第10話 夜明け
「ミオリ! 大丈夫?」
深い暗闇の中、日向は倒れている星野の隣に座り、その体を揺さぶっていた。
「……んっ、だ、大丈夫……って、ミカネ、それ」
星野が開けた目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。
日向の髪は金色に染まり、瞳は赤く輝いていたのだった。
「なんだろうね……多分、演算で発生した余剰エネルギーを放出してるんだと思う」
「演算? 大丈夫なの? それに、何の演算?」
「ほら、私の頭の中ってモルフォさんが入ってるじゃん、だからさ、それを利用してあの大きいの、マクロ・オメガを倒せないかなって思って。
ミオリの携帯からネットワークに接続したら、世界中にある月葉製の空調とか機械が操作できるみたいだったから、それで頑張って雷を落としたんだ。
雷を発生させるために気流を調整する必要があって、その演算に時間と膨大なエネルギーが必要だったみたい」
「そんなことを……」
「私もイチかバチかだったよ。頭すっごく痛かったし。
でも、そうでもしなきゃあれは止められなかったでしょ?」
「そんなに無理をして……後遺症とか、大丈夫なの?」
「んー、わかんない。でも今は大丈夫だと思う。
頭痛もおさまってきたし、この光もそのうち消えるでしょ。
さて、問題は……」
日向が見回すと、辺りには瓦礫が散らばっていた。
そこは、外の光が一切届かない空間であった。
「ミカネ、ここは? わかる? なんでこんなことに……」
「ここは、月葉の地下工場……だったところだね。
葉月社長が全部破壊したみたいだけど」
「自爆? そんなバカなこと」
「葉月社長としては、自爆じゃなくて安全装置だったんだと思うよ。
ここの技術が悪用されないためなんだろうけど、徹底的に破壊されてる。
きっと、データセンターの方もモルフォの演算装置なんかは同じようになっていると思う。
自分が作ったものの恐ろしさに気付いてたんだろうね。
だから、あのマクロ・オメガを作った。娘を守るためにね」
「でも、その恐ろしい力を使った……わかっていながら」
「うん……さて、今はこの状況をどうにかしないと。
ここの地図は私の頭の中に入ってるんだけど、こう破壊されてちゃあ……」
「出られないの?」
「わからない、だけど、ここから廊下に続いてるみたい。
この廊下を進めば出口に着くことに地図ではなってるから、行ってみようか。
ほら、私の光が消えないうちに」
ふたりは廊下を進み始めた。
日向の髪が放つ光が、工場の惨状を照らし出していた。
「でも、なんでわかっていながらあんなことを……」
「会社の経営がうまくいきすぎたんだよ。
その成果は、売り上げなどの形で数字になる。
するとその数字が大きくなればなるほど、更に大きな数字を求める。
ゲームのハイスコアを競うようにね。
ミオリにはわからないかもしれないけど」
「この世界は、ゲームじゃない」
「そう、ゲームじゃない。でも、ゲームの中だったらスコアのために何をしても許されるんだ。
プログラムされていないことは絶対にできないしね。
だけど、現実世界でも数字を追いかけていると、世界が自然とゲームのように見えてしまう。
お金はスコアに、他人は手駒か敵に、そうやってこの世界を攻略してたんだろうね」
「葉月社長は世界が、他人がそう見てしまうほど、狂っていたってこと?」
「そんなことはないと思うよ。
葉月社長も個人的に付き合えばいい人なんだと思う。
娘のためにあんなものを作れるほどだし、少なくとも家族思いではあるよ。
でもその家族のためにもお金を稼がなければならなかった。
市場競争で勝ち抜くためには、他人への思いやりは薄くなってゆくものだよ。
競争相手が泣いたり笑ったりする人間だって意識したら、それを蹴落としたり陥れたり、不幸にさせたりできなくなっちゃうでしょ?
だから赤の他人への感情は邪魔になって、それを忘れちゃうんだ。
最初は自分が作ったお茶を売るためだけに頑張ってただけなんだろうけど、規模が大きくなるうちに、良い手を思い付いちゃったんだろうね。
ゲームの効率的な攻略法と同じだよ、たとえそれがバグを利用したチートであっても、その方法を発見した自分の能力を誇りたいだろうし、見せつけたい。
そして、それによってスコアが上がれば、自分がやっていることはやっぱり正しかったんだと追認する」
「他人との共存の道は考えなかったのかな?」
「だから私にしたみたいな利用方法を思い付いた。
利用された本人は苦しまないし、社会にとっても悪影響が出ないから、それがいい方法だと思ったんだよ」
「でも、災害を起こしたことは到底許されることじゃないよ」
「そうだね、だから罪滅ぼしと支持の拡大を兼ねて、精力的に救援物資を送った。
ここを我慢してもらえば、みんなに住みやすい世界を提供できるって信じてた」
「そう……ミカネは、なぜそこまで葉月社長のことを? まるで庇ってるみたいだよ?」
「モルフォさんのお陰で色々わかっちゃったんだよ。
だから、こうやって吐き出さないと……辛い。
葉月社長も辛かったんだと思う、ずっと躊躇っていた、悩んでいた、だからそれを断ち切るために、強引な手段を取った。
自分は間違ってないんだって早く証明したかった。
でも、それがうまく行かなかったときのために、全てをなかったことにするための安全装置を作った。
この世界の未来のための安全装置を。
だからもうここにあるものも、私たちを縛り付けていた演算装置も、使い物にならない」
「そして、私たちも……」
「そう、私たちの力もなかったことにしたかった。
だから、私たちはここで消える方がいいのかもしれない」
「……私ね、ちょっと前まで入院してて、そこで教えてもらったんだ、意思の力について。
私はその力が強すぎるみたいで、だから、人知を超える力を発揮できるんだって。
それで、その力は使い方によっては世界を破壊することになるって言われたんだ」
「ロボを倒せちゃうくらいだしね……」
「ははは……でも、今は自分の力が怖い。
その病院では多くの人に感謝されるようなことができたけど、同じ能力を使って葉月社長を陥れることになった」
「うん、でもそれは、ミオリの演技力に頼った私が悪いんだから、気にすることはないよ。
それにそのお陰でこうやって危険なものを封じ込めることができたんだから。
私もこんなことになるとは、葉月社長の覚悟がそこまでとは、考えていなかったけど……」
「でも、私はもう戻れないところまで来ちゃったんだと思う……どこで間違ったのかな……」
日向は俯いて歩く星野の顔を覗き込むと、辺りを見回し、そして弾むような足取りで周囲の棚に近付いた。
「ねえミオリ、みてみて、これ面白い、ロボットのお人形さん!」
日向はその手に人型のロボットのプラモデルを持っていた。
「葉月社長、こういうロボットが好きな人だったのかな?
ほら、そこらじゅうにあるよ、ミオリの足元にも」
星野は足元のプラモデルを拾い上げ見つめた。
その悲し気な瞳とは対照的に、日向はわざとらしく明るく振る舞って見せる。
「ねえねえ、データによると、この辺は昔、こういう人形を作る工場だったみたいだよ。
でも、しばらくして、『人型のロボットなんて成り立たない』ってバカにされるようになって廃れたんだって」
「でも、これも兵器だよね、やっぱりみんな武力に、勝つことに憧れがあったり、勝たなきゃダメって思うのかな……だとしたら、それが必然なのだとしたら、勝つ人が居れば負ける人もいる……みんなが公平に幸せになることなんて……」
「ミオリ?」
呼びかけられ我に返った星野は日向に向き直る。
「あ、ミカネ、その、光が……」
「あー、弱くなってきたみたいだね、頭痛も良くなってきたよ」
「良かった……」
安心した星野は、腰が抜けたようにその場に崩れる。
「はは、大袈裟だなぁ、へたり込んじゃって」
「ごめん、ちょっと疲れちゃって」
「じゃあ、ちょっと休もうか」
ふたりは廊下の壁を背に座り込む。
日向の頭痛も、放っていた光もすっかり消えていた。
「ねえ、ミオリ、ずっと忘れててごめんね」
「急にどうしたの?」
「私ね、ミオリには釣り合わない、ミオリの隣に居ちゃいけないと思ってね、ひとりでなんでもできるようにならなきゃって思ったんだ」
「……大学?」
「そう、私だけ受験に失敗しちゃったじゃん?
だからさー、もうミオリの足を引っ張らないようにしなきゃって、ひとりで生きていかなきゃって。
必死で忘れようとした。多分自己暗示のようなものだよ。それで本当に忘れられた」
「でも、ミカネはひとりでも大丈夫だった」
「大丈夫だったのかなー? そのあと、友達みたいなのはできたんだけど、やっぱりなんか疎外感が常にあってね。
私、存在感薄かったみたいで、みんな一緒にいるんだけど、私だけあんまり気遣われてないんじゃないかなーって。
そのあと就職しても、ずっと何かが足りない気がしてた。でもそれは、ミオリだったんだよね」
「……」
「それで、ミオリのこと思い出した時、やっぱり人はひとりじゃ生きていけないだなって。
そしたら、今まで周りの人が私の事それなりに気にかけてくれてたってことにも気付いたんだ。
あんなに怖かった上司も、不器用なだけだったんだって。それで、もうひとつ気付いた」
「何に?」
「ミオリは私に優しすぎたんだって。
あんなにはっきり伝わるほど、私のことを想ってくれてたんだって。でもそれが、とても嬉しかった」
「……そう」
「あれ、ごめん、私変なこと言ったかな?」
「ううん……でも、どちらかと言えば、私の方がミカネを必要としてたんだよ」
「え、どういうこと?」
「……」
それから星野は何も語ることはなく、日向も口を開くことができず、永遠とも思える沈黙が続いた。
そうしてるうちにふたりは何度か寝起きを繰り返すほどの時間を過ごしていた。
「ミオリ、起きてる?」
「うん」
「お腹すいたね」
「うん」
「私、今夢を見てるのか起きてるのかわからなくなってきたよ」
「うん」
「でもなんかずっとこのままでもいいやって思う」
「……うん」
「消えちゃってもいいやって」
「それは……ダメ」
「そっか」
「うん」
「震えてるの?」
「……寒い」
「ごめんね、気付かなくて、私のコートに入りなよ、っていうか、これはミオリが買ってくれたんだけどね、あはは」
無言で日向のコートに潜り込む星野。
ふたりは肌を寄せ合い、お互いの体温を分け合う。
「……ミカネ、なんかある、ポケットの中」
「ん、何?」
星野はコートの内ポケットから何かを取り出した。
「これ……袋に入ってる、丸くて、固い」
完全な暗闇の中、手の感触を頼りにそれが何かを確かめる。
その時、日向は思い出した。
「あ……それ、わかった……のど飴だ」
「のど飴? なんでそんなものが?」
「いやー……恥ずかしいんだけどね、それ、ミオリの誕生日プレゼントに買ったんだ」
「そっか……」
「がっかりした? ごめん」
「ううん、違うの、これでしばらく持つかなって」
「ああ、そういうこと? それはミオリへのプレゼントだから、全部あげるよ」
「そんな……」
「……あのね、私、もうダメみたいなの。
全然体に力が入らない、動けない……だから」
日向は力を振り絞り、震える手で袋を開け、のど飴を手に取る。
「これは……ミオリが」
そして、星野の口の中にその飴玉をねじ込んだ。
何も見えない暗闇の中、星野は日向が微笑んだような気がした。
「ごめんね……私のことは忘れていいよ……今までありがとう」
日向の声はすでに消えかけていた。
「……やだ、忘れない……ミカネも……私と一緒に生きて!」
日向は薄れゆく意識の中で、不思議な感覚に襲われる。
(ミオリ……なの? なにこれ……この感覚……これは……甘い……? そう、甘いだ……それと……ちょっとスーッとする……ミントの味……
……あと……やわらかい……味がして……何かが……流れ込む……あたたかい……何かが……染みわたる……
鼓動が……響く……ふたつの鼓動……私と……ミオリの……そうだ……これはミオリの音だ)
「……はぁ……はぁ……ほら、ミカネは生きてる、生きてるでしょ?」
(まただ……あたたかい……やわらかい……声が出ない……出せない……ああ……震える……ゾクゾクする……何かが……こみあげてくる……
首筋を伝う……感じる……ぞわぞわする……だけど……熱い……くすぐったい……空気が……触れて……冷たい……いや、あたたかい……
!……電気が……走る……音がする……心臓と……私を求める……ミオリの音……少しずつ……遠ざかる……広がる……音と……意識が……
熱い……息が……苦しい……苦しい?……苦しくない……むしろ……これは……意識が……空に昇って……無意識が……求めてるのがわかる……
!……衝撃が……駆け抜ける……満たしてゆく……私の身体を……ああ……ホントだ……私は……生きてる……これが……生きてるってことなんだ……
ふふっ……そっか……そうなんだ……見えない……けど……ミオリ……やっと……見つけたよ……わかる……そこ……でしょ? そこにいるんでしょ……?
それから……ここ……ここなんだよね? ほら……)
「……!!……っ!……っっ!!」
(……声に……ならないよね……知ってる……私も今なら……わかる……ミオリが今……教えてくれたから……
甘い……甘い……甘い……感覚……お湯の中に沈む飴玉のように……甘く……溶ける……広がる……
昇る……ふたりの……気持ちが……意識が……昇っていく……吐息が……混じり合う……
……感じる……ミオリの……あまい……あたたかい……やわらかい……あつい……
本能と……ミオリが……私を……突き動かして……加速させる……奥の奥まで……突き進む……
……放たれた……銃弾のように……私の胸を……心を……感覚を……貫く……
ミオリと……一緒に……生きてることを痛感する……痛いほどわかる……流れ込む……ミオリの命が……私に……私の命が……ミオリの中に……
混じる……濁る……浸食される……ミオリの心に……私の心が……飲み込まれる……私も……ミオリを……飲み干す……喰らい尽くす……
……鼓動が……強く……激しくなる……そして……辿り着く……ふたりで……昇り詰める……
私が……消えていく……ミオリと……消えていく……意識が……私が……ミオリと……ひとつになる……)
「……ねぇ……ミカネ……私……あなたにだけは幸せになってほしい……」
(そっか……これが幸せなんだ……でも……ごめん)
――そうして、永遠とも思える時間をかけて、ふたりの意識は闇の中に沈んでいった。
(……光?)
そう、光だった。星野が目にしたそれは、ふたりがもう二度と見ることはないと覚悟していたそれであった。
それはまるで、永い夜の終わりを告げる太陽の光のようだった。
「おい、誰か居るぞ!」
その声に目を覚ます星野。
隣では日向が安らかに寝息を立てていた。
「急げ! まだ生きてるかもしれないぞ!」
その時、光が大きくなり、星野は天井に穴が開いていることに気付く。
「ちょ、ちょっと……待って」
「その声は、やはり御輿会長! 待っててください! 今助けます!」
それは公共幸福振興会の幹部であり星野の側近の声だった。
そしてその声の主は、穴から漏れた光に照らされた、美しく透き通るような白い肌を垣間見る。
「……な、なぜそのような……」
「だからっ! 待ってと言ってるでしょう!」
「申し訳ありません! な、なんでもない、だがちょっと待つんだ」
振興会の幹部は後ろを振り向き、救出にはやる者たちを制止する。
そんな中、星野が日向を急かす声が微かに響く。
「ほら! ミカネ! 起きて! そんな恰好……早く!」
日向もようやく目を覚まし、事態を把握する。
しばらくすると、息を切らした星野が外に呼びかける。
「はぁ……はぁ……もう、大丈夫です!」
「あ、はい、よろしいですか?」
天井の穴は更に大きく崩れ、人がなだれこんでくる。
そうして振興会の会員たちはふたりを救出することに成功した。
あの夜から何度目かわからない朝日が、ふたりを照らし出す。
ふたりはその場で応急処置を受け、しばらく横になっていたが、日向が急に立ち上がる。
「会長、そちらの方は?」
「あ、えっと……ミカネ、行こうよ」
しかし日向はその声を気にかけず歩き出し、立ち止まったかと思うと、崩壊した工場跡を見つめた。
「ごめん……ミオリ」
「え、何?」
「私だけ……幸せになる訳にはいかないよ」
日向はそう告げると、星野に背中を向けフラフラと歩き出す。
「ミカネ……どこへ……」
「帰る」
日向のその言葉の言い知れぬ重みに、星野は追うことも、声をかけることもできなかった。
一方、株式会社 月葉は社長を失い、月葉の人工知能モルフォも、かき集められたデータにより復旧することはできたが、人間の脳による演算能力を失った。
社長の死は台風による被害と公式発表され、真相は地下工場と共に闇に消えた。
しかし、そんな取り返しのつかないほどの痛手を負った月葉だが、人間の脳の演算によって蓄積されたデータを利用することにより、人工知能の精度を予想外に向上させることができた。
それによって、チャイロボの運用や、Qスコアの算出を含めたMatchargeの運営は、たちまち以前と遜色がないレベルにまで回復した。
月葉は会社を立て直しながらも、台風の被災地への災害救助、救援物資の提供を精力的に行い、政府に人工知能の有用性を示し、信頼を得ることができた。
その後、Matchargeは、利用者の評価基準、扱う商品、提供するサービスから徐々に偏りを取り除き、利用者に不公平感を与えないようにと成長を続けた。
そしてそれは、代替わりした社長の自らを投げ打った尽力の賜物だった。
「やっと、ここまできた……」




