29話 月華の英雄。
29話 月華の英雄。
果てしなき神の皇帝コスモゾーン・センエースの威容を、
真正面から直視してなお、
蝉原は、笑った。
「いくよ……センくん」
逃げない。
怯まない。
諦めない。
それこそが、それだけが、
蝉原勇吾が、コスモゾーン・センエースの前に辿り着いた理由。
満面の笑みのまま、
腹の底に力を沈め、
世界そのものを穿つつもりで踏み込み、
「煉獄導蟲・殺神覇龍拳!!!」
渾身。
殺意。
神殺しの理論。
積み上げてきた思想、狂気、努力、犠牲――
そのすべてを叩き込むための、
完璧な上昇打。
――だが。
その拳が、
意味を持つ前に、
世界に触れる前に、
終わる。
「――月華英雄・龍閃崩拳――」
センエースは、踏み込まない。
溜めない。
力を込めない。
ただ、拳を、前に置いた。
その瞬間、
世界が沈んだ。
衝撃ではない。
爆発でもない。
技の応酬でもない。
それは、隕石が地表に触れたときに起こる、説明不要の大災害。
蟲が、空を仰ぐ暇もなく、天体の質量そのものに押し潰されるような、圧倒的かつ不可逆の圧殺。
全力で跳ね上がる蝉原を、星の落下が、無言で覆い尽くす。
抗う余地はない。
逃げ場もない。
比較そのものが、成立しない。
音が遅れて、ようやく生まれる。
空間が遅れて、ようやく歪む。
蝉原の身体は、
殴られたという事実を理解する前に、
存在として砕け散った。
――パァァアアアアアアアアアアアン!!!
乾いた、あまりにも軽い破裂音だけを残して、
塵よりも儚く、
光の彼方へと、押し潰されて消えた。
――砕けた蝉原の身体は、悲鳴を残さず、微細な粒子へとほどけていく。
それは灰ではなく、塵でもなく、
ただ、きらきらと淡く瞬く光だった。
粒子は空に溶け、風に溶け、
世界そのものへと、音もなく還っていく。
傾いた光が、空を満たしていた。
朱でも紅でもない、
琥珀と金が滲み合った、静かな終光。
その淡い輝きを受けて、
無数の粒子が屈折し、
空は硝子細工のように澄みわたり、
世界は一瞬だけ、完成された絵画となる。
蝉原勇吾は、
ただその美景の一部として、
美しく溶けて消えた。
「……ふぅ」
センは深く息を吐いた。
胸の奥に溜まりきっていた澱を、静かに吐き出すように。
一度だけ、天を仰ぐ。
もはや空と呼ぶべきかも分からない、光と法則の残滓が漂う高みを見上げてから、センはゆっくりと右手を掲げた。
「――いつまで寝ている。王の命令だ。起きろ」
声は低く、感情の起伏をほとんど含まない。
それでいて、『世界そのものが絶対に従うこと』を前提にした、絶対の響きだった。
ぱちん。
指が鳴らされた、その瞬間。
空間が、わずかに軋んだ。
いや、軋んだのは空間ではない。
『死』という概念そのものが、命令に逆らえず歪められた。




