉月珠彩に対し、言葉を濁すように呟く。
「……組織は理想を共にする皆のものです。
私だけで決められることでは……」
「この期に及んでまだそんなこと言ってるの? まあいいわ。安心して、その理想だって、インスタントワークで実現できる。
みんなこっちにくればいいだけ。
それに、あなたの仕事だって無くなる訳じゃない」
「声優……ですか」
「そう、さっきも言ったでしょ? 声優に専念なさい。
それがいいわ……ふふっ……それにしても、あなた恥ずかしくないの?」
「な、何が……?」
「あんな男に媚びるような恰好の女の子の声を、これまた媚びるような声で演じる、そんな女を売り飛ばすような真似、よくできるわね」
「そんな言い方……あれは皆さんに生きるための元気を分け与える立派な仕事です」
「そう、あなたがそう言うならそうなのかもしれないわ。
でも、その仕事だってどうやって手に入れたことやら……
その演技力、アニメや映画にだけ使ってる訳じゃないんでしょ」
「……」
「まあ、よく考えておくことね。
そうでなくても近いうちにインスタントワークがあなたの組織を脅かすことになるでしょうけど」
そう言って葉月珠彩はカクテルを飲み干したあと、押し黙ったまま動くことができない星野に背を向けて歩き出す。
そして出口のドアノブに手をかけると、振り向きざま、思い出したように口を開く。
「あ、そうそう、ここのお会計は私が全部持つから安心してね。
あと、あなたは声優をやってる時が一番輝いてるわ、私が保証する。
あなたはその声優という卑しい職業に生涯を捧げるといいわ。
いつまでも役をもらえ続けられればの話だけど……じゃあ、またね」
――
「お客様、閉店です」
星野はバーテンダーにそう言われるまでどれだけ座っていたことだろう。
彼女にとってその時間は無限にも感じられた。
店を後にする彼女はスマートフォンを開き、電話を掛ける。
「会長ですか? こんな夜分遅くにどうしたんですか?」
「解散……します」
「はい……?」
「公共幸福振興会を解散します」
その時星野の頭に渦巻いていたのは、葉月珠彩の父と相まみえた夜のことであった。
バーで見た「パパを返してよ!」と叫ぶ彼女の顔は、あの時日向が見せたスマートフォンの画面の少女と同じものだった。
星野はその人に元気を与えるために使うべき演技力で彼女の言葉を借り、結果的にとはいえ、彼女の父を殺すためにそれを使ってしまった。
その罪悪感は星野を責め立て続け、星野を絶望に追いやったのであった。
一方その頃、日向は上司に誘われ飲んだ後の帰り道を歩いていた。
何度飲んでも慣れない酒に平衡感覚を奪われ、千鳥足になりながらスマートフォンを開く。
「あー、台風か……やっかいだな……」
ちなみに、インスタントワークで回収された日向のガムは、れっきとした遺伝子研究に使われていた。
研究者は、サンプル提供者のプロフィールを眺めながらニヤリと薄笑いを浮かべるのであった。